「夏の終わりのクラシック」
2025年10月16日(木)シネ・リーブル池袋にて。午後3時25分より鑑賞(シアター2/C-4)
~クラシック音楽と美しい風景に彩られた傷ついた人の再生のドラマ

「夏の終わりのクラシック」は、ペ・ヨンジュン、チェ・ジウ主演のテレビドラマ「冬のソナタ」で知られるユン・ソクホ監督の作品。日本の伊吹有喜の小説「風待ちのひと」を映画化した。
映画の冒頭に映るのは、美しい済州島の風景。そこを一人の中年女性がやって来る。このドラマの主人公のヨンヒ(キム・ジヨン)だ。「夏も終わりだという割に暑いわねえ」などと独り言を言う。いや、そんなこと普通はわざわざ口に出して言わないでしょう、と思ったのだが、ヨンヒはそういう人だった。おしゃべりで、何でも口にしないと気が済まないのだ。そしてむやみに明るい。まるで大阪のおばちゃんである。
ヨンヒは毎年、夏の終わりに済州島の村にやって来て、叔母の食堂を手伝っていた。今年は村に向かう途中で見知らぬ男性に車で送ってもらう。その車中、ヨンヒはいつものようにしゃべり倒す。一方、男はまったく無言だった。男は音楽を流す。それはクラシック音楽だった。
その晩、ヨンヒは男が海で溺れているのを見つけて助ける。ジュヌ(ペ・スビン)というその男は母親の遺品を整理するために、ソウルからこの村にやって来たのだ。ジュヌの母はオペラ歌手で大学教授だった。家には母のものと思われるクラシックのアルバムのコレクションが大量にあった。ヨンヒはクラシック音楽について教えてほしいとジュヌに頼む。それは尋常ではない態度だった。断り切れず、ジュヌは庭の片づけをすることを条件に承諾する。
実は、ジュヌは明らかに精神的に不安定で憔悴していた。それを見たヨンヒは放っておけずに、家の片づけを手伝うと言ったのだ。それが嫌だったジュヌは「それなら庭を……」と渋々言い、その労賃代わりに代わりにクラシック音楽について教えると言ったのである。
ジュヌの家には母の教え子たちがやって来て、庭でクラシック音楽を演奏する。その中で、オペラ「ラ・トラヴィアータ(椿姫)」の曲がヨンヒの心をとらえる。そしてもう1曲、彼女の心をとらえたのはジュヌが、携帯プレーヤーに録音してくれた曲だ。ジョシュア・グリーンが演奏するピアノ曲、バッハの「Adage」である。
ちなみに、このジョシュア・グリーンというピアニストは、検索しても情報が出てこなかったので架空のピアニストかもしれない。とにもかくにも、ヨンヒはその曲を何度も聴く。彼女がその曲に執着するのには、ある理由があった。
ひたすら喋りまくるヨンヒと無口なジュヌの2人は、少しずつ心を通わせていく。ヨンヒは得意の散髪で、ジュヌのひげを剃り、髪を切ってやる。ジュヌは次第に口数が多くなっていく。一方、ヨンヒは明るさの中にも、時折何やら暗い影をのぞかせるようになる。
というわけで、この映画ではヨンヒとジュヌの恋愛模様が描かれる。だが、それは情熱的な恋ではない。どちらも中年の男女ということもあり、どちらかというと恋愛未満といった感じの距離感のふれあいだ。2人で「ラ・トラヴィアータ(椿姫)」のDVDを見ながらヨンヒが居眠りしてしまったり、海岸の堤防でイヤホンを一つずつ耳にさして同じ音楽を聴くというように、ささやかで微笑ましいエピソードが続く。
ただし、そうした恋愛ドラマ以上に、傷ついた男女の人間ドラマという側面が強いのがこの映画の特徴だ。ヨンヒがクラシックに執着するのはなぜなのか。それは、彼女の家族に関する過去の暗い出来事と関係している。終盤になって、それを自らの口で告げる際は、それまでの明るく楽しい雰囲気とは一転して、シリアスで切ないタッチが前面に出てくる。これは過去の傷を抱えて道に迷っていたヨンヒが、ジュヌに出会うことをきっかけに人生を生き直す人間ドラマなのだ。
また、ジュヌも家族のことで悩み、苦しみ、道に迷っている。終盤には、それを象徴するような出来事が起きてジュヌを悩ませる。その影響はヨンヒにも及ぶ。だが、彼も最後には、人生を生き直す決意をする。つまり、このドラマではヨンヒだけでなく、ジュヌもヨンヒと出会ったことによって人生をやり直す姿が描かれるのである。
映画的に驚くような展開はないし、よくある話と言えばそうだが、それでもこの映画を輝かせる要素がある。その1つは全編で流れる美しいクラシック音楽だ。その中でも、ジョシュア・グリーンの演奏する「Adage」の使い方に注目。ヨンヒの耳には、その曲に合わせて鼻歌が聞こえてくる。それは実際はグリーン自身の鼻歌のようなのだが(これってグレン・グールドの演奏をモデルにしているのでしょうか?)、ヨンヒには別のものに聞こえるのである。それは彼女の過去の傷に起因している。
そしてもう1つの魅力的な要素は美しい村の風景だ。ポン・ジュノの「殺人の追憶」、ホン・サンスの「夜の浜辺でひとり」などを手がけてきた撮影監督キム・ヒョングが担当した映像は、夏の終わりの済州島の空や海、空気まで繊細に捉えた美しい映像だ。特に空と海が交わる水平線を映した映像は息を飲むほどの美しさだった。
主役に中年女性を据えたのも本作の特徴だろう。主演のキム・ジヨンは「EXIT」「エクストリーム・ジョブ」「シングル・イン・ソウル」などに出演しているが、大阪のおばちゃんのような口数の多さと明るさ、同時にその裏にある影の部分を表現した巧みな演技だった。最初の頃と最後では印象が変わって見えてくるから不思議なもの。一方、ジュヌ役のペ・スビンも、明暗両面を見せる演技が印象的だった。
ユン・ソクホ監督は恋愛映画の名手として知られるが、王道の恋愛映画とはちょっと違う。大人の恋愛映画という要素もあるにはあるが、単なる恋愛映画の枠を超えて上質な人間ドラマに仕上がっている。
◆「夏の終わりのクラシック」(ADAGIO)
(2024年 韓国)(上映時間1時間55分)
監督:ユン・ソクホ
出演:キム・ジヨン、ペ・スビン、チョン・ヨンスク、ユン・ジミン
*シネ・リーブル池袋ほかにて公開中
公式ホームページ https://aisansen.com/natsunoowari/
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