「平場の月」
2025年11月18日(火)新宿ピカデリーにて。午後1時45分より鑑賞(シアター3/D-15)
~過去の傷やしがらみを背負った大人の恋愛を繊細に見せる

最近は「半沢直樹」や「VIVANT」などテレビドラマのイメージが強い堺雅人。しかし、以前はずっと映画の人だった。「南極料理人」「クヒオ大佐」など印象深い主演映画も多い。
その堺が8年ぶりに主演した映画が「平場の月」。朝倉かすみの小説を「花束みたいな恋をした」「片思い世界」などの土井裕泰監督が映画化した。脚本は「リンダ リンダ リンダ」「ある男」「愚か者の身分」などの向井康介。共演は井川遥。こちらは年齢を経るほどに俳優としての魅力を増して、映画では近作の「見はらし世代」で素晴らしい演技を披露していた。
妻と別れ、地元に戻って印刷会社に再就職した青砥健将(堺雅人)。平穏な毎日を送っていた彼は、ある日、中学時代に思いを寄せていた須藤葉子(井川遥)と偶然の再会を果たす。夫と死別し、地元に戻ってパートで生計を立てる彼女は、昔と同じで今も明るくたくましく生きていた。そんな2人は飲み友達として交流を重ねるようになっていくのだが……。
大人の恋愛は、若者の恋愛とは明らかに違う。様々な過去の傷やしがらみを背負い、それゆえに臆病になり躊躇しながらも、少しだけ前に進んでいく。
青砥と須藤の恋も同様だ。青砥は妻と別れ、地元に戻ってきた。離婚はショックだったようで、一時はアル中寸前まで行ったらしい。地元では印刷会社に再就職し、親の介護をしていたが、父は亡くなり、母は認知症で施設に入っている。青砥は今一人暮らしだ。彼には息子がいるが、未だに生活が安定していない。
青砥は、病院で胃カメラの検査を受ける。その結果、腫瘍が見つかり生検を受けることになる。その病院の売店に行くと、そこに須藤がいた。売店でパートをしているのだった。
この再会の場面がとてもいい。ごく自然で気負いがないのだ。これはこの映画全体の2人のトーンにも共通している。
2人は飲み友達になる。たまに会って酒を飲み、仕事の愚痴などを言い合うのだ。会うのは大衆的な焼き鳥屋。けっしておしゃれなレストランなどではない。それがまたいい。その焼き鳥屋で流れる薬師丸ひろ子の「メイン・テーマ」も、実に効果的な使われ方をしている。
2人はその焼き鳥屋で何度か飲むが、ある時、どこも満員で入れなかった。須藤は自分のアパートで飲もうと言う。青砥は驚くが、正直なところ金がないのだと須藤は告白する。
須藤は夫と死別していた。その夫はDV男で須藤は略奪婚で結婚したのだ。しかも、夫の死後は年下の美容師を好きになり、貯めていた金の大半を彼に渡していた。彼女もまた青砥と同様に訳ありだったのである。
酒を飲みながら、須藤は亡きDV夫を大好きだったと言う。年下の美容師とのことも包み隠さず話す。そういう話を誰かとしたかったと告げる。
青砥と会うまでの須藤は孤独だった(妹はいるが)。アパートを借りる時には、自分がいずれ孤独死することを考えて、布団ではなくベッドで寝ることにしたという。そんな彼女の前に青砥という話し相手が現れた。だから、青砥に何でも話した。青砥も須藤に何でも話す。2人はお互いに「須藤」「青砥」と呼び合い、気取りのない会話を交わす。
本作の原作は未読だが、原作ものにありがちな窮屈さは全く感じなかった。脚本の向井康介が原作を巧みにアレンジしたのだろう。その上で、土井裕泰監督の演出が冴えわたる。様々に揺れ動く青砥と須藤の微妙な心情を、リアルに、そして繊細に映し出す。
随時挟み込まれる中学時代の2人の姿も印象的だ。その頃青砥は須藤に気があり、告白するがフラれる。だが、実は須藤も青砥に思いを寄せていたことが後になってわかる。彼女は複雑な家庭の事情もあり、すべての恋愛を排除していたのだ。
そんな2人の若き日を土井監督は生き生きと描き出す。青砥が告白した際の本人も意外だった行動や、2人が自転車に乗った場面など、印象的な場面が次々に飛び出す。それらは現在のドラマにも巧みに投影される。2人の関係性において、変わったもの、変わらないものが少しずつ見えてくる。
青砥と須藤は交流を続け、そして再び惹かれ合い、躊躇いながらも一線を越える。お互いの未来についても話すようになる。
映画の冒頭のアバンタイトル。自転車に乗った青砥が須藤のアパートの前に来ると、須藤は窓から顔を覗かせて夜空を見ている。「お前、あのとき何考えてたの?」「夢みたいなことだよ。夢みたいなことをね。ちょっと」。この印象深いセリフは後に2人が親しくなってからの会話なのだが、それはおそらく2人の未来に思いを馳せたものだったのだろう。
青砥は生検の結果、異常がないことがわかる。だが、今度は須藤が病魔に侵される。大腸がんだった。手術、そしてストーマ(人工肛門)、抗がん剤治療と苦難の日が続く。それでも青砥は須藤を支え続ける……。
というわけで、途中からはいわゆる難病もののスタイルをとるのだが、過剰に感情を刺激したりはしない。気丈な須藤の性格もあり、ドラマのタッチはあくまでも抑制的だ。だが、それゆえ逆に終盤の切なさが増幅される。ラストの焼き鳥屋の場面、それまでの余計な描写は一切せずに余白を残した演出のおかげで、最後の須藤の姿に一気に感情が揺さぶられたのである。
若者の恋愛ドラマのような初々しさやキラキラした輝きはないものの、いぶし銀のような味わい深い大人の恋愛ドラマ。原作がベストセラーとはいえ、若い人の動員が見込めないこのドラマを良く映画化したものだ。確かに若い人にはピンと来ないかもしれないが、私のような中高年世代にはグッとくる作品だろう。
堺雅人は持ち味を十分に発揮していた。あの独特の笑顔が効いている。ラストの感情をぶちまける演技も素晴らしい。
そして井川遥である。青砥と再会した時のぶっきらぼうな感じ、青砥との仲が深まるにつれ揺れ動く感情、病魔に侵されてからの憔悴したさまなど、すべての場面の演技が圧巻だった。芯の強さと弱さを併せ持つ須藤という人物を見事に演じ切っていた。
中村ゆり、でんでん、安藤玉恵、成田凌らも好演。焼き鳥屋の店主を演じていた塩見三省の渋い演技もたまらない。さらに、中学時代の2人を演じた坂元愛登、一色香澄の瑞々しい演技も見逃せない。
エンドロールで流れる星野源の音楽が、この映画にピッタリで余韻を残す。
◆「平場の月」
(2025年 日本)(上映時間1時間58分)
監督:土井裕泰
出演:堺雅人、井川遥、坂元愛登、一色香澄、中村ゆり、でんでん、安藤玉恵、椿鬼奴、栁俊太郎、倉悠貴、吉瀬美智子、宇野祥平、吉岡睦雄、黒田大輔、松岡依都美、前野朋哉、成田凌、塩見三省、大森南朋
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