映画貧乏日記

映画貧乏からの脱出は可能なのだろうか。おそらく無理であろう。ならばその日々を日記として綴るのみである。

「変な家」

「変な家」
2024年3月27日(水)TOHOシネマズ日本橋にて。午後6時50分より鑑賞(スクリーン9/D-10)

~変な家というよりは変な一族の話。怖くなくてむしろ笑っちゃいました

何だか知らんが、月に一度3~4人が集まって映画を観る会を開いている(本当はその後に飲むのが目的ではないかと疑っているのだが……)。基本的に映画選びは人に任せているので、私の趣味とは違う作品が選ばれることも多い。今月選ばれたのは「変な家」だ。

違和感だらけの変な間取りの家を追ったYouTube動画をもとに、動画制作者・雨穴が書いた小説「変な家」を映画化したらしい。

オカルト専門の動画クリエイター雨宮(間宮祥太朗)は、マネージャーから引っ越し予定の一軒家について相談を受ける。それは変な間取りの家だった。そこで雨宮はミステリー愛好家の設計士・栗原(佐藤二朗)に間取り図を見せて意見を求める。次々と浮かび上がる奇妙な違和感から、栗原はある恐ろしい仮説を導き出す。そんな中、変な家の近くで死体遺棄事件が発生。雨宮は事件と家の関連を疑い、一連の経緯を動画で投稿する。すると、動画を見た宮江柚希(川栄李奈)という女性から、この家に心当たりがあるという連絡が入るのだが……。

オカルト専門の動画クリエイター雨宮が、動画配信をしている場面からドラマが始まる。雨宮に対して、マネージャーは最近再生回数が少ないと告げる。

何だ? このド下手な演技をするマネージャー役の役者は? DJ松永? CreepyNutsの?

だってセリフを棒読みなんだもの。一気に観る気が失せましたよ。「まあ、でも、この先は面白くなるのかもしれない」と気を取り直して鑑賞続行。

マネージャーは雨宮に変な間取りの家について相談。雨宮は知り合いの設計士、栗原に意見を求める。栗原はその家は「殺人を実行するための家」ではないかと言い出したのだ!

これはもうホラー映画になるしかないでしょう。その通り、血のりのついた能面をかぶった何者かが雨宮たちを襲うという恐怖の場面が登場。しかしなぁ、単発の怖さはあるけれど長続きしないのよ。ほら、Jホラーの魅力って、そのものズバリの怖さよりも、不穏さや不気味さがズンズン積み上がっていくところに特徴があるでしょう。それがまったくないから物足りないんだよなぁ。

その後、雨宮や柚希は問題の変な間取りの家に侵入。そこでは、雨宮が撮影する動画カメラの映像を繰り出すなど、それなりの工夫もあってなかなかのスリルが味わえます。

しかし、柚希の母親(斉藤由貴)が出てくるあたりから、何だかドラマは変な方向に走り出す。

え? これってそういう話だったの? 変な家じゃなくて、変な家族、あるいは変な一族、もしかしたら変な村の話じゃん。

というわけで、ドラマは柚希の家族模様から、その本家筋の物語に発展する。そして、絵に描いたように怪しい本家の家族たちが登場。ステレオタイプなその造形に、怖いどころか思わず笑ってしまいました。

おまけに当主が女中を妊娠させて、家族がよってたかっていじめるなんて、横溝正史の小説に出てきそうな話。これって「犬神家の一族」かよ!

しかしなぁ、奇怪な風習というか、儀式というか、それが現代にも残っているとは、どう考えても納得できん。あんなことしてたら、とっくに警察に捕まっているだろ。

呪われた村といえば、何といっても韓国映画「哭声 コクソン」を思い起こすのだが、あれほどの怖さや不気味さもないし。

終盤は本家の家でのバトル。刀はもちろん、猟銃まで出てきてあわやの場面の連続。ここはまあ、それなりにハラハラします。

その後もすったもんだあって、最後は親子の情愛を訴えるかと思ったら、雨宮の家が変だという話になり、挙句は平穏を手に入れたはずの家族が実は……という展開。だらだらと締まりのないエンディングで、「まだ、あるのかよ!」と叫びそうになったのである。

いやぁ、怖いはずの映画がそれほど怖くもなく、あまりのやり過ぎ感に笑ってしまいました。そういう意味で逆に楽しめたのかも。

この映画で私が感心したのは美術。変な家の造形はもちろん、本家筋の儀式にまつわるグロテスクなアイテムなど、手の込んだ作りで感心した次第。美術さんに拍手!

さらに加えてこの豪華キャストよ。間宮祥太朗は相変わらずいい男だし、佐藤二朗は相変わらずヘン。川栄李奈は何でもこなすし、瀧本美織もいい味を出している。しかし、斉藤由貴はどう考えても無駄遣いだろ。あんなメチャクチャな役をやらせんでもいいものを。それにしても根岸季衣高嶋政伸石坂浩二はどこに出ていたんだ? あ、もしかしたらあの本家筋の人々かしら……。

うーむ、日本にもラジー賞ことゴールデンラズベリー賞(最低映画賞)があったら受賞確定か!? でも、まあ、何も考えずにポップコーン片手に楽しむには、十分な映画でしょう。天下の東宝がこんなB級テイスト満載の映画を作るのも面白い。

◆「変な家」
(2023年 日本)(上映時間1時間50分)
監督:石川淳一
出演:間宮祥太朗佐藤二朗川栄李奈長田成哉、DJ松永、瀧本美織根岸季衣高嶋政伸斉藤由貴石坂浩二
*TOHOシネマズ 日比谷ほかにて全国公開中
ホームページ https://hennaie.toho.co.jp/

 


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「ペナルティループ」

「ペナルティループ」
2024年3月23日(土)シネマロサにて。午後2時20分より鑑賞(シネマロサ1/C-8)

~タイムループものの新機軸。復讐の意味を問う

イムループものの映画は数あれど、当たりハズレがけっこう激しい。最近では「MONDAYS/このタイムループ、上司に気づかせないと終わらない」はなかなか面白かったが、配信で観た「リバー、流れないでよ」は中盤ちょっと飽きてしまった。同じことの繰り返しだから、そこに何か工夫がないとね。

「ペナルティループ」もタイムループものの映画。はたして、そこに何か工夫はあるのか?

冒頭は幸せそうなカップルの朝が描かれる。岩森淳(若葉竜也)が目を覚ますと、砂原唯(山下リオ)はすでに出かける支度をしている。岩森は「行かないで」と甘えて唯に抱きつくが、唯はそれをなだめて出かける。

その後、岩森は趣味らしい模型作りをし、やがて夕食の準備をする。唯の帰りを待ちながら本を読んでいると、そこに悲報が届く。何と唯らしい人物が殺害され、その死体が発見されたというのだ。現場に出かけて身元を確認する岩森。死体はやはり唯だった。取り乱す岩森。

イムループものと聞いているからSFなのだろうが、ここまではシリアスでサスペンスフルな展開だ。異様な緊迫感に包まれている。

それにしても、私の好きな山下リオがこんなに早く消されるとは……。「三井のリハウス」12代目リハウスガールだぞ! 彼女が出ているのもこの映画を観にきた理由の一つなのに、どうしてくれるんだ! いや、実はその後も彼女は出てくるんですけどね(笑)。

続いて映し出されるのは6月6日の朝。「おはようございます。6月6日、月曜日。晴れ。今日の花はアイリス。花言葉は『希望』です」という時計の声を聞きながら、岩森が目を覚ます。

岩森は車で職場に出勤して仕事をする。それは植物工場の仕事だった。そして、工場にやってきた素性不明の男・溝口(伊勢谷友介)を、綿密な計画のもとに殺害し、遺体を池に沈める。彼こそが唯を殺した犯人だったのだ。

だが、翌朝目覚めるとそれは同じ6月6日の朝。またしても「おはようございます。6月6日、月曜日。晴れ。今日の花はアイリス。花言葉は『希望』です」という声を聞きながら、岩森は目を覚ます。そして、周囲が昨日のままであることに戸惑いつつ職場に出かける。殺したはずの溝口は生きている。岩森はまたしても復讐を繰り返す。

というわけで、岩森が溝口を殺して復讐を果たす6月6日が何度も繰り返されるのだ。そのたびに岩森は溝口を殺す。工場の無機質な空気感も手伝って、うすら寒い風がスクリーンを吹き抜ける。音楽も何やら不気味だ。

その合間には、岩森と唯の不思議な出会いも描かれる。唯は何か秘密を抱えているらしかった。岩森は彼女にひたすら寄り添う。

それと同時に、不思議な書類を前にした岩森も映る。この時は何が何だかわからないのだが、後々になってこれが伏線であることがわかる。

6月6日のループは続く。ここで次第に岩森と溝口の関係が変化する。何しろ岩森は何回も溝口を殺すし、溝口は岩森に何度も殺されるのである。どうしたって普通の関係ではいられない。

なぜか2人はボウリング場へ行って、ボウリングをする。溝口はうまいが岩森はガーターばかりだ。溝口は岩森にボウリングを教える。復讐する方とされる方が親しく接してしまうのだ。

その果てにやはり岩森は溝口を殺害するのだが、それは最初の刺殺とは違う殺害方法によるもの。その後も殺害方法は変化し、岩森と溝口はより効率的な殺害方法を2人で模索する。最初は殺されることなど予期していなかった溝口だが、そのうちに自ら覚悟して殺されるようになる。

ここに至ってドラマはシリアスなサスペンス、あるいはミステリーから、笑いに満ちたブラックコメディへと転化する。序盤の展開からは予想がつかない方向へと走り出すのだ。

そして明らかになるのが、主人公の岩森が自らこのタイムループを選択したということ。この設定が見事にはまっている。

そして終盤は、タイムループとは別のSFチックな展開に突入。ますます予想がつかない展開で、「え? そうくるの?」と驚くばかりだった。

正直なところ唯と溝口の素性は最後までわからず、唯の抱えた秘密も曖昧なままだ。溝口に至ってはただの殺し屋に見えないこともないなど、突っ込み不足なのは明らか。そのため観終わってモヤモヤするのだが、もしかしたらそれは荒木伸二監督の意図したものなのかもしれない。だとしたらまんまとその術中にはまったわけだ。

荒木監督の前作「人数の町」は未見だが、やはりこちらもユニークなSFらしい。脚本・演出ともになかなかの腕前と見た。

本作のテーマは復讐だろう。実は劇中でアイリスの花言葉が「希望」だと紹介した後に、黄色いアイリスの花言葉は「復讐」だと告げている場面がある。そうなのだ。本作では復讐の持つ意味や、人が人を殺すことの本質を問うているのだ。岩森の持つ復讐心は、観客にとっても無縁ではないはずだ。

それにしてもユニークなドラマだ。タイムループという手あかのついたネタをひとひねりして、SFを基調にサスペンス、ミステリーからブラックコメディまで様々な色調に色合いを変化させる。時間が経てば経つほど余韻の残る映画だった。

若葉竜也は相変わらずいい味を出している。伊勢谷友介の不気味さも印象的。そして山下リオの謎めいた魅力が、本作を支えているのは言うまでもないだろう。

◆「ペナルティループ」
(2024年 日本)(上映時間1時間33分)
監督・脚本:荒木伸二
出演:若葉竜也伊勢谷友介山下リオ、ジン・デヨン、松浦祐也、うらじぬの、澁谷麻美、川村紗也、夙川アトム
新宿武蔵野館、シネマロサほかにて公開中
ホームページ https://penalty-loop.jp/

 


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「青春ジャック 止められるか、俺たちを2」

「青春ジャック 止められるか、俺たちを2」
2024年3月19日(火)テアトル新宿にて。午後3時30分より鑑賞(C-11)

~熱い熱量が伝わる。映画にとりつかれた若者たちの青春群像ドラマ

デスクトップパソコンの起動が遅くなったので新しいのを買おうと思うのだが、そのままデスクトップにするか一体型にするかで迷っている。一体型は機能は劣るものの、省スペースで、内蔵カメラも備え、サウンドも良いとあって悩んでしまう。さて、どうしたものか。

そんなことには関係なく、今回観た映画は「青春ジャック 止められるか、俺たちを2」。若松孝二監督率いる若松プロに出入りした人たちの青春群像劇「止められるか、俺たちを」(白石和彌監督)の続編だ。ただし、続編といっても最初はそういう趣旨で立ち上がった企画ではないらしいので、前作を観ていなくても問題はない。監督は前作で脚本を担当した井上淳一

若松監督が作った名古屋の映画館「シネマスコーレ」を軸にした、実話にもとづいた物語である。結婚を機に東京の文芸坐を辞めて、地元名古屋に戻ってビデオカメラのセールスマンをしていた木全純治(東出昌大)。ある日、突然、彼のもとに若松から電話がある。名古屋に新しく作る映画館シネマスコーレの支配人になって欲しいというのだ。

時代は1980年代。ビデオの普及によって人々の映画館離れが進みつつあった。そんな中、自作を上映する映画館が欲しいということで、若松は風俗ビルの1階にシネマスコーレを作った。

なぜ名古屋なのか。東京や大阪は家賃が高いからというのがその理由だった。要するに、最初からかなり危ない話だったのだ。おまけに若松は気まぐれな性格。木俣は若松に振り回される。

最初は木俣の希望通りに名画座としてスタートしたシネマスコーレ。しかし、客の入りが悪く赤字続きなのを見た若松は、ピンク映画の新東宝と話をつけピンク専門の映画館にする。「ピンクだろうと映画だ。映画を差別するな!」というのが若松の言い分だったが、それは建前。背に腹は代えられなかったのが実情だ。

それでも木俣は、ピンクの合間に一般映画を上映するなどあれこれ奮闘した。おりしも、アダルトビデオの登場でピンクが衰退し始めたこともあって、今度はいわゆるミニシアター的なプログラムに衣替えして生き残りを図ったのだ。

というわけで、シネマスコーレは今もミニシアターの雄として健在だ。劇中の木俣は数々の困難に直面しても、苦労を苦労とも思わず飄々として動じない。実際の木俣さん(現社長)もそういう人らしい。

だが、それでは葛藤がなくドラマにならない。井上監督が木俣のことだけ書いた脚本は30枚(15分)で終わってしまったという。そこで、井上監督は驚くべきことをした。何と自身のドラマを組み込んだのだ。

シネマスコーレには映画にとりつかれた様々な人々が集ってきた。その中には、映画監督志望の学生、井上淳一(杉田雷麟)もいた。ある日、井上は若松監督と出会うと、そのまま新幹線に乗り込み東京に帰る若松に弟子入りを志願する。そうやって若松プロに入り、助監督となった井上だが、撮影現場でヘマばかりして若松から厳しく叱責される。

そんな井上に嫉妬していたのが、シネマスコーレでバイトする女子学生の金本法子(芋生悠)だった。彼女は映画が作りたくて映研に入ったものの、大した作品もれずにいた。フラストレーションがたまり、井上にそれをぶつける。

ちなみにこの法子という存在はフィクションらしい。それにしても井上は監督自身。それを自分で描く心境はいかばかりか。でも、まあそのへんは一歩引いて客観的に撮っているので、鼻につくようなところはありません。

それにしても、井浦新演じる若松監督が強烈だ。前作でもそうだったが、今回はそれ以上に役に入り込んでいる。私も生前の若松監督を何度か目撃しているが、確かにあんな感じだったよなぁ。ムチャクチャなんだけどなんか魅力があって。その言動がおかしくて、終始笑いっぱなしだった。下手な喜劇役者より面白い。

とはいえ、もちろんシリアスなところはあるし、木俣、井上、法子ら若者たちの青春群像劇として見応えがある。映画にとりつかれたものの、まだ何者にもなれずに遮二無二己の道を突き進み、挫折し、それでも立ち上がる彼らの熱い思いが胸に響く。

舞台となった80年代の空気感もよく伝わってくる。例えば予備校の河合塾の教師が、全共闘上がりでビールを飲みながら授業するとか。今なら考えられない。法子が在日で指紋押印にまつわる話が出てきたりするのも、当時を知っている身としては色々考えさせられる。

もちろん、映画好きの話だから映画ネタもたくさん出てくる。邦画を中心に当時の映画事情がよくわかる。若松と井上が「大林(宣彦)が嫌い」で一致するのには笑ってしまった。

終盤は、井上が初めて監督することになった河合塾のPR映画「燃えろ青春の一年」の撮影風景。そこで井上を差し置いて、プロデューサーの若松孝二がいつの間にか監督の役割を果たすところが笑える。23カットを1シーンで撮るなんて若松らしい。そこに赤塚不二夫竹中直人(本人)が登場するのも見どころ。

最後は彼らの未来にうっすらと光がともる。そして若松の独白でドラマは締めくくられる。

前述の井浦はもちろん、東出昌大、芋生悠、杉田雷麟ら役者はどれも存在感がある。「福田村事件」とかなり役者がかぶっているのは、井上が脚本とプロデュースを担当していたせいだろう。その中でも、木俣の妻役のコムアイが今回もいい味を出していた。この人、本当に得難いものを持っている。

映画愛にあふれたドラマ。おそらく観客は私のように、80年代の状況や若松監督、若松プロのことを知っている人が中心なのだろうが、普遍的な青春ドラマとして若い人にも観てもらいたいな……。

◆「青春ジャック 止められるか、俺たちを2」
(2023年 日本)(上映時間1時間59分)
監督・脚本・企画:井上淳一
出演:井浦新東出昌大、芋生悠、杉田雷麟、コムアイ田中俊介、向里祐香、成田浬、大西信満タモト清嵐山崎竜太郎、田中偉登、高橋雄祐、碧木愛莉、笹岡ひなり、有森也実田中要次田口トモロヲ門脇麦田中麗奈竹中直人
テアトル新宿ほかにて公開中
ホームページ http://www.wakamatsukoji.org/seishunjack/

 


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「ビニールハウス」

「ビニールハウス」
2024年3月15日(金)シネマート新宿にて。午後12時20分より鑑賞(スクリーン1/C-14)

~社会のひずみが招く負の連鎖。新人監督による一級品のサスペンス

 

今週もあまり映画館に行けなかった。病院通いが続いたもので……。

ようやく金曜日になって映画館に行けたので、韓国映画「ビニールハウス」を鑑賞。前日にライムスター宇多丸のラジオ番組で、次週の映画評で取り上げられることになったのでこの作品にしたのだ。面白いらしいという話は聞いていたが、それほど期待はしていなかった。しかし……。

映画の冒頭、いきなり黒いビニールハウスが映る。その中で1人の女が自分の顔を殴っている。これがこのドラマの主人公ムンジョン(キム・ソヒョン)だ。彼女は貧困ゆえビニールハウスに暮らしている。

続いて彼女が少年院にいる息子ジョンウ(キム・ゴン)に面会するシーンが映る。ムンジョンは、新居に引っ越して息子と一緒に暮らすことを夢見ている。だが、ジョンウはあまり乗り気でないようだ。

その後、ムンジョンが盲目の老人テガン(ヤン・ジェソン)と、認知症の妻ファオク(シン・ヨンスク)の世話をしている場面が映る。彼女は来るべき息子との生活の費用を稼ぐため、訪問介護士として働いていたのである。

序盤は、社会の底辺に生きるムンジョンの日常を淡々と映し出す。ムンジョンの過去や現状などを説明するセリフもなく、観客は目の前で繰り広げられる光景から、それを類推するしかない。余計なことを描かず余白を残す作風は、この映画全体に共通する特徴だ。

はたして、このままムンジョンの苦境と、それにめげずに明るく前向きに生きる姿が描かれるのだろうか。

いや、その先には恐ろしい出来事が待ち受けていたのだ。

ある日、ファオクが死んでしまう。ムンジョンとトラブルになってしまい、転んで死んでしまったのだ。ムンジョンは取り乱すが、息子との未来を守りたい一心で、事態を隠蔽する。そのため認知症で病院に入院中の自身の母を、ファオクの身代わりに仕立てるのだが……。

「おいおい、それはネタバレだろう」と思うかもしれない。だが、ここまでのストーリーはこの映画の公式ホームページにも書いてあるから大丈夫。いや、ここまでのことがわかっていても、その後のハラハラドキドキ感は破格のものなのだ。

本人にその気がないのに、誤って人を死なせてしまうというネタは、サスペンスドラマでそれほど珍しくはない。だが、それをあれこれ工夫して、とびっきりスリリングなドラマに仕立てている。

スリリングさの核心は、ファオクが死んだという事実がいつバレるかだ。そこで効果的に使われるのが、認知症の初期の兆候があるテガンの設定。彼は自分のそばにいるのが、妻でないかもしれないという疑いを持ち始めるが、それは自分の認知症のせいではないかとも考える。

また、スンナム(アン・ソヨ)という女性を配したことも成功の要因だ。彼女はムンジョンと自傷癖のある人々の集まりで知り合い、彼女につきまとう。そこで予測不能の言動を繰り返して、ムンジョンを混乱に陥れる。

こうして緻密な構成と演出によって、一級品のサスペンスを展開する。イ・ソルヒ監督はこれが長編デビュー作とのことだが、とても新人とは思えない手腕だ。

自ら手掛けた編集でも、その手腕が光る。特に後半はぶつ切りのようにしてシーンを終わらせ、次のシーンに雪崩れ込む。それによって観客は、ますます心をざわつかされ、不穏な空気に包まれるのだ。

ムンジョンは、けっして悪人ではない。息子と暮らすために必死で働き、ファオクに暴言を浴びせられても、甲斐甲斐しく彼女の世話をする。知的障がいのあるスンナムにも優しく接する。だが、そのことが不幸を招く。ムンジョンはもちろん、テガムやスンナムもまた不幸に巻き込まれる。それはまさに負の連鎖だ。

そこから浮かび上がるのは、貧困、介護問題、少年非行、弱者に対する虐待などの様々な社会問題。それは現実の問題だ。例えば、貧困では実際に韓国ではビニールハウスで暮らす貧しい人々がいるという。「半地下はまだマシ」というのが本作の日本でのキャッチコピーだが、その通り「パラサイト 半地下の家族」よりもさらに貧しい生活がそこにある。

ただし、本作はそうした社会問題を深掘りしているわけではない。あくまでもサスペンスドラマの背景として、そのまま提示するのだ。その先のことは観客に委ねている。「こういう現状があることを、あなたたちはどう思うか」と。

観客に委ねるという点では、ラストシーンも同じだ。ここもまたぶつ切りのようなエンディングで、観る者の想像力をかき立てる。その後のムンジョンはいったいどうなったのだろうか。いつまでも余韻が残る。

主演のキム・ソヒョンの繊細かつ力強い演技が光る。私は知らなかったのだが、人気ドラマ「SKYキャッスル 上流階級の妻たち」で冷酷な入試コーディネーターを演じていたらしい。それを知っている人にとっても、本作の演技は驚嘆すべきものだろう。韓国で主演女優賞をたくさん獲ったというのもうなずける。

老夫婦を演じたヤン・ジェソンとシン・ヨンスク、スンナムを演じたアン・ソヨ、主人公の母を演じたウォン・ミウォンも存在感のある演技だった。

低予算ながら、社会問題を提示しながらこれだけ素晴らしいサスペンスを生み出したイ・ソルヒ監督。またしても韓国映画の奥深さを見てしまった。

◆「ビニールハウス」(GREENHOUSE)
(2022年 韓国)(上映時間1時間40分)
監督・脚本・編集:イ・ソルヒ
出演:キム・ソヒョン、ヤン・ジェソン、シン・ヨンスク、ウォン・ミウォン、アン・ソヨ
*シネマート新宿、ヒューマントラストシネマ有楽町ほかにて公開中
ホームページ https://mimosafilms.com/vinylhouse/

 


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「DOGMAN ドッグマン」

「DOGMAN ドッグマン」
2024年3月9日(土)ユナイテッド・シネマとしまえんにて。午後2時30分より鑑賞(スクリーン1/C-5)

~帰ってきたリュック・ベッソン。孤独な男が犬たちとともに悪に染まる

今日は3月11日。東日本大震災が起きた日だ。
あの日、私は家にいてものすごい揺れで外に飛び出した。そこには小学生ぐらいの女の子が、固まって動けずにいた。そこで私は「大丈夫だよ。きっと収まるから」と言ってあげたら、女の子はハッとしたように走り去っていった。知人にそれを話したら、「変質者だと思われたんだよ」と身も蓋もないことを言われたのだが、それに気づかせてやっただけでも立派なもんだろう。

それから13年。数年前には取材で南三陸町に行き、被災した皆さんからあの時の惨状を聞いたが、それでも東京にいれば震災のことを忘れがちになる。政府も原発推進などという愚かな方針を打ち出し、まるで何もなかったかのように振る舞う。今こそもう一度、あの震災のことを真剣に考える必要があると思う。

というわけで、本日の映画レビュー。

リュック・ベッソンはもはや終わった監督だと思っていた。かつては「グラン・ブルー」「ニキータ」「レオン」などの素晴らしい映画を撮っていたが、映画製作会社「ヨーロッパ・コープ」を立ち上げてからは製作に回ることが多くなり、たまに監督してもはっきり言ってどうでもいい作品が多かった。だから、新作「DOGMAN ドッグマン」も観る気がしなかった。しかし、意外に評価が高いと聞いて観に行ってみた。

ある夜、1台のトラックが警察に止められる。運転席には負傷した女装の男性がおり、荷台に十数匹の犬が積まれていた。「ドッグマン」と呼ばれるその男ダグラス(ケイレブ・ランドリー・ジョーンズ)は、警察署に連行される。まもなく精神科医のエヴリン(ジョージョー・T・ギッブス)がやってきて、ドッグマンと対話を始める。そこから、彼の数奇な半生が語られる。

ダグラスの父は、暴力的で極めて危険な人物だった。闘犬用に飼っていた犬を息子がかわいがるのが気に入らず、ある時、ブチ切れて息子を犬小屋に監禁してしまう。兄は父に追従するばかりで、母は何もできないまま家を去ってしまう。

やがて、監禁されていたダグラスは、犬をかばうあまり父と激しく対立し、父に撃たれて銃弾で指を失い、さらに跳ね返った弾で脊髄も損傷し車いす生活になってしまう。

こうして障がいまで負ったダグラスは、その後施設に入る。孤独で誰ともなじめずにいたが、ある女性に恋をしたことから変わり始める。だが、やがてその恋はあっさり終わる。失意の彼は、ますます犬への愛情を強くするが、彼が係員を務めていた犬のシェルターが閉鎖されることになる。

ダグラスは、愛する犬たちとともに何とか生き延びようとする。生活費を稼ぐために、必死で職探しをするものの、障がいを抱えた彼はまったく相手にされない。そんな彼に手を差し伸べたのは、ドラッグクイーンたちだ。華やかなステージで彼は、女装してエディット・ピアフの歌を思い入れたっぷりに歌う。

とはいえ、それで食っていけるほどの稼ぎはない。ダグラスは生きていくために犬たちとともに犯罪に手を染めるようになる……。

久々にリュック・ベッソンらしさが発揮された快作だ。このドラマのネタ元は、「ある家族が少年を犬小屋に監禁した」という実話だという。たったそれだけの話から、少年のその後の物語を奇想天外に組み立ててしまうのだから、その大胆さ、自由奔放さには恐れ入る。

言うまでもなく、主人公のドッグマンは不幸を背負った弱者でありアウトローだ。その孤独なアウトローが、愛を求めてもがき苦しむさまを独特の距離感で描く。

ダグラスは底知れぬ不気味さをたたえ、どこか世間を小ばかにしたような態度をとる。だが、その半生には児童虐待障がい者差別、貧富の格差などの社会問題が横たわっている。そうした問題にさらされ、どうしようもないところにまで追い詰められたのだ。だから、単純に彼を断罪する気にはなれない。いや、むしろその生きざまに共感さえ覚えてしまう。

ダグラスの風貌は、あの「ジョーカー」を想起させる。彼は不幸を背負って誕生したダークヒーローだった。それと同じように、ダグラスもダークヒーローとしての魅力を十分に備えている。彼の背中には哀愁が漂う。

ただし、ダグラスは怪物ではない。心根の優しさも見せる。知り合いのクリーニング店が、「死刑執行人」と呼ばれるギャングに「みかじめ料」をむしり取られていると知るや、彼は犬たちを使いギャングを懲らしめる。そのことが終盤の壮絶なバトルにも通じるのだが。

それにしても見せ場たっぷりの映画だ。ダグラスが犬たちとともに(というか犬たちを操り)犯罪に走る様は、いかにもフレンチノワール風に、そしてスマートに描く。

一方で、ダグラスがドラッグクイーンに変身して女装して歌うシーンは、華やかかつ情感たっぷりに描き出す。

かと思えば、バイオレンスシーンの壮絶なことよ。この映画ではドックマンが車いす生活なので、縦横無尽に敵をなぎ倒すというところまではいかないが(それでも銃をぶっ放す)、その代わりに犬たちが華麗なアクションを披露する。

現実には、いくら犬に愛情を注いだところで、あんなに飼いならすことは困難だし、人間の言葉を完全に理解するなどというのは絵空事でしかない。だが、この映画にそんなことは関係なし。とにかく面白いのだから、それでいいのだ!

ラストシーンも興味深い。ピアフの「水に流して」が流れる中、何やら宗教的というか、神秘的というか、そんなシーンが展開される。ダグラスと犬たちによるラストショットは、まるで宗教画のようだ。こうして最後の最後まで見せ場を用意する。

主人公の「ドッグマン」ことダグラスを演じたケイレブ・ランドリー・ジョーンズの好演(怪演?)が光る。珍しい名前に比して、これまでの演技にそれほど印象はなかったのだが、今回はすさまじい存在感を放つ。女装姿も堂に入っている。本作は彼の代表作になるのではないか。しかし、あの歌声はいくらなんでも吹替でしょう?

お犬様たちの集団演技にも大拍手! CGなども駆使しているのだろうが、それにしてもあそこまでの演技をするとはスゴイ。犬種は様々だが、個人的には大好きな柴犬も入れて欲しかったところ。いや、それは場違いか(笑)。

終わったはずのリュック・ベッソンだったのに、こんなに面白い映画を撮るとは。何だか宝くじに当たったような気分だ。「リュック・ベッソン復活!」と言うのは早計だろうか。次作も期待していいのかしら?

◆「DOGMAN ドッグマン」(DOGMAN)
(2023年 フランス)(上映時間1時間54分)
監督・脚本:リュック・ベッソン
出演:ケイレブ・ランドリー・ジョーンズ、ジョージョー・T・ギッブス、クリストファー・デナム、クレーメンス・シック、ジョン・チャールズ・アギュラー、グレース・パルマ、イリス・ブリー、マリサ・ベレンソン、リンカーン・パウエル
丸の内ピカデリーほかにて全国公開中
ホームページ https://klockworx-v.com/dogman/


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「ネクスト・ゴール・ウィンズ」

ネクスト・ゴール・ウィンズ」
2024年3月6日(水)グランドシネマサンシャインにて。午後1時40分より鑑賞(スクリーン8/e-6)

~定番のスポーツ物語だが、期待通りにきっちり笑わせて感動させてくれる

最初に、すでに取り上げた映画についての話題を2つ。

その1
「落下の解剖学」で回想シーンは1つもないとジュスティーヌ・トリエ監督が言っているそうだ。ということは、あのクライマックスのシーンも、回想ではなく「もしかしたら」という誰かの思い込みかもしれず、だとすればなおさら怖い映画だと思った次第。

その2
「ソウルメイト」をもう一度鑑賞した。前回観終わってそれほど時間が経たないうちにレビューを書いたつもりなのに、細かな勘違いの箇所があって驚いた。私の記憶はザルか(笑)。2回目を観て感じたのは、オリジナル版に比較的忠実ではあるものの、細かなアレンジを加えたことによって、女性の生きづらさとそこからの解放というテーマが、よりクッキリと浮かび上がったこと。何よりオリジナルの小説を「絵」に変えたことで、さらに情感が高まった。あの絵はミソとハウンの共同作業だったのねぇ~。

 

さて、今日取り上げるのは、米領サモア(独立国のサモアとは違う)の弱小サッカーチームが、型破りなコーチの指導で変わっていく様子を描いたドラマ「ネクスト・ゴール・ウィンズ」だ。

実話もとにした話だが、話自体は特に珍しいものではない。弱小スポーツチームが上を目指すという映画は「クール・ランニング」などたくさんある。しかも、この話は2014年に「ネクスト・ゴール! 世界最弱のサッカー代表チーム0対31からの挑戦」というドキュメンタリー映画になっている。

それでも、「ジョジョ・ラビット」「ソー:ラブ&サンダー」などのタイカ・ワイティティ監督が、あれこれ工夫して見応えある作品に仕上げている。ワイティティ監督はポリネシア地域にルーツがあるそうで、そういう意味でも思い入れがあるのだろう。

映画の冒頭、地元の神父が、これがどんな物語であるかを簡潔かつユーモラスに説明する。そこでは実話であるのと同時に、かなり話を盛っていることも告げられる。つまり本作は実話をもとにしつつも、大胆にフィクションを組み込んだエンタメ映画なのである。

2001年、ワールドカップ予選でオーストラリア相手に0-31という大敗を喫して以来、1ゴールも決められていないアメリカ領サモア代表。次の予選が迫る中、外国人監督の起用を決断する。やって来たのは破天荒な性格でアメリカを追われた鬼コーチ、トーマス・ロンゲン(マイケル・ファスベンダー)。チームの立て直しを図ろうとするロンゲンだったが……。

全編に笑いがあふれた映画だ。何といってもキャラが濃い。鬼コーチのロンゲンは、破天荒な性格で怒ると何をするかわからない。おかげでチームを何度もクビになり、今またクビを宣告された。その席で「否認」「怒り」「取引」「抑うつ」「受容」という5段階の通りに感情を発露するロンゲンが面白い。

彼に選択の余地はなく、米領サモアのコーチを嫌々引き受ける羽目になる。つまり、最初からあんまりやる気がないのだ。

ちなみに、彼の奥さんは別居中でサッカー協会のお偉いさんとつきあっている。この設定も、ドラマに起伏をもたらしている。

個性派コーチ、ロンゲンに負けず劣らず米領サモアの選手たちもユニークだ。トランスジェンダーの選手や超太っちょの選手など、いずれもキャラの立つ選手ばかり。彼らの一挙手一投足が笑いを誘う。

そして選手たちは何事にも大らかだ。楽しくサッカーをやるのがモットーで、ガツガツと練習したりはしない。お祈りの時間にはすべての行動をストップするという習慣の違いもある。そこにロンゲンが入り込むのだから、これはもう騒動にならないわけがない。

こうして、ロンゲンと選手たちはぶつかり合い、すれ違い、心が離れていく。チームはバラバラになってしまうのだ。

ところで、劇中でロンゲンが時折、留守番電話に録音された声を聞くシーンがある。女性の声だが別居中の妻ではないようだ。観ている途中では訳がわからなかったのだが、実はこれが後になってロンゲンの過去につながることがわかる。

しかし、まあ、バラバラになったままでは物語は進まないわけで、あれこれ問題をはらみつつも、ロンゲンと選手たちは少しずつ距離を縮めていく。その様子をテンポよく描いていく。前半に比べて笑いは控えめだが、それでも軽快なタッチは変わらない。

そしてやってくるクライマックスはもちろん試合のシーン。ワールドカップ予選で宿敵トンガと対戦するのだ。はたして米領サモア代表は、悲願の1得点をすることができるのか。

その結果は伏せるが(というか、もうわかっちゃってる話だけどね)、その試合途中でも波乱がある。ロンゲンが怒りまくってブチ切れて、チームを離脱すると宣言するのだ。しかし思い直して戻ってきた彼は、自身の過去にあった悲劇について語る。そこで例の留守番電話の謎が明らかになる。ここは素直に感動できるシーン。

その後突入した後半戦。ここでも劇的に盛り上げる工夫をしている。サッカー協会の会長が試合途中に熱中症で倒れ、気がついた時には試合が終わっていた。結果はどうなったのか、と気をもむ彼に息子(選手)が経過を説明するのだ。

こうしてカタルシスがもたらされた後、さりげなく後日談をはさみ、さらに今度はノンフィクションの世界に戻って、実際のチームの映像やその後、彼らがどうしているのかを綴る。というわけで、最後の最後まで観客を楽しませる工夫を怠らない。

ロンゲン役のマイケル・ファスベンダーは、「それでも夜は明ける」「スティーブ・ジョブズ」などシリアスな役のイメージが強いが、こういうコメディもけっこう合っている。

サッカー協会会長を演じたオスカー・ナイトリー、ロンゲンの元妻を演じたエリザベス・モスも好演。サッカー選手たちを演じた無名の役者たちの演技も光る。特にトランスジェンダーの選手ジャイヤ・サエルアを演じたカイマナの演技はなかなかのもの。ワイティティ監督自身も出演しています。

結末はわかっているのに、最後まで飽きずに観ることができた。期待通りにキッチリ笑わせて感動させてくれる。これぞエンタメ映画。たまにはこういう映画もいいものだ。

◆「ネクスト・ゴール・ウィンズ」(NEXT GOAL WINS)
(2023年 イギリス・アメリカ)(上映時間1時間44分)
監督・製作・脚本:タイカ・ワイティティ
出演:マイケル・ファスベンダー、オスカー・ナイトリー、デヴィッド・フェイン、ビューラ・コアレ、レイ・ファレパパランギ、セム・フィリッポ、ウリ・ラトゥケフ、レイチェル・ハウス、カイマナ、ウィル・アーネット、リス・ダービー、タイカ・ワイティティ、エリザベス・モス
*TOHOシネマズ 日比谷ほかにて公開中
ホームページ https://www.searchlightpictures.jp/movies/nextgoalwins

 


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「52ヘルツのクジラたち」

「52ヘルツのクジラたち」
2024年3月5日(火)ユナイテッド・シネマとしまえんにて。午後1時40分より鑑賞(スクリーン2/E-9)

~原作の魅力を引き立てる熟練の演出とキャストたちの演技

先週はある本の校正仕事を頼まれ、さらにカーリングの日本ミックスダブルス選手権が開催中だったのでカーリング沼にズブズブとハマリ、映画館に行けずじまいだった。

というわけで、1週間と1日ぶりに映画館で観た映画は「52ヘルツのクジラたち」。2021年の本屋大賞を受賞した町田そのこの小説を成島出監督が映画化した。

あまり映画の原作本は読まない(特に観る前には)私だが、珍しくこの小説は読んでいた。何といっても、そのタイトルが秀逸な小説だ。他のクジラと鳴き声の周波数が違うため、誰にも声が届かない孤独なクジラを指すこのタイトル。それだけでいろいろな物語が湧きだしてくる。

主人公は、心に傷を抱えて、東京から海辺の街の一軒家に越してきた若い女性、貴瑚(杉咲花)。ある日、彼女は髪の長い一人の少年(桑名桃李)と出会う。彼は母親に虐待され「ムシ」と呼ばれていた。声の出ない少年を貴瑚は「52」と呼び、親身に世話をするようになる。少年との交流を通して、貴瑚は自身の過去を思い出す。かつて彼女は、母親から虐待され義父の介護を押しつけられていた。だが、アン(志尊淳)との出会いによって、それまでの生活を脱して、人生をやり直すきっかけを得たのだった……。

全体の構成は、貴瑚が52を守ろうとする現在進行形のドラマと、貴瑚の過去のドラマを行き来しながら描かれる。

現在進行形のドラマでは貴瑚が52と出会い、彼を守ろうとして彼の母親とぶつかり、それでも放っておけずに、東京から来た友人の美晴(小野花梨)とともに、52の知り合いらしい人物を探しに3人で出かける姿が描かれる。

そして、過去のドラマでは貴瑚が母親に虐待されて育ち、義父の介護をさせられ、衰弱する中で出会ったアンとの喜びに満ちた日々と失意が描かれる。

なにせ成島出監督と言えば、過去に「八日目の蝉」「銀河鉄道の父」などの原作モノの映画を数多く手がけている。それだけに、今回も原作の要素をバランスよく配している。内容はほぼ原作通りなのに窮屈な感じはない。逆に食い足りない感じもそれほどしない(脚本は「ロストケア」の龍居由佳里)。

貴瑚が52と出会った鮮烈なシーンをはじめ、印象的なシーンがいくつもある。映像も時にはアップを多用し、時には手持ちカメラを多用するといった変幻自在のテクニックで、それぞれの場面にふさわしい映像を作り出す。まさに熟練の演出だ。

現在進行形のドラマで、貴瑚が52を救おうとするのは、自身が虐待にあうなどして過酷な日々を送った経験があるからだろう。52ヘルツのクジラの鳴き声は誰にも聞こえない。それと同様に貴瑚が発したのも声なきSOSだ。それに気づいて自分を救ってくれたアン。貴瑚は、自身がアンに救われたように今度は52を救ってあげたいと思ったに違いない。

一方、過去のドラマでは、言うまでもなくアンが大きな存在として描かれる。自分を救ってくれたアンに貴瑚は好意を持つが、アンは彼女に寄り添いつつ一定の距離を保って接する。そのため貴瑚は仕事の上司で社長の御曹司・新名(宮沢氷魚)とつきあうようになる。だが、その先には思わぬ運命が待ち受けていた。

実はアンは現在進行形のドラマで、貴瑚の前に幻となって現われる。そこですでに彼が死んでいることがわかる。それが貴瑚の心の傷にもなっている。いったい過去になにが起きたのか。ドラマはその謎を探るミステリータッチで進んでいく。

こうした現在進行形のドラマと過去のドラマを通して提示されるのは、「家族とは何か?」「親子とは何か」といった重いテーマである。さらに、児童虐待、ヤングケアラー、LGBTなどの社会問題にも切り込む。

とはいえ、それを深刻になり過ぎずに、エンターティメントドラマの中で展開しているのが本作の特徴だ。貴瑚と52の交流、貴瑚とアンに起きた過去の出来事を通して、静かな感動を呼び起こすとともに、真面目なテーマにも真摯に向き合っている(あくまでもエンタメドラマの枠内なので、それほど深掘りしているわけではないが……)。

それにしても映像の力は大きい。原作を読んでいて、ややリアリティーに欠けると感じたところもあったのだが、それを実際に映像で見せられると納得してしまう。貴瑚の家のバルコニー(?)から見晴らす美しい海の景色なども、それに大きく貢献している。

そうした中でも、映画ならではの醍醐味といえば、何といってもクライマックスのクジラの出現(CG?)だろう。それは貴瑚と52にとっての奇跡の瞬間だ。ほんの一瞬とはいえ、その臨場感に心を奪われた。このシーンだけでも映画化の意味はあったと思う。

貴瑚を演じた杉咲花は、場面ごとにその表情が変わる。苦境にあっていた時と喜びに満ちていた時とは、まるで別人のようだ。それだけ貴瑚になりきった演技だった。「市子」に続いて今回もまた見事な演技。今、不幸な女を演じさせたら日本一ではあるまいか(笑)。そう言えば「市子」でもヤングケアラーだったなぁ。まあ、とにかく、杉咲花出演の映画には今後も要注目だ。

他のキャストの演技も見逃せない。アン役の志尊淳、新名役の宮沢氷魚、貴瑚の親友・美晴役の小野花梨、52の母親役の西野七瀬などがいずれも素晴らしい演技を披露。少年52を演じた桑名桃李はセリフがほとんどないにも関わらず存在感ある演技だった。そんな中、倍賞美津子の無駄遣いは何だ?と疑問に思ったのだが、何のことはない最後にちゃ~んと見せ場を用意していました(笑)。

そうしたキャストも含めて、原作を読んで話の流れを知っていた私にとっても見応えある映画だった。何のために映画化したのかわからない作品も多い中で、原作の魅力を充分に引き立てる良作だった。

◆「52ヘルツのクジラたち」
(2024年 日本)(上映時間2時間15分)
監督:成島出
出演:杉咲花、志尊淳、宮沢氷魚小野花梨、桑名桃李、金子大地、西野七瀬真飛聖池谷のぶえ余貴美子倍賞美津子
*TOHOシネマズ 日比谷ほかにて全国公開中
ホームページ https://gaga.ne.jp/52hz-movie/

 


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