映画貧乏日記

映画貧乏からの脱出は可能なのだろうか。おそらく無理であろう。ならばその日々を日記として綴るのみである。

「せかいのおきく」

「せかいのおきく」
2023年4月29日(土)テアトル新宿にて。午後4時30分より鑑賞(A-9)

~江戸庶民の日常と若者の恋を美しいモノクロ映像で綴る


「どついたるねん」「顔」「北のカナリアたち」など代表作を挙げればきりがないベテランの阪本順治監督。当たりはずれはあるものの、精力的に映画を撮り続けている。その新作はモノクロ映画の時代劇「せかいのおきく」。江戸末期を舞台に、徹底した庶民目線に立ち庶民生活の悲喜こもごもを描き出している。

寺子屋で子供たちに読み書きを教える22歳のおきく(黒木華)は、武家育ちでありながら今は貧乏長屋で父と二人暮らしだった。ある日、彼女は厠のひさしの下で雨宿りをしていた糞尿を仕入れて農家に売る下肥買いの青年・矢亮(池松壮亮)と、紙屑拾いの中次(寛一郎)と出会う。やがて自分も下肥買いを始めた中次に、おきくは思いを寄せるようになる。だが、まもなくおきくはある悲惨な事件に巻き込まれ、喉を切られて声を失ってしまう……。

江戸時代は循環型社会と言われる。糞尿を買って農家に売る下肥買いは、それを支える存在だ。この映画の主要な人物、中次と矢亮はその下肥買い。というわけで、この映画には糞尿が何度も登場する。モノクロ映像(ちょっとだけカラー映像もある)なのでインパクトは弱いが、それでもかなり強烈なのでこれから観る方はご注意を。

でも、まあ、「人間は上から食べて下から出す」という当たり前のことを思い知らされる。つまり人間は平等なのだ。だが、それにもかかわらずこの時代には、侍や上流階級は威張りくさっている。糞尿を扱う中次や矢亮のことも馬鹿にする。時には暴力まで振るわれる。そんなクソッたれな世の中(文字通り)を矢亮は恨んでいる。

しかし、そんな中次や矢亮と分け隔てなく接する人々もいる。それが貧乏長屋の住人だ。長雨が続き糞尿があふれ出すと、彼らは「何をやっているんだ!」と下肥買いを非難するが、それはけっして上から目線での発言ではない。同じ庶民としての発言なのだ。彼らがいなければ、生活が成りゆかないことも十分に承知している。

そんな貧乏長屋に住む22歳のおきくは、もともとは武家の娘だった。しかし、父が暇を出されたため今は貧乏長屋に住んでいる。どうやら、父(佐藤浩市)は上の不正を告発したらしい。それが今も尾を引き、ある日、父は数人の武士に斬られてしまう。おきくもそれに巻き込まれて喉を切られてしまう。

ただし、この場面、父やおきくが斬られるところは描かない。これはチャンバラ活劇ではないのだ。現場から武士が立ち去り、父とおきくが倒れている場面を映すのみ。これだけでなく、全体に抑制的で控えめな描写が目につく映画だ。それが墨絵のようなモノクロ映像と相まって、とても優しい雰囲気を作り出す。

父は死に、おきくは家に閉じ籠って寝込む。その際の長屋の住人たちの行動が心に染みる。無理に彼女を起こすようなことはせず、ひと声かけて家の前に焼いた魚を置くのだ。また、おきくが子供たちを教えていた寺の住職(真木蔵人)や子供たちは、温かな励ましの言葉を彼女に送る。それによっておきくは、ようやく起き出す決心をする。この映画には庶民のたくましさと優しさがあふれている。

中次や矢亮も以前と変わらずおきくと接する。おきくが彼らや長屋の人々と接する場面はさながら無声映画のよう。声の出せない彼女は、一生懸命に身振り手振りで自分の気持ちを告げる。耳は聴こえているから相手は言葉にすればいいのだが、つい身振り手振りでそれに応じる。彼らは本当に優しい。

以前からおきくが思いを寄せていた中次とのシーンがとてもよい。特に終盤の雪の中の2人はひたすら美しく見とれてしまった。最近観た映画の中でも有数の名シーンではないだろうか。2人の思いが自然にこちらにも伝わってきて心を揺さぶられた。

文字の読めない中次は、おきくに字を教えて欲しいという。それが叶ったのがその後のシーン。寺子屋でおきくが生徒たちを教えている。その中に中次もいる。おきくは生徒にお題を出す。それがこの映画のタイトル「せかい」。その言葉がじんわりと胸に響く。

章立てで綴られるこの物語。ユーモアが全編に満ちているのも魅力だ。特に矢亮と中次の掛け合いは漫才のようでおかしかった。ただおかしいだけでなく、そこには人間の本質を突いた言葉もある。阪本監督が自ら書いた脚本もよくできている。

黒木華はさすがにうまい。特に声を失ってからの演技が素晴らしい。池松壮亮寛一郎もそれぞれに個性的な演技。しかし、黒木華の父親役が佐藤浩市で、好きになる相手が息子の寛一郎というのは出来過ぎじゃね?(笑)

昔ながらの日本映画の伝統を引き継いだ時代劇。ユーモアを織り交ぜつつ、江戸の庶民生活や若者たちのほのかな恋模様を美しいスタンダードサイズのモノクロ映像で描いている。心に染みいるような映画だった。

◆「せかいのおきく」
(2023年 日本)(上映時間1時間29分)
監督:阪本順治
出演:黒木華寛一郎池松壮亮、眞木蔵人、佐藤浩市石橋蓮司
テアトル新宿ほかにて公開中
ホームページ http://sekainookiku.jp/

 


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