映画貧乏日記

映画貧乏からの脱出は可能なのだろうか。おそらく無理であろう。ならばその日々を日記として綴るのみである。

「ミセス・ノイズィ」

「ミセス・ノイズィ」
2020年12月5日(土)TOHOシネマズシャンテにて。午前11時20分より鑑賞(スクリーン2/C-5)

~隣人の騒音おばさんは怪物なのか?

隣人トラブルはやっかいだ。ほんのささいなことがきっかけで、両者の確執が抜き差しならないものになってしまう。そのあげくに警察沙汰の事件に発展することもある。そんな隣人トラブルを描いた作品が「ミセス・ノイズィ」である。監督は「どうしても触れたくない」「ハッピーランディング」などの天野千尋

映画の冒頭、小説家の吉岡真紀(篠原ゆき子)に長女が誕生する。夫の前で、彼女は気分も新たに創作活動に邁進することを誓う。

だが、それから5年後。真紀はスランプだった。それでも郊外に引っ越したのを機に、何とか小説を書き上げようとする。そんな中、隣人の若田美和子(大高洋子)が早朝から布団をバンバンと叩く場面に遭遇する。その行動は次第にエスカレートしていく。心の平穏を乱された真紀は家族との間もギクシャクする。おまけに真紀の娘を美和子が黙って自宅へ連れて行く事態になり、真紀の苛立ちは頂点に達する。

美和子の奇行を重ねた出だしは、サスペンスというよりまるでホラー映画のよう。背筋がゾクゾクするような怖ささえ感じる。それが次第にコミカルな色を帯びていく。強烈な美和子のキャラを中心に、思わずクスリとさせられる場面がある。

序盤を観た人は思うだろう。迷惑な騒音おばさんの美和子に追い詰められるかわいそうな真紀。だが、その構図は次の展開でもろくも崩れ去る。

次に描かれるのは美和子の側から見た事実である。それまで真紀の視点で描かれたのと同じ事実が、美和子の視点から描かれる。それによると、彼女が早朝から布団を叩くのには理由があったのだ。それは彼女の夫に関わる秘密で、いかんともし難いものであった。さらに、真紀の娘を自宅に連れ帰ったのも、やむにやまれぬ事情があったのだ。彼女の傍若無人の行動にはワケがあったのである。

ここに至って観客は気づくはずだ。一つの物事に真実は一つとは限らない。二つの真実が存在することもあるのだ、と。「羅生門」スタイル(かつて黒澤明が映画「羅生門」でやったように一つの出来事を複数の視点で描く)で視点を変えて描くことで、そのことが明確になるのである。

よく考えれば、仕事にかまけて娘から目を話すなど真紀にも非はあったはずだ。そこできちんと腹を割って話せば、事態は収束したはずである。だが、仕事がうまくいかずイラついていた彼女にはとてもそんな余裕はなく、すべてを美和子のせいにしてしまう。

一方、美和子の側にも非はある。子供を連れだす際にひと言言っておきさえすれば、あれほどの大騒動にはならなかったはずである。例の布団叩きにしても、事前に事情を話しておけば問題にならなかったかもしれない。だが、不器用な彼女にはそれができない。

かくして、2人は腹の底からいがみ合うことになってしまう。

後半は社会派エンタメの様相を呈し始める。真紀と美和子のバトルの模様を真紀の軽薄ないとこがSNSに発信したところ、大騒動になってしまう。マスコミも美和子を追い掛け回す。騒音おばさんは世間の格好のネタである。

ちょうどその頃、その顛末を真紀が面白おかしく小説に仕立てると、それが大評判となってしまう。小説のタイトルは「ミセス・ノイズィ」。真紀にとっては起死回生のヒット作である。

美和子の心情を表す印象深いエピソードがある。農場で働く美和子は、「曲がったキュウリは捨てる」という方針が気にいらず、店を回って引き取ってもらおうとする。だが、どこの店に行っても断られる。美和子は言う。「世間がおかしいのだ。自分たちが正しい」。

だが、どんなに強がっても限界は来る。彼女の夫が自殺を図ったのだ。それを契機に今度は真紀が批判の矢面に立つ。真紀があんな小説を書かなければ、こんな事態にはならなかったという批判がSNS上で飛び交う。それまでは美和子を追っていたマスコミも、手のひらを返したように真紀を追う。

そんな追い詰められた真紀に、意外な人物が手を差し伸べる……。

後半は現代社会への批判だ。SNSの情報に右往左往する大衆。弱いもの叩きに血道を上げるマスコミ。それらを痛烈に風刺している。構図は教科書的だが、天野監督が人間心理をきちんと描いているから押しつけがましさはない。

それにしても、ボタンのかけ違いとはよく言ったものである。どこかの場面でお互いが相手のことを少しでも考える余裕があれば、ああはならなかったであろう。真紀も美和子もそのことに気づくまでに、あまりにも多くの犠牲を払った。

ラストになってようやく2人はそれに気づく。新装版「ミセス・ノイズィ」が誇らしげに書店に並ぶその光景が心に染みる。

このラストにも天野監督らしさが現れている。もっと破滅的な結末を用意することもできただろうが、あえてそれをしなかったところに、人間の良心を信じる天野監督の心意気を感じた。

主演の篠原ゆき子は痛い母親役がぴったりだった。オーディションで選ばれたという大高洋子の全てを飲みこむような演技も印象深い。

現代社会の縮図をきっちりとエンターティメントの中に落とし込んだ作品。観ているうちに他人事とは思えなくなってきた。

f:id:cinemaking:20201206214506j:plain

◆「ミセス・ノイズィ」
(2019年 日本)(上映時間1時間46分)
監督・脚本:天野千尋
出演:篠原ゆき子、大高洋子、長尾卓磨、新津ちせ、宮崎太一、米本来輝、和田雅成、洞口依子、縄田かのん、田中要次、風祭ゆき
*TOHOシネマズ日比谷ほかにて公開中
ホームページ http://mrsnoisy-movie.com/