「ビニールハウス」
2024年3月15日(金)シネマート新宿にて。午後12時20分より鑑賞(スクリーン1/C-14)
~社会のひずみが招く負の連鎖。新人監督による一級品のサスペンス
今週もあまり映画館に行けなかった。病院通いが続いたもので……。
ようやく金曜日になって映画館に行けたので、韓国映画「ビニールハウス」を鑑賞。前日にライムスター宇多丸のラジオ番組で、次週の映画評で取り上げられることになったのでこの作品にしたのだ。面白いらしいという話は聞いていたが、それほど期待はしていなかった。しかし……。
映画の冒頭、いきなり黒いビニールハウスが映る。その中で1人の女が自分の顔を殴っている。これがこのドラマの主人公ムンジョン(キム・ソヒョン)だ。彼女は貧困ゆえビニールハウスに暮らしている。
続いて彼女が少年院にいる息子ジョンウ(キム・ゴン)に面会するシーンが映る。ムンジョンは、新居に引っ越して息子と一緒に暮らすことを夢見ている。だが、ジョンウはあまり乗り気でないようだ。
その後、ムンジョンが盲目の老人テガン(ヤン・ジェソン)と、認知症の妻ファオク(シン・ヨンスク)の世話をしている場面が映る。彼女は来るべき息子との生活の費用を稼ぐため、訪問介護士として働いていたのである。
序盤は、社会の底辺に生きるムンジョンの日常を淡々と映し出す。ムンジョンの過去や現状などを説明するセリフもなく、観客は目の前で繰り広げられる光景から、それを類推するしかない。余計なことを描かず余白を残す作風は、この映画全体に共通する特徴だ。
はたして、このままムンジョンの苦境と、それにめげずに明るく前向きに生きる姿が描かれるのだろうか。
いや、その先には恐ろしい出来事が待ち受けていたのだ。
ある日、ファオクが死んでしまう。ムンジョンとトラブルになってしまい、転んで死んでしまったのだ。ムンジョンは取り乱すが、息子との未来を守りたい一心で、事態を隠蔽する。そのため認知症で病院に入院中の自身の母を、ファオクの身代わりに仕立てるのだが……。
「おいおい、それはネタバレだろう」と思うかもしれない。だが、ここまでのストーリーはこの映画の公式ホームページにも書いてあるから大丈夫。いや、ここまでのことがわかっていても、その後のハラハラドキドキ感は破格のものなのだ。
本人にその気がないのに、誤って人を死なせてしまうというネタは、サスペンスドラマでそれほど珍しくはない。だが、それをあれこれ工夫して、とびっきりスリリングなドラマに仕立てている。
スリリングさの核心は、ファオクが死んだという事実がいつバレるかだ。そこで効果的に使われるのが、認知症の初期の兆候があるテガンの設定。彼は自分のそばにいるのが、妻でないかもしれないという疑いを持ち始めるが、それは自分の認知症のせいではないかとも考える。
また、スンナム(アン・ソヨ)という女性を配したことも成功の要因だ。彼女はムンジョンと自傷癖のある人々の集まりで知り合い、彼女につきまとう。そこで予測不能の言動を繰り返して、ムンジョンを混乱に陥れる。
こうして緻密な構成と演出によって、一級品のサスペンスを展開する。イ・ソルヒ監督はこれが長編デビュー作とのことだが、とても新人とは思えない手腕だ。
自ら手掛けた編集でも、その手腕が光る。特に後半はぶつ切りのようにしてシーンを終わらせ、次のシーンに雪崩れ込む。それによって観客は、ますます心をざわつかされ、不穏な空気に包まれるのだ。
ムンジョンは、けっして悪人ではない。息子と暮らすために必死で働き、ファオクに暴言を浴びせられても、甲斐甲斐しく彼女の世話をする。知的障がいのあるスンナムにも優しく接する。だが、そのことが不幸を招く。ムンジョンはもちろん、テガムやスンナムもまた不幸に巻き込まれる。それはまさに負の連鎖だ。
そこから浮かび上がるのは、貧困、介護問題、少年非行、弱者に対する虐待などの様々な社会問題。それは現実の問題だ。例えば、貧困では実際に韓国ではビニールハウスで暮らす貧しい人々がいるという。「半地下はまだマシ」というのが本作の日本でのキャッチコピーだが、その通り「パラサイト 半地下の家族」よりもさらに貧しい生活がそこにある。
ただし、本作はそうした社会問題を深掘りしているわけではない。あくまでもサスペンスドラマの背景として、そのまま提示するのだ。その先のことは観客に委ねている。「こういう現状があることを、あなたたちはどう思うか」と。
観客に委ねるという点では、ラストシーンも同じだ。ここもまたぶつ切りのようなエンディングで、観る者の想像力をかき立てる。その後のムンジョンはいったいどうなったのだろうか。いつまでも余韻が残る。
主演のキム・ソヒョンの繊細かつ力強い演技が光る。私は知らなかったのだが、人気ドラマ「SKYキャッスル 上流階級の妻たち」で冷酷な入試コーディネーターを演じていたらしい。それを知っている人にとっても、本作の演技は驚嘆すべきものだろう。韓国で主演女優賞をたくさん獲ったというのもうなずける。
老夫婦を演じたヤン・ジェソンとシン・ヨンスク、スンナムを演じたアン・ソヨ、主人公の母を演じたウォン・ミウォンも存在感のある演技だった。
低予算ながら、社会問題を提示しながらこれだけ素晴らしいサスペンスを生み出したイ・ソルヒ監督。またしても韓国映画の奥深さを見てしまった。
◆「ビニールハウス」(GREENHOUSE)
(2022年 韓国)(上映時間1時間40分)
監督・脚本・編集:イ・ソルヒ
出演:キム・ソヒョン、ヤン・ジェソン、シン・ヨンスク、ウォン・ミウォン、アン・ソヨ
*シネマート新宿、ヒューマントラストシネマ有楽町ほかにて公開中
ホームページ https://mimosafilms.com/vinylhouse/
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