映画貧乏日記

映画貧乏からの脱出は可能なのだろうか。おそらく無理であろう。ならばその日々を日記として綴るのみである。

「この世界の(さらにいくつもの)片隅に」

「この世界の(さらにいくつもの)片隅に」
丸の内TOEIにて。2019年12月29日(日)午前11時20分より鑑賞(スクリーン2/C-13)

*初回鑑賞~池袋HUMAXシネマズにて。2019年12月21日(土)午前10時50分より鑑賞(シネマ1/B-25)。

~戦時下の日常を丹念に描いた感動の名作が不滅の完全版に

2016年公開の「この世界の片隅に」は、こうの史代の同名漫画のアニメ映画化。公開後、幅広い世代に支持されて異例のロングランヒットを記録し、国内外で高い評価を得た。個人的には、文句なしにこの年のナンバー1映画だと断言できる。

その名作アニメの長尺版が、「この世界の(さらにいくつもの)片隅に」(2019年 日本)である。通常の長尺版、あるいはディレクターズ・カット版は、公開時にカットされていたパートを復活させるケースが多いのだが、本作は違う。30分以上の新たなシーンを追加しているのだ。

しかもタイトルも同じではない。わざわざ「(さらにいくつもの)」という言葉を付加している。前作をベースにしつつも、また新たな世界を構築したいという作り手の意図が表れたものなのだろう。

ストーリーの骨格は当然ながら前作と同じだ。広島で暮らす、いつもボーっとしている18歳の女の子、すず(のん)が、よく知らない周作(細谷佳正)という男性に見初められて、呉に嫁いでくる。そこで戸惑いつつ新たな生活を始めるすずだったが、戦況は次第に悪化し配給物資も満足に得られなくなる。それでも、すずは様々な工夫を凝らして北條家の暮らしを懸命に守っていく。

今回、新たに加えられたシーンは様々だが、主に描かれるのはすずと遊郭の女性リン(岩井七世)との交流である。前作でも、道に迷って遊郭に入り込んだすずがリンに助けられて、得意の絵を描いて彼女を喜ばせるエピソードが登場していた。だが、原作の漫画を読んだ人はわかると思うが、2人にはもっと複雑な因縁があったのだ。そこを今回はきっちりと描いている。

それはすずにとって、女性としての苦悩と葛藤を抱え込む出来事だった。その過程では、前作にはなかったベッドシーンも登場する(ベッドじゃないけど)。すずの心は大いに揺れ動く。

男女の関係性や心の機微を前面に押し出したシーンだけに、本作を反戦映画的な視点から見る人にとっては、このシーンは余計なものかもしれない。だが、個人的にはそうは思わなかった。このエピソードが付加されることにより、すずの人物像により厚みが出て、ドラマ自体にもさらなる深みが出たと感じる。

本作は単純な反戦映画ではない。すずや周囲の人々の戦時下での日常を生き生きと描き出す。そこには苦しみや悲しみだけでなく、喜びや楽しさもある。それらを丹念に描き出すことで、観客は自然に「戦争」というものについて思いを馳せることになる。そこが本作の最大の魅力ではないか。すずの人物像を膨らませた今作は、前作のそうした魅力をもさらに増幅させていると感じるのである。

すずとリンとの交流では、すずが自身の妊娠騒動について語る場面がある。それを通して出産が女性の義務であった当時の社会状況があぶりだされる。また、今作では、すずとリンとのエピソードに加え、同じく遊郭の女性テル(花澤香菜)とすずとのつかの間の交流も描かれる。瑞々しくも切なく悲しい場面である。それらを通して、貧困問題や女性が身売りされる悲しい時代もクローズアップされる。そういう点からも、本作は社会性が薄まるどころか、ますます強まった作品だと思う。

それ以外にも、本作には各所に新たなシーンが付加されている。それらが従来のシーンと違和感なく溶け込んでいるのに驚かされる。しかも、新たなシーンによって前作に新たな意味が加わる。例えば、冒頭近くですずたちが遊びに行った親戚の家に登場する「座敷童」の存在だ。そこには深いドラマが隠されていた。劇中で印象的に使われる口紅が誰のものなのかも明らかにされる。

後半に進むにつれて空襲が激しくなり、すずたちの生活はさらに過酷になる。そしてやがて悲劇が起きる。そこでは、すずや周囲の人々の傷心が手に取るように伝わってきて、胸が張り裂けそうになる。そうしたことを体験したすずの終戦時の悲痛な叫びも心を撃つ。

だが、ラストは温かい。悲劇の果てのある出会いが、エンディングとエンドロールのイラストで巧みに描かれる。このあたりの素晴らしさは前作同様。何度観ても涙が止まらない。

こうして名作は不滅の完全版となった。すずたちは、これからも観客一人ひとりの心の中で生き続けるだろう。前作を観た人もそうでない人もぜひ鑑賞して欲しい。歴史に残る傑作なのだから。

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さて、前作を観た時に悔しかったのがエンドロールに登場するおびただしい人名。前作はクラウドファンディングで作られたため、その協力者たちの名が記されていたのだ。「こんな名作に名を残せるなんてうらやましい!」と思っていたところに、今回の長尺版製作の話。今回も「応援チーム」という形で一般から資金を募ると聞き、さっそく協力した。

一度目に観た池袋HUMAXシネマズでの舞台挨拶付き上映の時には確認できなかったのだが、2回目の鑑賞ではちゃんと確認できました。パンフレットにも名前が載っています。素直にうれしいです!!!

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◆「この世界の(さらにいくつもの)片隅に」
(2019年 日本)(上映時間2時間48分)
監督:片渕須直
声の出演:のん、細谷佳正稲葉菜月尾身美詞小野大輔潘めぐみ岩井七世牛山茂新谷真弓花澤香菜小山剛志津田真澄京田尚子佐々木望塩田朋子、瀬田ひろ美、たちばなことね世弥きくよ
テアトル新宿ほかにて全国公開中
ホームページ http://ikutsumono-katasumini.jp/