映画貧乏日記

映画貧乏からの脱出は可能なのだろうか。おそらく無理であろう。ならばその日々を日記として綴るのみである。

「エルネスト」

「エルネスト」
ユナイテッド・シネマとしまえんにて。2017年10月7日(土)午後2時40分より鑑賞(スクリーン7/F-08)。

エルネスト・チェ・ゲバラといえば、キューバ革命の英雄。カストロとともに革命キューバ政府の要職に就きながら、再び革命戦争に身を投じて若くして処刑されたこともあり、カリスマ的な人気を誇っている。かくいうオレもゲバラの展覧会に足を運んだり、Tシャツを愛用していたこともある。まあ、見た目もカッコいいからね。

だが、そんなゲバラと関わりのある日系人がいたという事実は、まったく知らなかった。その名はフレディ前村ウルタード。日系2世のボリビア人だ。彼の半生を阪本順治監督が映画化した日本とキューバの合作映画である。

ただし、冒頭からしばらくの間、そのフレディは登場しない。何が描かれるかというと、キューバ革命後にキューバ政府の経済使節団として訪れたゲバラが、日本政府の意向に反して広島を訪れた一件だ。ゲバラは、平和記念公園で献花したほか、原爆資料館に足を運び、被爆者が入院する病院にも足を運ぶ。

おいおい、これはフレディではなく、ゲバラの伝記映画なのか? と思ってしまったのだが、その鍵はゲバラが語った「君たちは、アメリカにこんなひどい目に遭わされて、どうして怒らないんだ」という言葉や、のちに広島の惨状を踏まえて「核戦争に勝者はいない」と語った言葉に集約されるのではないか。ゲバラのそうした常に弱者の側に立つ姿勢にこそ、フレディが共鳴したに違いないという阪本監督の思いを示した構成だと思う。

その後、ようやくフレディが登場する。1962年、彼は仲間とともにボリビアからキューバにやってくる。医師になる夢を持ちつつも、ボリビアでは医大が少なくて入学できず(左翼的思想の持ち主だと判断されたことも理由らしい)、そのためハバナ医大への入学を目指してキューバにやってきたのだ。

そこからは、フレディの青春の日々が描かれる。20歳の彼は、ハバナ大への入学を前に、最高指導者フィデル・カストロ(ロベルト・エスピノサ)によって創立されたヒロン浜勝利医学校で、医学の予備過程を学ぶ。同時に、仲間とともに機関誌を発行するなど様々な活動をする。一方、一緒にボリビアから来てシングルマザーとなった女性に、ほのかな思いを寄せて、彼女と娘を何かとサポートする。

やがてゲバラとの出会いが訪れる。キューバ危機が起きて、フレディたちも学業を中断して軍事訓練に励むことになる。そんな中、1963年の元旦に学校にやってきたゲバラに、フレディは話しかける。「あなたの絶対的自信はどこから?」。ゲバラは「自信とかではなく怒っているんだ、いつも。怒りは、憎しみとは違う。憎しみから始まる戦いは勝てない」と答える。

まもなく母国ボリビアでは軍事クーデターが起きる。フレディは“革命支援隊”への参加を決意し、やがてゲバラから“エルネスト”の戦士名を授けられるのである。

フレディはゲバラのような英雄ではない。学生としても、反政府ゲリラとしても、リーダーではない。日系人ではあるが日本との直接的な関りはない。そんな人物をどう描くのか。

阪本監督はフレディの生き様をひたすら丹念に描きだす。前作「団地」のようなヒネリのきいた作品も多い阪本監督だが、今回は実に正攻法の描き方だ。それを通して見えてくるのは、今の時代には貴重ともいえる「まっすぐに生きた青年」像である。

フレディは、「貧しい人、弱い人を助けたい」という思いのまま、医者を目指し、そしてゲバラに共鳴して反政府ゲリラとなった。途中で思いを寄せる女性とその娘に絡んで、戦いに突き進む葛藤らしきものも描かれるのだが、基本は自分の思いに忠実に生き抜いた男である。それを素晴らしいと思うのか、理想主義すぎると笑うのか、時代遅れだと断じるのかは観客次第だ。

こうしてフレディは、ゲバラらとともにボリビアでのゲリラ戦争に参加する。そして……。ラストでは彼の人生が何だったのか、あらためて考えさせられる。

ゲバラの没後50年の日本・キューバ合作映画ということもあり、いろいろと難しい点もあったと思う。もう少しフレディの心理の奥底に迫って、影の部分などもあぶりだして欲しかった気はするのだが、こうした人物がいたことを知らしめただけでも、十分に価値のある映画ではないだろうか。

オダギリジョーが全編スペイン語で熱演を見せているのも、大きな見どころである。

●今日の映画代、1400円。事前にチケットポート新宿店でムビチケを購入済み。ついでにおまけでクリアファイルをもらいました。

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◆「エルネスト」
(2017年 日本・キューバ)(上映時間2時間4分)
監督・脚本:阪本順治
出演:オダギリジョー永山絢斗、フアン・ミゲル・バレロ・アコスタ、ロベルト・エスピノーサ・セバスコ、ルイス・マヌエル・アルバレス・チャル、アルマンド・ミゲール、ヤスマニ・ラザロ、ダニエル・ロメーロ・ピルダイン、ジゼル・ロミンチャル、アレクシス・ディアス・デ・ビジェガス、ミリアム・アルメダ・ビレラ、エンリケ・ブノエ・ロドリゲス
*TOHOシネマズ 新宿ほかにて全国公開中
ホームページ http://www.ernesto.jp/

「ひかりのたび」

「ひかりのたび」
新宿K's cinemaにて。2017年10月5日(木)午後12時35分より鑑賞(自由席/整理番号5番)

「故郷はどこか?」と尋ねられれば、18歳まで育った福島県会津若松市の名を挙げる。だが、はるか昔に実家はなくなり、地元の親せきや知人との交流も一切ない。今現地を訪れても、ただの旅行者とさして変わらないだろう。はたして、そこはオレにとって本当の故郷なのだろうか?

映画「ひかりのたび」(2017年 日本)の主人公の女子高生にも、故郷と呼べるものはないらしい。それが彼女の考え方や行動の背景となっているようだ。

さびれゆく地方都市を舞台にした父と娘の葛藤を、モノクロ映像で描いた作品である。妻と離婚後、男手一つで娘の奈々(志田彩良)を育ててきた植田(高川裕也)。2人は4年前に今の町に越してきた。町はご多分に漏れず人口減少が続く地方都市。そんな中、不動産業を営む植田は、町の土地を買い占めて外国人に売却していた。そのため、地元では彼を快く思わない者も多かった。

一方、父の仕事の関係で転校続きだった高校3年生の奈々。最も長く住んでいるこの町に愛着を感じ、この町で働きたいと思っていた。

とりたてて大きなことが起きるドラマではない。植田は淡々と仕事をこなす。彼の仕事はいわゆる地上げ屋だが、いかにも悪徳ブローカーのような風体をしているわけではない。冷静沈着、交渉相手からどんなに激しい言葉を投げつけられても表情を変えない。そして、相手の面倒を何かと見ようとする。もちろん、それはただの親切心からではなく前提にビジネスがあるわけだから、相手は素直に好意を受け取らない。しかし、それも織り込み済みで植田は行動する。

そんな父のせいで、娘の奈々は迷惑をこうむっている。彼女が通学に使っている自転車が何度も壊される。どうやらそれは父を敵視する町の住人の仕業らしかった。だが、奈々はそれを父に報告するものの、激しく父を責めることもなければ、ことさらに父を遠ざけることもしない。もちろんベタベタな親子関係など存在しない。2人の間には常に微妙な空気が流れているのである。

2人はそれぞれ心に葛藤を抱えている。植田は割り切って自身の仕事をこなしており、そこにある種の喜び(お金の先にある何か)を見出してもいるようだ。同時に、それが娘に悪影響を与えていることに対して申し訳ない感情もある。だからこそ、早く仕事にケリをつけて、この町を出て行きたいと考えている。

奈々も、そんな父の思いはよく理解しているようだ。それでも、故郷と呼べるものが存在しない彼女にとって、この町に残ることが最善の道だという思いが強い。

すれ違う父娘の思いをモノクロ映像を通して描くのは、これが商業映画デビューだという澤田サンダー監督。絵本「幼なじみのバッキー」で岡本太郎現代芸術賞に入選するなど多彩な人物のようだ。本作でも、その才能の片鱗があちこちに見て取れる。不気味で何やら得体の知れない空気が漂う中、父娘だけでなく町に関わる様々な人々の心理もあぶりだし、現代社会を切り取っている。

父の植田を演じた高川裕也は、テレビ番組「カンブリア宮殿」のナレーションで知られる人物らしいが、その無表情さと額に刻まれた深いシワが、植田の内面をより重層的に見せている。

それに対して、娘の奈々を演じた志田彩良はファッション誌「ピチレモン」の専属モデルを務めたとのこと。ちょっと宮﨑あおいを思わせる顔立ちで、奈々の心の奥底にある暗い影をさりげなく見せていた。将来有望かもしれない。

元町長の三好(浜田晃)、父が死んで空き家となった実家の片づけに訪れた優子(瑛蓮)、彼女の幼なじみでワケありらしい道子(山田真歩)などが絡んで、ドラマは終盤を迎える。

植田は、この町に残りたいという奈々を翻意させようとするが、彼女の気持ちが変わることはなかった。そこで、植田は娘のために3年前のある衝撃的な出来事を告白する。

ラストには、この映画で唯一、植田と奈々が笑顔を交わす場面がある。それは親子の心の通いあいというよりは、むしろ親子の別れと奈々の自立を物語るものだろう。それはけっして不幸なことではないとオレは思う。

地方の疲弊、外国人による土地買い占めなどの現実の社会問題を背景に、父と娘の葛藤がリアルに描かれたドラマだ。善意と悪意の狭間を行くような植田の行動をはじめ、都会と地方、本音と建て前、理性と感情、お金と人間性など、価値観を揺さぶる様々な対立概念を内包しているドラマでもある。地味だが、なかなか観応えがある作品だ。

●今日の映画代、1500円。鑑賞前にチケットポート新宿店で鑑賞券を購入。

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◆『ひかりのたび』
(2017年 日本)(上映時間1時間31分)
監督・脚本:澤田サンダー
出演:志田彩良高川裕也、瑛蓮、杉山ひこひこ、萩原利久、鳴神綾香、山田真歩、浜田晃
*新宿K's cinemaほかにて公開中。全国順次公開予定
ホームページ http://hikarinotabi.com/

「ブルーム・オブ・イエスタディ」

ブルーム・オブ・イエスタディ
Bunkamura ル・シネマ1にて。2017年10月4日(水)午後1時5分より鑑賞(D-7)。

ほぼ毎年東京国際映画祭に足を運んでいる。1日に何本も上映作品をハシゴすることも珍しくない。といっても、自腹を切っているわけではなく、所属している作家団体のご厚意で関係者パスをもらっているからできる芸当なのだが。

その中でもコンペティション部門の作品はできるだけ観るようにしているが、さすがに全部は観られない。すると、なぜか不思議なことに、見逃した映画がその年のグランプリを受賞するケースが多い。まったく間の悪いヤツである。

というわけで、昨年の第29回東京国際映画祭で最高賞の東京グランプリおよびWOWOW賞を受賞した「ブルーム・オブ・イエスタディ」(DIE BLUMEN VON GESTERN)(2016年 ドイツ・オーストラリア)も見事に見逃したのだが、このほど一般公開されたので鑑賞してきた。1年越しの仇討ちみたいなものか!?

ナチス親衛隊の大佐を祖父に持つ中年男と、祖母がナチスの犠牲者である若い女との屈折しまくりのラブストーリーである。

ナチス親衛隊の大佐を祖父に持つトト(ラース・アイディンガー)は、その罪と向き合うためにホロコースト研究者として活動していた。だが、勤務する研究所で2年も準備に費やした「アウシュヴィッツ会議」のリーダーを外されてしまう。

冒頭では、トトが新たなリーダーの方針に納得できずにブチ切れ、悪態をつき、ボコボコにしてしまう。それだけで、彼が精神的に不安定な状態にあることがわかる。しかも、彼がブチ切れている目の前で、その研究所の責任者の教授が急死してしまったのである。

トトがそんな不安定な状態に置かれている背景には、やはり祖父の存在がある。忌まわしい一族の罪をぬぐうために、ホロコースト研究に没頭するトトだが、そこには様々な困難が伴う。それが原因なのかはともかく、彼はインポテンツで、妻が他の男と関係を持つことを公認しているのだ。

そんな中、研究所に若い女性のザジ(アデル・エネル)がフランスから研究生としてやってくる。彼女の祖母はナチスの犠牲者のユダヤ人だという。そして、このザジも最初からトトに悪態をつくなど、精神的にかなりイカレている。

その背景には、やはり祖母の存在がある。トトが迎えに来た車が、かつて祖母を殺害されたトラックと同じメーカーのものだと聞いて激高するザジ。その後、トトの車に同乗した時には、突然ブチ切れて彼が連れていた犬を窓から放り投げてしまう。それほど感情の浮き沈みが激しいのである(おまけに彼女はトトが嫌う研究所のリーダーと不倫までしている)。

ホロコーストの被害者と加害者という正反対の過去を背負うと同時に、その過去の呪縛にとらわれて精神的に危険な状態にあるという共通点を持つトトとザジ。そんな2人はアウシュヴィッツ会議の成功のために、その鍵を握るホロコースト体験者の老女優の参加を促すために奔走する。

その間は衝突の連続だ。それを通して、ホロコーストがいかに重大で、今もその傷が癒えていないことが強く印象づけられる。

ただし、そうしたドラマを重苦しく描くわけではない。あまりにもエキセントリックな2人の言動などで、毒気の強い笑いを振りまいている。先ほど述べたザジが犬をぶん投げるシーンなどは、その代表例だ。ザジが実は柔術の使い手で、鮮やかな技を披露した後で、「柔術なら収容所で使えるから」などと言うシーンもある。

こういう毒気の強い笑いは、人によっては素直に笑えないかもしれない。そのぐらいブラックすぎる笑いの連続だ。それでも、従来のいわゆる「ホロコースト映画」とは違う映画を撮りたいというクリス・クラウス監督の意志はよく伝わってくる。

そして、この映画が最も評価された点は、ただの風変わりなラブストーリーに終わっていない点だろう。トトとザジは衝突しながらも、少しずつ距離を縮めていく。ところが、実はトトの祖父とザジの祖母に関して重大な秘密が明らかになる。それでも、ついに2人は関係を持ってしまう。トトはザジによってインポテンツを克服したのだ。

この一件を通して、「加害者と被害者が過去を乗り越えるにはどうすればいいのか?」「それは両者が過去の歴史を共有するところからしか始まらないのではないか?」という明確なテーマが浮上してくるのである。

まあ、それをインポの克服というところに落とし込んでいるのが、いかにもこの映画らしいわけだが。

しかし、ドラマはそこで終わらない。なんとトト自身の過去に関しても大きな秘密が明らかになる。それを知ったザジは大きな決意をする……。

欲を言えば、ここでドラマは終焉を迎えるほうがよかったのではないだろうか。その後に2人の後日談が描かれるのだが、はっきり言って、この手のラブストーリーにありがちな展開で、あまり必要のないシーンだと思う。

それでも、エンドロールに登場する主演俳優ラース・アイディンガーのお茶らけた撮影風景といい、ありがちなホロコースト映画にはしたくないというクラウス監督の意志は、最後まで徹底しているのだ。

ちなみに、ザジを演じたアデル・エネル。どこかで見たことがあると思ったら、ダルデンヌ兄弟の「午後8時の訪問者」の若い女医さんだったのね。

次々に登場するホロコースト映画の中でも、かなり異色の作品である。ラブストーリーとはいえアクが強いので、好みは分かれそうだが、一見の価値はあるだろう。

さて、今年も東京国際映画祭の季節がやってくる。今年こそはグランプリ作品を見逃さないようにしたいと思うのだが、はたしてどうなりますやら。

●今日の映画代、1500円。鑑賞前にチケットポート渋谷店で鑑賞券を購入。

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◆「ブルーム・オブ・イエスタディ」(DIE BLUMEN VON GESTERN)
(2016年 ドイツ・オーストラリア)(上映時間2時間6分)
監督・脚本:クリス・クラウス
出演:ラース・アイディンガー、アデル・エネル、ヤン・ヨーゼフ・リーファース、ハンナー・ヘルツシュプルンク、ジークリット・マルクァルト、ビビアーネ・ツェラー、ロルフ・ホッペ、イファ・ルーバオ、ハンス=ヨヘン・ヴァークナー
Bunkamura ル・シネマほかにて公開中。全国順次公開予定
ホームページ http://bloom-of-yesterday.com/

「パーフェクト・レボリューション」

パーフェクト・レボリューション
TOHOシネマズ新宿にて。2017年10月2日(月)午前10時30分より鑑賞(スクリーン1/E-4)。

日常でそれほど障害者と触れ合う機会がないだけに、彼らとの接し方には戸惑ってしまうことがある。どの程度普通にすればいいのか。どの程度気遣えばいいのか……。

そんな中、「基本は同じ人間」なんだという至極当たり前のことを、あらためて気づかせてくれた映画が「パーフェクト・レボリューション」(2017年 日本)である。

障害者2人を描いたラブストーリーだ。主人公のクマ(リリー・フランキー)は、幼少期に脳性マヒを患い、頭と口はしっかりしているものの、手足を思うように動かせず車椅子生活を送っている。

彼の登場シーンが強烈だ。書店の女店員に高い場所にある本をとらせて、スカートの中を覗いているのだ。クマは女の子への興味も性欲も旺盛。世間の障害者に対する誤解を解こうと、「障害者だって恋もするし、セックスもしたい」と訴えるための活動を続けていたのである。

ちなみに、この映画は、障害者の性について発信する活動を続ける熊篠慶彦の実体験をもとにしたドラマで、主演のリリー・フランキーは彼と以前から親交があるとのこと。

さて、そんなクマが自身の著書のPRイベントで講演をしていると、そこにミツ(清野菜名)という女がやってきて、刺激的な質問をする。それに対するクマの受け答えに共感した女は、たちまちクマに恋をして、なりふり構わず猛アタックをかけてくる。

ミツのクマへのアタックぶりは常軌を逸していた。クマの戸惑いをよそにストーカーまがいの攻勢をかけてくる。「この女、なんか変だ」と思ったのだが、あとになって彼女が人格障害であることがわかる。しかも、彼女は風俗嬢をしていたのだ。

障害を抱えた2人の恋などというと、重たくてシリアスなドラマだと思うかもしれない。しかし、この映画はまったく違う。ミツの異常なはしゃぎ方が笑いを誘うこともあって、ラブコメ風で、ポップで、テンポの良いラブストーリーが展開される。

特に前半の躍動感はハンパではない。口ではラジカルなことを言いつつも、基本は常識人のクマ。それに対して、世間の常識など度返しして「2人で完全な革命を目指す!」というミツ。クマがかつてのトラウマによって、恋愛に奥手だという設定も効いている。

長年クマを介助する恵理(小池栄子)の応援を受けながら、2人が少しずつ距離を縮める様子がキラキラした輝きとともに描かれる。現実から少し足を浮かせたファンタティックな要素もある。もちろん障害者差別などの場面もあるのだが、暗い方向に流れることはない。観ているうちに、障害のことなど忘れて、ごく普通の男女によるラブストーリーに思えてくるから不思議なものだ。

ミツに連れ出されてクラブに行ったクマが、車椅子に乗ったままダンスをするシーンは、前半のハイライトだろう。

とはいえ、2人が障害者であることは紛れもない事実である。後半はその影の部分がクローズアップされてくる。

その中でも特にクマの実家での法事で、クマとミツは世間の障害者に対する考え方というものを思い知らされる。また、テレビ取材を受けることになったクマは、いわゆる「期待される障害者像」に違和感を持つ。こうして2人は重たい現実を突きつけられるのである。本作がただ楽しいだけのドラマでないことは、言わずもがなだ。

そんな中で、ミツは次第にコワれていく。彼女の過去なども明らかになる。死ぬの生きるののギリギリの展開もあり、ドラマはカオスに陥っていく。前半のラブコメタッチとはかなり様相が違ってくるのである。

それでもラストには心に染みるシーンが用意されている。クマとミツが踊る最後のダンス。それを通して、2人の成長を物語って余韻を残したままドラマは終わる。

と思ったら、終わっていなかった。え? まさか。そんな。というわけで、その後には驚きの結末が待っていたのだ。

無理やりドラマチックに盛り上げたような感じは拭えないが、前半の明るくポップでファンタジックなタッチから考えて、ああいう結末にするのは悪くないと思う。ただし、そこに至るまでがゴタゴタして、どうにもしっくりこない。もう少し終盤を整理したほうがよかったのではないだろうか。

とはいえ、全体を通してみれば期待以上に面白い映画だった。ことさらに障害だけをクローズアップするのではなく、あくまでもエンターティメントとして描き、「欠点だらけの2人の恋愛」という普遍的なドラマに昇華されているところが素晴らしい。考えてみりゃ、みんな何かしらの欠点を抱えているわけで、極論すれば「人間みんな障害者」といえないこともないわけだし。

主演のリリー・フランキーは相変わらず見事。いつも不思議に思うのだが、この人、専門的な演技のメソッドなど学んだことがないだろうに、よくもまあこれだけ幅の広い演技ができるものだ。

ミツを演じた清野菜名は初めて演技を観たが、前半の派手なぶっ飛び方と後半の沈み方をうまく演じ分けていた。今後が楽しみだ。2人の間を取り持つ小池栄子もさすがの演技。最近の彼女の演技はすべてハズレがない。

心地よくて爽快感が味わえるドラマで一見の価値がある。障害者を描いたという先入観を捨てて観てほしい作品だ。

●今日の映画代、0円。TOHOシネマズのシネマイレージカードの貯まった6ポイントで無料鑑賞。

●「パーフェクト・レボリューション
(2017年 日本)(上映時間1時間57分)
監督・脚本:松本准平
出演:リリー・フランキー清野菜名小池栄子岡山天音余貴美子、丘みつ子、螢雪次朗、林和義、池端レイナ、森レイ子、石川恋、榊英雄
*TOHOシネマズ新宿ほかにて全国公開中
ホームページ http://perfect-revolution.jp/

「僕のワンダフル・ライフ」

僕のワンダフル・ライフ
TOHOシネマズ日劇にて。2017年10月1日(日)午後2時30分より鑑賞(スクリーン3/N-18)。

子供のころ実家でコロという名前の犬を飼っていた。スピッツと何かの雑種だった。だが、残念ながら病気で死んでしまった。フィラリアだった。今では予防するのが常識になっているが、当時はそんな病気があることさえまったく知らなかった。

そんなこともあって、またいつか犬を飼って、死んだコロの分も可愛がろうと思い続けているのだが、ペットの飼えない賃貸物件に一人暮らしとあって、いまだに実現していない。

そういう事情が影響しているのかどうかは知らないが、犬を描いた「ドッグ・ムービー」にはどうも弱い。2004年のオムニバス映画「いぬのえいが」では、宮崎あおい演じる主人公が愛犬との暮らしを綴った「ねぇ、マリモ」というエピソードで号泣してしまった。

僕のワンダフル・ライフ」(A DOG'S PURPOSE)(2016年 アメリカ)もドッグ・ムービーだ。W・ブルース・キャメロンのベストセラー小説をスウェーデン出身の名匠ラッセ・ハルストレム監督が映画化した。ハルストレム監督にとって、「マイライフ・アズ・ア・ドッグ」(1985年)、「HACHI 約束の犬」(2008年)に続くドッグ・ムービー第3弾ということになる。

ちなみに、ハルストレム監督は犬の映画ばかり撮っているわけではない。「ギルバート・グレイプ」(1993年)、「サイダーハウス・ルール」(1999年)、「ショコラ」(2000年)など、犬とは関係ない素晴らしい映画もたくさん送り出しているので、誤解のないように。

さて、本作のタイトル「僕のワンダフル・ライフ」の「僕」とは人間のことではない。犬のことである。つまり、この映画は犬が主人公の、犬目線で描かれたドラマなのだ。

主人公の犬はゴールデン・レトリバーの子犬ベイリー。暑い夏の日に車に閉じ込められているところを8歳の少年イーサン(ブライス・ガイザー)に助けられ、彼の家で飼われるようになる。夏休みにはイーサンとアメフトのボールで毎日のように遊ぶなど、強い絆で結ばれていく。その様子を生き生きと描き出していく。

ユーモアもタップリだ。ベイリーは、イーサンの父親が大切にしていたコインを飲み込んでしまうのだが、それを“回収”する経緯が笑える。

犬が主人公だけに、アップで人間の顔をとらえた映像など犬目線の映像がたくさん登場する。それと並行して飼い主側に立った人間目線の映像も織り込んでいく。この組み込み方が実に巧みだ。

犬によるモノローグでドラマが進行するのもユニークなところ(ただし、それがクドくて邪魔なところもあるにはあるのだが)。

やがてイーサンは高校生になる。ベイリーも成長する。ベイリーが自分の尻尾を追いかけてぐるぐる回っているうちに大きくなったり、アメフトのボールが空を飛ぶうちにイーサンが成長している仕掛けなども、とてもセンスがいいと思う。

高校生になったイーサン(K・J・アパ)はフットボールのスター選手になる。その傍らにはいつもベイリーがいた。ベイリーは遊園地でイーサンとハンナ(ブリット・ロバートソン)という女の子の出会いまで演出する。おかげで2人はたちまち恋人同士になる。

その一方で、イーサンの父はアル中になり家を出てしまう。そんな悲しい時にも、ベイリーはそばでイーサンを支える。その様子を見ているだけで、犬と人間との絆の強さが自然に伝わってくる。

そして、さらに悲しい出来事が飽きる。イーサンはある事件によってフットボール選手の夢を絶たれてしまうのだ。そんな中、ベイリーはついに寿命を迎えてしまう。これでドラマは終了。

かと思ったら、そうではなかった。何とベイリーは、その後何度も生まれ変わるのだ。最初はジャーマン・シェパードのエリーという警察犬。警察犬としてきっちり仕事をこなすだけでなく、相棒の孤独な警察官カルロスに寄り添い心を温める。しかし、ある事件によってエリーは命を落としてしまう。

続いてティノというコーギーに生まれ変わり、人づき合いが苦手な女子大生マヤと仲良くなる。そして彼女に新たな出会いをもたらす。

ハルストレム監督以下スタッフの手際の良さが目につく。何よりも犬たちの素晴らしい演技を引き出している。彼らの目だけで感情が伝わるシーンもある。

それにしても、このドラマの結末はどこに落ち着くのだろう。まさか、永遠に生まれ変わり続けるわけでもないだろうに。

そう思った頃にドラマは大きく動く。ベイリーはまた生まれ変わる。今度は虐待まがいの飼い方をされ捨てられてしまうのだが、その先に奇跡が待ち受けているのである。

終盤の詳細は伏せておくが、ベイリーが生まれ変わりを繰り返す理由に思いを馳せれば、その奇跡が何かわかるはずだ。ベイリーは最初の死にあたって、イーサンを幸せにできなかったことに大きな悔いを残したまま死んでいった。それがついに……。

終盤は犬好きならずとも、感動できるはずだ。感動を押し売りするのではなく、自然に心を温めてくれる演出は、さすがにハルストレム監督の熟練の技である。大人になったイーサンを演じるデニス・クエイドの顔も、年輪を感じさせ、彼の人生のドラマに深みを与えている。

それぞれのエピソードは薄味だが、全体を犬目線の描写と輪廻転生のドラマで括ることで、見応えが生まれている。犬好きかどうかを問わず、温かな気持ちになりたい人にはおススメの映画だと思う。

●今日の映画代、1100円。毎月1日のファーストデイのサービス料金にて鑑賞。

◆『僕のワンダフル・ライフ』(A DOG'S PURPOSE)
(2016年 アメリカ)(上映時間1時間40分)
監督:ラッセ・ハルストレム
出演:デニス・クエイド、ペギー・リプトン、ブライス・ガイザー、K・J・アパ、ブリット・ロバートソンジョン・オーティス、ジュリエット・ライランス、カービー・ハウエル=バプティスト、プーチ・ホール、ルーク・カービー、マイケル・ボフシェヴァー、ガブリエル・ローズ、ジョシュ・ギャッド(声の出演)
*TOHOシネマズ日劇ほかにて全国公開中
ホームページ http://boku-wonderful.jp/

「ドリーム」

「ドリーム」
ユナイテッド・シネマとしまえんにて。2017年9月30日(土)午後1時25分より鑑賞(スクリーン9/F-12)。

人種差別と闘う黒人を描いたドラマはたくさんある。ただし、その味付けは様々だ。1960年代初頭のアメリカの3人の黒人女性を描いた「ドリーム」(HIDDEN FIGURES)(2016年 アメリカ)がユニークなのは、宇宙開発で活躍する黒人女性という設定の意外さにある。といっても絵空事の話ではない。実話をベースにしたドラマである。

最初に登場するのは、天才的な数学の才能を持つ黒人の少女キャサリンが、飛び級で高校に進学するエピソード。ただし、その際に「黒人が通える高校の中では最高」といったセリフが飛び出す。当時の黒人は差別され、白人と明確に区別されていたことがさりげなく伝わる仕掛けだ。

続いて舞台は1961年へ。登場するのは、成長して社会人となったキャサリン(タラジ・P・ヘンソン)だ。同僚のドロシー(オクタヴィア・スペンサー)、メアリー(ジャネール・モネイ)とともに出勤する途中で車が故障し、そこに警察官がやってくる。警察官は彼女たちを白い目で見る。ここでも人種差別の根深さがわかる。

だが、秀逸なのは次のシーンだ。彼女たちは警察官の先導で車を飛ばし、勤務先へと嬉々として向かうのである。何と痛快なシーンだろう! どんな苦難にもめげずに、明るく、お茶目に前進する彼女たちの姿がここに象徴されている。この映画には、そんな胸のすく場面がたくさん登場する。

キャサリンたちが勤務するのはあのNASAだ。1960年代初頭にアメリカとソ連は激しい宇宙開発競争を繰り広げていた。アメリカはソ連に後れをとり、必死で巻き返そうとしていた。その役割を担うのがNASAだった。

実は、バージニア州ハンプトンにあるNASAのラングレー研究所には、ロケット打ち上げに必要な計算を行う黒人女性たちによる“西計算グループ”という部署があった。キャサリン、ドロシー、メアリーはそのメンバーだったのだ。

そんな中、キャサリンは実力が認められて、宇宙特別研究本部の計算係に配属される。天にも昇る心地でオフィスに入るキャサリン。ところが、周りは白人男性ばかり。キャサリンを見た彼らの視線が印象的だ。「なんだ?コイツ。黒人の女が何しに来た?」。そんな冷たい視線ばかりなのである。

それだけではない。当時は黒人と白人はすべて別々。キャサリンは800メートルも離れた場所にある有色人種用トイレに通うハメになる。コーヒーも白人とは別のものを用意される。

そんな差別を受けながらも膨大な仕事をこなし、米国の威信をかけた有人宇宙飛行計画「マーキュリー計画」に貢献するキャサリン。その仕事ぶりは、宇宙特別研究本部を率いるハリソン(ケビン・コスナー)にも評価される。

それでもどうしても耐えられなくなったキャサリンが、ハリソンに自らの窮状を訴える心の叫びが胸を打つ。彼女は何度も困難に直面するが、そのたびにバイタリティに満ちた行動でぶち当たり壁を乗り越える。その姿にワクワクさせられて、痛快な気分が味わえるのである。

ちなみに、ハリソンを演じるケヴィン・コスナーが儲け役だ。ハリソンは単に仕事熱心なだけなのだが、それゆえ黒人差別解消に一役買う。彼がトイレの看板をぶっ壊すシーンには、誰もが拍手を送りたくなるはずだ。

バイタリティにあふれているのはキャサリンだけではない。ドロシーは管理職昇進を願っていたが、黒人ゆえに希望がかなわない。しかし、もうすぐIBMのコンピュータが導入されると知った彼女は、それを利用して自らはもちろん仲間の面々のためにも戦うのだ。

一方、エンジニアを目指すメアリーも黒人ゆえにその道を閉ざされる。だが、彼女もまた自らの力で、不可能を可能にしようとする。正当な権利を求めて、裁判所で白人判事を前に、力強くそしてユーモアたっぷりに訴えるシーンが心に残る。

それにしても何とも盛りだくさんの映画である。キャサリンたち3人の女性のサクセスストーリーに加え、人種差別批判の社会派ドラマの要素もある。キャサリンが夫と死別して3人の娘を育てるシングルマザーだということで、彼女のロマンスも描かれる。普通は、これだけ内容を詰め込めば窮屈な感じがするものだが、それがまったくないのが素晴らしい。

ドラマの背景となる宇宙開発や人種差別に関する経緯も、ニュースフィルムなども織り込みつつ、テンポよく簡潔にまとめている。だから、そのあたりの予備知識がなくても、十分に楽しめるはずだ。

セオドア・メルフィ監督は、ビル・マーレイ演じる不良老人といじめられっ子の少年との友情を描いた「ヴィンセントが教えてくれたこと」に続いて、今回も手際のよい仕事ぶりが光る。

終盤のクライマックスは二度ある。どちらも宇宙開発のハイライトとリンクしたスリリングな場面だ。しかも、二度目のクライマックスでは、一度はコンピュータに追われて職場を去ったキャサリンの復活劇を演出して、「コンピータが発展しても人間の能力は不要にならない」という文明論まで展開しているのだ。

こうしてキャサリンも、ドロシーも、メアリーも努力が報われる。いやいや、出来すぎた話などと言ってはいけない。ラストには、実際の彼女たちのその後の人生が写真とともに告げられる。まさに「努力すれば夢はかなう」という素朴なメッセージが伝わってくるではないか。

こんなにたくさんの要素を詰め込んで、みんなを楽しませ、共感させ、感動させるのだから見事なものだ。アメリカで予想以上のヒットとなり、アカデミー賞で作品賞、脚色賞、助演女優賞にノミネートされたというのも当然だろう。むしろ受賞がなかったのが不思議なぐらいだ。それほど完成度の高いエンターティメント映画だと思う。

●今日の映画代、0円。ユナイテッド・シネマのポイントが6ポイント貯まったので無料で鑑賞。

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◆「ドリーム」(HIDDEN FIGURES)
(2016年 アメリカ)(上映時間2時間7分)
監督:セオドア・メルフィ
出演:タラジ・P・ヘンソン、オクタヴィア・スペンサージャネール・モネイケヴィン・コスナーキルステン・ダンスト、ポール・スタフォード、マハーシャラ・アリ、オルディス・ホッジ、グレン・パウエル、キンバリー・クイン
*TOHOシネマズシャンテほかにて全国公開中
ホームページ http://dreammovie.jp/

「ナミヤ雑貨店の奇蹟」

ナミヤ雑貨店の奇蹟
ユナイテッド・シネマとしまえんにて。2017年9月25日(月)午後3時30分より鑑賞(スクリーン3/自由席)。

日本のロックの開拓者の1人であるミュージシャンのPANTA。1970年に結成されたバンド「頭脳警察」でデビューしたものの、過激な歌詞が災いして、ファーストアルバムが発売中止、セカンドアルバムが放送禁止になるなど数々の「伝説」を残す。「頭脳警察」解散後はPANTA & HALやソロとして活動し、1990年以降は断続的に「頭脳警察」の活動を展開。60代半ばを越えた現在も精力的に活動を続けている。

オレはそんなPANTAの大ファンだ。数えきれないほどライブに通い、アルバムもほとんど持っている(あんまり数が多いので全部じゃないです。スイマセン)。それどころか、ひょんなことから頭脳警察のインタビュー本の制作を手伝ったこともある。

実は、そのPANTAは時々役者としても活動している。そのきっかけは、桑田佳祐初監督作品の映画「稲村ジェーン」(1990年)への出演。最近も佐藤寿保監督の「眼球の夢」、マーティン・スコセッシ監督の「沈黙―サイレンス―」、片嶋一貴監督の4時間超の長尺映画「いぬむこいり」などに出演して、抜群の存在感を発揮している。

このほど公開になった東野圭吾のベストセラー小説の映画化「ナミヤ雑貨店の奇蹟」(2017年 日本)にも、PANTAは出演している。

ドラマは1969年の街頭からスタートする。その街にあるナミヤ雑貨店は一見ありふれた雑貨店。子供たちがひっきりなしに訪れている。だが、その店には大きな特徴があった。店主の浪矢雄治(西田敏行)が、寄せられた人生相談の手紙に対して、ていねいに返事を書いていたのだ、

そこから時代は一気に2012年に飛ぶ。敦也(山田涼介)、翔太(村上虹郎)、幸平(寛一郎)の幼なじみ3人組が、悪事を働いて一軒の廃屋に逃げ込んでくる。そこは、かつてのナミヤ雑貨店だった。そんな中、突然、シャッターの郵便受けに一通の手紙が落ちてくる。それは1980年に書かれた悩み相談の手紙だった。店内に落ちていた雑誌で、かつてのナミヤ雑貨店を紹介した記事を読んだ3人は、戸惑いながらも浪矢に代わって手紙に返事を書く……。

というわけで、この物語はいわゆるファンタジーである。現在と過去がごく普通につながって描かれる。2012年の3人の青年たちが隠れる廃屋の郵便受けに向かって、1980年の青年が手紙を投函するシーンが何度も繰り返されるのだ。最初は観ていて違和感ありありだったのだが、そういう物語だと割り切るしかない。

3人組が受け取った手紙は、松岡克郎というミュージシャン志望の魚屋の長男からの進路に関する相談だった。手紙をやり取りするうちに、3人は松岡が作った曲を自分たちの知り合いのシンガーが歌っていることに気づく。いったいそこには、どんな秘密があるのか。

それがこのドラマの柱になるエピソードかと思ったら、意外にあっさり真相が明らかになってしまう。そうなのだ。なにせ人生相談だから、相談者はまだまだいっぱいいるのだ。ほかにもいろんなエピソードがテンコ盛りなのだ。

ちなみに、門脇麦演じるシンガーが歌うのは、本作の主題歌でもある山下達郎の『REBORN』という曲。なかなか良い曲で門脇麦が頑張って熱唱しているのだが、途中で挿入される奇妙な浜辺のダンスは何なのだ? ミュージックビデオ? 

ともあれ、その後は様々な相談者が登場する。現在と過去がつながった中で、未婚の母になるべきかどうか迷う女性は、やがて事故死してしまう。それを知った浪矢は大いにショックを受ける。

一方、「愛人になれば店を持たせてやる」と言われたクラブホステスの相談に対して、3人組の一人・敦也は、未来を予言しつつ(といっても彼にとっては80年代や90年代の既知の事実)、彼女が幸せになれるようにアドバイスを送る。

そんな中、自らの死期が迫っていることを覚悟した浪矢は、自分の33回忌に一日だけナミヤ雑貨店の相談を復活するように、息子に対して遺言する。おまけに、そこにはかつて浪矢と駆け落ちしたという女性も登場する(もちろん現実の存在ではありません)。

そんなふうに現在と過去が交錯し、たくさんのエピソードとたくさんの人物が次々に登場するので、原作未読のオレは話についていくのがやっとだった。とても感情移入するどころではなかったのが正直なところ。

とはいえ、原作が面白いであろうことは容易に想像がつく。特に一見無造作にばらまかれたような様々なエピソードが、実はある養護施設につながっていく展開は、さすがに東野圭吾という感じだ。今さらだが、事前に原作を読んでから観たほうがよかったかもしれない。

この映画の監督は廣木隆一。先日公開になった「彼女の人生は間違いじゃない」のようなインディーズ作品では、作家性を前面に出したエッジの利いた映画を撮るのだが、同時に「余命1ヶ月の花嫁」のようなメジャーな映画では、きっちりと制作側の意図をくみ取ってそつのない仕事をする。

今回も基本的には、自らの作家性は前面に出していないが、それでもセリフ以外の表情の長回しなどで、人物の心理を切り取ろうとしているあたりには、廣木監督らしさを感じることができたのである。

まあ、それより何より、個人的にこの映画で最も楽しめたのはやっぱり役者たちの演技だ。山田涼介(Hey! Say! JUMP)、村上虹郎寛一郎という3人の青年もいいのだが、西田敏行萩原聖人小林薫吉行和子尾野真千子などの豪華な脇役陣が、いずれも素晴らしかった。

そんな中で、養護施設の園長という役どころで出演したPANTAだが、これだけの共演者たちの中でも十分に存在感を発揮していた。「いぬむこいり」では、冷酷な部族長を熱演していたが、今回は正反対の人情味あふれる役。そして、なんと林遣都のバックでギターを弾くシーンまで用意されている。何とも心憎い仕掛けである。

●今日の映画代、1400円。事前にムビチケ購入済み。

◆「ナミヤ雑貨店の奇蹟
(2017年 日本)(上映時間2時間9分)
監督:廣木隆一
出演:山田涼介、村上虹郎寛一郎成海璃子門脇麦林遣都鈴木梨央山下リオ、川辺映子、手塚とおるPANTA萩原聖人小林薫吉行和子尾野真千子西田敏行
丸の内ピカデリーほかにて全国公開中
ホームページ http://namiya-movie.jp/