映画貧乏日記

映画貧乏からの脱出は可能なのだろうか。おそらく無理であろう。ならばその日々を日記として綴るのみである。

「ホモ・サピエンスの涙」

ホモ・サピエンスの涙」
2020年11月21日(土)新宿武蔵野館にて。午後3時20分より鑑賞(スクリーン1/A-9)

~まるで動く絵画のような人類の悲喜こもごも

今回はかなり変わった映画を取り上げる。一般的な映画の枠を超えた映画といえるかもしれない。いくつかのエピソードが登場するものの、ドラマらしいドラマはない。それでも、そこからは人間の様々な側面が浮かび上がってくる。スウェーデンの奇才ロイ・アンダーソン監督によるヴェネチア国際映画祭銀獅子賞(監督賞)受賞作「ホモ・サピエンスの涙」である。

アンダーソン監督は「散歩する惑星」「愛おしき隣人」「さよなら、人類」からなるトリロジーが日本でも公開されている。それらも相当に変わった作品だったが、今回はさらにそれを凌駕するユニークさなのだ。

時代も性別も年齢も異なる様々な人々の、ある瞬間を切り取った作品である。その最大の特徴は映像美にある。アンダーソン監督はCF出身で、元々その映像美には定評があったが、今回はものすごいことになっている。

この映画は全33シーン。そのすべてをワンシーンワンカットで撮影しているのだ。しかも、ロケではなくセット撮影だという。駅の待合室やホーム、シベリアの凍てつく大地など、どう見てもロケにしか見えない場面も多いが、それもまたセット撮影らしい。そのため細部までこだわり抜いた、絵画のような映像を生み出すことに成功している。

なかでも目を引くのが、マルク・シャガールの名画「街の上で」にヒントを得た場面。廃墟となった街の上空を抱き合ったカップルが飛翔する。幻想的な空間の向こう側から、少しずつカップルが飛んでくる映像は、息を飲むほど美しく妖しい。

それ以外にも様々な人物によるエピソードが登場する。特に印象的なのがナレーションでも語られるように問題を抱えた人々だ。

例えば、神を信じられなくなった牧師は、自分がキリストのようにはりつけにされる悪夢を見て精神科医に相談する。女の浮気を疑っているらしい男は、魚売り場で突然、女に激しく平手打ちを食らわす。銀行が信用できずに、ベッドの下にお金を貯め込む男が登場したかと思えば、靴に問題を抱えた女性は意を決して裸足で歩きだす。雨に降られて子連れで往生する父親なども映される。

戦争に関するシーンも多い。敵に追い詰められた瞬間のヒトラー。兵士によって支柱に縛られて命乞いをする男。吹雪の中、シベリアの捕虜収容所に向かって歩く敗残兵たち。前述の空中飛翔するカップルの眼下にあるのも、戦火によって廃墟となった街である。

反対に心が躍るエピソードもある。駅のホームのベンチに一人寂しく座る女性の前に急ぎ足の男性が来て2人は再会する。レストランから流れる音楽に合わせて通りがかりの3人の若い女性が楽し気に踊り、客たちが拍手をする。ビリー・ホリデイの「all of me」を聞きながらシャンパンを飲む女性の幸せそうな顔も印象的だ。

そうした数々のエピソードにはさしたるドラマ性もなく、突如として終わるエピソードも多い。それぞれのエピソードに関連性があるわけでもない。それでも、そこからは人間の様々な喜びや悲しみが感じとれる。なるほど、「ホモ・サピエンスの涙」というタイトルにあるように、ここには人類の悲喜こもごもが詰まっているに違いない。

アンダーソン監督は、特にそれらを肯定も否定もしない。人間の愚かさや滑稽さや喜びをそのまま淡々と映すだけだ。

とはいえ、暗さは微塵もない。むしろアンダーソン監督の過去作と同様にユーモアがみられる。その多くはシュールな笑いだが、レストランでひとりで食事をする初老の男が災難に見舞われるシーンでは、まるでドリフのコントのような笑いが飛び出したりもする。

動く絵画のようなアートな作品だ。こんな映画はアンダーソン監督にしか撮れないだろう。なので、美術館で絵画を鑑賞するような気持で劇場に行った方がいいかもしれない。スクリーンを見つめるうちに、その魅力から離れられなくなる人もきっといるはず……。

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◆「ホモ・サピエンスの涙」(OM DET OANDLIGA/ABOUT ENDLESSNESS)
(2019年 スウェーデン・ドイツ・ノルウェー)(上映時間1時間16分)
監督・脚本:ロイ・アンダーソン
出演:マッティン・サーネル、タティアーナ・デローナイ、アンデシュ・ヘルストルム、ヤーン・エイェ・ファルリング、ベングト・バルギウス、トーレ・フリーゲル
新宿武蔵野館ほかにて公開中
ホームページ http://www.bitters.co.jp/homosapi/

 

「泣く子はいねぇが」

「泣く子はいねぇが」
2020年11月20日(金)グランドシネマサンシャインにて。午前11時30分より鑑賞(シアター9/F-9)

~大人になれない男の迷走はナマハゲとともに

秋田には確か仕事で一度だけ、それも日帰りで行ったのみだと思う。なので現地のことはほとんど知らないのだが、それでも男鹿半島の伝統行事であるナマハゲの存在は知っている。仮面をつけて藁の衣装をまとった男たちが「泣く子はいねぇが」と子供たちに迫るヤツである。

そのナマハゲが効果的に使われている映画がある。タイトルはズバリ「泣く子はいねぇが」。これまで短編映画で評判を取ってきた佐藤快磨監督のオリジナル脚本による長編デビュー作で、あの是枝裕和監督率いる映像制作者集団「分福」が企画協力している。さらに、エグゼクティブプロデューサーには、「新聞記者」「MOTHER マザー」などで知られるスターサンズの河村光庸が名を連ねている。デビュー作にして、これだけのサポートが得られるのだから、佐藤監督、なかなかの才能の持ち主と見た。

ドラマは秋田の男鹿半島でスタートする。冒頭で早くもナマハゲ登場。家々を回って子供たちに向かって「泣く子はいねぇが」と叫ぶ場面が登場する。

続いて、主人公のたすく(仲野太賀)が市役所に現れる。娘の出生届を出しに来たのだ。しかし、すでに玄関は閉まっており時間外窓口のようなところへ行く。そこから早くもこの男の負のオーラが浮き彫りになる。

家に帰れば、娘とともに妻のことね(吉岡里帆)が待っている。だが、この夫婦、すでに何やら険悪な雰囲気だ。いかにも頼りなさそうなたすくに、ことねはひどく苛立っている。

そんな中、大晦日の夜に、たすくはナマハゲの祭りに参加する。ことねとは「酒を飲まずに早く帰る」ことを約束していた。しかし、酒を断ることができずに泥酔したたすくは、日頃の鬱憤を晴らすかのようにナマハゲの面を付けたまま全裸で街へ走り出してしまう。しかも、その姿がテレビで全国に放送されてしまったのだ。

ことねに愛想を尽かされ、地元にもいられなくなったたすくは、逃げるように東京へと向かう……。

全裸で走り出すのはともかく、酒を飲んで失敗するのはよくあること。それよりも問題は、以前からことねとの間に隙間風が吹いていたことだろう。だが、そのあたりの経緯は一切描かれない。

実は、それこそが本作の重要なポイントではないだろうか。もしも、たすくのダメさを示すエピソードを列挙すれば、彼が特別な人間に思えてきて観客との距離が離れてしまう。それをしなかったことで、彼がどこにでもいる普通の男で、しかも「もしかしたら自分と似ているかも……」と観客に思わせる効果を発揮しているように思える。そうした共感こそが、この映画の面白さを倍加させるのではないか。

その後、ドラマは東京に出て2年後のたすくにフォーカスする。相変わらず彼は頼りなさげだ。それでも、酔いつぶれて自宅に泊めた後輩の女の子に迫られて、思わず「俺、娘いる!」と告白する。ただし、その際に「さっきのこと誰にも言わないで……」と懇願するのがまた情けないのだが。

その後、地元の友人・亮介(寛一郎)から、元妻のことねの消息を聞いたこともあり、たすくの中に「ことねと娘に会いたい」という思いが強くなる。そして、彼はついに地元に戻るのだ。

ここからは、過去を謝罪してことねとヨリを戻そうとするたすくの姿が描かれる。とはいえ、それは苦難の道のりだ。たすくの存在は地元の人々にとって忘れたい存在であり、たすくはひたすら「ごめんなさい」と謝ることしかできない。金も仕事もないたすくには何もできない。夜の店で働いているらしいことねにも、なかなか会うことができない。

厳しい現実にもがき苦しみ、迷走し、挫折するたすく。佐藤監督はそんなたすくをはじめ登場人物の心理を繊細に見せる。セリフ量は少ないのだが、どれも実感のこもったセリフばかり。さらに、そこに込められない微妙な感情まで表現していく。セリフとセリフの絶妙の間が印象的だ。閉塞感漂う地方の映像も巧みに取り入れられている。

本作にはユーモアもタップリ詰まっている。冒頭近くの市役所の職員もどことなく変だし、亮介が密漁した魚介を買い取る民宿の男もどう見ても怪しい。そんな奇妙な人々が生み出すオフビートな笑いをはじめ、思わずクスクス笑いしてしまう場面が随所にある。

たとえ過去の過ちがあっても、いやだからこそ、たすくの真摯な思いには嘘がないはず。それでも人生は甘くはない。愚直で不器用なたすくが取り得る行動は限られている。彼は自分の思いを貫こうとする。

終盤で特に印象的だったのが、海辺に止めた車の中でのたすくとことねの会話だ。たすくにとっては最後のチャンスであり、ことねにとっても大きな岐路となる場面。両者の揺れ動く気持ちがそのまま伝わってきて胸が締め付けられた。今年の日本映画の名シーンの1つではないだろうか。

そしてラストには予想外のシーンが待っていた。最後のたすくの咆哮。それはまさに彼の心の叫びであり、彼にとってのけじめであり、ようやく彼が成長したことを物語る場面でもある。

主演の仲野太賀は、こういう役をやらせたらピカイチだ。根っからのいい人なのだが何かが足りない。どこか空回りしている。そんなたすくを完璧に演じている。また、ことね役の吉岡里帆も素晴らしい演技。表面的には毅然としつつも、内面では揺れ動く気持ちをきちんと表現していた。「見えない目撃者」に続く好演だ。温かくおおらかに接する母・せつ子を演じた余貴美子、適度な距離感でサポートする友人・亮介役の寛一郎らも存在感を発揮している。

観ているうちにたすくが自分にそっくりに思えてきた。大人になれない大人。優柔不断で頼りない男。はい。それは私です。結婚もしていないし子供もいないけれど、最初から最後までたすくに共感しまくりだったのはそのせいだろう。特に終盤はあまりのリアルさに胸苦しくなるほどだった。

私のように共感しまくりの男性も多いはず。いやいや、女性も共感できるのでは?だって、周りにこういう男はたくさんいるものね。きっと。

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◆「泣く子はいねぇが」
(2020年 日本)(上映時間1時間48分)
監督・脚本・編集:佐藤快磨
出演:仲野太賀、吉岡里帆余貴美子柳葉敏郎寛一郎山中崇、田村健太郎、古川琴音、松浦祐也、師岡広明、高橋周平、板橋駿谷、猪股俊明
新宿ピカデリーほかにて全国公開中
ホームページ https://nakukohainega.com/

「タイトル、拒絶」

「タイトル、拒絶」
2020年11月19日(木)新宿シネマカリテにて。午後12時45分より鑑賞(スクリーン1/A-8)

~女たちの放つ凄まじいエネルギーに圧倒される群像劇

舞台劇の映画化作品は多いが、すべての作品が成功しているとはいいがたい。それでも、劇団イキウメの「太陽」入江悠監督)、「散歩する侵略者」(黒沢清監督)、劇団THE SHAMPOO HATの「葛城事件」(赤堀雅秋監督)など、印象に残る映画も多い。

そんな中、劇団「□字ック」(「ロジック」と読む)が2013年に初演した舞台劇「タイトル、拒絶」がこのほど映画がされた。同劇団の主宰・脚本・演出・役者を務める山田佳奈が、自ら脚本と監督を担当している。

都内の雑居ビルにあるデリヘル店を主な舞台とした群像劇である。いきなりインパクトの強い映像が登場する。「悪質なポン引きが増えています……」などと書かれた看板の横に下着姿の主人公カノウ(伊藤沙莉)が立ち、カメラに向かって自身の心境を吐露する。実は彼女、デリヘル店に体験入店したものの、最初の客に相対すと怖気づいて逃亡したのだ。だが、その後はなぜかスタッフとしてデリヘル嬢たちの世話係をするようになる。

店にいるのは個性派のデリヘル嬢ばかりだ。ひたすら明るく笑う売れっ子のマヒル恒松祐里)、プライドが高くすぐにケンカ腰になるアツコ(佐津川愛美)、最も年上のシホ(片岡礼子)などなど。一方、店長の山下(般若)はじめ男性スタッフたちも、相当なクセモノ揃いだ。

そんな人々のぶつかり合いを描く本作だが、タイトルの「タイトル、拒絶」とは、自分の人生にタイトルを付けられることを拒絶するカノウの心理を表現したもの。そして、本作自体も安直なタイトルが似合わない映画といえるだろう。

群像劇だから、誰かひとりに焦点を当ててその人生を突き詰めるわけではない。明確なメッセージ性を持った映画でもない。様々なテーマ性は見て取れるが、それらを徹底して追求するわけでもない。それでも、登場人物たちのぶつかり合いの中から、人間のたくましさと同時に痛々しさが伝わってくるのである。

まず印象的なのがセリフだ。「こんなところで働いている以上、社会不適合者ですよ」「女に生まれた時点でもうダメなんです」「他人の人生をお金で買って、自分の中のゴミを燃やしてもらうの」といった女たちのセリフはあけすけで自虐的だが、それでも世の中の真実をズバリと突いている。女性を商品化する社会、男の本性、女のダメさなど社会と人間の本質に触れるセリフが満載なのだ。

ドラマが進むにつれて女たちの背負ったものもチラリと見えてくる。マヒルはかつて母の愛人と関係を持っていたという。今は妹が彼女に金をたかりに来る(この妹も何だか怪しい)。シホは妻子ある男性と関係を持ち、相手はその後離婚したという。それ以外のデリヘル嬢やスタッフたちも様々な事情を抱えている者が多い。

この店に集う人々は、社会的評価からすれば底辺に位置する人々だろう。しかも、どん詰まりの人生を送り、虐げられ、冷たい視線を浴びている。それでも、精一杯見栄を張り、肩に力を入れ、時には自分を偽りながらも生き抜こうとする。山田監督はそんな人々に殊更に共感を寄せるのでもなく、突き放すのでもなく、一定の距離感を保って映し出す。そこからそれぞれの人物の本性が見えてくる。

それにしても、カノウはなぜここに留まっているのだろうか。本人によれば報酬が良いからとのことだが、事あるごとに山下から怒られ、頭を叩かれ、金まで奪われている。もしかしたら彼女は、就職にも失敗し、男とも一夜の関係しか持てない自分を社会のハズレ者と感じ、店のデリヘル嬢やスタッフたちに同じ匂いを嗅ぎ取ったのかもしれない。あるいは、そこには「自分の方がまだマシだ」という見下す思いもあったのかもしれない。

前半から不穏な空気を醸し出していたドラマだが、後半になると事務所内での恋愛沙汰をはじめ、人間関係がどんどんもつれてマグマが溜まっていく。そして、それがついに爆発する。凄まじい罵り合いと殴り合い、その果てのあわやの場面。

安直な救いや大団円は用意されない。その後の女たちの姿が心をざわつかせる。壮絶な事件を起こす者もいれば、何かを捨て去るように高笑いする女もいる。

一方、カノウは変化を遂げる。おそらく彼女は、ここが自分の居場所ではないことを悟ったのだろう(彼女が使う「たぬき」という表現が面白い)。それを示すのがラストの桁外れの号泣だ。それは彼女の心の叫びであり、新たな旅立ちのホイッスルに違いない。だとすれば、本作はカノウの成長を描く青春ドラマでもあるのだと思う。

社会の底辺の人々を描くといえば、その過酷な状況や悲惨さを哀切タップリに描く作品もあるわけだが、本作はそんな哀切とは無縁だ。何があっても前に進もうとする女たちが発するエネルギーに圧倒される映画である。

そんなエネルギーの源となったのは、言うまでもなく俳優陣の演技である。伊藤沙莉は映画やテレビドラマなどの脇役として注目を集めるが、今回は一段と腰の据わった演技を披露している。先ほども述べたラストの大号泣は圧巻。2019年の第32回東京国際映画祭「日本映画スプラッシュ」部門に出品された本作で、伊藤は若手俳優に贈られる東京ジェムストーン賞を受賞したが、やはりあの大号泣のパワーも大きかったのではないか。

さらに、半端ないヤサグレ感を漂わせる佐津川愛美、酸いも甘いも嚙み分けた感満載の片岡礼子、キャピキャピの裏にある闇を感じさせる恒松祐里など、その他のキャストも存在感ある演技を披露している。

人間のたくましさや醜悪さを映し出し、何よりも破格のエネルギーを発する本作は、個人的に今年の日本映画の中でも印象深い一作になりそうだ。

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◆「タイトル、拒絶」
(2019年 日本)(上映時間1時間38分)
監督・脚本:山田佳奈
出演:伊藤沙莉恒松祐里佐津川愛美片岡礼子、でんでん、森田想、円井わん、行平あい佳、野崎智子、大川原歩、モトーラ世理奈、池田大、田中俊介、般若
*新宿シネマカリテほかにて公開中
ホームページ http://lifeuntitled.info/

「ストックホルム・ケース」

ストックホルム・ケース」
2020年11月18日(水)シネマート新宿にて。午後12時10分より鑑賞(スクリーン1/E-12)

イーサン・ホークの魅力が堪能できるコミカルな犯罪映画

人質が犯人と一緒に長い時間を過ごすうちにシンパシーを感じる状態を心理学用語で「ストックホルム症候群」と呼ぶらしい。その語源となった1973年に起きた事件を描いた実録犯罪ドラマが「ストックホルム・ケース」である。

1973年。スウェーデンストックホルム。何をやっても上手くいかない男ラース(イーサン・ホーク)は、銀行強盗を敢行する。幼い子を持つ行員のビアンカ(ノノオミ・ラパス)ら3人を人質に取り、警察との交渉で犯罪仲間のグンナー(マーク・ストロング)を刑務所から釈放させることに成功する。続いてラースは人質と交換に金と逃走車を要求するが、警察が彼らを銀行の中に封じ込める作戦に出たことで事態は長期化する。そんな中、犯人と人質の関係だったラースとビアンカたちとの間に不思議な共感が芽生え始めていく……。

映画の冒頭から登場するイーサン・ホーク。長髪のカツラを着け、口ひげを生やし、革ジャンを着込んだ姿はヒッピー風。乗り込んだタクシーの運転手からは「これからロックフェスに行くのか?」と声をかけられる。

そんな彼が向かったのは大きな銀行。いきなり銃を持って押し入る。金を盗ってすぐに逃げるかと思いきや人質を取って立てこもる。警察に対して刑務所にいる仲間の釈放を要求し、2人で金を持って逃走しようというのだ。

それにしても、イーサン・ホーク演じるこのラースという男。何とも破天荒だ。どうやら薬を飲んでいるらしく最初からハイテンション。ラジカセをドン!とカウンターに置いて、大好きなボブ・ディランの曲を流す(ディランの曲はその後も何度か登場する)。大声を張り上げて銃をぶっ放すものの、いわゆる凶悪犯とはやや趣を異にする。

相手が攻撃してくれば反撃もするが、自分から他人を痛い目に合わせることには躊躇する。自分たちの逃走を許可しようとしない首相を相手に、「10数えるうちに許可しないと人質を殺す」と脅すものの、いざ10になったら、「明日までに考え直せ」と銃を下すのだ。どう考えても根っからのワルじゃないよなぁ。コイツ。

そんなラースに対して、3人の人質が共感するのがドラマのポイント。特にビアンカは、彼に恋心まで抱くようになる。何しろラースはビアンカに何かと優しいのだ。人質になったビアンカが「子供に会わせて欲しい!」と懇願すると、わざわざ電話をかけさせてやるのである。また、ラースがかつて起こした事件で人助けをしたり、妻子に去られたエピソードなども語られる。彼の人間臭い側面が披露され、それがまたビアンカを惹きつける。

とはいえ、2人が親しくなる経緯がきちんと描けているかといえば疑問。両者の心理描写は表面的であまり深みが感じられない。いきなり2人がキスする場面ではちょっと引いてしまった。いくら長い時間一緒にいたからって、それだけで親しくなるものでもあるまいに。

だが、それでも最後まで観てしまったのは、やっぱりイーサン・ホークの魅力ゆえ。彼が演じなければ、ラースはただのノーテンキなブチ切れオヤジか、間抜けなワルにしか見えなかったかもしれない。とにかく無条件にカッコいいのだ。これならビアンカじゃなくても惚れるやろ。それは「ストックホルム症候群」とは、ちょっと違う気もするけれど。

一見犯罪サスペンスに見える本作だが、緊張感は期待しない方が良い。破天荒キャラのラースが主人公であるのに加え、警察もオマヌケで彼らが実行する作戦はことごとく失敗する。ラースたちも思い通りに事が進まない。しまいにはラースとグンナーが仲間割れする場面まである。これじゃあ、まるでダメダメ比べ。

わずかに緊迫感漂う場面といえば、ラースがビアンカに防弾チョッキを着せて「偽の殺人」を実行しようとするシーンあたり。さらに、「いよいよ逃走か?」という終盤の展開も、それなりにスリリングである。

そもそも作り手は、緊迫のサスペンスなど描く気はなかったのではないか。予測不能のラースの行動や、警察の暴走などを通して人間の滑稽さを描く犯罪コメディーにしたかったのかもしれない。監督・脚本はイーサン・ホークが伝説のトランペット奏者チェット・ベイカーを演じた「ブルーに生まれついて」のロバート・バドロー。後日談もそつなくまとめて、余韻を残してドラマが終わる。

グンナー役の「キングスマン」シリーズのマーク・ストロングビアンカ役の「ミレニアム」シリーズのノオミ・ラパスなども、さすがに存在感のある演技を見せているが、やっぱりこれはイーサン・ホークを見る映画といえるだろう。イーサン・ホークのファンならずとも、彼の魅力を堪能できること請け合いの映画だ。

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◆「ストックホルム・ケース」(STOCKHOLM)
(2018年 カナダ・スウェーデン)(上映時間1時間32分)
監督・脚本:ロバート・バドロー
出演:イーサン・ホークノオミ・ラパスマーク・ストロング、クリストファー・ハイアーダール、ベア・サントス、マーク・レンドール、イアン・マシューズ
*シネマート新宿ほかにて公開中
ホームページ http://www.transformer.co.jp/m/stockholmcase/

「さくら」

「さくら」
2020年11月15日(日)TOHOシネマズ池袋にて。午後1時55分より鑑賞(スクリーン9/E-10)。

~毒気や刺激も織り交ぜつつ描く家族の崩壊と再生

カンヌ国際映画祭では、優秀な演技を披露した犬に贈られる「パルム・ドッグ賞」という賞がある。その名称は、同映画祭の最高賞であるパルム・ドールに由来する。

この事実からもわかるように、映画では多くのワンコが活躍している。西加奈子の小説を「三月のライオン」「ストロベリーショートケイクス」「無伴奏」などの矢崎仁司監督が映画化した「さくら」でも、ワンコが重要な役どころを演じている。なにせ「さくら」というタイトル自体が犬の名前なのである。

ある家族を描いたドラマだ。長谷川家は、父の昭夫(永瀬正敏)、母のつぼみ(寺島しのぶ)、長男の一(吉沢亮)、次男の薫(北村匠海)、長女の美貴(小松菜奈)の5人家族。そのうち次男の薫のモノローグによってドラマが進行する。

薫が年末に実家に帰ってくるところからドラマが始まる。実家には母のつぼみと、妹の美貴がいる。そして、しばらく前に家を出た父の昭夫も帰っていた。4人は食卓を囲むが、どこかギクシャクしている。いったいなぜなのか。そこから家族にまつわる過去の出来事が描かれる。

妹・美貴の誕生、愛犬サクラとの出会い、大きな家への引っ越しなど様々な経験をする家族はまさに幸せ家族だ。太陽のように明るい母、温かく家族を見守る父、スポーツマンで薫にとってヒーローのような存在の一、甘やかされて育った美貴。彼らのキラキラした日常が描かれる。昭夫とつぼみの出会いのエピソードは、サイレント映画のスタイルで描かれたりもする。

そこにはユーモアもたっぷり込められている。夫婦の夜の営みを聞いてしまった幼い子供たちに、つぼみがわかりやすく説明するシーン。昭夫に届いた手紙からつぼみが夫の浮気を疑うものの、実はそれは同級生の“元男子”からの手紙だったというエピソード。そんな笑えるネタがあちこちにある。

同時に、この映画には毒気や刺激もある。例えば、一と薫が風呂場で未知のセックスについて語るシーンでは意味深な表現が使われる。薫は学校の女子に誘われて童貞を失い、その女子とズブズブと体の関係を続ける。一方、美貴はクラスメイトの女子と同性愛的な関係性を持つ。

そして何よりも、この美貴、実の兄の一に対して特別な感情を持っているらしい。一に彼女ができると、激しくそれに嫉妬し、その後にはとんでもない行動に出る。

というわけで、よくある幸せ家族とはひと味もふた味も違う家族の姿だ。いったい次に何が飛び出すのか予測不能。それが不穏な空気感を強めていく。表面的には明るい家族を描きつつも、それはあくまでも過去の話。現在の家族は半ば崩壊しているわけだから、さらに良からぬことが起きることは観客にとって自明の理だろう。

案の定、まもなく悲劇が起きる。一が交通事故に遭うのだ。それをきっかけに家族の運命は狂い始め、ついに彼らはバラバラになってしまう。

そして再び現在の家族。久々に顔を合わせた昭夫、つぼみ、薫、美貴の前に緊急事態が発生する。それは、このドラマで常に家族に寄り添い、見守り続けていた愛犬・サクラに関わる出来事だ。そこで家族は、それぞれの思いを吐露する。そして、壊れかけた家族の絆をもう1度結ぶ大晦日の奇跡が起きる。

しかし、まあ、その奇跡が何とも人を食ったもので脱力してしまった。いかにもこの映画らしいといえばらしいのだが。

原作モノということもあって、詰め込み過ぎに思えるところもある。人間の運命、愛、家族、夫婦、はては多様性など様々なテーマがばらまかれているのだが、それらがすべてかみ合っているようには見えない。美貴と親しくする女子が卒業式で、同性愛宣言するところなどは、ドラマの流れから浮いている気もする。

それでも捨てがたい魅力を持つ作品だと思う。いわゆる教科書的な感動物語でいなところが良い。俯瞰的に見れば、家族の崩壊と再生を描いたよくある話ではあるものの、随所に毒気と狂気にも満ちた暴走をはらんだ不思議な家族ドラマである。共感できるところも、そうでないところもあるだろうが、これもまた家族の1つの姿なのだ。

そして、それらを包み込むような存在なのがワンコ。サクラがいるおかげで、不穏な空気が中和されて温かな心持ちになる。やっぱりワンコのパワーは強力である。

両親役の寺島しのぶ永瀬正敏は安定の演技。子どもたちを演じた北村匠海小松菜奈吉沢亮も、それぞれに存在感を発揮している。

そんな中でとりわけ印象に残ったのが小松菜奈の演技。小悪魔的という域を超えて、人間の底知れぬ闇さえ感じさせられた。悲劇の後に一の部屋のベットでとる行動、葬儀での狂気をまとった行動など、何やら背筋が寒くなってしまった。

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◆「さくら」
(2020年 日本)(上映時間1時間59分)
監督:矢崎仁司
出演:北村匠海小松菜奈吉沢亮小林由依水谷果穂山谷花純加藤雅也、趙民和、寺島しのぶ永瀬正敏
*TOHOシネマズ日比谷ほかにて全国公開中
ホームページ http://sakura-movie.jp/

「詩人の恋」

「詩人の恋」
2020年11月14日(土)新宿武蔵野館にて。午後12時35分より鑑賞(スクリーン1/
A-6)

~中年詩人の惑いを通して人生を問う

ここのところ毎年、東京国際映画祭に足を運んでいるのだが、そこで上映された映画がすべて一般公開されるわけではない。外国映画の場合は特に、公開されたとしても数年後というケースがほとんどだ。

3年前の第30回東京国際映画祭で上映された韓国映画「詩人の恋」も、このほどようやく公開の運びとなった。当時、関係者向けの上映で鑑賞した際に「これはぜひ日本公開して欲しい!」と思った作品だけに、さっそく今度は自腹で鑑賞してきた。

タイトルを見ればわかるように、詩人が主人公のドラマである。舞台は自然豊かな済州島。そこで生まれ育った30代後半の詩人テッキ(ヤン・イクチュン)は、思うような詩が書けずに悩んでいた。そんな中、これまで生活を支えてきた妻ガンスン(チョン・ヘジン)が、子供を欲しいと言い出し妊活を始める。だが、まもなくテッキが乏精子症と診断され、彼は深く思い悩む。ちょうどその頃、新しくできたドーナツ店で働く青年セユン(チョン・ガラム)と出会ったテッキは、彼のことが気になりだす……。

このストーリーだけを読めば、いわゆる同性愛のドラマと思うかもしれない。確かに、そうした要素もあるのだが、そこに留まらない多彩な魅力を持つ作品だ。

前半はコメディー調。冒頭近くの詩の同人たちの集いで、テッキの詩は最初はみんなから激賞されるが、一人の女性が厳しく批判したことから形勢逆転。今度はみんなが批判し始める。その様子を面白おかしく見せる。

妻のガンスンが子作りに燃え始めると、さらに笑いが加速する。テッキがガンスンに寝床でねじ伏せられたり、人工授精に挑む様子などを、こちらも面白おかしく描写する。最初は嫌がっていたドーナツを無理やり妻に口に押し込まれた途端、テッキが今度はその虜になるあたりの描写も面白い。

そんな中、テッキはドーナツ店で働く青年セユンと出会い、心が湧きたつのを感じる。そんな2人の関係が中盤以降のドラマのポイントである。ドラマは前半の喜劇調とは一転して、哀愁漂うドラマとなっていく。

テッキとセユンの関係は複雑だ。実は、セユンは過酷な家庭環境のもとにある。彼は病気で寝たきりの父の看病を一人で背負わされている。母親は金のことばかり考えて、ことあるごとにセユンに文句を言う。それを見かねたテッキは、セユンに何かと世話を焼く。つまり、セユンにとってテッキは、自分を守ってくれる数少ない存在であり、彼との時間は安らぎのひとときなのである。

一方のテッキにとってセユンは、守るべき子供のような存在といえるだろう。ただし、いつも夢見がちで大人になりきれないテッキから見れば、過酷な現実と向き合うセユンは、ある意味で自分よりも大人びた存在ともいえる。だから、彼との交流はテッキに新たな世界を見せてくれる。

そして、何よりもセユンと出会ったことで、テッキは詩人として美しい言葉を紡ぎ始めるのである。最初の頃の疲れた中年詩人の面影が、セユンと出会うことによって生き生きしてくるのがわかる。

ちなみに、本作は詩人が主人公ということで、全編で詩が効果的に使われる。どれもテッキの心の機微を投影させた詩である。

やがて2人の関係はガンスンに察知されることとなる。このガンスン、最初のうちは何とデリカシーのない女なのだろうと思えてしまう。下ネタもあけすけに口にし、自分の思いをズケズケと吐き出す。不器用で口下手なテッキとは対照的である。

だが、見ているうちに、彼女は彼女なりに必死で生きていることがわかる。しっかり者で、頼りない夫を支え、現実と向き合って生きているのだ。そんな彼女が、夫と若い青年の関係を知る。しかも、彼女は妊娠する。となれば、ガンスンが取る行動は1つしかない。

その結果、テッキとセユンの関係に波乱が起きる。終盤には2人の思いが交錯する激しいシーンが用意されている。さらに、その後の後日談でテッキ、セユン、ガンスンのその後を描き、哀切に満ちた余韻を残してドラマは終わる。

主演のヤン・イクチュンは、自ら監督を務めた「息もできない」や日本映画「あゝ、荒野」などで知られるが、今回はそうした作品とは違い、悩める中年詩人を繊細かつ愛らしく演じている。一見、身勝手に思えるテッキがどこか憎めないのは、その巧みな演技ゆえだろう。妻役のチョン・ヘジンもいい味をだしている。

恋とは、かくも美しく切ないものなのか。同性愛に限らず、恋する心を繊細に描いたドラマとして魅力十分である。いや、それだけではないだろう。愛とは? 夫婦とは? 家族とは?といったテーマにも、観客はそれぞれの思いを馳せるのではないか。これは単なる恋愛ドラマを超えて、人生そのものを問いかけるドラマなのだと思う。

 

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◆「詩人の恋」(THE POET AND THE BOY)
(2017年 韓国)(上映時間1時間50分)
監督・脚本:キム・ヤンヒ
出演:ヤン・イクチュン、チョン・ヘジン、チョン・ガラム、キム・ソンギュン、パン・ウニ
新宿武蔵野館ほかにて公開中
ホームページ https://shijin.espace-sarou.com/

 

「おらおらでひとりいぐも」

「おらおらでひとりいぐも」
2020年11月11日(水)ユナイテッド・シネマとしまえんにて。午前11時10分より鑑賞(スクリーン2/E-10)

~老女の孤独の先にある新たな世界をユニークな仕掛けで描く

63歳で作家デビューし、第158回芥川賞を受賞した若竹千佐子。老境の孤独を描いたその受賞作を、「南極料理人」「キツツキと雨」「横道世之介」「モヒカン故郷に帰る」などの沖田修一監督が映画化した。

原作は読んだのだが、全編東北弁のモノローグで進んでいく。いったいそれをどう映画化するのか。現在進行形のドラマと過去の出来事を組み合わせることは容易に想像できたが、それだけでは面白みがない。そんな中、沖田監督は意表を突いた仕掛けで、味わいあるコメディーを現出させた。

まず驚かされたのが冒頭だ。アニメなどを使い、地球誕生から生命の誕生、恐竜の登場と絶滅、古代人の登場など地球46億年の歴史を綴るのだ。これは、本作の主人公が図書館の本を読み漁り地球の歴史に関するノートを作っていることに由来するものだろう。同時に、終盤で彼女の変化を示す場面の前フリにもなっている。何にしてもぶっ飛びのシーンである。

そして登場する主人公75歳の桃子さん(田中裕子)。突然夫に先立たれ、一軒家で孤独な日々を送っている。そんな桃子さんが、東北弁で胸に去来する思いをつぶやくのが原作。それに対して、映画ではユニークな人物たちを登場させる。桃子さんの妄想が生み出した奇妙なおっさん3人組、寂しさ1(濱田岳)、寂しさ2(青木崇高)、寂しさ3(宮藤官九郎)である。

「おらだばおめだ(私はお前だ)」と言う彼らと桃子さんとの会話が抜群に楽しい。もちろん会話は東北弁。寂しさ3人組はどこにでも付いてきて、桃子さんと会話をし、彼女の気持ちを代弁する。桃子さんにいたずらを仕掛けたり、からかったりもする。登場した直後には、ジャズを演奏して桃子さんと一緒に踊るのだ。

その一方で、朝になると桃子さんの枕元で暗い顔をして、「どうせ起きでも、いいごとないよ」とつぶやく別な分身(六角精児)が現れたりもする。

桃子さんの毎日は単調だ。図書館に通って係の女性から大正琴太極拳に誘われるが、「私はいいわ」と断る。病院に通院して、「認知症かも」と不安を吐露すると、医師は「それは国立病院へ」とにべもない。せいぜい車のリース契約を持ちかける若い男と茶飲み話をするぐらいだ。

そんな現在進行形のドラマの随所に寂しさ3人組が登場する。同時に桃子さんが思い描く過去の光景が目の前に現れもする。現在の桃子さんと、若き日の桃子さん(蒼井優)、幼少期の桃子さんが一緒に登場する場面もある。とにかく変幻自在。ユーモラスでシュールで突飛な場面が連続するので飽きることがない。

桃子さんは今の生活に戸惑いと不安を感じているだけではない。これまでの人生にも引っかかるものがある。

1964年にお膳立てされた結婚を嫌い、故郷の岩手から五輪に沸く東京にやってくる。そして食堂で働いていた時に、客としてやってきた同郷の周造(東出昌大)と出会い、結婚する。本当は「新しい女」「自立した女」になりたかったのに、家庭に入り専業主婦になってしまった。「愛に自分を明け渡さなければよかった」とも思っている。おまけに、今は息子とは疎遠だし、久々に訪れた娘からは金の無心をされる。オレオレ詐欺にも遭っている。

そんな過去と現在に対してあれこれと思い乱れ、なかなかポジティブになれない桃子さんが次第に変化していく。その過程では、桃子さんによる歌謡ショーまで登場する。フルバンドをバックに桃子さんが周造を揶揄するオリジナル曲を熱唱するのだ。いやはや何でもありの映画である。

桃子さんにとっての大きな転機は、バスにも乗らず徒歩で山の上にある周造の墓に向かう場面だ。そこでは寂しさ3人組に加え、若き日の桃子さんや幼少期の桃子さん、周造なども登場し、桃子さんは過去と今に向き合う。

さらに、その後にはまたしてもぶっ飛びの展開が登場する。冒頭の地球の歴史を受けて、マンモスや古代人までが出現するのである。これはおそらく、命の営みを地球の46億年の歴史の流れの中で見つめたものだろう(思わずテレンス・マリック監督の「ツリー・オブ・ライフ」を想起してしまった)。桃子さんの今の孤独など取るに足らぬものだ。彼女と関わった多くの人々が、しっかりと見守ってくれているのだ。

そしてラストには桃子さんと孫との交流を描き、命のバトンが確実に受け渡されていることを示す。表面的には孤独に見える桃子さんだが、けっして一人ぼっちではないのである。

こうして沖田監督は桃子さんの背中を押す。孤独の先にあるのは寂しさではない。新しい世界だ。一人になった桃子さんは、自由に自分らしく生きることができるはず。

なるほど桃子さんは最後にポジティブになる。本作を観た観客も同様に沖田監督に背中を押されて元気になれるのでは? それは高齢者に限らず、孤独を感じている全ての人も同様だろう。年を取ることも孤独になることも、恐れるに足らないことなのだ。

これほどぶっ飛んだ作品でありながらただの暴走コメディーにならず、老境の心理をきっちりと描けているのは、沖田監督が過去作「滝を見にいく」「モリのいる場所」でも老人を主人公にしたドラマを描いていることも大きいのかもしれない。

自然の風景や光を効果的に使った映像も魅力的。主演の田中裕子の絶妙な演技も見事。蒼井優東出昌大濱田岳青木崇高宮藤官九郎田畑智子黒田大輔といった脇役陣の芸達者ぶりも見ものである。

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◆「おらおらでひとりいぐも」
(2020年 日本)(上映時間2時間17分)
監督・脚本:沖田修一
出演:田中裕子、蒼井優東出昌大濱田岳青木崇高宮藤官九郎田畑智子黒田大輔山中崇岡山天音三浦透子、六角精児、大方斐紗子鷲尾真知子
*TOHOシネマズ日比谷ほかにて全国公開中
ホームページ http://oraora-movie.asmik-ace.co.jp/