園子音監督が、自分の立場を利用して女優たちに性行為を強要していた事実が明らかになりつつある。もちろん現時点で全貌はわからないが、業界では有名な話だったという。
業界から縁遠い自分は、そんなことを知る由もなかったのだが、このブログでも過去に「エッシャー通りの赤いポスト」をはじめ園作品を取り上げている。それは純粋に作品として評価したものだが、それが不当な行為のもとに作られていたとなれば話は別だ。
よく「作品は純粋に独立した存在だ」という声を耳にするが、はたしてそうだろうか。確かに映画は多くの人が関わって出来上がるものであり、監督1人のものではない。しかし、その撮影現場のほぼすべてを把握し、仕切り、その後の編集作業を仕切るのは監督だ。それなのに作品と監督とを別物のように言うのは疑問がある。
聞けば、黒沢清監督は撮影現場はもとより、飲み会の席でも出席者のセクハラまがいの言動を一切許さなかったという。そこまで徹底する監督がいる反面、園監督のようなものが少なからずいることも事実(先日は榊英雄の蛮行も明らかになったが)。彼らを増長させた者をはじめ、これは業界全体に関わる問題だと思う。
セクハラ、パワハラはアウト。作品の価値も損なわれる。映画業界全体で、こういう考え方が浸透して欲しいと思うのだが・・・・・・。