「逃げきれた夢」
2023年6月9日(金)新宿武蔵野館にて。午後12時30分より鑑賞(スクリーン3/C-4)
~おっさんはつらいよ。人生の節目を迎えた男の「あがき」をリアルに
私もデモや集会に参加して反対した入管法改正(改悪だろう)法案が成立してしまった。賛成したやつらの顔と名前をよーく覚えておいて、きっとしっぺ返しを食らわすぞ! と誓ったのである。
とまあ、世の中はうまくいかないことが多いわけだが、そんな人生をやり直そうとする男のドラマが「逃げきれた夢」である。
「枝葉のこと」「お嬢ちゃん」などが高く評価された二ノ宮隆太郎監督の第4作。ちなみに、二ノ宮監督は、俳優としてもあっちこっちの作品に顔を出している。
北九州の定時制高校で教頭を務める末永周平(光石研)が主人公。定年まであと1年の初老の男性だ。
冒頭は老人介護施設に周平が父親を訪ねるシーン。父親(光石の実の父親が演じている)は認知症らしくほとんど反応しない。親戚の近況などを周平が一方的に語りかける。
家に帰れば、普段はあまりコミュニケーションをとっていないらしい娘の由真(工藤遥)に、彼女の勤め先で扱っている香水を買ってきてくれとか、恋人がいるなら連れてこいなどと言って、気味悪がられる。
さらに、妻の彰子(坂井真紀)に抱きついて激しく拒絶される。夫婦にスキンシップは大切だなどと周平は言うのだが、夫婦仲はとうに冷えきっているらしい。
そして、旧友の石田啓司(松重豊)を飲みに誘うが、その帰りに口論になってしまう。
なんか変だぞ? このおっさん。
というわけで、実は周平は病気らしいのだ。行きつけの定食屋で支払いを忘れ、そこに勤める元教え子の平賀南(吉本実憂)に病気のことを告白している。病院で医師の診察を受けるシーンも登場する。詳しい説明はないが、どうやら記憶に問題があるらしい。
だが、南以外の誰にもそれを告げることができない。学校でもいつも通りの勤務をする。学校では人当たりが良く、生徒とも隔たりがない。生徒が吸うたばこの吸い殻もきれいに片づけて、軽く注意するだけだ(教頭になれたのはそのせいだ、などと本人は言う)。
はたからみれば、実に良い先生で、順風満帆な人生を送ってきたように見える。だが、実際はそうでもないことは、本人がよく自覚しているのだろう。
だから、妻や娘との現在の関係が空疎に思え、病気を機に何とかして昔のような関係に戻れないかと試みる。彼なりに誠実に。
しかし、病気のことは黙っているから2人にとっては「何を突然」だ。周平の思いは空転する。妻や娘に真剣に思いを打ち明けているのに、途中から混乱して支離滅裂になったりもする。
旧友の啓司との関係もまた然り。しばらく顔を合わせていなかったのに、これではいかんと急に飲みに誘い、啓司に疑念を持たれる。
というわけで、過去の人生に対する悔恨から、新しい人間関係、新しい道を模索してあがくものの、それもままならない。その中途半端さが何とも痛々しく、情けなく、ついでにそこはかとない笑いまで誘ってしまうのである。
中年以降の人なら、より共感してしまうのではないだろうか。私なんぞ、家族もいないし、職場もないし、友達もほとんどいないが、それでも周平の心情が胸に響いた。
大きな事件は何も起こらない。セリフも日常会話がほとんどである。だからこそ、なおさらリアルに感じられる。二ノ宮監督の脚本・演出は、日常の中から人生の機微を巧みにすくい取る。
面白いのは長い会話シーンは切り返しの編集をしているのに、長回しのショットを見たような感覚に陥ることだ。それだけ濃密な会話なのだろう。
終盤は、周平が元教え子の南を自分の思い出の場所に案内し、喫茶店で会話を繰り広げる。ここはスリリングでなかなかに意味深な場面。それでも最後に周平と南が素直にお互いの気持ちを打ち明けたところに、作り手の思いがあるのかもしれない。
ちょっと気になったのは、九州の方言がたくさん出てくるので、意味の良くわからないセリフがあったことだろうか。まあ、それも独特の味になってはいるのだが。
日本映画に欠かせない俳優の光石研は、12年ぶりの映画単独主演とのこと。セリフはもちろんそれ以外の部分で、微妙な感情の動きを繊細に表現する演技は圧巻のひと言。それ以外の俳優たちも素晴らしく、間の取り方などが絶妙。終盤の吉本実憂の演技も絶品だった。
観終わって不思議な余韻が残った。悲劇でもなく、喜劇でもない。実際の人生なんてそういうものかもしれない。「逃げきれた夢」というタイトルについて色々と考えさせられた。
◆「逃げきれた夢」
(2022年 日本)(上映時間1時間36分)
監督・脚本:二ノ宮隆太郎
出演:光石研、吉本実憂、工藤遥、杏花、岡本麗、光石禎弘、坂井真紀、松重豊
*新宿武蔵野館ほかにて公開中
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