映画貧乏日記

映画貧乏からの脱出は可能なのだろうか。おそらく無理であろう。ならばその日々を日記として綴るのみである。

「ちいさな独裁者」

「ちいさな独裁者」
ヒューマントラストシネマ有楽町にて。2019年2月10日(日)午後2時40分より鑑賞(スクリーン1/D-13)。

~成りすましの独裁者とそれに同調する人々。今の時代に通じる実話

ナチス・ドイツをめぐる映画が、相変わらずたくさんつくられている。それは、起きた出来事の衝撃の大きさだけでなく、そこに今に続く問題を秘めているからだろう。

そんなことを、あらためて思わせられた映画が、「ちいさな独裁者」(DER HAUPTMANN)(2017年 ドイツ・フランス・ポーランド)だ。監督・脚本のロベルト・シュヴェンケは、「フライトプラン」(2005年)、「RED/レッド」(2010年)などハリウッド映画の監督として活躍してきた人。それがなぜ、母国ドイツでこの映画を撮ったのか。観終わると、一目瞭然で理由がわかるのである。

ナチスを描いた映画では、虐殺が取り上げられることが多い。本作にも虐殺が登場する。ただし、それは悪名高きユダヤ人虐殺ではない。脱走などの軍旗違反をしたドイツ軍兵士に対する虐殺だ。

映画の冒頭、一人の若き兵士が必死の形相で追っ手から逃げ回る。彼の名前はヘロルト(マックス・フーバッヒャー)。部隊から脱走してきたのだ。時は第二次世界大戦末期の1945年4月。敗色濃厚なドイツ軍では、彼と同じように脱走などの兵士による軍規違反が続発していた。

冒頭のヘロルトの顔は薄汚れ、表情は歪み、目だけが異様に白く光っている。まさに命からがらの、ギリギリの状態だ。その表情が、やがて一変する。

ヘロルトは無人の荒野をさまよう。そして、たまたま道に乗り捨てられた車の中から、軍服を発見する。それは小柄なヘロルトにとって、かなり大きな軍服だったが(邦題の「ちいさな独裁者」はここから来ているのだろう)、寒さに震えるヘロルトは背に腹は代えられずその軍服を身につける。

その直後にヘロルトはある男と出会う。彼は「自分は部隊からはぐれた兵士だ」という。本当かどうかはわからない。もしかしたら、彼も脱走兵かもしれない。だが、男はヘロルトを大尉と勘違いして、ひたすらへりくだる。それを見たヘロルトは、これ以降、大尉として振る舞うようになる。

その兵士を部下に従えたヘロルトは、その後も道中で出会った兵士たちを言葉巧みに服従させて、部下にしていく。さらに、総統直々の命を受けたとする“特殊部隊H”のリーダーと称するようになる。

ヘロルトが自ら大尉に成りすましたのではなく、出会った相手の態度がきっかけでそうなったという展開が興味深い。制服=権威に弱い人々と、それに乗せられてますます増長する権力者という構図は、今も何ら変わることがないだろう。つまり、このドラマは単なる歴史ドラマではなく、現在の社会にも通じるドラマなのである。

それでも前半は、ヘロルトにとって何度かピンチが訪れる。「もしかしたら成りすましがバレるのではないか」というピンチだ。そのハラハラ感を観客にも同時体験させるあたりは、さすがにハリウッドのエンタメ映画で鍛えられたシュヴェンケ監督らしさを感じさせる。

スリリングな演出、そして独特の映像が印象深い。カラーではあるのだが、モノクロに近いような暗く、くすんだような映像だ。それが緊迫感を高めるのとともに、当時の時代が持つ重い雰囲気と不気味さを煽るのだ。

ドラマの転機になるのは、ヘロルトたち一行が、脱走兵などの軍規違反者を収容した収容所を訪れたこと。そこで、ヘロルトはますます増長し、独裁者としての振る舞いをエスカレートさせる。何しろ彼の命令は、総統=ヒトラーの命令なのだ。

そして、ここでも周囲が彼を持ち上げる。もともと現場の軍人たちは、裏切り者の囚人たちを憎み、世話をするのが面倒になり、早く処刑したいと考えていた。そこにヒトラーの命を受けた男がやってきたのだ。まさに渡りに船ではないか。

こうして、すっかり暴君へと変貌を遂げたヘロルト。その表情は、あの脱走時のものとは似ても似つかなかった。自信に満ち、冷酷で、独裁者そのものの顔になっている。

そして、ついに彼は大量殺戮へと暴走を始める・・・。

その場面は背筋が凍るほどの恐ろしさだ。バタバタと人が死ぬ場面を直接見せるだけでなく、半死の人のうめき声を聞かせるなどして、そのおぞましさを描き出す。仲間に命じて、そんな半死の人間にとどめを刺させるヘロルトの表情も、これまた恐ろしい。人間ではなくモンスターさえ想起させる。

その後も彼の蛮行は続く、空襲によって危うく命を落としかけたのちは、今度は街に出て蛮行を働く。はたして、彼が裁かれ日は来るのか。

と書いてみたが、実のところ、この話は架空の話ではなく、実話をもとにした映画だ。ヘロルトの暴走は実際の出来事だったのだ。それを聞いて、ますます怖くなるではないか。

弱々しい脱走兵が、いつの間にやら残虐な独裁者に変貌するというだけでも恐ろしい話だが、それに周囲の人々が同調し、彼の権威を利用するというのがもっと恐ろしい。ヘロルトに盲従した人々の中には、彼が偽者ではないかという疑念を持っていた人もいたように感じられる。だが、それでも自らの損得のために、彼を受け入れたのである。

この映画は、ぜひエンドロールまできちんと観てもらいたい。そこで描かれるのは、まるで悪ふざけのようなヘロルトたちの振る舞いだ。だが、その舞台をよく観て欲しい。そこは、まがいもなく現代のドイツなのだ。

ここに至って、シュヴェンケ監督がこの映画を撮った理由がクッキリとわかるだろう。へロルたちがやったことは、今の社会でも起こりうることなのだ。いや、現実にすでに起きているのではないか。シュヴェンケ監督はそこに危機感を抱き、何が何でも世界に訴えたかったのだろう。

それは今の日本とも無縁ではないのではないか。長期政権の某首相に忖度して、ウソや不正がまかり通る世の中なのだから。

暗く重く、目をそむけたくなるシーンもある映画だが、ぜひとも今観るべき作品だと思う。

 

f:id:cinemaking:20190214114112j:plain


◆「ちいさな独裁者」(DER HAUPTMANN)
(2017年 ドイツ・フランス・ポーランド)(上映時間1時間59分)
監督:ロベルト・シュヴェンケ
出演:マックス・フーバッヒャー、ミラン・ペシェル、フレデリック・ラウ、アレクサンダー・フェーリング、ベルント・ヘルシャー、サッシャ・アレクサンダー・ゲアサク、ザムエル・フィンツィ、ヴォルフラム・コッホ
*ヒューマントラストシネマ有楽町、新宿武蔵野館、YEBISU GARDEN CINEMAほかにて公開中
ホームページ http://dokusaisha-movie.jp/

「バーニング 劇場版」

「バーニング 劇場版」
TOHOシネマズシャンテにて。2019年2月8日(金)午前9時40分より鑑賞(スクリーン1/D-9)。

村上春樹の原則を大胆にアレンジした今の若者たちが抱える迷宮

いわずと知れた作家の村上春樹。その小説は過去にも何度か映画化されている。とはいえ、あの独特の村上ワールドを再現しようとして、あまりうまくいかなかったように思える作品もある。

シークレット・サンシャイン」「ポエトリー アグネスの詩(うた)」などで知られる韓国の名匠イ・チャンドン監督の「バーニング 劇場版」(BURNING)(2018年 韓国)は、村上春樹の短編『納屋を焼く』の映画化。とはいえ、換骨奪胎ともいえる大幅なアレンジをして、独自の世界を構築している。

ちなみに、タイトルになぜ「劇場版」とあるのかと思ったら、昨年12月にNHKでドラマ版が放送されたらしい。ただし、それはこの映画を短く編集した吹替え版のようなので、こちらがオリジナルといってもいいだろう。

物語の主人公は、小説家を目指してアルバイト生活を送るジョンス(ユ・アイン)だ。彼は、同郷の幼なじみのヘミ(チョン・ジョンソ)とデパートの前で偶然再会する。ヘミはキャンペーンガールのようなバイトをしていた。

再会したばかりの2人の会話が面白い。パントマイムを習っているというヘミは、そのコツを伝授する。それは、そこに“ない”ものについて、“ない”ことを否定するという主旨。何やら哲学問答のような会話だ。アフリカの“ハングリー”に関するユニークな話も飛び出す。原作は未読だが、会話自体は原作に沿ったものが多いというから、これもそうかもしれない。

なぜヘミがアフリカの話を出したかというと、彼女は近々アフリカ旅行に行くからだ。その留守の間、ジョンスに自宅に来て飼い猫にエサをあげてほしいと言う。その言葉に従って、ジョンスはヘミのアパートに通い猫にエサをあげる。とはいっても、人見知りするという猫は一度も姿を現さない。

実は、この「姿を見せない猫」という設定が終盤の伏線になっている。いや、伏線はそれだけではない。数々の伏線があちらこちらに張り巡らされている。ピンクの腕時計、無言電話、水のない井戸・・・。様々なメタファーも散りばめられている。そのあたりの構成が実に巧みな映画である。

そして、ヘミの留守の間も、ジョンスは彼女に対する思いを募らせる。2人は再会直後に関係を持ってしまうのだが、ヘミはともかく、ジョンスは彼女に完全に心を奪われているのだ。

半月後、ヘミは帰国する。連絡を受けて空港に迎えに行ったジョンスに、ヘミはアフリカで知り合ったという裕福そうな青年ベン(スティーヴン・ユァン)を紹介する。

ここからは微妙な関係の3人による日常が描かれる。ヘミに好意を持つジョンスは、ベンと彼女との関係を想像し、心穏やかではいられない。それでも、誘われるままに3人でお茶を飲んだり、ベンのオシャレなマンションで食事を楽しんだりする。こうして前半は、三角関係を中心にした青春映画の趣でドラマが進む。

そして、この映画には、若者を取り巻く現代の社会状況が投影されている。劇中では、韓国の若者の失業率の高さを伝えるニュースが流れる。また、トランプ大統領の演説なども流れてくる。そうした社会状況を背景に、3人の若者のキャラが位置づけられる。

ジョンスは定職もなく、おまけに母に捨てられ、畜産業に失敗した父は暴力沙汰を起こして裁判中だ。いわば孤独で、迷路の真っただ中にいる若者なのである。それとは対照的に見えるベンは、若者の中の勝ち組であり、それゆえなおさらジョンスの心はかき乱される。

一方、まるで鳥のように自由奔放に羽ばたくヘミだが、彼女にも暗い闇があることが後になって明らかになる。つまり、イ監督は、失業や格差、貧困といった若者を取り巻く社会問題を、明確にドラマの中に盛り込んでいるのである。それがこの映画の大きな特徴だ。

何とか微妙な関係を続けていた3人の関係が大きく変化するのは、ジョンスの実家での出来事からだ。3人は庭にテーブルを置いてワインを飲み、大麻を吸う。やがて大麻でハイになったヘミは、服を脱いで踊り始める。

このヘミが踊るシーンが実に美しい。夕焼けを背景にした幻想的、かつ退廃的な美に満ちたシーンだ。それ以外にも、美しい映像があふれんばかりに詰め込まれた映画である。

そして、この後、ジョンスはヘミに言ってはならない言葉を吐く。さらに、ベンはジョンスに「時々ビニールハウスを燃やしている」と告白する。彼の心にもまた闇があったのだろうか。

この後ヘミが姿を消す。後半は、彼女の行方をめぐるミステリー劇に転化する。破滅の予感を秘めた不穏なミステリー劇だ。ジョンスは彼女を必死に探す。ベンに疑惑を抱き、彼を付け回す。そこには、「ベンは本当にビニールハウスを燃やしているのか?」という疑念もある。

その果てに知る意外な事実。すべてを悟ったジョンスは、青春の終焉を自覚して大人への階段を上るかと思いきや、最後に待っていたのは、これ以上ないほどの衝撃的な出来事だった。ええ? まさか・・・。

しかし、冷静に考えれば、あの結末はありだろう。そこに至るまでの様々なことを考えれば、自然な結末ともいえる。ジョンスをいらだたせたのは、ヘミの失踪だけではない。家族をめぐる問題や自身の現状などが黒点となって集積し、心のうちの深い闇になっていたのだろう。そこにヘミの一件が加わって、一気に爆発したに違いない。それにしても燃えるのは、ビニールハウスだとばかり思っていたのだが。

ジョンスを演じたユ・アイン、ベンを演じたスティーヴン・ユァン(TVドラマ「ウォーキング・デッド」でブレイクしたとのこと)、そしてヘミを演じたチョン・ジョンソの3人のキャストが、いずれも適役だ。特に新人だというチョン・ジョンソは不思議な魅力がある。

村上春樹の原作を借りつつも、現代の若者の抱える孤独と葛藤を見せつけ、生きる意味とは何かという深遠な問いまで投げかけた衝撃作だ。さすがイ・チャンドン監督である。

 

*残念ながら画像(チラシ)がないので、ぜひ公式ホームページをのぞいてみてください。映像美をはじめ、この映画の魅力が伝わるはず。

 

◆「バーニング 劇場版」(BURNING)
(2018年 韓国)(上映時間2時間28分)
監督:イ・チャンドン
出演:ユ・アイン、スティーヴン・ユァン、チョン・ジョンソ
*TOHOシネマズシャンテほかにて公開中
ホームページ http://burning-movie.jp/

 

「七つの会議」

「七つの会議」
ユナイテッド・シネマとしまえんにて。2019年2月7日(木)午前11時30分より鑑賞(スクリーン9/E-11)。

~サービス精神満点のエンタメ企業ドラマにメッセージ性も

大ヒット映画を避けて、ミニシアター系の映画ばかり観ているヤツだと思われがちだが、別に意識してそうしているわけではない。たまたまである。

というわけで、2月4日付の全国週末興行成績ランキングで、初登場1位に輝いた「七つの会議」(2018年 日本)を観てきたのだ。

下町ロケット」をはじめ数々の作品がドラマ化されている人気作家・池井戸潤の小説が原作だ。監督は「半沢直樹」「下町ロケット」など池井戸潤原作のヒット・ドラマを多数手がけている福澤克雄。そして、キャストも過去の池井戸ドラマでおなじみの役者がたくさんいる。そのため、驚きこそないものの安心して楽しめる作品に仕上がっている。

タイトルの「七つの会議」とは劇中に登場する会議の数のようだ。映画の冒頭で、いきなり最初の会議が始まる。都内にある中堅メーカーの東京建電の定例の営業会議だ。そこで営業部長の北川(香川照之)は、原島課長(及川光博)率いるノルマ未達の営業2課を厳しく叱責する。その一方で、ノルマをクリアした坂戸課長(片岡愛之助)率いる営業1課を称賛する。そして全員に激しい檄を飛ばす。

そんな中、いびきが聞こえてくる。営業1課の万年係長・八角民夫(野村萬斎)だ。彼はいわゆる「ぐうたら社員」。それを見た北川部長は激怒する・・・かと思いきや、そうはならないのだ。

この映画のCMでは、八角と北川のド迫力の対決シーンが登場する。「どっちが罪が重いんだろうなあ」とすごむ北川に、八角が「まるで犬だな」と返すやつだ。八角を演じる野村萬斎狂言師。北川を演じる香川照之は、歌舞伎役者・市川中車としても活躍する。むむ、狂言VS歌舞伎の古典芸能対決か? と期待したのだが、肩透かしを食らってしまった。だが、実は、この行動の背景には、ある大きな秘密が存在していたのである。

それにしても、この最初の会議、実際にこんなことをやっている会社があったなら、完全なブラック企業だろう。社員は次々にやめていくはず。この人手不足の折に、「こんな会社、ありえな~い!」と思う人も多いのではないか。

だが、おそらくこれは意図的なもの。この映画、映像、演技、演出などすべてが仰々しくてマンガチック、そして勧善懲悪の時代劇風でもある。そうやって全体のタッチはエンターティメントに徹して、誰でも気軽に楽しめる映画にしようというのが、作り手の狙いなのだと思う。ユーモアも随所に織り込まれている。

もう一つ、特徴的なことがある。この映画は中盤まで、モノローグによってドラマが進行する。普通はモノローグといえば、主人公など一人の人物のものだが、この映画では次々に主要な人物が交代でモノローグを担当する。それが視点の変化を促し、謎も増幅していく。

さて、その後もぐうたら社員ぶりを発揮する八角。そんな彼を、年下のエリート課長・坂戸が激しく叱責する。すると、八角は坂戸をパワハラで訴える。その結果、坂戸は意外にも左遷させられてしまうのである。

ここからドラマが動き始める。同時に、親会社の横暴、社内の権力争いなども描かれる。全体のタッチにリアリティはなくても、ドラマの展開はリアリティ充分。どこの会社でも起こりそうなことが、巧みに散りばめられている。これが池井戸作品の魅力なのだろう。

まもなく営業VS経理のバトルの中で、八角の疑惑が浮上する。コストの安い下請けを切って、コスト高の下請けに切り替えていたのだ。はたして、その裏に何があるのか。

中盤以降は、左遷された坂戸に代わって、新たに営業1課長に着任した原島と、不倫の果てに退社を決意した女子社員・浜本優衣(朝倉あき)の2人が、八角が抱えている秘密を探る展開になる。

一連の不可解な出来事の裏に、どんな秘密があるのか。それはネタバレになるから書かないが、これまた不正、隠蔽など、現実の事件ともリンクするリアリティのあるネタが用意されている。

基本的な展開は、「一見無能に見えるダメダメ男、すっかりなめてたら、あららら失礼しました」というよくあるパターンなのだが、一筋縄ではいかない。八角は何度か挫折しかけるし、ワルの親玉が次々に代わる。「こいつこそラスボスか?」と思うたびに、また違うワルが登場するのだ。

さらに、八角の過去の人生をさりげなく描き、その心の傷を行動の源泉に据えているから、不自然さがない。それも含めて、様々な要素をテンコ盛りに詰め込んでいるのに、オーバーフローになっていない。そのあたりもよくできている。

クライマックスの会議も大迫力だ。その後の展開も面白い。そして、エンドロールでの八角の言葉。不正や隠ぺいに加担する日本人の心根をサムライにまでさかのぼって分析し、それでも少しは改善できるかも・・・という明確なメッセージを放っている。単なるエンターティメントだけでなく、メッセージ性もある映画なのだ。

しかし、まあ、豪華なキャストである。「いかにも」な使い方をしている音尾琢真鹿賀丈史橋爪功北大路欣也、意外な魅力を発揮している藤森慎吾など、どのキャストも魅力十分。土屋太鳳、小泉孝太郎溝端淳平あたりはチラッとしか顔を出ない豪華さだ。ついでに、ノンクレジットの役所広司まで最後のワンシーンに登場する。

サービス精神満点の企業エンタメ映画であるのと同時に、企業や組織、そこで働く人々のあり方などをさりげなく問うあたり、なかなかよくできた作品だと思う。

*画像(チラシ)がないので公式ホームページでチェックしてね。

◆「七つの会議」
(2018年 日本)(上映時間1時間59分)
監督:福澤克雄
出演:野村萬斎香川照之及川光博片岡愛之助音尾琢真、藤森慎吾、朝倉あき、岡田浩暉、木下ほうか、吉田羊、土屋太鳳、小泉孝太郎溝端淳平春風亭昇太立川談春勝村政信世良公則鹿賀丈史橋爪功北大路欣也
*TOHOシネマズ日比谷ほかにて全国公開中
ホームページ http://nanakai-movie.jp/

 

「赤い雪 Red Snow」

「赤い雪 Red Snow」

テアトル新宿にて。2019年2月4日(月)午前11時50分より鑑賞(C-12)。

~鮮烈な映像美で綴る心に傷を負った人々のもつれた糸

ことさらに性別を言い立てるのもどうかと思うが、かつての日本映画で女性監督がめったに活躍できなかったのは事実。しかし、最近は優秀な女性監督が次々に登場している。

そんな中、新たに登場したのが「赤い雪 Red Snow」(2017年 日本)の脚本・監督を担当した甲斐さやかだ。過去に、CMやPV、短編映画などを監督してきたが、長編劇映画は本作がデビューとなる。

少年の失踪事件をめぐるサスペンス・ドラマだ。ある雪の日、一人の少年が姿を消す。その少年を見失った兄の白川一希は、自分のせいだと思いこみ、心に傷を負う。彼の記憶は曖昧で捜査は難航する。その後、近所に住む江藤早奈江(夏川結衣)が容疑者として浮上するが、完全黙秘を貫いた早奈江は無罪となる。

それから30年後、事件の真相を追う記者・木立省吾(井浦新)は早奈江の一人娘・江藤早百合(菜葉菜)を見つけ出し、一希(永瀬正敏)のもとへとやってくる。被害者の兄と容疑者の娘。それぞれ心に傷を持つ2人の出会いによって、運命の歯車が大きく動き始める……。

滑り出しは、比較的オーソドックスな謎解き映画の趣で始まる。ただし、オープニングから鮮烈な映像が飛び出す。白い雪の中をあちらこちらに移動する赤い色。どうやら赤い服を着た誰からしい。赤い色はその後も印象的に使われる。タイトルにもある赤い雪(血?)、主人公の白川一希が漆職人であることから漆の赤い色も登場する。そうしたシーンを中心に映像美が際立つ映画なのである。

全体の構成は、30年後の現在進行形のドラマを描きつつ、事件当時の過去のパートを随所に織り込むというもの。しかも、それは一希と早百合、それぞれの視点から見た過去だ。一希の事件当時の記憶は曖昧で、今もすべてが明確にはなっていない。では、小百合の記憶はどうなのか。そこで、「記憶」という本作のテーマの一つが浮上する。人の記憶の曖昧さが、ドラマの大きなバックボーンとなる。

事件の真相を追うドラマとともに、一希と小百合の心の内も描かれる。2人は事件に翻弄され、今も暗い闇の中をさまよっている。そんな2人の心理をセリフ以外の表情や行動によって、繊細に見せていく。

スクリーンを包む空気のつくり方も巧みだ。降り続く雪、どんよりと垂れこめた低い空、日本海を思わせる荒々しい海。それらが、寒々しく、荒涼とした雰囲気を生み出していく。まるで、一希と小百合の心の内を表現しているかのようである。

後半、一希と小百合が初めて対面することによって、ドラマは大きく動く。それは、謎解きの形を取りつつも、より激しく、深い世界へと入り込んでいく。2人が雪山で、それぞれの情念をぶつけ合うシーンが壮絶だ。

この映画ではすべてが明確に描かれるわけではない。観客の想像力に委ねた部分も多い。おまけに、本作には児童虐待やDV、家庭崩壊、保険金殺人など、様々な要素がテンコ盛りで組み込まれている。時々挟まれる短いショットの中には、何を意味しているのか、一度観ただけではわからなかったものもある。

甲斐さやか監督の脚本は、重厚で力強く魅力的だとは思うのだが、2時間弱という尺を考えたら、もう少し要素を刈り込んでもよかったかもしれない。単に功名心にはやる記者に思えた木立にも、実は深い裏があった・・・などというのは、さすがに十分に描き切れないネタだと思うのだが。

というわけで、やや詰め込みすぎだったり、演出的に十分にこなれていないところもあるのだが、それ以上に甲斐監督の才能を十分に感じさせる作品なのは間違いない。新人監督のインディーズ作品にもかかわらず、大物俳優が出演しているのはそのためだろう。

永瀬正敏はこういう陰のある役がよく似合う。セリフのほとんどない中で、多くのことを表現した菜葉菜の演技も素晴らしい。井浦新夏川結衣なども納得の演技だし、小百合の情夫役の佐藤浩市の半端でないゲスぶりも見事だ。

ラストも心をざわつかせる。誰にでもわかりやすい明確な結末ではなく、観客それぞれの想像力を刺激するラストだ。深い霧の中の一艘の老船。そこに立つ人物。はたして、あれは何を意味するのか。事件とその記憶に翻弄され、彷徨い続けた人物たちの新たな旅立ちを象徴しているのだろうか。それとも・・・。それは観客一人ひとりが考えるしかない。

謎解き映画の形を取りながら、奥深く深遠な世界を展開して見せた甲斐さやか監督。無名の女性監督がこれだけの作品を撮って、それが無事に公開されたのだから、日本映画界も捨てたものではないだろう。甲斐監督の次回作にも期待したい。

 

f:id:cinemaking:20190207202015j:plain


◆「赤い雪 Red Snow」
(2017年 日本)(上映時間1時間46分)
監督・脚本:甲斐さやか
出演:永瀬正敏菜葉菜井浦新夏川結衣佐藤浩市、吉澤健、坂本長利、眞島秀和、紺野千春、イモトアヤコ、好井まさお
テアトル新宿ほかにて公開中
ホームページ https://akaiyuki.jp/

「ジュリアン」

「ジュリアン」
新宿シネマカリテにて。2019年2月1日(金)午後2時25分より鑑賞(スクリーン2/B-3)。

~DVにおびえる母子の恐怖をリアルに描く

身体的な暴力にせよ、言葉の暴力にせよ、暴力は嫌いなので、DVの加害者の心理は理解しがたい。それに比べれば、被害者の心理は比較的理解しやすいのだが、当人たちが感じるほどの恐怖や痛みとは比べようもないだろう。

そんな中、まるで自分がDV被害者本人になったような心理を体験した映画がある。「ジュリアン」(JUSQU'A LA GARDE)(2017年 フランス)。グザヴィエ・ルグラン監督がアカデミー賞短編賞にノミネートされた自作「すべてを失う前に」をもとに製作した長編デビュー作で、第74回ヴェネチア国際映画祭で最優秀監督賞を受賞した。

ドラマは親権をめぐる調停から始まる。離婚したブレッソン夫妻は11歳になる息子のジュリアン(トマ・ジオリア)の親権をめぐって争っていた。母のミリアム(レア・ドリュッケール)は、夫のアントワーヌ(ドゥニ・メノーシェ)を子供に近づけたくなかった。ジュリアンも、姉のジョゼフィーヌ(マチルド・オヌヴー)も、アントワーヌを嫌っていて、ジュリアンは「会いたくない!」という強い意思を表明していた。

だが、まもなく、裁判所はアントワーヌにも共同親権を認めてしまうのだ。ジュリアンは隔週で週末を父と過ごさなければならなくなる。その理由については詳しく触れられていないが、ミリアムが失業中なのに対して、アントワーヌが定職に就いていたことから、経済的理由によるものなのかもしれない。だが、子供の意思を省みないというのは、ひどい話ではないか。その後に起きることを考えれば、ルグラン監督が司法の現状を批判的に捉えていることがうかがえる。

そうした社会性も込められた映画ではあるのだが、それ以上にサスペンスとしての魅力がタップリ詰まった映画である。この手の話では、たいてい悪い男は最初は善人に見せて、次第にその本性を露わにさせるはずだ。しかし、この映画のアントワーヌは、それとは少し違う。基本は普通の父親っぽい。おまけに、現在は実家の両親のもとで居候していることもあり、なかなかDV男の本性を見せることはない。

だが、それでも、その隙間からチラチラとヤバい感じがする。言動の端々から、危険な匂いがプンプンする。そのため、「もしかしてコイツ、ヤバイやつ?」「だとしたら、いつ本性を見せるのだ?」とハラハラさせられてしまったのだ。ちょうどホラー映画で、「いつバケモノが登場するのだ?」とハラハラするのと同じような気持ちになったのである。

中盤になると、ついにアントワーヌはDV男の本性を見せる。その直接のターゲットはジュリアンだが、本当のターゲットは元妻のミリアムだ。アントワーヌはジュリアンからミリアムの連絡先を聞き出そうとするが、ジュリアンは母を守るために必死で抵抗する。電話番号を調べられた時には、携帯の電話番号を消去し、住所もニセの住所を教えて抵抗する。

そんな健気なジュリアンの泣きそうな顔を見るだけで、観客の胸はかき乱される。ルグラン監督は、登場人物の顔のアップを中心に寄りの映像を多用するから、ますます彼らの心理がリアルに伝わってくる。その一方で、全体の描写は被写体に接近しすぎず、絶妙な距離感を保っていることで、なおさらリアルさが増幅されていく。

DV男の典型的行動パターンである「俺は変わったんだ」アピールなども盛り込みつつ、アントワーヌの行動はどんどんエスカレートしていく。その間ずっと、観ているこちらのハラハラドキドキも持続したままだ。

中盤では、ジュリアンの姉ジョゼフィーヌがボーイフレンドなどと開いたパーティーシーンが延々と描かれる。「ああ、ここでハラハラは小休止か」と思ったのだが、とんでもなかった。そこにもまた、あのDVおやじが出現したのだ。

この映画の冒頭で街の雑踏が聞こえてくるあたりでは、何やらダルデンヌ兄弟の映画を連想したのだが、観ているうちにミヒャエル・ハネケの作品と共通するタッチも感じてしまった。「これでもか!」と人間の暗部を見せつけるあの監督である。DV男、アントワーヌの暗部も底知れない。

とはいえ、この映画には殴る、蹴るなどの直接的な暴力シーンは登場しない。ところどころで言葉の暴力が飛び出す程度だ。だが、それでもとびっきり怖いのだ。その演出力には恐れ入る。

そして待ち受けているのは、壮絶なクライマックスだ。そこで、暗闇の中、じっと恐怖に耐える母子の姿が心を揺さぶる。緊張感は最高潮に達する。まるで、自分もその場にいて、母子と同じ恐怖を体験しているかのような気分になってしまう。

DVおやじを演じたドゥニ・メノーシェの演技が印象的だ。見た目は普通のオッサンなのに、底知れぬ狂気を感じさせる。それに翻弄される家族を演じたレア・ドリュッケール、トマ・ジオリア、マチルド・オヌヴーも、なかなかの演技だ。

ラストはけっして悲惨な終わり方ではない。だが、すべてがハッピーというわけにもいかない。残されるのは、重たく苦い感触だ。そこにルグラン監督の様々な思いが込められているのだろう。

とにかく怖い映画だ。同時に、様々な問いかけもある。心地よさや楽しさとは無縁だが、観ておく価値は十分にあるだろう。

 

f:id:cinemaking:20190204213125j:plain


◆「ジュリアン」(JUSQU'A LA GARDE)
(2017年 フランス)(上映時間1時間33分)
監督・脚本:グザヴィエ・ルグラン
出演:ドゥニ・メノーシェ、レア・ドリュッケール、トマ・ジオリア、マチルド・オヌヴー、マチュー・サイカリー
*新宿シネマカリテ、ヒューマントラストシネマ有楽町ほかにて公開中
ホームページ https://julien-movie.com/

 

「ヴィクトリア女王 最期の秘密」

ヴィクトリア女王 最期の秘密」
Bunkamuraル・シネマにて。2019年1月31日(金)午後6時40分より鑑賞(ル・シネマ1/D-6)。

ヴィクトリア女王とインド人青年の交流。ジュディ・デンチの貫禄の演技

日本の現在の天皇は、30年以上その座にいるわけで、それはやはり大変な負担なのだろう。一方、1819年に即位したイギリスのヴィクトリア女王は、実に63年7か月に渡って王位にいたというから、これまたすさまじい負担がかかっていたに違いない。

そんなヴィクトリア女王とインド人青年との交流を描いたのが、「ヴィクトリア女王 最期の秘密」(VICTORIA & ABDUL)(2017年 イギリス・アメリカ)である。映画の冒頭に「ほぼ実話」とあるように、史実をもとにしつつ、エンタメとして誰でも楽しめる仕掛けが施されている。

1887年。当時イギリス領だったインドからドラマが始まる。アグラというところで、囚人の記録係をしていた若者アブドゥル(アリ・ファザル)は、英国への贈り物の絨毯を選ぶのに功績があったことから目をつけられ、ヴィクトリア女王ジュディ・デンチ)の即位50周年記念式典で記念金貨“モハール”を献上する役目を任される。こうしてアブドゥルはイギリスに渡る。

一方、ヴィクトリアは長年女王の座に君臨してきたものの、孤独な日々を送っていた。そんな中、物怖じすることなく本音で自分に接するアブドゥラに興味を抱いたヴィクトリアは、祝典期間の間、彼を従僕に起用する。

本作の監督は、ヘレン・ミレンエリザベス女王を演じた「クイーン」などで知られるスティーヴン・フリアーズ。王室ものはお手のものというわけでもないだろうが、手練れの演出でテンポよく、ユーモア満載でドラマを紡いでいく。

王室ものらしく、ゴージャスな衣装や多数のエキストラが登場する壮観の儀式など、王室の日常がつぶさに見られるのも、この映画の魅力である。

そして当然ながら、ドラマの肝は、ヴィクトリア女王とアブドゥラとの交流にある。それをとびっきり魅力的に見せるのが、ヴィクトリアを演じた名優ジュディ・デンチだ。「ヘンダーソン夫人の贈り物」「あなたを抱きしめる日まで」でもスティーヴン・フリアーズ監督とタッグを組んでいる彼女は、実は1997年の「Queen Victria 至上の恋」でも、ヴィクトリア女王を演じている。

その映画では、夫アルバート公を亡くしたヴィクトリアと、スコットランド人従僕ジョン・ブラウンとのロマンスが描かれている。それが本作の伏線になっている。ヴィクトリアの孤独は、夫とそのジョン・ブラウンの死による影響が大きい。さらに、長年の過密な王宮行事が彼女を心身共に疲弊させていた。

最初に登場したヴィクトリアは、仏頂面で、全身から疲れたオーラを発信している。そんな中、アブドゥラに出会い、どんどんキラキラと輝きだす。まるで、それまでとは別人のように生き生きとしたその姿を、ジュディ・デンチが説得力満点に演じている。

アブドゥラを「先生」と呼び、彼らの言語を学ぶ姿は、まるで少女のようである。自らの孤独と疲弊を正直に打ち明ける姿は、身分に関係なく、ひとりの人間としての存在をまさに

はたして、彼女が抱いたのは恋心なのか。のちに、アブドゥラに妻がいると知った時の落胆ぶりなどを見れば、確かにそうした思いもあったように感じられる。その一方で、直後に妻をイギリスに連れてくるように命じるあたりは、まさに愛する息子に対する母の態度だ。そのあたりのヴィクトリアの微妙な心理も、デンチの巧みな演技で余すところなく表現されている。

ヴィクトリアの取り立てにより、どんどん出世するアブドゥラに対して、側近はじめ王室の職員たちが反発を抱き、アブドゥラ失脚の謀略をめぐらす・・・というのはよくあるお話。ただし、そこで彼らの植民地青年に対する人種差別的な態度を前面に出して、ヒューマニズムの観点から批判的に描いているのが特徴だ。

実はアブドゥラとともに、もう1人の男がイギリスに渡ってきたのだが、彼の言動を通しても、支配者であるイギリスへの痛烈な批判が展開されている。

さらにはアブドゥラがコーランを信じるイスラム教徒だというのも、重要なポイントに思える。アメリカのトランプ大統領に代表される、イスラム教徒に対するネガティブな目線が横行する今の世界に対する批判を、そこに込めていると考えるのは、さすがに深読み過ぎるだろうか。

終盤、アブドゥラを排斥しようとする側近たちを、ヴィクトリアが毅然としてたしなめるシーンでは、思わず快哉を叫びたくなってしまった。ここもまたジュディ・デンチの素晴らしい演技が光る。

そしてラストには感動的な別れが・・・。

ジュディ・デンチの演技ばかりをほめたが、アブドゥラを演じた「きっと、うまくいく」のアリ・ファザルの見事な好青年ぶりも、特筆に値する。あれなら、ヴィクトリア女王ならずとも、惚れてしまうがな~~。

ヴィクトリアの死後、本作に描かれた出来事は、息子のエドワード7世により史実から消され、長い間忘れられていたという。そういう点でも、興味深い作品である。

 

f:id:cinemaking:20190202110118j:plain


◆「ヴィクトリア女王 最期の秘密」(VICTORIA & ABDUL)
(2017年 イギリス・アメリカ)(上映時間1時間52分)
監督:スティーヴン・フリアーズ
出演:ジュディ・デンチ、アリ・ファザル、エディ・イザード、アディール・アクタル、ティム・ピゴット=スミス、オリビア・ウィリアムズ、フェネラ・ウールガー、ポール・ヒギンズ、ロビン・ソーンズア、ジュリアン・ワダム、サイモン・キャロウ、マイケル・ガンボン
Bunkamuraル・シネマほかにて公開中
ホームページ http://www.victoria-abdul.jp/

「天才作家の妻 40年目の真実」

「天才作家の妻 40年目の真実」
YEBISU GARDEN CINEMAにて。2019年1月26日(土)午後1時5分より鑑賞(スクリーン1/G-8)。

ノーベル賞作家の妻はゴーストライターグレン・クローズの名演が光る

先日発表されたゴールデン・グローブ賞では、グレン・クローズが主演女優賞を獲得した。これから発表になるアカデミー賞でも有力な候補のようだ。その対象となった作品が、「天才作家の妻 40年目の真実」(THE WIFE)(2017年 スウェーデンアメリカ・イギリス)である。

ノーベル賞作家とその妻を描いたドラマだ。原作はメグ・ウォリッツァーが書いた小説。ただし、原作に登場するのはノーベル賞ではなく、フィンランドの小さな賞とのこと。それを脚本家のジェーン・アンダーソンが脚色した。監督はスウェーデン出身のビョルン・ルンゲ。

冒頭、老夫婦が登場する。現代文学の巨匠ジョゼフ(ジョナサン・プライス)と40年間連れ添った妻ジョーン(グレン・クローズ)だ。ジョゼフは心配顔。どうやら、これまでも何度かノーベル文学賞の候補になったらしい。今度受賞できなければ「雲隠れしたい」などと言い出す始末だ。その挙句に、ジョーンに「セックスしよう」などと言いだすのである。

このシーンだけで、夫婦の関係性が何となくうかがい知れる。文学的才能には恵まれているものの、それ以外は身勝手でダメダメな夫。それを内助の功で支える糟糠の妻。そんな構図が見えてくるではないか。

まもなく、夫婦のもとにノーベル賞受賞の報せが届く。ジョゼフとジョーンは、作家となった息子デビッド(マックス・アイアンズ)を伴い、授賞式に出席するためスウェーデンストックホルムを訪れる。そこでの数日間の出来事が描かれる。

本作で興味深いのは、ノーベル賞授賞式をめぐる舞台裏だ。ホテルの部屋にいきなり聖歌隊のような人々が入ってきたり、式の念入りなリハーサルが行われたりと、ふだんなら知ることのできない裏面が描かれる。

とはいえ、ドラマの肝はそこではない。夫婦の絆と確執のドラマである。当初こそ、理想の老夫婦のように見えたジョゼフとジョーン。だが、はしゃぐ夫の傍らで、ジョーンの心は次第に揺れ動きだす。

そこにはジョゼフとの間にわだかまりを抱えている息子デビッドの存在や、カメラマンの若い女性に接近するジョゼフの素行などが関係している。ジョゼフは、これまでにも何度も他の女に手を出してきたらしい。

だが、最もジョーンの心に波風を立てるのは、ナサニエルクリスチャン・スレイター)という記者の存在だ。ジョゼフの伝記本執筆を狙う彼は、ジョーンの過去を調べあげていた。その過去が回想シーンとして描かれる。

登場するのは、若き日のジョゼフ(ハリー・ロイド)と若き日のジョーン(アニー・スターク)。ジョーンは作家志望の大学生として、大学教授のジョゼフと知り合った。当時、ジョゼフには妻子がいたが、やがて2人は結ばれる。いわば略奪愛である。

結婚後、それまで二流の作家だったジョゼフは傑作を世に送り出し、ジョーンは彼を支えるようになった。

そんな過去をふまえて、ナサニエルは疑問をぶつける。ジョーンは夫ジョゼフのゴーストライターではないのか?と。

中盤で描かれるジョーンとナサニエルのバーでの会話が印象深い。まるで狐とタヌキの化かし合いのような会話だ。事実を話させようとするナサニエル。それを巧みにかわすジョーン。何とも見応えあるやり取りである。

ジョーンが作家をあきらめた背景には、当時の時代状況も織り込まれている。今と違って女流作家の地位は極めて低く、男たちが牛耳る文学の世界で成功する可能性は低かったのだ。先輩の女流作家が、そのことをジョーンに警告するシーンにすべてが象徴されている。

さて、それでは本当にジョーンは夫のゴーストライターだったのか? その結論は伏せておくが、終盤には壮絶な修羅場が待っている。

この映画の脚本には、やや都合のよすぎるところや突っ込み不足のところも見られる。それを補って余りあるのが、ジョーンを演じるグレン・クローズの演技だ。愛を信じて突き進んだものの、長い年月に渡って心の奥に苦悩や葛藤を抱え込むようになり、それが今まさに爆発しかかっている。そんな複雑な感情を、わずかな表情の変化だけで見せる演技は絶品だ。特に授賞式での彼女の表情は圧巻である。

グレン・クローズといえば、「ガープの世界」「再会の時」「ナチュラル」「アルバート氏の人生」などで6度オスカーにノミネートされ、今回が7度目のノミネートとなった。さすがに今回は受賞してもいいのでは? 何にしても素晴らしい名演で、これだけでも観る価値のある映画だと思う。

ちなみに若き日のジョーンを演じたアニー・スタークは、グレンの実の娘とのこと。なるほど、何となく似てますなぁ。

夫役のジョナサン・プライスも貫禄の演技。そして、記者役のクリスチャン・スレイターの久々のくせ者ぶりも、この映画の見どころだ。

ラストの飛行機内でのジョーンの振る舞いが意味深だ。はたして、彼女はあの後どんな行動をとるのか。一件落着にも思えるが、はたしてそれで済むのか???と、いろいろと想像させられた。これまた、グレン・クローズの深みのある演技のなせる業なのである。

 

f:id:cinemaking:20190127211838j:plain


◆「天才作家の妻 40年目の真実」(THE WIFE)
(2017年 スウェーデンアメリカ・イギリス)(上映時間1時間41分)
監督:ビョルン・ルンゲ
出演:グレン・クローズジョナサン・プライスクリスチャン・スレイター、マックス・アイアンズ、ハリー・ロイド、アニー・スターク、エリザベス・マクガヴァン
新宿ピカデリー角川シネマ有楽町、YEBISU GARDEN CINEMAほかにて公開中
ホームページ http://ten-tsuma.jp/