映画貧乏日記

映画貧乏からの脱出は可能なのだろうか。おそらく無理であろう。ならばその日々を日記として綴るのみである。

「ディック・ロングはなぜ死んだのか?」

「ディック・ロングはなぜ死んだのか?」
2020年8月8日(土)シネマカリテにて。午前11時55分より鑑賞(スクリーン1/A-8)。

~おバカな切り口の犯罪コメディーなれど人間観察眼は確か

ダニエル・シャイナート監督のデビュー作(ダニエル・クワンと共同監督)「スイス・アーミー・マン」(2016年)は、無人島で遭難した男が、オナラを発し続ける死体に乗って大海原に乗り出す奇想天外なドラマ。その死体役は、「ハリー・ポッター」シリーズのダニエル・ラドクリフが演じている。公開時にかなり評判になったので、観たいと思いつついまだに未見です。スイマセン。

そのシャイナート監督が、前作に続き、「ムーンライト」や「ミッドサマー」など話題作を次々に送り出す気鋭のスタジオ「A24」と再びタッグを組んだ新作が「ディック・ロングはなぜ死んだのか?」(THE DEATH OF DICK LONG)(2019年 アメリカ)である。

アメリカ南部の田舎町。売れないバンド仲間のジーク(マイケル・アボット・Jr)、アール(アンドレ・ハイランド)、ディック(ダニエル・シャイナート)の3人が練習するところからドラマが始まる。だが、彼らはすぐに酒やマリファナでバカ騒ぎを始める。その様子を甘美な音楽とともに描き出す。

その後、一転して緊迫の場面となる。映し出されるのは一台の車。運転席と助手席にはジークとアール。そして後部座席にはディックがいる。だが、ディックの様子がおかしい。ジークとアールは慌てまくり、病院の前に血だらけのディックを放置してくる。その後、ディックは変死体となって発見される。

小さな田舎町で、事件の噂はあっという間に広がる。警察は殺人事件として捜査を開始する。そんな中、ディックの死亡の真相を知るはずのジークとアールは、なぜか彼の死因をひた隠しにして、車などの証拠隠滅を図る。しかし、そのあまりにもずさんなやり口によって窮地に追い込まれてしまう。

映画の滑り出しはサスペンス・ミステリー風だ。いったいディックの身の上に何があったのか。そしてジークとアールは何をしたのか。スリリングかつ不穏な空気感の中で、その謎を追いかけていく。

とはいえ、本格的なミステリーというわけではない。これは多くの人が言っていることだが、本作はコーエン兄弟の「ファーゴ」と共通する要素を持った作品だ。あちらも田舎町を舞台に、ある事件をきっかけに起きる人間模様を描いたブラック・コメディ。本作も全編がブラックな笑いに彩られている。しかもこちらは下ネタが満載。そもそも死亡した「ディック・ロング」の名前からして下ネタなのである。

小心者でダメ男のジークをはじめ、登場人物の言動も笑いを誘う。中でも印象的なのが、事件を追う女性保安官。かなりの年配で恰幅がよく、杖をついて捜査をする。さらに、臨時の助手となった婦人警官もガタイがよく、2人とも見た目だけでユーモラスだ。その会話にも摩訶不思議な味わいがある。

映画の中盤、保安官たちの追及に加え、妻のリディア(ヴァージニア・ニューコム)にも問いつめられ、ジークはついに重い口を開く。そこで語られた事件の驚きの真相は……また下ネタかよ! いや、下ネタというよりもはや変態だろう、それは。それ以上のことは伏せるが、もう笑うしかないバカさ加減なのである。

だが、本作の見どころはそこではない。何といっても繊細な人間描写が見もの。特にどんどん追い詰められたジークが混乱し、憔悴し、怒り、後悔する様子がリアルに描かれる。人間の弱さやみっともなさが「これでもか」と突きつけられる。そして、それによって妻や娘との関係も大きく変化していくのである。

要するに本作は人生崩壊のドラマである。ふとしたことで危機に陥り、その場しのぎの言い逃れと現実逃避によって、ますます窮地に追い込まれる主人公。それは誰にでも起こり得ることだろう。まあ、この映画のようなおバカな事件が発端になることはまずないだろうが。

出演する役者たちは、それほど知名度のないキャストばかりだが、いずれも個性的で存在感十分の演技を披露している。さすがにアメリカの役者の層は厚いと実感。

一見荒唐無稽でおバカな話ではあるものの、鋭い人間心理と人間関係への洞察が秘められた作品だと思う。人間の弱さや人生の危うさが伝わってくる。笑いと悲哀をないまぜにして、最後にはちょっぴり切なさまで漂わせて見せたシャイナート監督。その人間観察眼は確かなもの。今後の作品も注目だろう。

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◆「ディック・ロングはなぜ死んだのか?」(THE DEATH OF DICK LONG)
(2019年 アメリカ)(上映時間1時間40分)
監督:ダニエル・シャイナート
出演:マイケル・アボット・Jr、ヴァージニア・ニューコム、アンドレ・ハイランド、サラ・ベイカー、ジェス・ワイクスラー、ロイ・ウッド・Jr、スニータ・マニ、ダニエル・シャイナート
*シネマカリテほかにて公開中
ホームページ http://phantom-film.com/dicklong-movie/