映画貧乏日記

映画貧乏からの脱出は可能なのだろうか。おそらく無理であろう。ならばその日々を日記として綴るのみである。

「TAR/ター」

「TAR/ター」
2023年5月13日(土)ユナイテッド・シネマとしまえんにて。午前11時20分より鑑賞(スクリーン9/D-11)

~天才指揮者の栄光と転落。ケイト・ブランシェットのなりきりぶりがスゴイ

中学生の頃に熱心にクラシック音楽を聴いていた時期があるのだが、あれは何だったのだろう。その後はあまり聴かなくなってしまったのだが、そんな私でもベルリンフィルの名前は知っている。ドイツの世界有数のオーケストラで、名だたる指揮者がタクトを振るっている。

そのベルリンフィルを舞台にした恐ろしいドラマが「TAR/ター」である。ターとは主人公の名前。女性として初めてベルリンフィルの首席指揮者に就任したリディア・ター(ケイト・ブランシェット)。抜群の才能と努力で現在の地位をつかみ取ってきた彼女は作曲家としても活躍し、自伝の出版も控えていた。

だが、今は新曲が思うように作れず、さらにマーラー交響曲で唯一残っていた第5番の録音が目前に迫り大きなプレッシャーとなっていた。そんな中、かつてターが指導した若手指揮者の自殺の知らせが入る。それに関して疑惑をかけられたターは追い詰められ、歯車が狂いだす……。

映画の最初に描かれるのはインタビュー場面だ。聴衆の前でターがインタビューを受ける。その内容は専門的で、クラシックに疎い人にはわかりにくいかもしれない。だが、わからないなりにターの人となりは、何となく伝わってくるのではないか。

ターはまさに天才。そして努力を積み重ねてきた。おまけに自己プロデュース力もある。強烈な個性の持ち主で、完璧主義者で自尊心も高い。ただ、それとは裏腹にどこか胡散臭さもつきまとう。

続く場面は音楽学校での講義の場面だ。ターの講義は容赦ない。バッハは女性を蔑視しているから嫌いだと公言する男子学生を、ターは言葉でいたぶる。彼女は芸術至上主義者であり、バッハの音楽が素晴らしければそれでいいのだ。ターは男子学生を罵倒する。男子学生は切れて部屋を出て行く。

この場面は長回しで撮られている。その前のインタビュー場面と合わせてややもったいぶった感じがして、ちょっと焦れてしまったのだが、実はこれがその後に効いてくる。後半に進むにつれて、ドラマのテンポはどんどん速くなっていく。省略や飛躍も多いのだが、ターのキャラクターをじっくりと描いた前半のおかげで、それほど戸惑わずに観ることができた。

ターにとって目下の懸案はマーラー交響曲第5番。ライブ録音が決まっており、連日そのリハーサルで大忙しだった。おまけに曲作りに行き詰まり苦悩していた。

というわけで、中盤以降、徐々に歯車が狂いだす。完璧主義者の彼女は、それゆえオーケストラのすべてを自分でコントロールしないと気が済まない。だが、そこには様々な危険な種が転がっていた。

ターは私生活では女性のパートナーを持ち、2人の間には子供もいた。その女性はオーケストラのコンサートマスターで、ヴァイオリン奏者のシャノン(ニーナ・ホス)。

一方、彼女の助手のフランチェスカ(ノエミ・メルラン)は、副指揮者を目指していた。そのためターの無茶な要求にもきちんと応えていた。

やがてベテランの副指揮者が邪魔になったターは、彼をクビにして新しい副指揮者を迎え入れようとする。その候補にはフランチェスカの名も挙げていた。

そんな中、ターが指導した若手指揮者が自殺したという知らせが入る。ターは巻き込まれるのを恐れて、その指揮者からのメールを削除するようにフランチェスカに命じる。

中盤以降は、短いカットを挟みつつポンポンと展開する。そこからはホラー映画的な怖さが見えてくる。「音」を効果的に使いターが追い詰められていくところを表現。不眠症の彼女が夜眠れない時にメトロノームの音や冷蔵庫の音などに過剰に反応したり、ジョギング中に誰かの悲鳴を聞いたりする。さらに不気味な隣人の存在もホラー映画的な怖さを倍加させる。

そして彼女の転落を決定づけるのが、新人チェリストのオルガ(ソフィー・カウアー)の存在だ。すっかり彼女を気に入ってしまったターは、もう1曲の演奏曲目をオルガの得意な曲に決め、ソロ奏者はオーディションで選ぶと宣言する。これにオーケストラのメンバーは反発し、シャノンとの仲も危ういものとなる。自分のやりたい放題やっていたターは、見事にしっぺ返しを食らったのである。そして、そこに若い指揮者の自殺の件が彼女にとどめを刺す。

その後のターの運命は、予想もしないものだった。ラストはまるでブラックコメディー。転落の果てに、まさかこんなところにたどり着くとは……。

この手の転落物語は珍しくないが、いわゆるキャンセル・カルチャー的な要素が原因となっているところが斬新だ。おまけに、それが強烈な個性の女性指揮者の身に降りかかってきたというのが面白い。後半のホラー映画的な展開といい、最後のブラックコメディー的な締め方といい、トッド・フィールド監督のひねくれ者ぶりが発揮されている。

ちなみにフィールド監督は、「イン・ザ・ベッドルーム」「リトル・チルドレン」でアカデミー賞の候補になったが、これが16年ぶりに手がけた長編映画とのこと。

そして、何よりもこの映画はケイト・ブランシェットの映画である。指揮はもちろんピアノ演奏を学び、ほぼ完ぺきにこなしている。どこからどう見ても本物の指揮者である。ベルリンフィルの指揮者という設定なので、ドイツ語もマスターして流ちょうなドイツ語を披露している。もちろん持ち前の繊細な演技力は健在。冒頭のインタビュー前の緊張感を表現したしぐさなんて、これはもう絶品中の絶品。彼女がいたからこそ、これだけの映画になったのだと思う。

「創作とは?」「芸術とは?」など色々とテーマになりそうな要素はあるものの、それよりなにより、1人の天才指揮者の波乱の人生ドラマとして文句なしに面白かった。ケイト・ブランシェットの演技だけでも必見!

◆「TAR/ター」(TAR)
(2022年 アメリカ)(上映時間2時間38分)
監督・脚本・製作:トッド・フィールド
出演:ケイト・ブランシェット、ノエミ・メルラン、ニーナ・ホス、ソフィ・カウアー、ジュリアン・グローヴァー、アラン・コーデュナー、マーク・ストロング
*TOHOシネマズ 日比谷ほかにて全国公開中
ホームページ https://gaga.ne.jp/TAR/

 


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