映画貧乏日記

映画貧乏からの脱出は可能なのだろうか。おそらく無理であろう。ならばその日々を日記として綴るのみである。

「淵に立つ」

「淵に立つ」
角川シネマ新宿にて。2016年10月8日(土)午後12時40分より鑑賞。

家族というものがオレにはどうにもよくわからない。もちろん両親や兄弟はいるのだが、長いこと別々に暮らしているし、それはまだ血がつながっているから理解できないこともない。問題は夫婦だ。基本、それはただの他人だろう。どんなに愛し合っていようと(それはほとんどの場合にはただの錯覚なわけだが)他人がまるで血縁のようにして一緒の屋根の下で暮らし、人生を共にするというのが、どうにもオレには理解できんのである。

そんなの、うまくいくわけないじゃん!! という懐疑的な思いがオレの頭をずーっと支配し続けている。オレがいまだに独身なのはそのせいかもしれない。いや、スイマセン。ただ、モテないだけなんですが(笑)。

そんなオレが思わず「そーなんだよな。家族って絶対に脆弱なものなんだよ」と同調してしまった映画が、深田晃司監督の「淵に立つ」(2016年 日本・フランス)である。さて、「淵に立つ」というこのタイトル。やっぱり人生の、そして家族の崖っぷちのことなのだろうか。だとすれば、オレが共感するのは、ますます無理からぬことかもしれない。何しろオレの人生は崖っぷちだ。たぶん。いや、きっとそうだ。そうに違いない。そんな危機感を持ちながらも、相変わらずのほほんと暮らす困ったオレ。

いや、そんな話ではない。ストーリーを説明しよう。郊外で小さな金属加工工場を営む鈴岡利雄(古舘寛治)と妻の章江(筒井真理子)は、10歳になる娘の蛍と家族3人で平穏に暮らしていた。ところがある日、利雄の古い友人だという八坂草太郎浅野忠信)が現われる。利雄は八坂を従業員に雇い、自宅の空き部屋に住まわせる。最初は当惑していた章江だが、礼儀正しく、蛍のオルガン練習も手伝ってくれる八坂に次第に好感を抱くようになる……。

幸せそうだった家族が、第三者の登場によって崩壊していくというのは、けっして目新しいドラマではない。しかし、この映画はその中でもかなり変わっていると思う。

観る前には、「謎の男の正体が少しずつ明らかになり、じわじわと家族が崩壊していく」というミステリー・サスペンス的な展開を予想していたのだが、その予想は完全に外れてしまった。謎の男・八坂は人を殺して刑務所に入り、利雄がそれに関わっていたことが早いうちに示唆されるのだ。それに続いて、八坂自らの口でも自身の過去が語られてしまう。なので、ミステリー的な要素はほぼ皆無だ。

一方、家族崩壊を描くなら、最初は幸せバリバリの姿を描くのが常道だろう。ところが、この鈴岡家は最初から何かおかしい。クリスチャンの章江と娘が食事の前にお祈りを捧げ、夫の利雄は全く関心を示さずにいる食卓のシーン。そのあたりに空疎さを感じてしまったのはオレだけだろうか? そういえば冒頭で娘がオルガンを練習するシーンも、何やら奇妙な空気が流れているような気がする。家族崩壊の種は、すでにこの時から存在していたということかもしれない。

そんな家庭に入り込むのが八坂だ。自分の犯した犯罪を心から悔いているらしい彼は、遺族に手紙を書くなど、ひたすら優しく穏やかに暮らす。そんな彼に対して章江は好意を持つようになる。ところが、突然、彼は利雄に対して別人のような態度を見せ、章江ともただならぬ関係に向かう。その複雑かつ屈折した言動が、得体のしれない不気味さを感じさせる。そして、それを象徴する「白いワイシャツから赤いTシャツへ」という衣装の変化が鮮烈かつ効果的である。

やがて衝撃の事件が発生する。この映画の後半で描かれるのは8年後の鈴岡家だ。すでに八坂は姿を消し、鈴岡夫婦は以前よりも良好な関係のようにも見える。しかし、それをつなぎとめているのは変わり果てた娘の存在だ。そして、ところどころで8年前の心の傷が顔を出す(章江の潔癖症など)。それが八坂に関係したある人物の出現によって、一挙に崩壊へと進んでいくのだ。

深田晃司監督の作品でオレが観たのは、2013年の「ほとりの朔子」と2015年の「さようなら」だけだが、どちらも静謐で淡々とした描写が印象に残っている。その雰囲気は今回も同様だ。前半も後半も、静かなたたずまいの、客観的かつ淡々とした描写で綴られている。明暗を強調した根岸憲一撮影監督による映像ともども、この映画にはピッタリのタッチだと思う。それゆえ、何とも言えない冷たさや不気味さがスクリーンを覆い、観客の心を不安と重たさでいっぱいにする。

家族というものに対する深田監督の疑念は、オレなどよりもはるかに大きいものなのかもしれない。「家族なんて、何かのきっかけですぐに崩壊するもろいもの」。そう強く感じさせられる。同時に自分たちのかつての行動を引きずる鈴岡夫婦の姿から、罪と罰、因果応報、信仰心(章江が八坂と親しくなるきっかけのひとつは、やはり彼女の信仰心にあるように思える)など様々なテーマについて考えさせられる。もちろん八坂の奇怪なふるまいから、人間のどす黒い暗部にも思いを致さずにはいられない。そう。この映画は様々なことを想起させ、観客の思考を促す映画なのである。

ラストは壮絶だ。ベンチに静かに座る章江と娘の姿を見て、ホッとしたのもつかの間。そこからの展開には衝撃を受けた。あの時の利雄の必死の姿がいつまでも心に残る。それは「ああなる前にもっと努力しておかないと、家族を維持することなんてできない」というさりげないメッセージなのだろうか。

主演は八坂を演じた浅野忠信。穏やかな中で底知れぬ恐ろしさを感じさせる演技だ。闇を抱えつつ生きる夫を演じた古舘寛治の演技も素晴らしい。だが、それ以上に見事なのが筒井真理子の迫真の演技だ。何しろ前半と8年後の後半の姿がまったく違う(明らかに後半は増量してるよね)。全編を通して、その時々の感情を的確に表現した演技なのである。昔からテレビや映画で気になっていたのだが、あらためてスゴイ女優だと思った。

第69回カンヌ国際映画祭「ある視点」部門で審査員賞を受賞したこの映画。心がざわついて重たい気分になるし、最後に救いもない。おまけに衝撃的事件の真相など、明確に描かずに観客に判断を委ねている部分がたくさんある。それでも観る価値は十分にある。家族のありようなど様々なことを考えさせる映画で、オレの心にズシリときたのである。その衝撃はメガトン級だ。覚悟して観られよ!!

●今日の映画代1300円(角川シネマもテアトル系の会員料金で鑑賞可能)