映画貧乏日記

映画貧乏からの脱出は可能なのだろうか。おそらく無理であろう。ならばその日々を日記として綴るのみである。

「わたしは光をにぎっている」

「わたしは光をにぎっている」
新宿武蔵野館にて。2019年11月16日(土)午後12時35分より鑑賞(スクリーン1/A-9)。

~下町の銭湯を舞台に成長する女性を繊細に瑞々しく描く

少し前に銭湯を舞台にした「メランコリック」という映画を取り上げた。銭湯といえば、ホッコリ感満載の場所だが、それが恐ろしい殺人の舞台になるという意表を突いた設定のドラマだった。

同じく銭湯を舞台にしたドラマが「わたしは光をにぎっている」(2019年 日本)だ。とはいえ、こちらの銭湯は殺人などとは無縁。いかにも銭湯らしく温かな空気に包まれた場所だ。そこで展開されるのは20歳の女性の成長物語である。

ちなみに「わたしは光をにぎっている」というタイトルは、明治·大正期の詩人、山村暮鳥の詩から取ったもの。本作の中川龍太郎監督自身、詩人としても活動しているとのことだ。

主人公は両親を早くに亡くした20歳の澪(松本穂香)。長野の湖畔で民宿を切り盛りする祖母・久仁子(樫山文枝)と暮らしていた。だが、久仁子の入院によって民宿を閉じることになる。澪は亡き父の古い友人で、東京で1人で銭湯「伸光湯」を営む京介(光石研)の元に身を寄せることになる。

澪は極端に口数が少なく、自己主張もしない。表情もあまり変わらない。だから、最初は何を考えているのかよくわからない。それがもどかしく感じられて仕方ないのだが、それでも観ているうちに少しずつ彼女の思いが伝わってくる。その繊細かつ瑞々しい心理描写がこの映画の大きな魅力だ。

澪はスーパーでバイトを始めるものの、人付き合いが苦手ですぐに辞めてしまう。そんな時、故郷の祖母から「できそうなことから一つずつ」というアドバイスを受けて、伸光湯を手伝い始める。これが彼女の変化のきっかけとなる。

この時の澪と京介の関係性がとても良い。澪は突然、銭湯の掃除を始める。するとそれを見た京介はブラシを取り上げ、何も言わずに正しい掃除の仕方を示す。また、その後、ミカン湯をめぐってアレルギーを持つ子の母親が猛抗議をした時も、京介は澪を怒るのではなく「こういう時は事前に告知をするんだ」と静かに教える。不愛想だが、何かと澪を気にかけるのだ。

そんな京介の態度も含めて、伸光湯には温かな空気が流れている。まあ、銭湯だから温かいのは当然なのだが、それにしても実に心地よい空気感である。観ているこちらも自然にホッコリとしてくる。

澪の成長を促す要素は他にもある。銭湯に出入りする人々だ。特に古い映画館に住み込み、商店街の人々にカメラを向けて、ドキュメンタリー映画を作ろうとしている銀次(渡辺大知)、その友人で澪とは対照的な性格の美琴(徳永えり)らは、今まで全く知らなかった世界を彼女に見せてくれる。

こうして、澪は自分の居場所を少しずつ見つける。そんな澪に、中川監督は優しく寄り添う。おかげで、大げさな感情表現や詳細なセリフはなくても、彼女の変化が少しずつ伝わってくるのである。

まもなく澪に試練が襲いかかる。この映画では随所に、伸光湯周辺の下町の商店街やそこに集う人々が映し出される。それもまた温かで心地よい風景なのだが、時代の波がそれを押しつぶす。街に再開発の波が押し寄せ、銭湯も閉店を余儀なくされるのだ。

京介をはじめ地元の人々はそれに抗うことができない。粛々と受け入れるしかない。そんな地元の人々を映し出した終盤の映像が出色だ。そこには切なさと喪失感が漂う。そして、さらに澪にとってもう一つの衝撃的な出来事が起きる。

最後に登場するのは1年後のエピソードだ。そこで映し出される澪の姿。彼女が小さな一歩を踏み出したことを印象付ける。それまでのタッチとは違い、力強さにあふれたラストシーンである。彼女は静かに、そして確実に変わったのだ。

中川監督の過去作の「走れ、絶望に追いつかれない速さで」「四月の永い夢」などはかなり評価を得ていたようだが、残念ながら今までは一度も作品を観る機会がなかった。だが、本作を観てその才能を充分に感じることができた。登場人物の心理描写に加え、街の風景や澪の故郷の美しい自然などの切り取り方が素晴らしい。詩人でもある中川監督らしく、どことなく詩的な雰囲気が感じられる映像だ。

役者陣も好演。特に澪を演じた松本穂香は、「おいしい家族」での演技が印象深いが、今回も難しい役をきちんと演じていた。まだまだ伸びしろがありそうで、今後も楽しみだ。京介役の光石研は言わずもがなの存在感。どの出演作でもそうなのだが、彼なしにこのドラマは成立しなかったのではないか。

小さな世界を描いた地味な作品だが、それでもその味わいは格別だ。いかにも日本映画らしい魅力にあふれた映画である。

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◆「わたしは光をにぎっている」
(2019年 日本)(上映時間1時間36分)
監督・脚本:中川龍太郎
出演:松本穂香渡辺大知、徳永えり吉村界人忍成修吾光石研樫山文枝
新宿武蔵野館ほかにて公開中
ホームページ http://phantom-film.com/watashi_hikari/