映画貧乏日記

映画貧乏からの脱出は可能なのだろうか。おそらく無理であろう。ならばその日々を日記として綴るのみである。

「帰れない二人」

「帰れない二人」
新宿武蔵野館にて。2019年9月6日(金)午後1時より鑑賞(スクリーン1/C-8)。

~激動する中国を背景にした渡世人と恋人の愛の叙事詩

ジャ・ジャンクー監督の1997年のデビュー作「一瞬の夢」を観たのは、どこの映画館だったろうか。渋谷か、新宿か。明確な記憶はないが、いずれにしても衝撃的な映画だった。スリで生計を立てる青年のドラマで、粗削りながら鮮烈で瑞々しい青春映画。1970年代の日本のインディーズ映画を連想させるような作品で、中国にもこういうエッジのきいた映画があるのかと驚いたものだ。

それ以来、ジャ監督は「プラットホーム」「青の稲妻」「世界」「長江哀歌(エレジー)」「罪の手ざわり」「山河ノスタルジア」といった作品を世に送り出してきた。当初は中国当局から認められず、海外資本によって作品を作り、世界各地の国際映画祭で評価を高め、今では中国を代表する巨匠となった。

ジャ監督の過去の作品はほぼすべて鑑賞してきたが、そのほとんどは中国の急速な発展から取り残される人々を描いている。さすがに年輪を重ねた今では作風も熟成され、初期の頃に比べて観客が入り込みやすい映画になっていると思う。

ただし、発展から取り残される人々を描くという原点は、今も揺るがない。最新作「帰れない二人」(江湖儿女/ASH IS PUREST WHITE)(2018年 中国・フランス)も同様だ。

ある男女の18年間に渡る愛の物語である。同時にヤクザ映画のテイストも持つ。物語のスタートは2001年の山西省・大同。炭鉱作業員の娘チャオ(チャオ・タオ)は、ヤクザ者のビン(リャオ・ファン)の恋人だった。街は炭鉱の衰退で寂れかけていたが、ビンは雀荘をはじめとする娯楽施設を仕切るなど羽振りがよかった。

ビンはヤクザ者といっても、「渡世人」を自称する昔気質のヤクザだ。もちろん仲間との会話などには、いかにもヤクザらしい危うさもあるが、チャオとの関係においてはごく普通の恋人同士のようだった。どうやらチャオは結婚を望んでいるようだが、ビンにはあまりその気がないようである。

ジャ監督の映画にはその当時の時代背景がきっちり織り込まれる。一見、ありがちな恋愛ドラマのようにも見える本作でも、それはまったく変わらない。序盤では人々が石炭価格の暴落で仕事を失い、「鉱山が新疆に移転するらしい」という噂が流れる様子などが描かれる。

時代性という点では、ビンの経営する店で客が「YMCA」をバックに踊りまくるシーンなども、当時の時代をとらえたシーンと言えるだろう。

そんな中、ある夜、チャオとビンを乗せた車は若いチンピラたちに囲まれる。ビンは反撃に出るが多勢に無勢で追いつめられる。それを見たチャオはビンを助けるため拳銃を発砲する。

チャオは人を撃ったわけではなく威嚇発砲したのだが、それでも拳銃を不法所持していたことは間違いない。彼女は逮捕される。しかも、ビンをかばってその拳銃が彼のものであることを話さなかった。こうしてチャオは刑務所に入る。ビンも刑務所に行くが1年で出所。それに対してチャオは5年を刑務所で過ごす。

まさに愛に貫かれたチャオの行動である。もちろんビンの彼女に対する思いも変わらないことを信じていたのだろう。だが、5年後の2006年、刑務所から出てきたチャオをビンが出迎えることはなかった。チャオはビンの行方を追って三峡ダムのある奉節へと向かう。

ここでも中国の激動する社会が織り込まれる。三峡ダムが完成したのは2009年。この当時は、それを前に水没する土地の住民の移住が行われていた。そうした様子が物語の背景として描かれる。

また、船でチャオの金を盗んだ女の存在や、かつてビンが学費を出した男が事業で大成功している姿なども、拝金主義をはじめとする中国社会の変貌ぶりを表している。

チャオが会おうとしてもビンはなかなか姿を現さない。それでもチャオはビンに会おうとする。その過程では、「妹が流産した」というネタで男から金をせしめたり、自分に誘いをかけてきた男から巧みに逃げるなど、チャオのたくましい姿も示される。チャオはただ愛に翻弄されるか弱い女ではない。彼女の成長もまたこのドラマの大きな要素なのだ。

そして、ついに再会するチャオとビン。ここは実に切なくほろ苦いシーンだ。ビンと一緒に大同に帰りたいチャオ。だが、ビンは「昔の俺じゃない。別人だ」と告げる。どうやら新しい恋人もいるらしい。昔に戻れないことはチャオも十分に知っているに違いない。それでも心は千々に乱れる。そんな2人の揺れ動く心理がリアルに伝わってくる。

ビンはチャオの左手を握り「この手が命を救ってくれた」とつぶやく。だが、チャオは言う。「銃を撃ったのは右手。左手じゃない」。こうして、お互いに複雑な思いを抱えたまま2人はすれ違い離れていく。

その後、チャオはたまたま列車に乗り合わせた怪しげな男に誘われて、新疆のウルムチへ向かう。新疆ウイグル自治区では政府による大規模な開発が行われ、仕事もすぐに見つかると言われたのだ。だが……。

最後の舞台は2017年の大同だ。そこでチャオは、かつてビンが仕切っていた雀荘を仕切っている。そんな彼女に、変わり果てた姿になったビンが助けを求めてくる。もう二度と会うことはないと思われたチャオとビンが意外な形で再会する。

ボロボロになってもかつての自分が忘れられないビン。そして、そんなビンを「義理がある」と迎えるチャオ。それは渡世人の道理だ。かつては渡世人の恋人だったチャオは、今は自ら渡世人へとたくましく変貌したのだ。以前とは全く立場が逆転した2人。それでも友人としての絆を保つかに思えたのだが……。

チャオの姿を監視カメラ越しにとらえたラストが何とも切ない。チャオもビンも結局は時代に取り残された人間だ。そこにもの悲しさが漂う。そして、その2人の愛のドラマが、激動する社会とのコントラストで描かれることによって、ありがちなラブロマンスを越えて、普遍的で、より切なく、よりほろ苦い叙事詩へと昇華するのである。

チャオを演じるチャオ・タオは「プラットホーム」以来、ジャ監督作品に出演。私生活でもジャ監督のパートナーだ。セリフが極端に少ないジャ作品において、彼女の抜群の演技力は大きな要素を占める。その表情から立ち居振る舞いまで、全身で繊細に情感を表現する。そして、何よりもジャ作品における彼女はとびきり美しい。今回はますますそれが際立つ。

一方、ビン役のリャオ・ファンは、「薄氷の殺人」で第64回ベルリン国際映画祭銀熊賞(男優賞)を中国人俳優で初めて受賞した俳優。こちらも時代に取り残される渡世人を渋く演じて味わいがあった。ちなみに、「薄氷の殺人」のディアオ・イーナン監督も、役者として本作に出演している。

過去のジャ作品を観た人もそうでない人も、一見の価値がある作品だ。普遍的な愛のドラマとしても、現代中国を描写した作品としても見応えがある。

 

f:id:cinemaking:20190908192032j:plain

◆「帰れない二人」(江湖儿女/ASH IS PUREST WHITE)
(2018年 中国・フランス)(上映時間2時間15分)
監督・脚本:ジャ・ジャンクー
出演:チャオ・タオ、リャオ・ファン、シュー・ジェン、ディアオ・イーナン、フォン・シャオガン、チャン・イーバイ、ドン・ズージェン
Bunkamuraル・シネマ、新宿武蔵野館ほかにて公開中
ホームページ http://www.bitters.co.jp/kaerenai/