映画貧乏日記

映画貧乏からの脱出は可能なのだろうか。おそらく無理であろう。ならばその日々を日記として綴るのみである。

「その手に触れるまで」

「その手に触れるまで」
2020年6月13日(土)新宿武蔵野館にて。午後12時40分の回(スクリーン3/B-3)。

~過激思想にとらわれたごく普通の少年の揺れ動く心

兄弟で一緒に仕事をするというのは、どういうものなのだろうか。肉親ゆえに気心が知れた半面、いろいろと苦労があるに違いない。そんな中、長年、一緒に映画を作ってきたのがベルギーのダルデンヌ兄弟(ジャン・ピエール・ダルデンヌ、リュック・ダルデンヌ)。「ロゼッタ」「ある子供」「ロルナの祈り」「少年と自転車」「息子のまなざし」「サンドラの週末」「午後8時の訪問者」など次々に評価の高い作品を生み出してきた。

特にカンヌ国際映画祭の常連で、最高賞のパルムドールを「ロゼッタ」と「ある子供」で2度獲得したのをはじめ、パルムドールに次ぐグランプリを「少年と自転車」で、脚本賞を「ロルナの祈り」で受賞している。そして2019年のカンヌ国際映画祭で初の監督賞を獲得した作品が、「その手に触れるまで」(LE JEUNE AHMED)(2019年 ベルギー・フランス)である。

移民や失業、貧困、家庭崩壊といった社会的テーマを、特に弱者の視点から描くことが多いダルデンヌ兄弟。本作で取り上げたのは、イスラム過激思想に感化された少年だ。

ベルギーに暮らす13歳のアメッド(イディル・ベン・アディ)。最近まではゲーム好きの普通の少年だったが、モスクに通ううちにイスラム指導者に感化されて過激思想に染まっていく。そして、その導師の言葉に従い、学校の女性教師イネスをイスラムの敵とみなし、抹殺しようとする。ナイフを手に彼女のもとへ向かうアメッドだったが……。

おそらくベルギーやフランスをはじめ各地で起きた様々な実際のテロ事件が、ダルデンヌ兄弟にこの映画を作らせる動機になったのだろう。ただし、本作はいかにしてテロリストが誕生したかを描くドラマではない。映画の冒頭ですでにアメッドは、導師のイスラム過激思想に感化されている。イネス先生の握手を拒否するのも、そのためだ。

それでは、本作は何を描くのか。見た目からして幼さが残るごく普通の少年であるアメッドの心の揺れ動きである。彼はまさに大人と子供の狭間にいる思春期の少年だ。チラリとしか語られないのだが父親は家を出たようで、母親は厳格なイスラム教徒のようにベールをかぶることもせず、酒を飲んでいる。それをアメッドは嫌悪している。

大人を嫌悪し、あくまでも純粋真っすぐに突き進もうとするのは、思春期の子供にありがちなことだろう。アメッドを過激思想に走らせる背景にも、そうした思春期特有の精神性があるように思える。けっして、宗教原理主義だけを俎上に載せた映画ではない。

また、劇中では、同じイスラム教徒の父母たちの間でも多様な考え方が存在することを示すシーンがある。あくまでもコーランを中心に学習すべし、とする親に対して、それだけでは現実社会では生きていけないと主張する親もいる。こうしたシーンからも、本作が単に宗教原理主義をテーマにした映画ではないことがわかる。同時に同じ宗教内でも対立があることで、現在の社会がいかに複雑かを物語っている。

イネス先生の殺害に失敗したアメッドは少年院に送られる。それを前にした導師の言葉が残酷だ。自分は無関係であり、何も話さないことをアメッドに諭すのだ。しかも、そうすれば彼の将来に配慮するという。これが宗教指導者の言うことなのか!?

これを機にアメッドは原理主義と決別するかと思いきや、そうはならない。導師に絶対の信頼を置く彼は、導師の言葉に従うのだ。世の中、そう単純ではないのである。

その後、少年院で農作業などに従事し、表面的には変化しているように見えるアメッド。面会に来た母親も彼に深い愛情を示す。農場の娘も彼に好意を示す。はたして、そうした愛を受けてアメッドは本当に変わるのか?

少年院で生活する中で、アメッドの心は千々に揺れ動く。大人と子供、原理主義世俗主義、厳格さと曖昧さなど様々な対立概念の間でもがいているように見える。そんなアメッドの心理が丹念に描かれる。過去作と同様に、手持ちカメラを使い人物の内面に迫っていくダルデンヌ兄弟。そのわずかな表情の変化から、言葉のトーンから、アメッドの心理が手に取るように伝わってくる。

並のドラマなら、そうした経緯を経てアメッドは確実に変化し成長することだろう。だが、本作にそんな安直な展開は用意されていない。アメッドは職員の監視の目を盗んで秘かに何かを企んでいる。それを追うカメラには、緊張感がみなぎっている。そこからはまるでサスペンス映画のようなスリリングな展開だ。

農場の娘への想いと宗教的な葛藤の果てに、アメッドはある行動に出る。ラストに用意されるのは衝撃的な場面だ。

少年の成長や再生を描くドラマでは、最後に希望が語られることが多い。だが、本作に明確な希望はない。それでも、アメッドが苦悶の中で吐き出した言葉には、彼が苦難の果てにたどり着いた本当の心根が込められているのではないだろか。そこから彼の未来に微かな光を見て取ったのは楽観的過ぎるだろうか。いずれにしても、ダルデンヌ兄弟の優しさのようなものが感じ取れる結末だった。

街の雑踏などで終わることも多いダルデンヌ兄弟のエンドロールだが、今回はシューベルトの美しいピアノソナタが流れる。それもまたこの衝撃的なドラマに独特の余韻を残してくれる。

アメッドを演じたイディル・ベン・アディの演技が印象深い。外見はごく普通の少年ながら、心に多くの屈折した思いを抱えるアメッドの内面を全身で表現している。本作では約100人の候補者の中から抜擢され、第10回ベルギー・アカデミー賞若手有望男優賞を受賞したとのこと。

シンプルだが、力強く、スリリングで、温かさも感じられる映画だ。宗教や人種など様々な対立が顕在化し、過激な言動も目立つ昨今。それだけに、なおさら本作の持つ意味は大きいと思う。どうすれば対立を乗り越えられるのか。誤った道に迷い込んだ者を引き戻すにはどうすればいいのか。ダルデンヌ兄弟の問いは今回も真摯だ。

 

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◆「その手に触れるまで」(LE JEUNE AHMED)
(2019年 ベルギー・フランス)(上映時間1時間24分)
監督・脚本:ジャン=ピエール・ダルデンヌ リュック・ダルデンヌ
出演:イディル・ベン・アディ、オリヴィエ・ボノー、ミリエム・アケディウ、ヴィクトリア・ブルック、クレール・ボドソン、オスマン・ムーメン
*ヒューマントラストシネマ有楽町、新宿武蔵野館ほかにて公開中
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