映画貧乏日記

映画貧乏からの脱出は可能なのだろうか。おそらく無理であろう。ならばその日々を日記として綴るのみである。

「ドライブ・マイ・カー」

「ドライブ・マイ・カー」
2021年8月27日(金)池袋HUMAXシネマズにて午後2時45分より鑑賞(シネマ4/D-9)。

~静謐で力強い傷ついた男の魂の救済劇

濱口竜介監督といえば、一般には「寝ても覚めても」(2018年)のイメージが強いかもしれない。しかし、私にとっては2015年の「ハッピーアワー」が断然印象に残っている。上映時間5時間17分。独特の演出と会話の妙で、全く長さを感じさせない傑作だった。

その「ハッピーアワー」を思い起こさせる傑作が「ドライブ・マイ・カー」だ。村上春樹の短編小説を濱口監督と大江崇允が脚色。とはいえ、原作を大胆に換骨奪胎して、オリジナル脚本といってもいいほど濱口監督のカラーを打ち出している。第74回カンヌ国際映画祭脚本賞受賞作である。

主人公は舞台俳優で演出家の家福悠介(西島秀俊)。彼は、妻で脚本家の音(霧島れいか)と穏やかで満ち足りた日々を送っていた。序盤はその2人の幸福な生活が描かれる。家福は異なる言語が飛び交う芝居を演じている。音は2人のセックスの時に物語を語り、それが彼女の作品になる。

ところが、ある日、家福は音が浮気をしている現場を目撃する。それでも見て見ぬふりをして何事もなく生活を続ける。そしてまもなく、音がくも膜下出血で急死してしまう。

それから2年後。広島の演劇祭に招かれた家福はチェーホフの「ワーニャ伯父さん」を演出する。主催者側は家福が車を運転することを許さず、寡黙なみさき(三浦透子)が専属ドライバーとしてつくことになる。

様々な国の役者が集まったオーディションが行われ、キャストが決まる。その中には、音から紹介されたことのある人気俳優・高槻耕史(岡田将生)の姿もあった……。

傷ついた男の物語である。家福は幼くして娘を亡くし、妻も失ってしまった。しかも、彼には大きな後悔がある。そんな彼が自分の心と向き合うまでのドラマだ。

と書くと、ありふれた話に思えるかもしれない。だが、濱口監督の映画はひと味違う。「ハッピーアワー」でも見られたように、細かなディテールへのこだわりが、それぞれの人物のキャラクターをクッキリと浮き彫りにする。

そして何よりも会話が魅力的だ。セリフの一言一句まで無駄がなく、深い余韻を残す。会話の間人物は静止していることが多いのだが、微妙な表情の変化が様々なことを物語る。静かな外見と激しい内面の変化との対比が印象的だ。特に車の中での会話が印象深い。

会話だけではない。ドラマは重層的に展開する。家福は車の中で、妻がセリフを吹き込んだ「ワーニャ伯父さん」のテープを聞く。それは家福がワーニャのセリフを練習するためのものだ。だが、彼は演劇祭で自ら演じることを拒否し、妻の浮気相手だったらしい高槻に演じさせる。そこに彼の屈折した心情が浮かび上がる。

家福が演出する「ワーニャ伯父さん」は多言語で展開される。様々な国の役者がそれぞれの国の言葉で演じるのだ。そこには韓国語手話まで登場する。彼らは徹底的に本読みをする。それは濱口監督自身の演出法とも通じるものがあるようだ。そのリハーサル風景などを通じて、独特の緊張感がスクリーンを包む。

初めは頑なだった家福の心。だが、次第にその心がほぐれていく。みさきとの心の交流が大きな影響を与える。当初は寡黙なみさきとほとんど言葉を交わさない家福。だが、車に同乗するうちに、みさきもまた暗い過去を抱えていることを知る。そして2人の魂が共鳴する。家福の死んだ娘も、生きていればみさきと同じ年だった。

そのみさきとの会話はもちろん、高槻との会話も味わいがある。特に、亡き音が紡いだ物語の先の展開を家福ではなく、高槻が知っていたといったあたりの会話は、スリリングで何とも不穏な感じがする。そこで高槻が言う「他人を見るには自分を徹底的に見つめるしかない」といった主旨のセリフは、このドラマで最も深いセリフかもしれない。

やがてある事件が起きて、家福は決断を迫られる。そこで、家福はみさきとともに彼女の故郷の北海道へと向かう。

そこから先の展開が秀逸だ。静かだが胸に迫る場面が用意されている。ちなみに、家福とみさきの心の距離を現す道具として、今どき珍しくタバコが使われる。タバコを持つ2人の手が、疾走する夜の車のサンルーフから伸びる。何とも心憎いシーンである。

そして、その後の公演風景では韓国語手話が効果的に使われる。口に出して話す言葉以上に、圧倒的な感動を与えてくれる。

俳優たちはそれぞれ素晴らしいが、その中でも三浦透子の演技は特筆ものだ。暗い影を背負ったドライバーが、家福の心に大きな影響を与える様子を説得力を持って演じていた。ラストシーンの彼女の穏やかなたたずまいも見逃せない。

上映時間2時間59分があっという間だった。濱口監督の静謐で力強い世界が、深く心に染みわたることだろう。

◆「ドライブ・マイ・カー」
(2021年 日本)(上映時間2時間59分)
監督:濱口竜介
出演:西島秀俊三浦透子霧島れいか岡田将生、パク・ユリム、ジン・デヨン、ソニア・ユアン、アン・フィテ、ペリー・ディゾン、安部聡子
*TOHOシネマズ日比谷ほかにて全国公開中
ホームページ http://dmc.bitters.co.jp/

 


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