映画貧乏日記

映画貧乏からの脱出は可能なのだろうか。おそらく無理であろう。ならばその日々を日記として綴るのみである。

「こんな夜更けにバナナかよ 愛しき実話」

「こんな夜更けにバナナかよ 愛しき実話」
シネマ・ロサにて。2018年12月29日(土)午後3時30分より鑑賞(シネマ・ロサ1/D-9)。

~笑いと押しつけがましさのない感動。難病患者と周囲の人々のドラマ

いよいよ年末。今年もたくさんの映画を鑑賞したのだが、鑑賞ペースは以前に比べて落ちている。大口の仕事を失くして新しい仕事を獲得したかったのだが思うようにいかず、「暇はあるが金がない状態」がエスカレートしてしまったのだ。来年は何とかしないとなぁ~。

さて、今年最後の鑑賞となった作品は「こんな夜更けにバナナかよ 愛しき実話」(2018年 日本)である。北海道札幌市で自立生活を送り2002年に亡くなった筋ジストロフィー患者とボランティア、家族の姿を描いたノンフィクション『こんな夜更けにバナナかよ 筋ジス・鹿野靖明とボランティアたち』(文春文庫刊)の映画化だ。ちなみにこの本は、大宅壮一ノンフィクション賞講談社ノンフィクション賞をダブル受賞している。監督は「陽気なギャングが地球を回す」「ブタがいた教室」などの前田哲。

北海道札幌市。34歳の鹿野靖明(大泉洋)は幼い頃から難病の筋ジストロフィーを患い、今では体で動かせるのは首と手だけ。そのため24時間体制の介助が必要だった。ところが彼は医師の反対を押し切って、病院ではなく市内のケア付き住宅で、大勢のボランティアに囲まれて自立生活を送っていたのだ。

難病患者が主人公のドラマといえば、お涙頂戴の情感過多のドラマかお説教臭いドラマを思い浮かべがちだが、この映画にはそんなところがまったくない。それというのも主人公の鹿野が強烈キャラだからだ。

鹿野のボランティアに対する振る舞いは、わがまま放題だ。その端的な例が、タイトルにあるように深夜にバナナを買って来いという要求。その犠牲になるのが美咲(高畑充希)だ。恋人でボランティアの一人の医学生の田中(三浦春馬)を訪ねてきた彼女は、鹿野から新人ボランティアと誤解され、バナナを買いに走らせられることになる。

こんなふうだから、最初のうち鹿野はとんでもない人間にしか見えない。だが、その印象が少しずつ変わってくる。その大きな理由は、やはり大泉洋が演じているからだろう。何をやっても、どこか憎めない感じが漂うのは、彼の演技によるところが大きい。そんな鹿野の言動をコミカルに描くものだから、腹立たしさや嫌悪感を越えて、ついつい笑ってしまうのである。

そして何よりも、ドラマの進行とともに彼の言動の背後にあるものが、チラチラと見えてくる。一見ただのわがままな障がい者にしか見えない鹿野だが、その裏では様々な苦悩や葛藤を抱え、それでもそれを乗り越えてポジティブに生きようとしていることがわかるのだ。

障がい者も健常者と同じように生きたい」という強固な意志を持ち、英検2級を取ってアメリカに行きたいと希望する鹿野。そのポジティブさは、ボランティアたちにも影響を与える。それが彼らの人生を少しずつ動かしていく。

医学生の田中は劇中で恋人の美咲に対して優柔不断な態度をとり、進路に迷う。一方、美咲は大学生だと偽って、田中とつきあっている。そんなふうに素直に生きられない人々が、鹿野と触れ合うことで少しずつ変化していく。田中に対して鹿野が「健常者が生きるのも大変だな」と同情するシーンが何とも面白い。

そこには鹿野のロマンスも絡んでくる。美咲はわがままな鹿野に反発するが、鹿野はそれが「グッとくる」と好きになってしまう。その後、2人は衝突しながらも心を通わせていく。それを見ている田中は気をもむ。そのあたりの紆余曲折のロマンス劇も、このドラマの見どころの一つだ。

とにかく本音全開で生きる鹿野だが、実はそれができないこともある。それは両親、特に母親(綾戸智恵)との関係だ。鹿野はひたすら母親を邪険に扱い、遠ざけようとする。観ていて違和感を禁じ得なかったのだが、中盤になってその裏にある親子それぞれの愛にあふれた感情が明らかになる。幼い頃からの経緯をケレンたっぷりに見せて、観客の涙を誘う。このあたりの展開もなかなか巧みな作劇である。

後半は、鹿野のさらなる奮闘が描かれる。病状の進行とともに人工呼吸器をつけざるを得なくなるのだが、そこで彼は奇跡のような出来事を起こす。ここまでくると、もはや無条件に「凄い奴だ」と感服するしかない。同時にボランティアたちの奮闘ぶりにも頭が下がる(とはいえ、思うようにいかない現実もちゃんと見せるのだが)。その一方で、その後のパーティーで波乱を起こし、彼の人間臭さを見せる。

それにしても気になるのはエンディングだ。結局のところ、実際の鹿野氏はすでに亡くなっているわけで、はたしてそれをどう見せるのか。そこがとても気になったのだが、心憎いエンディングが用意されていた。両親の姿を通して親子の絆の強さを示すとともに、田中と美咲のその後を描いて温かな余韻を残す。特に劇中で何度か登場していた「カラオケ」に関するエピソードを、ここに持ってきたのにはうならされた。

大泉洋以外の役者も充実した演技だ。個人的に高畑充希の演技力の高さは以前から評価していたが、今回も美咲の変化を見事に体現していた。その相手役の三浦春馬、ボランテイア役の萩原聖人渡辺真起子宇野祥平、両親役の竜雷太綾戸智恵、医師役の原田美枝子、看護師役の韓英恵などもすべて存在感を発揮している。

いわゆる難病もののイメージとは全く違うドラマだ。楽しく笑い、押しつけがましくない感動を味わい、人生や人と人とのつながりなどについてもちょっぴり考えさせられる。今年の締めくくりとしては、なかなか味わい深い映画だった。

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◆「こんな夜更けにバナナかよ 愛しき実話」
(2018年 日本)(上映時間2時間)
監督:前田哲
出演:大泉洋高畑充希三浦春馬萩原聖人渡辺真起子宇野祥平韓英恵、宮澤秀羽、矢野聖人、大友律、中田クルミ、古川琴音、爆弾ジョニー、竜雷太綾戸智恵佐藤浩市原田美枝子
新宿ピカデリーほかにて全国公開中
ホームページ http://bananakayo.jp/

 

「2018邦画大忘年会」

12月15日(土)から2019年1月10日(木)まで、テアトル新宿では「2018邦画大忘年会」を開催中だ。今年の日本映画で話題になった映画を、とっかえひっかえ上映するという豪華企画である。

上映されるのは、「犬猿」「リバース・エッジ」「素敵なダイナマイトスキャンダル」「娼年」「孤狼の血」「海を駆ける」「焼肉ドラゴン」「カメラを止めるな!」「パンク侍、斬られて候」「菊とギロチン」「君が君で君だ」「きみの鳥はうたえる」「寝ても覚めても」「泣き虫しょったんの軌跡」「愛しのアイリーン」「止められるか、俺たちを」など。

なぜこの年末年始に、こんな企画が実現したかというと、実はこの間に本当は、あの大ヒットアニメ「この世界の片隅に」の長尺版が公開される予定だったのだ。今回はオリジナル版で省略されたエピソードなどもきっちり盛り込まれるということで、各方面からの期待も高かったのだが、残念ながら製作に予定以上の時間がかかるとのことで、公開が延期になってしまった。そのためポッカリとスケジュールが開いてしまったのである。

だが、そこはさすがに邦画の老舗映画館、テアトル新宿だ。通常では考えられない大型企画を実現させた。転んでもただでは起きなかったのだ。

そして昨日(28日)は、「菊とギロチン」の上映があった。オレも製作費をカンパした作品。もうすでに何度か鑑賞しているものの、これを逃せばおそらく大スクリーンで観る機会はそうはないと思ったので出かけてきた。

今さらだが、何度観ても素晴らしい青春ドラマだった。3時間9分の上映時間だがまったく長く感じない。そして、スクリーンを覆う圧倒的なパワーが観客にも伝播する。こういう作品に多少なりとも関われたのは、オレにとって実に幸運なことだった。

上映後には舞台挨拶が行われた。瀬々敬久監督、韓英恵をはじめ出演者やスタッフが様々なコメントを残した。ユーモアにあふれた話もあれば、感極まって涙する人も・・・。この映画に対するみんなの思い入れの強さが伝わってくる舞台挨拶だった。オレにとっても、生涯忘れられない映画になった。

それ以外にも、様々な作品が1月10日まで上映されている。ほとんどの作品を鑑賞したが、どれも見どころタップリの充実した作品だ。正直なところ日本映画を取り巻く環境はなかなか厳しい。そんな中でも、これだけの作品が揃ったのは凄いことかもしれない。

機会があればぜひ劇場へ。「ボヘミアン・ラプソディ」もいいけど邦画もね!

 

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「メアリーの総て」

「メアリーの総て」
シネマカリテにて。2018年12月25日(火)午後1時30分より鑑賞(スクリーン2/A-5)。

~『フランケンシュタイン』の著書の人生を通して描く女性の自立への闘い

ホラー映画などでおなじみのフランケンシュタインの怪物。そのもとになったのが、19世紀に書かれたゴシック小説の古典『フランケンシュタイン』(原題は『フランケンシュタイン、あるいは現代のプロメテウス』:Frankenstein: or The Modern Prometheus)だ。

その作者が女性だというのは何となく知っていたのだが、どんな人物かはまったく知らなかった。そんな中、作者である19世紀の女流作家メアリー・シェリーの人生を描いた映画が公開された。「メアリーの総て」(MARY SHELLEY)(2017年 イギリス・ルクセンブルクアメリカ)である。

舞台は19世紀のイギリス・ロンドン。思想家で小説家(書店も経営している)のウィリアム・ゴドウィン(スティーヴン・ディレイン)を父に持ち、小説家を夢見るメアリー(エル・ファニング)が主人公だ。彼女は怪奇小説が好きで、墓場によく足を運ぶ。なぜかというと、そこに思想家だった母が葬られているからだ。母はメアリーを生んですぐに死んでしまった。そのことが、彼女の心に大きな影を落としていた。

おまけに、その後に父と結婚した継母とメアリーは折り合いが悪い。そのため、ある時、見かねた父によって彼女は、スコットランドの父の友人の家に預けられてしまう。メアリーは屋敷で開かれた読書会で、「異端の天才詩人」と噂されるパーシー・シェリー(ダグラス・ブース)と出会う。

このパーシーという男、見るからに女にモテそうなルックスなのだ。おまけに、若者らしく自由でラジカルな言動を繰り返す。そりゃあ、メアリーでなくても好きになってしまうわけですヨ。

その後、メアリーはロンドンに戻るのだが、まもなくパーシーは「ゴドウィン氏の弟子になりたい!」と言ってやってくる。こうして2人は恋に落ちる。ところが、パーシーには妻子がいることが発覚! 周囲の猛反対もあって、いったん恋心が覚めかけるメアリーだが、結局は情熱に身を任せて2人で駆け落ちしてしまうのだ。

いや、2人ではなかった。メアリーの義妹クレア(ベル・パウリー)も一緒だった。彼女も何かと口うるさい母を嫌い、自由を求めて家を出ることにしたのだ。

ところで、クレアを演じたベル・パウリー。どこかで見たと思ったら、青春ラブ・コメディ「マイ・プレシャス・リスト」(2016年)で、主人公のこじらせ系女子を演じたコではないか。今回はまた違った雰囲気を漂わせています。

さてさて、こうしてメアリーとパーシーが幸せになるかと思いきや、そんな安直な展開にはならない。現実は厳しいのだ。パーシーは自由恋愛を標榜して、クレアとも怪しげな関係になる。金銭的にも親に感動されたり、勝手に親の財産を担保に入れたりして、波乱続きの日々を送る。

そんな中、メアリーは妊娠して娘を出産。ようやく幸せを手に入れるかと思いきや、借金の取り立てから逃れる途中で娘は死んでしまう。こうして彼女は心にぽっかりと穴が開いてしまう。

この映画の監督は長編デビュー作「少女は自転車にのって」が第86回アカデミー外国語映画賞にノミネートされたハイファ・アル=マンスールサウジアラビア初の女性監督の彼女は、この物語を『フランケンシュタイン』誕生の過程を追う伝記という切り口ではなく、普遍的な青春ドラマとして描く。がんじがらめの現状から脱出して、自由に羽ばたこうと思うものの、現実の壁にぶち当たって葛藤する若者。そんな視点から、メアリーの人生のドラマを紡ぎ出すのである。

演出は正攻法。その中で美しく格調高い映像が際立つ。一歩間違えば、夫婦のドロドロのバトルになりそうな素材だが、けっしてそうはさせない。メアリーが書く文章やパーシーが作った詩などを随所に挿入して、それぞれの心理を映し出す手法も効果的だ。メアリーの悪夢を映像で見せるあたりの仕掛けもぬかりがない。

そして何よりも、この映画の魅力は普遍的な青春ドラマであるのと同時に、女性の自立への戦いでもある点だろう。思うに任せぬ現実の中、苦悩するメアリーだが、ついに自立へのきっかけをつかむ。それは有名な詩人バイロン卿(コイツがまた、とんでもないエキセントリックなキャラなのだ)の別荘にパーシーやクレアとともに滞在した時のこと。バイロンから、「みんなで1つずつ怪奇談を書いて披露しよう」と持ちかけられる。何でも、この事実は「ディオダディ荘の怪談談義」として文学史的に有名な話らしい。

というわけで、このあたりでは『フランケンシュタイン』誕生の裏話的な面白さもある。そこに至る前フリとして、電気によって死体を生き返らせるショーなどのエピソードも登場する。また、同じくバイロン卿の別荘に滞在していた医師のジョン・ポリドリは、「ディオダディ荘の怪談談義」によって『吸血鬼』を書き上げている。

ちなみに、ジョン・ポリドリを演じるのは、「ボヘミアン・ラプソディ」でドラマーのロジャー・テイラーを演じたベン・ハーディ。何だかユニークなキャストの多い映画です。

こうしてメアリーは、これまでの苦闘の人生を託して一気に文章を書き上げる。『フランケンシュタイン』の完成である。その時、メアリーは何とまだ18歳! だが、彼女の苦闘は続く。今度は出版社との闘いだ。そこでもまた大きな偏見や障壁が、彼女のゆく手を阻む。それでも彼女は前に進もうとする。

ラストは父との関係、そしてパーシーとの関係に新たな展開をもたらすとともに、彼女がついに自立を勝ち得たことを強く訴える。これこそが、ハイファ・アル=マンスール監督が、最も描きたかったことなのではないだろうか。まだまだ女性の社会進出が困難なサウジアラビア出身の監督だけに、おそらくメアリーの苦闘に現代の女性を重ね合わせているに違いない。その点において、このドラマは#MeToo運動が盛り上がった今の時代とも、確実につながっているのだと思う。

それにしても主演のエル・ファニングの堂々たる演技!! 子役から出発して今や貫禄さえ感じさせる演技。まだ20歳だというのに、こんな演技をしてこの先どうするのだ? と、変な心配をしてしまうほどの圧巻の演技である。それを見るだけでも十分に元の取れる作品だと思う。

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◆「メアリーの総て」(MARY SHELLEY)
(2017年 イギリス・ルクセンブルクアメリカ)(上映時間2時間1分)
監督:ハイファ・アル=マンスール
出演:エル・ファニング、ダグラス・ブース、スティーヴン・ディレインジョアンヌ・フロガット、ベン・ハーディ、メイジー・ウィリアムズ、ベル・パウリー、トム・スターリッジ
シネスイッチ銀座、シネマカリテほかにて公開中。全国順次公開予定
ホームページ https://gaga.ne.jp/maryshelley/

「マイ・サンシャイン」

「マイ・サンシャイン」
シネクイントにて。2018年12月23日(日)午後2時40分より鑑賞(スクリーン2/E-5)。

~巻き込まれた家族を通して見える暴動のリアル

1992年、アメリカ・ロサンゼルスでは、人種差別を背景にした事件がきっかけで大暴動が発生した。いわゆる「ロス暴動」である。この事件に遭遇した人々を描いたドラマが、「マイ・サンシャイン」(KINGS)(2017年 フランス・ベルギー)である。

監督のデニズ・ガムゼ・エルギュヴェンはトルコ生まれ。前作の長編デビュー作「裸足の季節」(2015年)は、古い慣習や封建的な思想が残るトルコの田舎町に生きる5人姉妹の青春を描いたドラマで、アカデミー外国語映画賞にノミネートされるなど高い評価を受けた。

そのエルギュヴェン監督が、2005年にパリで黒人暴動に巻き込まれたのをきっかけに、ロス暴動の現場に出かけて、この物語を着想したという。

そんな経緯に加えて予告編や邦題のイメージから、明確に人種差別問題を打ち出した作品か、あるいは感動のヒューマンドラマを予想したのだが、実際に観てみたらそれとはかなり趣が違っていた。社会的なテーマ性や安直なヒューマンドラマを前面に出した映画ではない。だからこそ、様々なことが伝わってくるドラマなのである。

冒頭に描かれるのは、ロス暴動のきっかけとなった1991年に起きた2つの事件だ。15歳の黒人少女が万引き犯と間違えられて韓国系の女店主に射殺されたラターシャ・ハーリンズ射殺事件。そして、黒人男性が白人警官たちから暴行を受けたロドニー・キング事件である。前者の事件では、被告に保護観察処分と500ドルの罰金という甘い判決が下る。そのため黒人を中心に大きな怒りが人々の間に渦巻く。

そして、ロドニー・キング事件の裁判が始まる。このドラマには、随所にその裁判の経過が挟み込まれる。

前半で描かれるのは、黒人女性ミリー(ハル・ベリー)一家のキラキラした日々だ。ミリーは、家族と一緒に暮らすことができない子供たちを引き取って育てていた。貧しくてミリー自身もバイトを掛け持ちするような生活だったが、それでも子供たちはミリーの大きな愛情に包まれて幸せに暮らしていた。

印象深いのは、ミリーが子供たちを朝、起こすシーンだ。いかにも「可愛くて仕方がない」といったふうに、足をなめながら一人ひとり優しく起こしていく。多少の問題はあっても強い愛情でつながった一家なのである。

そんな家族の風景の中には、隣人のオビー(ダニエル・クレイグ)もいた。彼はやんちゃな子供たちを怒鳴りつけ、時には狂犬のようにふるまう。だが、やがて、一家を見守る存在であることが明らかになる。

ある時、やんちゃが過ぎた子供たちをミリーが叱ったことから、子供たちは行方不明になってしまう。必死で行方を捜すミリー。ところが、何と子供たちはオビーの家で楽しく過ごしていたのだ。オビーは子供たちと一緒にはしゃいでいるではないか。何だ、コイツ、いいやつじゃん!

というわけで、オビーの唐突な変化に一瞬戸惑ったのだが、この他にも飛躍した表現や粗っぽい構成がところどころで目についた。ただし、それが逆に独特の味になっていたりもする。いきなりミリーとオビーの濡れ場が登場して仰天したら、何のことはない、ミリーの夢だった……なんてあたりも、思わず苦笑してしまう展開だった。

いずれにしても、幸せな一家が描かれる前半だが、そこには影の部分も登場する。ミリーは、母親が逮捕され帰る家を失った少年ウィリアムを保護するのだが、コイツがかなり素行が悪い。ミリー一家の長兄的存在のジェシーは、それが気になって仕方がない。おまけに、ジェシーの同級生で、家を失くした生意気な女の子ニコールもそこに絡んできて、何やら暗雲が漂い出す。

そして、ロドニー・キング事件の裁判の雲行きも、次第に怪しいものになっていく。

後半は、ついにロス暴動が勃発する。その様子を様々な角度からニュース映像などもふんだんに盛り込みつつ映し出す。一触即発の警官と市民、おびただしい暴力、略奪など危険な場面が続く。もちろんフィクションではあるのだが、まるでドキュメンタリーのようなリアルさだ。

ただ危険なだけではない。ハンバーガー店を襲撃に来た子供たちを、店員が「そんなことをすればもう二度とハンバーガーが食べられなくなる」などと必死で説得する場面は、リアルであるのと同時に、そこはかとないユーモアと人間の良心も感じさせる。

そんな暴動にミリー一家の人々も巻き込まれていく。そのハイライトは、暴徒とともに略奪行為に走る子供たちを、ミリーとオビーが止めに行く場面だろう。そこでミリーたちは警官に目をつけられて、一触即発の状態に追い込まれる。まさにギリギリの場面で、その恐怖が観客にも伝わってくる。

その一方で、その後、何とも情けない事態に立たされたミリーとオビーが、掛け合い漫才のようなやり取りをしながらピンチを脱出しようとする場面では、思わずクスリと笑わせられる。こんなふうに暴動とはいっても、一筋縄ではいかない描写が目立つのだ。それだからこそ、なおさら暴動の実態がリアルに伝わってくるのである。

ラストはある少年の死をフィーチャーする。そこでのミリーとオビーの表情が何とも言えない重たい余韻を残す。前半のキラキラした幸せなミリー一家の描写があるからこそ、そうした人々が暴動に巻き込まれ、加害者にも被害者になりうる恐ろしさ、むなしさが伝わってくる。さらには、暴動の根底にある人種差別についても、自然に考えさせられるのである。

ミリーを演じたハル・ベリーの懐の深い演技、そして「007」のイメージをかなぐり捨てて、頑固で人情味ある普通のおじさんを演じたダニエル・クレイグの演技も見どころだ。

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◆「マイ・サンシャイン」(KINGS)
(2017年 フランス・ベルギー)(上映時間1時間27分)
監督・脚本:デニズ・ガムゼ・エルギュヴェン
出演:ハル・ベリーダニエル・クレイグ、ラマー・ジョンソン、カーラン・KR・ウォーカー、レイチェル・ヒルソン
*ヒューマントラストシネマ有楽町ほかにて公開中
ホームページ http://bitters.co.jp/MySunshine/

 

「斬、」

「斬、」
ユーロスペースにて。2018年12月21日(金)午後1時50分より鑑賞(ユーロスペース2/D-9)。

~「人の命を奪うこと」を問う塚本晋也監督の異色の時代劇

塚本晋也監督を一躍有名にしたのは、全身が金属に変化していく男の恐怖を描いた1989年の「鉄男」だろう。今観ても何とも凄まじい映画だ。それ以降、多作とはいえないものの、インディーズ畑を中心にコンスタントに作品を送り出している。

その一方で、役者としても数々の作品に出演している。もともとのきっかけは、低予算の自作のコスト削減のために自ら出演したようなのだが、いまやそんなことに関係なく、様々な作品で独特の存在感を発揮している。

その塚本監督の前作は、大岡昇平の原作を映画化し、戦争の狂気を暴き出した「野火」(2014年)。きな臭い日本の状況とも相まって、大きな衝撃を残す問題作だった。塚本監督の映画が、新たなステップに突入したことを実感した。

その「野火」に続く新作が、初の時代劇に挑んだ「斬、」(2018年 日本)である。ただし、時代劇といっても痛快娯楽時代劇などでは断じてない。今の時代に通じる深いテーマ性を持つ作品なのだ。

冒頭に映るのは真っ赤な炎。それは刀の鍛冶、つまり刀の製造場面だ。それを迫力満点に見せる。この映画で大きな位置を占めるのが、刀=人の命を奪う道具であることを強く印象付ける。

それに続いて、剣の稽古をする2人が映し出される。こちらも手持ちカメラを使った迫力満点の映像だ。本物の戦いではなく稽古であることを忘れさせるような、ド迫力のシーンだ。

この2人のうちの1人が、本作の主人公、若い浪人の杢之進(池松壮亮)である。詳しい説明などはないが、どうやら時代は開国か否かで大きく揺れ動く江戸時代末期のようだ。杢之進は貧窮して藩を離れ、農村で農家の手伝いをしている。

杢之進は、武士としての本分を果たす願いを持ちつつも、隣人のゆう(蒼井優)やその弟・市助(前田隆成)たちと穏やかな日々を送っていた。杢之進と稽古していたのは、その市助だった。市助は農民でありながら武士に憧れていた。一方、姉のゆうはそんな市助の考えに眉をひそめ、杢之進が彼に稽古をつけることを嫌っていた。

そんな中、剣の達人である澤村(塚本晋也)が村にやって来る。彼は腕の立つものを集めて、京都の動乱へ参戦しようとしていた。そして、杢之進の剣の腕を見込んだ澤村は、彼を仲間に誘う。ついでに市助も2人に加わることになり、彼らは出立しようとする。だが、その直前に村にならず者たちが流れてくる……。

そこから先の細かな展開は伏せるが、タイトルにある「人を斬ること=暴力」が、彼らの眼前に突き付けられる。そこでは、あれほど暴力を嫌っていた平和主義者のはずだったゆうが、逆に杢之進を焚きつけて人を殺させようとする。それに対して杢之進は、暴力の連鎖を恐れて平和的に物事を解決しようとする。だが、ギリギリの局面に追い込まれて、苦しい決断を迫られる。

ドラマが進むにつれて、冒頭からおぼろげながら浮かび上がっていたこの映画のテーマが明確になる。人の命を奪うとはどういうことなのか。暴力の連鎖とはどういうものなのか。そして暴力を前にして人間はどう変化するのか、だ。そうしたことを観客にグリグリと突きつける作品なのである。

つまり、この映画は時代劇でありながら、戦争、テロなど今の時代に通じる映画なのだ。平和的解決を訴えていた人々が、リアルな危機を実感して正反対の主張をするという展開は、まさしく今の日本の、そして世界の状況を連想させる。ゆうに象徴される農民たちが武力を頼りにし、武士の杢之進がそれを嫌いというのも、何とも意味深な構図である。

思えば塚本監督は「野火」で戦争のリアルを描き出し、現在の日本に警鐘を鳴らした。今回は、江戸時代の武力のリアルを描いて、同じく日本の現状に警鐘を鳴らしているのではないだろうか。

この映画のセリフは極端に少ない。その分、映像で多くのことを示していく。刀の触れ合う「カキン」という音が印象的な鮮烈でダイナミックな斬り合いのシーンは、特に印象深い。その一方で、杢之進が気配を感じて指を壁から外に突き出し、その指をゆうが口に含む艶めかしいシーンなどもある

映像の色調は暗くて重たい。時々「これはモノクロ映画か?」と錯覚するような色調である。その色調で無残に斬られた死体を映した映像は、なまじのホラー映画よりもおぞましく見える。それとは対照的に、時折映される美しい朝の陽光、農村の田園風景や山の中の木々、真っ赤な血の色などの鮮烈な色彩も心をとらえる。

役者の演技も素晴らしい。池松壮亮は、当初は若者の純真さを漂わせつつ、やがてどんどん狂気を見せていく。「人を殺せるようになりたい」とうわごとのように繰り返し、錯乱していく姿が壮絶だ。

塚本晋也の底知れぬ不気味さや、中村達也の憎々しすぎる悪党ぶり、前田隆成の若々しい演技なども見応えがある。

そして何よりも蒼井優である。池松に引けを取らない堂々の存在感。様々に変化するゆうの心理をキッチリと見せる。特にラストの彼女の慟哭は、この映画のハイライトと言ってもよいだろう。そこに込められた悲痛な思いが、観客の胸にグサリと突き刺さる。塚本監督が突きつける様々な問題提起も、そこに集約されていく。

ノイジーな金属質の音楽も含めて、「鉄男」から「野火」に至る塚本作品のエッセンスがギッシリ詰まった映画だ。そういう意味で、塚本作品を初めて観る人にもおススメだろう。そして、何よりも、ますますきな臭さを増す今の日本にとって、重要な意味を持つ映画だと思う。

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◆「斬、」
(2018年 日本)(上映時間1時間20分)
監督・脚本・撮影・編集・製作:塚本晋也
出演:池松壮亮蒼井優中村達也、前田隆成、塚本晋也
ユーロスペースほかにて公開中。
ホームページ http://zan-movie.com/

 

8年目の「ヘヴンズストーリー」

昨日、12月15日(土)は、新宿K’s cinemaで2010年の映画「ヘヴンズストーリー」を鑑賞してきた。公開翌年から毎年年末にアンコール上映され、今年でなんと8年目のアンコール上映が実現したのだ。

とにかく凄い映画である。上映時間は実に4時間38分(間に一度休憩があるけれど)。その分、普通の映画ならほんの少ししか描かれなかったり、割愛するようなところまでじっくり描かれるので、密度の濃い世界が創出されるのだ。

物語の基本は復讐物語。両親と姉を殺された幼いサトという少女が、妻子を殺されたトモキという男が「犯人を殺す」と言い放つのを見て、彼をヒーローとして崇め、やがて彼の復讐を後押しするドラマである。

この2人を中心に、彼らに絡む様々な人物を描き出す。トモキの妻子を殺した青年、その青年を家族として迎える女性、一人息子を育てながら副業に復讐代行業をする警官、その警官に父を殺された女などなど。20数名もの登場人物の人生が交錯する。

罪と復讐という重たいテーマのドラマで、そこには憎しみが渦巻いている。だが、それでも根底には人間に対する愛や優しさが感じられる。全9章立て。アニメや幻想的なシーン、人形劇なども登場する巧みな構成もあって、重苦しいだけのドラマでは終わらない。

かつての炭鉱町の風景をはじめ、1年に渡って撮影された四季を映した映像、俳優陣の渾身の演技など見どころはタップリだ。

すでにDVDも発売になっているのだが、それでもスクリーンで観たいという観客が、今年もたくさんやってきた。今どき貴重な35mmフィルムでの上映ということもあるのだろう。

個人的には、2010年の公開時には鑑賞したものの、その後のアンコール上映に駆けつけることができずに、ようやく今回が2回目の鑑賞となった。そして改めて思った。「瀬々敬久監督、凄い映画を撮っちまったなぁ」。

まあ、とにかく、圧倒されまくりの映画である。21日までの公開なので、お時間のある方はぜひぜひ劇場へ。4時間38分がちっとも長く感じられないはず。8年もアンコール上映が続く理由が理解できるのではないだろうか。

上映後には、瀬々監督とキャストの寉岡萌希忍成修吾村上淳山崎ハコ、栗原堅一、大島葉子片岡礼子川瀬陽太による舞台挨拶があった。スタッフ、キャスト、そして観客の熱い思いが感じられる時間だった。

 

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「おかえり、ブルゴーニュへ」

「おかえり、ブルゴーニュへ」
ヒューマントラストシネマ有楽町にて。2018年12月12日(水)午後6時45分より鑑賞(スクリーン2/C-5)。

~ワインと人生を重ね合わせた味わいある家族ドラマ

ワインは嫌いではない。だが、ワイン通というわけでは全然ない。味にしたって、酸っぱいとか、飲み口が軽いとか、その程度のことしか理解できないオレなのだった。

そんなオレでも、ワインが奥深く、素晴らしい世界であることが実感できた映画が、「おかえり、ブルゴーニュへ」(CE QUI NOUS LIE/BACK TO BURGUNDY)(2017年 フランス)だ。タイトル通り、ワインの産地として名高いフランスのブルゴーニュ地方を舞台にした家族のドラマである。

ブルゴーニュにあるドメーヌ(ワイン生産者)の長男ジャン(ピオ・マルマイ)が帰ってくる。彼は10年前に、このまま家業を継ぐことを嫌い、世界を旅するために故郷を飛び出したのだ。その間、家族とは音信不通だったが、父の病状が思わしくないと知って10年ぶりに帰郷したのである。

ジャンは、家業を継ぐ妹のジュリエット(アナ・ジラルド)と、別のドメーヌの婿養子となった弟のジェレミー(フランソワ・シビル)と再会する。だが、まもなく父が死んでしまう。このままでは相続税が払えない3人は、残されたブドウ畑や自宅の相続をめぐってあれこれと思い悩む。

ジュリエットとジェレミーは、突然姿を消したジャンに対して複雑な思いを抱えている。ジェレミーに至っては、再会早々にジャンと正面衝突してしまう。

おまけに3人ともそれぞれに悩みを抱えている。長男のジャンは家を出てからある女性と結婚し、子供が生まれ、オーストラリアでワインを造っていた。だが、その女性との関係がギクシャクして、破局寸前だった。

父についてワイン造りを続けていた長女のジュリエットは、醸造家としての自分に自信が持てずにいた。

そして、次男のジェレミーは、何かと干渉してくる義父や義母との関係に頭を悩ませていた。

ドラマのスタート当初、彼らの顔は一様に暗い。それが様々な出来事を通して変化していくところが、このドラマの肝である。

とはいえ、それほど大した出来事は起きない。では、何が3人の変化を促すのか。それはワイン造りである。苦悩を抱え、そこに相続という難問まで浮上する中でも、ワイン造りは止められない。葡萄の収穫時期を迎え、兄、妹、弟は協力し合うことにする。

「猫が行方不明」「スパニッシュ・アパートメント」などで知られるセドリック・クラピッシュ監督が、ブドウ畑をはじめとするブルゴーニュの四季の移ろいをていねいに追いかけた映像が、この映画の最大の魅力だ。それを背景に、多くの人々がワイン造りに携わる姿を追う。その描写には、まるでドキュメンタリー映画のような雰囲気が感じられる。

ワイン造りを続けながら、ジャンは妻との関係に苦悩する。同時に確執を抱えていた父との関係について、あらためて考え直す。ジュリエットは、ワイン造りの様々な局面で決断を迫られ、迷いながらも前に進む。ジェレミーも、義父や義母との関係をどうにかしたいともがく。そうした3人の悲喜こもごもを描き出す。

そこでは、現在のジャンと少年時代のジャンが同じシーンに登場したり、死んだ父がジャンの前に現れるといったファンタジックなシーンも飛び出す。ジャンが自らの心情をセリフや独白で饒舌に語ってしまうのはやや興ざめだが、それでも彼らの心の変化は自然に受け止めることができた。

ジャンの妻子がやってきたあたりから、ドラマは大きく動き出す。そして最後は、3人の成長をきっちりと見せる。それぞれの抱えた問題に決着をつけ、さらに相続問題にも結論を出す。

この映画から伝わってくるのは、ワイン造りは人生そのものだということである。ワインは繊細なものであり、ちょっとした違いでそれぞれに個性が生まれる。それはまさにジャン、ジュリエットとジェレミーをはじめ、この映画に登場する人々の姿である。個性があるからこそぶつかり合い、個性があるからこそ理解し合う。そして、そんな人間関係も、人生も、ワインと同じように時間とともに熟成していく……。

人生の喜怒哀楽をワイン造りと結びつけたのがこの映画の見事なところ。派手さはないが、ワインのようになかなか味わい深い家族ドラマである。

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◆「おかえり、ブルゴーニュへ」(CE QUI NOUS LIE/BACK TO BURGUNDY)
(2017年 フランス)(上映時間1時間53分)
監督:セドリック・クラピッシュ
出演:ピオ・マルマイ、アナ・ジラルド、フランソワ・シヴィル、ジャン=マルク・ルロ、マリア・バルベルデ、ヤメ・クチュール、カリジャ・トゥーレ、フロランス・ペルネル、エリック・カラヴァカ、ジャン=マリー・ヴァンラン、テウフィク・ジャラ
*ヒューマントラストシネマ有楽町ほかにて公開中。全国順次公開予定
ホームページ http://burgundy-movie.jp/