映画貧乏日記

映画貧乏からの脱出は可能なのだろうか。おそらく無理であろう。ならばその日々を日記として綴るのみである。

「ちいさな独裁者」

「ちいさな独裁者」
ヒューマントラストシネマ有楽町にて。2019年2月10日(日)午後2時40分より鑑賞(スクリーン1/D-13)。

~成りすましの独裁者とそれに同調する人々。今の時代に通じる実話

ナチス・ドイツをめぐる映画が、相変わらずたくさんつくられている。それは、起きた出来事の衝撃の大きさだけでなく、そこに今に続く問題を秘めているからだろう。

そんなことを、あらためて思わせられた映画が、「ちいさな独裁者」(DER HAUPTMANN)(2017年 ドイツ・フランス・ポーランド)だ。監督・脚本のロベルト・シュヴェンケは、「フライトプラン」(2005年)、「RED/レッド」(2010年)などハリウッド映画の監督として活躍してきた人。それがなぜ、母国ドイツでこの映画を撮ったのか。観終わると、一目瞭然で理由がわかるのである。

ナチスを描いた映画では、虐殺が取り上げられることが多い。本作にも虐殺が登場する。ただし、それは悪名高きユダヤ人虐殺ではない。脱走などの軍旗違反をしたドイツ軍兵士に対する虐殺だ。

映画の冒頭、一人の若き兵士が必死の形相で追っ手から逃げ回る。彼の名前はヘロルト(マックス・フーバッヒャー)。部隊から脱走してきたのだ。時は第二次世界大戦末期の1945年4月。敗色濃厚なドイツ軍では、彼と同じように脱走などの兵士による軍規違反が続発していた。

冒頭のヘロルトの顔は薄汚れ、表情は歪み、目だけが異様に白く光っている。まさに命からがらの、ギリギリの状態だ。その表情が、やがて一変する。

ヘロルトは無人の荒野をさまよう。そして、たまたま道に乗り捨てられた車の中から、軍服を発見する。それは小柄なヘロルトにとって、かなり大きな軍服だったが(邦題の「ちいさな独裁者」はここから来ているのだろう)、寒さに震えるヘロルトは背に腹は代えられずその軍服を身につける。

その直後にヘロルトはある男と出会う。彼は「自分は部隊からはぐれた兵士だ」という。本当かどうかはわからない。もしかしたら、彼も脱走兵かもしれない。だが、男はヘロルトを大尉と勘違いして、ひたすらへりくだる。それを見たヘロルトは、これ以降、大尉として振る舞うようになる。

その兵士を部下に従えたヘロルトは、その後も道中で出会った兵士たちを言葉巧みに服従させて、部下にしていく。さらに、総統直々の命を受けたとする“特殊部隊H”のリーダーと称するようになる。

ヘロルトが自ら大尉に成りすましたのではなく、出会った相手の態度がきっかけでそうなったという展開が興味深い。制服=権威に弱い人々と、それに乗せられてますます増長する権力者という構図は、今も何ら変わることがないだろう。つまり、このドラマは単なる歴史ドラマではなく、現在の社会にも通じるドラマなのである。

それでも前半は、ヘロルトにとって何度かピンチが訪れる。「もしかしたら成りすましがバレるのではないか」というピンチだ。そのハラハラ感を観客にも同時体験させるあたりは、さすがにハリウッドのエンタメ映画で鍛えられたシュヴェンケ監督らしさを感じさせる。

スリリングな演出、そして独特の映像が印象深い。カラーではあるのだが、モノクロに近いような暗く、くすんだような映像だ。それが緊迫感を高めるのとともに、当時の時代が持つ重い雰囲気と不気味さを煽るのだ。

ドラマの転機になるのは、ヘロルトたち一行が、脱走兵などの軍規違反者を収容した収容所を訪れたこと。そこで、ヘロルトはますます増長し、独裁者としての振る舞いをエスカレートさせる。何しろ彼の命令は、総統=ヒトラーの命令なのだ。

そして、ここでも周囲が彼を持ち上げる。もともと現場の軍人たちは、裏切り者の囚人たちを憎み、世話をするのが面倒になり、早く処刑したいと考えていた。そこにヒトラーの命を受けた男がやってきたのだ。まさに渡りに船ではないか。

こうして、すっかり暴君へと変貌を遂げたヘロルト。その表情は、あの脱走時のものとは似ても似つかなかった。自信に満ち、冷酷で、独裁者そのものの顔になっている。

そして、ついに彼は大量殺戮へと暴走を始める・・・。

その場面は背筋が凍るほどの恐ろしさだ。バタバタと人が死ぬ場面を直接見せるだけでなく、半死の人のうめき声を聞かせるなどして、そのおぞましさを描き出す。仲間に命じて、そんな半死の人間にとどめを刺させるヘロルトの表情も、これまた恐ろしい。人間ではなくモンスターさえ想起させる。

その後も彼の蛮行は続く、空襲によって危うく命を落としかけたのちは、今度は街に出て蛮行を働く。はたして、彼が裁かれ日は来るのか。

と書いてみたが、実のところ、この話は架空の話ではなく、実話をもとにした映画だ。ヘロルトの暴走は実際の出来事だったのだ。それを聞いて、ますます怖くなるではないか。

弱々しい脱走兵が、いつの間にやら残虐な独裁者に変貌するというだけでも恐ろしい話だが、それに周囲の人々が同調し、彼の権威を利用するというのがもっと恐ろしい。ヘロルトに盲従した人々の中には、彼が偽者ではないかという疑念を持っていた人もいたように感じられる。だが、それでも自らの損得のために、彼を受け入れたのである。

この映画は、ぜひエンドロールまできちんと観てもらいたい。そこで描かれるのは、まるで悪ふざけのようなヘロルトたちの振る舞いだ。だが、その舞台をよく観て欲しい。そこは、まがいもなく現代のドイツなのだ。

ここに至って、シュヴェンケ監督がこの映画を撮った理由がクッキリとわかるだろう。へロルたちがやったことは、今の社会でも起こりうることなのだ。いや、現実にすでに起きているのではないか。シュヴェンケ監督はそこに危機感を抱き、何が何でも世界に訴えたかったのだろう。

それは今の日本とも無縁ではないのではないか。長期政権の某首相に忖度して、ウソや不正がまかり通る世の中なのだから。

暗く重く、目をそむけたくなるシーンもある映画だが、ぜひとも今観るべき作品だと思う。

 

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◆「ちいさな独裁者」(DER HAUPTMANN)
(2017年 ドイツ・フランス・ポーランド)(上映時間1時間59分)
監督:ロベルト・シュヴェンケ
出演:マックス・フーバッヒャー、ミラン・ペシェル、フレデリック・ラウ、アレクサンダー・フェーリング、ベルント・ヘルシャー、サッシャ・アレクサンダー・ゲアサク、ザムエル・フィンツィ、ヴォルフラム・コッホ
*ヒューマントラストシネマ有楽町、新宿武蔵野館、YEBISU GARDEN CINEMAほかにて公開中
ホームページ http://dokusaisha-movie.jp/