「ペトルーニャに祝福を」
2021年5月31日(月)岩波ホールにて。午後1時より鑑賞(自由席・整理番号20)
~十字架を手にしたダメ女。男性優位社会に反旗を翻す
北マケドニア。と言われてもこれといったイメージが浮かばないのだが、前身はユーゴスラビア連邦の構成国の1つだそうだ。
その北マケドニアの小さな町を舞台にした寓話が「ペトルーニャに祝福を」である。2019年の第69回ベルリン国際映画祭コンペティション部門に出品され、エキュメニカル審査員賞&ギルド映画賞を受賞。監督は北マケドニア出身の女性監督テオナ・ストゥルガル・ミテフスカ。
主人公は32歳の独身女性ペトルーニャ(ゾリツァ・ヌシェヴァ)。容姿端麗とは言い難く、ちょっと太め。大学で歴史を学んだものの仕事がなく、ウェイトレスのバイトをするぐらいで現在は無職。要するにダメ女である。
ある日、母親にせかされて就職の面接に出かけるが、待っていたのはセクハラ上司。何だかんだと文句をつけて不採用にされる。その帰り道、ペトルーニャは地元の伝統行事“十字架投げ”に遭遇する。司祭が川に投げ込んだ十字架を男たちが争って追いかけ、最初に手にした者には、幸福が訪れるというのだ。
ペトルーニャは思わず川に飛び込み、男たちより先に十字架を手に取ってしまう。だが、実はその行事は女人禁制。前代未聞の事態に男たちは怒り狂うが、ペトルーニャは十字架を持ち帰ってしまう。
その後は帰宅したペトルーニャをめぐる家族、友人の騒動が描かれる。テレビでそのニュースを知った母親は激怒し、十字架を返すように言うが、ペトルーニャは応じず家を出るという。だが、味方だったはずの親友は、彼女を泊めることを拒否する。
そうこうするうちに、警察がやってきてペトルーニャは連れて行かれてしまう。というわけで、途中からは警察署が舞台になる。
十字架を手にしたペトルーニャは無敵だ。強圧的な警察署長の取り調べにも屈することはない。十字架さえ返してもらえれば……という司祭の懐柔にも動じない。その自信に満ちた表情が力強い。
彼女は逮捕されたのか? いや、そんな法律など存在しない。女人禁制はただの規則にしか過ぎない。それも根拠不明の規則だ。どうして女ではいけないのか? そう問われたら、男たちは昔からそうだとしか答えようがないのだ。
だが、それでも男たちは必死で十字架を取り戻そうとする。十字架は今の男性優位社会の象徴なのだ。このまま渡すわけにはいかない。
それでも、ペトルーニャは毅然とした態度で要求を拒否する。そのたくましさよ!
警察署の前には、この事件で名を上げようとするテレビの女性リポーターとやる気のないカメラマンがいる。最初は自分のことしか考えていなかったリポーターも、次第に本気で男性優位社会を糾弾しようとする。だが、ペトルーニャはその思惑にも乗らない。
やがて、目の前でペトルーニャに十字架を取られた男たちが、大挙して警察署の前に押し掛けてくる。彼らは暴力と汚い言葉でペトルーニャを威嚇する。それでもペトルーニャは、騒ぎを尻目に悠々とふんぞり返る。そのたくましい姿は、もはや神々しくさえある。
本作は、性差別をはじめとする男性優位社会を批判する社会派ドラマであることは明らかだ。それでいてお説教臭さなどは微塵も感じさせない。オフビートな笑いを織り交ぜながら、主人公の奮闘ぶりをしなやかに、そしてしたたかに描いている。
ペトルーニャは自らの十字架を守り通せるのか。無事に警察署を出ることができるのか。
ラストには意外な結末が待っている。そこでのペトルーニャの輝いた表情が素晴らしい。彼女は戦いに勝利したのである。それは単に十字架を守ったということではなく、ダメダメでイケてなかった自らの人生が、この一件によって輝きだしたのである。ならば十字架など、もはや何の意味があるだろうか。
その戦いは言うまでもなく、彼女自身の戦いであるだけでなく、男社会に虐げられた全女性の戦いでもある。男性優位社会へ痛烈な一撃を食らわす一作だ。。
北マケドニアのドラマではあるが、日本にとっても無縁でないだろう。伝統という名の抑圧が、女性を縛り付けているのは日本も同じなのだから。
◆「ペトルーニャに祝福を」(GOSPOD POSTOI, IMETO I' E PETRUNIJA/GOD EXISTS, HER NAME IS PETRUNYA)
(2019年 北マケドニア・フランス・ベルギー・クロアチア・スロヴェニア)(上映時間1時間40分)
監督:テオナ・ストゥルガル・ミテフスカ
出演:ゾリツァ・ヌシェヴァ、ラビナ・ミテフスカ、シメオン・ダメフスキ、スアド・ベゴフスキ、ステファン・ヴイシッチ、ヴィオレッタ・サプコフスカ、ジェヴデット・ヤシャーリ
*岩波ホールにて公開中
ホームページ https://petrunya-movie.com/