映画貧乏日記

映画貧乏からの脱出は可能なのだろうか。おそらく無理であろう。ならばその日々を日記として綴るのみである。

「ぼくが生きてる、ふたつの世界」

「ぼくが生きてる、ふたつの世界」
2024年9月20日(金)シネ・リーブル池袋にて。午後2時5分より鑑賞(シアター2/F-4)

~聾者の両親を持つ息子の葛藤と成長。これは私の物語

 

9月19日、大宮ソニックシティ大ホールへ伊藤蘭のコンサートを観に行ってきた。相変わらず若々しくてエネルギッシュなステージだった。約2時間、歌って踊り続けるのだから大したものだ。それに刺激されて観客も大盛り上がりで、私もずっとスタンディングでペンライトを振り、踊りまくってしまった。こんなにはしゃいだのはいつ以来だろう?

さて、そんなことには関係なく、「そこのみにて光り輝く」「きみはいい子」の呉美保監督が、9年ぶりに長編映画を発表した。これは観に行かねばなるまい。

作家・エッセイストの五十嵐大による自伝的エッセイ「ろうの両親から生まれたぼくが聴こえる世界と聴こえない世界を行き来して考えた30のこと」を映画化した「ぼくが生きてる、ふたつの世界」だ。

冒頭は、宮城県の小さな港町で五十嵐陽介(今井彰人)が船に塗装をしているシーン。まもなく彼は同僚から早く帰るように言われる。家に帰ると陽介と明子(忍足亜希子)の間に誕生した大の出生を祝う宴が開かれるところだった。博打好きの祖父、鈴木康夫(でんでん)、祖母の広子(烏丸せつこ)もいる。

というように、幸せいっぱいの場面からドラマがスタートする。明子と陽介は耳が聞こえない聾者で、大とは手話で会話をしていた。両親は大に愛情をたっぷり注ぎ、大も素直に育っていった。

だが、小学生になると次第に自分の家庭が「普通」ではないと感じ始める。友達もそうした目を向ける。それまで普通だと思っていた母の「通訳」をすることも、何だか恥ずかしいと感じるようになる。母はとびっきり明るい女性だったが、それさえ疎ましく思えてくる。そうした思いは大(吉沢亮)が高校生になって、いっそう強くなる。

などと書くと、どこかで聞いたありがちな話と思うかもしれない。しかし、呉監督と「正欲」など多数の作品で脚本を手掛ける港岳彦とのコンビは、劇的な展開を極力排し、繊細に登場人物の感情を切り取っていく。予告編を見ると、いかにも明子と大には抜き差しならない問題があるように思えるが、そういうわけではない。様々な些細な出来事が積み重なって、大には複雑な感情が芽生えていくのである。そこには思春期ならではの親に対する反抗心も巧みに織り込まれている。

だから、彼は決定的に明子を突き放さない。自分の家庭が普通ではないことに対して苛立ち、時には「こんな家に生まれたくなかった」と言い放つが、それでも明子に優しく接するときもある。行きつ戻りつしつつ、自分の居場所を探すのだ。

複雑な心情を抱えたまま、大は役者になろうとするものの、「他人を見返したい」という程度の動機ではうまくいくはずもない。20歳になった大はついに上京を決意し、パチンコ店で働き始める。誰も自分の生い立ちを知らない場所で、自立の道を模索する。やがて大は編集者の道を歩み始めるが……。

この間、明子は大の声を聞きたいと何度も電話をかける。それを疎ましく思いつつも、それでも明子に声を聞かせる大。そのあたりのやり取りはユーモラスで笑いを誘う。そう。この映画には笑えるところもたくさんあるのだ。

一方で、大は聾者と知り合いになり、彼らのサークルに加わったり、飲み会に参加するようになる。両親以外の聾者と親しく接することで、今まで知らなかったことがわかるようになる。耳の聞こえない両親を持つ子供のことを「コーダ」と表現することも初めて知る。

こうして大は改めて両親のことを思いやる。おりしも父親が倒れ、彼は故郷に久しぶりに帰ることになる。そこでの両親との交流がとても自然でよいのだ。両親への様々な思いを胸に抱え、明子に対して「ありがとう」と言う大。「何を言ってているのか」と受け流す明子。その瞬間、不覚にも私の涙腺が決壊してしまった。

この映画のタイトルにある「ふたつの世界」とは、「聞こえる世界」と「聞こえない世界」を指すのだろう。コーダである大は、ふたつの世界を行き来する。だが、単にそういう世界を超えて、このドラマは普遍的な物語として成立している。すべての人の親に対する葛藤や後悔、懐かしい思い出などが呼び起こされるのだ。だからこそ、私は泣いてしまったのである。私の両親はすでに他界しているので、後悔ばかりが募るのだが……。

本作が普遍的な物語として成立する背景には、徹底的にリアリズムを追求し、噓臭さを微塵も感じさせないつくりになっていることもある。聾者の出演者には、聾者俳優として活躍する忍足亜希子、日本ろう者劇団などで活動する今井彰人らが演じている。手話監修協力として全日本ろうあ連盟が参加するなど手話演出も丁寧に行っている。

また、本作には「劇伴」がない。これも「ふたつの世界」を対比させる意図だろう。その代わり、店内音楽などの現実の音で、さりげなく主人公たちの心情をすくいあげる。

最後の仕掛けが心憎い。東京に戻る大を見送る明子。その背中に、大がかつて上京間際だった時のある微笑ましいエピソードがかぶる(詳しいことは伏せるけど)。私は、ここで再度泣いてしまった。あざとさなど全くないだけに、余計に涙腺を刺激されてしまったのである。

エンドロールに流れる曲も素敵だ。どうやら、この曲は母から大への手紙を英語の歌にしたものらしい。スクリーンの端に映される日本語字幕が感動的だ。

達者な手話を披露した吉沢亮の繊細な演技が印象深い。息子に愛を注ぎ続ける忍足の自然な演技も見逃せない。

個人的な思いもあるが、それにしても素晴らしい映画だった。親に対する様々な思いが込み上げてきた。映画で泣いたのも久しぶりだな。

◆「ぼくが生きてる、ふたつの世界」
(2024年 日本)(上映時間1時間45分)
監督:呉美保
出演:吉沢亮忍足亜希子、今井彰人、ユースケ・サンタマリア烏丸せつこ、でんでん、原扶貴子、山本浩司、河合祐三子、長井恵里
*新宿ピカデリーシネスイッチ銀座ほかにて公開中。全国順次公開
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