映画貧乏日記

映画貧乏からの脱出は可能なのだろうか。おそらく無理であろう。ならばその日々を日記として綴るのみである。

「わたしは、幸福(フェリシテ)」

わたしは、幸福(フェリシテ)」
ヒューマントラストシネマ渋谷にて。2017年12月21日(木)午後1時40分より鑑賞(シアター2/H-10)。

寒い。半端なく寒い。何しろウチには電気ストーブ以外に暖房がないのだ。こう寒いとアフリカにでも行きたくなるが、そういうわけにもいかない。だいいちオレはアフリカのことをよく知らない。コンゴといわれても、どこにあるのか皆目見当がつかない。ただし、その首都のキンシャサという名前には聞き覚えがある。

1974年10月30日、ザイール共和国(現在のコンゴ民主共和国)の首都キンシャサで行われたプロボクシングWBAWBC世界統一ヘビー級タイトルマッチで、王者ジョージ・フォアマンと挑戦者モハメド・アリが対戦し、アリが劇的な逆転KO勝利をおさめた。これを「キンシャサの奇跡」と呼ぶ。

そのキンシャサを舞台にしたあるシングルマザーの物語が「わたしは、幸福(フェリシテ)」(FELICITE)(2017年 フランス・セネガル・ベルギー・ドイツ・レバノン)である。監督は、これが長編4作目のセネガル系フランス人監督アラン・ゴミス。第67回ベルリン国際映画祭銀熊賞審査員グランプリ)を受賞した。

主人公はフェリシテ(ヴェロ・ツァンダ・ベヤ)という女性。フェリシテというのは、タイトルにもあるように「幸福」という意味のようだ。生まれた時は違う名前だったが、幼い頃に一度死にかけた彼女に対して、幸せになるようにと改めてつけられた名前らしい。

だが、名前と裏腹に幸せとは縁遠い人生だった。キンシャサの酒場で歌いながら、夫と別れて一人息子を育てるシングルマザーのフェリシテ。お金に苦労しながら日々を過ごしていた。

映画の冒頭は酒場のシーンだ。賑やかな酔客たちの間で、フェリシテはほとんど表情を変えない。何やら不機嫌そうにも見える。ところが、ひとたび歌い出すとその雰囲気がまったく変わる。力強い歌声を発しながら、彼女は生き生きと輝いていくのだ。

だが、現実生活は厳しい。家では冷蔵庫が故障する。どうやらかなり古いものらしい。そこに修理にやってきたのはタブーという男。実はこの男、いつも酒場に入り浸り、酒癖&女癖が極端に悪い人物として知られていたのだ。

そんな中、病院からフェリシテに連絡が入る。息子が交通事故に遭い重傷を負ってしまったというではないか。慌てて駆けつけると血だらけの息子は大部屋に寝かされ、医師は手術が必要だと告げる。だが、そのためには手術代を前払いする必要がある。

フェリシテにそんな余裕はない。それでも愛する息子のために、彼女は必死で金策に走る。酒場の客などにカンパを募ったり、別れた夫や親戚に金を借りに行く。その中では、「葬式代なら出すが手術代なんて……」などという冷淡な言葉も浴びせられる。

こうして手術代をかき集めたフェリシテだったが、病院に行くとまたしても医師から衝撃の事実が告げられる。命の危険があったから、息子の足を切断してしまったというのである。フェリシテは絶望して歌が歌えなくなる。息子もショックで抜け殻のようになる。

ここまでのストーリーを聞くと、コンゴの医療制度などの社会問題を背景に、フェリシテの苦難を描く社会派ドラマに思えるかもしれない。たとえば、ダルデンヌ兄弟の作品のような。

確かにそうした要素も見られる。町を行くフェリシテの背景には、コンゴの街のようすや人々が頻繁に映し出される。そこには貧富の格差など、コンゴの今がクッキリと刻み込まれている。

だが、本作の核心は、やはりフェリシテの内面にある。無表情の奥にある微妙な心理の揺れ動きを、手持ちカメラやアップの多用によって繊細に描き出していく。光と闇を効果的に対比させるなど、細かな映像テクも駆使されている。

そして何よりも印象的なのが、フェリシテの夢などの鮮烈なイメージショットだ。特に夜の森の中の美しく妖しいシーンが秀逸である。そこに登場する不思議な生き物は、エンディング近くの酒場にも現れ、フェリシテの心情に寄り添う。

フェリシテの活力に満ちた歌と対になる形で奏でられる、現地のアマチュアによるオーケストラや合唱団の清らかな演奏も心にしみる。深い意味を持つらしい詩なども登場し、独特の情感を醸し出す。

同時に、それは今のコンゴのドラマという枠を越えて、本作をより根源的かつ普遍的なものへとつなげていく。悠久の歴史を持つアフリカの大地、神の存在、人間の生と死など様々なものがドラマの根底に垣間見えるのである。

運命に翻弄されて歌えなくなったフェリシテだが、最後には再生が訪れる。そこで大きな役割を果たすのが、タブーの存在だ。彼と接するうちに、フェリシテも息子も少しずつ心がほぐれていく。とはいえ、フェリシテと彼の関係はありきたりの男女関係ではない。タブーは最後まで酒癖の悪い好色男のままだ。それでも、2人の間には何やら温かな空気が流れる。

その温かな空気は、スクリーン全体を覆う。終盤でのフェリシテと息子、タブーのシーン。ほとんど笑顔を見せなかったフェリシテが、見せる笑顔が印象的だ。ラストで引用される詩も独特の味わいを生む。

主演のヴェロ・ツァンダ・ベヤは、これが初めての演技だということだが、力強い歌声はもちろん、多くのことを物語る眼の表情が素晴らしい。

ストレートな感動などは期待しないほうがいいだろう。どのようにも解釈できる抽象的な表現も多い。だが、ここにはアフリカ独特のリズムがある。音楽に身をゆだねるように観ていれば、一人の女性のリアルな生き方が自然に伝わってくるはずだ。

●今日の映画代、1300円。TCGメンバーズカードの会員料金で。

◆「わたしは、幸福(フェリシテ)」(FELICITE)
(2017年 フランス・セネガル・ベルギー・ドイツ・レバノン)(上映時間2時間9分)
監督・脚本:アラン・ゴミス
出演:ヴェロ・ツァンダ・ベヤ、ガエタン・クラウディア、パピ・ムパカ、カサイ・オールスターズ
ヒューマントラストシネマ渋谷、ヒューマントラストシネマ有楽町ほかにて公開中。全国順次公開予定
ホームページ http://www.moviola.jp/felicite/

 

「勝手にふるえてろ」

勝手にふるえてろ
2017年10月30日(月)第30回東京国際映画祭P&I上映にて鑑賞(TOHOシネマズ六本木ヒルズ スクリーン9)。

東京国際映画祭で上映される映画は、さすがに選りすぐりの映画だけにどれも見応えがある。その中でも、「これだ!」という映画に出会う喜びは無上のものである。昨年は「この世界の片隅に」が、そんな忘れられない一作となった。

そして、今年の第30回でオレが最も気に入った作品が、コンペティション部門に出品されて観客賞を受賞した「勝手にふるえてろ」(2017年 日本)である。正直ほとんど期待せずに、「コンペ作品だから一応観ておくか」的な考えで鑑賞したのだが、完全に予想を覆された。まさかこれほど面白い映画だとは思いもしなかった。

芥川賞作家・綿矢りさによる同名小説の映画化だ。主人公は24歳のOLヨシカ(松岡茉優)。恋愛に奥手で、いまだに中学時代に気になっていた男の子「イチ」(北村匠海)に10年間片思い中だ。といっても、中学ではほんの少ししか口をきいたことがないし、卒業後はまったく会ったこともない。完全な脳内だけの恋愛だ。

ところが、人生とはわからないものである。ある日、ヨシカは会社の同僚の「ニ」(渡辺大知)から突然告白される。正直なところ、「ニ」は暑苦しくて「イチ」とは正反対のタイプ。それでも、ヨシカは「人生で初めて告られた!」とテンションがあがる。

しかし、そこはさすがに屈折女子だ。「ニ」との関係にいまいち乗り切れないヨシカ。やはり「イチ」のことが忘れられないのだ。こうして脳内片思いとリアルな恋愛が同時進行する中で、ヨシカは「一目でいいから、今のイチに会って前のめりに死んでいこう」と考え、同級生の名をかたって同窓会を計画する。そして、やがてイチと再会するのだが……。

ヨシカのようなイケてない屈折した女性は、どこにでもいるだろう。脳内であれこれ考えてばかりで、実際に言葉にしたり、行動には移せない。自意識過剰でプライド過多。それゆえ周囲とはなじめずに、他人に対してどこか覚めている。

原作ではヨシカの独白でそれらを表現するのだが、それをいったい映画でどう観客に見せるのか。これは難しい問題だ。しかし、この映画は、それを見事にやり遂げている。

何よりも素晴らしいのが松岡茉優の演技だ。ヨシカの一人芝居のような場面が連続するのだが、それを圧倒的な存在感で演じ切る。その一挙手一投足、微妙な表情の変化、他人の言動に対するほんの短い反応など、完全にヨシカになりきった演技だ。本来なら、屈折したオタク女子のヨシカは目立たない存在。存在感とは無縁なはずだ。それにもかかわらず存在感がにじみ出てくる。こういう演技はそう簡単にできるものではない。名演といってもいいと思う。

大九明子監督の脚本と演出も素晴らしい。「イチ」と「ニ」の間で揺れ動くヨシカをユーモア満点に、ケレン味たっぷりに描いていく。例えば、ヨシカのキャラの組み立て方だ。彼女が愛好するのは地球から絶滅した動物たち。ネット通販でアンモナイトの化石まで購入する。こうしたディテールが抜群に面白く、しかもヨシカという人物を的確に表現している。

そして、もう一つ特筆すべき仕掛けがある。会社の同僚の来留美石橋杏奈)以外には誰にも本音を明かさないように見えるヨシカだが、なぜか街でいつも出会う人々(釣り人や駅員など)に気軽に近況を語りかける。一見、不自然にも思える光景だが、実はそこには大きなからくりがある。そのことが後になって判明するのだ。それが彼女の屈折ぶりと孤独をさらに強く印象付ける。原作にはない秀逸な仕掛けだ。

さらに、この映画にはヨシカがミュージカルのように心情をうたい上げるシーンがある。実のところオレは観賞中に、あまりにもスゴイはじけ方に爆笑して、「いっそミュージカルシーンでも出してくれないかな」と思ったのだ。そうしたら、アナタ、本当にやってくれるじゃありませんか。いやはやもう脱帽ですヨ。楽しすぎます。

まあ、とにかく、爆笑の映画である。ただし、単なるコメディーではない。恋愛や生き方の本質もちゃんと突いている。特に、同窓会をきっかけに、ヨシカの脳内における「イチ」との関係が変化するあたりからは、そうした色が濃くなってくる。

終盤でのヨシカの行動は極端だ。ある出来事からすべてが嫌になった彼女は、予想もしない行動をとる。それもまた笑いを誘うのだが、それだけでは終わらない。なぜなら、行動そのものは極端でも、その奥にある心情は誰もが持ち得るものだからだ。

様々な波乱の果てに、ラストには用意されたのはヨシカと「ニ」との名シーン。それは、風変わりなラブロマンスに落とし前をつけ、「勝手にふるえてろ」というタイトルにもつながるシーンだ。オレは無条件に感動し、心がポカポカと温まるのを感じてしまったのである。

爆笑のエンターティメントでありながら、今の時代の1人の女性の内面もきっちりと描き出した本作。個人的には、今年の邦画の上位にランクする映画である。一見、女性向けの映画のように思えるかもしれないが(ヨシカと共通する資質を持つ女性は多そうだし)、男性も十分に楽しめるはず。

東京国際映画祭では無料で鑑賞させてもらったが、自腹でもう一度観ようと思っている。それぐらい面白い映画だった。

●今日の映画代、関係者向けのP&I上映につき無料。

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◆「勝手にふるえてろ
(2017年 日本)(上映時間1時間57分)
監督・脚本:大九明子
出演:松岡茉優渡辺大知、石橋杏奈北村匠海趣里、前野朋哉、池田鉄洋古舘寛治片桐はいり
*新宿シネマカリテほかにて全国公開中
ホームページ http://furuetero-movie.com/

 

「ビジランテ」

ビジランテ
テアトル新宿にて。2017年12月17日(日)午後1時50分より鑑賞(E-11)。

どこの土地のどんな家に生まれるのかは選択のしようがない。それはあらがえない運命である。その運命に翻弄される兄弟を描いたのが、入江悠監督の「ビジランテ」(2012年 日本)だ。

政治的弾圧やテロからDVに至るまで、暴力を受けた人間は心に大きな傷を負い、それが新たな暴力を誘発する。暴力は間違いなく連鎖する。「ビジランテ」は、暴力の連鎖がテーマになった映画でもある。

とはいえ、暴力描写の激しさや凄惨さを強調しているわけではない。閉塞感漂う地方都市を舞台に、暴力の渦に巻き込まれていく三兄弟の愛憎のドラマを通して、人間の心の闇が異様な迫力で提示された映画なのだ。

映画の冒頭で描かれるのは、3人の少年が川を渡ろうとするシーンだ。それは神藤一郎、二郎、三郎の三兄弟。一郎はどうにか川を渡って、そこに何かを埋めるが(その時埋めたものがドラマの後半で印象的に使われる)、すぐに追ってきた父・武雄(菅田俊)によって3人は連れ戻される。そして始まる父による激しい暴力。直後に高校生の一郎は家を飛び出して行方不明になる。

それから30年後、地元ではアウトレットモールの誘致計画が進んでいる。有力者だった武雄が亡くなり、市議会議員の次男・二郎(鈴木浩介)は建設予定地に含まれている父の土地を巡って、先輩市議から何としてもその土地を相続するように命じられる。そこで彼は、デリヘルの雇われ店長をしている三男の三郎(桐谷健太)に連絡を取る。

そんな中、高校時代に行方をくらましていた長男・一郎(大森南朋)が30年ぶりに姿を現す。彼はなぜか武雄の署名入りの公正証書を持っていて、遺産相続を主張する。それが原因で二郎と三郎は、危険な立場に追い込まれていく……。

入江監督といえば、2008年の「SR サイタマノラッパー」が注目され、今では「22年目の告白 私が殺人犯です」などのメジャー作品も手がけるようになったわけだが、今回は久々のオリジナル作品だ。

おまけに舞台になるのは埼玉の地方都市。あくまでも架空の都市という設定だが、撮影しているのは入江監督の地元である埼玉県深谷市。その分、作家性が強く、新たな一面を見せつけられる作品になっている。

特に目を引くのが三兄弟の心理描写である。閉塞感漂う土地と、暴力的な父の呪縛から逃れられない3人それぞれの複雑な心理が、ぎくしゃくした関係の中から見えてくる。

一郎は多額の借金を背負っているのだが、遺産相続を主張するのはそのためではなく、父祖伝来の土地への執着があるようだ。そして、彼には父譲りの暴力の影が色濃くつきまとっている。

二郎はひたすら出世を目指し、都合の悪いことには目をつぶっている。その裏には、したたかにそれを後押しする妻(篠田麻里子)の存在がある。それでも、かつてはともに父の暴力の犠牲になった(そして実はともに抵抗も企てた)兄弟に対する消せない思いが、あちらこちららで見え隠れする。

三郎は基本的には優しい性格で、遺産争いなどよりも大事なことがあると信じている(そのことを口にする場面もある)。しかし、デリヘルの経営者である地元のヤクザに支配され、身動きが取れなくなっていく。

こうして、まったく違う世界で生きてきた三兄弟の欲望、プライド、兄弟の絆が絡み合い、ぶつかり合い、凄惨な事態へと突入していくのである。

このドラマをより説得力のあるものにしているのが、舞台となる都市の空気である。開発型の行政を進める市のリーダーたち、彼らとヤクザと警察との癒着体質。それらが暴力の連鎖の背景となる。二郎がリーダーを務める自警団の若者は中国人に偏見を持ち、彼らに激しい敵意を燃やす。それもまた暴力の連鎖の呼び水であると同時に、今の時代の空気が投影されている。

こうした地方都市のありようは、2011年の富田克也監督の映画「サウダーヂ」などとも共通するものを感じさせる。

三兄弟に地元ヤクザ、横浜のヤクザが入り乱れるクライマックスの展開は、やや都合よすぎの感もないではないが、暴力の連鎖というテーマをより際立たせることに成功している。ラストに待ち受ける悲劇もまた同様だ。

運命の糸に引きずられるように消えて行った者、それを断ち切って前進しようとする者、それぞれの結末は違っても、そこには何とも言えない寂寥感が漂うのである。

三兄弟を演じた大森南朋鈴木浩介桐谷健太はいずれも素晴らしい演技だ。特に大森南朋のバイオレンス男ぶりが、得体の知れなさを漂わせる。二郎の妻役の篠田麻里子市議のリーダー役の嶋田久作(殺したいぐらい憎たらしい!)などの脇役にも存在感がある。

三兄弟の物語といえば、ドストエフスキーの長編小説『カラマーゾフの兄弟』が思い浮かぶが、そうした重厚で骨太の古典小説と共通する資質が感じられる映画だ。昔の日本映画を想起させるような音楽の使い方も、いっそう重厚さを高めている。暗くて、救いのないドラマだが、最後まで目が離せなかった。

●今日の映画代、1300円。TCGメンバーズカードの会員料金で。

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◆「ビジランテ
(2017年 日本)(上映時間2時間5分)
監督・脚本:入江悠
出演:大森南朋鈴木浩介桐谷健太篠田麻里子嶋田久作間宮夕貴吉村界人、般若、坂田聡、岡村いずみ、浅田結梨、八神さおり、宇田あんり、市山京香、たかお鷹、日野陽仁菅田俊
テアトル新宿ほかにて公開中
ホームページ http://vigilante-movie.com/

「花筐/HANAGATAMI」

「花筐/HANAGATAMI」
第30回東京国際映画祭JAPAN NOW部門 P&I上映にて。2017年10月27日(金)鑑賞。

大林信彦監督といえば、「転校生」「時をかける少女」「さびしんぼう」の“尾道三部作”で知られる。郷愁たっぷりのそれらの作品だが、実はけっこうアバンギャルドな要素もあったりする。そして、そんなアバンギャルドさが、年をとるにつれてさらに顕著になっているのだ。

「花筐/HANAGATAMI」(2017年 日本)は、「この空の花 長岡花火物語」「野のなななのか」に続く“戦争三部作”の最終作に位置づけられる作品である。原作は檀一雄の同名小説。大林監督がデビュー作「HOUSE ハウス」以前に書き上げていた幻の脚本を、40余年の時を経て映画化したという。

戦争が本格化する前夜を舞台にした、瑞々しくもはかない青春ドラマである。

時代は1941年、春。主人公は、アムステルダムに住む両親のもとを離れて、唐津に暮らす叔母(常盤貴子)の家に身を寄せる17歳の青年・榊山俊彦(窪塚俊介)。新学期が始まり、彼は新たな学友たちと交流する。アポロ神のように雄々しい鵜飼(満島真之介)、虚無僧のような吉良(長塚圭史)、お調子者の阿蘇柄本時生)など。彼らに刺激を受け、彼らと“勇気を試す冒険”に興じる。

その一方で、俊彦は肺病を患う従妹の美那(矢作穂香)にほのかな思いを寄せる。また、彼女の女友達のあきね(山崎紘菜)や千歳(門脇麦)と青春を謳歌する。

本作の描写はリアルさとは縁遠い。俊彦、鵜飼、吉良、阿蘇ら登場人物のキャラは極端にデフォルメされている。演じる役者たちのセリフも大げさで、演技もオーバー気味だ。

そして何よりも映像が現実離れしている。佐賀県唐津を舞台にしながら、自然の風光美よりも、まるで舞台の書き割りのような人工的な装置を背景にした場面が多い。

そんな中で強烈な映像が次々に飛び出す。教室に舞う桜の花びら、空にかかる巨大な月、あまりにも鮮烈な血の色……。観ていてあっけにとられてしまうような、前衛的な映像世界である。

幻想世界のような街の様子なども印象深い。俊彦らが通う酒場などは、この世のものとは思えない妖しさにあふれている。

まさに大林監督ならではの唯一無二の世界だ。それによって観客はファンタジーの世界に引きずり込まれる。リアルさの欠如など気にならず、むしろ不思議な魅力にとりつかれてしまうはずである。

その中で描かれる青春群像は、至極真っ当なものだ。友情、恋愛など、思春期の若者たちが様々な葛藤を乗り越えて成長を示していく。特に、「生と死」に関する問題が彼らを大きく変えていく。結核で死期が迫る美那と俊彦との関係をはじめ、彼らの運命に波乱を生じさせる。

そんな「生と死」というテーマが戦争へとつながっていく。ドラマが進むにつれて、戦争の色はどんどん濃くなっていく。象徴的なのが、兵士の格好をした案山子がどんどん増殖していくイメージショットだ。それが実際の兵士へと変化する。

自らもまた兵士になり戦地に赴き、死んでいくという避けられない運命が、若者たちの生き様に影響を及ぼしていく。唐津くんちの場面でのけた外れの躍動感と、死の影の対比が胸に響いてくる。

「青春は戦争の消耗品ではない」という俊彦のセリフを待つまでもなく、終盤における大林監督の反戦への思いは明確だ。ファンタジーの世界を通して、あまりにもリアルな反戦メッセージを発している。その力強さにひたすら圧倒される。おそらく、大林監督は現在の日本を戦争前夜だととらえているのではないか。

ラストに描かれる後日談も心に残る。戦争の犠牲となった若者たちへの大林監督の鎮魂歌だろう。

最近の大林映画で見られたアバンギャルドさに、ますます磨きがかかっている。80歳を前にしてこの若々しさは驚嘆に値する。しかも、大林監督はガンで余命宣告を受けながら本作を完成させた。まさに渾身の一作。力強い反戦映画であると同時に、瑞々しい青春ドラマ、そして生と死をめぐる深い考察を秘めた作品でもある。必見!!

●今日の映画代、0円。関係者向けのP&I上映にて。

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◆「花筐/HANAGATAMI」
(2017年 日本)(上映時間2時間49分)
監督・脚本:大林宣彦
出演:窪塚俊介満島真之介長塚圭史柄本時生矢作穂香山崎紘菜門脇麦常盤貴子、村田雄浩、武田鉄矢入江若葉南原清隆根岸季衣池畑慎之介、原雄次郎、白石加代子片岡鶴太郎高嶋政宏品川徹、伊藤孝雄
有楽町スバル座ほかにて全国公開中
ホームページ http://hanagatami-movie.jp/

「ルージュの手紙」

ルージュの手紙
シネスイッチ銀座にて。2017年12月12日(火)午後6時50分より鑑賞(シネスイッチ1/E-8)。

もちろん、オレは母親でも娘でもないので(当たり前や!)、あくまでも間接的に見聞した範囲での話だが、母親と娘との間には微妙な関係性があるようだ。ましてそれが血のつながらない母娘なら、なおさら複雑な心理が両者の間に存在するのではないだろうか。

ルージュの手紙」(SAGE FEMME)(2017年 フランス)は、そんな血のつながらない母娘を描いた映画である。

主人公クレール(カトリーヌ・フロ)は、パリで助産師として働いている。病院は閉鎖が決まっていて、彼女はその後の身の振り方を決めかねている。また、彼女はシングルマザーで息子は医師を目指して勉強をしている。

そんなある日、突然、30年間姿を消していた継母のベアトリス(カトリーヌ・ドヌーヴ)から「重要で急を要する知らせがあるので会いたい」という電話が入る。自分が癌になったことから、生涯で唯一愛したクレールの父親にもう一度会いたいと思ったというのだ。だが、水泳選手だったクレールの父親は、ベアトリスが去った直後に自殺していた……。

というわけで、理由も告げずに父と自分を捨てたベアトリスに対して、クレールは憎しみを抱いている。とりあえず会うには会ったものの、その憎しみが消えることはない。

おまけに2人は正反対の性格をしている。ベアトリスは酒とギャンブルが大好きで、自由奔放に生きてきた。それに対して、クレールは真面目で、地味で、酒もたばこもやらない。そんな両者がぶつからないはずがないだろう。

ベアトリスに対して苛立ちを隠せないクレール。だが、困った人を放っておけない性格ゆえか、彼女を見捨てることもできない。戸惑いと苛立ちを抱えたままで、ベアトリスとの交流を続ける。そんなぎこちない交流を通して、クレールとベアトリスは少しずつ変化していく。

全く異質な2人が、過去を乗り越え、少しずつお互いを認め合っていく描写が、この映画の醍醐味である。とはいえ、劇的な変化のきっかけがあるわけではない。日常の様々なことが積み重なって、少しずつ変化していく。

しかも、2人は単純に距離を縮めるわけではない。接近したと思ったらまた離れ、離れたかと思ったらまた接近する。そんなふうに行きつ戻りつしながらドラマが進む。決定的な破局もなければ、劇的な和解もない。

こうした微妙な関係性を描くのはなかなか至難の業だろう。だが、「セラフィーヌの庭」「ヴィオレット ある作家の肖像」のマルタン・プロヴォは、それを繊細かつ巧みに描き出す。映画の冒頭ではアップを多用した映像で2人の内面を描くのかと思ったのだが、観ているうちにそう単純ではないことがわかった。その場その場にふさわしい視点で、しかもあちこちにユーモアを込めながら、2人の心理をすくい取るのである。

たとえば、いつも髪をひっつめ、化粧っ気のなかったクレールが、髪をおろして化粧をする。その背景には、家庭菜園仲間のポール(オリヴィエ・グルメ)という男性の存在もあるのだが、明らかにベアトリスに影響されていることが感じられる。デタラメではあるものの、「人生を楽しむ」ことに長けている彼女をクレールが認め始めていることが、そこはかとなく伝わってくるシーンである。

一方のベアトリスも、病に苦しむ中で、長年どこかに置いてきた親としての感情を思い出し、自分の過去の人生を省みるようになる。そんなわずかな変化が、彼女の言動からチラチラと見えてくる。

ベアトリスを演じるのは大女優のカトリーヌ・ドヌーヴヒョウ柄をゴージャスに着こなし(クレールの地味なコートと好対照!)、自由奔放さを全身で体現する。一方、クレールを演じるカトリーヌ・フロもフランスを代表する女優の一人。こちらは地味で意固地な女性を、抑制的な演技で見せていく。対照的な資質を持った、この2人の名優を起用したことが、間違いなく本作の最大の成功要因である。

終盤、クレールとベアトリスは一緒に、亡きクレールの父親の若き日のスライドを見る。そこに、彼とうり二つのクレールの息子が登場する。何とも心にしみる名シーンだ。

そして、最後には「ルージュの手紙」というタイトルの理由が明らかになる。明確なハッピーエンドではないものの、2人の新たな旅立ちを示唆する。温かな空気が流れて、清々しい余韻を残してくれるエンディングだ。

実は、この映画にはクレールの職業柄もあって、何度も出産シーンが登場する。それが何よりも、この映画にポジティブさをもたらしている。生への肯定と、ある種の女性讃歌が通底した映画だと思う。

まあ、何にしてもドヌーヴとフロという「2人のカトリーヌ」の演技を練るだけでも、十分に価値のある作品だろう。

●今日の映画代、1300円。ずっと前にアンケートに答えたらもらって割引券をようやく使用。

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◆「ルージュの手紙」(SAGE FEMME)
(2017年 フランス)(上映時間1時間57分)
監督・脚本:マルタン・プロヴォ
出演:カトリーヌ・フロ、カトリーヌ・ドヌーヴオリヴィエ・グルメ、カンタン・ドルメールミレーヌ・ドモンジョ、ポーリーヌ・エチエンヌ、オドレイ・ダナ
シネスイッチ銀座ほかにて全国公開中
ホームページ http://rouge-letter.com

 

「オリエント急行殺人事件」

オリエント急行殺人事件
ユナイテッド・シネマとしまえんにて。2017年12月10日(日)午後1時30分より鑑賞(スクリーン5/G-14)。

アガサ・クリスティーといえば、「ミステリーの女王」と呼ばれたイギリスの推理作家だ。その作品には何人かの名探偵が登場するが、個人的に最も親しみを感じるのはエルキュール・ポアロである。といっても小説をきちんと読んだ記憶はあまりなくて、昔、NHKで放送されていた海外ドラマ「名探偵ポワロ」の印象が強いのだが。

そんなポワロが活躍する名作ミステリーを映画化したのが、「オリエント急行殺人事件」(MURDER ON THE ORIENT EXPRESS)(2017年 アメリカ)だ。監督・製作・主演を務めるのはケネス・ブラナー。もともとはシェイクスピアの舞台劇の俳優で、その後映画にも活動の幅を広げ、名優としての地位を築いている。監督としても、「から騒ぎ」などたくさんの作品を送り出し、最近でも「シンデレラ」を手がけている。

ちなみに、「オリエント急行殺人事件」は、1974年にもシドニー・ルメット監督によって映画化されている。

主人公はおなじみの名探偵エルキュール・ポワロ。映画の冒頭で、彼の生き様を象徴する印象的なエピソードが描かれる。ポワロは朝食の2つのゆで卵の大きさが違っていることが、どうしても許せない。まさに完璧主義者というわけだ。そして自らも宣言するように、「この世の中には善と悪のどちらかしかない」と固く信じているのである。

ポワロは、エルサレムで教会の遺物が盗まれ、三大宗教の指導者に嫌疑がかかった事件を鮮やかな推理で解決する。それを披露するシーンで、早くもケネス・ブラナーならではの舞台劇のような迫力の演技が見られる。

事件解決後、休暇をとろうとしたポワロだが、イギリスでの事件解決を依頼され、急遽、豪華寝台列車オリエント急行に乗車することになる。まもなく列車は出発。その直後にポワロに話しかけてきたのは、アメリカ人富豪ラチェット(ジョニー・デップ)だ。彼は「脅迫を受けているから」とポワロに身辺警護を依頼する。しかし、ポワロはそれをあっさりと断る。

そんな中、深夜に雪崩で列車が脱線し、立ち往生してしまう。そして、その車内でラチェットが何者かに刺殺されているのが発見される。鉄道会社から調査を依頼されたポアロは、列車は雪に閉ざされており、犯人は乗客の中にいると確信し、聞き込みを開始する。

というわけで、名探偵ポワロが疑惑の乗客たちに話を聞くシーンが、このドラマの中心となる。教授、執事、伯爵、伯爵夫人、秘書、家庭教師、宣教師、未亡人、セールスマン、メイド、医者、公爵夫人、そして車掌という13人の乗客たちは、くせ者揃いだ。最初は乗客たちにはアリバイがあり、調査は暗礁に乗り上げるかに見える。だが、ポワロの名推理により、彼らの裏の顔が少しずつ明らかになる。

雪の中に閉ざされた列車内でのやり取りがスリルを高める。そして、ここでもケネス・ブラナーの圧倒的な演技力が、ドラマの展開の推進力になる。

それに対峙する乗客たちも、これまた名優や実力派俳優ばかりだ。ミシェル・ファイファーペネロペ・クルスウィレム・デフォージュディ・デンチジョシュ・ギャッドデイジー・リドリーなどなど。オレが大好きな映画「シング・ストリート 未来へのうた」で主人公が憧れる少女を演じたルーシー・ボイントンも、伯爵夫人として出演している。

何せ13人もいるので、一人ひとりの登場時間は短いのだが、その中できちんと自らが背負ったものを表現するのだから、たいしたものである。ベテランから若手まで、存在感あるキャストを揃えたことが、この映画の最大の勝因だろう。ポワロと彼らとの迫力の対決は観応え十分だ。

映像的にも見応えがある。列車が大自然の中を疾走する風景や、高い鉄橋の上で立ち往生した風景などをはさみこみ、さらに列車の外や屋根の上、さらに橋架の下へとカメラが移動して、観客を飽きさせない。登場人物を頭上からとらえた映像も印象的だ。アクションシーンもところどころに用意されている。

やがてこの殺人事件には、未解決の少女誘拐殺人事件が関係しているらしいことがわかる。そして、ついに明らかになる驚愕の犯人。

それをポワロが告げる波面は、実にケレン味にあふれた見せ場タップリのシーンである。まるで「最後の審判」のように、13人を横一列にテーブルを前に並ばせて、その前でポワロが真相を告げる。これもまた、舞台役者であるケネス・ブラナーにしかできない演出と演技ではないだろうか。

やがて列車は復旧して駅に着く。そこでポワルは大きな決断をする。ここで効いてくるのが、冒頭近くで彼が宣言した「この世の中には善と悪しかない」という信念だ。それが、今回の事件を経て変化したことが如実に示されるラストは、なかなかの味わい深さである。ポワロの人間的成長を、しっかりとスクリーンに刻みつけている。

さらに、最後の最後には気の利いたオマケが用意されている。ポワロにナイルで起きた殺人事件の話が持ち込まれる。とくれば、こちらも名作ミステリーの「ナイルに死す」が思い浮かぶ。なるほど、どうやら続編「ナイルに死す」の製作が、やはりケネス・ブラナーの監督・主演で決定しているらしい。そちらも楽しみである。

●今日の映画代、1500円。ユナイテッド・シネマの会員料金にて。

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◆「オリエント急行殺人事件」(MURDER ON THE ORIENT EXPRESS)
(2017年 アメリカ)(上映時間1時間54分)
監督・製作:ケネス・ブラナー
出演:ケネス・ブラナーペネロペ・クルスウィレム・デフォージュディ・デンチジョニー・デップジョシュ・ギャッドデレク・ジャコビレスリー・オドム・Jr、マーワン・ケンザリ、オリヴィア・コールマン、ルーシー・ボイントン、マヌエル・ガルシア=ルルフォ、セルゲイ・ポルーニン、トム・ベイトマンミシェル・ファイファーデイジー・リドリー
*TOHOシネマズ日劇ほかにて全国公開中
ホームページ http://www.foxmovies-jp.com/orient-movie/

「否定と肯定」

否定と肯定
TOHOシネマズ シャンテにて。2017年12月9日(土)午後1時50分より鑑賞(スクリーン1/D-11)。

世の中には、いまだに「地球が丸いというのはウソだ!」と言い張っている人がいるらしい。となれば、歴史的事実として認められていることを否定する人間がいても、驚くには値しないだろう。そういう連中のことを歴史修正主義者と呼ぶ。正確に言えば歴史捏造主義者、ないしは歴史歪曲主義者と表現する方が正しいようにも思えるのだが。

ナチスによるユダヤ人虐殺、いわゆるホロコーストを否定する連中も根強く存在する。そんな人物とユダヤ人女性の歴史学者との裁判闘争の行方を描いた、実話をもとにした映画が「否定と肯定」(DENIAL)(2016年 イギリス・アメリカ)である。

主人公はアメリカの大学で教鞭をとるユダヤ人女性の歴史学者デボラ・E・リップシュタットレイチェル・ワイズ)。彼女は、イギリスの歴史家デイヴィッド・アービングティモシー・スポール)が主張する「ホロコースト否定論」を看過できず、自著の中で彼の説を真っ向から否定する。

1994年、リップシュタットが講演をしていると、その会場にアービングが乗り込んでくる。彼は自説を滔々と述べたて、リップシュタットを攻め立てる。アービングがいかにくせ者で、厄介な存在かが即座にわかるシーンである。

だが、それはまだ序の口だった。アービングはなんとリップシュタットを名誉棄損で訴えたのだ。しかも、訴えた先はイギリスの裁判所。実は、イギリスの司法制度では、訴えられた側に立証責任がある。したがって、リップシュタットはアービングが唱える「ホロコースト否定論」を崩す必要があった。

そんな難しい裁判ではあるが、リップシュタットは受けて立つことにする。彼女は頑固で、自信家で、猪突猛進型の性格の持ち主だったのだ。まもなく彼女のためにイギリス人たちによる弁護団が組織される。

最初にリップシュタットが会ったのは、ダイアナ妃の離婚も担当したという、若くて優秀な弁護士のアンソニー・ジュリアス(アンドリュー・スコット)。ただし、彼は事務弁護士。イギリスの法廷で実際に弁護をするのは法廷弁護士の役目だという。

その法廷弁護士に就いたのはリチャード・ランプトン(トム・ウィルキンソン)。ベテランで実績充分の弁護士だ。だが、アウシュビッツの現地調査での行動などから、リップシュタットは彼に不信感を持つ。

そして、リップシュタットをさらにイラつかせる出来事が起きる。弁護士たちは裁判でホロコースト生存者ばかりか、リップシュタット自身にも証言させないというのだ。自らホロコーストの真実を証明したいと意気込んでいたリップシュタットにとって、それは耐えがたいことだった。たとえそれが裁判に勝つための最善の策だとしても……。

要するに、この裁判はイギリスの独特な司法制度のせいで、かなり屈折したものになったのだ。よくある法廷劇のように真実を追求する醍醐味も薄ければ、二転三転するスリルもそれほどない。お互いの細かな弱点を突き合う場面が多いのである。

だが、それでも観応えのあるドラマが展開する。その一つの要因は、法廷弁護士リチャードを演じるトム・ウィルキンソンと、ホロコースト否定論者アービングを演じるティモシー・スポールにある。前者が名優なら後者は実力派俳優。2人による緊迫感に満ちた演技対決から目が離せない。「ボディガード」で知られるミック・ジャクソン監督による演出、デヴィッド・ヘアによる脚本もなかなかのものだと思う。

そんな2人の対決のヤマ場か終盤に訪れる。アービングは「収容所にガス室など存在せず、遺体置き場兼防空壕だった」と主張する。それにリチャードが理詰めで挑んでいく。そこでは、裁判前にリチャードたちが行ったアウシュビッツでの現地調査が生きてくる。そうしたことを通して、リップシュタットとリチャードとの間には、強い絆が生まれていく。

そうなのだ。この映画は法廷劇であるのと同時に、それを通してリップシュタットが成長していく姿を描いた人間ドラマでもあるのだ。

最初は直情型で、頑固で、自信家だった彼女は、裁判の途中で弁護団の意向を無視して、ホロコーストの生存者に「証言をさせる」と勝手に約束してしまう。

だが、裁判が進むにつれて、自分の感情だけをぶつけても事態は良い方向に向かわないと理解し始める。ホロコースト否定論者に対峙するために、チームの仲間とともに、最善の道を模索することの重要性を知り始めるのである。

リップシュタットを演じたレイチェル・ワイズの演技もさすがだ。法廷では証言を許されないため、その表情だけで様々な感情を表現する。オスカー女優(「ナイロビの蜂」で第78回アカデミー賞助演女優賞)だけのことはある。

裁判の結果はどうなるのか。いったんリップシュタット側に有利に傾いたように見せて、その後の裁判長の言葉でハラハラさせるなど、終盤の展開もなかなかよく考えられている。

ドラマの最後には一応のカタルシスが用意されている。だが、お気楽なハッピーエンドにはなっていない。そもそもアービングの意図は、裁判で勝つ以上に自らをアピールする目ことにあったと推察される。であるならば、彼はある意味、目的を達したともいえる。歴史修正主義者が厄介な存在であることを、強く印象付けて映画は終わりを迎える。

ホロコーストに限らず、歴史を捻じ曲げようとする人間は、古今東西、様々な場所にいる。それだけに、誰にとっても無関係とはいえない作品だと思う。

●今日の映画代、1500円。事前にムビチケ購入済。

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◆「否定と肯定」(DENIAL)
(2016年 イギリス・アメリカ)(上映時間1時間50分)
監督:ミック・ジャクソン
出演:レイチェル・ワイズトム・ウィルキンソンティモシー・スポールアンドリュー・スコット、ジャック・ロウデン、カレン・ピストリアス、アレックス・ジェニングス
*TOHO シネマズ シャンテほかにて全国公開中
ホームページ http://hitei-koutei.com/