「ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい」
2023年4月25日(火)新宿武蔵野館にて。午後2時35分より鑑賞(スクリーン1/C-5)
~クソッたれな世の中で、迷える若者たちはぬいぐるみと話す
「ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい」というユニークなタイトルの映画。原作は大前粟生の小説(スイマセン。よく知りませんでした)。それを、これが長編商業デビューとなる金子由里奈監督が映画化した。
青春群像劇である。冒頭は主人公の七森(細田佳央太)が女の子から告白されているシーン。だが七森は恋愛というものがわからない。だから、告白されても戸惑うばかりで相手を怒らせてしまう。
そんな七森が京都にある大学に入学する。まもなく麦戸(駒井蓮)という同級生と仲良くなる。2人は「ぬいぐるみサークル」(略称ぬいサー)に興味を持ち、サークル室に行ってみる。すると、そこは彼らが想像したぬいぐるみを作るサークルではなく、ぬいぐるみと話すサークルだったのだ。
というわけで七森や麦戸をはじめ、ぬいサーの若者たちの日常が描かれる。タイトル通りに彼らはみんな優しい。そしてぬいぐるみに話しかける。鱈山(細川岳)は世界のどこかで起きている戦争や事件を嘆き、自らの無力を告白する。同性愛者の西山(若杉凩)は、ジェンダーに対する世間の無理解について話す。麦戸は女性ならではの生きづらさを語る。
そんな中、七森はメンバーが普通に恋話をしていることにショックを受けて、自分も恋愛してみようと思い立ち、同期入部した白城(新谷ゆづみ)に声をかける。白城はたまたま彼氏がいない時期だったこともあり、2人はデートするようになる。
一方、麦戸は学校へ顔を見せなくなる。七森は心配して連絡を取るのだが……。
静かで穏やかなドラマである。セリフはアドリブのように自然なもの。独特の間もいい味を出している。ぬいぐるみ目線のユニークな映像も飛び出す。ここには間違いなく等身大の若者たちの姿がある。
だが、そんなソフトな入り口にだまされてはいけない。この映画はかなり硬派なテーマを扱っているのだ。
ぬいサーのメンバーたちは、なぜぬいぐるみに話しかけるのだろう。なぜ人ではないのだろう。それは彼らが誰も傷つけたくないし、自分も傷つきたくないから。世間の無理解や理不尽に苦しみながら、部室にこもってひたすらぬいぐるみに話しかける。それはある意味、現実逃避なのだ。
劇中では、七森がそのことに対して疑問を口にするシーンがある。だが、その後、彼自身も世間の無理解や同調圧力に苦しみ、大きなショックを受けてしまう。
一方、白城はぬいサーに所属しながら、他のサークルにも所属している。それはごく普通のサークル。本人に言わせればセクハラも横行している。そんなサークルは辞めればいいと七森は言うが、白城は取り合わない。彼女はそうやって現実と折り合いをつけながら生きているのだ。
白城はぬいサーに所属しているが、ぬいぐるみに話しかけることはない。他のメンバーがぬいぐるみに話しかけている間、本を読んだりして過ごしている。それは他のメンバーのような現実逃避を拒否する彼女の姿勢の表れなのだろうか。
今の世の中優しいばかりでは生きていけない。それは確かにそうなのだが、誰も傷つけたくないし、傷つきたくないという若者たちの気持ちも理解できる。金子監督はそのどちらに肩入れするわけでもない。世間がクソッたれなことは十分に承知した上で、そこから現実逃避する者も、そうしない者も同じように温かい目で見つめている。
だが、ドラマが一応の大団円を迎え、新たなメンバーがサークル室に現れたラストシーン。そこで白城のモノローグでエンディングを締めくくるあたりに、もしかしたら金子監督の気持ちが表れているのかも。ぬいサーのメンバーたちが、いずれはぬいぐるみでなく、人と話せるようになる日が来ることを期待しているのかもしれない。
迷える若者たちを描いた青春映画の佳作だ。人は人、自分は自分。そう割り切ることは難しい。それでも七森や麦戸たちが、世間の荒波の中、自分らしい生き方を見つけて欲しいと切に願うばかりである。
主演の細田佳央太は繊細な大学生役がピッタリ。駒井蓮、新谷ゆづみ、細川岳らも瑞々しい演技を見せている。
◆「ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい」
(2022年 日本)(上映時間1時間49分)
監督:金子由里奈
出演:細田佳央太、駒井蓮、新谷ゆづみ、細川岳、真魚、上大迫祐希、若杉凩、天野はな、小日向星一、宮崎優、門田宗大、石本径代、安光隆太郎
*新宿武蔵野館ほかにて公開中
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