映画貧乏日記

映画貧乏からの脱出は可能なのだろうか。おそらく無理であろう。ならばその日々を日記として綴るのみである。

「ノー・エスケープ 自由への国境」

「ノー・エスケープ 自由への国境」
TOHOシネマズシャンテにて。2017年5月7日(日)午後12時35分より鑑賞(スクリーン1/D-9)。

東京・日比谷では大規模な再開発工事が行われている。何でもでっかいビルを建てるらしい。そこに全11スクリーン約2300席を新設。隣接する東京宝塚ビル内の2スクリーン、約800席のスカラ座・みゆき座を改装して、合わせて全13スクリーン・約3000席のシネコン「TOHO シネマズ日比谷(仮称)」を2018年にオープンさせるとのこと。

それに伴って、近くにあるTOHO シネマズシャンテは閉館するらしい。うーむ、シャンテといえば、マイナーながら良質な作品をたくさん上映していた映画館。ここのみでの上映作品も多かった。オレの好きな映画館の1つだっただけに、寂しい思いでいっぱいだ。はたして、新しいシネコンにそのコンセプトは引き継がれるのだろうか。大いに不安である。

そんな不安を抱えつつ、あと何度足を運べるかわからないシャンテに参上。今回のお目当ての作品は、「ノー・エスケープ 自由への国境」(DESIERTO)(2015年 メキシコ・フランス)である。

監督(共同脚本と編集も担当)のホナス・キュアロンは、「ゼロ・グラビティ」でアカデミー監督賞を受賞したアルフォンソ・キュアロンの息子で、「ゼロ・グラビティ」の共同脚本も担当している。おまけに、この映画は「ゼロ・グラビティ」よりも前に脚本が完成していて、それをヒントに「ゼロ・グラビティ」が生まれたらしい。

ゼロ・グラビティ」が宇宙でのサバイバル劇だったのに対して、こちらは砂漠でのサバイバル劇だ。冒頭は荒涼とした砂漠地帯を一台のトラックが走るシーン。その荷台には、アメリカに不法入国しようとするモイセス(ガエル・ガルシア・ベルナル)たち15人のメキシコ人が乗っている。ところが、途中でトラックが故障し、彼らは徒歩で国境を越えることを余儀なくされる。

一方、その砂漠に謎の男(ジェフリー・ディーン・モーガン)がやってくる。銃を持ち猟犬を連れた彼は、警官には「ウサギ狩り」と答えるのだが、真の目的は人間狩りだ。まもなく、国境のフェンス(有刺鉄線)を越えたメキシコ人たちに銃弾を浴びせる。彼の手で1人また1人と犠牲になるメキシコ人たち。摂氏50度という過酷な状況の中、武器も通信手段も持たないモイセスたちは、必死で逃げ延びようとするのだが……。

まあ、とにかくリアルさがハンパでない映画である。灼熱の砂漠の中を必死で逃走するモイセスたちを、臨場感あふれる映像で描き出す。例えば、メキシコ人たちを謎の男の銃の照準越しにとらえた映像、彼らを追い詰めるべく全速力で走ってくる猟犬を低いアングルで映した映像など、スリリングで迫力ある映像が満載だ。

トーリー自体はシンプルなのに、全く飽きないし、最初から最後まで緊張感が途切れない。モイセスたちの壮絶な逃走劇を目撃しているうちに、自分もそこに加わっているような気分になってしまう。そのぐらい圧倒的なリアルさと、スリリングさを持った映画なのである。

砂漠の逃走劇と言っても、ただ平地を逃げるだけではない。そこには、岩山やサボテンが群生する場所などもある。毒蛇も生息している。それらを巧みに生かして、あわやの場面を何度も作り出していく。

次々に仲間が殺され、モイセスたちは3人になり、ついに2人になる。それでも隙をついて謎の男の車を奪い、ついに脱出成功!

かと思ったら、そうは問屋が卸さない。その先も何度も危険な場面に遭遇する。終盤はモイセス1人が謎の男と対峙する。そして、岩山でのギリギリのバトルから余韻の残るラストへとなだれ込む。

モイセス役のガエル・ガルシア・ベルナルの鬼気迫る演技に加え、謎の男を演じたジェフリー・ディーン・モーガンの戦慄の演技が見事だ。彼は不法入国者を恨んでおり、それが殺害の動機のようなのだが、それを越えてサイコパス的資質まで感じさせる。スピルバーグ監督の初期作品「激突!」の追跡者の得体の知れない怖さを連想させるような演技だった。

この映画の背景には、メキシコからアメリカに入国する不法移民をめぐる社会的問題がある(トランプ大統領の壁建設の話でもおなじみ)。しかし、それを前面に出すことはなく、声高なメッセージを発することもない。

また、不法入国する人々の背景を冗長に語ることもない。モイセスとアデラという女の子の短い会話から、彼らの抱えた事情をチラリと示すのみだ。

つまり、この映画は、あくまでもサバイバル劇の怖さや緊迫感を追求したエンタメ映画であり、それこそが、この映画の最大の魅力なのである。

ハラハラドキドキ度はかなりのもの。88分間があっという間だった。この手の映画が好きな人ならかなり満足できそうだ。ホナス・キュアロン監督、親の七光りかと思いきや、なかなかの才能の持ち主かもしれない。今後が楽しみな存在だ。

●今日の映画代、1500円。事前にムビチケ購入済。

「カフェ・ソサエティ」

「カフェ・ソサエティ
池袋HUMAXシネマズにて。2017年5月5日(金)午後12時45分より鑑賞(シネマ5/D-10)。

高齢化社会とはいうものの、70~80代になっても現役で活躍するのは簡単なことではないだろう。まして、映画監督ともなればなおさらだ。現場でスタッフや出演者を指揮して、思い描いた通りの映像を撮影し、それを1本の映画に仕上げていく。その作業には、相当な体力と気力が必要なはずだ。

そんな中、次々に作品を生み出しているのがウディ・アレン監督である。 1935年12月1日生まれだから現在81歳。しかし、その活動は衰えを知らない。2010年以降に絞っても、「恋のロンドン狂騒曲」「ミッドナイト・イン・パリ」「ローマでアモーレ」「ブルージャスミン」「マジック・イン・ムーンライト」「教授のおかしな妄想殺人」と脚本・監督作品を量産。「ローマでアモーレ」には久々に自ら出演しているし、ジョン・タートゥーロ監督の「ジゴロ・イン・ニューヨーク」にも出演している。どれだけ元気なんだ!? この人。

そのウディ・アレン監督・脚本による最新作が「カフェ・ソサエティ」(CAFE SOCIETY)(2016年 アメリカ)である。

オープニングからアレン節が全開だ。軽快なジャズのメロディーに乗って、ノスタルジックな雰囲気のクレジットが流れる。ジャズはここだけでなく、実際の演奏シーンも含めて随所に登場する。

そして幕を開ける物語。1930年代のハリウッドとニューヨークの社交界を舞台に、一人の青年の恋と人生を描いたドラマである。

前半の舞台はハリウッド。冒頭は、映画業界の大物エージェントのフィル・スターン(スティーブ・カレル)が、華やかなパーティーで関係者たちと業界話を繰り広げる。そこにかかってくる1本の電話。ニューヨークに住む姉からで、「息子(つまり、フィルの甥っ子)のボビーがハリウッドで働きたがっているから面倒を見て欲しい」というのだった。

まもなくボビー(ジェシー・アイゼンバーグ)が、ハリウッドにやってくる。しかし、多忙なフィルにはなかなか会えない。その間には、売れない女優の娼婦と関わって、ハリウッドの厳しさを知ったりもする。ようやくフィルに会ったボビーは雑用係の仕事をもらう。同時に、フィルの指示によって秘書のヴェロニカ=愛称ヴォニー(クリステン・スチュワート)にハリウッドの街を案内してもらう。ボビーは美しいヴォニーに心を奪われてしまう……。

というわけで、前半に描かれるのはボビーとヴォニーの恋の行方だ。ボビーはヴォニーにぞっこんなのだが、実は彼女には別の恋人がいる。しかも、それが「まさか!!」の人物なのだ。そのため、2人の関係は迷走するのである。

そんなボビー、ヴォニー、そして彼女の恋人との三角関係が、いかにもアレン監督らしい軽妙なタッチで描かれる。なかでも印象的なのが、シニカルでユーモアに満ちたセリフ。それを聞いているだけで思わずニヤリとしてしまう。

後半の舞台はニューヨークに移る。ボビーはハリウッドに失望して、ニューヨークに帰ろうと決意。ギャングの兄が経営するナイトクラブの支配人に収まり、社交界でのし上がっていく。

そんな中で、ボビーは一人の女性と出会う。それはなんと、ハリウッドで恋した女性と同じ名前のヴェロニカ(ブレイク・ライブリー)という女性。はたして、2人の関係はどうなるのか。そして、ハリウッドに残ったヴォニーとのその後は?

そこから先の細かな展開は伏せておくが、ボビーに加えて兄や姉のドラマなども織り込みつつ、なかなかに含蓄に富んだ人間ドラマが描かれ、軽妙さの中にも人生に対する鋭い考察が見え隠れする。

ラストで映されるボビーとヴォニーの表情が、多くのことを物語る。もしもあの時、別な道を選択していたらどうなったのだろう。そんな思いは誰にでもあるはずだ。しかし、どちらの道を選んだとしても、そこには割り切れない思いや後悔を抱えることになる。「人生には、そんなほろ苦さがつきものなんだヨ」というアレン監督のつぶやきが聞こえてきそうなシーンではないか。

それでもアレン監督は言う。「人生は喜劇だ」と。まさに、それを体現するような映画だと思う。

ハリウッド黄金時代を背景としたドラマだけに、当時のスターや業界関係者の名前がポンポンと出てくるし、実際の当時の名画も登場する。とはいえ、ハリウッドを嫌いニューヨークに暮らし続けるアレン監督だけに、ハリウッドよりもニューヨークへの愛を感じさせる。

主人公のボビーは、アレン監督の分身といってもいいだろう。そのせいか、演じるジェシー・アイゼンバーグがどことなくウディ・アレンに似ているように見えてくる。2人のヴェロニカを演じるクリステン・スチュワートブレイク・ライブリー、叔父のフィルを演じるスティーブ・カレルなども存在感ある演技を見せている。

全編にアレン節が炸裂した映画だけに、安定感はタップリだ。もはや職人芸の世界と言ってもいいだろう。アレン監督の過去の作品が好きな人なら、最初から最後まで安心して楽しめるに違いない。

その一方で、「地獄の黙示録「レッズ」ラストエンペラー」などで知られる名撮影監督ビットリオ・ストラーロと初コラボして、色彩豊かな映像を生み出すなど新しいチャレンジも試みている。うーむ、この先もまだまだ活躍しそうなウディ・アレンである。最後にもう一度言うが、どれだけ元気なんだ!? この人。

●今日の映画代、1400円。事前にムビチケ購入。ただし、池袋HUMAXシネマズはムビチケを使ったネット予約ができないので、窓口の長~い列に並んで席を確保。

映画「いぬむこいり」公開記念イベント

5月2日の夜、新宿・歌舞伎町の老舗ライブハウス、新宿LOFTにて、5月13日から新宿K’s cinemaで公開される映画「いぬむこいり」の公開記念イベントが開催された。題して「勝手にPANTA」。この映画に重要な役どころで出演している2人のミュージシャン、武藤昭平のバンド「勝手にしやがれ」と、PANTA頭脳警察)の名前をつなげたイベント名だ。

というわけで、この日は、「勝手にしやがれ」と「PANTAバンド」のライブがメインなわけだが、それに先立って「いぬむこいり」の片嶋一貴監督と主演の有森也実などが加わったトークショーが行われた。その模様は、映画関連サイトやスポーツ紙サイトなどでも紹介されていたが、片嶋監督のこの作品にかける思いが十分に伝わってきた。

なにせこの映画、上映時間4時間5分という長尺だ。4章構成で、有森也実演じるダメダメな小学教師がある島に行き、そこで様々な体験をするというお話。「犬婿入り」という民話がモチーフになっていて、個性的なキャラが総登場。有森也実武藤昭平、PANTAの他にも、ベンガル石橋蓮司柄本明などが出演している。

有森也実から「4時間というクレイジーな映画をどうして作ったのか?」と聞かれた片嶋監督が、武藤昭平とPANTAを見て、「このメンツ、めちゃめちゃ濃いでしょ。こんなの4時間以内では撮れない!」と言っていたのが笑えたが、よくもまあこんな破格の映画を作ったものである。

その後の「勝手にしやがれ」と「PANTAバンド」のライブも、なかなかに熱いライブで盛り上がった。結成20周年の「勝手にしやがれ」、40数年も活動を続けるPANTA、さすがの貫禄である。「PANTAバンド」に「勝手にしやがれ」のホーンセクションが加わったり、武藤昭平がドラムを叩いたりと、ふだんは観られない共演も楽しいところ。ラストには片嶋監督や有森也実なども加わって、ボブ・ディランの名曲「I Shall Be Released」を・・・。

それにしても「いぬむこいり」、いったいどんな映画なのだろう(現時点では当然未見)。正直なところ想像もつかないのだが、何やら破壊力抜群の映画であることは間違いなさそうだ。片嶋監督には、「アジアの純真」「たとえば檸檬」などの気骨あふれる作品があるので、なおさら期待がふくらむ。この日の会場で前売り券を購入したので、公開されたら目撃して感想を書きます(ついでに出演者の直筆サイン入りのパンフレットも購入)。

 

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「僕とカミンスキーの旅」

「僕とカミンスキーの旅」
YEBIS GARDEN CINEMAにて。2017年4月30日(日)午後1時45分より鑑賞(スクリーン1/E-8)。

年に1~2度、渋谷のBunkamuraザ·ミュージアムの展覧会に足を運んだりはするものの、美術方面には全く疎い。誰でも知っている有名な画家の名前ぐらいは知っているが、そこから先は皆目見当がつかない。

そんなオレだから、マヌエル・カミンスキーという画家の名前もまったく知らなかった。そのカミンスキーが登場する映画が「僕とカミンスキーの旅」(ICH UND KAMINSKI)(2015年 ドイツ・ベルギー)である。

昏睡中に東西ドイツが統一し、意識を取り戻した母がショックを受けないように、あの手この手で消滅前の東ドイツを見せ続けようとする息子を描いた2003年のドイツ映画「グッバイ、レーニン!」のヴォルフガング・ベッカー監督と主演のダニエル・ブリュールが、久々にタッグを組んだ作品だ。

映画の冒頭に流れるのは、著名な画家カミンスキーの死去を報じるニュース。それも世界各国(日本も)のニュースだ。つまり、彼は世界的な画家だったわけだ。

続いて、彼の足跡を描いた映像が流れる。それによれば、カミンスキーマティス最後の弟子でピカソの友人でもあり、ポップアート全盛の1960年代に「盲目の画家」として話題を集めた人物。モハメッド・アリやビートルズ、アンディ・ウォーホールなど著名人の写真や、カミンスキーの作品なども登場し、彼がいかに偉大な芸術家だったかが語られる。まるでドキュメンタリー映画のような滑り出し。ところが……。

実は、これ、全部真っ赤なウソなのだ。オレが知らないのも当たり前。本当はカミンスキーなどという画家は存在しない。架空の人物なのである。それを虚実入り混ぜて、いかにも本物のように見せているワケ。何とも人を食った映画ではないか。

そんなカミンスキーの自伝を書こうとするのが、自称・美術評論家の31歳の男セパスティアン(ダニエル・ブリュール)。彼は無名で金もなく、カミンスキーの自伝で一発当てようとする、いかがわしい人物だ。「カミンスキーが死ねば伝記がよけいに売れる」とまで考えている。

そこでセバスティアンは、山奥で隠遁生活を送るカミンスキーイェスパー・クリステンセン)のもとを訪れる。なんとか彼に取り入って話を聞くつもりだった。ところが、カミンスキーはただ者ではなかった。その言動はわがままで気まぐれで頑固で、いったい何を考えているか不明。そもそも彼が本当に盲目なのかどうかも怪しいところ。そして彼の周囲の人物も、娘のミリアム、家政婦、主治医など、いずれもくせ者揃いなのである。

そんなアクの強い人物キャラを生かしながら、たくさんの笑いを生み出している映画だ。特にセバスティアンがカミンスキーに振り回される姿は、ひたすら可笑しくて笑える。

ベッカー監督の演出もぶっ飛んでいる。全8章で構成されたドラマは、セバスティアンの願望(嫌いな奴を撃ち殺す!)を映像化したり、カミンスキーの作品を大胆に使ったりと縦横無尽なタッチ。カミンスキーが語る達磨大師のエピソードも、映像として登場する。「夢から覚めて現実だと思ったらそれも夢、今度こそと思ったらそれも……」という夢の多重構造のようなシーンもお目見えする。ドラマの内容同様に、演出や映像も奇想天外なのだ。

中盤では、セバスティアンがこれまでに行った関係者のインタビューが挟みこまれる。そこに登場するのも怪人物ばかり。双子の老作曲家だの、常識はずれの大食漢の老人だの、まあとにかく変な人のオンパレード。それがまた笑えるのである。

そんな中から浮上してくるのが、カミンスキーと元恋人との関係だ。それこそが伝記の大きなカギになると考えたセバスティアンは、カミンスキーを誘い出して彼女のところを目指して旅に出る。

というわけで、ここからはロードムービーになる。ただし、2人の心温まる交流が描かれるわけではない。この旅も奇想天外で予測不能だ。カミンスキーは相変わらず何を考えているかわからないし、わがままばかり言い続ける。突然気が変わったり、さっき言ったことをもう忘れていたりもする。あげくは、若い女をホテルに連れ込んだりもするのだ。やれやれ。

それ以外にも謎のヒッチハイカーなど不思議な人物が登場して、とんでもない行動を起こす。まさに珍道中が繰り広げられるのである。当然ながら、セバスティアンは右往左往しまくるばかりだ。

そのはてに、ついに2人はカミンスキーの元恋人のところへたどり着く。それがどんな再会劇だったのかは伏せておくが、人生の哀切や年月の移ろいを感じさせる印象的なシーンだ。

同様にラストの海辺のシーンも、不思議な魅力を漂わせている。セバスティアンの明確な変化が描かれるわけではないが、少なくとも自分の成功の道具としか見ていなかったカミンスキーに対して、今までとは違った感情を持つに至ったことは間違いない。

主演のダニエル・ブリュールに加え、ドニ・ラヴァン、ジェラルディン・チャップリンチャップリンの娘)あたりの渋い演技も見ものだ。そして何よりもカミンスキー役のデンマークのベテラン俳優、イェスパー・クリステンセンの怪演ぶりが見事。

何とも人を食った奇想天外なロードムービー。作品そのものよりも話題性などでカリスマを作る美術界への批判や風刺も盛り込まれている。ストレートな感動はないものの、捨てがたい味わいを持つユニークな映画だと思う。

●今日の映画代、1500円。ユナイテッド・シネマの会員料金。ちなみに、劇中でテルミンの演奏が登場することから、上映終了後にマトリョミンアンサンブルユニット「ボル⑧」によるミニ演奏会あり。テルミンの音色って味があるなぁ~。

 

目指せ!?日本のマシュー・マコノヒー

 

今週はまだ映画館に行っていないので、映画レビューではなくちょっとコラム的なものを・・・。

俳優は役に入り込む。役作りのために過激なこともする。1983年のカンヌ国際映画祭パルム・ドールを受賞した今村昌平監督の「楢山節考」に出演した坂本スミ子は、老女を演じるために前歯を4本削ったという。何とも壮絶な役作りである。

こうした役作りに関する過激なエピソードは数多くある。そんな中でも、体重の増減は多くの俳優が行う役作りである。特に有名なのはロバート・デ・ニーロだろう。「レイジング・ブル」(1980年)では引退したボクサーを演じるために20キロ以上も体重を増やしている。また、「タクシードライバー」(1976年)では約15キロも減量したとされる。その他の作品でもたびたび体重を増減させている。

最近では何といってもマシュー・マコノヒーの減量がすごかった。「タラス・バイヤーズクラブ」(2013年)で、エイズ患者を演じるため21キロも減量した。それまでとは全く違う外見に驚かされたものである。いったいどんなダイエット法を実行したのだろうか。そのかいあって、この作品で彼は第86回アカデミー主演男優賞を受賞している。

日本の俳優も負けてはいない。第69回カンヌ国際映画祭「ある視点」部門で審査員賞を受賞した「淵に立つ」(2016年)に出演した筒井真理子は、映画の前半と後半で雰囲気を変えるために、撮影の3週間で13キロ体重を増減している。確かに見た目が前半と後半で全く違う。これまたかなりの荒業である。

さて、どうして体重の話を持ちだしたかというと、実はオレも減量中だからだ。もちろん役作りのためではない。最近体が重くてよく息が切れる。と思ったら、いつの間にか体重がベストより6キロも増えていたのだ。これはヤバイ。医者からもこれ以上増やすなと言われてしまった。さて、どうしたものか。そこで減量作戦を開始した次第である。

目下展開中の作戦は二つ。まずはウォーキングだ。目標は1日1万歩。だが、これがなかなか大変だ。距離にすると1日8~9キロ歩かねばならない。時間にしたら、なんだかんだで1時間はかかってしまう。

第二の作戦は、摂取カロリーを減らすこと。ここのところ、やたらに野菜サラダばかり食べている。何だかウサギになった気分である。細かく計算したわけではないが、現在の摂取カロリーはだいたい1日1500kcal程度だろう。成人男性の目安は2000~2300kcalらしいので、確実にそれを下回っている。

というと苦行を続けているようだが、実はそうでもない。オレは減量は得意なのだ。「やる!」と決めたら絶対にやる(ふだんはやらないが)。10年ほど前には2~3か月で約10キロの減量に成功したこともある。だから、今回もたぶん大丈夫。デ・ニーロやマコノヒーのことを考えれば、何のこれしき。うん。絶対にやれるさ。

と必死に自己暗示をかけつつも、一抹の不安も感じていたりするオレなのであった。

ちなみに、次の映画レビューは週末あたりに何とか書けるかなと・・・。

「スウィート17モンスター」

「スウィート17モンスター」
ヒューマントラストシネマ渋谷にて。2017年4月22日(土)午後12時30分より鑑賞(スクリーン2/F-10)。

自分がダメ人間だからだろうか、ダメ人間を描いた映画が大好きである。例えば、韓国のポン・ジュノ監督のデビュー作「ほえる犬は噛まない」。日本の山下敦弘監督の「もらとりあむタマ子」。どちらもイケてないダメ女の映画だ。前者はペ・ドゥナ、後者は前田敦子が演じた主人公のダメっぷりがハンパなく、それだけに彼女たちの一瞬の輝きや成長が胸にグッとくる作品だった。

そんなダメ女映画に新たな秀作が登場した。「スウィート17モンスター」(THE EDGE OF SEVENTEEN)(2016年 アメリカ)である。主人公の少女ネイディーンは当然ながらダメ女。しかも、17歳という微妙なお年頃。そんな彼女が、様々な出来事を通して成長する姿をユーモアとともに描いた青春映画だ。

冒頭のシーンから面白すぎる。教室に駆けこんできた彼女が教師のブルーナーに言う。「これから自殺するわ」。それを聞いたブルーナーは止めるどころか、「自分も自殺しようと思って遺書を書いていたんだよ」と言い放つ。なんというぶっ飛んだシーンだろう。このシーンを観ただけで、オレはこの映画が好きになってしまった。

それに続いてネイディーンの幼少期から今日までが語られる。「勝ち組」の兄ダリアンと対照的に、小さい頃からダメダメで学校ではいじめられっ子だったネイディーン。それでも、クリスタというたった一人の親友ができる。しかし、まもなく一番の理解者の父親が急死してしまう。

というわけで、現在のネイディーン(ヘイリー・スタインフェルド)は、イケメンのモテモテ男に成長した天敵の兄ダリアン(ブレイク・ジェナー)と対照的に、キスの経験さえないイケてない毎日を送る17歳の女子高生だ。いつも妄想だけが空まわりして、教師のブルーナー(ウッディ・ハレルソン)や母親(キーラ・セジウィック)を困らせている。そんなある日、あろうことか、たった一人の親友クリスタ(ヘイリー・ルー・リチャードソン)が、ダリアンとつきあい始める。ネイディーンは大いにショックを受けるのだが……。

この映画の最大の魅力は、なんと言っても主人公のネイディーンのキャラにある。イケてないダメ女などというと、無口で引っ込み思案な性格だと思うかもしれないが、ネイディーンは違う。ふてくされた顔でひたすら毒を吐きまくるのだ。彼女は自分の容姿や性格を嫌い、強烈な自己嫌悪に陥っている。そして嫉妬心、孤独感、不安感、反抗心など様々な感情を抱えている。それを周囲にぶつけまくるわけだ。突然、突拍子もない行動に打って出ることもある。これぞまさにタイトル通りのモンスターなのである。

ただし、観客はネイディーンを嫌いにはなれないだろう。何しろその言動が面白すぎるのだ。憎まれ口にもどこか愛嬌がある。それがたくさんの笑いを生み出している。だから、「困った子だな」と思いつつも、ついつい笑顔になってしまうのである。

おまけに、ネイディーンと似たように思いは誰もが一度は経験しているはずだ。この映画を観ているうちに、男女を問わずあの頃の自意識過剰の自分を思い出して、共感してしまうのではないだろうか。それもまたネイディーンを魅力的な存在にする。

それにしても、ネイディーンを演じたヘイリー・スタインフェルドが素晴らしすぎる。どこかで聞いた名前だと思ったら、コーエン兄弟の「トゥルー・グリッド」で父の復讐を狙う14歳の少女を演じたあの子ではないか! ただの一発屋の子役じゃなかったのね。彼女の絶妙の演技がこの映画をキラキラと輝かせている。こんなに魅力的なキャラはめったにない。

いかにも青春映画らしく、ノリノリの音楽でテンポよく描く演出も印象的だ。女性監督のケリー・フレモン・クレイグは、これが長編デビュー作だそうだが、セリフの面白さが光る脚本ともども、なかなかの才能の持ち主だと思う。

さて、親友と天敵である兄との交際発覚によって、一気に爆発してしまうネイディーン。彼女にとって、それは裏切り行為。それをきっかけに様々なハプニングが起きる。そこには2人の男の子も絡んでくる。1人はネイディーンに気がある(ただし、ネイディーンにとっては恋愛対象外)同級生で韓国系のアーウィン。もう1人は憧れのイケメンのニック。

そんな中、ネイディーンのちょっとしたミスによって、大変なことが起きて彼女はボロボロになる。それを救うのがブルーナー先生だ。この人の劇中でのネイディーンに対する絶妙な距離感が良い。実際にこんな先生がいたら、どんな生徒もちゃんと成長していきそうだ。演じるウディ・ハレルソンがいい味を出している。

というわけで、様々な出来事を通してネイディーンは成長する。その経緯に不自然さはない。もともと彼女には、「何とか自分を変えたい」「周囲とつながりたい」という気持ちがあったことが、そこはかとなく伝わってくる。例えば、パーティーに出かけて「リラックスして誰かに話しかけよう」と自分に言い聞かせてみたり、ブルーナー先生に「友達が一人もいないの。気にしてないけど」と話してみたり。そういう心の奥の声が聞こえてくるので、彼女の成長が自然に受け止められるのである。

ラストでは、それをくっきりとスクリーンに刻み付ける。ダリアン、母、クリスタ、そしてアーウィンとの新たな関係をさりげなく描き、観客を温かな気持ちにしてくれる。実に心地よく、胸にグッとくるエンディングだ。

ここ数年に観た青春映画の中でも、オレ的に間違いなく上位にランクされる作品である。

●今日の映画代、1300円。TCGメンバーズカードの会員料金。1年間の期限が4月末に切れるからまた加入しなくちゃ。

「SING シング」

「SING シング」
新宿ピカデリーにて。2017年4月20日(木)午後7時20分より鑑賞(スクリーン2/E-17)。

基本的に映画は一人で観る。別にそれがポリシーというわけではなく、一緒に観る相手がいないだけだ。ちっとも寂しくなんかないゾ!!(笑)

とはいえ、月に一度程度他人と一緒に映画を観ることがある。仕事を通じて知り合った映画好き3人とともに、自称「映画部」なるものを結成しており、そのメンバーで映画館に繰り出すのだ。もちろん鑑賞後は、感想を語り合う飲み会に突入する。

そこで問題になるのが作品選びだ。一応、最初はオレが目ぼしいものをピックアップして共有するのだが、上映スケジュールなどの関係で、予想もしない作品が浮上することがある。

今回の鑑賞作品も予想外のものだった。「怪盗グルー」シリーズや「ミニオンズ」のイルミネーション・エンターテインメントによるミュージカル・アニメ映画「SING シング」(SING)(2016年 アメリカ)である。

オレもなかなか面白いという評判は聞いていたのだが、もともとアメリカのアニメはほとんど観ないだけに(お金がないからそこまで手が回りません)、今回も自分から観ようという気は全くなかった。しかも、今回観ることになったのはオリジナル版ではなく、日本語吹替版だ。図らずも、こういう映画を鑑賞することになってしまうのが、グループ鑑賞の醍醐味かもしれない。

この映画のストーリーはシンプルだ。動物たちが人間と同じように暮らす世界。コアラのバスター・ムーンが支配人を務める劇場は潰れかけていた。バスターは劇場の再起を賭けて、歌のオーディションの開催を企画する。ところが、劇場で働くミス・クローリーのせいで募集チラシに2ケタ多い優勝賞金額が載ってしまう。おかげで劇場に応募者が殺到するのだが……。

落ちぶれた劇場支配人が、起死回生を狙ってオーディションを開く。ただそれだけなのに、あの手この手で楽しい映画に仕上げているから立派なものだ。全編を通して目を引くのは映像である。車の疾走シーンをはじめ、迫力あるシーンがテンコ盛り。もちろん動物たちの動きも、実に自然に仕上がっている。

ただし、登場人物(じゃなくて登場動物か?)のキャラ紹介と、ほんのワンフレーズ程度の歌が次々に披露されるオーディションシーンが中心の前半はやや退屈だった。小ネタで笑わせてくれるものの、物足りなさが残る。

それが中盤以降になると、俄然面白くなってくる。ユニークな面々のドラマが前面に出てくるのだ。25匹の子を育てるものの日常に飽き足らないブタさん主婦、歌は抜群に巧いのに極度のアガリ症のゾウ娘、父親に引き入れられたギャングの世界から足を洗いたいゴリラ青年、パンクロックを愛するハリネズミ・ガールなどの個性的なメンバーが、オーディションをきっかけに人生を変えようとするドラマ(=生き直しのドラマ)が展開するのである。

一方、劇場支配人のコアラにもドラマがある。スポンサー集めという難題が浮上し、大金持ちの元スターのおばあさんから、何とかお金を引き出そうとするものの、それがきっかけで大変なことが起きる。

それによってコアラはどん底に落ちるのだが、後半ではそこからの再起物語が描かれる(それには彼の亡き父との思い出なども絡んでくる)。これもまた定番とはいえ、それなりに観応えのあるドラマだと思う。

クライマックスは野外劇場での圧巻のショーだ。そこで披露される歌の素晴らしいこと。レディー・ガガビートルズフランク・シナトラなど新旧のヒットソングが、心を湧き立たせてくれたり、感動を運んでくれる。それまでは前半でワンフレーズ披露される程度なので、なおさらクライマックスの歌が盛り上がる仕掛けになっている。

ちなみに、日本語吹替版のキャストは、内村光良MISIA長澤まさみ大橋卓弥、斎藤司、山寺宏一坂本真綾田中真弓宮野真守大地真央水樹奈々など。彼らの歌声もなかなか見事だ。

ていうか、MISIA大橋卓弥の起用は反則でしょう(笑)。本職なんだから歌が歌いのは当たり前。むしろ印象的だったのは山寺宏一の芸達者ぶり。いやぁ~、本当に何でもできちゃう人だよなぁ。

ブタさん主婦の自己実現、ゴリラ青年の自立と父との絆の確認、ネズミ男(といっても妖怪ではない)のラブロマンスなど、様々な要素がポジティブに帰結して、ラストは大団円を迎える。誰でも温かな気持ちで映画館を後にできるはずだ。

シンプル過ぎるお話を、キャラの面白さを生かした小ネタと、過不足ない人間ドラマで盛り上げ、何よりも圧倒的な歌の魅力を見せつけてくれたミュージカル・アニメ映画。エンタメとしての完成度はかなり高いと思う。

それにしても、こうやって日本語吹替版を観たら、どうしてもオリジナル版が観たくなるではないか。オリジナル版のキャストは、マシュー・マコノヒーリース・ウィザースプーンセス・マクファーレンスカーレット・ヨハンソンジョン・C・ライリータロン・エガートンなどなど。彼らがどんな歌声を披露としているのか、気になるところである。

●今日の映画代、1500円。もう鑑賞券は売ってなかったのだが、新宿の金券ショップで招待券みたいなもの(株主向け?)を売っていたのでそれを利用。当日料金1800円に比べて300円節約!! でも、飲み代で吹っ飛んじまったぜ……。