映画貧乏日記

映画貧乏からの脱出は可能なのだろうか。おそらく無理であろう。ならばその日々を日記として綴るのみである。

「あなたの名前を呼べたなら」

「あなたの名前を呼べたなら」
Bunkamuraル・シネマにて。2019年8月11日(日)午後2時50分より鑑賞(ル・シネマ2/B-6)。

~身分違いの禁断の恋の行方を通して見えるインド社会の現実

身分違いの恋などと言うと古典的なドラマのように思えるが、けっしてそうとばかりは言えない。現在でも、それが起こり得る場所が地球上には存在するのだ。

「あなたの名前を呼べたなら」(SIR)(2018年 インド・フランス)は、インドを舞台にしたラブストーリー。階級や境遇ゆえに、ままならない恋に身をやつすカップルの話である。

経済発展が著しいインドのムンバイ。故郷の農村に里帰りしていたラトナ(ティロタマ・ショーム)という女性が、呼び戻されたところからドラマが始まる。彼女は建設会社の御曹司アシュヴィン(ヴィヴェーク・ゴーンバル)の高級マンションで住み込みのメイドとして働いていた。

なぜラトナは呼び戻されたのか。実はアシュヴィンは結婚式のために出かけていた。ところが、婚約者の浮気が原因で式は中止になり予定より早く帰宅。ラトナは急遽呼び戻されたのである。

本当なら新婦とともに住むはずだった自宅で1人過ごすアシュヴィン。そんな傷心の彼を気遣いながらメイドの仕事をこなすラトナ。2人にはそれぞれ過去があった。ラトナは19歳で結婚したものの、わずか4か月後に夫が死んで未亡人となっていた。一方、アシュヴィンはアメリカでライターをしていたが、兄の死により帰国。父が営む建設会社の仕事をしていたが、なかなか思うようにはいかなかった。

そんな2人が心の交流を深めていく。その経緯をていねいに描写するロヘナ・ゲラ監督はムンバイ出身だが、アメリカで大学教育を受け、助監督や脚本家としてヨーロッパでも活躍しているという。インドを舞台にした映画でありながら、どこか欧米の映画の香りがするのはそのせいだろう。

演出は基本的にオーソドックスだが、時々ハッとするような場面が登場する。特に劇中数度出てくるアシュヴィンとラトナがそれぞれ過ごす部屋を、カメラを横移動させて映し出す映像が秀逸だ。2人の間にある微妙な距離感を的確に描き出す。

ラトナのメイドとしての仕事としてクローズアップされるのが料理だ。彼女は美味しそうな料理をアシュヴィンのためにつくる。それを彼は一人で寂しく食べる。一方、ラトナはキッチンの床に座って食事をする。そのあたりでも、2人の身分の違いと距離感を巧みに描き出す。

ドラマのほとんどはマンション内で進行するが、空間描写に工夫を凝らして飽きさせない。同時にきらびやかなマーケットの風景や、ムンバイの夜景なども良いアクセントになっている。

2人が距離を縮めるきっかけは、ラトナがあるお願い事をしたのがきっかけだ。実はラトナはファッションデザイナーを夢見ていた。そこで、日中の数時間、仕立屋の手伝いに行かせてくれるようにアシュヴィンに頼む。彼はそれを快諾する。

結局、この仕立屋でラトナは満足に勉強をさせてもらえず辞めてしまうのだが、その後は知人のサポートで裁縫教室に通うことにする。その際にも、アシュヴィンは快く彼女を送り出す。

そうした中で2人は次第に距離を縮めていく。だが、急速に接近するようなことはない。なぜなら2人は旦那様と使用人の関係。そしてラトナは夫の死後も婚家に縛られて、新しい恋愛さえご法度なのだ。

そうした障害を前に、お互いの感情を押し殺しつつも、どうしても抑えきれない感情がチラリチラリと出てくる。そのあたりの心理描写も見応えがある。ラトナを演じる「モンスーン・ウェディング」のティロタマ・ショームと、アシュヴィンを演じる「裁き」のヴィヴェーク・ゴーンバルの繊細な演技も特筆に値する。それぞれの視線の変化が、2人の関係性の変化を表現する。

そしてこの映画の素晴らしいところは、単なるラブストーリーで終わらないところだ。ドラマの背景には、身分による差別や女性の地位の低さなど、インド社会が抱える問題をしっかりと織り込んでいる。おそらくゲラ監督も、そこはぜひ描きたかったところなのだろう。

また、この映画はラトナの自立への戦いのドラマでもある。彼女は困難な中でも、真っ直ぐな気持ちで夢に向かって前進しようとする。何度か挫折しかけるが、それでも夢をあきらめない。不本意ながらアメリカから帰国したアシュヴィンにとって、その姿はとてもまぶしいものであり、自分を勇気づける存在であったに違いない。

ラブストーリーとして印象的な場面がいくつかある。エレベーターに2人きりで乗った時の何ともいえない気まずい雰囲気。裁縫学校に通い出して一段と輝くようになったラトナを、まぶしそうに見つめるアシュヴィン……。

そんな中でも最も印象的なのが、たった一度限りのラブシーンだ。まさに禁断の恋! 2人の感情や息遣いがリアルに伝わってきて、ゾクゾクさせられた。これほど切なく官能的なラブシーンは、なかなか目にできるものではない。

禁断の恋の行方はどうなるのか。それは実際に観て確かめてもらいたいが、ラストシーンは必見だ。邦題の「あなたの名前を呼べたなら」にリンクした心憎い結末。「なるほど、そう来たか!」と思わず膝を打ってしまった。おかげで、温かな気持ちで映画館を後にすることができた。

禁断の恋の行方をハラハラしながら見守るうちに、その背景にあるインド社会の様々な問題も見えてくる。なかなか魅力的な愛のドラマである。

 

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◆「あなたの名前を呼べたなら」(SIR)
(2018年 インド・フランス)(上映時間1時間39分)
監督・脚本:ロヘナ・ゲラ
出演:ティロタマ・ショーム、ヴィヴェーク・ゴーンバル、ギータンジャリ・クルカルニー、ラウル・ヴォラ
Bunkamuraル・シネマほかにて公開中。全国順次公開予定
ホームページ http://anatanonamae-movie.com/