映画貧乏日記

映画貧乏からの脱出は可能なのだろうか。おそらく無理であろう。ならばその日々を日記として綴るのみである。

「女優は泣かない」

「女優は泣かない」
2023年12月1日(金)池袋HUMAXシネマズにて。午後3時20分より鑑賞(シネマ2/E-9)

~がけっぷち女優とダメダメなディレクターの再起物語。ありがちな話なのにジンワリくる

伊藤万理華は不思議な俳優だ。童顔で年齢不詳という感じだが、どんな役をやってもサマになる。彼女の出演作にはハズレがない。「サマーフィルムにのって」「もっと超越した所へ。」「そばかす」「まなみ100%」など、いずれも面白い映画だった。だから、「女優は泣かない」も伊藤万理華に惹かれて観ることにした。

映画は熊本が舞台だ。空港でいきなり「くまモン」が映る。スキャンダルで落ち目の女優、梨枝(蓮佛美沙子)が故郷の熊本に到着したのだ。彼女は密着ドキュメンタリー撮影のために帰郷した。

空港に待っていたのは若いディレクターの咲(伊藤万理華)。なんと彼女1人が今回のドキュメンタリーのスタッフだという。咲はドラマ志望で、この仕事がうまくいけば上司がドラマ部に推薦してくれることになっていた。

撮影が始まると、咲は上司の無理難題に従いつつ、何とか評価される番組を作ろうと必死になる。一方、梨枝は家族と確執があり、なるべく目立たないように撮影したいと思っている。2人の思惑はすれ違い、たびたび衝突する……。

この映画の監督・脚本は、CMディレクターでテレビドラマも数多く手がけている有働佳史監督。とりたてて目新しいことはないし、どちらかというとありがちでベタな話だ。先の展開も読めてしまう。それでもこの映画には捨てがたい味わいがある。

ドラマの中心は、崖っぷちの女優・李枝が再起のきっかけをつかむ物語だ。虚栄心や虚飾に彩られた彼女が、若手ディレクターの咲との出会いで次第に変わっていく。

ただし、最初のうち2人の仲は最悪だ。撮影中ずっとケンカばかりしている。李枝は、本当はこんな仕事などしたくない。しかし、スキャンダル明けで、事務所の社長の強い勧めとあって、仕方なく故郷の熊本にやってきた。だから、ずっと不機嫌で文句ばかりだ。

それに対して咲は、同期に先を越されて焦っている。そのためドキュメンタリーにもかかわらず「演出」だと言い、やらせ映像まで撮影する。それでも思うように撮影は進まない。こちらも文句ばかり言う。というわけで、当然のように2人の激しいバトルが展開する。

ただし、このバトルがなかなか笑えるのだ。それというのも、ぶつかり合う2人の間に面白いキャラクターを配しているから。梨枝の幼なじみでタクシー運転手の拓郎(上川周作)。彼は空気を読めず、しかも李枝に気がある。その言動はとぼけた雰囲気に満ちていて、自然に笑いの種を振りまいていく。おかげでクスクス笑いながら、李枝と咲のバトルを観ていられるのである。

その合間には、李枝と家族とのドラマも描かれる。李枝は、父(升毅)の反対を振り切って家出同然で東京へ出て、姉(三倉茉奈)の結婚式もすっぽかした。だから、家族と顔を合わせたくない。父は今はがんで入院中だが、その病院に見舞に行くこともできなかった。

李枝と咲はケンカしながら様々なことを体験し、やがてお互いに共通の立場にあることに気づく。それはもちろん女優復帰とドラマ部への異動という野望だ。厳しい現実に直面しながらも、2人の間には同志のような連帯感が生まれていく。

一方、李枝の家族とのドラマにも変化が訪れる。李枝が帰郷していることは、小さな町で噂となり家族の耳に入ってしまう。李枝と姉は激しく対立する。だが、李枝が父の本当の思いを知ったことから、状況は大きく変わる。

終盤。「自分は演技が下手なのはわかっている。でも、私には女優しかない」という李枝の言葉が心に染みる。それは表現者としての決意と覚悟のこもった言葉だ。その言葉は咲も動かす。なぜなら彼女もまた表現者なのだから。

そして、ラスト近くには感動のシーンが用意されている。病院での李枝と父との最後のやりとりである。ここは涙なくしては見られないシーン。わかっているのにジンワリ来る。「ベタだなぁ~」と思いつつ涙腺を刺激されてしまった。

この映画の成功の大きな要因は、キャスティングにもある。伊藤万理華はやはり良い演技を見せている。セリフ中心のドラマだが、その合間には繊細な感情表現が見て取れ、彼女の演技力の高さがうかがえる。ちなみに、劇中で何度も出てくるカメラ映像も、彼女が撮影したもののようだ。

そして、主演の蓮佛美沙子も素晴らしい演技だ。女優が女優を演じるというのはけっこう難しいものだが、年齢的に等身大の役柄だったこともあり、李枝の心の惑いを的確に表現していた。演技がけっしてヘタではない彼女が、「演技がヘタ」な李枝を演じるというのも面白い。伊藤とのバトルもパンチが効いている。

2人の間に入った上川周作もいい味を出している。李枝の姉役の三倉茉奈も存在感がある。彼女を観たのは久々だったが、すっかりお母さん役が似合うようになったなぁ~。昔、茉奈佳奈のCDを買ったり、コンサートに行っていた身としては感慨深いものがあるゾ。

とても味わいのある映画だ。笑いと感動がバランスよく盛り込まれていて、誰でも楽しめる作品になっている。わかっていても、ジーンとなる。今回も伊藤万理華の出演作にハズレはなかった。

◆「女優は泣かない」
(2023年 日本)(上映時間1時間57分)
監督・脚本・編集:有働佳史
出演:蓮佛美沙子伊藤万理華上川周作三倉茉奈吉田仁人、青木ラブ、幸田尚子、福山翔大、緋田康人、浜野謙太、宮崎美子升毅
ヒューマントラストシネマ渋谷、池袋HUMAXシネマズほかにて公開中
ホームページ http://www.joyuwanakanai.com/

 


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「ほかげ」

「ほかげ」
2023年11月26日(日)ユーロスペースにて。午後2時55分より鑑賞(スクリーン2/C-8)

~戦争の闇を直視せよ! 塚本晋也監督の強い信念が伝わる

戦争は嫌だ。絶対に戦争をしてはならない。その思いを改めて抱かせてくれた映画が塚本晋也監督の「ほかげ」である。

塚本監督といえば「野火」で戦場の悲惨さを「これでもか!」とばかりに描いたことで知られている。続く「斬、」では人を殺すことの恐ろしさを描いた。そして「ほかげ」では戦争がもたらす闇をクローズアップした。

ドラマは2部構成になっている。前半は焼け残った居酒屋が舞台となる。そこで体を売って暮らす女(趣里)のところに、客として若い復員兵(河野宏紀)が来る。彼は「明日の晩も来ていいか?」と女に尋ね、そのままズルズルと居つく。

そしてもう1人、戦争孤児の少年(塚尾桜雅)がやって来る。彼は盗んだものを女に差しだし、こちらも入り浸るようになる。こうして3人の疑似家族のような生活が始まる。

だが、彼らは闇を抱えていた。少年は夜になると悪夢にうなされる。凄まじい声を上げる。よほど恐ろしい目にあったのだろう。

一方、出征前は教師だったという復員兵は、理性的で穏やかな態度を見せる。だが、家は焼け家族は行方不明だという彼は、銃声を聞くとパニックになる。そしてある日、突然豹変して暴力的になる。この一件で3人の暮らしは崩壊し、女と少年だけになる。

その女も実は闇を抱えていることが明かされる。夫と子供を亡くして、絶望と孤独の中に沈み込んでいるのだ。

ここまでが前半の展開だ。薄暗い室内だけでドラマが展開する。目を凝らしてみないと、何が起きているのかわからないぐらいに暗い。それは戦後がけっして明るくエネルギッシュなだけではなく、その裏面には深い闇が横たわっていたことを象徴しているようだ。

後半は、少年が謎めいたテキ屋森山未來)の仕事を手伝うことになる。彼らは山中を歩き回る。テキ屋は右腕が不自由で使えない。彼は少年が銃を持っていると知り、声をかけてきたのだ。それを使って、ある目的を果たそうとしていたのである。

前半の薄暗い室内劇とは一転して、後半は明るい日差しの下でのドラマとなる。ただし、夜になれば闇が訪れる。少年は相変わらず悪夢にうなされるし、テキ屋もやはり何やら苦しみを抱えているようだ。さらに、労働力として売り払われる子供や、やはり戦争の影響なのか、精神を病んだ男が座敷牢に幽閉される姿などを映し、白日の下でも闇が横たわっていることを示す。

本作で注目すべきは、前半で日本人が戦争によって深く傷つけられた被害者として描かれるだけでなく、後半では日本軍が加害者でもあることを明確に打ち出している点だろう。テキ屋が起こす行動によってそれが明らかになる。その時のテキ屋の表情は鬼気迫るものだ。それもまた戦争の罪深さを浮き彫りにする。

終戦直後の日本を描いた映画は、今ヒット中の「ゴジラ−1.0」をはじめ数限りなくある。だが、そのほとんどは被害者としての日本人を描いても、加害者としての視点は描かれない。そうした中で、本作の姿勢は特筆すべきものといえよう。

さらに、この映画の登場人物には名前がない。それは、あの時代の無名の多くの市民の姿を投影したものなのかもしれない。

塚本監督は、被害も加害も含め丸ごとの闇をそのまま提示する。その闇を直視することでしか、戦争の本当の恐ろしさや悲惨さを知ることはできない。きっとそう確信しているのだろう。

撮影は塚本監督自身。手持ちカメラの力強い映像はデビュー作「鉄男」以来変わらない。それが登場人物の心理をリアルに映し出す。

ドラマは、女と少年の再会で一段落する。だが、そこで映画は終わらない。その後、少年は闇市に姿を見せ、たくましさを示す。だが、同時に、傷痍軍人の姿や戦争で心を病んだ人々の姿も映し出す。ここにも単なるお涙頂戴のドラマでなく、戦争の闇を描きたかった塚本監督の意図が見えるような気がした。

それにしても、主演の趣里の演技が見事だ。その演技力の高さは過去の出演作の「生きてるだけで、愛。」などで知ってはいたが、ここまでとは思わなかった。NHKの朝ドラ「ブギウギ」で明るく歌う姿とは一転、狂気を秘めた激しさを繊細に演じる。セリフは最小限のドラマだけに、その演技力の高さが際立つ。全身で主人公の感情を表現している。特にその目力が特徴的だ。少年に心を許し、少しずつ明るくなるところなども出色の演技だ。

少年を演じた塚尾桜雅の目力もすごい。こちらもセリフがほとんどないにもかかわらず、全身で少年の胸の内を表現して圧巻だった。言葉はなくても、彼の考えていることが伝わってきた。復員兵役の河野宏紀、テキ屋役の森山未來などもいずれも素晴らしい演技だった。

塚本監督の反戦への思いは強く、揺るぎがない。その信念がそのまま私たちに伝わってくる。公開規模はけっして大きくないが、間違いなく今年の日本映画を代表する1本だ。

◆「ほかげ」
(2023年 日本)(上映時間1時間35分)
監督・脚本・編集・製作:塚本晋也
出演:趣里森山未來、塚尾桜雅、河野宏紀、利重剛、大森立嗣
ユーロスペースほかにて公開中
ホームページ https://hokage-movie.com/

 


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「首」

「首」
2023年11月24日(金)ユナイテッド・シネマとしまえんにて。午後2時30分より鑑賞(スクリーン5/F-14)

北野武流「本能寺の変」は「アウトレイジ戦国版」。みんなワルでクセモノだらけ

「世界のキタノ」こと北野武監督の新作映画「首」。2017年の「アウトレイジ 最終章」以来の監督作だ。

描くのは本能寺の変。天下統一を目指す織田信長加瀬亮)。だが、家臣の荒木村重遠藤憲一)が反乱を起こし、追い詰められて逃走する。信長は羽柴秀吉ビートたけし)、明智光秀西島秀俊)ら家臣を集めると、自らの跡目相続をエサにして村重の捜索を命じる。やがて村重は捕らえられ光秀に引き渡されるが、光秀はひそかに村重をかくまう。秀吉は徳川家康小林薫)を懐柔しつつ、信長が跡目を譲る気がないことを光秀に伝えて決起を促す……。

本能寺の変を描いた映画やドラマはこれまでもたくさんあった。そんな中で、北野流の本能寺の変はどう描かれたのか。まるで「アウトレイジ戦国版」といった趣だ。登場人物のほぼ全員がワルなのである。

まず織田信長だが、その言動はほとんど狂人である。家臣を恫喝し、暴力を振るい、まさに絵に描いたような最低最悪の暴君。荒木村重に対して、刀に刺した饅頭をほお張らせ、口中を血だらけにさせて喜ぶ。「戦国無双」のカッコいい信長の姿などどこにもないのだ。

家臣たちも信長ほどではないものの、人でなしには変わりがない。羽柴秀吉はあれこれ策をめぐらして天下取りを狙い、邪魔者は情け容赦なく消す。人に対する思いやりのかけらもない。

徳川家康はというと、これがまあとんでもない狸オヤジなのだ。常に替え玉を立てて、自分は安全な場所にいる。敵に自分の本心をさらけ出さないように、徹底して相手を煙に巻く。

それでは本能寺の変を起こす明智光秀はどうかといえば、横暴な主君の信長に振り回されて疲弊し、右往左往する弱い男に見える。だが、その実はこちらも天下を狙ってありとあらゆることをする男だ。荒木村重をかくまったのは、実は彼と恋愛関係にあったから。それが信長との三角関係に発展しそうなこともあって、最後は村重をあっさりと捨て去る。

その他にも、秀吉の弟の秀長(大森南朋)や軍師の黒田官兵衛浅野忠信)、元忍の芸人・曽呂利新左衛門木村祐一)、武士に憧れる農民茂助(中村獅童)など様々な人物が出てくるが、彼らもひっくるめて全員ワル。いみじくも劇中で曽呂利新左衛門が言うように「みんなアホ」なのである。

こういう強烈なキャラたちが権謀術数の限りを尽くす。騙し、騙され、裏切り、裏切られのドラマが続く。その果てに、信長や光秀は情けない死を遂げる。徹頭徹尾、歴史のヒーロー像をぶち壊す。

もちろん史実を踏まえてはいるが、よく考えたらつじつまの合わないこともたくさんある。武将たちの年齢構成もメチャクチャだ。正統派の歴史ファンが見たら腰を抜かしそうだが、固いことを抜きにして見れば文句なしに面白い。北野節が炸裂し、最後の最後まで飽きさせない。

ユーモラスな場面が多いのも北野映画の特徴。例えば、柴田理恵演じるオババが、若い子を引き連れてやって来て家康に好みの女性を選ばせる。しかし、家康は後ろの女がいいという。「後ろ?」。オババが後ろを振り返ると誰もいない。なんとオババが指名されたのだ(実はそのオババがクセモノなのだが)。

家康が戦場でとっかえひっかえ影武者を立てるシーンもまるでコントだ。新しい影武者が出るたびに敵に討たれる。「はい、次」という感じで、次の影武者が立つ。しかし、とうとう一人も影武者がいなくなって、本物の家康が「仕方ない。俺が出るか」。

いやいや、笑ってばかりではない。合戦シーンはものすごい迫力だ。刀での斬り合いも、鉄砲の撃ち合いも、何もかもが桁外れ。

ただし、ボンボン首が飛ぶので気の弱い人はご注意を。何しろオープニングからして、川を首なし死体が流れてくるシーンなのだ。

こうした型破りの戦国絵巻を演じるのは、いずれも有名俳優ばかり。北野武の名前で集めてきたのだろうが、彼らの演技合戦もこの映画の見どころだ。特に信長を演じた加瀬亮の凄まじい演技は特筆もの。あまりの狂気に背筋が寒くなる。

北野武監督らしさが十分に発揮された時代劇で、エンターティメントとしての魅力はタップリだ。まあ、北野監督に違うものを求める人もいるのだろうが、固いこと抜きに楽しめる映画なのは間違いない。

◆「首」
(2023年 日本)(上映時間2時間11分)
監督・脚本・編集:北野武
出演:ビートたけし西島秀俊加瀬亮中村獅童木村祐一遠藤憲一勝村政信寺島進桐谷健太浅野忠信大森南朋六平直政大竹まこと津田寛治荒川良々寛一郎副島淳小林薫岸部一徳
*TOHOシネマズ日比谷ほかにて全国公開中
ホームページ https://movies.kadokawa.co.jp/kubi/

 


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「モナ・リザ アンド ザ ブラッドムーン」

モナ・リザ アンド ザ ブラッドムーン」
2023年11月19日(日)新宿シネマカリテにて。午後3時より鑑賞(スクリーン1/A-10)

~ひたすら自由を求めて逃亡するモナ・リザ。チョン・ジョンソの魅力が炸裂!

最近、アジア系の俳優がハリウッドで活躍するケースが目につく。「モナ・リザ アンド ザ ブラッドムーン」は、イ・チャンドン監督「バーニング 劇場版」で注目を集め、その後Netflix配信の「ザ・コール」「ペーパー・ハウス・コリア 統一通貨を奪え」「バレリーナ」などの作品に出演しているチョン・ジョンソのハリウッドデビュー作だ。

映画の冒頭、スタンダードナンバーの「モナリザ」が流れる。それはこのドラマの主人公の名前だ。

月が赤く輝く夜。森の中の精神科病院モナ・リザ(チョン・ジョンソ)が拘束服を着せられて、床に座り込んでいる。彼女は12年間この施設に隔離されていた。

まもなく女性職員がやって来て、乱暴に彼女の爪を切る。モナ・リザは怒りに震えて彼女を見つめる。次の瞬間、職員はハサミを自らの太ももに突き立てて、悲鳴を上げる。モナ・リザは、目を見ただけで他人の行動を操ることができる特殊能力に目覚めたのだ。

病院から逃走したモナ・リザニューオーリンズにたどり着く。そこで、シングルマザーのポールダンサー、ボニー・ベル(ケイト・ハドソン)と知り合ったことから、彼女の運命は大きく変わる……。

この映画のアナ・リリ・アミリプール監督は、長編監督デビュー作「ザ・ヴァンパイア 残酷な牙を持つ少女」で脚光を浴びたとのこと。私は未見なのだが、「次世代のタランティーノ」とも呼ばれているらしい。

確かに独自の世界観が際立つ。サイケデリックな映像と刺激的な音楽をバックに、強烈なパワーで見るものをスクリーンに引き込む。なかなか個性的な監督だ。特に映像の美しさは出色。随所に挟まれる月の映像も効果的だ。

ドラマは、精神科病院を逃げ出してきたモナ・リザの逃走劇である。モナ・リザは長い間世間と隔絶した世界に置かれていた。当然外界のすべてに対して警戒する。だから、病院を逃げ出した当初の彼女はひたすら攻撃的で凶暴だ。自分の逃走を阻むものには容赦しない。巡査が一度彼女を追い詰めるが、拳銃を自分の足に発砲し重傷を負ってしまう。もちろん、それはモナ・リザがやらせたことだ。

モナ・リザという名前とは裏腹に彼女は微笑んだりはしない。ほとんど無表情で恐怖感や怒りを抱え逃走を続ける。ニューオーリンズの街で謎の男と出会い、彼の着ていたTシャツを奪う(それまではずっと拘束服のまま)。

さらに、シングルマザーのポールダンサー、ボニー・ベルの窮地を救ったことから、彼女の家に寝泊まりすることになる。

モナ・リザがボニーの働くストリップバーで、ストリップを興味津々で眺め、あれこれと質問をするところが面白い。彼女にとって、見るもの聞くものすべてが初めて経験することで、全く知識がないのだ。

ボニーは、モナ・リザの特殊能力を使用して他人の金を奪う。善悪の区別がつかないモナ・リザは無表情で彼女に従う。

そんな中、ボニーの家には彼女の息子チャーリー(エヴァン・ウィッテン)がいた。彼との交流がモナ・リザを少しずつ変えていく。初めて彼女が見せた笑顔が印象的だ。

彼女を病院に連れ戻そうとする警察から必死に逃げるモナ・リザ。スリリングで予測不能なドラマが続く。絶対にワルだと思った男が実はいいやつだったり、絶対に良い人だと思ったボニーがそうでもなかった、というように観客の予想を裏切る展開が続いていく。

逃げ出した最初の頃は、無造作に人を傷つけていたモナ・リザだが、ドラマが進むにつれて少しずつ変わっていく。チャーリーとの温かな交流をはじめ、様々な人との触れ合いが彼女を変えていく。彼女の表情は明らかに最初の頃とは違ってくる。

ただし、ひたすら自由を渇望する彼女の姿には変わりがない。それは、同じく自由を求めたり、自分の居場所を求める人たちの心を揺さぶるのではないか。けっして、正義のヒロインというわけではないが(むしろ最初の頃はダークなヒロインといった感じ)、それでも彼女の逃走につい感情移入してしまう。

ラスト近く、飛行機の中で見せるモナ・リザの笑顔が印象的だ。この先の彼女はどうなるのだろう。余韻を残すドラマだった。

モナ・リザを演じたチョン・ジョンソは、無表情の中に様々な感情を秘めた素晴らしい演技だった。特に無垢さと狂暴性を同居させた演技が絶品。彼女の魅力が十二分に発揮された映画だった。今後も色々なところで活躍しそうだ。

共演のケイト・ハドソンも、複雑な感情を併せ持つ女性を巧みに表現。その演技力の高さを見せつけた。

◆「モナ・リザ アンド ザ ブラッドムーン」(MONA LISA AND THE BLOOD MOON)
(2022年 アメリカ)(上映時間1時間46分)
監督・脚本:アナ・リリ・アミリプール
出演:ケイト・ハドソン、チョン・ジョンソ、エド・スクラインエヴァン・ウィッテン、クレイグ・ロビンソン
*新宿シネマカリテ、ヒューマントラストシネマ渋谷ほかにて公開中
ホームページ https://www.monalisa-movie.jp/

 


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「正欲」

「正欲」
2023年11月17日(金)ユナイテッド・シネマとしまえんにて。午後2時25分より鑑賞(スクリーン1/D-8)

~「普通」でない人たちの生きづらさを描き「普通」とは何かを問いかける

映画のタイトルを聞いてぶっ飛んだ。セイヨク? おいおい、そんなストレートなタイトルにしていいのかよ? いくら何でもマズイんじゃないの?

その後、よく見たら「性欲」じゃなくて、「正欲」なのね。でも、まあ、性欲とも絡んでくる話です。

原作は朝井リョウ柴田錬三郎賞を受賞した小説。それを「二重生活」「あゝ、荒野」「前科者」の岸善幸監督が映画化した。脚本は今回は岸監督ではなく、「あゝ、荒野」で岸監督と組んだ港岳彦。

群像劇である。冒頭に登場するのは佐々木佳道(磯村勇斗)。給水器からコップに注がれた水があふれるのをじっと見つめている。実は、この場面には大きな意味がある。その直後に、電話がかかってくる。彼の両親が交通事故死したというのだ。

こんな調子で、登場人物の名前が映し出されて彼らのドラマが描かれる。広島の実家で暮らす桐生夏月(新垣結衣)は、ショッピングモールで契約社員として働いていた。彼女にはある性癖があった。まもなく夏月は、冒頭に登場した佐々木佳道が地元に帰ってきたことを知る。2人は中学の同級生だった。そして、佳道も夏月と似た性癖を持っていた。

大学生の神戸八重子(東野絢香)は、学園祭実行委員としてダイバーシティフェスを企画する。彼女は極度の男性恐怖症だった。そんな中、学園祭に出演依頼したダンスサークルのメンバーで、準ミスターにも選ばれた諸橋大也(佐藤寛太)のことが気になり出す。大也は孤独な男で、ある性癖を持っていた。

そして、もう1人、彼らを異常とみなし、普通であることを旨とする検事の寺井啓喜(稲垣吾郎)のドラマも描かれる。彼は不登校になった息子の教育方針をめぐって、妻と衝突していた。

というわけで、変わった性癖を持っていたり過去のトラウマで苦しむ4人と、それと対極にある1人のドラマが描かれる。

原作は読んでいないが、おそらく映画化するには相当な苦労があったと推察する。難しいテーマを扱っているし、群像劇ということもあってドラマ的な盛り上がりにも欠ける。下手をすれば観念的なドラマになりがちだし、逆にエンタメに走り過ぎれば陳腐な映画になってしまう。

その点、岸監督は実にバランスの良い映画に仕上げている。エンタメでありながら、テーマ性もきちんと追求している。

そのテーマとは何か。「普通」とはいったい何なのかということである。夏月、佳道、八重子、大也の4人は、世間から見たら「普通」でない人たちだ。それゆえ、世間からはなかなか理解されず孤独で、生きづらさを抱えている。

映画はその生きづらさをリアルに描き出す。特に夏月たちの性癖に関して、水のイメージ映像や音などを使い巧みに表現。にわかには共感できなくても、何となく彼らの苦しみや悩みが伝わってくるはずだ。人に理解されないということが、いかにつらいことなのか。まるで地球に降りてきた異星人のように、世間になじめず、疎外感を味わっていることがわかる。

彼らは押しなべて無表情で無口だ。胸の内には世間への怒りや恐れがあるが、それを悟られないように装う。だが、その隙間から感情が漏れ出てくる。時には、それが爆発することもある。

それらを表現する役者たちの演技が見事だ。しぐさや表情のわずかな変化で、自らの胸の内を表現する繊細な演技だ。特に新垣結衣は、過去に演じたことはなかったであろう難役に挑んで成功している。彼女にとって、ターニングポイントになる作品かもしれない。

東野絢香も素晴らしい演技だ。彼女が佐藤寛太に自らの気持ちをぶつけるシーンはあまりにもスリリングで、目が釘付けになってしまった。磯村勇斗佐藤寛太も言わずもがなの迫真の演技だった。

そして、彼らとは対照的に、いわゆる「普通」の人間を演じた稲垣吾郎のたたずまいも印象深い。彼は観客である私たちと近い立場にある。彼が体現した「普通」でない人に対する無理解と傲慢さは、間違いなく私たち自身の姿である。しかし、ドラマが進むにつれて、そんな彼の「普通」の概念が揺らぎ始める。

後半は、それまで孤独だった夏月と佳道が、わずかな糸を手繰り寄せるように結びつく姿を描く。それまで何度か描かれた中学時代の光景のように、2人は離れがたい存在だったのだ。彼らは世間に溶け込み、世間の枠の中で自由に生きる術を獲得する。

そこで、2人が、「普通」の人が行うある行動の真似事をするシーンが面白い。夏月が一度やってみたかったというのだが、ユーモラスであると同時に、彼らが強く結びついていることを再確認したシーンである。

その後、ドラマは波乱の展開を迎える。このドラマで最大の大きな出来事と言える。

ただし、そこでの展開はちょっと疑問。サスペンスとしてああいう展開になるのはわかるが、明確な証拠もないのに被疑者とするのは不自然にも思えた。

ついでに言わせてもらえば、全体に突っ込み不足のエピソードがあるのも事実。しかし、これは群像劇ということもあって、仕方のないところかもしれない。

最後に用意されたのは、夏月と寺井の緊迫の対話。その果てに、それでも彼女の心に変化がないことを示す。こうして、かすかな希望の灯をともしてドラマは終わる。考えようによっては、ぶつ切りのような終わり方だが、それがかえって深い余韻を残す。

多様性が叫ばれる昨今。それでも世間は「普通」でない人を理解できず、無意識のうちに排除しようとする風潮があるように思う。そんな中、はたして「普通」とは何なのかを問うたのが本作だ。

誰しも他人とは違うところがあるわけで、それを考えればみんな「普通」ではないともいえる。それでは「普通」の境界線はどこにあるのか。「普通」という言葉は何を意味するのか。この映画を通して考えさせられた。文句なしの秀作である。

◆「正欲」
(2023年 日本)(上映時間2時間 14分)
監督・編集:稲垣吾郎新垣結衣磯村勇斗佐藤寛太、東野絢香山田真歩宇野祥平渡辺大知、徳永えり、岩瀬亮、坂東希山本浩司、鈴木康介、森田想、佐々木茜、遠藤たつお、伊東由美子、滝口芽里衣、齋藤潤、潤浩、白鳥玉季、市川陽夏
*TOHOシネマズ 日比谷ほかにて全国公開中
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「さよなら ほやマン」

「さよなら ほやマン」
2023年11月15日(水)新宿ピカデリーにて。午後2時より鑑賞(スクリーン10/D-8)

~B級コメディー映画と思いきやパワフルで熱い真っ当な青春ドラマ

「さよなら ほやマン」。タイトルとそのPRビジュアルだけを見て、B級コメディー映画だとばかり思っていたのだが、何だか高評価の声が相次ぎ傑作と評する人まで現れたとなれば、これは観に行かないわけにはいかないだろう(時間がちょうどよい映画が、これぐらいしかなかったということもあるのだが)。

宮城県石巻市の離島を舞台にしたドラマだ。豊かな海に囲まれた美しい島で暮らす兄弟。兄のアキラ(アフロ)は一人前の漁師を目指して修業中。弟のシゲル(黒崎煌代)は知的障害があり船に乗ることができない。2人は両親が行方不明で借金を抱えているが、叔父のタツオ(津田寛治)や近所に住む春子(松金よね子)らに支えられて、何とか暮らしてきた。

そんなある日、一人の女性が島にやって来る。漫画家の美晴(呉城久美)だった。何やら訳あり風の彼女は兄弟に出会うと、2人の家を売ってくれと言い出す。そして、手付金として50万円を渡す。兄弟が決断するまでの間、美晴は家に住み着き、3人は奇妙な共同生活を送る……。

まあ、とにかくパワフルな映画だ。のっけからエネルギーに満ちている。アキラとシゲルの日常を面白おかしく描くのだが、2人ともとにかくエネルギッシュ! おかげでコントのような日常が繰り広げられる。

そして、2人の食事はほとんどカップラーメンばかり。これは借金まみれのせいかと思ったら、そうではないことが後になってわかる。

映し出される離島の風景は、ひたすら美しい。だが、同時にそこは船で石巻まで1時間ほどの距離があり、生活物資にも限りがある。不便を感じて出て行く者も多いが、アキラは島に留まっている。それは家と家族を守らなければならないという使命感からだ。

その使命感はどこから来たものなのか。実は兄弟の両親が行方不明になったのは震災のときだった。揺れが始まってすぐに船を沖に出すことを決めた父親は、アキラを同行しようとした。だが、アキラがためらっているのを見た母親が、自分が行くと言ったのだ。そして両親は行方不明になった。

アキラはその罪の意識もあり、家と弟を何が何でも守ると決めた。それは同時に自分のことに関しては何も考えず、決められたレールの上を進むということだった。

ちなみに、彼がカップラーメンばかり食べているのは、両親が行方不明になった海のものは食べないと決めたからだ。シゲルもそれに倣っている。

そんな中、突然、美晴がやって来る。彼女は破天荒で、自分のやりたいようにしなければ気が済まない女性だった。行動も乱暴で暴力的。アキラとシゲルに対しても遠慮なしに、自分の意志を貫こうとする。

そんな美晴に出会って、アキラの心にさざ波が立ち始める。彼は震災以来初めて、自分のことを考えて、自分に向き合わざるを得なくなる。このままでいいのかと。

映画の中盤、とにかく金を稼がねばと考えたアキラは、美晴から受け取った頭金50万円をつぎ込んで撮影機材等を買い込む。YouTubeを始めようというのだ。ネタにするのは、かつて父親が考え出した地元キャラのホヤマン。自分はクリエイティブなことがやりたかったと言い、張り切って動画をアップする。はたしてその結果は……。

これが長編デビューとなる庄司輝秋監督は、オールロケによる美しい映像をバックに、ユーモラスでパワフルでエネルギッシュなドラマを構築した。時にアニメなどの小技も挿みながら、アキラの千々に乱れる心理を巧みに映し出す。

同時にその他の人物のドラマも盛り込む。例えば、美晴の暴力の背景には親の暴力があったらしいことが示唆され、今もそれが彼女を苦しめていることが描かれる。また、春子はかつて島を出て行くと言ったアキラたちの父を引き留めたことから、ずっと罪の意識を抱えていることが明らかになる。

そして映画の終盤、ついにアキラは家を売って島を出る決意をする。だが、そこで発覚した衝撃の事実!!!

その後に訪れるクライマックスが圧巻だ。アキラが震災を追体験し、自らがそれに向き合うのだ。そこでのアキラの壮絶な叫びに、アニメが乗り、さらにフリージャズの演奏がバックに流れる。凄まじいパワーを感じさせる場面で、ただ見とれるしかなかった。庄司監督の熱い思いに圧倒された。

さりげなくも、ごく自然な後日談も心に染みた。アキラは確実に以前の彼とは変化したのだ。

主役のアキラを演じたアフロは、「MOROHA」というバンドのミュージシャン。今回初めて知ったのだが、お世辞にも演技がうまいとは言えないものの、その存在感は抜群だった。アキラにはこの人しかいなかったと思わせる演技だった。

美晴を演じる呉城久美は、NHKの朝ドラなどに出演していたらしいが、この人も今回初めて知った。ヤサグレ感漂う中に、ひたすら何かに対して怒っているような演技が絶品だった。ホヤを食うときの食いっぷりもなかなかだ。

シゲル役の黒崎煌代、そしてタツオ役の津田寛治、春子役の松金よね子の奥行きある演技も印象に残る。

庄司監督は石巻出身とのこと。震災を含め様々な思いがあったのだろう。それをぶつけた本作は、熱気にあふれた素晴らしい青春映画に仕上がった。タイトルだけ見て軽視していたが、良い意味で予想を裏切られた。おみそれしました!

◆「さよなら ほやマン」
(2023年 日本)(上映時間1時間46分)
監督・脚本:庄司輝秋
出演:アフロ(MOROHA)、呉城久美、黒崎煌代、津田寛治、澤口佳伸、園山敬介、松金よね子
新宿ピカデリーほかにて公開中
ホームページ https://longride.jp/sayonarahoyaman/

 


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「私がやりました」

「私がやりました」
2023年11月8日(水)TOHOシネマズ シャンテにて。午後7時40分から鑑賞(スクリーン1/D-12)

~殺人事件を利用して成り上がる女たち。社会問題を取り込みつつ気楽に笑えるコメディー

「8人の女たち」「スイミング・プール」など次々に多彩な映画を送り出すフランソワ・オゾン監督の新作は、1930年代のパリを舞台にしたクライムミステリーだ。

同じ部屋に住む若手女優のマドレーヌ(ナディア・テレスキウィッツ)と駆け出しの弁護士のポーリーヌ(レベッカ・マルデール)。どちらも仕事がなくお金に困っていた。今日も今日とて大家が家賃の催促に訪れるが、ポーリーヌは支払うことができない。

やがて外出していたマドレーヌが戻る。有名映画プロデューサーの自宅に行き、役をもらえることになったものの、プロデューサーに迫られて逃げ出してきたという。

まもなくマドレーヌの恋人のタイヤメーカーの御曹司が訪れるが、彼はお金のために政略結婚に応じ、マドレーヌは愛人にするという。それを聞き絶望するマドレーヌ。

そんな中、2人の自宅を刑事が訪れる。映画プロデューサーが自宅で銃殺される事件が起きたのだ。それはマドレーヌが訪れていた、あのプロデューサーだった。

マドレーヌは容疑者として取り調べを受ける。最初は犯行を否認するがポーリーヌと作戦を立てる。それは、犯行を利用して成り上がる策だった。マドレーヌは一転して犯行を認め、裁判では「プロデューサーに襲われて自分の身を守るために撃った!」と供述する。そして、ポーリーヌの巧みな弁舌もあり無罪の評決を勝ち取る。

それを機にマドレーヌは悲劇のヒロインとしてスターの座を手に入れる。ポーリーヌも話題の人となり、弁護士の仕事が相次ぐようになる。

ここまでがドラマの前半。売れない女優とダメダメ弁護士が、有名映画プロデューサー殺人事件を利用して、売れっ子の座を勝ち取る。いわばピンチをチャンスに変えたわけである。

この映画は徹底して1930年代の雰囲気を追求している。セットやファッション、音楽、そして映画の作り自体も当時を意識している。劇中で登場する映画なども当時の作品だ。しかも、セリフ回しは当時のスクリューボールコメディーのよう。その会話の妙に、クスクス笑いながら引き込まれてしまった。

若手女優役のナディア・テレスキウィッツと駆け出し弁護士役のレベッカ・マルデールの演技も見事だ。いかにも当時の女優(ちょっとオマヌケ)の雰囲気をまとったテレスキウィッツ、隠れた悪賢さをちらつかせるマルデール。2人が判事などを相手に大仰にやり取りする様は、とにかく面白おかしい。特に裁判での応酬は見せ場たっぷりだ。

そして後半は、いよいよあの人が登場する。そう。大女優のイザベル・ユペールだ。彼女が扮するのは落ちぶれた無声映画のスター女優オデット。オデットはプロデューサー殺しの真犯人は自分だと告白する。そして、マドレーヌとポーリーヌがスターになったのは自分の犯行のせいなのだから、分け前をよこせと要求する。

これがまあ、さすがに絶妙の演技なのだ。周りをコケにしながらひたすら己の主張を通そうと突き進む。それでも嫌な女にならずチャーミングに見せる。遊び心あふれるその演技に感服。本当にこの人、シリアスからコメディーまで何をやらせてもうまいなぁ。マドレーヌもそうだけれど、女優が女優を演じる面白さもある。

終盤は、すったもんだの挙句、3人が立てた作戦が遂行される。そのターゲットはマドレーヌの恋人の父親。これまた、傑作な作戦で笑ってしまう。

ラストは、人気女優となったマドレーヌと、首尾よくカムバックを果たしたオデットが舞台で共演する。これがプロデューサー殺人事件を想起させる内容で、これもまた傑作な内容。最後まで笑いっぱなしだった。

さらに、エンドロール前に新聞の見出しで、主要登場人物のその後を知らせる気の利いた演出。ほとんどの人間が、ろくな人生を歩んでいないのを見て、ここでもまた笑ってしまったのだ。

と、笑ってばかりいたものの、実はこの映画には真摯なテーマ性もある。裁判でポーリーヌは当時の女性の置かれた酷い立場を切々と訴える。それに抗するには、まともな方法ではダメだから、彼女たちは手を組んで巧妙な作戦で男性社会と闘ったのだ。しかも、芸能界における性加害という現代にも通じる社会問題も扱っている。

そういうテーマ性をマジな映画の中で描くのではなく、古風なコメディー映画の中で描くおしゃれ心が素晴らしい。オゾン監督の本領発揮というところだろう。オゾン監督らしい同性愛的なさりげない描写もある。

社会問題を取り入れつつ、気楽に笑えるコメディー。まあ、イザベル・ユペールの怪演だけでも見て損はないです。

◆「私がやりました」(MON CRIME)
(2023年 フランス)(上映時間1時間43分)
監督・脚本:フランソワ・オゾン
出演:ナディア・テレスキウィッツ、レベッカ・マルデール、イザベル・ユペールファブリス・ルキーニダニー・ブーンアンドレ・デュソリエエドゥアール・スルピス、レジス・ラスパレス、オリヴィエ・ブロシュ、フェリックス・ルフェーヴル、ミシェル・フォー、ダニエル・プレヴォ、エヴリーヌ・バイル、ミリアム・ボワイエ、フランク・ドゥ・ラペルソンヌ
*TOHOシネマズ シャンテほかにて公開中
ホームページ https://gaga.ne.jp/my-crime/

 


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