映画貧乏日記

映画貧乏からの脱出は可能なのだろうか。おそらく無理であろう。ならばその日々を日記として綴るのみである。

「あんのこと」

「あんのこと」
2024年6月7日(金)イオンシネマ板橋にて。午後1時25分より鑑賞(スクリーン2/E-11)

~弱者の再生と挫折。一人の少女の壮絶な人生を通して「社会」を問う

 

イオンシネマ板橋に行ったのはいつ以来だろう。ずいぶん久しぶりだ。イオン板橋ショッピングセンターの中にあるこの映画館。同じフロアには飲食店もあり、この日は上映前に生まれて初めてサブウェイのサンドイッチを食したのだ。美味しかったです。

そして観たのは「あんのこと」。入江悠監督が一人の少女の壮絶な人生を、実話をもとに描いたドラマである。入江監督は「SR サイタマノラッパー」でブレイクし、「22年目の告白-私が殺人犯です-」などのメジャーな映画を撮る傍ら、社会派の色が濃い「ビジランテ」などの作品も生み出している。

主役の少女は香川杏(河合優実)。幼い頃から母親(河井青葉)に虐待され、小学4年生から不登校となり、12歳の時に母親に売春を強要され、21歳の今は覚せい剤中毒になっていた。

ある日、警察に捕まった彼女は、風変わりな刑事の多々羅(佐藤二朗)と出会い、更生の道を歩み始める。彼を取材する週刊誌記者、桐野(稲垣吾郎)の助けも借りて、新たな仕事や住まいを見つける杏だったが……。

映画の冒頭は、無人の繁華街をさまよう杏の背中を映し出した映像。まもなくカメラが正面に回ると、その表情が虚ろなものであることがわかる。このシーンは、本作が徹底して杏に寄り添い、彼女の行動を余すところなく伝える映画であることを告げている。同時に、このシーンは終盤の悲劇的な場面につながっていくのだ。

映画の序盤、覚せい剤中毒の杏は警察に捕まる。何も語らず反抗的な彼女に手を焼いた刑事たちは、変わり者の多々羅刑事に取り調べを任せる。多々羅は覚せい剤中毒を抜け出すにはヨガがいいと言い、杏の目の前でヨガを始める。なんだ? このおっさん。反抗的だった杏の目は、次第に穏やかになっていく。

多々羅は親身になって彼女と接する。援助を拒否する役所の人間には、全力ですごんで見せたりする。そして薬物中毒者を更生させる団体に杏を誘い、社会復帰を手助けしようとする。初めて信用できる大人に出会った杏は、多々羅に心を開き始める。

多々羅は彼を取材する週刊誌記者、桐野の助けも借りて、杏に介護の仕事を世話する。足の悪い祖母を持つ杏が、自ら介護の仕事を希望したのだ。新たな住まいとしてDVなどの被害者女性たちが暮らすアパートも世話をする。杏は母親を拒否して単身で暮らし始める。夜間中学にも通い始める。

こうして社会の最底辺にいた杏が更生への道を歩み始める姿を、入江監督は手持ちカメラを多用しながらリアルに映し出す(撮影監督は同じく河合優実出演の「PLAN75」の浦田秀穂)。おかげで、彼女の心の動きがダイレクトに伝わってくる。最初の頃の絶望は、少しずつ希望へと変わっていく。観客が抱えた重苦しい空気も、やがて温かな空気に変わる。観客は杏に共感し、彼女の更生を応援したくなるはずだ。

ここまでなら、よくある再生物語だ。だが、現実はそんなに甘いものではない。中盤以降、杏を取り巻く環境は大きく変わる。桐野がとったある行動が多々羅を追い詰め、杏も坂道を転がるように転落していく。折からのコロナ禍も影響し、杏は職を失ってしまう。必死で逃れた母親にも連れ戻されてしまう。そして、最後に残ったかすかな希望の灯も粉々に打ち砕かれてしまう。

そんな杏を見つめる私たちも、一度は見出しかけた希望から再度の絶望に襲われる。その場にいたたまれなくなってしまうほど、つらい現実だ。そして、その果てに杏がとった行動に、私たちは茫然としてスクリーンを見つめることになる。後に残るのは虚しさだ。

救いに満ちた結末にするなら、いくらでもできただろう。だが、入江監督はあえてそうしなかった。

入江監督は、新聞の小さな記事を見てショックを受けて本作を撮ったという。コロナ禍のさなかに起きたこの事件を、けっして忘れてはいけないという強い思いがあったのだろう。同時にそこには怒りや疑問があったのだと思う。その矛先はおそらく社会に向けられている。

杏を救おうとしたのは多々羅だった。その多々羅の支えがなくなった時に、杏は転落していった。多々羅に代わって彼女を支えるべきは社会ではなかったのか。いや、そもそも多々羅と出会う以前に社会は彼女を救えなかったのか。そうすれば、杏が母親に虐待され、売春を強要され、麻薬中毒になることもなかったはずだ。そんな怒り、疑問がこの映画の底流に流れているのだと思う。

ただし、明確な答えを提示した映画ではない。第二、第三の杏を出さないためには何が必要なのか。それは観客一人ひとりが考えることだ。観終わって虚しさが残る重苦しい映画だが、目をそらしてはいけない。なぜなら、社会を構成しているのは他ならぬ私たちなのだから。私たちにできるのは杏を忘れないこと、そして社会に向き合うことである。

ラストシーン。そこに映るのは冒頭とは別の背中だ。それは明日へのわずかな希望か。それとも……。

杏を演じた河合優実の演技が素晴らしい。モデルになった少女になりきり、彼女を尊重しつつ、その心の軌跡を追う。絶望に打ちひしがれた表情も、希望をつかみかけた表情も、どれにも嘘がない。まさに全身全霊での演技。これまでの作品でも、その才能を垣間見せてはいたが、本作で花開いたと言っても過言ではない。先日公開された「ミッシング」の石原さとみに負けず劣らずの演技で、今年の演技賞をにぎわすのは間違いないだろう。

◆「あんのこと」
(2023年 日本)(上映時間1時間53分)
監督・脚本:入江悠
出演:河合優実、佐藤二朗稲垣吾郎、河井青葉、広岡由里子早見あかり
*新宿武蔵野館ほかにて全国公開中
ホームページ https://annokoto.jp/

 


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