映画貧乏日記

映画貧乏からの脱出は可能なのだろうか。おそらく無理であろう。ならばその日々を日記として綴るのみである。

「旅のおわり世界のはじまり」

「旅のおわり世界のはじまり」
シネ・リーブル池袋にて。2019年6月15日(土)午後3時55分より鑑賞(スクリーン1/H-9)。

黒沢清監督+前田敦子で描く異国の地で惑う女性の心模様

前田敦子は不思議な女優だ。いわゆる強烈なオーラを放つタイプではない。かつてAKB時代に仕事の関係で間近で見たことがあるのだが、見た目はどこにでもいそうな普通の女の子だ。

ところが、これが数々の有能な監督に指名されて、彼らの作品に出演すると、その言動や佇まいが抜群の存在感を発揮する。演技の巧拙などは関係がない。それを越えてしまっているのだ。「苦役列車」「もらとりあむタマ子」「Seventh Code セブンス・コード」「さよなら歌舞伎町」「散歩する侵略者」など印象深い映画を挙げればきりがない。

そんな前田敦子を主演に迎えて、黒沢清監督が日本とウズベキスタンの合作で製作した作品が「旅のおわり世界のはじまり」(2019年 日本・ウズベキスタン)である。前田敦子は黒沢作品では上記の「Seventh Code セブンス・コード」で主演を務め、「散歩する侵略者」にも出演している。

冒頭、テレビ番組のレポーターの葉子(前田敦子)が湖に入り、「みなさんこんにちは、今、私はユーラシア大陸のど真ん中、ウズベキスタン共和国に来ています!」と明るく視聴者に呼び掛ける。彼女は、巨大な湖に棲むという“幻の怪魚”を探す番組でウズベキスタンを訪れていたのだ。

ロケ隊の他のメンバーは、撮れ高ばかり気にして内容は二の次のディレクターの吉岡(染谷将太)、淡々と仕事をこなすベテランのカメラマン岩尾(加瀬亮)、気のいいADの佐々木(柄本時生)、そして現地のコーディネーターのテムル(アディズ・ラジャボフ)。

だが、ロケは思うようにいかない。肝心の幻の魚は現れず、現地の漁師は「女を船に乗せるからだ」などと言い出す始末。食堂でグルメレポートをしようとすれば、「薪が足りない」と生焼けの料理を出される。それ以外にもトラブルが続出だ。ロケ隊の面々はだんだん苛立っていく。

そんな中でも、葉子はレポーターの仕事をきちんとこなす。遊園地では乗り物で気持ちが悪くなりながら、それでも最後まで仕事を続ける。とはいえ、見知らぬ異郷の地で彼女の心の中は波立っている。ホテルに戻って、日本にいる恋人とスマホでやりとりする時間だけが彼女の安らぎだった。

そんな葉子の心の内を黒沢監督は巧みに描いていく。それを象徴するのが彼女が一人でバザールに行くシーンだ。全く言葉も通じず、周囲の何もかもが怪しく危険に思えて、葉子は次第に焦っていく。それを見ているこちらも、まるで自分が葉子であるかのように心がざわついてくる。

ちなみに、この映画では現地の言葉に一切字幕がつかない。せいぜいコーディネーターのテムルが通訳する程度だ。それもまた葉子の心の中を、より不安定に見せる効果を発揮している。

黒沢清監督の過去の作品はホラー的だったり、サスペンス的だったりする作品が多い。そのものズバリのホラーやサスペンスでなくても、どこかにそうしたテイストが感じられる作品がほとんどである。そして、本作にもそれが見て取れる。簡単に言えば、葉子の自分探しのドラマなのにもかかわらず、全編が予測不能で、不穏な空気が流れているのである。

葉子の心を揺らす大きな原因は、彼女が歌手を夢見ているという事実だ。帰国後にはミュージカルのオーディションを受ける予定もあるという。だから、今の仕事との落差に悩み、「自分は何をやっているのか?」と暗澹たる気持ちになるのだ。

中盤では、そんな彼女の心がもたらしたであろう不可思議な場面が登場する。葉子は歌声に誘われてある美しい劇場へ足を踏み入れる。そして、そこでオーケストラをバックに「愛の讃歌」を歌う自分自身を客席から見つめるのだ。

黒沢作品では、生者と死者、現実と非現実が入り混じる構成がよく登場する。今回もまた現実とも非現実ともつかない場面が現出し、独特の世界を生み出している。そして、葉子の心の奥底にあるものを象徴的に示すのだ。

混迷のウズベキスタンロケ。その混迷は終盤になっても続く。幻の魚が見つからないまま、今度は葉子自身がハンディカメラを手にバザールを巡る。だが、そこで予想もしないことが起こる。これまたホラー的で、サスペンス的な展開だ。さらに、その後に唐突ともいえる事件が起きて、葉子は完全な錯乱状態となる。ここもまた、彼女の心理が手に取るように伝わってきて、何とも不安な気持ちにさせられた。

この映画ではウズベキスタンの美しい自然があちらこちらに織り込まれている。それが最大限に効果を発揮しているのがエンディンクだ。そこで中盤で伏線として登場したヤギが再び姿を現し、葉子が「愛の讃歌」を熱唱する。それはまさに圧巻の映像と歌声で、彼女の新たな「世界のはじまり」を明確にスクリーンに刻み付ける。この素晴らしいエンディングだけでも、観る価値のある映画といえるかもしれない。

それにしても、今回も前田敦子の魅力が健在である。そこに黒沢節ともいえる独特の世界観が加わり、さらにウズベキスタンという異国の要素が加わることによって、単なる自分探しのドラマを超えた魅力が生まれている。黒沢監督にとって新境地ともいえる作品だが、過去の黒沢作品を観たことがある人にとっても納得の映画ではないだろうか。

 

f:id:cinemaking:20190617210959j:plain

◆「旅のおわり世界のはじまり」
(2019年 日本・ウズベキスタン)(上映時間2時間)
監督・脚本:黒沢清
出演:前田敦子加瀬亮染谷将太柄本時生、アディズ・ラジャボフ
テアトル新宿ほかにて公開中
ホームページ https://tabisekamovie.com/