「蜜蜂と遠雷」
ユナイテッド・シネマとしまえんにて。2019年10月26日(土)午後2時45分より鑑賞(スクリーン7/E-8)。
~コンクールで競う4人のピアニストたち。映像と音楽が多くを物語る
中学生頃に何を思ったかクラシックにハマったことがある。レコードは高くてあまり買えなかったが、当時、学研から出ていた月刊雑誌「ミュージックエコー」を無理を言って親に買ってもらっていた記憶がある。クラシック音楽が収録された17cm EP が付属した贅沢な雑誌だった。
だが、その後、突如としてオレはロックに目覚め、それ以来クラシックとは縁遠くなってしまったのである。
というわけで、クラシックに関しては素人に毛が生えた程度の知識しかないオレではあるが、クラシック音楽をネタにした音楽青春映画「蜜蜂と遠雷」(2019年 日本)を鑑賞してきた。原作は直木賞&本屋大賞のW受賞を果たした恩田陸のベストセラー小説だ。
ドラマの舞台となるのは、若手ピアニストの登竜門として知られる芳ヶ江国際ピアノコンクール。その1次予選、2次予選、そして本選の模様が描かれる。そこでクローズアップされるのは、4人の若きピアニストだ。主人公は、母親の死をきっかけに表舞台から消えていたかつての天才少女・栄伝亜夜(松岡茉優)。彼女は、復活を期してコンクールに出場する。
そんな亜夜の前に立ちはだかるのは3人のピアニスト。楽器店勤めで年齢制限ギリギリの高島明石(松坂桃李)、亜夜の幼なじみで名門ジュリアード音楽院に在籍する優勝候補のマサル・カルロス・レヴィ・アナトール(森崎ウィン)、亡くなった世界的ピアニスト・ホフマンからの推薦状を持つ謎の少年・風間塵(鈴鹿央士)。
何とも濃いキャラ設定だ。「これは漫画か!?」と思わず叫びそうになった。もしかしたら、わかりやすい代わりに、リアルさのかけらもないド派手なだけのエンタメ映画になっているのではないか。情感過多な感動の押し付け映画になっているのではないか。そんな危惧を抱いてしまったのである。
だが、実際に観てみたら、これが実にリアルな映画なのだった。何よりも脚本・編集も担当した石川慶監督の演出が素晴らしい。4人のピアニストを中心に、登場人物の心理を繊細な描写で映し出す。その描写は全体に抑制的。仰々しさとは無縁だ。セリフも必要最低限しかない。
その代わりに随所で映像美が炸裂する。本作の冒頭は、かつて亜夜が亡き母とともにピアノを練習するシーン。そこに、降り注ぐ雨と馬という鮮烈なイメージショットを重ね合わせる。亜夜のトラウマと結びついたダークで、あまりにも美しいシーンである。
前作「愚行録」も話題になった石川監督は、ポーランド国立映画大学で映画を学んだというユニークな経歴の持ち主。そのせいか、ヨーロッパ映画、特に東欧映画を連想させるような映像がところどころに挟み込まれる。
中盤で登場するシーンも印象深い。亜夜が謎の少年・風間塵とともに、月の光の下でドビッシーの「月の光」などを連弾で演奏する。幻想的で身震いしそうなほど美しい場面だ。同時に、亜夜の眠っていた音楽への愛があふれ出てくるような場面でもある。
もちろんクラシック音楽もふんだんに使われる。中でもコンクールでの演奏シーンは圧巻だ。数々の名曲が力強く美しく演奏される。さらに藤倉大がこの映画のために書き下ろした「春と修羅」の演奏では、CADENZA の部分で4人のピアニストの個性を雄弁に表現する。
そうした演奏には、この手の映画にありがちな不自然さがない。聞くところによると、河村尚子、福間洸太朗、金子三勇士、藤田真央という世界的ピアニストが、亜夜、明石、マサル、塵、それぞれのキャラクターに沿った演奏を披露しているという。役者たちも、それに合わせて、いかにも本当に演奏しているかのような動きを見せる。
本作で描かれるのは、幼くして大きな挫折を味わった亜夜のトラウマ克服&成長のドラマである。ライバルたちとコンクールを通して刺激しあい、葛藤しながらもう一度自分の音を取り戻そうとする。
同時に、その他の3人についても、それぞれの背負ったものがある。だが、それらを詳しく説明的に描くことはしない。そこもまた、映像や彼らが紡ぎ出す音楽によって表現しようとする。
ちなみに、亜夜の3人のライバルのうち明石については、比較的時間をかけてその日常が描かれる。仕事を持ち、妻子を抱えた中で、「生活の中の音楽」を追い求める明石。彼の存在は我々一般人とも近いものがあり、結果的にクラシックの世界と我々をつなぐ存在にもなっている。
終盤では、いかにも性格の悪そうな指揮者(鹿賀丈史)を登場させて、ドラマに一波乱起こす。その過程で、一度は立ち直りかけた亜夜は再び迷いの中へと入りこむ。はたして、彼女はトラウマを克服できるのか……。というところで、冒頭のあの美しい映像を巧みに使い、彼女の心象風景を表現する仕掛けが秀逸だ。
ラストの亜夜の演奏シーンを観ているだけで思わず涙腺が緩んでくる。彼女に感情移入するとともに、クラシック音楽の魅力や奥深さが自然に伝わってきた。
主演の松岡茉優は言わずもがなの見事な演技。繊細で傷つきやすいヒロインを見事に演じ切っている。松坂桃李、森崎ウィン、新人の鈴鹿央士も見事に役にはまっていた。また、セリフもなくチラリと出てくるだけのクローク係の片桐はいりなど、脇役陣も存在感十分だった。
そんな脇役の一人、審査委員長役の斉藤由貴は、英語のセリフが中心で貫禄の演技。そして彼女の同僚審査員役の外国人が実に堂々たる演技なので、誰なのかと思ったらポーランドのアンジェイ・ヒラ。アンジェイ・ワイダ監督の「カティンの森」などにも出演している名優とのことで、納得の演技であった。
映像と音楽を前面に打ち出し、それを通して多くのことを観客に伝えようとする作品だ。ある意味で、観客一人ひとりの感性が試される映画ともいえるかもしれない。原作のファンには思い入れもあるだろうし、評価は分かれるかもしれないが、一度この映像と音楽の中に身を浸してみる価値はあると思う。
◆「蜜蜂と遠雷」
(2019年 日本)(上映時間1時間58分)
監督・脚本・編集:石川慶
出演:松岡茉優、松坂桃李、森崎ウィン、鈴鹿央士、臼田あさ美、ブルゾンちえみ、福島リラ、眞島秀和、片桐はいり、光石研、平田満、アンジェイ・ヒラ、斉藤由貴、鹿賀丈史
*TOHOシネマズ日比谷ほかにて公開中
ホームページ https://mitsubachi-enrai-movie.jp/