「存在のない子供たち」
新宿武蔵野館にて。2019年7月29日(月)午後12時45分より鑑賞(スクリーン3/B-4)。
~苦難の果てに両親を訴えた少年。現在の社会の在りように対する強い異議申し立て
中東・レバノンは、複雑な中東情勢を反映して内戦をはじめ数々の苦難を経験してきた。そのレバノンを舞台に、貧困層や難民・移民の苦境を描き出したのが、2018年の第71回カンヌ国際映画祭で審査員賞とエキュメニカル審査員賞を受賞した「存在のない子供たち」(CAPHARNAUM)(2018年 レバノン・フランス)である。
監督のナディーン・ラバキーは、女優としても活躍し、2007年の長編デビュー作「キャラメル」で高い評価を受けたとのこと。本作でも、弁護士役として出演している。
映画の冒頭、裁判所に少年が連れてこられる。そこには彼の両親もいる。だが、雲行きが怪しい。彼らは原告と被告に立場が分かれている。「自分を産んだこと」を理由に少年が両親を告発したのである。
その少年の名はゼイン(ゼイン・アル・ラフィーア)。およそ12歳とみられるものの、両親が出生届を出さなかったため、正確な誕生日も年齢もわからずに書類上は存在すらしていなかった。ベイルートのスラム街に暮らす一家の生活は劣悪で、ゼインは学校に通うこともできずに、大家族を養うために働いていた。
そんなある日、ゼインがかわいがっていた妹が無理やり結婚させられてしまう。妹を連れて逃げ出そうとするものの失敗したゼインは、怒って家を飛び出してしまう。やがてゼインは赤ん坊を抱えたエチオピア人難民のラヒル(ティゲスト・アイロ)と出会い、彼女の赤ん坊を世話しながら一緒に暮らすことになるのだが……。
ラバキー監督は、全編、ドキュメンタリータッチの映像で主人公の少年ゼインを追う。それゆえ実に臨場感たっぷりに、リアルに、ゼインの置かれた苦境が伝わってくる。それは観ていて胸が潰れんばかりの惨状だ。取材に3年もかけたというだけに、フィクションとはいえ実際のレバノン社会のありようが反映されているのは間違いない。
ただし、やたらに悲惨さを煽り立てるわけではない。その困難さをはねのけて、前に進もうとするゼインのたくましさ、生命力の強さも同時に感じさせる。特に後半、ラヒルが逮捕されてしまい、赤ん坊と2人で取り残されてしまってからのゼインは、ひたすら生き延びようとあの手この手で前に進む。
ここで連想したのは、是枝裕和監督の「誰も知らない」(2004年)だ。母親から置き去りにされた兄が幼い妹や弟とともに必死で生き延びようと奮闘する姿から、単なる悲惨さを越えて彼らの生命力の強さを感じさせられたが、本作にもそれと共通するものがある。ゼインをはじめ子供たちに徹底的に寄り添うことで、彼らの生命力の強さがスクリーンのこちら側に伝わってくるのである。
リアルなばかりではなく、映画的な面白さを感じさせる場面もある。家を飛び出したゼインがラヒルと出会うのは、かなり古びた遊園地。そこにはスパイダーマンならぬゴキブリマンの老人が働いていたりする。そして、彼はトウモロコシ売りのおばあさんとともに、慣れないスーツ姿で、ラヒルの保証人に成りすまそうとするのだ。このあたりのちょっとぶっ飛んだユーモラスな場面が、シリアスなこのドラマの良いアクセントになっていたりもする。
流転の果てに妹の死を知り、復讐を果たそうとした末に捕らわれの身となったゼインは、両親を訴える挙に出る。それが冒頭の裁判だ。だが、そこで裁かれるのは両親ばかりではない。貧困の中、たくさんの子供を産む両親の行動は愚かかもしれないが、だとしてもそれを放置して不幸な子供を不幸なままにしておく政治や社会の在りようはどうなのか。それに対する強い疑問や批判も、この裁判を通して明確に提示される。
裁判でのゼインの痛烈な叫びが見る者の心を打つ。同時に、訴えられた両親の叫びもまた、貧困がもたらす負の連鎖を強烈に世に問う。
貧困ばかりではない。ラヒルはメイドとして働いていたものの、妊娠したことで追い出され、その瞬間に不法滞在者となってしまった。それによって彼女の赤ん坊もまた、ゼインと同様に「存在のない子供」になってしまったのである。貧困者に対するのと同様に、移民や難民に対しても政治や社会は手を差し伸べようとしない。そのことに対してもラバキー監督は強い疑問を呈している。
この物語に安易なハッピーエンドは似つかわしくない。なぜなら、ここに描かれているのはまさに世界の現状だからだ。
だが、それでもラバキー監督はほんのかすかな灯をともしてくれる。絶望的に思われたある親子の再会だ。そして、最後にはゼインの笑顔を映し出す。それが困難な中でも、きっと彼に新たな希望が訪れることを示唆する。同時に、本来は世界のすべての子供が、ああした笑顔を普通に見せるべきであり、そうした社会を実現することの重要性を示す。
この映画に登場する俳優たちは、いずれもプロの俳優ではない。主演のゼイン少年はシリアからの難民だし、ラヒルもエチオピアの難民キャンプで幼少期を過ごし、レバノンで不法移民となった。ゼインの両親や妹などその他の人々も、ほぼ役柄と似た境遇の素人が起用されている。それもまた、この映画のリアルさ、切実さを高めているのである。
遠いレバノンの話と思うなかれ、貧困、移民・難民など世界共通のテーマが描かれている。何よりも子供たちの現状を告発し、彼らの幸せを願う視点は、今の日本とも無縁ではないだろう。
◆「存在のない子供たち」(CAPHARNAUM)
(2018年 レバノン・フランス)(上映時間2時間5分)
監督:ナディーン・ラバキー
出演:ゼイン・アル・ラフィーア、ヨルダノス・シフェラウ、ボルワティフ・トレジャー・バンコレ、カウサル・アル・ハッダード、ファーディー・カーメル・ユーセフ、シドラ・イザーム、アラーア・シュシュニーヤ、ナディーン・ラバキー
*シネスイッチ銀座、ヒューマントラストシネマ渋谷、新宿武蔵野館ほかにて全国公開中
ホームページ http://sonzai-movie.jp/