映画貧乏日記

映画貧乏からの脱出は可能なのだろうか。おそらく無理であろう。ならばその日々を日記として綴るのみである。

「人魚姫」

「人魚姫」
シネマート新宿にて。2017年1月15日(日)午後2時35分より鑑賞。

返還前の香港には何度か行ったことがあるが、今はどうなっているのだろうか。中国政府の影響力が強まり、自由が制限されているなどという話も聞くわけだが、少なくとも香港映画界にとって返還はプラスだったと思う。なにせあれだけたくさんの人口を相手に商売ができるのだ。製作資金だって大陸の潤沢な資金を導入できるのだ。

というわけで、中国・香港合作映画には、なかなか面白い映画があったりするわけだが、残念ながら日本にはあまり入ってこないのがもったいない。

そんな中、東京・新宿のシネマート新宿など、一部で細々と上映されている中国・香港映画が「人魚姫」だ。「少林サッカー」「西遊記 はじまりのはじまり」のあのチャウ・シンチー監督の映画である。にも関わらずこの公開規模は寂しいではないか。いや、そのシネマートも1日2回の上映。それでも大きな劇場がほぼ満席に近い入り。うーむ、配給会社ったら弱気だよなぁ。

人魚をネタにしたファンタジー。話自体はありがちなストーリー。冒頭は海洋開発や研究風景をコンパクトに提示。これが、このドラマの背景になっている。続いて登場する入札シーン。若き実業家のリウ(ダン・チャオ)が、リゾート開発を目論んで海辺の自然保護区の土地を買収する。リウは美しき社長令嬢が率いるリゾート会社と手を組む。その会社は、海洋生物を追い払うために巨大なソナーを設置している。

そのソナーに追われたのが人魚族だ。難破船に陣取った彼らは、リウの進める海の埋め立てプロジェクトを阻止すべく、リウの暗殺を計画する。作戦は美しい人魚のシャンシャン(リン・ユン)を使ったハニートラップ。人間に紛争した彼女を送り込み、彼女の美しさにリウが油断したところで、殺してしまおうというわけだ。ところが、シャンシャンはリウの暗殺に失敗しただけでなく、2人は惹かれあってしまう……。

このドラマ、前半から笑いの波状攻撃が続く。まるでドリフターズのコントのようなベタな展開や、お下劣ネタも含んだギャグの連続。例えば、下半身がタコの人魚族のリーダーを使って笑いを取るなど、わかりやすい笑いが続く。ベタな笑いが苦手なオレだが、ここまでベタベタだともはや笑うしかない。爆笑してしまいました。ハイ。

難破船の内部をスケートボードやトランポリンを使って移動したり、巨大なパチンコを使って外に脱出したりといった外連味にあふれた仕掛けも楽しさを生み出している。そこに暮らす人魚族もユニークな面々が勢ぞろいだ。前述したタコのリーダーはもとより、長老らしきおばあさんなども含蓄のある言葉を述べ、要所要所で活躍する。

シャンシャンとリウが惹かれあうという展開は、何ともお手軽なラブロマンスではある。エロい社長令嬢がその間でうごめくのも、よくあるパターン。それでも「強欲な金まみれの男に見えたリウが、実は孤独を背負っていた」といったあたりのツボを押さえながら、テンポ良く描写する。はては2人が掛け合いで歌を歌うミュージカルのようなシーンまで登場する。とにかく、あの手この手で楽しませてくれるのだ。おかげで、よけいなことは考えずに、スクリーンに引き込まれてしまう。

それにしてもいろんな要素がテンコ盛りだ。クライマックスにはアクションも用意されている。リウの後ろ盾になっていた社長令嬢と、その配下の研究チームが人魚族に攻撃を加え、彼らは絶体絶命のピンチに陥る。ちなみに、そこで中国語を巧みに話す西洋人が活躍するのだが、あれは誰だ?違和感ありまくりで面白いぞ。

そして、そこに登場してシャンシャンを救ったのが、そうあの人物である。てか、まあ、ラブロマンスなのだからしてアイツしかないわけだが。

というわけで、ラストにはほっこりざせられる後日談が待っている。この映画全体を貫く「自然保護」というテーマも、ここでさらにクッキリと浮き彫りになる仕掛けだ。

ここに至って、最初はただのお茶目な少女だったヒロインのシャンシャンが、立派な美しい女性に成長しているから偉いもの。演じるリン・ユンは、オーディションで選ばれたそうだが、その初々しさは特筆ものである。

それに合わせて、最初はただの金と女まみれの強欲男だったリウも、最後には素敵な男性に変身している。このあたりの見せ方も、なかなかのものだ。

わかりやすい社会派のテーマも背景に込めつつ、ラブロマンスを中心にあの手この手で観客を楽しませる。まさに、これぞエンタメ映画!という感じの映画。こういうのは香港映画ならお手のものだろう。そこに中国資本が加わってスケールが拡大しているのだから、面白くないはずがない。

それにしても、昔はこういう映画がもっとたくさん日本で上映されていたような気がするのだが。たくさんの観客の中で、ちょっと懐かしい気分になったオレは完全なオッサンである。

●今日の映画代、1300円。テアトル系のTCGメンバーズカードで鑑賞。

「ドント・ブリーズ」

「ドント・ブリーズ」
TOHO シネマズ シャンテにて。2017年1月14日(土)午後1時5分より鑑賞。

痛いのは嫌いだが、怖いのも嫌いである。子供の時にはお化け屋敷に入ったものの、あまりの怖さに入ってすぐに飛び出てしまったという情けない思い出もある。まあ、さすがに今はそこまで怖がりではないと思うが。

それでも「怖いもの見たさ」を地でいくように、時々ホラー映画の類を鑑賞したくなるという困った性癖もある。例えば、あの「エクソシスト」だって、ちゃんと劇場に観に行って観たのである。しかも一人で。

今もたまに評判の怖い映画があると、観に行ったりする。今回も、特に若い連中の間で評判らしい怖い映画があるというので、オジサン若ぶって行ってまいりました。ハイ。

その映画は「ドント・ブリーズ」(DON'T BREATHE)(2016年 アメリカ)。ホラー映画の巨匠(といっても、出世して「スパイダーマン」なども撮っているわけだが)サム・ライミ監督が製作し、リメイク版『死霊のはらわた』のフェデ・アルバレスが監督したスリラー映画である。

主人公はロッキー(ジェーン・レヴィ)という女の子。自堕落な母親に苦しめられている彼女は、幼い妹とともに家を出て移住したいと考えている。その資金稼ぎのために、恋人のマニー(ディラン・ミネット)と友人アレックス(ダニエル・ゾヴァット)という2人の男の子とともに強盗に入る。

冒頭はその犯行シーン。誰も傷つけることなく、まんまと盗みに成功した3人だが、ロッキーはまだ資金が足りない。そんな中、マニーは新たな強盗の話を持ちかける。ロッキーは誘いに乗り、アレックスも一度は断るものの、ロッキーに気があることから結局参加することになり、3人は新たな犯行に乗り出す。

ターゲットは盲目の老人の家。戦争で失明した元兵士の彼は、娘を交通事故で亡くし、その賠償金を家に隠しているという噂。これは楽勝だと老人の飼う猛犬も眠らせ、家に忍び込む。ところが……。

というわけで、ここから盲目の老人という設定が効いてくる。何しろロッキーたちが目の前にいても、老人はその存在に気づかない。普通はすぐにバトルが展開して決着がつきそうな展開でも、そうはならないわけだ。その代わり、老人はものすごい聴覚と嗅覚を持っている。そのため、少しでも音を立てたりするだけで、一挙にロッキーたちは狙われてしまうわけだ。こういうところから、ハラハラドキドキのシーンが生まれ、その波状攻撃が続くのである。

しかも、この老人ときたら元兵士だけに、無茶苦茶に強い。そのため、最初に見つかったマニーはあっさり殺されてしまう。それによってロッキーとアレックスの恐怖はますます高まっていく。

老人は射撃にも長けているらしい。しかし、そこはさすがに目が見えないだけに、微妙に相手の急所をはずしたりする。これもまた面白い効果を生む。本当ならあっさり射殺されるはずの至近距離からの銃撃でも、生き残ることができたりするのだ。

老人の家の構造もハラハラドキドキ度を増幅させる。暗闇の中で脱出を図るロッキーとアレックスだが、なかなか成功しない。老人による追跡を逃れながら家の中をあちこち移動して、そのたびにあわやという目に遭う。

ロッキーたちも強盗犯だという弱みがあるために、携帯がつながるのに警察に連絡できない。その仕掛けもまた効果的だ。途中で目を覚ました猛犬も、ロッキーたちを窮地に追い込む。とにかく、いろんな手を使って観客をハラハラドキドキさせるのである。

それにしても、ロッキーとアレックスは老人の攻撃によって、何度も「死んだ!」という状況に陥る。しかし、そこから何度も復活するのだ。オイオイ、キミたちはゾンビかよ。

映画の途中ではロッキーたちが、地下室でおぞましい光景を目撃する。それによって、老人がますます怖い存在になっていく。もはや彼はただの盲目の元兵士ではなく。サイコパスに近い存在だ。そして、後半では意外な老人の攻撃がロッキーに迫る。

ええ? まさかそんな。その攻撃ときたらバカバカしいにもほどがあるのだが、ここまであっけらかんとやられたら、もはや文句は言えない。「どうせB級スリラーですから許してね」とでもいうような、作り手たちの潔い姿勢が伝わってきて、ついつい笑ってしまうのである。

ラストの後日談もいい味を出している。なんと死んだはずの老人が……。

結局のところ、ロッキーたちだけでなく。老人もゾンビみたいな存在だったわけである。なるほど、この映画はただのスリラーというだけでなく、ゾンビ映画的な側面もあったわけね。

怖くて面白いスリラー映画である。まあ何よりもアイデアが秀逸。この手の映画が好きな方にはおススメでしょう。

●今日の映画代、1100円。毎月14日はTOHOシネマズのサービスデーで安く鑑賞できます。

「The NET 網に囚われた男」

「The NET 網に囚われた男」
シネマカリテにて。2017年1月11日(水)午後12時45分より鑑賞。

例えば、バイオレンスシーンなどで過激な描写の映画がある。タランティーノの映画のように、それを外連味タップリに描くのなら、フィクションとして楽しめるのだが、あまりにリアルに描かれると目をそむけたくなる。何しろオレは痛いのが嫌いなのだ。自分がいたぶられているようで、とても見ていられないのだ。臆病ですいません。

目をそむけたくなるといえば、韓国の鬼才キム・ギドク監督の映画もそうした場面が多い。彼は社会や人間の本質を鋭く突いた映画をたくさん作ってきたが、これでもかとばかりのしつこさが特徴。痛々しさに目をそむけたくなる場面も珍しくない。オレならずとも、観るにはそれなりの覚悟が要るかもしれない。前々作『メビウス』に至っては、夫が不倫したからといって、妻が息子のチンチンをちょん切るという壮絶なお話なのだから。

その一方で監督を他人に任せて、脚本を担当している映画もある。最近では「レッド・ファミリー」や「鰻の男」などだが、こうした映画は、それなりにエンタメ性にも配慮して、観客が入り込みやすい作品になっているケースが多い。

そんな中、登場した今回の監督作品「The NET 網に囚われた男」(THE NET)(2016年 韓国)では、暴力描写をはじめ過激さを封印している。そのせいもあって、面白さが伝わりやすい映画になっている。それでいて、わかりやすいメッセージで社会の矛盾をキッチリと描きだした社会派のヒューマンドラマである。

主人公は北朝鮮で、妻と幼い娘と暮らす漁師のナム・チョル(リュ・スンボム)。ある日、いつものように小さな船で漁に出た彼だが、スクリューに網が絡まりエンジンが故障してしまう。そのまま漂流して韓国領内に入った彼は、韓国警察に身柄を拘束され、スパイ容疑で厳しい取り調べを受ける。

当然ながら取り調べは激しいもので、拷問も加えられる。以前のキム・ギドク監督なら、目をそむけたくなるシーンがたくさん登場したことだろう。しかし、今回は拷問シーンをブラインドで隠すなどして、抑制的に描いている。さらに、取調官を典型的なワル(といっても内面には色々あるのだ)的に見せて、善人であるチョルと対決させる。おまけに、チョルに同情して友情関係になる若い警護官(しかもイケメン)を配置するなど、ドラマを盛り上げる様々な工夫を凝らしている。

その後、チョルは亡命するように説得される。その過程で、彼はソウルの街に連れ出される。だが、そこで彼は「見てしまうと北に帰ってからよけいなことをしゃべるから」と目をつぶり続ける。その頑なな姿が南北分断の厳しい状況を突きつける。

一般に南北問題を描くと、「北=悪の帝国」「南=素晴らしい国」という図式になりがちだが、キム・ギドク監督はそんな硬直的な考えには立たない。チョルは街で偶然ある娼婦を助ける。そこで彼は、自由な国のはずの韓国に不幸な人がたくさんいること、お金がものをいう世界であることを知らされる。キム・ギドク監督の鋭い視線は、韓国という国家の抱える闇を容赦なく暴き出す。

チョルはひたすら北に帰ることを願う。それは思想云々ではなく、ただ家族と静かに暮らしたいという純粋な思いからだ。だが、南北分断の現状がそれを容易には許さない。それでも彼はけっして節を曲げない。

やがて、彼はついに北朝鮮への帰還を勝ち取る。それもまた南北双方の権力の駆け引きによるものなのだが、いずれにしてもチョルは英雄として迎えられる。自らへの疑念を払しょくするためか「金正恩、万歳!」を叫んで船に立つチョル。

しかし、韓国で厳しい取り調べを受け、亡命を勧められたことによって、チョルは今度は北朝鮮当局から疑念の目を向けられる。そして行われる取り調べ。それはまさに韓国で受けた取り調べと、合わせ鏡のような厳しい取り調べだ。ここに至って、チョルを翻弄とするという点では、韓国も北朝鮮も同列であることが印象付けられる。イデオロギーに関係なく、権力が彼を追い詰め、ボロボロにしていくのである。

ナム・チョルは本当に普通の人だ。家族思いで優しい心を持ち、ただ穏やかに暮らしたいと願う市井の人である。そんな人物を韓国も、北朝鮮も同じように扱い、過酷な状況にさらす。何とも切なく、哀しい運命である。

ラストに待ち受けているのは衝撃的な出来事。チョルをそこまで追い込んだ権力に対する怒りが湧いてくる。

最後に映るのは彼の幼い娘の姿。はたして、彼女が大人になる頃には、少しは南北問題は良い方向に進んでいるのだろうか。困難なことは承知で、そうなることを願わずにはいられない。

主人公チョルを演じるのは、「ベルリンファイル」などでアクション俳優としても活躍するリュ・スンボム。今回は派手な動きよりも、抑制的な目の演技が印象深い。試練に耐えて自分を曲げない男を存在感たっぷりに演じている。青年警護官役のイ・ウォングン、チョルの妻を演じた「メビウス」のイ・ウヌなども印象的な演技だった。

南北分断という危険なテーマを、こういう形で、しかも面白く描くのだから、さすがにキム・ギドク監督である。肝の座り方がハンパではない。

そして、この映画に描かれた一人の人間を省みない権力の姿は、韓国と北朝鮮だけでなく、世界のどこにでも見られる姿なのかもしれない。

●今日の映画代、1000円。シネマカリテの毎週水曜の映画ファンサービスデー(男女共)の料金で。

「聖杯たちの騎士」

「聖杯たちの騎士」
ヒューマントラストシネマ有楽町にて。2017年1月9日(月・祝)午後12時25分より鑑賞。

映画は娯楽か?芸術か? というのは、昔からある論争。まあ、その両面があるというのが正解なんでしょうが、貧乏人のオレからすれば、娯楽だろうが芸術だろうが金を払った分だけ飽きさせずに楽しませてくれりゃあ、それでいいわけだ。せっかく、なけなしの金を払ったんだから。

そういう視点で言えば、テレンス・マリック監督の新作「聖杯たちの騎士」(KNIGHT OF CUPS)(2015年 アメリカ)は、娯楽性は限りなくゼロに近いし、ドラマ的な魅力にも欠けるのに、金を払った分だけは楽しませてくれる不思議な映画だ。

脚本家のリック(クリスチャン・ベイル)は、ハリウッド映画の仕事を引き受けたことをきっかけに、セレブな世界でパーティー、酒、女、ドラッグという享楽的な日々を過ごすようになる。一方で、崩壊した家族の絆を取り戻そうと奔走するリック。心の奥底に怯えや虚しさを抱えていた彼は、愛を求めて6人の美女と巡り会い、自身の生きてきた道のりを見つめ直していく……。

詳しい説明がないので、よくわからないところも多いのだが、ストーリー的にはそんなところだろう。もしかしたら、監督自身の自伝的要素があるのかもしれない。

主人公の女遍歴が中心のドラマではあるものの、そこに結婚生活が破たんした妻の存在、確執を抱える父親や弟との関係などが絡んでくる。展開的には登場人物の独白を中心に進行。それを通して、空虚感にさいなまれ、道に迷っているリックをはじめ、様々な人物の心理が伝わってくる。哲学的で人間の本質を突いたようなセリフもたびたび飛び出して、ドラマに深みを与えている。「始めよう」というセリフで、ポジティブな方向性を示すラストも印象的だ。

ただし、この映画、はっきり言ってストーリーはどうでもいい。圧倒されるのはその映像美である。初期の作品から、半端でない映像へのこだわりを見せていたマリック監督だが、カンヌ国際映画祭パルム・ドールを獲得し、オスカー監督賞候補にもなった「ツリー・オブ・ライフ」以降の作品は、それにますます拍車がかかっている。

とにかく一つとして陳腐な映像がない。自然美、街の景観、夜景、水中映像、室内シーンなど、ありとあらゆる場面が美しく描かれる。光、色彩、カメラワーク、ロケ場所の選定やセットなど、全てがこだわりまくって撮影されている。通常なら、普通に撮るシーンまで、ひとひねりが加えられているから恐れ入る。

撮影監督は「ゼロ・グラビティ」「バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)」「レヴェナント 蘇えりし者」で3年連続アカデミー撮影賞を受賞したエマニュエル・ルベツキ。このコンビなら、こういう映像になるのも納得。これはもはやビジュアルアート、それも世界最高峰のビジュアルアートといってもいいだろう。美術畑ではなく、クリスチャン・ベイルケイト・ブランシェットナタリー・ポートマンなどのトップスターを揃えて、商業映画の枠内でこういうことをやれるのは、マリック監督だけかもしれない。

なので、映像を観ているだけで最後まで飽きなかった。個人的にはドラマを重視して映画を観るタイプのオレだが、この映画に関してはそんなものはどうでもよい。ドラマとしての魅力には欠けるものの、アートとしては一級品。映画館でなく、美術館で観ても違和感がない。これもまた映画というわけだろう。

ちなみにマリック監督は人前に出ることを徹底して拒否してきたため、一時は架空の存在ではないかなどと言われていた人物。20年近く現場から遠ざかっていたこともある。それでも最近はけっこうコンスタントに映画を撮っているようで、次はどんな映像マジックを見せてくれるのか注目である。

●今日の映画代、1300円。本日もテアトル系の会員料金(TCGメンバーズカード)

「アイヒマンを追え! ナチスがもっとも畏れた男」

「アイヒマンを追え! ナチスがもっとも畏れた男」
ヒューマントラストシネマ有楽町にて。2017年1月7日(土)午後12時5分より鑑賞。

「反省だけなら猿でもできる」と言われるようになったのは、反省ポーズ(手を付いて首をうなだれてみせる)をする猿回しの猿が登場したのがきっかけだったと思う。1990年代初頭にブームになり、CMにも起用されている。

確かに形ばかりの反省というのは問題だろう。それでは本当の再出発はできないはずだ。しかし、実際に心から反省するというのは難しいもので、形だけの反省が横行しているのは今も昔も変わらないのではないか。

反省が必要なのは個人だけではない。国家だって過ちを犯せば反省が必要だ。特に戦争に対する反省は、いつの時代も重要なテーマだ。だが、これとてそれほど簡単なものではない。それを痛感させられるのが、ドイツ映画「アイヒマンを追え! ナチスがもっとも畏れた男」(DER STAAT GEGEN FRITZ BAUER)(2016年 ドイツ)である。

1950年代後半のドイツ・フランクフルト。戦争の記憶が風化しつつある中で、ナチス戦犯の告発に執念を燃やす検事長フリッツ・バウアー(ブルクハルト・クラウスナー)。ある日、彼のもとに逃亡中のナチス親衛隊中佐アイヒマンが偽名でアルゼンチンに潜伏しているとの手紙が届く。アイヒマンの罪を裁くため、国家反逆罪に問われる危険を冒して情報をモサドイスラエル諜報特務庁)に提供するバウアー。部下のカール検事(ロナルト・ツェアフェルト)とともに証拠固めを進めるが、周囲にはナチスの残党が目を光らせており、激しい妨害や圧力にさらされる……。

ナチスでユダヤ人虐殺の中心的役割を担ったアイヒマンが、1960年に潜伏先のアルゼンチンでモサドに拘束され、エルサレムの法廷で死刑宣告されたというのは有名なお話。それに関する映画も何本か作られている。しかし、その裏で意外なドイツ人が活躍していたというのは、オレはまったく知らなかった。それが検事長のフリッツ・バウアーだ。

この映画の舞台となった1950年代後半のドイツは、経済復興が進む一方、戦争の記憶が風化しつつあったという。そんな中で、バウアーはナチス戦犯の告発に執念を燃やす。アイヒマンがアルゼンチンに潜伏していると告げる手紙を受け取った彼は、その情報をモサドに提供する。

だが、それは国家反逆罪に問われかねない行為だ。それでもバウアーがモサドに接触したのは、ドイツでは捜査当局をはじめあちこちにナチスの残党がいて、思うように事態が進まないと見たためである。実際に、彼らはバウアーの捜査をあの手この手で妨害する。アイヒマンが捕まれば、自分たちの戦争中の悪事も露見する危険性があるから彼らも必死だ。それでもバウアーは、部下のカール検事とともに、モサドを動かすために証拠固めを進める。

この映画は史実をもとにしたドラマだが、意外にエンタメ性が高いのが特徴だ。数々の妨害や脅迫をものともせず、遮二無二前進しようとするバウアー。しかし、周囲にはあちこちに敵対勢力が存在する。バウアーは、それをはねのけてターゲットに迫ろうとする。極秘情報がなぜか彼らに漏れてしまい、今度は逆にそれを利用して敵を欺くなど、敵対勢力との虚々実々の息詰まるような駆け引きが展開する。普通のサスペンスとしてもスリリングで十分に面白い映画である。

実はバウアーは当時はタブーとされた同性愛者だった。そして部下のカール検事も同じく同性愛者。その設定を生かした仕掛けで、ドラマに波乱を起こすところなども見応えがある。とはいえ、上司と部下が二人とも同性愛者なんて、そんな偶然があるのだろうか? と思ったら、どうやらカール検事はこの映画のために創作された架空の人物らしい。つまり、史実をベースにしつつも、フィクションも大胆に取り込み、あらゆる手段で観客を楽しませているわけだ。

そうした姿勢が娯楽映画としての充実度を高めている。バウアーはオッサンだ。しかもかなりの頑固者だ。これは観客を感情移入させるのに大きなハードルとなる。しかし、巧みな語り口とバウアーのすさまじいまでの執念によって、観客はいつのまにか彼を応援したくなってくるはずだ。

ただし、さすがにナチスを扱った映画だけに、ただのエンタメでは終わらない。バウアーはユダヤ人で、一見、復讐心からナチスを追っているかのようにも見える。しかし、映画を観ているうちにそうではなくて、とにかく正義を追及したいのだということがわかってくる。それは過去の歴史としっかり向き合うことでしか、本当の再生はできないという信念に基づく行動でもある。

その証拠にバウアーは、アイヒマンを捕まえるだけでなく、ドイツで裁判を受けさせてすべての真実を明らかにしようとする。ところが、その目論見はもろくも崩れ去る。それでも不屈の意志で前進しようとするバウアーの姿が、この映画のラストだ。すげぇ~オッサンである。演じるブルクハルト・クラウスナーもカッコよすぎるぜ。まったく。そして、そんな彼の執念がその後に結実したことが、最後にテロップで示されるのだ。

ドイツといえば、戦争責任と向き合い、きっちりと落とし前をつけた国というイメージがある。だが、最初からそうだったのではなく、バウアーのような努力があって初めてそうなったのだということが、この映画を通してよくわかった。

そして、この映画で描かれたことは、日本にも無縁ではないと思う。はたして日本は、かつての戦争ときちんと向き合ったのか。オレにはとてもそうは思えないのだが。戦争責任を曖昧にし、目先の利益だけを追ってきたことが、今の世の中をおかしくしていると言ったら言い過ぎですか? 

いや、戦争だけではない。最近の原発事故なども責任を曖昧にして、ひたすら復興を叫ぶことに違和感を持たずにはいられない。妥協やごまかしを許さずナチスを追うバウアーのような人物が日本にもいたら……と思わず考えてしまうオレなのだった。

というわけで、エンタメ映画としても、ナチスものの社会派映画としても上質な作品だと思います。

●今日の映画代、1300円。テアトル系の会員料金(TCGメンバーズカード)で鑑賞。

「アイ・イン・ザ・スカイ 世界一安全な戦場」

「アイ・イン・ザ・スカイ 世界一安全な戦場」
TOHOシネマズシャンテにて。2016年12月23日(金)午後12時50分より鑑賞。

天才バカボンのパパが、口癖で「賛成の反対なのだ」と言っていたが、あれは賛成のことなのか、反対のことなのか。何にしてもオレは平和に賛成である。戦争に反対である。だが、最近の戦争は、そう簡単に結論が出せないことが多かったりするから困ったものだ。

それをつくづく思い知らされたのが、「アイ・イン・ザ・スカイ 世界一安全な戦場」(EYE IN THE SKY)(2015年 イギリス)という映画である。ここで描かれる戦争では、ドローンが大活躍する。上空数千メートルからドローンでテロリストの行動を監視して、ミサイルを撃ち込んで彼らを殺害する。自分たちは犠牲を出さずに、完璧に敵をやっつけられるなんて素晴らしい!と思うかもしれないが、はたしてそうなのか。そこには様々な問題があることを、この映画が示している。

イギリス・ロンドン。英国軍のキャサリン・パウエル大佐(ヘレン・ミレン)は、国防相のフランク・ベンソン中将(アラン・リックマン)と協力して、英米合同テロリスト捕獲作戦を指揮していた。まもなく上空6000メートルを飛ぶ米国軍の最新鋭ドローン偵察機が、ケニアのナイロビで過激派アル・シャバブの凶悪なテロリストたちのアジトを突き止める。

当初の作戦はケニア軍がそこに突入して、テロリストたちを生け捕りにすること。ところが、彼らが自爆テロを決行しようとしていることが発覚し、パウエル大佐はドローンのミサイル攻撃によるテロリスト殺害へと作戦を変更する。

しかし、これが簡単にはいかない。イギリスはもちろん、アメリカの政府機関も巻き込んで、パウエル大佐の攻撃命令を許可するかどうか大騒ぎになる。何しろ、テロリストたちの中にはアメリカ国籍の男やイギリス出身の女性が含まれているのだ。

こうしたギリギリの作戦が、ドローンからの映像を使ってスリリングに描き出される。ドローンといっても飛行機だけではない。鳥の形をしたり、虫の形をしたドローンまである。それが家の中にまで入って様々な映像を送り出す。今どきのドローンがこんなことになっているなんて、ちっとも知らなかった。

そうした映像が、イギリス、アメリカ、ケニアの司令官や政府関係者たちがいる会議室のスクリーンに映しだされる。それを見ながら作戦を遂行する英米軍の人々。一見ゲームのように見えるが、もちろんそれはゲームではない。人命がかかっているだけに、安易な決断はできない。多面的に映されるドローンの映像が、ジリジリするような緊張感を生み出し、サスペンスとしての魅力を高める。

ようやく了解を取り付けたパウエル大佐は、ドローンを操作する米国ネバダ州の新人ドローン・パイロット、スティーブ・ワッツにミサイルの発射準備を命じる。ようやくこれで一件落着か。と思いきや、そこでなんと、アジトの真横でパンを売る少女の姿が発見される。ミサイルを撃ち込めば、彼女もかなりの確率で死んでしまう。それをめぐって、再び事態は混乱する。

パウエル大佐は、それでもミサイルを発射すべきだと決然と言い放つ。たとえ少女が死んでも、自爆テロによって大勢が死ぬよりはましだというわけだ。しかし、それに反対する人もいる。英米の政府機関や外遊中の政治家までをも巻き込んで、「ああでもないこうでもない」と議論が迷走する。あまりの難題に責任を回避しようとする政治家も現れる。

終盤に近付くにつれて、ハラハラドキドキ度はどんどん高まっていく。自爆テロの準備を着々と進めるテロリストたち。相変わらずパンを売る少女。そこにケニア軍の諜報員も絡んで、焼けつくような緊張感が続く。サスペンスとして一級品の映画であることは間違いがないが、同時にそこには戦争をめぐる重たいテーマも横たわっている。

パウエル大佐は、自分の主張を通すためにある工作まで行う。考えようによっては、とんでもない非人間的な人物にも見えるが、彼女の主張が100%間違っているとも言い切れない。確かに、自爆テロが起きれば大勢の人が亡くなる可能性がある。だからといって、ミサイルを発射した結果、少女が死んでもいいのか? 映画の中の司令官や政治家たちに突き付けられた難問が、スクリーンを通して観客にも突きつけられる。「さぁ、あなたならどうする」と。

エンタメ性の高いサスペンスなら、最後にはカタルシスが待っているに違いない。だが、この映画にはそんなものは用意されていない。ラストは修羅場の中で人間の善意をチラリと見せて、一筋の光を感じさせるものの、最後の最後に過酷な現実を示す。そこで観客に向けて再度の問いかけが行われる。「さぁ。あなたならどうする」と。

ヘレン・ミレン演じるパウエル大佐の冷酷さも戦争の一面なら、彼の指示でミサイル発射のボタンを押す若きパイロットの苦悩も戦争の一面。そして何よりも、「あなたたちは安全な場所で攻撃した」とベンソン中将に向かって投げつけられた言葉が、現代の戦争の本質を表している。自らの身を危険にさらすことなく、ボタン一つで敵のみならず無辜の市民まで犠牲にするこの戦争に、正義はあるのだろうか???

現代の戦争をリアルに、そしてスリリングに切り取って、そこに潜む問題を痛烈に提示した秀作である。観終わって重く、苦いものが残った。

●今日の映画代、1500円。久々にムビチケを購入。

「狂い咲きサンダーロード」

狂い咲きサンダーロード」(オリジナルネガ・リマスター版)
シネマート新宿にて。2016年12月22日(木)午後7時10分より鑑賞

今でこそ年間150本近い映画を観ているオレだが、実は10~20代はほとんど映画を観ていなかった。まあ金がなかったり(それは今も同じだが)、いろいろと忙しかったのが理由ではあるが、それにしてももったいないことをしたと思う。なので、当時観たかった話題作をけっこう見逃していたりするわけだ。

そんな一作が「狂い咲きサンダーロード」だ。石井聰亙(現在は石井岳龍)監督が、1980年に日本大学藝術学部映画学科の卒業制作として22歳で発表した映画。東映セントラルフィルムの配給で劇場公開もされて、カルト的な人気を博した伝説の作品だ。当時、オレの耳にも評判は届いていたが、劇場に足を運ぶことはなかった。それが、2016年にクラウドファンディングにより、オリジナル16ミリネガフィルムからのリマスター&ブルーレイ化が実現。シネマート新宿ほかで限定公開されるというので、さっそく観に行ってきた。

暴走族「魔墓呂死」の特攻隊長・仁(山田辰夫)は、「市民に愛される暴走族」を目指すリーダーに反発し、実力行使で敵対勢力への反抗を試みる。さらに、自分たちを取り込もうとする政治結社に反抗を試みた末、抗争の中で右腕と右足を切断されてしまう。それでもなお抗うことをあきらめず、バトルスーツに身を包んで最後の決戦に挑む仁だったが……。

架空の都市「サンダーロード」を舞台にしたバイオレンス・フクション映画だ。冒頭はSFチックな火山のシーン。何が始まるのかと思ったら、直後から暴走族の連中の怒鳴り合いや抗争が描かれる。「何じゃ、こりゃ」と初めのうちは苦笑していたのだが、次第に引き込まれてしまった。

それは映像の力によるものだ。石井監督は「シャニダールの花」「蜜のあわれ」などの最近の作品でも半端でない映像へのこだわりを見せているが、この映画の映像も出色だ。バイクの走行シーン、バイオレンスシーンなど鮮烈な映像の連続で、有無を言わさず観客をスクリーンに引きずり込む。

そして圧倒的な熱気と疾走感がスクリーンを覆う。この映画では全編に泉谷しげる、PANTA&HAL、THE MODSのロック音楽が流れている。それもまた映画全体の疾走感を加速させている。

主人公の仁は、市民に愛される暴走族や国を守る政治結社(右翼ね)に参加することを拒否し、あらゆるものに刃向かっていく。それはトンガっているなどという次元ではなく、ひたすら暴走し続けるブレーキのない車みたいなものだ。無軌道もここに極まれり。

その背景にあるものは何なのか。「大人になることを拒否する若者」という普遍的な青春の叫びなのか。あるいは1970年前後の学生運動はもはや跡形もなく、何事にも無関心な当時の「しらけ世代」に向けた石井監督の鉄槌なのか。そのあたりはよくわからんのだが、とにかく壮絶な暴走である。何しろ仁は右手と右足を失っても、ひたすら前に突き進んでいくのだから。

それ以外にもユニークなところがたくさんある映画だ。例えば、舞台となる「サンダーロード」という街は、どこなく世紀末の荒廃した街を想起させる。終盤、最後の闘いに備えて武器を調達する仁が向かった場所や出会う人々は、特にそうした感じを抱かせる。これは日本版「マッドマックス」なのか?

けっして完成度が高いわけではなく、正直どうでもいいようなシーンもある。例えば、暴走族のリーダーと彼女とのシーンなどは、なぜ挿入されているのかわからなかったりもする。それでも2人にセリフを語らせるのではなく、それをテロップで出す面白い仕掛けもある。仁が病院を出るシーンの背後では、アングラ演劇が展開されたりもする。いろんな意味でぶっ飛んだ映画です。ホントに。

主役の仁を演じた山田辰夫は、その後、名バイプレーヤーに成長し、「おくりびと」など数々の映画ドラマで渋い演技を見せていたが、2009年に47歳で亡くなってしまった。また、政治結社のリーダーを演じた小林稔侍は、テレビドラマの「税務調査官·窓際太郎の事件簿」でおなじみ。数々の映画やドラマに出演するベテラン俳優だ。そういう人たちの若々しい演技も見どころのひとつだ。

ちなみに伝説の作品というだけに、オレが観た日にもけっこうな数の観客が入っていた。そういう人を引き付ける魅力を持った映画です。限定公開なので劇場で観るのは厳しいかもしれないけど、興味のある方はDVDででもどうぞ。

●今日の映画代、1300円。シネマート新宿でも新たにTCGメンバーズカードが使えるようになったので。