映画貧乏日記

映画貧乏からの脱出は可能なのだろうか。おそらく無理であろう。ならばその日々を日記として綴るのみである。

「さとこはいつも」

 

私が製作に協力した映画が来年1月に公開になります。具体的には企画スタート時にプロットを書いたのですが、それが大九明子監督・脚本、永作博美主演の映画「あきらめません!」になりました。平凡な主婦が市議会議員になるという社会問題も盛り込んだエンタメ映画です。ぜひ劇場でご覧ください。

 

eiga.com

 

「さとこはいつも」
2026年10月5日(月)池袋シネマ・ロサにて。午後12時20分より鑑賞(シネマ・ロサ2/C-6)

~年齢も環境も違う3人の「さとこ」の物語。誰の人生にだってドラマがある

 

そして今日取り上げる映画は「さとこはいつも」。監督・脚本は「横道世之介」「南極料理人」「さかなのこ」など数々の映画を監督してきた沖田修一。2006年に「このすばらしきせかい」で長編監督デビューしてから20周年の沖田監督が、その節目に完全オリジナルで撮った作品。

 

 

タイトルの「さとこ」が平仮名になっているように、漢字がそれぞれ違う3人の「さとこ」という女性を描いたドラマだ。3つの物語で構成されたいわゆるオムニバスだが、単なるオムニバスとは違う。面白いことに3人の「さとこ」が相互に関係しあって、物語が転がっていくのだ。そのあたりが実に心憎い仕掛けだ。

最初のドラマはアレルギー性鼻炎で耳鼻科に通う中学3年生、15歳の聡子(姫野花春)が主人公。その冒頭シーンが強烈だ。鼻炎持ちの聡子が耳鼻科でネブライザー(吸入器)を鼻に入れているシーン。私も耳鼻科によく通うのだが、鼻に管を差して、口を開けたその表情は何となく間抜け。このシーンを見ただけで自然に笑ってしまうのである。

そして、そこにやって来たのが聡子の同級生の男の子。2人揃ってネブライザー。2人揃って間抜け顔。それが縁で聡子は、その子を好きになってしまうのだ。

そんな聡子は歌舞伎鑑賞の授業に臨む。しかし、爆睡して歌舞伎を見ていなかった。国語教師の寺尾(吉田羊)から感想文を提出するように言われて困った彼女が、何とか書いて提出すると、寺尾は「見ていなかった人のうちで一番伝わる」と変な褒め方をする。そして、寺尾は聡子に文章を書くように勧めて課題を出すのだ。題して「好きな食べ物へのラブレター」。聡子は自分の恋を、好きな食べ物の塩辛に託して文章を書く。続いて与えられた課題は「遺書」。聡子は自分の病気の話を書くのだが、これもまあ傑作なのだ。

というようにユーモラスでウィットに富んだドラマ。いかにも沖田監督らしい世界だ。聡子が作文を書くうちに、どんどん妄想が膨らんで、それが映像で流れるに至ってはもはや沖田監督の独壇場。しかも、それが現実にも面白いドラマを巻き起こすのである。人生ってドラマだよなぁ~、とつくづく思わせられる聡子のドラマなのであった。

お次は映画配給会社で働く35歳の沙都子(有村架純)のドラマ。韓国カルチャーが大好きで、韓国ドラマを見つつ、「いやいや、現実にこんなことはないでしょ」とツッコミを入れる彼女。仕事でも韓国映画を扱うが、そのPR手法を巡って若手社員と対立してしまう。しかも私生活では、村本(オダギリジョー)との不倫関係が6年も続き、こちらも何やら停滞期。

そんな中、ある事件が起きて沙都子は入院してしまう。そこで隣のベッドにいた女性が沙都子の不倫話を聞き、「まるでドラマみたい!」と言ったのをきっかけに、沙都子は自分の不倫のことを客観的に書き始める。

別れた村本に無理やり会って、過去の出来事を取材する件などこれまた笑うしかない展開。病院でパソコンに向かう沙都子の向こう側で、過去の村本との出来事がガラス窓に映し出されるぶっ飛んだ仕掛もある。

そうするうちに現実にも、まさしく韓国ドラマも真っ青の凄い出来事が起きてしまうのだ。いやぁ~、本当に人生ってドラマだわぁ、とこれまたつくづく思わされた。

そして、3つ目のパートは、55歳の専業主婦、里子(石田ひかり)の物語。大学卒業後すぐに重明(筒井道隆)と結婚して3人の子育てに追われてきたが、いよいよ今日、末っ子が高校を卒業して子育ても一段落。自分へのお祝いの花束など買ううちに、かつて自分が小説家志望だったことを思い出す。

近所に一軒だけあった書店。そこの店番のお兄さんにあこがれて、足繁く通ううちにお兄さんの読んでいた本が気になり、そのうち自分も本好きになった里子。そんな自身の過去を小鳥の物語としてファンタジックに書き始める。

そのお兄さんは言った。「誰でも、一冊なら、自分の本が書けるんだって。そう考えると、ここにある本は、そのほんのわずかだよね。てことは、この世には、生まれてこなかった物語が、無数にあるってことでしょ?」

これこそが沖田監督が伝えたかったことではないだろうか。聡子、沙都子、そして里子のドラマを通じて、文章を書くことの素晴らしさだけでなく、人間にはそれぞれの人生の物語があることを示したのだと思う。どんなに平凡に見えても、それはドラマに違いないのだ。そういう意味で、本作は人生讃歌と呼べる映画かもしれない。

3人の「さとこ」の交差のさせ方も秀逸。最初はほんの軽い関わり方しかしないと思わせておいて、その後により深い関り方を見せる。ラストにはこの3人を文章教室で机を並べるシーンで締める。これまたお見事!

3人の「さとこ」を演じた姫野花春、有村架純、石田ひかりの演技が出色だ。特に姫野の冒頭のシーンだけで心をつかまれた。よくもまあ、あんな存在感のある子役を発掘したもの。さらに風変わりな国語教師役の吉田羊、沙都子の不倫相手役のオダギリジョー、そして里子の夫役の筒井道隆なども素晴らしい演技。

石田と筒井はかつてのテレビドラマ「あすなろ白書」以来の共演ということで話題のようだが、2人で語り合うシーンを長回しでじっくり描いたシーンは、夫婦の重ねてきた年輪を思わせる味のあるシーンだった。

沖田監督らしい映画だ。ユーモラスでポジティブで観終わって心が温かくなった。笑顔で映画館を後にした。

◆「さとこはいつも」
(2026年 日本)(上映時間2時間18分)
監督・脚本:沖田修一
出演:有村架純、石田ひかり、姫野花春、黒田大輔、宮部純子、泉有乃、大月美里果、小川冬晴、青木柚、川瀬陽太、島田桃依、中井友望、中村優子、細田佳央太、鳴海唯、高田万作、飯島翔太、古舘寛治、吉田羊、オダギリジョー、筒井道隆
*TOHOシネマズ 日比谷ほかにて公開中
公式ホームページ https://happinet-phantom.com/satoko/
(外部のサイトに移動します。外部のサイトの内容については責任を負いませんので)

 


www.youtube.com

 

*はてなブログの映画グループに参加しています。よろしかったらクリックを。

 

*にほんブログ村に参加しています。こちらもよろしかったらクリックを。

 にほんブログ村 映画ブログへ にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ
にほんブログ村

「ファーストボイス」

「ファーストボイス」
2026年10月2日(金)新宿ピカデリーにて。午後2時15分より鑑賞(スクリーン7/C-9)

~日本初のセクハラ裁判の行方を描く。社会派とエンタメを融合させた前田哲監督の真骨頂

 

「ファーストボイス」は、1989年に提訴された日本初のセクシュアル・ハラスメント裁判に着想を得て、社会の常識に異議を唱え新たな未来を切りひらいた女性たちの奮闘ぶりを描いたドラマ。とくればお堅い社会派映画を想像しがちだが、そうではない。何しろ監督は「こんな夜更けにバナナかよ 愛しき実話」など、社会派ドラマとエンターティメントを融合させた作品で知られる前田哲。本作でもその職人芸的な手腕が冴えわたる。

冒頭は法廷シーン。弁護士の朝日道子(綾瀬はるか)が遅刻して、子連れで慌てて法廷に飛び込んでくる。ワンオペ状態で家事と子育て、そして仕事をこなす朝日の現状を示すとともに、彼女の人間臭さを面白おかしく描き、さらに女性がハラスメント裁判で勝利することの難しさを伝える秀逸なオープニングだ。

一方で、上原恵(ファーストサマーウイカ)という女性が様々なところに訴訟を持ちかけるものの、「前例がない」と相手にされない場面が映される。そんな時、女性のために事務所を開設した弁護士の新聞記事が彼女の目に飛び込んでくる。それが朝日だった。上原は朝日のもとに向かう。

上原はもともと不動産会社に勤務していたが、当時の常識として女性は結婚までの腰掛で、大した仕事を与えられない現状に嫌気がさし、タウン誌の編集部に転職したのだ。ところが、年下の彼女が仕事ができることに嫉妬した編集長が、あれやこれやと嫌がらせをし、根も葉もない噂をばらまいて、彼女を退職に追い込んでしまったのである。上原は編集長と社長を訴えたいという。

朝日は話を聞いて前向きに考えるが、同じ事務所の新人弁護士・藤野栞(松本穂香)は「勝ち目がない」と反対する。それでなくても、朝日はお人好しでお金にならない案件ばかりを受けていた。

しかし、朝日は北原の熱意を評価し、弁護を引き受けることにする。それに反対した藤野は他の弁護士事務所に移籍する。

このあたりまでの筆致はさすがに前田監督。コンパクトにきっちりと必要事項を盛り込み、難しい話は絶妙に避けて観客の興味を引き付ける。序盤から大袈裟なぐらいの描写を繰り出し、エンテメ性を担保している。

同時に、北原に対する仕打ちが当時は常識といってもいいものであり、社会全体がセクハラを「公認」していたことを印象付ける。

特に興味深いのは、北原がボディコン衣装に身を包んでいることだ。「そんな恰好をしているから……」と被害女性を批判するのは今でもある言説だが、当時はもっとひどかった。そうした時代性をきっちり描き、社会的視点も失わない。

さらに、朝日自身のドラマも描く。彼女は3人の子供を抱えているが、同じ弁護士の夫は「家事は女性がするのが当たり前」という当時の常識を受け入れ、何もしていなかった。それが朝日の奮闘ぶりを知るうちに、少しずつ変わっていく。

さて、前例のないセクハラ裁判をどう闘うのか。そこでは支援者の存在が大きい。朝日は有能な女性弁護士や支援者を集め、体制を整える。そこには困難もある。人々の思惑が食い違い、内部分裂の様相を呈することもある。それを朝日のまっすぐな気持ちが修復する。他の事務所に移っていた藤野も、女性の置かれた立場を思い知らされ、再び戦列に加わる。

北原の心境も複雑だ。訴訟に向けた強い気持ちは変わらないものの、心は様々に惑う。何しろ、セクハラの実態を暴くには事実を赤裸々に語らねばならない。それは恥ずかしいことでもあった。朝日の勧めで匿名の「A」として裁判を闘うことにするものの、週刊誌等は興味本位で彼女のことをかき立てた。

その後、いよいよ裁判が始まる。しかし、ここでも苦難が続く。北原が遭った被害の詳細を語ってくれる証人がいないのだ。勤務先の元同僚たちはみんな尻込みし、アルバイト社員だった吉井だけが頼りだったが、現在の職場に気兼ねして証言を拒否していた。それを翻意させたのも朝日の熱意だった。吉井は編集長が北原にしたことを証言する。

ところが、会社側はとんでもない策に出る。スポンサー企業の社長にでたらめな証言をさせ、朝日たちを窮地に追いつめる。

そんな中、弁護団や支援者の思いはすれ違い、またしても空中分解寸前。はたして裁判の行方は?

後半の法廷劇が始まっても、エンタメの醍醐味は失わない。正義VS悪という図式を取りつつ、正義側を徹底的に不利な状況に追い込む。そこからどう逆転するかが見どころ。観客は自然に朝日たちを応援したくなる。

そしてもちろん社会派の側面も失わない。特に最終弁論で朝日が述べたことはまさに正論。思わず「その通り!!」と叫びたくなる。「誰もが差別を受けることがない社会の実現」。社会的メッセージとして重い意味を持つ言葉だ。しかも、そこで朝日が北原と同じボディコンスーツで登場する痛快さよ!

ラストはこの一件をきっかけに、女性を取り巻く環境が改善されたものの、依然としてセクハラとの闘いが続いていることが告げられる。この映画で描かれた過去の出来事と、現代をきちんとつないでみせるのである。

綾瀬はるかはこういう役が巧い。お人好しで元気がよく、時に暴走気味になるところなど、実に魅力的なキャラを演じている。「レッツ・ビギン!」の掛け声が何ともユーモラス。

北原役のファーストサマーウイカもなかなかの存在感。微妙な感情の揺れなど、脚本に書かれていない部分も多いのだが、それを見事に演じ切っていた。

この2人に加え、弁護士たちや支援者たちを演じた俳優も個性的。そして、何よりも編集長役の水川かたまり(空気階段)、被告側弁護士役の筒井道隆など、悪役たちがいいキャラをしているのもこの映画を面白くしている理由だ。

社会的テーマを扱いつつ、エンタメ映画としても面白い。前田哲監督の面目躍如といった映画。いまだにセクハラをはじめハラスメントが横行する時代だけに、十分に観る価値のある作品だと言えるだろう。

◆「ファーストボイス」
(2026年 日本)(上映時間1時間45分)
監督:前田哲
出演:綾瀬はるか、ファーストサマーウイカ、松本穂香、峯村リエ、山田真歩、工藤阿須加、水川かたまり、鈴鹿央士、迫田孝也、酒向芳、木村多江、筒井道隆
*新宿ピカデリーほかにて全国公開中
公式ホームページ https://movies.shochiku.co.jp/firstvoicemovie/
(外部のサイトに移動します。外部のサイトの内容については責任を負いませんので)

 


www.youtube.com

 

*はてなブログの映画グループに参加しています。よろしかったらクリックを。

 

*にほんブログ村に参加しています。こちらもよろしかったらクリックを。

 にほんブログ村 映画ブログへ にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ
にほんブログ村

「ナギダイアリー」

「ナギダイアリー」
2026年9月25日(金)イオンシネマ板橋にて。午前10時50分より鑑賞(スクリーン12/C-11)

~深田晃司監督が2人の女性の生き様や迷いを描き、様々なテーマを観客に提示した作品

14日に引っ越して、28日にようやくインターネットの工事があり、これでようやく元通りの生活ができると思いきや、一向にネットがつながらない。あれやこれや調べてやってみたものの、すべてダメ。どうするのだ?と思いつつ、最後の手段でルーターを買い換えてみたらようやくネットにつながった。

そういうわけで、久々に投稿する作品は「ナギダイアリー」。今や海外の映画祭の常連となった深田晃司監督の作品だ。深田監督はかつて平田オリザ率いる劇団「青年団」の演出部に所属していた。その縁もあってか、本作は平田の書いた戯曲で第39回岸田國士戯曲賞を受賞した「東京ノート」に着想を得た作品。今年の第79回カンヌ国際映画祭コンペティション部門に出品された。

舞台となっているナギという町は、岡山県の奈義町をモデルにしており、ロケも現地で行われた。タイトルだけ見ると、穏やかで温かな癒し系のドラマを想像するかもしれないが、何しろ深田監督の映画だ。ひと味違う。

冒頭近く、自衛隊の車両が町を走っていく。そう。この町には自衛隊の駐屯地があるのだ。自衛隊は年中演習を行っている。その砲弾の音がひっきりなしに聞こえてくる。それがこのドラマに不穏さと緊張感を加えている。

とはいえ、ナギは自然豊かな町。湖沼では水鳥がえさをついばみ、人々の心を癒す。ただし、自然の厳しさもある。風が強いこの町では作物を栽培するのには適さず、人々は牧畜で生計を立ててきた。

また、この町はアートの香りに彩られて立派な美術館もある。そこではイベントなども企画されて、多くの人で賑わっている。しかし、その原資は自衛隊の駐屯がもたらしたもの。要するに自衛隊なしではやっていけない町なのだ。

そんなナギに友梨(石橋静河)という女性がやって来るところからドラマが始まる。彼女はこの町で暮らす彫刻家の寄子(松たか子)を訪ねてきた。友梨は寄子の弟と結婚して台湾で建築家の仕事をしていたが、今は離婚して日本に帰って来ていた。寄子の元義理の妹である。そんな関係なのに、周囲がいぶかるほど2人は今でも仲が良く、今回、友梨は寄子の彫刻のモデルをすることになっていた。

というわけで、友梨が約1週間、町に滞在している間の出来事を綴るのが本作である。

友梨は当初数日だけ滞在すると思われた。しかし、それが次第に伸びる。どうやら彼女には悩みがあるらしかった。寄子の弟と台湾で仕事をしている間、彼女はあくまでも夫のサポート役を脱することができず、それがどうにも気になりだした。自分は何者なのか。建築家としてもっと違う道があるのではないか。その悩みを今も引きずっていた。

友梨は寄子のモデルを務めるとともに、町の様々な場所を訪れる。そうするうちに彼女の心が少しずつ変わっていく。

一方、穏やかに暮らしているように見える寄子だが、彼女が現在地に至るまでには様々なことがあった。かつて彼女はこの町で暮らし、同性の恋人がいたが、美術大学進学を機に東京に出た。その後、恋人は男性と結婚してしまった。寄子は東京で働いていたが、親の介護などもあり、この町に戻ってきた。その胸中には複雑な思いがあるらしかった。

こうして2人の女性の生き様や迷いを深田監督は、丁寧に描き出していく。そこにはジェンダーや性差別、アイデンティティー、性的マイノリティーなど、社会的課題も含めていくつかのテーマが横たわっている。

また、このドラマには2人の少年が登場する。寄子に絵を習う(川口和空)と同級生で不登校の圭太(藤原聖)だ。春樹の父親の好浩(松山ケンイチ)は町役場に勤務し、寄子と幼なじみだった。一方、圭太は自衛隊員の息子だった。

彼らを描く深田監督の筆致は冷静だ。被写体から距離を取り、客観的な視点を失わない。後半は、いわゆる夢オチ的な場面も出てくるが、現実との境目が曖昧なのも印象深い。寄子の彫刻の製作過程や、カメラの原点といわれるカメラオブスクラなどの小道具も巧みにドラマに折り込んでいる。友梨の歌う台湾語の歌や台湾語も独特の風情を生み出している。それらを通して、寄子や友梨の心理の奥に入り込み、ナギの町の陰影を際立たせていく。

終盤、この2人の少年の思わぬ行動が波紋を巻き起こす。そこで寄子は、自分の過去を2人に見出し、大胆な行動に出る。そこでは町の古い価値観と自由な恋愛との対立という図式が見える。また、春樹の父親の好浩のかなり風変わりな恋愛模様なども描かれる。

ラストは友梨のある決断が描かれる。それは彼女にとっての最終決断なのか。あるいはいましばらくのモラトリアムなのか。そこも色々と想像させる。

深田監督は安易な結論を導き出したりはしない。あくまでもいくつかのテーマを提示し、観客の思考に委ねる。答えを出すのは観客自身だ。それは深田監督の作品に共通する特徴であり、比較的わかりやすい作品だった前作「恋愛裁判」でも同様だった。

俳優では何といっても松たか子と石橋静河が素晴らしい。二人芝居のようなところも目立つが、これが実に見事。2人とも言外にある心情を感じさせる演技だった。

地方都市を舞台にした癒し系の映画と早とちりしてはいけない。2人の女性の心理の変遷を中心に、テーマ性も持ち合わせた深田監督らしい映画といえる。観終わって、色々なことを考えさせられた。

◆「ナギダイアリー」
(2026年 日本・フランス・シンガポール・フィリピン)(上映時間1時間50分)
監督:深田晃司
出演:松たか子、石橋静河、川口和空、藤原聖、藤間爽子、水間ロン、申瑞季、松山ケンイチ
*新宿ピカデリーほかにて全国公開中
公式ホームページ https://starsands.com/nagidiary
(外部のサイトに移動します。外部のサイトの内容については責任を負いませんので)

 


www.youtube.com

 

*はてなブログの映画グループに参加しています。よろしかったらクリックを。

 

*にほんブログ村に参加しています。こちらもよろしかったらクリックを。

にほんブログ村 映画ブログへ にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ
にほんブログ村

「ルックバック」

「ルックバック」
2026年9月17日(木)イオンシネマ板橋にて。午後1時35分より鑑賞(スクリーン7/D-8)

~2人の少女の瑞々しい友情物語。アニメ化もされた漫画を是枝監督が実写映画化

 

おかげさまで引っ越しは終わったものの、部屋は依然として段ボールの山。しかもインターネットが28日にならないと開通しない状況。それでも何とか映画館に行ったのだが、これがまあ一番近い映画館でも40~50分もかかるとあって困ったものだ。

何はともあれ鑑賞したのは是枝裕和監督の「ルックバック」。藤本タツキの漫画が原作。ちょっと前にはアニメ化されて話題になったばかり。それをわざわざ是枝監督が映画化してどうするのだ?というのが観る前の感想だった。

漫画が好きな2人の少女の友情物語である。とはいえ、しばらくの間は藤野という女の子しか出てこない。小学4年生で自信家の藤野は漫画が大好きで、学年新聞に4コマ漫画を連載して大人気だった。周囲の「漫画家になればいい」という声にもまんざらではない様子の藤野。

ある時、先生から不登校の漫画が好きな子がいるので、学年新聞の連載を一度譲ってくれないかと頼まれる。ところが、京本というその子の描いた漫画は、はるかに自分の画力を越えていた。自分より絵が巧い子がいるのは許せないと、藤野はその日から必死に絵の勉強をする。しかし、結局京本の画力を上回ることはできずに、藤野は漫画を描くことを諦める。友達と遊びに行ったり、姉の通う空手教室に自分も通うなど漫画以外の生活を楽しむ。

そして、ついに卒業の日。藤野は先生から京本の家に卒業証書を届けてくれないかと頼まれる。渋々承諾する藤野。京本の家に行くが、呼んでも誰も出てこない。しかし、そこで不思議なことが起きて、帰ろうとする藤野を必死で呼び止める声がする。京本だった。彼女はなんと藤野の漫画のファンだという。「藤野先生」と呼び、サインをしてくれという。色紙がないからと、着ていた半纏の背中にサインを求める。

というわけで、ここから藤野と京本の友情物語が展開する。それまでの藤野中心のドラマでも繊細かつ瑞々しく少女の心理状態が映しとられていたが、藤野と京本2人のドラマになってもそれは不変だ。特に京本に「先生」と言われて有頂天になった藤野が意気揚々と雨の中を走るシーンが鮮烈。是枝監督らしさが十二分に発揮されている。

是枝監督といえば、子役を使うのがうまいことで定評がある。今回、藤野と京本を演じた七瀬ふうりと岡田六花が抜群の存在感を発揮している。もちろん本人たちの演技力も確かなのだろうが、是枝監督の演出力もさすがだ。

いったんは漫画を諦めていた藤野は、京本と知り合い一緒に漫画を描くようになる。普通に中学に通う藤野と、部屋に引きこもる京本。だが、漫画を描く時が一番の喜びなのは2人とも共通だった。そんな2人のかけがえのない日々を瑞々しく映し出す。

2人は新人漫画コンクールに応募する。ペンネームは「藤野キョウ」。そして、見事に賞を獲得する。

2人が受賞を知るシーンも秀逸だ。コンビニで漫画雑誌(少年ジャンプ)を開き、賞の発表のページを確認する2人。それをコンビニのガラス越しに無音で映し出す。藤野と京本の喜びがいっそう際立つ演出だ。

その後、もらった賞金で町へ遊びに行く2人。ほとんど引きこもりだった京本にとって、それは初めてといってもいい外の世界との接触だ。怖さと戸惑いを感じながら、藤野に導かれるように一歩を踏み出す京本。そこであふれる光を効果的に使って、藤野の輝きを見せる演出も素晴らしい。

これだけでも実写映画化した意味のあるシーンだ。それ以外の場面でも光が効果的に使われる。秋田県にかほ市を中心に撮影された美しい自然も、2人の友情を彩る。桜、雪、海、白鳥などが印象的に配される。観客の情緒をそこはかとなく刺激する音楽も見事だ。

藤野は京本によって一度は捨てた漫画への情熱を呼び戻され、京本は藤野によって初めて外の世界に触れることができた。お互いになくてはならない存在。漫画を介した2人の絆は切っても切れないように見えた。

だが、読み切りを何本か書き、いよいよ連載となった時、2人の関係にひびが入る。あくまでも漫画家としてプロになりたい藤野と、絵がうまくなりたい京本。京本は美術大学に進みたいと言う。

そこから先は衝撃の展開が待っている。それまでの瑞々しい友情物語とは違うドラマが展開する。そして、ありえたかもしれないもう1つの世界を描き(アニメなども取り入れ)、切なさを押しつけがましくなく際立たせる。

藤野はなぜ漫画を描くのか。その答えを安直に明かしたりはしない。しかし、かけがえのない京本との絆があったからこそ、彼女は再び漫画に向き合うのだろう。

成長した藤野と京本を演じる出口夏希と蒔田彩珠もいい。特に感心したのは、子供時代を演じた七瀬ふうりと岡田六花と何の違和感もなくドラマに溶け込んでいるところだ。これも是枝マジックのなせる業か。

先生役の宮藤官九郎、藤野の両親役の野呂佳代と池田良、編集者役の菅田将暉など脇役を輝かせているのも見事だ。

是枝監督らしい映画だった。実写ならではの良さが至る所に炸裂している。なるほどこれなら実写映画化した意味があるな、と納得した。


www.youtube.com

◆「ルックバック」
(2026年 日本)(1時間33分)
監督・脚本・編集:是枝裕和
出演:出口夏希、蒔田彩珠、七瀬ふうり、岡田六花、野呂佳代、池田良、佐々木みゆ、山田真歩、宮藤官九郎、菅田将暉
*TOHOシネマズ 日比谷ほかにて全国公開中
公式ホームページ https://k2pic.com/film/lb/
(外部のサイトに移動します。外部のサイトの内容については責任を負いませんので)

 

*はてなブログの映画グループに参加しています。よろしかったらクリックを。

 

*にほんブログ村に参加しています。こちらもよろしかったらクリックを。

 にほんブログ村 映画ブログへ にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ
にほんブログ村

引っ越し・・・

訳あって引っ越しすることになり、その準備でとんでもないことになっている日々です。

 

なので、映画館にも行けないし、ブログも書くことができません。皆さんのブログを訪問することもままならず。

 

そんな中、押し入れの奥にしまっていた昔の資料を出したてみたら、珍しいものが次々に・・・。

 

これは昔アントニオ猪木が北朝鮮の平壌でプロレス興行をやった時のパンフレット。

しかし、なぜこんなものが家にあるのか謎???????

 

ああ、こんなことをやっているから準備がはかどらないのだ。やばい!

 

「顔 -かお-」

「顔 -かお-」
2026年8月28日(金)新宿武蔵野館にて。午後12時35分より鑑賞(スクリーン1/A-7)

~40年前に失踪した「醜い顔」の母の死の真相。社会と人間を視座に置いたサスペンス

 

「新感染 ファイナル・エクスプレス」のヨン・サンホ監督が、2018年に発表した自身のグラフィックノベルを映画化した韓国のサスペンス映画「顔 -かお-」。

篆刻家(てんこくか)のイム・ヨンギュ(クォン・ヘヒョ)は、盲目でありながら美しいはんこを彫り名匠と称賛されている。そのヨンギュの証言から映画が始まる。彼は現在、テレビのドキュメンタリー番組の取材を受けている最中だった。プロデューサーのスジン(ハン・ジヒョン)が質問をする。傍らではヨンギュの息子のドンファン(パク・ジョンミン)が見守っている。

ヨンギュは美しいはんこを彫る名匠だった。自身の作品については饒舌だった。だが、ドンファンの子育てについてはなぜか口が重い。

そんな中、突然、警察から連絡が入る。40年前に姿を消した母チョン・ヨンヒの白骨死体が見つかったという。ドンファンが警察に行くと、殺人の疑いもあると言われる。だが、そうだとしても事件はすでに時効になっていた。

葬儀の日、疎遠だった母の親戚たちがやって来る。母の遺産の取り分を放棄しろと言うのだ。母は幼い時に金品を盗んで家を出た。それで縁は切れたと彼らは主張した。そして、さらには母が「醜い顔」していたと言うのだ。母の遺影に写真はなかった。

この一件を葬儀場で聞いていたのが、プロデューサーのスジンだった。彼女の興味はヨンギョンの人となりを描くドキュメンタリーから、ヨンヒの死の謎を追うドキュメンタリーに変わっていた。テレビ局の上役の了承も得た彼女は、ドンファンにも声をかけて当時のヨンヒの関係者に証言を求める。

まずは当時父のはんこ店の向かいにあって、ヨンヒが勤務していたという工場の同僚たちに話を聞く。そこではヨンヒが「便所紙」と呼ばれていたことを知る。しかも、その顔は「化け物のように醜かった」という。彼女は明らかに差別されていた。

さらに、その後は同じ工場に勤務していた縫製師に話を聞く。すると、そこで意外な事実が明らかになる。そこで、ヨンヒが何をしたのかも明かされる。

そして、彼らはいよいよ、ヨンヒの失踪に深くかかわるらしい工場の元経営者に会いに行く……。

というわけで、幾人かの関係者のインタビューを通して謎が解き明かされていく展開。そこでは回想として当時の映像もたびたび登場する。

実は、本作では回想シーンに登場する母のヨンヒの「醜い顔」は、なかなか出てこない。ヨンヒは巧妙に顔が映らないカットで登場し、その顔は謎のままだ。それが観客の興味を引く役割を果たしている。ヨンヒはどんな顔をしていたのか。

とはいえ、ミステリー的な魅力にはやや欠けるかもしれない。事件の全容は比較的早期に見えてきてしまう。

ただし、問題はそこで何が起きたかだ。韓国のかつての高度経済成長期。劣悪な労働環境の下、労働者はひたすら上の命令に従うしかなかった。しかも、経営者は横暴を極め、労働者は泣き寝入りを余儀なくされた。そこには性暴力という今につながる問題もある。

しかし、そんな中、ひたすら正義を信じて不正を告発しようとした人物がいた。その人物は自身が差別され、蔑ろにされてきた過去を持つだけに、不正が許せなかったのだ。しかし、それに呼応する者はいなかった。むしろその人物に対する差別はひどくなる。追い詰められた弱い者が、さらなる弱い者をターゲットにして抑圧するのは昔も今も同じ構図である。

そして、もう1人、差別を受けてきた人物がいる。2人の差別を受けてきた人物の交流は微笑ましく、心が和むが、その先に待ち受けているのは地獄だ。周囲の人間たちの中に潜む偏見と悪意が2人の関係をこじらせ、取り返しのつかないものにしてしまう。

かくして芸術家の芸術への思いは妄執となり、虚しくスクリーンの中をさまようのだ。

そして、最後の最後にようやくヨンヒの顔が明かされる。それは意外なものだった。そこで衝撃とともに襲ってきたのは絶望感だった。人間とはこれほど残酷なものなのか。弱者が弱者を差別し、支配するまさに狂気がそこにある。

ヨン・サンホ監督の視座は一貫して、社会と人間の内面に置かれている。高度経済成長期の矛盾、性暴力、ルッキズム、差別、人間の偏見と悪意、集団心理の恐ろしさなどを、サスペンスの形を借りてあぶり出した力作だ。

ヨンギュ役のクォン・ヘヒョは、ホン・サンス監督の映画には欠かせない存在。酒ばかり飲む気のいいオジサンという役どころとは一転して、妄執に取りつかれた芸術家を見事に演じ切っていた。こういう役もうまい。

息子ドンファン役のパク・ジョンミンは、若き日のヨンギュも演じている。シン・ヒョンビン、イム・ソンジェ、ハン・ジヒョンらの脇役ともどもいい味を出している。特に、ヨンヒを演じたシン・ヒョンビンは顔を見せずして、抜群の存在感を発揮していた。

◆「顔 -かお-」(THE UGLY)
(2025年 韓国)(上映時間1時間43分)
監督・脚本:ヨン・サンホ
出演:パク・ジョンミン、クォン・ヘヒョ、シン・ヒョンビン、イム・ソンジェ、ハン・ジヒョン
*新宿武蔵野館ほかにて公開中
公式ホームページ https://kao-movie.com/
(外部のサイトに移動します。外部のサイトの内容については責任を負いませんので)

 


www.youtube.com

 

*はてなブログの映画グループに参加しています。よろしかったらクリックを。

 

*にほんブログ村に参加しています。こちらもよろしかったらクリックを。

にほんブログ村 映画ブログへ にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ
にほんブログ村

「左利きの少女」

「左利きの少女」
2026年8月17日(月)新宿武蔵野館にて。午後12時より鑑賞(スクリーン1/A-6)

~ショーン・ベイカー監督の長年の創作パートナーがついに単独映画監督デビュー。5歳の少女の目線で描くきらびやかな台北の夜市と大人たちの苦悩

 

「ANORA アノーラ」でアカデミー賞を獲得したショーン・ベイカー監督。彼と大学時代に知り合い、キャリアの初期から作品に関わってきたのが、台湾出身のツォウ・シンチンだ。2004年の「テイクアウト」では共同監督を務め、「タンジェリン」「フロリダ・プロジェクト 真夏の魔法」などでは製作を担当した。

そのツォウ・シンチンが初めて単独で監督を務めた作品が「左利きの少女」である。アメリカ、イギリス、フランス、台湾の合作映画だが、台湾の台北が舞台で実質的には台湾映画と言っていいだろう。ショーン・ベイカーはツォウ監督とともに共同脚本を手掛けるとともに、製作と編集にも携わっている。

あるシングルマザーと2人の娘の物語だ。5歳のイージン(ニーナ・イエ)は、母親のシューフェン(ジャネル・ツァイ)、姉のイーアン(マー・シーユエン)と共に、台北に引っ越してきた。シューフェンは夜市で麺屋台を開き、イーアンはビンロウ売りの店に勤め始める。そんなある日、イージンは昔気質の祖父から左利きをとがめられ、「左手は悪魔の手」と叱責される。それから、イージンは左手を使ってちょっとした悪事を繰り返すのだが……。

このドラマの凄いところは何といっても映像だ。シングルマザーのシューフェンが麺屋台を出す台北の夜市の映像が素晴らしい。台北に実在する「通化街夜市(臨江街夜市)」でロケを行った映像で、iPhoneを駆使して撮影。それは5歳の少女イージンの目線で捉えた風景で、極彩色に彩られ、実に美しく躍動感にあふれた映像だ。それを見ているだけで心が浮き立ってくる。まるで自分もイージンと一緒に夜市を巡っているような気分になる。この映画のメインビジュアルに使われているが、姉のイーアンのバイクに乗ってイージンが台北の街を疾走する光景なども心を湧き立たせる。

無邪気なイージンは生き生きと街を歩く。だが、その無邪気さと裏腹に大人たちは様々な苦悩や欲望、悲しみを抱えている。

例えば、母のシューフェンのもとには元夫が入院したという報せが入る。彼はかつて多額の借金を残して消え、シューフェンがその返済に追われた過去がある。イーアンは相手にするなと言うが、「他に身寄りがない」とシューフェンは病院に通う。イーアンはそれに強く反発する。

一方、そのイーアンは高校もやめてしまい、どこか投げやりだ。今はビンロウ売りの店に勤めていた。噛みタバコのようなもので、きわどい格好をした女性がそれを売る。しかも、彼女は店のオーナーとつきあっていた。オーナーは「妻がいたが離婚した」らしい。

どちらも男社会に翻弄され泣かされている母と姉。だが、もちろんイージンはそれを知る由もない。それでも彼女の目に映る光景が大人たちの苦労の一端を物語る。イージンの周囲の錯綜した人間関係や金銭絡みの話が、次第に浮かび上がってくるのである。

そんな中、イージン自身も苦悩を抱える。台北に戻って早々、3人はシューフェンの実家に挨拶に行く。そこで、イージンが利き手の左手で食事をしていると、昔気質の祖父から「左手は悪魔の手で汚れている。矯正しろ」と言われてしまう。

もちろん、左手が悪魔の手などというのは迷信だ。それは保守的な世間の風潮を象徴するものかもしれない。シューフェンやイーアンが男社会に泣かされるのと同様に、イージンは保守的な風にさらされるのだ。

イージンは左手を気にするようになる。包丁を左手に当てたり、左手を布で包み隠したりもする。ところが、面白いことに彼女は同時に変わった行為に走る。なんと左手でちょっとした悪事を働くのである。左手は自分とは違う悪魔の手。だから、悪いことをしても仕方がないと開き直り、免罪符にしてしまうわけだ。

そして、ここでも軽快に悪事を働くイージンが生き生きとユーモラスに描かれる。このタッチは映画の全編を通して不変だ。躍動感にあふれ、そしてユーモラス。特にイージンの行動が笑いを巻き起こす。彼女は彼女なりに一生懸命に動くのだが、さすがに子供のやることだけにピントが外れてしまう。そこがなんともおかしい。

ドラマが進むにつれてシューフェンは苦境に立たされる。屋台の賃料をため込み、にっちもさっちもいかなくなる。実家に借金を申し込むが断られる。そこで事態を動かすのが、なんとイージンの悪事なのだ!この展開はなかなか秀逸で痛快だった。

そして終盤には中国、台湾映画でよく見られる家族による大宴会のシーンが用意されている。イージンの祖母の誕生会だ。シューフェンは新しい彼氏を連れてくる。この雑貨店主がクズ男どもの中で数少ないまともな男で、何ともいい味を出している。こういう人物を配しているところに、作り手の温かな視線を感じさせる。

そこではイーアンに関して大騒動も起きる。これまた保守的な男社会を象徴する出来事だ。その挙句に、イーアンの口から驚愕の事実が明かされる。まさかそんなことになっていたとは……。さすがにこれにはビックリだった。

優しくて明るいエンディングも心地よい。イージンのダンスが周囲の人々の心を和ませるだけでなく、観客の心も温かくする。

イージンを演じたニーナ・イエは台湾の人気子役。これが抜群に可愛い。しかも、可愛いのに加えて、演技もうまいから参ったもの。人気になるのもわかる。姉イーアンを演じたマー・シーユエンは、本格的な演技はこれが初めてだとか。とてもそうは思えない演技だった。母シューフェンを演じたジャネル・ツァイともども、繊細な心理描写が素晴らしかった。

この映画の冒頭にはイージンが見る万華鏡の絵が映る。舞台となる夜市はその万華鏡のように鮮やかに輝く。しかし、その反面、そこには社会の理不尽さに直面して苦悩する大人たちがいる。それをあぶり出しながら、子供の目線を貫き、ユーモアも忘れないところにこの映画の魅力がある。光と影、大胆と繊細、シリアスとユーモラスのバランスがとても良い。ツォウ・シーチン監督、初の単独監督作品にして素晴らしい映画を撮ったものである。

◆「左利きの少女」(左撇子女孩/ LEFT-HANDED GIRL)
(2025年 アメリカ・イギリス・フランス・台湾)(上映時間1時間48分)
監督:ツォウ・シーチン
出演:ニーナ・イエ、マー・シーユエン、ジャネル・ツァイ、ブランド・ファン、アキオ・チェン、チャオ・シンヤン、シア・トンホン
*新宿武蔵野館ほかにて公開中
公式ホームページ https://cinema.starcat.co.jp/left-handed-girl/
(外部のサイトに移動します。外部のサイトの内容については責任を負いませんので)


www.youtube.com

 

*はてなブログの映画グループに参加しています。よろしかったらクリックを。

 

*にほんブログ村に参加しています。こちらもよろしかったらクリックを。

 にほんブログ村 映画ブログへ にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ
にほんブログ村