映画貧乏日記

映画貧乏からの脱出は可能なのだろうか。おそらく無理であろう。ならばその日々を日記として綴るのみである。

「私をくいとめて」

「私をくいとめて」
2020年12月18日(金)テアトル新宿にて。午前10時30分より鑑賞(A-11)。

~脳内に別人格がいるおひとりさま、一歩前へ!

綿矢りさの小説と大九明子監督は相性がいい。松岡茉優主演の「勝手にふるえてろ」に続いて映画化された「私をくい止めて」は、おひとりさま生活を満喫するアラサー女性と年下男子の不器用な恋の行方を描いた映画。本作も「勝手にふるえてろ」に負けず劣らず面白い映画になっている。

主人公の黒田みつ子(のん)は31歳。おひとりさま生活の長い彼女は、平日はきちんと仕事をこなし、休日はあちこちにお出かけを楽しんでいる。今日も食品サンプル製作体験を楽しみ、本物そっくりのてんぷらのサンプルを持ち帰ってきた。そして、いつものように一人で食事をする。

だが、みつ子は寂しくはなかった。彼女の脳内には何でも答えてくれる相談役の“A”がいて、何か困ったことや悩みがあった時にはいつも正しい答えをくれたのだ。だから、おひとりさまライフを苦にせず楽しい日々を送っていた。

序盤は、みつ子のおひとりさまライフの行方をコミカルに描く。現実と虚構の狭間を超えて、もう一人の自分である“A”を相手に掛け合いを演じるみつ子。よくよく考えれば二重人格の変わり者だが、そう見せないところがのんの真骨頂だ。

そんな中、みつ子には気になる相手がいた。取引先の若手営業マン・多田(林遣都)である。近所に住んでいる縁で、ときどき夕食を作ってあげる仲になるが、多田はそれを持って帰るだけ。それ以上は何もない。

快適なおひとりさま生活を捨てて、恋に突き進むには勇気がいる。まして、フラれたら立ち直れないではないか。ならば、今のままがいいに決まっている。かくして、“A”から告白しろとせっつかれても、みつ子は必死で拒否するのだ。

そんなみつ子の味方になるのが、会社の先輩のノゾミ(臼田あさ美)。自身もおひとりさまであるノゾミは、何かとみつ子のことを気にかける。また、転職してきたやり手の上司・澤田(片桐はいり)の存在もみつ子には心強い。

普段はお気楽な日々を送っているみつ子だが、過去にはつらいこともあった。それが明らかになるのが、日帰り温泉への一人旅。その施設であった演芸会で女芸人にからむ酔客に、客席のみつ子が立ち上がり「やめなさいよ」と一喝……したかったのだが、できなかったのだ。それでも、過去に自分に降りかかったセクハラやパワハラを思い出し、涙に暮れるみつ子だった。

中盤、舞台はイタリアへ飛ぶ。結婚してイタリアで出産を控える親友の皐月(橋本愛)に誘われて、現地で年末年始を過ごす。だが、それにはハードルがあった。みつ子は極端な飛行機嫌いだった。

恋愛に一歩が踏み出せないのと同様に、飛行機嫌いもみつ子のネガティブさの表れ。それを象徴する場面だが、大滝詠一の「君は天然色」の意表を突いた使い方が効いている。その曲をバックに文字型のバルーンを飛ばすシーンは、まるでミュージカル映画のようである。

そのイタリアでは皐月の心情も描かれる。見知らぬ土地で孤独を抱えた彼女は、どうしてもみつ子に来てほしかったのだ。ちなみに皐月役の橋本愛とのんは、NHK連続テレビ小説あまちゃん」以来と共演とのこと。このイタリア編はやや長すぎる気もするのだが、「あまちゃん」ファンへのサービスか!?

帰国後もみつ子は、今までと同じように過ごそうとする。だが、事態は次第に風雲急を告げる。いよいよ多田との関係を一歩前に進めるのか。居心地の良いおひとりさま生活を犠牲にして、他人と寄り添えるのか。

終盤にはみつ子の心が大いに乱れる。それは“A”がいなくなってしまうという恐怖だ。みつ子は叫ぶ「私をくいとめて」。その瞬間、なんと“A”が目の前に現れる……。

目の前に出てきた“A”がどんなだったかは、実際に目撃してもらうしかないが、大九ワールド全開ともいうべき展開だ。「勝手にふるえてろ」もそうだったが、何でもありの映像世界を現出させる。それはとにかく痛快であるのと同時に、真理を突いた世界でもある。

本作はラブコメではあるが、単に恋愛の行方を描くだけに留まらない。もう一人の自分である“A”を脳内に置き、別人格として対話してきたみつ子の人格統合のドラマでもある。それをヘヴィーに見せつけるのではなく、ポップな味付けで描くところが大九監督の演出の妙味だ。

みつ子と皐月がそれぞれ描いた絵を上手く使ったり、澤田が出かける際にヒールに履き替えるシーンをクローズアップするなど、細部までこだわっているのも本作の特徴だ。

のんは、本当にこういう役が似合う。どう見ても完全に「変な人」なのに彼女が演じると説得力があるから凄い。おまけに飛びっきりチャーミングだ。林遣都臼田あさ美片桐はいり橋本愛らもいい味を出している。

みつ子のように、脳内に常に別人格を作り出すような人は珍しいだろうが、時として心の中に違う自分を作り出して、背中を押してもらったり自重するのはよくあること。そういう点で、男女に関係なく共感できそうなドラマである。

大九監督に背中を押されて、おひとりさま生活から一歩を踏み出そうという人もいるのではないか。そうは言っても、相手がいなけりゃしょうがないのだが。あ、私のことか(笑)。

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◆「私をくいとめて」
(2020年 日本)(上映時間2時間13分)
監督・脚本:大九明子
出演:のん、林遣都臼田あさ美若林拓也前野朋哉山田真歩片桐はいり橋本愛
*テアトル新宿ほかにて全国公開中
ホームページ https://kuitomete.jp/