映画貧乏日記

映画貧乏からの脱出は可能なのだろうか。おそらく無理であろう。ならばその日々を日記として綴るのみである。

「アマンダと僕」

「アマンダと僕」
YEBISU GARDEN CINEMAにて。2019年6月23日(日)午後1時より鑑賞(スクリーン1/E-7)。

~最愛の家族を失った青年と幼い姪の悲しみと強い絆

ここ数年、縁あって東京国際映画祭に足しげく通わせてもらっている。会期中はできるだけ仕事を減らし、上映作品を鑑賞する。特にコンペティション部門の作品は極力観るようにしている。とはいえ、さすがに全作品を観るのはなかなか難しい。

昨年の第31回東京国際映画祭でも、何本かのコンペ作品を見落としてしまった。「アマンダと僕」(AMANDA)(2018年 フランス)はその中の1本。しかも、なんと最高賞の東京グランプリと最優秀脚本賞をダブル受賞したのだ。それを知って見逃したことがなおさら悔しく思えた。

その「アマンダと僕」が一般公開された。そこで早速劇場に足を運んだのだ。ちなみに、グランプリ作品といえども一般公開されないケースもあるから、こうしてスクリーンで観られるのは幸運なことかもしれない。

テロで家族を亡くした青年と幼い姪の絆のドラマである。前半は、彼らのキラキラした日常が描かれる。

パリに住む24歳の青年ダヴィッド(ヴァンサン・ラコスト)は、アパートの管理人や庭の手入れなどバイトを掛け持ちしている。そんな中、パリにやって来たレナ(ステイシー・マーティン)という美しい女性と恋に落ちる。

一方、彼の姉のサンドリーヌ(オフェリア・コルプ)はシングルマザー。英語の教師をしながら、7歳の娘アマンダ(イゾール・ミュルトリエ)を育てている。

このダヴィッド、サンドリーヌ、アマンダの関係性の描き方が実に良い。サンドリーヌとアマンダがプレスリーの曲で、ノリノリで楽しく踊るシーン。2人がいかに仲の良い母娘であるかが即座にわかるシーンだ。

ダヴィッドとサンドリーヌの姉弟の仲の良さも際立つ。アマンダのお迎えを頼まれながら仕事で遅れたダヴィッドをサンドリーヌは叱責する。だが、それは心から非難するふうでもない。「しょうがないわね。ちゃんとしてよ!」と愛情をベースに諭すのだ。

そして、ダヴィッドとアマンダの叔父と姪の関係についても、2人が一緒に過ごすシーンを観ただけで、とても良好で温かな関係であることが伝わってくるのである。

こうした前半の描写があらからこそ、その後の悲しみがより深いものとなって迫ってくる。

やがてテロが起きる。イスラム過激派による銃乱射であることが示唆されるが、事件そのものについては詳細には描かれない。犯行の様子も映さない。穏やかな日常の中に突如として、犠牲者たちが公園の芝生に横たわるシーンが挿入されるだけなのだ。ここからもわかるように、これはテロの恐怖や社会的背景を描いた映画ではなく、残された家族の心に寄り添った映画なのである。

このテロによってサンドリーヌは亡くなる。レナも重傷を負ってしまう。ダヴィッドは姉を失くした悲しみを抱え、アマンダの面倒を見ることになる。だが、それは容易いことではない。これまで叔父と姪として仲良く過ごしてきたといっても、それとはまったく違うことなのだ。

「アマンダの後見人になるのか?」と聞かれてもダヴィッドは答えられない。自分の叔母モードの家とサンドリーヌの家で交互にアマンダの世話をしつつ、心は揺れて戸惑うばかりだ。アマンダを施設に預けることも考えるが、踏ん切りがつかない。一方、アマンダも母親の死を受け入れることができずにいる。

この映画で最も素晴らしいところは、ダヴィッドとアマンダの悲しみや戸惑いの描写にある。劇的に悲しみを煽り立てるようなことはしない。だが、それでもダヴィッドの深い悲しみが伝わってくる。特に彼の泣き方が絶品だ。号泣ではなく控えめに涙を流す。何の脈絡もなく突如として泣き出す場面もある。それはあまりにもリアルで、まるで自分もダヴィッドになったかのような気持ちになってしまうのだ。

一方のアマンダは、表面的にはほとんど泣くこともなく過ごす。だが、ある夜、突如として息苦しくなる場面がある。また、2つの家を行き来する生活に不満を漏らす。そして、ダヴィッドがサンドリーヌの歯ブラシを捨てたことに対して、猛然と抗議をする。モードが飼うウサギを無邪気にかわいがる半面、そうしたハッとする場面を見せることで、彼女の心の傷の深さを示す。こちらもリアルな描写である。

もしかしたら、ミカエル・アース監督はこうした被害者たちの心情を綿密に取材したのかもしれない。それぐらいリアルで自然な描写だった。

だが、アース監督は2人を悲しみの底に置いたままにはしない。悲しみと苦しみを抱えながらも、ダヴィッドとアマンダの微笑ましく温かな交流と支え合いを描き出す。アマンダの世話をするダヴィッドだが、アマンダを支えるだけでなく、自分もアマンダに支えられていることがクッキリと印象付けられる。だからこそ、その後のダヴィッドの決断が自然に受け入れられるのである。

終盤はロンドンに舞台を移す。そこでダヴィッドは早くに別れた実母と再会する。ここもまた劇的さを排して、2人のぎこちない再会をリアルに映し出す。

そしてハイライトはサンドリーヌとともに観戦するはずだったウィンブルドンのテニスの試合だ。その試合の行方とアマンダの心情に、冒頭に登場したプレスリー絡みの「ある言葉」を巧みに絡ませて、そこはかとない感動を呼ぶ。

こうして、2人の未来に微かな希望を灯してドラマは終わる。もちろん時間はかかるだろうし、困難もあるだろう。それでもダヴィッドとアマンダの未来に、希望を感じずにはいられなかった。同時にテロを乗り越えるものは憎しみや排除ではなく、愛であることも強く感じられるエンディングだった。

ダヴィッドを演じた若手のヴァンサン・ラコストの演技が光る。実に自然で繊細な演技だった。コメディーへの出演が多いそうだが、今後は活躍の場が広がりそうだ。そして、アマンダ役のイゾール・ミュルトリエも見事だ。とびっきりの可愛らしさと同時に、時に大人びた表情をチラリと見せる。初めての演技とはとても思えない出来だった。

脚本、演出、演技、すべてにおいて完成度が高い作品だ。東京国際映画祭の東京グランプリと最優秀脚本賞も頷ける。そして何よりも人生の悲しみと喜びを自然に伝えてくれる映画なのである。

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◆「アマンダと僕」(AMANDA)
(2018年 フランス)(上映時間1時間47分)
監督:ミカエル・アース
出演:ヴァンサン・ラコスト、イゾール・ミュルトリエ、ステイシー・マーティン、オフェリア・コルプ、マリアンヌ・バスレール、ジョナタン・コエン、グレタ・スカッキ
シネスイッチ銀座、YEBISU GARDEN CINEMAほかにて公開中。全国順次公開予定
ホームページ http://www.bitters.co.jp/amanda/