映画貧乏日記

映画貧乏からの脱出は可能なのだろうか。おそらく無理であろう。ならばその日々を日記として綴るのみである。

「リトル・フォレスト 春夏秋冬」

「リトル・フォレスト 春夏秋冬」
ヒューマントラストシネマ渋谷にて。2019年5月18日(土)午後12時25分より鑑賞(スクリーン3/D-3)。

~美味しい料理と美しい自然の風景と若者たちの迷い

2006年の日本映画「かもめ食堂」をはじめ、料理に焦点を当てた映画はたくさんある。そのどれもが、いかにも美味しそうな料理が映し出されて、観る者の目を楽しませてくれる。日頃の食事をインスタントや出来合いの惣菜に頼っているオレのような人間にとっては、なおさらである。

「リトル・フォレスト 春夏秋冬」(LITTLE FOREST)(2018年 韓国)は、五十嵐大介の同名人気コミックスが原作。すでに日本では、森淳一監督、橋本愛主演による2部作として2014年と2015年に公開されている。それを韓国で1本の映画として再映画化した。

舞台となるのは自然に囲まれた田舎の村。ある冬の日、主人公のヘウォン(キム・テリ)が、故郷であるこの地に戻ってきたところからドラマが始まる。だが、彼女は自分が戻ってきたことを誰にも明かさずにいる。実は、大都会のソウルで暮らしていたヘウォンは、就職にも恋愛にもつまずき、逃げるようにして帰郷したのだ。

とはいえ、そこは小さな村。幼なじみのジェハ(リュ・ジュンヨル)とウンスク(チン・ギジュ)は、すぐにヘウォンの帰郷を知る。2人はたびたびヘウォンの家を訪れるようになる。そんな3人の交流を、季節の移ろいの中で描いたのが本作である。

この映画で最も特徴的なのが料理だ。ヘウォンはジェハ、ウンスクとともに農作物を育て、旬の食材を使って一食一食を丁寧に作る生活を始める。蒸し餅、パスタ、はてはマッコリ酒まで、新鮮な食材から作られる数々の料理の美味しそうなことといったら、まさに垂涎もの。そんな料理を見ているだけで、楽しい心持ちになってくるのである。

そして、この映画のもう一つの特徴が、四季折々の美しい風景だ。冬にヘウォンが帰郷し、春、夏、秋へと季節が移り、再び冬を迎えるまでを、鮮烈な映像で綴っている。自然の豊かさと美しさ、そしてちょっぴり怖さも織り交ぜつつ映し出される。特に光を効果的に使った映像が印象深い。

ただし、料理や自然の風景だけが魅力の映画ではない。人間ドラマもきちんと描かれる。日本版は未見だが、聞くところによると本作は日本版よりも、人間ドラマを前面に押し出しているらしい。いったいどんなドラマなのか。それはヘウォンを中心に、ジェハ、ウンスクも含めた3人の若者の迷いと成長のドラマである。

都会で就職にも恋愛にもつまずいて帰郷したヘウォンは、これからどう生きるべきか迷っていた。当初は「すぐにソウルに戻る」と言っていたが、なかなか踏み出すことができない。恋人との関係も宙に浮いたままだ。

そしてヘウォンには、もう一つの大きな迷いがある。それは母親との確執だ。父の死後、母と共に暮らしていた彼女だが、大学進学を前に母は姿を消して、音信不通となってしまった。そのことに対するわだかまりが、彼女の心を大きく支配していた。

ヘウォンにとって母親との思い出の多くは、料理に関係している。そこで料理を切り口に、かつての回想を織り交ぜつつ、現在の彼女の心の揺れをリアルに見せていく。全体の構成は、ヘウォン自身の独白によって進行されるが、自らの感情を全て吐露するような野暮なことはしていない。余白を残した演出になっている。

一方、幼なじみの青年ジェハは、大学を出て会社勤めをしていたものの肌に合わず、故郷に戻って農業をしていた。また、同じく幼なじみの女性ウンスクは、ずっとこの地で暮らし、地元の農協で働いていた。2人もまた、自分の生き方や恋愛に悩みを抱えている。

そんな3人を見つめる視線はとても温かい。ウンスクのひょうきんなキャラを活かした笑いなど、ユーモアも全編に散りばめられている。ジェハをめぐるヘウォンとウンスクによる恋のさや当てのような場面もある。

やがてヘウォンの母に対する思いは変化していく。そして、再び冬を迎える頃に彼女は、新たな一歩を踏み出す……。

ヘウォンの成長を示しつつ、余白を残したラストも後味がよい。はたして、あの開いた窓の向こうには、何があるのだろうか。あれこれと想像させるラストである。

それにしても、これだけたくさんの要素を詰め込みながら、窮屈さがまったくないのだから感心する。日本版が2部作なだけに、なおさらその鮮やかな手際が目立つ。料理、自然人間ドラマ、笑いなどが過不足なく配されたエンタメ度の高い作品になっている。

ヘウォンを演じたキム・テリは、パク・チャヌク監督の「お嬢さん」にオーディションで起用され、一躍注目された若手女優。今回は等身大の女性を生き生きと演じている。幼なじみの2人を演じたリュ・ジュンヨル、チン・ギジュ、母親役のムン・ソリも味のある演技である。ついでにヘウォンが世話する白い犬も好演!

ただの癒し系映画と思うなかれ。突出した部分や驚きがあるわけではないが、クスクス笑って、若者たちに共感し、最後には温かな気持ちで映画館を後にできるはず。

ただし、美味しそうな料理が空腹感を増幅させることは確実なので、そこはぜひご注意を。

 

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◆「リトル・フォレスト 春夏秋冬」(LITTLE FOREST)
(2018年 韓国)(上映時間1時間43分)
監督:イム・スルレ
出演:キム・テリ、リュ・ジュンヨル、ムン・ソリ、チン・ギジュ
*シネマート新宿、ヒューマントラストシネマ渋谷ほかにて公開中
ホームページ http://klockworx-asia.com/little-forest/

 

「轢き逃げ 最高の最悪な日」

「轢き逃げ 最高の最悪な日」
ユーロスペースにて。2019年5月12日(日)午後2時より鑑賞(スクリーン2/D-9)。

~轢き逃げ事件を巡る心理ドラマとサスペンス。水谷豊監督のオリジナル作品

テレビドラマ「相棒」シリーズでおなじみの俳優・水谷豊は、2017年の「TAP THE LAST SHOW」で監督デビューを飾っている。それに続く監督第2作が「轢き逃げ 最高の最悪な日」(2019年 日本)である。今回は脚本も自ら担当している。

実のところ「TAP THE LAST SHOW」は未見。本作も最初は観る予定ではなかったのだが、インディーズ系を中心に秀作を上映する東京・渋谷のユーロスペースでの公開というので、興味を引かれて足を運んだのである。

ネタとしてはかなり重く暗い話だ。タイトルを見ればわかるように「轢き逃げ」を巡るドラマ。とはいえ、ただ重く暗いばかりではなく、エンタメ性も担保した作品だ。人間ドラマに加え、サスペンスの要素を前面に押し出している。

冒頭、ある地方都市の俯瞰から一人の青年にフォーカスする。全力で街を走る森田輝(石田法嗣)。彼が向かったのは、大手建設会社の同僚で親友の宗方秀一(中山麻聖)が待つ車。慌てて輝が助手席に乗り込み、車はスタートする。秀一(中山麻聖)は、勤務先の副社長の娘である白河早苗(小林涼子)との結婚式を目前に控え、その打ち合わせへ向かうのだ。輝は式の司会を務めることになっていた。

だが、輝の遅刻が原因で約束の時間に遅れそうになったことから、2人は抜け道を通ることにする。慣れない道をかなりのスピードで飛ばす秀一。次の瞬間、車は若い女性をはねてしまう。周囲に誰もいなかったことから、秀一と輝はその場を立ち去り、そのまま打ち合わせへと向かう。この轢き逃げ事件がドラマの発端だ。

前半は、犯罪の露見を恐れる秀一と輝の心理を中心に見せる。いつバレるかと気が気でない動揺が巧みに描かれ、緊迫感が漂う。罪の意識に苦しみつつ目の前の幸せを捨てられずに、目前の結婚式に集中しようとする秀一の心理もきっちりと描かれて、見応えがある。映像的にも細かな工夫があちこちに施され、人間ドラマを盛り上げる。

その一方で、秀一の結婚に関連して、勤務先の建設会社の勢力争いを描く構図は、ありきたりでつまらない。その後の展開に深くかかわるようなこともないし、もっとあっさり描いてもよかったのではないか。

その後、秀一と輝の周辺では謎の脅迫状や結婚式での電報など、不思議な出来事が相次ぎ、事件は複雑な様相を呈し始める。それを背景に、2人はどんどん追い詰められていく……かと思いきや、秀一と輝はベテラン刑事の柳公三郎(岸部一徳)と新米刑事の前田俊(毎熊克哉)によってあっさり捕まってしまう。

あれまあ、こんなに早く事件が解決して、この先いったいどうするのだろう。と思ったところで、今度は被害者の両親である時山光央(水谷豊)と千鶴子(檀ふみ)が登場する。当然ながら2人は悲しみに暮れていた。特に光央の憔悴ぶりはひどく、その胸中には犯人に対する怒り、絶望、復讐心などが渦巻いている。事件現場の地面を手で触れる光央の姿からは、彼の心理がダイレクトに伝わって切ない。

ここでオレが考えたのは、被害者家族VS加害者という構図だ。それを通して、罪と罰、復讐と許しなどの深淵なテーマを追求したのが瀬々敬久監督の「ヘヴンズ ストーリー」だが、それと似たような展開を予想したのだ。だが、実際は予想とはかなり違う展開に突入していく。

いや、もちろんそうした要素もあるにはある。だが、それと同時に大きな要素を占めるのが事件に隠された謎を探るサスペンスだ。

光央と千鶴子は、刑事の柳と前田から遺品を返却される。その際、「娘さんの携帯電話が見あたらない」と報告を受ける。いったい携帯電話はどこに消えたのか。光央はその行方を探すとともに、娘の日記なども手掛かりに、なぜ彼女が当日あの現場にいたのかという謎に迫っていくのだ。

もはや娘は生き返らない。それでも彼女に関する謎を追うしかない。それしか自分にできることはない。そんな光央のやるせない心理がひしひしと伝わってくる場面が続く。そして、その果てに驚愕の事実と、轢き逃げ事件の背後にいる人物が浮上する。

この人物については、個人的には途中で予想がついてしまったのだが、それでも意外性はそれなりにあるだろう。よくよく考えれば、その人物の過去の言動がここに至る伏線になっているあたりも、よく組み立てられていると思う。

ただし、全体的に心理ドラマ、人間ドラマとしてのツッコミの浅さも感じてしまった。この映画には、深いテーマがいくつも横たわっている。すでに述べた罪と罰、復讐と許しなどに加え、終盤では「嫉妬」というテーマも加わる。そこにエンタメ的な要素もたくさん盛り込んでいるので(光央が真相を突き止める場面などではアクションシーンまで登場する)、それらを余すところなく描くのは、さすがに難しかったのかもしれない。

とはいえ、けっしてただのエンタメ作品に終わらせないという意図は、ラストにも明確に表れている。千鶴子と秀一の新妻・早苗を対面させ、罪や嫉妬に関する様々な問いを観客に投げかける。そこで披露される秀一の手紙が秀逸だ。

脚本的にはやや物足りなさを感じたものの、さすがに監督第二作ということで水谷豊の演出は見事だと思う。特に役者を十二分に活かす演出が光る。主役の中山麻聖石田法嗣に加え、水谷自身も含めて、檀ふみ(久々に見たが、その佇まいが実に良い!)、岸部一徳などの脇役が、いずれも味のある演技を披露している。

何よりも、原作ものの映画全盛のこの時代に、オリジナル脚本の作品を送り出した水谷豊の気概が素晴らしい。そこに素直に拍手したい。

 

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◆「轢き逃げ 最高の最悪な日」
(2019年 日本)(上映時間2時間7分)
監督・脚本:水谷豊
出演:中山麻聖石田法嗣小林涼子、毎熊克哉、水谷豊、檀ふみ岸部一徳
有楽町スバル座新宿バルト9ほかにて全国公開中
ホームページ http://www.hikinige-movie.com/

 

「ドント・ウォーリー」

「ドント・ウォーリー」
新宿武蔵野にて。2019年5月9日(木)午後12時35分より鑑賞(スクリーン1/D-5)。

どん底の生活から再起した男をガス・ヴァン・サントが温かな視線で描く

1週間以上ぶりの更新です。

連休中は連日映画を観倒して……と言いたいところだが、諸般の事情によってそうもいかず、連休が明けて久しぶりの映画鑑賞となった次第。

鑑賞したのは、「ドラッグストア・カウボーイ」「マイ・プライベート・アイダホ」「グッド・ウィル・ハンティング~旅立ち」「エレファント」「ミルク」など数々の名作を生み出してきたガス・ヴァン・サント監督による新作「ドント・ウォーリー」(DON'T WORRY, HE WON'T GET FAR ON FOOT)(2018年 アメリカ)だ。

聞くところによると、この作品は2014年に死去したロビン・ウィリアムズが、自身の主演で映画化の構想を練っていたとのこと。その遺志を継いだヴァン・サント監督が企画から約20年の時を経て完成させた。

2010年に59歳で他界した風刺漫画家ジョン・キャラハンの実話をもとにした映画だ。その人生は壮絶なもの。オレゴン州ポートランドで酒浸りの日々を送っていたジョン・キャラハン(ホアキン・フェニックス)は、その酒がもとで車いす生活となる。だが、苦闘の末に、やがて風刺漫画家として第2の人生をスタートさせる。

とくれば、涙腺決壊の感動のドラマを想像するが、そこはさすがにヴァン・サント監督。安直な再起のヒーロー物語などにはしていない。主人公を弱点だらけの生身の人間として描くのだ。

構成的にも、単純にキャラハンの足跡を追うようなことはしない。大きな特徴は時系列を無視しているところ。それによってキャラハンの多面的な姿が見えてくる。

冒頭は、様々な人々が自身について語るドキュメンタリータッチの映像(ヴァン・サント監督の映画ではこうしたドキュメンタリータッチの映像がよく出てくる)。実は、これ、断酒のグループ・セラピーなのだ。そこには、車いす姿のキャラハンもいる。そこでの彼の告白をはじめ、いくつかの場面を導入として彼の過去が綴られる。

前半のヤマ場は、何といっても交通事故とその直後の日々だろう。アルコール依存でハチャメチャな日々を送っていたキャラハンは、同じく泥酔状態のデクスター(ジャック・ブラック)が運転する車で事故に遭い、胸から下が麻痺して車いす生活となる。

その経緯を見れば、とても同情などできないのだが、運転していたデクスターが軽傷だったという運命の皮肉が、やるせなさを漂わせる。そして何よりも、日々の行動に支障をきたすキャラハンの姿をリアルに見せられることによって、観客は彼が抱えた苦悩ややり場のない怒りを余すところなく感じるのである。

とはいえ、暗さや重たさに包まれた映画ではない。事故後のキャラハンの性生活のネタで笑いを取るなど、ユーモアにも満ちている。キャラハン自身、バイタリティーにかけては人一倍の人物だけに、躍動感を感じさせる場面も多い。また、キャラハンが見る体操選手の幻覚を効果的に使うなど、細かな映像テクニックも冴え渡っている。

このドラマの大きなポイントは、車いす生活となったキャラハンが、絶望からますます酒に溺れ、自暴自棄の日々を送る点だ。そんな彼が、断酒を決意するシーンも印象深い。彼を酒に走らせた原因の一つであろう実母が、幻となって彼に語りかける。

後半は、キャラハンが酒から抜け出し、風刺漫画家として活躍する経緯が描かれる。そこでは、セラピーのステップに沿ってキャラハンの変化が描かれる。一歩間違えば、宗教的、あるいはスピリチュアル系の話になりそうだが、セラピーの主催者である青年ドニー(ジョナ・ヒル)と、キャラハンの人間的なつながりを根底に据えているので、鼻につくようなこともなくストンと胸に落ちてくる。

後に恋人となるアヌー(ルーニー・マーラ)やセラピーに参加する人々など、それ以外の周囲の人々との関係も、キャラハンに変化を促す存在として、重要な役どころを与えられている。

キャラハンの決定的な変化は、「許し」である。事故を恨み、思い通りにならない周囲に苛立ち、軋轢を生んできた彼が、様々な人々への謝罪を始める。その過程でのデクスターとの再会は、素直に胸が熱くなる場面である。さらに、その「許し」はキャラハン自身にも向けられる。

このあたりも、描き方によってはあざとくなりがちだが、そうはなっていない。ここに至るまでに、キャラハンの様々な側面を見せられることで、彼の変化が自然なものに感じられるのだ。

そして何よりも、キャラハンを見守るヴァン・サント監督の温かな視線が、この映画を味わい深いものにしている。

キャラハンが、風刺漫画家として活躍するようになってからの描き方も面白い。持ち前の辛辣さや過激な表現から、彼の漫画に対しては熱烈なファンがいる半面で、徹底的に嫌悪する人々も多い。それをありのままに見せる。おかげで、それをすべて受け止めて前に進むキャラハンの生き様がより際立ってくるのである。

ストレートな感動は期待しないほうがいい。その代わりジワジワとくる味わいがある。観終わって最も感じたのは、他人を恨むことの愚かさと人とのつながりの大切さだ。当たり前のことではあるのだが、それをごく自然に伝えてくれる作品である。

言わずもがなだが、ホアキン・フェニックスは文句なしの素晴らしい演技だ。キャラハンの多面的な顔を演じ分けている。ジョナ・ヒルルーニー・マーラジャック・ブラックなどの脇役の演技も印象深い。

 

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◆「ドント・ウォーリー」(DON'T WORRY, HE WON'T GET FAR ON FOOT)
(2018年 アメリカ)(上映時間1時間55分)
監督・脚本:ガス・ヴァン・サント
出演:ホアキン・フェニックスジョナ・ヒルルーニー・マーラジャック・ブラックマーク・ウェバーウド・キア、キャリー・ブラウンスタイン、ベス・ディットー、キム・ゴードン
*ヒューマントラストシネマ有楽町、ヒューマントラストシネマ渋谷新宿武蔵野館ほかにて公開中
ホームページ http://www.dontworry-movie.com/

「荒野にて」

「荒野にて」
ヒューマントラストシネマ渋谷にて。2019年4月29日(月・祝)午後2時5分より鑑賞(シアター3/A-2)。

~馬と荒野を旅する少年の苦難と成長の記録

ドラマを盛り上げる意味では、キャラクターはシンプルでわかりやすいほうが良いのかもしれない。だが、それによって深みがなくなってしまうこともある。実際の人間は複雑でわかりにくい存在なのだから。

「荒野にて」(LEAN ON PETE)(2017年 イギリス)は、シャーロット・ランプリングトム・コートネイが共演し、第65回ベルリン国際映画祭銀熊賞をダブル受賞(最優秀女優賞、最優秀男優賞)した「さざなみ」のアンドリュー・ヘイ監督による作品。少年の成長を描くロードムービーだが、そこに登場する主要キャラはいずれも様々な側面を持つ。けっして単純な人物像は提示されない。それが、この映画に深みと味わいを加えている。

原作は、アメリカ・オレゴンを拠点に活動する作家・音楽家のウィリー・ヴローティンの小説。だからというわけではないが、まさに良質の小説を読んだような気持ちになれる映画だった。

主人公の15歳の少年チャーリー(チャーリー・プラマー)は、幼い頃に母が家出して、父と2人暮らし。孤独な日々を送っている。などというと、父親は愛情のかけらもないヒドイやつだと思うかもしれないが、そうではない。父はチャーリーを心から愛している。だが、その一方で女癖が悪く、その日暮らしの生活をしていた。そのせいか、たびたび転居している。だから、チャーリーには友達もいない。

ある日、チャーリーは家の近くに競馬場があるのを知り、そこの厩舎のオーナー、デル(スティーヴ・ブシェミ)と知り合う。そして、家計の助けになればと競走馬リー・オン・ピートの世話を始める。

このデルも一筋縄ではいかない人物だ。口うるさく、馬に薬物を与えてレースに勝とうとするなど汚いこともやる。その反面、チャーリーに約束以上の報酬を与えたりもする。どうやら複雑な過去を持つ人物のようである。

また、デルの知り合いの女性騎手ボニー(クロエ・セヴィニー)も、様々な過去を抱えているらしい。彼女はチャーリーに温かく接し、母親のような存在になる。だが、こと競馬になれば非情になる。リー・オン・ピートを溺愛するチャーリーを「競走馬はペットじゃない」といさめるのだ。

この2人を通して、チャーリーは人生を学ぶ。2人は人生の温かさと同時に、それが簡単なものではないこと、時には思い通りにならないことを身をもって教えるのだ。デルを演じるスティーヴ・ブシェミ。ボニーを演じるクロエ・セヴィニー。いずれもインディーズ映画を中心に活躍する個性派俳優だ。そんな2人が演じるから、その役柄にますます説得力が生じる。

ただし、チャーリーが本当に成長するのは、中盤に訪れる大きな転機がきっかけだ。女癖が悪かった父親が、愛人の夫に殺されてしまう。このままでは身寄りのないチャーリーは施設に送られてしまう。さらに、デルは勝てなくなったリー・オン・ピートの殺処分を決める。ボニーに助けを求めるものの、彼女はそれを拒否する。

そこでチャーリーは、リー・オン・ピートをトレーラーに乗せて旅に出る。目的地は唯一の親戚である伯母がいるはずの土地だった。だが、伯母はそこにはいないことがわかる……。

後半は、馬連れで旅するチャーリーによるロードムービーとなる。そこでは様々なことが起きる。ろくな金も持たないチャーリーは、レストランで無銭飲食をして捕まる。また、車が故障して馬と徒歩で旅するはめになってしまう。謎の家族と出会ったりもする。はては悲しい別れもある。それらを通してチャーリーは成長していく。

邦題の「荒野にて」というのは、まさにチャーリーが旅する荒野のことだろう。その雄大かつ厳しい風景が、圧倒的な映像で描かれる。それがチャーリーの成長を印象深いものにする。

とはいえ、「事件→成長」というようなわかりやすい図式はない。描き方は抑制的で、チャーリーの変化も明確に刻まれるわけではない。だが、その表情一つ一つから、彼が何を思い、どう変化していったかが自然に伝わってくる。

終盤チャーリーは、荒野から都会に足を踏み入れる。そこもまた過酷な場所だった。そして、ここでも思いもよらない体験をする。それまでにはなかった激しい感情を抱く場面もある。

はたして、チャーリーは叔母とめぐり合うことができるのか。詳しい結末は伏せるが、ラストもまたチャーリーの心情がよく伝わってきて、切なさと温かさが同時に感じられた。そこはかとない感動と余韻が残るエンディングである(展開としてやや出来過ぎの感もないではないが、それほど違和感はなかった)。

チャーリーを演じたのは、「ゲティ家の身代金」にも出演したチャーリー・プラマー。あの時はそれほど印象に残らなかったのだが、今回は繊細な演技が光る。セリフはもちろん、その一挙手一投足から主人公の心の内面が伝わる演技だった。この映画で、第74回ヴェネチア国際映画祭マルチェロ・マストロヤンニ賞(新人俳優賞)を受賞したとのこと。今後が要注目の若手俳優だ。

 

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◆「荒野にて」(LEAN ON PETE)
(2017年 イギリス)(上映時間2時間2分)
監督・脚本:アンドリュー・ヘイ
出演:チャーリー・プラマー、クロエ・セヴィニー、トラヴィス・フィメル、スティーヴ・ザーンスティーヴ・ブシェミ
ヒューマントラストシネマ渋谷ほかにて公開中
ホームページ https://gaga.ne.jp/kouya/

「誰がために憲法はある」

「誰がために憲法はある」
ポレポレ東中野にて。2019年4月29日(月・祝)午前10時30分より鑑賞(自由席/整理番号31)。

~名優・渡辺美佐子の生き様と地に足の着いた平和への思い

安倍首相が憲法改正を叫んでいる。それに対する賛否は人それぞれだろうが、気になるのは、国民がよく理解しないままに改正を進めているように見えることだ。改正しようがしまいが、問題は内容だろう。まさか何でもかんでも改正して、「憲法改正を成し遂げた偉大な指導者様だ!」という、どこぞの国みたいな称号が欲しいわけでもあるまいに。

そんな中、憲法や戦争、平和について考えるきっかけになりそうな映画が「誰がために憲法はある」(2019年 日本)である。監督はかつて若松プロに在籍し、「戦争と一人の女」「大地を受け継ぐ」などの監督や「止められるか、俺たちを」の脚本などで知られる井上淳一

滑り出しは一人語りから始まる。憲法を擬人化して、「70歳になります。リストラの危機にあります」と訴える芸人・松元ヒロの「憲法くん」だ。ただし、ここで語るのは松元ではない。今年87歳になる名優の渡辺美佐子である。もちろん、松元の語りはオリジナルだし、芸人らしいユーモアにあふれているのだろう。しかし、渡辺が演じることで、そこに重みと深みが加わる。

憲法には改憲条項がある。だが、変えていいところと変えていけないところがあるのではないか。憲法を変える理由は、現実に合わなくなったからだという。だが、理想を現実に近づけるよりも、現実を理想に近づけるのが本当ではないのか。そんな言葉の一つ一つが胸にジワジワと広がってくるのだ。

そこから話は渡辺たちが33年に渡って演じている原爆朗読劇に映る。制作団体が解散した後は、女優たちが自ら制作を買って出て公演を続けてきた。高田敏江、寺田路恵、大原ますみ、岩本多代日色ともゑ、長内美那子、柳川慶子、山口果林、大橋芳枝……。いずれ劣らず、演劇や映像の世界で活躍し続けてきた名優ばかりである。

彼女たちのこの朗読劇に対する思いが語られる。関わったきっかけやその背景は人それぞれだが、いずれも平和への強い願いを持ち、この朗読劇に熱い思い入れを抱いていることがわかる。

なるほど、断片的ではあるが、映画の中に登場するその公演風景は圧倒的なものだ。原爆にまつわる当事者たちの思いが、ウソのない言葉で語られる。特に被爆した子供たちの叫びが痛烈に胸に迫る。「天皇陛下万歳、お母さん万歳」と言って最期を迎えた子供たちには、掛ける言葉もない。女優たちは、そうした声を魂を込めて演じている。

だが、そうだとしても、なぜ渡辺はこの朗読劇を執念ともいえる形で続けてきたのか。中盤ではその真実が明かされる。そこには、彼女の幼い頃のある思い出が存在していた。小学校時代の初恋の少年と原爆との関りである。戦後35年目にあたる1980年にそのことを知った渡辺の思いが、朗読劇の原点となった。このあたりの展開では、ややミステリー的な魅力も楽しめる。

渡辺が原爆ドームを訪れ、慰霊碑に献花するシーンは涙を誘われる。この映画は単に憲法や戦争、平和に対して問題提起しているだけではなく、名優・渡辺美佐子の波乱と感動に満ちた人生のドラマにもなっているのだ。その生き様そのものが、憲法や戦争の話とリンクするのである。

この映画のもう一つの大きな要素は「継承」である。戦争を直接知る世代が減る中で、渡辺たちはこの朗読劇を2019年限りで終えるという。そこには諸事情があるのだが、自分たちの活動を様々な形で受け継いでもらいたいという思いは、すべてのメンバーに共通している。

公演を終えた渡辺たち出演者と、中学生たちの対話の様子も登場する。そこに、次世代への継承の萌芽を感じ取ることができる(とはいえ、このシーンには裏事情があるそうで、それを聞いて愕然としたのだが)。はたして、彼女たちの思いは継承されるのか。それはすべての人々に課せられた課題だろう。

最後には、再び渡辺による「憲法くん」が登場する。改めて、渡辺の肉声で語られる憲法前文。それはまさに美しく、崇高な理想である。渡辺の人生や思いを知った後だけに、なおさら胸に迫ってくる。やはり憲法を考えるなら、この前文を原点にすべきではないのか。

また、本作の音楽は頭脳警察PANTAが担当し、自身の曲「さようなら世界夫人よ」とパブロ・カザルスの演奏で知られる「鳥の歌」をヴァイオリンの阿部美緒たちが演奏している。こちらの音楽も素晴らしい。

けっして声高な憲法反戦についてのメッセージを発した映画ではない。渡辺が語るのは「当たり前の日常」の大切さ、かけがえのなさである。そういう点では、こうの史代原作、片渕須直監督のアニメ「この世界の片隅に」と共通する要素もあると思う。渡辺の人生を通して、地に足の着いた平和への思いが伝わってくるドキュメンタリー映画だ。

ちなみに、本作は動員も好調なようで、鑑賞当日は入りきれない観客のために、2階のカフェで特別上映も行われたとか。ただし、憲法や戦争についての作品にありがちなのだが、今のところ本作の観客の年齢層は高めのようだ。ぜひ若い人にも観てほしい映画である。渡辺たちの思いを継承するためにも。

 

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◆「誰がために憲法はある」
(2019年 日本)(上映時間1時間11分)
監督:井上淳一
出演:渡辺美佐子、高田敏江、寺田路恵、大原ますみ、岩本多代日色ともゑ、長内美那子、柳川慶子、山口果林、大橋芳枝
ポレポレ東中野ほかにて公開中。全国順次公開予定
ホームページ http://www.tagatame-kenpou.com/

 

「記者たち 衝撃と畏怖の真実」

「記者たち 衝撃と畏怖の真実」
TOHOシネマズ シャンテにて。2019年4月27日(土)午後12時50分より鑑賞(スクリーン2/C-11)。

イラク戦争に隠された真実を暴いた記者たちの実録ドラマ

9.11同時多発テロをきっかけに、アメリカは首謀者のビンラディンを捕まえるべく必死になった。ところが、なかなかその行方はわからず、代わりになぜかイラクサダム・フセイン政権が標的にされる。その大きな理由が、イラクが「大量破壊兵器」を持っているというものだった。そこに隠された真実を求めて奮闘した記者たちを描いた実録ドラマが、「記者たち 衝撃と畏怖の真実」(SHOCK AND AWE)(2017年 アメリカ)である。

監督はロブ・ライナー。1986年の出世作スタンド・バイ・ミー」をはじめ、「恋人たちの予感」「ミザリー」「ア・フュー・グッドメン」など様々なタイプの映画を撮ってきたライナー監督だが、本作のようなガチガチの社会派ドラマは過去にはなかったはず。それだけ彼の思いがこもった映画といえるだろう。

舞台となるのは新聞社。ただし、ニューヨーク・タイムズワシントン・ポストといった大手新聞社ではない。地方新聞31社を傘下に持つナイト・リッダー社だ。記者たちが書いた記事は、傘下の地方新聞に掲載される(ただし、新聞ごとに方針があり、必ず載るわけではないようだ)。

映画は議会の公聴会の場面から始まる。車椅子の元軍人がそこで証言する。彼はイラクの戦場で負傷し、車椅子生活になったという。そして、いくつかの数字を示して、イラク戦争の実態を証言する。そこからドラマはイラク戦争前へとさかのぼる。

2002年、ナイト・リッダーのワシントン支局長ジョン・ウォルコットロブ・ライナー監督が自ら演じる)は、ジョージ・W・ブッシュ政権が、イラクへの攻撃を計画しているという情報をつかむ。だが、9.11同時多発テロを起こしたテロ組織とイラクにつながりがあるというのは、どう考えても信じられないことだった。ウォルコットは部下の記者のジョナサン・ランデー(ウディ・ハレルソン)とウォーレン・ストロベル(ジェームズ・マースデン)に取材を命じる。

すると、やはり、それはどう考えても無理筋の話だった。だが、それでもブッシュ政権イラク攻撃へと突き進もうとする。その大きな理由が「大量破壊兵器」の保持。そこで、記者たちは、今度はそれが真実なのかどうかを追求する。そこには、ウォルコットに乞われて取材に参加した元従軍記者でジャーナリストのジョー・ギャロウェイ(トミー・リー・ジョーンズ)もいる。

社会派映画とはいっても、小難しい映画にしていないのはさすがにライナー監督である。そこかしこに見せる工夫があり、劇的な展開がないにもかかわらず最後まで飽きることはない。その中でも、特に興味深いのが記者たちの取材過程だ。大新聞などとは違ったニュースソースを持つ彼らは、あの手この手で関係者に接触し、ほんのわずかな情報でもつかみ取ろうとする。その硬軟取り混ぜた取材風景が素直に面白い。

そして個性派の記者たちの言動も面白い。いずれの記者も情熱に満ちあふれ、正義を貫こうとする。ブッシュ政権と結託して戦争を仕掛けようとするイラクの反体制派リーダーに対して記者がタンカを切る場面は、実に痛快なシーンだ。その一方で、彼らは常にユーモアを忘れず、人間味あふれる行動を取る。そこから、彼らの家族や恋人とのドラマも生まれる。そして、同時に記者たちにも深い苦悩がある。

記者たちにとって最大の苦悩は、自分たちの突き止めた真実と現実に起ころうとしていることのギャップである。記者たちの取材の結果、大量破壊兵器の証拠は見つからなかった。やがて、彼らはそれが政府の捏造である事を突き止める。にもかかわらず、戦争へ向かう動きはますます加速する。大新聞も政府発表をそのまま報道し、愛国心が高まる中で大半の議員も国民も戦争開始を支持する。ナイト・リッダーの記者たちは孤立してしまうのだ。そこが何ともやるせない。

ブッシュ大統領をはじめ、政府高官などが登場する当時の映像も効果的に使われ、戦争に突き進む当時のアメリカの状況の恐さと、それに抗うことの困難さを映し出すライナー監督。だが、それでもナイト・リッダーの記者たちの行動がけっして無駄ではなかったことを最後に示す。

冒頭の元兵士の数字の話を受けて、ラストも数字の話が飛び出す。これまたイラク戦争がいかにヒドい戦争だったかを示す数字だ。そして、何よりも大量破壊兵器は「0」だったのだ。それが明らかになったことにより、政府報道を垂れ流した大新聞は謝罪する。ナイト・リッダーの記者たちが報道したことは、間違いなく真実だったことが証明される。

映画の最後には、実際の記者たちが登場し、これがまぎれもなく真実の物語であることをダメ押しする。本作はジャーナリズムのあり方を問う映画であるのと同時に、それを取り巻く政治や世論の本質に迫る映画でもある。

さらにロブ・ライナー監督が今この映画を作ったのは、自分の意に沿わない報道機関を罵倒するトランプ大統領の存在があったのではないだろうか。そういう意味でも、今のこの時代に重要な意味を持つ作品だと思う。もちろん、それは日本とも無関係ではないはずだ。

◆「記者たち 衝撃と畏怖の真実」(SHOCK AND AWE)
(2017年 アメリカ)(上映時間1時間31分)
監督:ロブ・ライナー
出演:ウディ・ハレルソンジェームズ・マースデンロブ・ライナージェシカ・ビールミラ・ジョヴォヴィッチトミー・リー・ジョーンズ、ルーク・テニー、リチャード・シフ
*TOHOシネマズ シャンテほかにて公開中
ホームページ http://reporters-movie.jp/

「愛がなんだ」

「愛がなんだ」
テアトル新宿にて。2019年4月26日(金)午後1時25分より鑑賞(C-11)。

~あまりにもリアルすぎる摩訶不思議な恋愛の様々な側面

昨年10~11月に開催された第31回東京国際映画祭で、阪本順治監督の「半世界」とともにコンペティション部門にノミネートされた日本映画が「愛がなんだ」(2018年 日本)である。それに対して、審査委員長のフィリピンのブリランテ・メンドーサ監督が、辛口のコメントをしていたのを記憶している。要は、社会性の薄い作品が映画祭のコンペ部門にノミネートされたことに疑問を呈したのだ。素晴らしい社会派映画を生み出してきたメンドーサ監督らしいコメントだが、考え方は人それぞれだろう。

何しろ「愛がなんだ」は恋愛映画である。直木賞作家・角田光代の小説を今泉力哉監督が映画化した。今泉監督は、これまでも「サッドティー」「パンとバスと2度目のハツコイ」などの恋愛映画を撮ってきた監督。いまさらメンドーサ監督に「社会性が薄い」と言われても、「何だかなぁ~」という感じではなかろうか。コンペに選んだのは主催者側なのだし。少なくともオレにとっては、コンペ云々を抜きにして単純に面白い映画だった。

というわけで、今度がその時に続く2度目の鑑賞となった。半年経って大方のシーンを忘れているのではないかと予想していたのだが、なんのなんの、ほとんどのシーンを覚えていた。それだけ良くできた映画なのだろう。

映画はイタい恋愛モードでスタートする。28歳のOLテルコ(岸井ゆきの)のところに電話がかかってくる。マモル(成田凌)からの電話だ。病気で寝ているから何か買ってきてくれないかというのだ。テルコは「今ちょうど会社から帰ろうとしてたところ」と言って、喜んで出かけようとする。

オイオイオイ! 嘘言うんじゃない。お前、もう自宅に戻ってるじゃないか。

そうなのだ。マモルにひと目ぼれして以来、テルコの生活はマモル最優先。いつもマモルからの電話を待って、呼び出されればどこにいようとすぐに駆け付けるのである。

こうしてマモルの家に行ったテルコ。途中で買ってきたのは食材に加え、洗剤など。マモルのためにうどんをつくると、今度は掃除を始めるテルコなのだった。だが、マモルは深夜にもかかわらず「もう帰っていいよ」と、テルコを追い出す。金も持たずに困ったテルコは、親友の葉子(深川麻衣)の家に向かう。

この冒頭の出来事を観ただけで、テルコのイタさがわかるだろう。葉子は、「そんな男やめておけ」と警告するが、テルコは耳を貸さず、マモル中心の生活に幸せを感じている。だが、テルコの熱い思いとは裏腹に、マモルにとってテルコは恋人ではなく、単なる都合のいい女でしかなかったのだ。そんなテルコに対して、オレは最初のうちイラついてしまった。「アホかお前は! 男に利用されてるのがわからんのか!」。

同時にテルコを好きでもないのに、いいように利用しているマモルにも腹が立ってきた。だいたい、コイツ、「33歳で会社を辞めてプロ野球選手になる」だの「象の飼育員になる」だのワケのわからないことばかり言う、いい加減なやつなのである。「お前なぞ、象に踏まれて死んでしまえ!」。

ところが、あ~ら不思議。観ているうちに少しずつ両者に対する見方が変わってきた。何やら自分の中にも、彼らみたいなところがあるように思えてきたのだ。思い込み一辺倒でストーカー一歩手前のテルコ。それはまあ極端なケースには違いないのだが、それでも多くの人が熱病のように、誰かにのめり込んだ経験があるのではなかろうか。恋愛には、冷静に理性で対処できない部分が必ず存在するのである。

一方、マモルはテルコの自分に対する過剰な気遣いに嫌悪感を持っている。テルコがマモルを気遣うのは、自分の思い込みのなせる業である。本当にマモルのことを考えているかと言えば、そうとばかりは言えない。マモルに対する自分の気持ちを満たすための行動と言えないこともない。マモルがそれに違和感を抱くのは、当然と言えば当然かもしれない。

要するに、テルコとマモルを通して、様々な恋愛の持つ様々な側面をリアルに描き出すのが今泉監督の真骨頂なのだ。おかげで、観ているうちに2人が自分と近い存在に思えてくるから面白い。「ああ~、ああいうのわかる、わかる」「自分もあれに近い気持ちになったことがある」。そんなふうに自分の経験と重ね合わせて、登場人物それぞれの恋愛の心模様に共感、ないしは理解していくようになるのである。

テルコとマモルばかりではない。口ではテルコに警告を発する葉子だが、実はカメラマンのアシスタントをしているナカハラ(若葉竜也)の自分に対する好意を利用して、彼を都合のいいように利用している。まるでテルコとマモルの関係の裏返しだ。そんな矛盾もまた恋愛の一つの側面なのだろう。

とまあ、ここまで読んだところで、何だか重たい恋愛ドラマをイメージするかもしれない。だが、実際は正反対。軽妙で飄々としてほんわかしたムードに包まれている。テルコの暴走と思い込みから生まれるユーモアも、あちらこちらに散りばめられている。今泉監督は、被写体に寄り添うのでもなく、完全に突き放すのでもなく、絶妙の距離感で彼らを描き出す。

ドラマは中盤で大きな転機を迎える。テルコがマモルの部屋に泊まったことをきっかけに、2人は急接近する。ようやく恋人らしき関係になれてテルコは歓喜する。ところが、そこで2人の心はすれ違う。そして、突然、マモルからの連絡が途絶えてしまう。それからしばらくして、再びテルコの前に現れたマモルは、すみれ(江口のりこ)という年上の女性と一緒だった……。

すみれは、テルコとは正反対のガサツで口の悪い女性。彼女を好きになるマモルの気持ちも何となくわかる。そして、テルコを振り回していたマモルが、今度は逆にすみれに振り回される様子が皮肉で面白い。

全体的にオーソドックスな描写が多い映画だが、ユニークなシーンもある。例えば、テルコがすみれの悪口をラップで吐き出し、そこにもう1人の自分とマモルが登場するシーン。あるいは幼い頃のテルコと今のテルコが遭遇するシーン。いずれも人物の心情をリアルに映し出す効果を上げている。

終盤もなかなか面白い構成になっている。ナカハラ、葉子、マモルにそれぞれ焦点を当てながら、終幕へとつなげる。それは、けっして大団円ではない。いったん別れたナカハラと葉子の新たな関係を示唆しつつ、テルコとマモルにも新しい人生を用意するかに見せる。だが、何のことはない。テルコはやはりテルコだったのだ。もはや完全に理屈を超えている。ドラマの前半に登場した動物園を効果的に使ったラストに思わず苦笑。恐るべしテルコ! ここまでくれば感服するのみ。それにしても恋愛ってやつは……。

主演の岸井ゆきのは、不思議ちゃん&不気味ちゃんをそのまま体現する見事な演技。その周辺の人物を演じた成田凌深川麻衣若葉竜也も良いが、ハイライトは何といってもすみれを演じた江口のりこだろう。そのたたずまいは、すみれそのもの。相変わらずいい味出してるよなぁ~。

とにもかくにも、あまりにもリアルすぎる恋愛模様を堪能できる作品だ。オッサンのオレでもそうだったのだから、テルコと同世代の女性なら、たまらんのではなかろうか。しかし、まあ恋愛って、よくわからん摩訶不思議なものである。それを再認識させられた作品でした。

 

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◆「愛がなんだ」
(2018年 日本)(上映時間2時間3分)
監督:今泉力哉
出演:岸井ゆきの成田凌深川麻衣若葉竜也、穂志もえか、中島歩、片岡礼子筒井真理子江口のりこ
テアトル新宿ほかにて公開中
ホームページ http://aigananda.com/