映画貧乏日記

映画貧乏からの脱出は可能なのだろうか。おそらく無理であろう。ならばその日々を日記として綴るのみである。

「あの頃、君を追いかけた」

「あの頃、君を追いかけた」
池袋シネマ・ロサにて。2018年10月16日(火)午前10時50分より鑑賞(シネマ・ロサ2/自由席)

~甘酸っぱくて、切なくて、ノスタルジックな台湾の青春映画を忠実にリメイク

リメイク映画は数々あるが、どの程度オリジナルに忠実かは千差万別だ。オリジナルを大幅にアレンジして、まったく雰囲気の違う作品にしたケースもあれば、オリジナルを忠実になぞった作品もある。

先ごろ公開になった大根仁監督の「SUNNY 強い気持ち・強い愛」は、主人公たちをコギャル世代に設定し、ラストでキャスト総出演のダンスを披露するなど、けっこう大胆なアレンジも加えていたが、基本となる部分はオリジナルの韓国版の要点をほぼ踏襲していた。

だが、それ以上にオリジナルに忠実なリメイク映画がある。「あの頃、君を追いかけた」(2018年 日本)だ。オリジナルは同名の台湾映画。台湾の作家、ギデンズ・コーが自作の自伝的小説を2011年に映画化し、台湾はもちろん日本でもヒットした。甘酸っぱくて、切なくて、ノスタルジックな青春映画だ。

今回のリメイク版がどの程度オリジナルに忠実かといえば、人物のキャラ設定やストーリー展開、エピソードの数々がそっくりなのだ。それだけではない。舞台となる高校の制服をはじめ、細かなディテールもかなり似通っている。ドラマを映すカメラワークまでそっくりだ。

劇中では、どう考えても台湾としか思えない異国情緒あふれる風景も登場する。主人公たちの受験風景では、みんなが半袖の夏服を着ているのだが、それもオリジナルに合わせたものらしい。これは完全コピー。いわゆる完コピではないかっ!!

ここまで完コピしたリメイク版は見たことがない。うーむ、いったいなぜ? 裏に何か事情があったのか。それとも単純にオリジナルをリスペクトしたからなのか。疑問は膨らむばかりだが、それはとりあえず置いておこう。

大人になった主人公が、高校生時代を振り返る形でドラマが始まる。クラスの悪友たちとバカなことばかりして、お気楽な高校生活を送る水島浩介(山田裕貴)。ある日、そんな浩介の態度に激怒した教師は、彼をクラス一の優等生・早瀬真愛(齋藤飛鳥)の前の席に座らせて、真愛にお目付け役を命じる。

真愛は中学時代から仲間たちのマドンナ的存在。その真面目さに反発しつつ、少し心がときめく浩介だった。やがて教科書を忘れた真愛のピンチを浩介救ったことをきっかけに、真愛は浩介に真剣に勉強を教える。最初は嫌がっていた浩介も、巧みな真愛の教え方に乗せられて、次第に成績がアップしていく。こうして2人は距離を縮めていく。

オリジナル同様に、前半は浩介と真愛を中心に、高校生たちのキラキラした青春の日々を生き生きと綴っている。マンガチックで笑える場面もあったりする。たとえば、浩介は自宅で全裸で過ごす。「何だコイツは?」と思ったら、父ちゃんも全裸だった……などというオチ(これもオリジナルと同じ)に思わず笑わせられる。ちなみに生田智子演じる母ちゃんは、ちゃんと服を着ている。

さて、距離を縮めた浩介と真愛だが、そのままお気楽に恋人関係に突入したりはしない。お互いに「自分に自信が持てない」「本当の私を知ったら嫌われるかも」などと微妙な心理を抱えて、その関係は遅々として進展しないのだ。

そんな2人に対して、もどかしさを感じると同時に、「そうだよなぁ。初恋ってあんなものだよなぁ」と共感し、自分の過去ともリンクして甘酸っぱさがこみあげてくるのだった。

そして高校卒業。浩介や真愛が仲間とともに海に遊びに行くシーンが、とびっきり輝いていて印象深い。それ以外にも印象深いシーンがたくさんある映画だ。もちろん、その多くはオリジナルを踏襲したものではあるのだが。

卒業後、彼らはそれぞれの道を歩み出す。そんな中、離れて暮らすことになった浩介と真愛だが、それでも微妙な関係は続く。久しぶりに再会した2人が、お互いの気持ちを書いた気球を飛ばすシーンが心に染みる。まさに胸キュンのシーンである。

だが、それでも2人が恋人になることはない。小さなすれ違いが決定的な亀裂に発展してしまうのだ。それはどう考えてもバカバカしいこと。大人になって振り返れば笑い話で終わりそうだが、若さゆえシリアスな事態に至ってしまう。それがとても切ない。

その後、疎遠になった2人が地震をきっかけに、連絡を取り合うエピソードもオリジナル通り。そして、ラストの結婚式でのユーモラスで微笑ましいエピソードもまた然り。

というわけで本当に何から何まで完コピなだけに、さすがに驚きはないものの、「甘酸っぱくて、切なくて、ノスタルジックな青春映画」というオリジナルの魅力は、そのまま受け継がれているのは間違いない。

時間が経って青春時代を振り返った時に、「あの時ああだったら……」という思いは誰もが持つのではなかろうか。そんなちょっぴり苦い思いと共鳴して、心を揺さぶられてしまう映画なのである。

そういう点で、リアルタイムに青春を過ごしている若者よりも、大人の観客の方がよりグッとくるのかもしれない。

主演の山田裕貴はいかにもあの年代の男の子らしさを熱演。同じく主演の「乃木坂46」の齋藤飛鳥は、何だか人形みたいで可愛いですなぁ。彼女の無二の親友を演じた松本穂香ともども、なかなかの演技で今後が楽しみである。

リメイク映画を紹介する時には、「オリジナル版もぜひ」とお勧めするのだが、これだけ完コピだと、ちょっと戸惑ってしまう。けれど、やはりオリジナルはオリジナル。やっぱり、そちらも観てもらいたい。ホントに素晴らしい青春映画なので。

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◆「あの頃、君を追いかけた」
(2018年 日本)(上映時間1時間54分)
監督:長谷川康夫
出演:山田裕貴齋藤飛鳥松本穂香、佐久本宝、國島直希、中田圭祐、遊佐亮介
*TOHOシネマズ日比谷ほかにて全国公開中
ホームページ http://anokoro-kimio.jp/

 

「運命は踊る」

運命は踊る
ヒューマントラストシネマ有楽町にて。2018年10月7日(日)午後2時5分より鑑賞(スクリーン1/D-13)。

~運命の不条理さを社会への疑問とともに描く

運命があらかじめ決められた避けようのないものなら、それは不条理極まりないものといえるだろう。人は運命に翻弄され、大きく人生を狂わせられる。

運命は踊る」(FOXTROT)(2017年 イスラエル・ドイツ・フランス・スイス)は、そんな運命の不条理さを描いた映画だ。「レバノン」で第66回ヴェネチア国際映画祭金獅子賞を受賞したイスラエルサミュエル・マオズ監督の8年ぶりの長編。本作も、ヴェネチア国際映画祭審査員グランプリを獲得した。

映画の冒頭、一台の車が荒れ地の中の道を走っている。実は、これがラストの種明かしにつながってくる。

続いて一軒の家を軍人たちが訪ねるシーン。そこに住むのは、ミハエル(リオル・アシュケナージ)とダフナ(サラ・アドラー)夫妻。軍人たちは、彼らの息子ヨナタンが戦死したことを知らせにきたのだ。

ダフナは兵士たちを見た瞬間に、ショックのあまり気を失う。それに対してミハエルは平静を装うが、次第に苛立ちを募らせていく。軍人たちは、表面的には彼らに同情する態度を見せるが、まるでルーチンワークのように次々と指示を出す。気を落ち着かせるために、決まった時間に水を飲めなどと言って、タイマーまで設定するのだ。それによって混乱していくミハエル。

ミハエルを混乱させるのは軍人たちだけではない。夫妻の親戚たちの行動も彼を刺激する。ひたすら泣きわめく者、あちこちの親戚縁者に連絡をする者など。ミハエルは認知症気味の母に知らせるために施設を訪問するが、母はミハエルの話を理解しているのかいないのか要領を得ない。

そして、ついにミハエルはブチ切れる。自ら蛇口の熱湯に手を差し伸べて、その熱さに耐えるまでに精神的に追い詰められた彼は、葬儀の詳細について話しにきた軍の聖職者を怒鳴りつける。息子の遺体の存在に関して、相手が曖昧な答えを繰り返したことが原因だった。

こうして混乱と怒りの渦中に叩き落された、ミハエルの心情を示す映像がユニークだ。ゆっくりと左右に振られるカメラ。アップの多用。それも顔だけでなく、足など様々なアップが登場する。そして、何よりも印象深いのが、ミハエルを頭の上から映した映像だ。この頭上からの映像は、他の人物についても使われる。

そして、こうした映像が、サスペンスフルで不穏な空気を生み出す効果も発揮する。何やらこの先に、とてつもなく良からぬことが起こりそうな、そんな雰囲気が漂うのだ。

まもなく衝撃的な出来事が起きる。なんと息子ヨナタンの戦死は誤報だったというのだ。戦死したのは同姓同名の別人だったというのである。

それを聞いて母のダフネは心から安堵する。だが、ミハエルは怒りをぶちまける。あとでわかるのだが、彼は過去の出来事によって心に傷を負い、それが感情のコントロールを難しくしていたのだ。ミハエルはヨナタンをすぐに呼び戻すよう要求する。さらに、コネを使って自ら軍に働きかける。

さて、では当のヨナタンは何をしているのか。ここからはヨナタンの日常が描かれる。彼は国境の検問所で、仲間の兵士とともに任務に就いていた。そんな彼らの前を歩いて検問を通るのは、なんと一頭のラクダではないか。何が起こるかと緊張していた観客は思わず脱力するはず。つい笑ってしまうシーンだ。

その後、ある兵士はトロットダンスという踊りを踊る。この踊りは、1910年代はじめにアメリカで流行した社交ダンスらしい。そのステップは「前へ、前へ、右へ、ストップ。後ろ、後ろ、左へ、ストップ」。つまり、どうしても元の場所に戻る。この映画の大きなテーマである運命が、どうあがいても逃れられないことを示唆しているようなステップである。

というわけで、ヨナタンは、戦場の緊迫感からは程遠い閑散とした検問所で、間延びした時間を過ごしていたのだ。そんな中で、自分たちが何のために何と戦っているのかわからなくなってくる。前線で必死で戦うわけではなく、こういう場所にいるからこそ持つ疑問だろう。

そんなヨナタンたち兵士を描く映像も、相変わらずユニークだ。彼らの様々な思いを一風変わったショットで映し出す。同時に、不穏さも失わない。徐々に傾く彼らの住居のトレーラー、調子の悪いラジオなどのアイテムも、効果的に使われる。

そうした不穏さは、やがて現実のものとなる。ある夜、彼らは国境を越えようとする一台の車をチェックする。兵士たちの任務の中で、唯一といってもいい緊張する場面だ。だが、今まではすべて問題がなかった。今回も簡単な取り調べのはずだったのだが……。

その後、ヨナタンは帰宅の途に就く。その車中で、彼は自らが描いた漫画を取り出す。その漫画がひとしきり物語を紡ぎ出す。だが、そこから一気に場面は飛ぶ。またしても何かが起きたのだ。それを受けて、ミハエルとダフネの関係も変化している。

この終盤の夫妻の演技が圧巻だ。まるで濃密な舞台劇を見ているかのように、重厚で、スリリングで、緊迫したシーンである。ミハエルとダフネ、それぞれの思いがぶつかり合う。そこでは、これまでずっとミハエルの心の傷となっていた過去の出来事も暴露される。

この一件に加えて、息子ヨナタンの戦死をめぐるあれこれ、そしてヨナタンに起きたもう一つの異変は、すべて運命の不条理さを示す出来事だ。父、母、息子。遠く離れた場所で、3人の運命は交錯し、すれ違い、元に戻ってしまう。やはり運命は避けられないものなのか。

ドラマの最後には、ヨナタンに起きたもう一つの異変が描かれ、運命の不条理さをいっそう強く印象付ける。

「運命」というテーマを追求した作品ではあるが、同時にこの映画には、イスラエルの現状に対する疑問と批判、ひいては世界の現状に対する疑問と批判がクッキリと刻まれている。そのせいか、イスラエルの右寄りの政治家たちは、この映画を非難したらしい。やれやれ。

誰もが満足するような、わかりやすい映画ではない。観る人によって評価も大きく分かれそうだ。だが、それでも、ありきたりの映画にはない不思議な魅力を持つ作品なのは確かである。

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◆「運命は踊る」(FOXTROT)
(2017年 イスラエル・ドイツ・フランス・スイス)(上映時間1時間53分)
監督・脚本:サミュエル・マオズ
出演:リオル・アシュケナージ、サラ・アドラーヨナタン・シレイ
*ヒューマントラストシネマ有楽町ほかにて公開中。全国順次公開予定
ホームページ http://www.bitters.co.jp/foxtrot/

 

「教誨師」

教誨師
池袋シネマ・ロサにて。2018年10月6日(土)午後1時より鑑賞(CINEMA ROSA 2/D-13)。

~牧師と死刑囚との濃密な対話劇。大杉漣最後の主演作

大杉漣という役者を知ったのはいつだったろうか。作品名は記憶していないが、今からはるか以前に、脇役として出演していた映画を観た時だったと思う。すでに日本映画におけるバイプレーヤーとして知る人ぞ知る存在ではあったものの、後年のような知名度を獲得するには至っていなかったはずだ。

その後、映画にテレビドラマにと大活躍し、日本の名優の一人としての地位を築いた大杉漣だが、惜しくも今年2月に急逝してしまった。その大杉の最後の主演作が「教誨師」(2018年 日本)である。本作で彼は自らプロデュースも務めている。監督・脚本は、大杉の出演作「休暇」の脚本を手掛けた佐向大

主人公はプロテスタントの牧師・佐伯保(大杉漣)だ。彼は、教誨師として月2回拘置所を訪れていた。教誨師とは、刑務所や少年院等の矯正施設で収容者の希望に応じて、心の救済に努める宗教家のこと。半数以上は仏教の僧侶だが、キリスト教神道などの宗教家もいるとのこと。

佐伯が担当するのは死刑囚だ。拘置所(死刑囚は死刑が刑罰であり、それまでは刑務所ではなく拘置所に収容される)の部屋で、佐伯は様々な死刑囚たちと向き合う。

というわけで、佐伯と死刑囚6人との対話がこのドラマのほとんどの部分を占める。無言を貫く鈴木(古舘寛治)。気のよいヤクザの組長、吉田(光石研)。年老いたホームレス、進藤(五頭岳夫)。おしゃべりな関西出身の中年女性、野口(烏丸せつこ)。我が子を気にかける気弱な小川(小川登)。大量殺人者の若者、高宮(玉置玲央)。

佐伯は、彼らが罪と向き合い、悔い改め、心安らかに死を迎えられるよう対話を重ねる。そこでは聖書やイエスなどキリスト教に関する会話も交わされるが、それだけでは事は済まない。いや、むしろそれ以外の話の方が多い。佐伯は、個性的な死刑囚それぞれに正面から相対し、彼らの雑多な話に耳を傾け、様々な言葉をかける。深刻な話ばかりではなく、時にはユーモラスな会話などもある。

本作の見せ場は、もちろんこの対話シーンにある。そこでは大杉漣と死刑囚役の芸達者な役者たちによる演技合戦が披露される。烏丸せつこ光石研古舘寛治、五頭岳夫といったベテラン・中堅役者が見事な存在感を発揮している。大杉ともども、セリフはもちろん微妙な表情の変化などで、様々に変化する心の内を繊細に表現する。その演技から目が離せない。

これが映画初出演だという玉置玲央も、底知れぬ不気味さを抱えた男を鬼気迫る迫力で演じている。さらに、かつて佐向監督の自主映画に出演し、現在は会社員だという小川登も、独特の存在感を見せる。大杉の演技と彼らの演技が相乗効果を発揮して、あまりにも濃密な時間を生み出している。それはあたかも演技ではなく、現実ではないかと思わせるほどの演技である。

やがて佐伯との対話を通して、死刑囚それぞれの今までの人生や犯行の様子などが、おぼろげながら浮かび上がってくる。ストーカー殺人や障がい者に対する殺人など、現実の事件を想起させる犯罪なども浮上する。同時に、無学ゆえに犯罪に走ったケースや、ほんの些細な行き違いが事件に発展したケースなども明らかになる。

それを通して見えてくるのは、一見、我々観客には無縁のように思える死刑囚も、けっして遠い存在ではないということだ。もしかしたら、自分たちの隣人が、彼らと同じような運命をたどったかもしれない。いや、我々自身がほんの少しのボタンの掛け違いで、彼らのようになっていたかもしれない。そう思わせられるのである。

このドラマでは、佐伯は教誨師としてのキャリアがまだ浅い人物として設定されている。そうしたこともあって、彼の思いは死刑囚たちになかなか届かずに、歯がゆい思いをする。それどころか、自分が正しいことをしているのかどうかさえ、わからなくなってくる。その葛藤も本作の見どころだ。

大量殺人者の高宮は、佐伯が命の大切さを説いたのに対して、「それなら死刑はどうなんだ?」と問い返す。さらに、「人間の命は大切なのに家畜は殺される」と畳みかける。そうした死刑囚からの様々な反応を前に、佐伯の葛藤はより深まっていく。

実は、佐伯が牧師になった背景には、彼の家族に関する過去の衝撃的な出来事がある。ドラマの中盤で、それが回想シーンとして描かれることで、佐伯の苦悩がますますリアルに感じられるようになる。

劇中では、ある種の超常現象も映像化される。一度目は、死刑囚の鈴木と被害者をめぐって。二度目は佐伯の過去の傷をめぐってだ。そして、この後、本作で最も痛切なシーンが飛び出す。高宮に対した佐伯が、本当の心の内をさらけ出し、自分がすべきことを決意するシーンである。「あなたに寄り添う」「穴を見つめる」。そこでの大杉漣の表情が忘れ難い。

ラストシーンも余韻を残す。佐伯が死刑囚から渡されたあるもの。そこに記された文字。それは、佐伯だけでなく、観客にも、そしてすべての人々にも投げかけられた問いだろう。

牧師と死刑囚との対話を通して、死刑制度の是非だけでなく、人生や生きる意味など根源的なテーマに迫った骨太な映画だ。観応え十分の作品である。

そしてエンドロールで映る、去り行く大杉漣の後姿。それを見て胸がいっぱいになってしまった。まさに名優だったと実感。改めて合掌。

ちなみに、この日は舞台挨拶もあって、佐向大監督、光石研古舘寛治烏丸せつこ、五頭岳夫、玉置玲央、小川登が登壇した。撮影時のエピソードなどに関する彼らの話から、大杉漣の人柄と、その思いが強く伝わってきた。

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◆「教誨師
(2018年 日本)(上映時間1時間54分)
監督・脚本:佐向大
出演:大杉漣、玉置玲央、烏丸せつこ、五頭岳夫、小川登、古舘寛治光石研
有楽町スバル座ほかにて公開中
ホームページ http://kyoukaishi-movie.com/

 

「クワイエット・プレイス」

クワイエット・プレイス
シネマサンシャイン池袋にて。2018年10月4日(木)午前10時20分より鑑賞(スクリーン1/F-10)。

~音をたてたら襲われる。破格の緊張感に包まれた家族の絆のドラマ

人類がほぼ死に絶えた世界・・・というのは、映画ではよくある設定。その原因は、たいていパンデミック(爆発的細菌感染)やゾンビの襲撃だったりする。

全米で大ヒットしたサスペンスホラー映画「クワイエット・プレイス」(A QUIET PLACE)(2018年 アメリカ)も、人類滅亡の危機に瀕した世界を舞台にしている。映画の冒頭で映る荒廃した人気のない街。いったい何が起きたのか。パンデミックなのか。ゾンビの襲撃なのか。

そこに一組の家族が現れる。夫のリー(ジョン・クラシンスキー)と妻エヴリン(エミリー・ブラント)、そして子どもたち。だが、彼らの様子は奇妙だ。会話は手話で行い、歩く時は裸足で道に砂を敷き詰めるなど、徹底的に音を出さない生活をしている。

そうなのだ。この世界を荒廃させたのは、パンデミックでもゾンビの襲撃でもない。音に反応して人間を襲う「何か」なのだ。だから、一家は必死で音を出さないようにしていた。そのおかげで、かろうじて生き延びていたのである。

明確な説明はないが、「何か」は異星人らしいことが示唆される。音が聞こえれば、その場所にやってきて人間を襲う。その代わり視覚はないようで、光などには反応しない。この設定が絶妙だ。

前半は、農場で暮らす一家の生活が描かれる。そこでも、ひたすら音をたてないように注意して暮らさねばならない。故意ではないとしても、いつ何かが音をたてないとも限らない。それゆえ、スクリーンには常に緊張感が漂い、半端でないスリルが味わえる。

ドラマは当然静寂の中で進む。この静寂がなおさら観客をスクリーンに集中させ、登場人物と同じような感覚を味合わせてくれる。観ているこちら側も、何やら音をたててはけないような気分になってしまう。音をたてたら、客席にも「何か」が襲ってくる!?

とはいえ、さすがにすべてを静寂の中で描くのでは平板すぎる。ドラマには適宜BGMが効果的に挿入される。さらに、リーとエヴリンがイヤホンで聴く音楽(ニール・ヤングの「ハーヴェスト·ムーン」)が流れ、それに合わせて2人がダンスをする美しいシーンもある。めったやたらにハラハラさせるだけではなく、こうしてメリハリもきっちり付けた映画なのだ。

途中で、一家の長女リーガン(ミリセント・シモンズ)が間違って、音を出してしまうシーンがある。とたんに一家に緊張が走る。観客も身を固くする。次の瞬間「何か」が襲ってきたような気配が。恐怖で震え上がる一家。だが、その正体は意外なものだった・・・。というように、観客の予想をハズす小憎らしい仕掛けなどもある。

「音をたててはいけない」という縛りのあるホラー映画には、2016年の「ドント・ブリーズ」もあるが、あちらは密室を舞台にしたドラマ。しかし、こちらは音さえたてなければ、どこにでも行ける。というわけで、中盤になって、リーは長男のマーカス(ノア・ジュープ)を連れて川や滝に出かける。

そこでは水の音が大きく、声を出しても「何か」に気づかれないで済む。そのため、父子は久方ぶりに思いっきり声を出す。このあたりの変化のつけ方も面白いところだ。

一方、その2人とともに出かけたかったリーガンだが、父によって拒否されてしまう。そこで、彼女は単独で外出してしまう。

実は、この映画の冒頭近くでは、一家を襲ったある悲劇が描かれている。そのことが、リーガンをはじめ家族の心の傷になっている。特にリーガンは、そのことで自分は父に嫌われていると思っていた。つまり、この映画には、傷ついた家族の再生に向けたドラマという側面もあるのだ。

こうして父と子どもたちが外出し、家にはエヴリンが一人取り残される。しかも、なんと彼女は出産を目前に控えていた。とくれば、予想はつくだろう。そうなのだ。家族が家にいない中で、彼女は産気づいてしまうのだ。はたして、音をたてずにたった一人で出産などできるのか? たとえ無事に出産しても、赤ん坊は絶対に泣くはずだ。そんな状況下で、観客のハラハラ度はどんどん高まっていく。

さらに、その時、エヴリンは不注意で足に怪我をしてしまう。悲鳴を必死に押し殺すエヴリン。これがまあ、リアルすぎる描写なのだ。今思い出しても痛々しい。まるで自分も怪我したような気分になってしまう。

そして、外出しているリーと子どもたちにも危険が迫る。家の内外でダブルで恐怖の波状攻撃が続き、ここに至って観客のハラハラドキドキ度はマックスに高まるのである。

クライマックスでは、大きな犠牲が払われる。その展開は予想できたが、背景には傷ついた家族の再生物語が織り込まれているので、薄っぺらさは感じなかった。そこでリーがリーガンに伝える手話のメッセージが心に染みる。家族の絆が強く結ばれた瞬間である。

だが、戦いはまだ終わらない。最終決戦ともいうべき「何か」との戦いに立ち向かう家族。はたして、その結末は?

ちなみに、文中で「何か」と書いてきたが、実のところ意外に早くその正体が見えてしまう。これについては、「あくまでも隠し通したほうがよかったのでは?」と思う人もいるだろうが、ヤツの異様に耳を強調したビジュアルが、確実におぞましさと恐怖感を煽り立てているのは事実だろう。

本作は映像的にも素晴らしい作品だ。恐怖とは無縁に思えるトウモロコシ畑の風景など、詩情漂う映像も多い。家族に危険を知らせるための赤いライトが夜の農場に灯るシーンなどは、幻想的で格調さえ感じさせる映像である。

手話が中心でセリフがほとんどないドラマだけに、一家を演じた役者たちの演技も見事なもの。「ボーダーライン」「オール・ユー・ニード・イズ・キル」など数々の作品に出演してきたエミリー・ブラントの恐怖顔は迫真の極み。実生活でも彼女の夫で、今回は監督も務めたジョン・クラシンスキー、聴覚障害を持ちながらトッド・ヘインズ監督の「ワンダーストラック」でブレイクしたミリセント・シモンズの演技も印象深い。

「音をたててはいけない」という究極の条件のもと、抜群のハラハラドキドキ度に加えて、家族の絆のドラマも紡いだ異色のサスペンスホラー映画だ。ホラー映画好きでなくとも一見の価値はあるだろう。

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◆「クワイエット・プレイス」(A QUIET PLACE)
(2018年 アメリカ)(上映時間1時間30分)
監督:ジョン・クラシンスキー
出演:エミリー・ブラント、ジョン・クラシンスキー、ミリセント・シモンズ、ノア・ジュプ、ケイド・ウッドワード
*TOHOシネマズ日比谷ほかにて全国公開中
ホームページ http://quietplace.jp/

「バッド・ジーニアス 危険な天才たち」

「バッド・ジーニアス 危険な天才たち」
新宿武蔵野館にて。2018年9月28日(金)午後12時より鑑賞(スクリーン1/A-5)。

~高校生たちのカンニング“ビジネス”を社会問題を背景にスリリングに見せる

カンニングは一度もしたことがない。その必要がないほど抜群に成績優秀だったわけでも、無茶苦茶に正義感が強かったわけでもない。ただ悪事がバレるのが怖かっただけである。

タイ映画「バッド・ジーニアス 危険な天才たち」(BAD GENIUS)(2017年 タイ)は、中国で実際に起こったカンニング事件をモチーフに製作された。カンニングといっても、クラスの片隅で行われるものではない。世界を股にかけてビジネスとして実行されるのだ。

そのカンニングの当事者たちが疑惑を持たれ尋問を受けるというのが、ドラマ全体の大枠だ。その中で彼らが何をしたのかが描かれる。だが、実はこの尋問シーン、それ自体に意外なからくりがある。それがのちになって判明して仰天させられる。そんなふうに隅々まで凝りに凝った仕掛けのある映画なのだ。

主人公は、天才的な頭脳を持つ女子高生リン(チュティモン・ジョンジャルーンスックジン)。映画の冒頭は、リンが進学校への転校のために父とともに、校長の面接を受けるシーンだ。校長はリンの頭脳を評価して入学を認める。だが、リンは今一つ気が乗らない様子。転校すれば学費のほかに多額の経費がかかり、大変な負担になると説明するリン。それに対して、校長は授業料を免除する特待奨学生として受け入れると申し出る。

リンの置かれた経済的状況と、それをはねのけるしたたかさを示すこのシーン。ここから彼女の戦いが始まる。そして、このシーンには映像的な工夫もある。リンが学費について頭の中で素早く計算するのに合わせて、その数式がテロップとして映し出されるのだ。

こうして映像的に様々な技巧を凝らしているのが、この映画の特徴の一つだ。アップやスロー映像などを巧みに組み合わせ、スタイリッシュでケレンに満ちた映像で、テンポよくドラマを進める。長編2作目のナタウット・プーンピリヤ監督は、CMやミュージック・ビデオを手がけてきたそうで、そうした経験が十分に発揮されているのだと思う。

転校したリンは、グレース(イッサヤー・ホースワン)という同級生と仲良くなる。だが、彼女は成績が悪かった。そんな中、リンはテスト中に「ある方法」でグレースに答えを教えて、彼女の窮地を救う。

この最初のカンニングシーンからして、破格のスリリングさだ。鍵になる靴の動きをアップで追った映像が、ハラハラドキドキ度を高める。だが、それはまだ序の口にすぎない。

グレースは、カンニングの件を彼氏のパット(ティーラドン・スパパンピンヨー)に話してしまう。パットは裕福な家の子だが、こちらも成績はさっぱり。そこで彼は試験中に高度なカンニングをして、顧客の生徒たちから代金を取る“ビジネス”をもちかける。リンはそれに応じて答えを教える。

最初のカンニングは友情がベースにあったが、今度はそうではない。金儲けが主な目的だ。それだけを聞けば、リンが大変な悪女のように思えるかもしれない。だが、冒頭でも描かれているように、彼女は経済的に恵まれていない。そのことが印象付けられるから、リンを正面から非難する気にはなれない。これは彼女にとって、貧困からの脱出の戦いなのだ。

つまり、このドラマにはタイの社会の現状などが、巧みに織り込まれているのである。貧富の格差、学歴偏重社会、学校での賄賂の横行などが背景として登場する。もちろん真正面から取り上げるのではなく、エンタメドラマの背景として盛り込まれているのだが、それがドラマの面白さを十二分に引き立てている。

まあ、何よりも犯行の手口があまりにも鮮やかでスリリングなので、善悪を越えてシンプルに見入ってしまうのだ。ちょうど「オーシャンズ・シリーズ」などのケイパー(強盗)もののドラマと、共通する魅力に満ちた映画だと思う。

リンたちがビジネスとして始めたカンニング。そこで使われる手口は、ピアノからヒントを得た暗号法。よくもまあ、こんなことを考え出すものだと感心する。それによって、リンはクラスメートから賞賛され、報酬も貯まっていく。

だが、好事魔多し。彼女に最大の試練が訪れる。厳しい監督教師だけでなく、カンニングを嫌悪する男子学生バンク(チャーノン・サンティナトーンクン)の存在によって、リンたちの犯行はより困難なものになる。それをかいくぐって、いかにしてリンたちが犯行を成し遂げるのか。ここもまた破格のスリルで、誰しもスクリーンに見入ってしまうはずだ。

ちなみに、バンクもまた貧しい家庭の学生だ。リンと同様に、奨学金を得て大学進学を目指している。2人はライバル関係でもある。そして、そのことがリンの運命を大きく狂わせる。

いったん挫折したリン。これでドラマが終わるかと思いきや、さにあらん。リンは最後の犯行に乗り出す。それは、アメリカの大学に留学するため世界各国で行われる大学統一入試「STIC」を舞台にしたスケールの大きなカンニングだ。そこで使われるのが時差のトリック。過去にも時差をトリックに使った映画はあったが、その中でもかなりの面白さだと思う。

この最後の犯行にも例の苦学生バンクが関わってくる。それも意外な形で。彼の存在が犯行に至る準備段階で大きな波乱を起こす。仲間割れをはじめ様々な困難がリンたちを襲う。こうしてドラマは二転三転する。

いざ犯行となった場面でも計画通りに事は進まない。次々にトラブルが起きてリンたちは苦境に追い込まれる。試験会場で、駅の構内でと緊迫の場面が続く。

そして終盤に進むにつれて、リンの心情がよりきめ細かに描かれるようになる。彼女の心の揺れ動きがリアルに伝わってくる。それがラストでの彼女の決断の伏線になる。

カンニングとはいえ、犯罪は犯罪。それによって傷つく人も少なくない。父娘の絆を土台にしつつ、そのことを明確に示し、ドラマは最後のヤマ場を迎える。そこではリンが重大な決断を迫られる。

決断を下したリンの表情が印象深い。主演のチュティモン・ジョンジャルーンスックジンのこの表情だけでも、この映画は観る価値があると思う。それによって、彼女の成長をクッキリとスクリーンに刻み付ける。そこに至って、この映画が単なるケーパーものや犯罪サスペンスだけでなく、青春映画としての魅力も持つことが理解できる。ここが「オーシャンズ」シリーズなどとの大きな違いだろう。

とにかく無条件で楽しめるスリリングな犯罪映画である。タイの社会問題に加え、青春ドラマ的な要素も味わえる。文句なしの面白さだ。

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◆「バッド・ジーニアス 危険な天才たち」(BAD GENIUS)
(2017年 タイ)(上映時間2時間10分)
監督:ナタウット・プーンピリヤ
出演:チュティモン・ジョンジャルーンスックジン、チャーノン・サンティナトーンクン、イッサヤー・ホースワン、ティーラドン・スパパンピンヨー、タネート・ワラークンヌクロ、サハジャック・ブーンタナキット
新宿武蔵野館にて公開中。全国順次公開予定
ホームページ http://maxam.jp/badgenius/

「西北西」

「西北西」
シアター・イメージフォーラムにて。2018年9月26日(水)午前11時より鑑賞(シアター2/D-6)。

~様々な背景を持つ女たちによる「つながり」のドラマ

韓英恵は個人的にお気に入りの女優の1人である。10歳そこそこで鈴木清順監督の「ピストルオペラ」でデビューし、以降映画を中心に数々の作品に出演している。最近でも「菊とギロチン」「霊的ボリシェヴィキ」「大和(カリフォルニア)」「いぬむこいり」など、個性的な監督たちによる作品に次々に出演し、抜群の存在感を発揮している。

一方、サヘル・ローズは、タレントとしてバラエティ番組に出演する傍ら、舞台や映画に出演し女優としても精力的に活動している。最近では、新宿梁山泊の舞台に出演するなど注目度が高まっている。イラン生まれで、幼少時に戦争に巻き込まれて家族を亡くし、8歳で来日した後もいじめにあうなど、過酷な人生を送ってきたことでも知られている。

そんな2人が共演した映画が「西北西」(2015年 日本)だ。中村拓朗監督は長編デビュー作「TAITO」で第33回PFFぴあフィルムフェスティバル審査員特別賞を受賞。今作が長編第2作となる。

ドラマの主人公はケイ(韓英恵)。レズビアンの彼女は、モデルのアイ(山内優花)とつきあっていた。だが、2人の関係や自身の生き方に不安を抱えている。そんなある日、ケイはイラン人留学生ナイマ(サヘル・ローズ)と出会う。彼女もまた日本での生活や将来に不安を感じていた。ナイマとの出会いによってケイの心は乱れる。アイとの関係もさらに混乱する。同時に、ナイマもケイと親しくなることで、今までにない感情を持つようになる。

タイトルの「西北西」とは、ムスリムのナイマがお祈りを捧げる方角。つまりメッカのある方角だ。主人公のケイの家は磁場がおかしく、磁石が西北西をうまく示さない。それは、現在のケイの不安や苦悩を端的に表現しているかのようだ。

ケイがレズビアンだということで、LGBTをテーマにした映画だと思うかもしれない。確かに、そうした側面は否定できない。彼女とアイとの関係には困難がつきまとう。アイが虫垂炎で病院に運ばれても、ケイは家族ではないため病室に入れない。また、駆けつけた母親からは「2人に将来はない」と別れるように告げられる。

ケイとナイマとの関係にしても、通常の女性同士の友情とは微妙に違う。ナイマが抱える宗教的な背景も含めて、そこにも複雑な様相が見て取れる。このように、LGBTが直面する様々な問題がドラマに織り込まれている。

とはいえ、ことさらにLGBTを強調したドラマではない。むしろ同性間、異性間に関わらず普遍的な恋愛ドラマという視点から描かれているように思える。中途半端な現状に不安を感じたカップルが、新たな人物の出現によってさらなる波乱に直面するというのは、恋愛にはよくあることだろう。

中村監督は、ケイ、アイ、ナイマ、三者それぞれの微妙な心理の揺れ動きを繊細にすくい取っていく。特にセリフ以外のわずかな表情の変化やしぐさによって、彼女たちの心理を映しとる手腕が見事だ。

映像的にも、顔のアップや手持ちカメラを使ったシーン、長回しのシーンなど、その場その場にふさわしい映像が使われている。冒頭とラストで映される都会の俯瞰にも、苦悩を抱えて日々葛藤しながら生きる彼女たちの思いが、投影されているように感じられる。

さて、先ほど「普遍的な恋愛ドラマ」という表現を使ったが、実は本作は恋愛映画の枠さえ超えた作品ではないだろうか。3人の女性たちの関係を通して見えてくるのは、人と人がつながることの難しさ、コミュニケーションの困難さだ。性、国籍、宗教などの背景を抱える彼女たちは、心を通わせあったかと思えば、次の瞬間にはすれ違う。そう簡単に人がつながることなどできないのだ。

コミュニケーションという点で、興味深い場面がある。冒頭近くで、ナイマはカフェで電話をして客の男に注意される。その物言いが何とも荒々しい。ナイマの行為に問題があるとしても、あの言い方は絶対に人を傷つけるだろう。もっと別の言い方はなかったのか。

また、同じくカフェでケイとナイマが2人で会話をする場面がある。その声が大きかったことから店員が「お客様、申し訳ございませんが……」と注意をする。その言い方はていねいだが、紋切り型でケイの心を逆なでする。こうした場面にも、コミュニケーションの難しさが表れているのではないか。

さらに興味深いのは、ナイマが通う大学での講義風景だ。それは、この映画の特別協力としてもクレジットされているアメリカのジャーナリスト、映画監督のジャン・ユンカーマンによる沖縄戦ベトナム戦争に関する講義だ(撮影当時、ユンカーマン監督は早稲田大学で教鞭をとっていたようだ)。コミュニケーションの行き違いが、戦争にまで発展してしまうことの恐ろしさをこのシーンで表現しているというのは、オレの考え過ぎだろうか。

この映画に安直な結末は用意されていない。ケイとアイ、ナイマそれぞれの未来が明確に提示されることもない。これから先も彼女たちは人と人との関係に悩み、傷つき、迷うことだろう。それでも、「つながり」を求めずにはいられないはずだ。それこそが人間であり、そこから生きる喜びも生まれてくるのだから。

混迷と苦悩に満ちた映画ではあるが、観終わった後味は悪くなかった。困難と闘う3人の女たちの未来に、ほんの微かな希望を感じることができたのである。

それにしても韓英恵の美しさが際立つ。「菊とギロチン」とはまた違う演技に魅了された。不機嫌そうなその顔から、チラチラと見える弱さがたまらない。日本映画のミューズの1人といってもよいのではないだろうか。

サヘル・ローズの存在感も際立っていた。おそらく芝居でも舞台映えする演技だろう。猪突猛進で彼女に突っかかっていく山内優花の迫力も印象に残る。

LGBT絡みのドラマだが、先入観なしに観ることをおススメしたい。そうすれば、人生についての「何か」が見えてくるかもしれない。

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◆「西北西」
(2015年 日本)(上映時間1時間42分)
監督・脚本:中村拓朗
出演:韓英恵サヘル・ローズ、山内優花、林初寒、松村龍樹、田野聖子、高崎二郎、中吉卓郎 、大方斐紗子
*シアター・イメージフォーラムにて公開中
ホームページ http://seihokusei.com/

「食べる女」

食べる女
シネマサンシャイン池袋にて。2018年9月23日(日)午後2時より鑑賞(シネマ2/E-8)。

~様々な女たちの恋愛事情を料理と絡めて描いた群像劇

「料理をする男子はモテる」とどこかに書いてあったが、それは本当なのか? 昔、けっこうマメに料理をしていた時期があるが、モテた記憶などこれっぽっちもない。おまけに、今では面倒くさくなって、料理などほとんどしなくなってしまった。だから、最近はろくなものを食べていない。外で美味いものを食べる金もない。

そんなオレにとって、実にうらやましい映画が「食べる女」(2018年 日本)である。ベテラン脚本家・筒井ともみの短編小説集を自身が脚本を手がけて映画化した。監督はかつてTBS社員として、数々のヒットドラマを演出し、その後映画監督として「手紙」などを監督した生野慈朗。

様々な悩みを抱える8人の女たちの群像劇だ。その中心にいるのが文筆家で古書店“モチの家”の女主人・餅月敦子(小泉今日子)。料理をこよなく愛する彼女の家には、様々な悩みを抱えた女たちが集まってくる。幼なじみでごはん屋の女将・鴨舌美冬(鈴木京香)、編集者の小麦田圭子(沢尻エリカ)、ドラマ制作会社の白子多実子(前田敦子)。さらに、彼女たちの周辺には、外国人主婦の豆乃・リサ・マチルダ(シャーロット・ケイト・フォックス)、古着屋店員の本津あかり(広瀬アリス)、パーツモデルの米坂ツヤコ(壇蜜)、バーの店長・茄子田珠美(山田優)などもいる。

彼女たちの悩みは主に恋愛、つまり男関係についてだ。美冬は、自分の店の若い従業員に次々に手を出して店を去られている。圭子は、すっかり恋愛にご無沙汰だ。多実子は、ときめかない男との関係を続け結婚を申し込まれている。マチルダは、料理下手で離婚の危機を迎えている。あかりは、酔って行きずりの男と関係を重ねている。ツヤコは2人の子供を抱え逃げた夫に未練たっぷり。珠美は、妊娠中だがその子の父は意外にも……。

というように、それぞれが複雑な事情を抱えているのである。そんな中、キョンキョン演じる敦子については、派手な男関係などは出てこない。ただし、彼女も恋愛に関する過去の傷があり、今は一人で暮らしているという設定だ。

こんなふうに複雑な事情を抱えた女たちを描いてはいるのだが、けっして深刻なドラマではない。全体のタッチは明るく、ほんわかしている。ユーモアも随所に散りばめられている。ツヤコが子供とともに別れた夫を訪ねるシーンなどは、女の情念を感じさせて背筋ゾクゾクものなのだが、そうしたシビアな場面はそれほど多くない。男女の絡みのシーンもけっこうあるが、それも適度なところで止めている(よってR15ではなくPG12指定です)。

しかし、まあ、これだけの人数の女性の人生を描くのだから、個々のエピソードについて薄味気味なのは否めないところ。それを補うのは、やはり女優陣の豪華さだろう。小泉今日子沢尻エリカ前田敦子勝地涼と知り合ったのはこの映画なのか???)、広瀬アリス山田優壇蜜、シャーロット・ケイト・フォックス、鈴木京香。よくもまあ、これだけバラエティーに富んだ女優たちを集めたものである。彼女たちの存在が各エピソードに深みを与えている。それぞれの個性が十分に発揮されて、絶妙のハーモニーを奏でている。

そして、この映画のもう一つの大きな魅力が料理である。タイトル通りに、女たちは美味しい料理を作り食べる。「美味しい料理と愛しいセックス」には相関関係があるというのが、この映画のコンセプトらしい。そういえば、登場する女性たちの名前も、料理に関係したものが多い。軽い女であるあかりを、安くて手軽なひき肉にたとえる比喩なども面白い。

ドラマが進むにつれて、悩める女たちは少しずつ変化していく。新しい恋に出会う者、今までの関係を清算して前に踏み出す者、新たな自分を発見する者など様々だ。そこにも料理が効果的に使われている。伊丹十三監督の「タンポポ」を彷彿させる、料理をセックスに絡めたシーンなどもあったりする。

劇中に登場する料理は、いずれも美味しそうに撮られている。ファーストフード&インスタント食品づけのオレにとってはまさに目の毒である。ラストに登場する卵かけご飯など、卵かけご飯が苦手なオレでも、思わず食べたくなってしまったほどだ。

各エピソードは最後まで破綻をきたすことはない。ほんわかと温かな余韻を残してエンディングを迎える。それもこの映画にはふさわしい。女性たちのおおらかさとたくましさも伝わってきた。

どうしても女優陣に注目が行く映画だが、脇役の男性陣もなかなかの存在感を見せている。ユースケ・サンタマリア(あまりの変身ぶりで途中まで気づかなかった!)、池内博之勝地涼小池徹平などなど。オレンジレンジのRYOや頭脳警察PANTAも、出番は少ないながらいい味を出しています。このあたりにもご注目を。

というわけで、豪華女優陣と料理を堪能する映画である。驚きや興奮、深い思考を促す場面などはないけれど、たまにはこういう映画もよいのではないだろうか。心にそよ風が吹いて、足が地についた生活の大切さを痛感させられたのである。

◆「食べる女
(2018年 日本)(上映時間1時間51分)
監督:生野慈朗
出演:小泉今日子沢尻エリカ前田敦子広瀬アリス山田優壇蜜、シャーロット・ケイト・フォックス、鈴木京香ユースケ・サンタマリア池内博之勝地涼小池徹平笠原秀幸間宮祥太朗、遠藤史也、RYO、PANTA、眞木蔵人、小島聖、宇田琴音、鈴木優菜、瀧福之助
*丸の内TOEIほかにて全国公開中
ホームページ http://www.taberuonna.jp/