映画貧乏日記

映画貧乏からの脱出は可能なのだろうか。おそらく無理であろう。ならばその日々を日記として綴るのみである。

「糸」

「糸」
2020年8月21日(金)ユナイテッド・シネマとしまえんにて。午前11時15分より鑑賞(スクリーン9/E-12)。

中島みゆきの名曲をモチーフに平成の男女の運命を描く

ピンク映画で活躍した後に一般映画に転じ、「感染列島」「64-ロクヨン-」「8年越しの花嫁 奇跡の実話」などメジャーな作品を撮りつつ、「ヘヴンズ ストーリー」「菊とギロチン」といった自主映画の名作も送り出してきた瀬々敬久監督。とても同じ監督が撮ったとは思えない幅広い作品の数々。まさに変幻自在である。

そんな瀬々監督の新作が「糸」(2020年 日本)だ。TBSなどが製作で東宝配給だからガチガチのメジャー映画。1998年にリリースされた中島みゆきのヒット曲「糸」をモチーフにした作品である。正式なクレジットは、“Inspired by中島みゆき「糸」”。

ちなみに瀬々監督のフィルモグラフィーを見ると、出演者や原作者などの中にHYDEGackt頭脳警察山崎ハコさだまさしといったミュージシャンの名があちこちに見受けられる。そして、今回の中島みゆき。何だ!?この脈絡のない顔ぶれは(笑)。

それはともかく、本作は平成元年生まれの男女を描くラブストーリーだ。北海道に住む高橋漣(菅田将暉)と園田葵(小松菜奈)は、13歳の時に花火大会で出会い親しくなる。だが、葵は母の恋人から虐待を受けており、漣は彼女を連れだして逃避行を試みるが、あえなく失敗に終わる。

その8年後、共通の友人の結婚式で東京で再会した2人だが、すでに別々の人生を歩み始めている。葵はキャバ嬢をしている時に知り合った実業家の水島大介(斎藤工)と暮らしていた。一方の漣は地元でチーズ工房に就職し、職場の先輩の桐野香(榮倉奈々)と親しくなる。

漣と葵の2人の人生が交互に描かれる構成だ。そこには、中学時代の初々しい初恋から始まって、決死の逃避行と挫折、再会、すれ違いなど、恋愛の様々な要素がテンコ盛りである。しかも、それに絡んで大介と香のドラマもそれなりのボリュームで描かれる。香に至っては難病モノの展開まで用意されている。

ドラマチックさはかなりのもの。漣と香のエピソードだけでも1本の映画になりそうだ。おまけに本作の舞台は北海道から始まって、東京、沖縄、シンガポールへと次々に移る。さらに、本作には東日本大震災をはじめとする平成史まで詰め込まれている。いくらなんでもこの脚本は詰め込み過ぎだろう!と思ったのだが、これだけの要素を詰め込んで破綻もなく、盛り上げるところをきちんと盛り上げている点は評価できる(脚本は林民夫)。

ただし、ステレオタイプな展開が気になるところ。シンガポールで葵が成り上がるところなど、「そうはうまくいかないだろう」と思ってしまう。また、漣と葵が偶然出会ったかと思ったら都合よくすれ違うなど、そこかしこであざとさも感じてしまう。

そんな脚本のあざとさを緩和しているのが瀬々監督の演出だ。漣と葵の手の動きだけで2人の心情を端的に表現するなど、セリフに頼り過ぎずない繊細な心理描写はさすがである。シンガポールで傷心の葵がひたすらカツ丼を食べて涙するシーンや、漣の友人の二番目の妻が震災のトラウマを見せるシーンなど、登場人物の心理がリアルに伝わってくる場面がたくさんある。

瀬々監督の視点は、けっして被写体に寄り過ぎないのが特徴。一定の距離を保ちながら、その心の奥底を覗こうとする。だから、どんなに脚本があざとかったり感情過多気味でも、それが緩和されるのである。本作でもそれは同様だ。

さて、漣と葵はそれぞれに紆余曲折を重ね、平成最後の年を迎えることになる。もう二度と交わることはないと思われた運命の糸。はたして、2人は再びめぐり会うことができるのか。というわけで、いよいよ本作のクライマックスである。

そこではひたすら観客の感情を刺激する。カウントダウン前後の港を舞台に、出会いそうでなかなか出会えない2人を映しながら、過去の出来事のフラッシュバックを挿入。バックに流れるのはもちろん中島みゆきの「糸」だ。おいおい、いくら何でもじらし過ぎだろうと思いながらも、ついつい感動の渦に引き込まれてしまう。

ちなみに、中島みゆきの曲は、この他にも「時代」の中国語バージョンに加え、成田凌「ファイト」をカラオケで歌うシーンなども登場する。

エンドロールもぬかりはない。漣と葵の後日談をさりげなく示して、観客を幸せな気持ちにして劇場から送り出す。

主演の菅田将暉&小松菜奈はいずれも華があるが、特に小松は感情表現が素晴らしい。さらに、悲劇のヒロインであるにもかかわらず抑制的で心に染み入るような演技を披露する榮倉奈々も絶品。その他にも、二階堂ふみ倍賞美津子、永島敏行、田中美佐子などの存在感も見逃せない。

この映画を楽しむには、邪な心を持たずに素直な心で観たほうがいいだろう。間違っても「運命の糸なんであるはずない」などと思ってはいけない。運命の糸はきっとあるのだ。そう信じるのだ。そうやって観ればきっと感動できるはず。

さて、瀬々監督、どうやら次作は松竹配給で、佐藤健阿部寛らが出演の「護られなかった者たちへ」が控えている模様。相変わらず仕事しすぎ(笑)。できれば、「菊とギロチン」に続く自主映画もまた撮って欲しいな……。

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◆「糸」
(2020年 日本)(上映時間2時間10分)
監督:瀬々敬久
出演:菅田将暉小松菜奈斎藤工榮倉奈々山本美月高杉真宙、馬場ふみか、倍賞美津子、永島敏行、竹原ピストル二階堂ふみ松重豊田中美佐子山口紗弥加成田凌、石崎ひゅーい、片寄涼太
*TOHOシネマズ日比谷ほかにて全国公開中
ホームページ https://ito-movie.jp/