映画貧乏日記

映画貧乏からの脱出は可能なのだろうか。おそらく無理であろう。ならばその日々を日記として綴るのみである。

「人間失格 太宰治と3人の女たち」

人間失格 太宰治と3人の女たち」
渋谷シネクイントにて。2019年9月14日(土)午後1時10分より鑑賞(スクリーン2/D-8)。

太宰治を媒介に、欲望のままに生き自己を実現した3人の女性を描く

今でも人気の高い作家・太宰治第二次世界大戦前から戦後にかけて、『斜陽』『走れメロス』『津軽』『お伽草紙』『人間失格』など多くの作品を発表した。その『人間失格』をタイトルに冠した映画が、「人間失格 太宰治と3人の女たち」(2019年 日本)である。

ただし、小説の映画化というわけではない。自堕落な生活を送る太宰が、『人間失格』を書き上げ、その後、愛人と入水して死を迎えるまでを描いたオリジナル作品である。

太宰治小栗旬)は、妻の美知子(宮沢りえ)が3人目の子供を身ごもっているにもかかわらず、作家志望の太田静子(沢尻エリカ)と関係を持ち、彼女がつけていた日記をもとに「斜陽」を生み出す。静子は太宰の子供を産む。「斜陽」はベストセラーとなるが、文壇からの評価は芳しくなかった。そんな中、太宰は今度は未亡人の山崎富栄(二階堂ふみ)と知り合い関係を持つ。相変わらず酒と女に溺れ、結核に苦しむ中で、太宰は今度こそ本当の傑作を書こうともがくのだが……。

当然ながら本作の主人公は太宰である。だが、正直なところ太宰の影は薄い。まあ早い話が、ただの寂しがりやで、女と酒にだらしない、いい加減な男にしか見えないのだ。作家としての孤独や苦悩などが、リアルに伝わってくることもないのである。

何しろ太宰の心の源泉が全く描かれていない。どうして彼が苦悩し、ああした自堕落な生活を送るに至ったかが解き明かされていない。蜷川実花監督と脚本の早船歌江子は、最初からそれを放棄しているようにさえ思える。

その代わりに存在感が際立つのが3人の女性たちである。太宰の妻の美知子、愛人で作家志望の太田静子、太宰と心中を遂げる山崎富栄。しょうもない男に惚れ、苦悩する彼女たちの心情がヒシヒシと伝わってくる。心の思うままに生きようとするものの、それぞれの関係性や充たされない思いに心を乱すさまが、リアルに描かれる。本作の真の主人公は、この3人の女性たちと言っていいだろう。

そして、3人とも強くてたくましい。妻の美知子は太宰に傑作を書かせようとして、夫の不貞を見て見ぬふりをする。愛人の静子は太宰との共同作業で作品を生み出し、さらに太宰の子供を産もうとする。富栄は現世ではなくあの世で太宰と永遠に結ばれたいと願う。そして3人とも、結局、その願いを実現してしまうのである。何という強さ! たくましさ!

ラストシーンがすべてを象徴している。太宰が『人間失格』を書き上げ心中した後に、美知子は晴れ晴れとした顔で洗濯物を干す。静子は太宰の子を抱きながら笑顔でインタビューに答える。そして、最後に描かれるのが太宰と冨栄の心中風景。死ぬのを躊躇する太宰を冨栄は優しく説き伏せて、死へと誘うのだ。

このドラマは、一見太宰に翻弄されたかに見える3人の女たちの自己実現のドラマなのである。その姿は、強さやたくましさを越えて怖ろしくさえある。もしかしたら、これこそが蜷川監督の狙いだったのかもしれない。

3人の女たちを演じたのは、宮沢りえ沢尻エリカ二階堂ふみ。いずれもハマリ役だ。それぞれの女性が持つ欲望、嫉妬、悲哀などを三者三様の演技で見事に演じ切っている。3人とも魔性の魅力が全開だ。

元々が写真家だけに「さくらん」ヘルタースケルター」などの蜷川監督の過去作は、いずれもカラフルな色彩感覚などケレンに満ちた映像で知られる。それがあまりにも強烈すぎて、個人的にはドラマに入り込めなかったのだが、本作に関してはそれほど違和感はなかった。

太宰のどん詰まりの状況を示す祭りのシーン、危うく死にかけた雪のシーン、ついに執筆を開始したシーンなど、かなりぶっ飛んだシーンも多いのだが、それらがドラマとマッチしているので、邪魔に感じることはなかった。

藤原竜也演じる坂口安吾高良健吾演じる三島由紀夫など、著名作家と太宰との絡みもなかなかに興味深かった。

さすがに終盤になって結核の病状が進むあたりから、太宰の苦悩は深くなる。ようやく主人公らしい存在感が見えてくる。とはいえ、3人の女性たちには及ばない。やっぱり本作は太宰を媒介とした3人の女性たちのドラマなのである。

そういう点で、太宰ファンをはじめ太宰の生き様を見ようと劇場に足を運んだ観客には、物足りなく映るかもしれない。それでも強烈な個性を持つ3人の女性のドラマとしては、十分に見応えのある作品だと思う。

 

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◆「人間失格 太宰治と3人の女たち」
(2019年 日本)(上映時間2時間)
監督:蜷川実花
出演:小栗旬宮沢りえ沢尻エリカ二階堂ふみ成田凌千葉雄大瀬戸康史高良健吾藤原竜也稲垣来泉山谷花純、片山友希、宮下かな子山本浩司壇蜜木下隆行近藤芳正
丸の内ピカデリーほかにて全国公開
ホームページ http://ningenshikkaku-movie.com/

「台風家族」

「台風家族」
池袋シネマ・ロサにて。2019年9月7日(土)午後1時35分より鑑賞(CINEMA ROSA 2/C-8)。

~銀行強盗の両親の財産を巡る予測不能で笑えるバトル

市井昌秀監督を知ったのは、第30回PFFグランプリ受賞作である2007年の「無防備」を観た時だ。心に傷を負った30代の主婦の絶望と再生を描いた作品で、監督の奥さんの今野早苗の実際の出産シーンがクライマックスで使われたことでも話題になった。

その後の市井監督は、星野源夏帆共演の2013年の「箱入り息子の恋」など、「無防備」に比べてエンターティメント性の強い作品を監督している。元々はお笑い畑の人らしいから(「髭男爵」の元メンバーらしい)、それもむべなるかな、というところである。

そんな市井監督の最新作「台風家族」(2019年 日本)は、本来の公開時期より大幅に遅れての公開となった。そう。例の新井浩文氏の事件絡みだ。とはいえ、お蔵入りになった映画もあるのだから、公開になっただけでも喜ぶべきかもしれない。

本作は原作ものではなく市井監督のオリジナル脚本による。ドラマはいきなり銀行強盗のシーンから始まる。犯人は鈴木一鉄(藤竜也)。2000万円を奪った彼は、妻の光子(榊原るみ)とともに霊柩車で逃走する。一鉄は葬儀屋を営んでいたのだ。そして、そのまま2人は姿を消してしまう。マスコミは長男の小鉄(草彅剛)をはじめ家族のもとに殺到する。

それから10年、ずっと無人だった鈴木家に小鉄が妻(尾野真千子)と娘(甲田まひる)を連れて戻ってくる。失踪から時間が経過し、一鉄と光子が法的に死亡したと認定されたことから、その葬儀が行われることになったのだ。もちろん棺は空。そして、小鉄の真の狙いは両親の財産にあった。

というわけで、両親の残した財産を巡って骨肉の争いが繰り広げられる。バトルするのは、小鉄に加え弟の京介(新井浩文)と妹の麗奈(MEGUMI)、そして姿を見せない三男の千尋中村倫也)。その代わりに、なぜか麗奈の彼氏の登志雄(若葉竜也)が登場する。

何しろ小鉄たちには、両親に対する愛情などない。銀行強盗の子供として散々世間の冷たい視線を浴び、それによって人生を狂わされたのだ。だから、彼らは遠慮などなしに、欲望をむき出しにして財産争いを展開する。

なかでもとりわけ小鉄は欲望をむき出しにする。弟や妹に対して「お前たちは学費をたくさん出してもらったんだから」と自分がよけいに財産をもらう権利があると主張する。そればかりか財産を独り占めしようと目論む。

そんなバトルを通して、兄や弟、妹の過去に関する確執が表面化してくる。事件以来ほとんど顔を合わせていなかっただけに、胸の奥に渦巻く者が一挙に噴出する。そして、彼らは罵り合い、取っ組み合いまで演じる。

とはいえ、本作の真骨頂はそこに笑いの要素をふんだんに盛り込んでいるところだ。アクの強い人物たちによる丁々発止の駆け引きから、シュールだったり、ドタバタだったり、ブラックだったりと様々な笑いが生まれてくる。けっしてどす黒い骨肉の争いではなく、クスクス笑いながら見られるバトルなのだ。

やがて三男の千尋がようやく現れると、混乱はエスカレートする。この葬儀自体がある意図のもとに計画されたことが明らかになる。

この映画の舞台はほとんどが鈴木家の室内だ。それでも飽きさせないのはセリフの面白さに加え、新たな登場人物や新たなエピソードをタイミングよく繰り出すから。そこに先の読めない面白さがある。

中盤以降は、両親に関する隠された事実が明らかになってくる。子供たちの全く知らない2人の姿だった。それによって憎むべき強盗犯という子供たちの思いが、少しずつ変化していく。また、小鉄が金に執着する本当の理由も明かされ、彼と娘との絆が強まる。

そのあたりからヒューマニズムが前面に出てくるのだが、それをダメ押しするのがある謎の女の登場だ。実は、この映画では、途中で銀行員の男と謎の女がチラチラと何度か登場する。「あれは誰なのだろう?」と思って観ていると、やがて彼らが鈴木家に現れる。

特に謎の女の出現によって、家族たちはなぜ一鉄が強盗を働いたのかを知ることになる。それが家族の絆の再構築をもたらし、観客をホロリとさせるのである。

クライマックスはタイトル通りの台風の中、家族が家を飛び出してある場所へと向かう。そこから意外な展開へと突入して、海岸でのラストシーンへとつながる。冷静に考えれば「そんなことないだろう」とツッコミたくなる展開ではあるのだが、観ている間は気にならなかった。むしろ、おかしみと感動に満ちた場面に思わず微笑んでしまった。

いったん文句なしのハッピーエンドと思わせて、その後でひとひねりしたエンディングもセンス抜群。人間なんてしょーもないけど、けっこう捨てたもんじゃないでしょう。そんな市井監督の声が聞こえてきそうだ。

役者も魅力的だ。草彅剛はワルを装いつつそれでも……というあたりの演技が役にはまっている。MEGUMI中村倫也も個性的な演技で印象深い。両親役の藤竜也榊原るみも存在感十分。そして問題の新井浩文氏だが、例の事件のことは気にならなかった。こういう役なのでなおさらね。もっとワルい役立ったら印象が違ったのかもしれないが。

何にしても映画に罪はないので公開になってよかった。笑って、泣いて、感動できる。ウェルメイドなコメディである。舞台劇にしても面白いかも・・・。

 

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◆「台風家族」
(2019年 日本)(上映時間1時間48分)
監督・脚本:市井昌秀
出演:草彅剛、MEGUMI中村倫也尾野真千子若葉竜也、甲田まひる、長内映里香、相島一之斉藤暁榊原るみ藤竜也新井浩文
*TOHOシネマズ日比谷ほかにて全国公開中
ホームページ http://taifu-kazoku.com/

「帰れない二人」

「帰れない二人」
新宿武蔵野館にて。2019年9月6日(金)午後1時より鑑賞(スクリーン1/C-8)。

~激動する中国を背景にした渡世人と恋人の愛の叙事詩

ジャ・ジャンクー監督の1997年のデビュー作「一瞬の夢」を観たのは、どこの映画館だったろうか。渋谷か、新宿か。明確な記憶はないが、いずれにしても衝撃的な映画だった。スリで生計を立てる青年のドラマで、粗削りながら鮮烈で瑞々しい青春映画。1970年代の日本のインディーズ映画を連想させるような作品で、中国にもこういうエッジのきいた映画があるのかと驚いたものだ。

それ以来、ジャ監督は「プラットホーム」「青の稲妻」「世界」「長江哀歌(エレジー)」「罪の手ざわり」「山河ノスタルジア」といった作品を世に送り出してきた。当初は中国当局から認められず、海外資本によって作品を作り、世界各地の国際映画祭で評価を高め、今では中国を代表する巨匠となった。

ジャ監督の過去の作品はほぼすべて鑑賞してきたが、そのほとんどは中国の急速な発展から取り残される人々を描いている。さすがに年輪を重ねた今では作風も熟成され、初期の頃に比べて観客が入り込みやすい映画になっていると思う。

ただし、発展から取り残される人々を描くという原点は、今も揺るがない。最新作「帰れない二人」(江湖儿女/ASH IS PUREST WHITE)(2018年 中国・フランス)も同様だ。

ある男女の18年間に渡る愛の物語である。同時にヤクザ映画のテイストも持つ。物語のスタートは2001年の山西省・大同。炭鉱作業員の娘チャオ(チャオ・タオ)は、ヤクザ者のビン(リャオ・ファン)の恋人だった。街は炭鉱の衰退で寂れかけていたが、ビンは雀荘をはじめとする娯楽施設を仕切るなど羽振りがよかった。

ビンはヤクザ者といっても、「渡世人」を自称する昔気質のヤクザだ。もちろん仲間との会話などには、いかにもヤクザらしい危うさもあるが、チャオとの関係においてはごく普通の恋人同士のようだった。どうやらチャオは結婚を望んでいるようだが、ビンにはあまりその気がないようである。

ジャ監督の映画にはその当時の時代背景がきっちり織り込まれる。一見、ありがちな恋愛ドラマのようにも見える本作でも、それはまったく変わらない。序盤では人々が石炭価格の暴落で仕事を失い、「鉱山が新疆に移転するらしい」という噂が流れる様子などが描かれる。

時代性という点では、ビンの経営する店で客が「YMCA」をバックに踊りまくるシーンなども、当時の時代をとらえたシーンと言えるだろう。

そんな中、ある夜、チャオとビンを乗せた車は若いチンピラたちに囲まれる。ビンは反撃に出るが多勢に無勢で追いつめられる。それを見たチャオはビンを助けるため拳銃を発砲する。

チャオは人を撃ったわけではなく威嚇発砲したのだが、それでも拳銃を不法所持していたことは間違いない。彼女は逮捕される。しかも、ビンをかばってその拳銃が彼のものであることを話さなかった。こうしてチャオは刑務所に入る。ビンも刑務所に行くが1年で出所。それに対してチャオは5年を刑務所で過ごす。

まさに愛に貫かれたチャオの行動である。もちろんビンの彼女に対する思いも変わらないことを信じていたのだろう。だが、5年後の2006年、刑務所から出てきたチャオをビンが出迎えることはなかった。チャオはビンの行方を追って三峡ダムのある奉節へと向かう。

ここでも中国の激動する社会が織り込まれる。三峡ダムが完成したのは2009年。この当時は、それを前に水没する土地の住民の移住が行われていた。そうした様子が物語の背景として描かれる。

また、船でチャオの金を盗んだ女の存在や、かつてビンが学費を出した男が事業で大成功している姿なども、拝金主義をはじめとする中国社会の変貌ぶりを表している。

チャオが会おうとしてもビンはなかなか姿を現さない。それでもチャオはビンに会おうとする。その過程では、「妹が流産した」というネタで男から金をせしめたり、自分に誘いをかけてきた男から巧みに逃げるなど、チャオのたくましい姿も示される。チャオはただ愛に翻弄されるか弱い女ではない。彼女の成長もまたこのドラマの大きな要素なのだ。

そして、ついに再会するチャオとビン。ここは実に切なくほろ苦いシーンだ。ビンと一緒に大同に帰りたいチャオ。だが、ビンは「昔の俺じゃない。別人だ」と告げる。どうやら新しい恋人もいるらしい。昔に戻れないことはチャオも十分に知っているに違いない。それでも心は千々に乱れる。そんな2人の揺れ動く心理がリアルに伝わってくる。

ビンはチャオの左手を握り「この手が命を救ってくれた」とつぶやく。だが、チャオは言う。「銃を撃ったのは右手。左手じゃない」。こうして、お互いに複雑な思いを抱えたまま2人はすれ違い離れていく。

その後、チャオはたまたま列車に乗り合わせた怪しげな男に誘われて、新疆のウルムチへ向かう。新疆ウイグル自治区では政府による大規模な開発が行われ、仕事もすぐに見つかると言われたのだ。だが……。

最後の舞台は2017年の大同だ。そこでチャオは、かつてビンが仕切っていた雀荘を仕切っている。そんな彼女に、変わり果てた姿になったビンが助けを求めてくる。もう二度と会うことはないと思われたチャオとビンが意外な形で再会する。

ボロボロになってもかつての自分が忘れられないビン。そして、そんなビンを「義理がある」と迎えるチャオ。それは渡世人の道理だ。かつては渡世人の恋人だったチャオは、今は自ら渡世人へとたくましく変貌したのだ。以前とは全く立場が逆転した2人。それでも友人としての絆を保つかに思えたのだが……。

チャオの姿を監視カメラ越しにとらえたラストが何とも切ない。チャオもビンも結局は時代に取り残された人間だ。そこにもの悲しさが漂う。そして、その2人の愛のドラマが、激動する社会とのコントラストで描かれることによって、ありがちなラブロマンスを越えて、普遍的で、より切なく、よりほろ苦い叙事詩へと昇華するのである。

チャオを演じるチャオ・タオは「プラットホーム」以来、ジャ監督作品に出演。私生活でもジャ監督のパートナーだ。セリフが極端に少ないジャ作品において、彼女の抜群の演技力は大きな要素を占める。その表情から立ち居振る舞いまで、全身で繊細に情感を表現する。そして、何よりもジャ作品における彼女はとびきり美しい。今回はますますそれが際立つ。

一方、ビン役のリャオ・ファンは、「薄氷の殺人」で第64回ベルリン国際映画祭銀熊賞(男優賞)を中国人俳優で初めて受賞した俳優。こちらも時代に取り残される渡世人を渋く演じて味わいがあった。ちなみに、「薄氷の殺人」のディアオ・イーナン監督も、役者として本作に出演している。

過去のジャ作品を観た人もそうでない人も、一見の価値がある作品だ。普遍的な愛のドラマとしても、現代中国を描写した作品としても見応えがある。

 

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◆「帰れない二人」(江湖儿女/ASH IS PUREST WHITE)
(2018年 中国・フランス)(上映時間2時間15分)
監督・脚本:ジャ・ジャンクー
出演:チャオ・タオ、リャオ・ファン、シュー・ジェン、ディアオ・イーナン、フォン・シャオガン、チャン・イーバイ、ドン・ズージェン
Bunkamuraル・シネマ、新宿武蔵野館ほかにて公開中
ホームページ http://www.bitters.co.jp/kaerenai/

 

「メランコリック」

「メランコリック」
アップリンク吉祥寺にて。2019年9月4日(水)午後12時30分より鑑賞(スクリーン2/C-4)。

~殺人銭湯で生き直すニート青年。奇抜な発想と巧みな脚本が光る

大学時代に風呂なしの下宿に住んでいた当時は足しげく通った銭湯だが、それ以降はとんと足が遠のいてしまった。とはいえ、そこは昔から今に至るまで庶民の憩いの場。ごく当たり前の日常に組み込まれた場所と言えるだろう。その銭湯という日常と殺人という非日常を組み合わせたユニークな作品が、「メランコリック」(2018年 日本)である。

主人公の和彦(皆川暢二)は東大卒。だが、卒業後は30歳になる今まで、就職もせずにアルバイト生活を続けていた。そんな和彦は、ある日、たまたま訪れた銭湯で高校の同級生・百合(吉田芽吹)と再会する。それをきっかけに、和彦はその銭湯「松の湯」で働き始める。だが、まもなく和彦は、深夜の「松の湯」で殺人現場を目撃してしまう。「松の湯」は閉店後に、「人を殺す場所」として貸し出されていたのである。

まずは設定の奇抜さが目を引く作品だ。偶然殺人事件の現場になるならともかく、裏の仕事として殺人現場にレンタルされる銭湯。オーナーによれば、銭湯なら血などをすぐに洗い流せるから都合がよいらしい。おまけに死体はボイラーで燃やせばOKというわけだ。何だかおぞましいけれど、ユニークな設定ではないか。

その銭湯では、かなりの頻度で裏の仕事が行われる。「そんなに人殺しの需要があるのか?」という疑問はあるが、それはとりあえず封印しておこう。営業中の日常と深夜の非日常。その落差が様々な興趣を生んでいく。そこはかとないユーモアも全編に漂っている。あえてジャンル分けすれば、巻き込まれ型のサスペンス・コメディということになろうか。

しかも、本作はただ面白いだけではない。ちゃんと人間ドラマも繰り広げられている。それは主人公の和彦の生き直しのドラマである。典型的なニート青年で、これといって人生の喜びを見出せなかった和彦が、殺人銭湯との出会いによって次第に変わっていくのだ。

殺人を目撃した和彦は、オーナーによってそれに加担させられる(死体処理と掃除を手伝わされる)。そして、特別の報酬を手にする。それによって、彼は生き生きと輝きだすのだ。ニート男が初めてやりがいを感じた仕事が殺人の手伝いとは、何という皮肉!!

だが、その後、和彦は不満を感じる。裏の仕事に関して、一緒に働き始めた同僚の松本(磯崎義知)が重用されるようになり(それにはある驚きの理由があるのだが)、「どうしてアイツばかり……」と感じるようになるのだ。

仕事に対するやりがいと不満。何やらこのあたり、お仕事ムービー的な要素も感じられる。与えられた仕事をただこなすことへの疑問を、和彦が吐露するような場面もある。

それだけではない。この映画にはさらに様々な要素が詰め込まれている。ネタがネタだけにホラー的な要素もある(ただし、それほど凄惨ではないです)。和彦と百合の初々しいロマンスも描かれる。さらに銃を手にしたアクションシーンなどもある。それだけの要素が詰め込まれていても窮屈な感じはしない。なかなか巧みな筋運びである。

個人的に印象深いのは、ところどころで挟み込まれる食卓のシーンだ。和彦と両親が食事をしながら会話をする。まさに一家団欒の日常風景。恐ろしい銭湯での殺人の合間にあるこのシーンが、実に良いアクセントになっている。こんなふうに日常と非日常をバランスよく織り込みながらドラマを展開する。

冒頭から予想外の展開が続くドラマだが、中盤以降は事態がますます混沌としてくる。それとともに和彦はギリギリの状況に追い詰められていく。そこで彼は松本とともにある行動に出るのだが、そのクライマックスの前に、いったん穏やかな場面を配置する構成が心憎い。居酒屋での和彦と松本の会話で2人の心の通い合いを示しながら、波乱のクライマックスへとなだれ込む。

どんでん返しも用意されたクライマックスを経て、その後はまたしても食卓シーンが効果的に使われ、さらに最後の後日談で観客の心をホッコリと温める(なんせ銭湯だからね)。そして、和彦の独白により、彼の成長をクッキリと見せてドラマは終幕を迎える。このエンディングのまとめ方もしっくり来るものだった。

役者たちはいずれも無名だが、充実した演技を見せている。和彦役の皆川暢二は根暗なニート青年の変化を好演。松本役の磯崎義知も危うさと人間味をうまく同居させていた。百合役の吉田芽吹は愛嬌のある笑顔がとても魅力的。銭湯のオーナー役の羽田真、和彦の両親役の山下ケイジ、新海ひろ子、殺し屋役の浜谷康幸なども存在感のある演技だった。

第31回東京国際映画祭「日本映画スプラッシュ」部門で監督賞を受賞した本作は、田中征爾監督の長編デビュー作で、田中監督と和彦役の皆川、松本役の磯崎による映画製作ユニット「One Goose」の映画製作第1弾作品とのこと。

いわば低予算でつくられた自主映画で、その制約が映像面をはじめ随所で感じられるのは事実である。だが、それを凌駕する設定の奇抜さと脚本の面白さで、なかなかの快作に仕上がっている。エンターティメントとしての魅力は十分だ。観て損はなし。「One Goose」の今後の作品にもぜひ期待したい。

 

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◆「メランコリック」
(2018年 日本)(上映時間1時間54分)
監督・脚本・編集:田中征爾
出演:皆川暢二、磯崎義知、吉田芽吹、羽田真、矢田政伸、浜谷康幸、山下ケイジ、新海ひろ子、大久保裕太、ステファニー・アリエン、蒲池貴範
アップリンク渋谷、アップリンク吉祥寺ほかにて公開中
ホームページ https://www.uplink.co.jp/melancholic/

「永遠に僕のもの」

「永遠に僕のもの」
渋谷シネクイントにて。2019年9月1日(日)午後2時10分より鑑賞(スクリーン1/D-5)。

~悪魔の心と天使の姿。美少年の凶悪犯が放つ危険な悪の魅力

犯罪者を断罪するのは簡単だが、映画の中ではそう単純な話でもない。数多ある犯罪映画の中には、犯罪者を魅力的に描いた作品も多い。スペインの名匠ペドロ・アルモドバル監督が製作を務めた犯罪映画「永遠に僕のもの」の主人公も、実に危険な魅力にあふれている。

このドラマは、1970年代のアルゼンチンで12人以上を殺害した連続殺人事件の犯人である少年をモデルにしたものだ。その少年はとびっきりの美少年で、逮捕当時、そのことが大きな話題を集めたという。

1971年、アルゼンチンのブエノスアイレス。17歳の美少年カルリートス(ロレンソ・フェロ)は、遊びを楽しむように窃盗を繰り返し、罪の意識を感じることもなかった。やがて彼は、転校先でからかった同級生に殴られる。ラモン(チノ・ダリン)というその野性的な青年とカルリートスは、すぐに意気投合する。ラモンの父親はヤク中のワルだった。カルリートス、ラモン、そしてその父親は一緒に強盗を繰り返すようになる。

この映画には人間ドラマらしい人間ドラマがない。人間ドラマは登場人物の苦悩や葛藤から生まれる。だが、カルリートスには最初からそれがほとんどない。犯罪に罪の意識はないし、生い立ちが彼を犯罪者にしたわけでもない。金のために犯行を行うのでもない。両親は普通の人だし、裕福とは言えないものの生活の心配のない暮らしだった。犯行をエスカレートさせて人を殺し始めても、何の後悔も持たずにいる。考えようによっては、生まれついての「悪魔」のような男なのだ。

その一方で、彼の外見は実に美しい。ブロンドの髪で白い肌と赤い唇を持ち、中性的な魅力を兼ね備えている。イヤリングを着けたカルリートスの姿を見て、ラモンは「マリリン・モンローのようだ」と評する。まるで「天使」のような外見なのだ。天使のような外見を持つ悪魔。そのコントラストが危険な魅力を振りまいていく。

というわけで、アルゼンチンのルイス・オルテガ監督は、最初から余計な人間ドラマなどは描こうとしない。洗練された演出によって、カルリートスという男の姿を、スタイリッシュかつポップな映像、そして音楽で見せていく。約50年前にアルゼンチンの人々が魅了されたように、現在の観客にもカルリートスの妖しい悪の魅力を体感させようとするかのようだ。

劇中に鮮烈なシーンはいくつもあるが、個人的に最も印象深かったのは、カルリートスが車を処分するシーンだ。炎上する車をバックに、「朝日のあたる家」が流れる。こんなふうに映像と音楽が一体化した魅惑的なシーンが目白押しだ。

映画が進むにつれてカルリートスの悪魔性がより際立って見えてくる。宝石店に押し入った際に相棒のラモンは急いで犯行を行おうとする。それに対してカルリートスは「もっとゆっくり楽しむべきだ」と諭す。ラモンの父親がルールに従うように忠告しても、不満げな反応を見せるばかりだ。

カルリートスとラモンの間には、同性愛的な感情も漂っている。最初の出会いから、ところどころにそれを示唆するシーンが挟み込まれる。それもまた、カルリートスの不思議な魅力を増幅させる。

だが、所詮2人はまったく違う資質を持つ。ラモンはゲイの男に取り入り、芸能界を目指そうとする。彼には間違いなく上昇志向がある。だが、カルリートスにそんなものはない。今を楽しむために犯行を繰り返す。そうした差異が招いたのか、やがて2人の関係はある悲劇的な展開へと向かう。

終盤は波乱が相次ぐ。裏切り、別れ、逮捕、脱獄……。その果てに待ち受けているラストシーンも印象深い。詳細は控えるが、あるシチュエーション下で、カルリートスがダンスを踊る。その手足の揺らめきにも悪魔的な魅力があふれている。

最後の最後まで、ドラマ的には特に観るべきものがない映画だ。カルリートスとラモンの微妙な関係性をはじめ、もっと突っ込んで描くこともできただろうが、そうした努力は最初から放棄している。

だが、その代わり主人公の危ない魅力を十分に伝えることには成功している。だから、ついスクリーンに見入ってしまう。それこそが、作り手たちの狙いだったのではないだろうか。極論すれば、この映画はカルリートスを描くためだけに作られた作品といってもいいだろう。

そんなカルリートスを演じたロレンソ・フェロはこれがスクリーン・デビュー作だそうだが、よくぞこれほどピッタリの新人を見つけてきたものである。その無邪気な悪魔性、美しすぎる外見ともに、存在感は抜群だ。バスタブに浸かってタバコを吸うビジュアルを一見しただけで、ただものではないことが伝わってくる。

もしかしたら恐ろしい新人が登場したのかもしれない。あるいは今回に限って一度だけ咲き誇った仇花か。それは今後のお楽しみ。何にしても飛びっきりの美少年なのは間違いなし。なるほど、観客の9割方が女性だったのは、彼を見たかったからなのね。

 

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◆「永遠に僕のもの」(EL ANGEL)
(2018年 アルゼンチン・スペイン)(上映時間1時間51分)
監督:ルイス・オルテガ
出演:ロレンソ・フェロ、チノ・ダリン、ダニエル・ファネゴ、メルセデス・モラーン、ルイス・ニェッコ、ピーター・ランサーニ、セシリア・ロス
*ヒューマントラストシネマ有楽町ほかにて公開中
ホームページ https://gaga.ne.jp/eiennibokunomono/

「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド」

「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド」
ユナイテッド・シネマとしまえんにて。2019年8月31日(土)午後2時20分より鑑賞(スクリーン5/G-14)。

~映画愛に満ちたタランティーノ監督が描く1969年のハリウッド模様

クエンティン・タランティーノ監督は1991年に「レザボア・ドッグス」で監督デビューを飾って以来、数こそ多くないものの「パルプ・フィクション」「キル・ビル」「イングロリアス・バスターズ」「ジャンゴ 繋がれざる者」といった強烈な印象を残す作品を監督してきた。

監督作ではないが、脚本を担当した1993年の「トゥルー・ロマンス」も素晴らしかった。クリスチャン・スレイターパトリシア・アークエットが演じる若い男女の愛と逃避行を、凄まじいスピード感とパワーで描ききった作品にすっかりKOされてしまった。

そんなタランティーノ監督は、若い頃にはビデオショップの店員をしながら数え切れないほどの映画を観た究極の映画オタク。それゆえ、彼が関わった作品のほとんどは並々ならぬ映画愛に貫かれた作品ばかりである。

監督9作目となる最新作「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド」(ONCE UPON A TIME IN HOLLYWOOD)(2019年 アメリカ)も同様だ。何しろ今回のドラマの舞台となるのは、時代の波によって変化にさらされた1969年のハリウッド。それだけに、従来以上にタランティーノの映画愛が炸裂している。

物語の柱は役者とスタントマンの友情物語だ。テレビ俳優のリック・ダルトンレオナルド・ディカプリオ)は今や落ち目で、脇役の悪役しか回ってこない。映画スターへの転身を目指したこともあるが、それもうまくいかなかった。焦りと不安を募らせるリック。

一方、そんなリックを支えるのは相棒のスタントマンのクリフ・ブース(ブラッド・ピット)。ただのスタントマンではなく、リックの運転手や雑用係も引き受けていた。しかし、リックが落ち目になるにつれて、彼のスタントの仕事も減っていた。それでも、彼は常にマイペースだった。そしてリックとクリフは固い絆で結ばれていた。

この2人の友情物語がドラマの中心だが、もう1人、フィーチャーされる人物がいる。それは、夫で時代の寵児となった映画監督ロマン・ポランスキーともに、リックの隣に引っ越してくる新進女優のシャロン・テートマーゴット・ロビー)だ。

リックとクリフは虚構の人物だが、ポランスキーシャロン・テートは実在の人物。そして、シャロン・テートはマンソン・ファミリーというカルト集団によって惨殺された被害者。ハリウッド史に残る陰惨な事件である。つまり、このドラマは虚実が入り乱れ、現実も大胆に改変されたドラマなのだ。

映画の中盤でシャロン・テートは、自分が出演している映画を劇場で観て、無邪気に喜ぶ。実にキュートで魅力的なシーンだ。おそらくタランティーノシャロン・テートが大好きで、惨殺事件の被害者という側面ばかり強調される彼女に、違った面からスポットライトを当てたかったのだろう。そこにも映画を偏愛するタランティーノの思い入れが感じられる。

細部へのこだわりも相変わらず半端でない。ハリウッドの街の風景から洋服、音楽まで、すべてが1969年の雰囲気を漂わせている。

そのこだわりは劇中劇にも及ぶ。本作ではリックの過去の出演作がたびたび流される。それはまさに当時のテレビドラマや映画そのままだ。さらに中盤では現在進行形でリックが悪役を演じる西部劇の撮影風景が描かれる。それもまた、それだけで独立した映画になりそうなほどのこだわりぶりだ。

そこではリックの人間ドラマが描かれる。セリフが満足に覚えられずに自分に悪態をつく。子役の少女の前で自分の苦境を嘆いて涙を流す。そうした姿から、彼がもがき苦しんでいる様子がリアルに伝わってくる。

とはいえ、それをさらに深く追求することはしない。むしろ他の要素も映画の中にどんどん詰め込んでいく。苦悩するリックに対して、クリフはヒッチハイクをしていたヒッピーの少女を拾い、彼女をヒッピーのコミューンとなっていた牧場まで送り届ける。そこで彼は緊迫の場面に遭遇する。そこはサスペンス的でもあり、ホラー的でもある。

ちなみに、そのヒッピーたちこそが、シャロン・テートを惨殺したマンソン・ファミリーなのだ。そのことを知って観ると、なおさらハラハラドキドキ度が高まるはずだ。

ドラマの本筋とは関係ないところでも、面白く見せてしまうのがタランティーノのマジックだ。いきなりあのブルース・リーが登場してクリフと対決するシーンには度肝を抜かれた。もちろん笑いの要素もある。いつものタランティーノ映画と同様に、登場するのはアクの強い人物ばかり。それらが笑いの種をまいていく。

終盤、リックは再起をかけてイタリアでマカロニ・ウエスタン映画に出演する。クリント・イーストウッドの例を挙げるまでもなく、フィクションとはいえいかにもありそうな話である。そして、その帰国後の1969年8月9日に事件が起きる。

そこではタランティーノお得意のバイオレンスアクションが全開だ。とはいえ、陰惨さはなく、むしろ笑えるところが多い。特にリックの火炎放射の件は、残酷なのに笑いをこらえられなかった。

そして事件の展開は、予想もしない意外な方向に進む。ある種のあまりにも素敵な「奇跡」と言っていいかもしれない。あれはタランティーノの願望なのだろうか。そこでもまた、タランティーノシャロン・テートへの思い入れを感じずにはいられない。

レオナルド・ディカプリオブラッド・ピットをはじめ、すべての役者が生き生きと輝いているのもタランティーノ映画らしいところ。演技派を封印したレオ様の大仰な演技はそれだけで笑えるし、ブラピは逆にクールな二枚目をひたすらカッコよく演じて魅力的。それ以外にも、マーゴット・ロビーの可愛らしさ、ダコタ・ファニングの不気味さなど見どころを挙げればきりがない。アル・パチーノ、カート・ラッセル、ブルース・ダーンといった超ベテランたちも味わい深い。

何でもアリで、やりたいことをやろうとするタランティーノの姿勢は一貫している。そのため過去の作品同様に、とっ散らかった印象は拭えない。それでも面白さは圧倒的。2時間41分の長尺をまったく飽きさせないのだから立派なものである。

映画愛に満ちた映画だけに、特に映画好きにはたまらないはず。予備知識なしでも楽しめるが、できればシャロン・テート惨殺事件の概要程度は押さえておくとよいだろう。

 

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◆「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド」(ONCE UPON A TIME IN HOLLYWOOD)
(2019年 アメリカ)(上映時間2時間41分)
監督・脚本:クエンティン・タランティーノ
出演:レオナルド・ディカプリオブラッド・ピットマーゴット・ロビーエミール・ハーシュ、マーガレット・クアリー、ティモシー・オリファント、オースティン・バトラー、ダコタ・ファニングブルース・ダーンアル・パチーノジェームズ・マースデンルーク・ペリーティム・ロスマイケル・マドセンカート・ラッセルダミアン・ルイス
*TOHOシネマズ日比谷ほかにて全国公開中
ホームページ http://www.onceinhollywood.jp/

 

「ドッグマン」

「ドッグマン」
ヒューマントラストシネマ渋谷にて。2019年8月26日(月)午後1時50分より鑑賞(シアター1/D-10)。

~普通の男が悪にからめとられる人生の不条理と人間の弱さ

この間の土曜日は大分に取材に行ってきた。ただし、日帰り。観光などは一切なし。せいぜい帰りの飛行機に乗るまでの時間に、大分空港でビールと名物料理を食した程度である。ちなみに帰りの飛行機は、初のソラシドエアだった。

そんな慌ただしい日帰り取材にも利点はある。翌日がフルに使えるから、早いうちに原稿を仕上げてしまえるのだ。おかげで日曜には原稿を完成させてしまった。

はて、ということはオレは土日共に仕事をしていたのではないか。会社だったら代休を取っても構わないはず……という勝手な理屈で、翌月曜は渋谷のヒューマントラストシネマ渋谷へ。鑑賞したのは「ドッグマン」(DOGMAN)(2018年 イタリア・フランス)。マッテオ・ガローネ監督は、巨大犯罪組織を描いた「ゴモラ」で知られる監督。そしてこの映画も“悪”が深く関係した映画である。

舞台となるのはイタリアのさびれた海辺の町。凶暴そうな犬の鳴き声からドラマが始まる。その犬を前にするのは、マルチェロマルチェロ・フォンテ)という男。彼はここで「ドッグマン」という名の犬のトリミングサロンを営んでいた。トリミングサロンというとオシャレなイメージがあるが、マルチェロの仕事場はどちらかという工場のような雰囲気。それが、この「嫌な感じ」にあふれたドラマにはピッタリだ。

犬にシャンプーをするマルチェロ。すると、あれほど凶暴そうだった犬はすっかりおとなしくなり、マルチェロの言うことを聞く。犬は人を見るというが、マルチェロの人柄を犬もすぐに理解したのだろう。彼はひたすら優しく、温かな心を持ち、そして犬好きだった。

マルチェロは別れた妻子とも良好な関係を続け、地元の仲間とサッカーを楽しむなど、それなりに幸せな日々を送っていた。だが、彼には欠点があった。とてつもなく気弱でお人好しなのだ。そんな彼に対して、粗暴な地元の厄介者シモーネ(エドアルド・ペッシェ)はあれこれつきまとい、利用し、服従を強制していた。

マルチェロとシモーネの腐れ縁と、マルチェロの優しさを端的に示す場面が前半に登場する。マルチェロはシモーネに脅されて、車で窃盗の送り迎えをさせられる。犯罪への加担も拒めないのだ。その一方で、シモーネたちが押し入った先の犬を冷蔵庫に閉じ込めたと聞き、マルチェロは後で現場にこっそり戻り、その犬を救出するのである。何という愚かで優しい人物なのだろうか。

シモーネは心から住人に嫌われている。彼にいたぶられているのはマルチェロだけではない。だから、人々を彼をどうにかして殺害しようとまで相談するのだ。そんな人物に心ならずとはいえ服従するマルチェロ。そこには弱い自分にはない強さ(もちろん曲がった強さなのだが)に対する多少の羨望や憧れも感じられる。

マルチェロを演じるマルチェロ・フォンテが適役だ。その風貌からしぐさまで、何もかもがマルチェロそのもの。地で演じているのではないかと思うほどだ。特に感心するのは目の演技。それだけでマルチェロの様々に乱れる心理を雄弁に物語る。ガローネ監督も、セリフを最小限に抑えて、マルチェロの表情やしぐさを前面に押し出して描写する。

ちなみに、マルチェロ・フォンテはほぼ無名ながら本作の演技で、第71回カンヌ国際映画祭主演男優賞に輝いた。

舞台となる街の風景もこのドラマにふさわしい。どんよりした雲がいつも垂れ込め、暗く荒涼とした雰囲気が街を支配する。その中で、やがてドラマの大きな転機となる出来事が起きる。

マルチェロの店の隣は金の買取り屋。経営者は一緒に遊ぶ仲間だった。だが、シモーネはこともあろうに、マルチェロの店の壁を壊して盗みに入るというのだ。それに協力させられたマルチェロは破滅的な事態に陥っていく。

その事件後、マルチェロがある取引を持ちかけられる場面がある。だが、彼はシモーネをかばって、その取引を拒否する。そこでも、彼の千々に乱れ迷う心理描写が絶品だ。そして、そこにはやはりシモーネの報復を恐れる気持ちや「分け前をもらえるかも」という期待と同時に、シモーネに対する憧れが感じられるのである。

それから1年が過ぎて、マルチェロは再び街に戻る。だが、その時の彼は、以前とは少し変わっている。その微妙な変化をチラリチラリと巧みに見せる。そこから先は壮絶な展開が待ち受けている。ある種の復讐劇ともいえるが、もはやその枠を超えてしまっている。

それはハリウッド映画のようなカタルシスに満ちた決着ではなく、重たいものがズシリと心に残り、観客に様々なことを考えさせる。平凡な小市民が悪に巻き込まれ運命を狂わされる人生の不条理さ、それに抗しきれない人間の弱さ、暴力や悪の恐ろしさなどなどである。

ラストに延々と映し出されるマルチェロの表情が印象深い。そこに去来するのは、いったいどんな思いだったのだろうか。

本作は1980年代にイタリアで起こった実在の殺人事件をモチーフにしているという。一見、我々には無関係にも思えるが、よく考えればそうとばかりは言い切れない。我々の周りにだって数々の厄介者が存在し、知らないうちにそこに取り込まれてしまうことも珍しくない。それらに対して、どう対処すればいいのか。

もしかしたらガローネ監督は、トランプ大統領のような厄介者が世界中にはびこる現状を見て、この映画を撮ったのかもしれない。そう考えるのは深読み過ぎるだろうか。

 

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◆「ドッグマン」(DOGMAN)
(2018年 イタリア・フランス)(上映時間1時間43分)
監督:マッテオ・ガローネ
出演:マルチェロ・フォンテ、エドアルド・ペッシェ、アダモ・ディオニージ、フランチェスコ・アクアローリ、アリダ・カラブリア、ラウラ・ピッツィラーニ、ジャンルカ・ゴビ
ヒューマントラストシネマ渋谷ほかにて公開中
ホームページ http://dogman-movie.jp/