映画貧乏日記

映画貧乏からの脱出は可能なのだろうか。おそらく無理であろう。ならばその日々を日記として綴るのみである。

「茜色に焼かれる」

「茜色に焼かれる」
2021年5月21日(金)ユーロスペースにて。午後1時35分より鑑賞(スクリーン2/E-9)

~「今」をとらえた石井裕也監督の思いと尾野真千子の圧巻の演技

今でなければ描けない映画がある。石井裕也監督の「茜色に焼かれる」はまさにそんな映画。登場人物はマスク姿だし、フェイスシールドやアクリル板、パソコン画面越しの高齢者施設の面会など、コロナ禍の今の日本が描かれる。コロナ禍だからこそ撮らねばならぬ、という石井監督の強い意思を感じさせる作品である。

7年前に交通事故で夫を亡くした田中良子尾野真千子)は、中学生の息子、純平(和田庵)を一人で育てている。事故の加害者は元官僚の高齢者。ブレーキとアクセルを踏み間違えて事故を起こした。しかし、その加害者から謝罪がなかったことから、良子は夫への賠償金の受け取りを拒否。今はスーパーの花屋のバイトと夜の風俗の仕事を掛け持ちしていた。だが、義父の介護施設の費用や亡き夫と愛人との子供の養育費まで払っているため、生活は苦しい。

いうまでもなく、7年前の交通事故のモデルとなったのは、19年4月に高齢者の運転する乗用車が暴走し、計11人を死傷させた「東池袋自動車暴走死傷事故」である。このことからも、石井監督が今の日本の状況を明確に視野に入れているのが見て取れる。

映画は7年前の事故の顛末に続いて、その加害者が亡くなり、葬儀に良子が出席しようとするシーンから始まる。遺族側は迷惑がって彼女を帰らせようとする。弁護士も彼女に警告する。そうなるのは自明の理なのだが、それでも彼女は行かずにはいられなかったのだ。自分でも説明のつかない激情が、時々彼女を支配する。

それでも普段の涼子は、過酷な日常を何とも思わない風を装っている。理不尽な現実を嘆く代わりに「まあ頑張りましょう」と言って笑顔を見せる。それは自分を偽っているのだろうか。冒頭で「田中良子は芝居が得意だ」というテロップが出てくる。彼女は元々演劇をしていたという。過酷な日常をかき消すために、彼女は自分を演じているのかもしれない。

それにしても出てくるヤツがクズばかりである。純平をいじめる同級生、学校の先生、勤務先のスーパーの店長、風俗の客、亡き夫のバンドのメンバー。よくもこんなにクズを集めたと感心するほどだ。こんなヤツらが、何だかんだと良子と純平を苦しめる。観ているのがつらくなるほどの場面が続く。

とはいえ、そこにユーモアを適度にまぶしているのが石井監督の真骨頂。ときどき思いもよらない笑いで過酷なシーンを中和する。劣等生だと思っていた純平が常識外れの秀才だった、という一件など、ひたすらおかしくて笑えるエピソードが満載だ。

スクリーン上に数字を表示する仕掛けも特徴的だ。例えば、飲み代〇〇円とか、義父の老人ホーム入居費××円とか、具体的なお金の額が表示される。まるで、お金に翻弄される良子の日常を象徴しているようである。

最低の日常の中でも、ひたすら前を向こうとする良子。だが、風俗の同僚ケイコ(片山友希)と親しくなるうちに、ついにその胸の内をぶちまける。それまで覆い隠していた本当の心が露わになるのだ。

その後、良子は再会したかつての同級生と親しくなる。彼との関係を本気で考えるようになる。一方、純平に対する嫌がらせはどんどんエスカレートする。そしてドラマは大きな転機を迎える。

良子はルールを守ることにこだわりを持っていた。それが誰のためのルールかはともかく、守りさえすれば生きていけるのだと語る。それが根底から覆る場面が訪れる。

その時、彼女は決然と復讐を敢行しようとする。その復讐相手と良子、純平、ケイコ、風俗店の店長(永瀬正敏)が入り乱れる活劇は、痛快かつユーモラス。純平のキックと良子のパンチは、このクソッたれの社会への痛烈な一撃だ。

悲しい現実にも直面しつつ、良子は芝居で自らの本音を吐露する。ただし、それがあまりにも難解な芝居で、純平には理解できないのが玉に瑕。それでもラストシーンは茜色の夕日の中、自転車に乗る良子と純平の親子の情愛でドラマを締めくくる。

尾野真千子の力強い演技が圧巻だ。逆境をものともしないたくましさと同時に、弱さや狂気、はてはアングラ芝居まで見事な演技を見せる。4年ぶりの単独主演映画ということだが、彼女のキャリアの中でもベストの演技ではなかろうか。

同僚風俗嬢を演じた片山友希、風俗店長を演じた永瀬正敏の演技も素晴らしい。

石井監督の熱い思いが伝わる作品だった。コロナ禍で弱者に冷たい社会への痛烈な怒りが込められている。同時に、それでも懸命に生きる人々への祈りの歌であり、応援歌でもある。追い詰められる人たちに向かって、それでも希望はあるのだ、生きるのだと呼びかけているように思えた。

 

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◆「茜色に焼かれる」
(2021年 日本)(上映時間2時間22分)
監督・脚本・編集:石井裕也
出演:尾野真千子、和田庵、片山友希、オダギリジョー永瀬正敏、大塚ヒロタ、芹澤興人、笠原秀幸泉澤祐希前田勝、コージ・トクダ、前田亜季鶴見辰吾嶋田久作
ユーロスペースほかにて公開中
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