映画貧乏日記

映画貧乏からの脱出は可能なのだろうか。おそらく無理であろう。ならばその日々を日記として綴るのみである。

「滑走路」

「滑走路」
2020年11月23日(月)テアトル新宿にて。午後1時50分より鑑賞(A-11)

~3つのエピソードで描く過酷な人生と生きる希望

32歳の若さで命を絶った夭折の歌人、萩原慎一郎。そのデビュー作にして遺作となった歌集をもとに、オリジナルストーリーで描いた映画が「滑走路」だ。歌集を出版するKADOKAWAと、SKIPシティ国際Dシネマ映画祭を主催する埼玉県による公募企画で、大庭功睦監督の商業映画デビュー作となる。

物語は3つのエピソードから構成される。中学2年の学級委員長(寄川歌太)は、いじめに遭っていた幼なじみを助けことから、今度は自らがいじめの標的となってしまう。厚生労働省の若手官僚の鷹野(浅香航大)は、激務に追われて不眠などのストレスに悩んでいた。一方、切り絵作家の翠(水川あさみ)は、子供を持ちたいという思いが強くなってくるものの、将来への不安が募る。

この3つのエピソードが同時進行で交互に描かれていく。学級委員長は絵の好きな同級生の天野(木下渓)と親しくなるが、シングルマザーの母に心配をかけたくないため、いじめの事実を誰にも相談しない。官僚の鷹野は、自身の仕事と真摯に向き合うために、非正規雇用が原因で自死したとされるリストの中から、自分と同じ25歳で自死した青年に関心を抱き死の真相を探り始める。翠は夫の拓己(水橋研二)が失業したことがきっかけで、夫の優柔不断さを痛感し夫婦の仲がギクシャクする。

つまり、本作は様々な問題を抱えて苦悩する人々を描いたドラマなのである。彼らは誠実に生きようとするが、思うようにいかずもがく。安易に救われることもなく、どんどん追い詰められていく。

そこには具体的な問題として、いじめや非正規雇用、妊娠・出産、夫婦関係、親子関係、総じて人間の生き方そのものが横たわっている。とはいえ、それを明確なメッセージとして発するようなことはしない。全体のトーンは抑制的だ。大庭監督は情感過多に陥ることなく、登場人物を淡々とそして丁寧に描写する。引きのショットが多い映像も、この映画にふさわしいものだった。

一見、全く関係がないように見えた3つのエピソードだが、終盤になって実は相互に深くかかわっていることがわかる。同じ時制だと思っていた3つのエピソードは、それぞれ時間軸が違っていたのだ。小説ならともかく、歌集をもとにこれだけのオリジナルストーリーを構築した脚本の桑村さや香の力量もなかなかのものだと思う。

若くして自死した作家の映画化作品といえば、佐藤泰志の原作による「海炭市叙景」「そこのみにて光輝く」「オーバー・フェンス」「きみの鳥はうたえる」が思い浮かぶ。それらは厳しい現実の中でも、微かな希望が感じられる作品だった。

それは本作も同様だ。派手さは皆無だし、重苦しい場面も多い映画だが、けっして暗さが残る映画ではない。傷つき苦しむ3人は、自分の弱さや過去の過ちから目をそらさずに、それを自ら引き受けて前を向こうとする。そこからは人間のたくましさや生きる喜びが伝わってくる。

それを象徴するのがラストシーンだ。最後に登場するのは学級委員長と天野。2人は長い橋の上を反対方向に歩き去る。それぞれの感情を抱えつつ振り向くことなく歩み続けるその姿からは、明日への希望が感じられた。このシーンを最後に持ってきたところに、作り手の強い意志が感じ取れた。控えめではあるものの、そこには確かな人間賛歌が流れている。

学級委員長役の寄川歌太、天野役の木下渓の瑞々しい演技、官僚の鷹野を演じた浅香航大の抑制的な演技が見もの。そして個人的に最も惹きつけられたのは、翠役の水川あさみの繊細な演技だ。夫を演じた水橋研二ともども、微妙な夫婦関係を巧みに表現していた。委員長の母役の坂井真紀も存在感十分の演技。ちなみに染谷将太がワンシーンだけ出てくるのは大庭監督の過去作に出演していた縁だろうか?

本作の原作自体は未読だが、萩原慎一郎の短歌は何首か読んだ(本作の公式ホームページにも出ている)。それらは厳しい現状にありながらも、生きる希望を歌った作品だった。それはまさに本作に流れるトーンそのものである。どんなにひどい状況でも必ず希望の光はあるのだ。

 

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◆「滑走路」
(2020年 日本)(上映時間2時間)
監督:大庭功睦
出演:水川あさみ浅香航大、寄川歌太、木下渓、池田優斗、吉村界人染谷将太水橋研二、坂井真紀
テアトル新宿ほかにて公開中
ホームページ https://kassouro-movie.jp/