映画貧乏日記

映画貧乏からの脱出は可能なのだろうか。おそらく無理であろう。ならばその日々を日記として綴るのみである。

「ある少年の告白」

「ある少年の告白」
シネマカリテにて。2019年4月22日(月)午前11時15分より鑑賞(スクリーン1/A-8)。

~同性愛に「治療」を施すアメリカの驚愕の事実

昔に比べて同性愛者に対する理解は、ずいぶん進んだはず……。そんな思いを吹き飛ばす映画が登場した。自身の体験を記したガラルド・コンリーの原作を映画化した「ある少年の告白」(BOY ERASED)(2018年 アメリカ)である。監督は、俳優であるジョエル・エドガートン。2016年のサスペンス・スリラー「ザ・ギフト」に次ぐ監督第2作目となる。

映画の冒頭は、幼い男の子を撮影したホームビデオ。これ以上ないほどのかわいらしさだ。いかにもお涙頂戴映画のオープニングのようだが、そうはならない。全体のタッチは抑制的。ショッキングな内容だが、殊更にそれを煽り立てるようなことはしない。

続いて映るのは、冒頭の男の子の成長した姿。アメリカの田舎町に住む大学生のジャレッド(ルーカス・ヘッジズ)だ。だが、どうも様子がおかしい。牧師の父マーシャル(ラッセル・クロウ)と母ナンシー(ニコール・キッドマン)との間に気まずい空気が流れている。

その直後、ジャレッドは母とともにある場所へと向かう。そこは同性愛の矯正プログラムを実施する施設。キリスト教保守派的な思想の下で、同性愛をアル中や薬物依存と同じ罪として扱い、それを「治す」というのだ。同性愛は生まれついてのものではなく、後天的なものだともいう。何じゃ?それ。である。

それにしても、どうしてジャレッドはこのプログラムに参加することになったのか。その経緯はなかなか明かされない。両親との対立や葛藤も序盤では描かれない。そこもまた劇的な要素を極力排そうという意図を感じる。

それに代わって描かれるのは、矯正プログラムの実態だ。それを抑制的に見せていく。口外禁止のプログラムの内容はメチャクチャだ。学問的な裏付けなど何もないことを延々と続ける。自己の体験を洗いざらい語るよう強要し、男性には肉体改造トレーニングも課す。はては、体罰まがいのことも平気で行う。個人の尊厳や人権などかけらもありはしない。しかも、やっかいなのは、実施者たちが完全なワルとは言えないことである。

施設の所長であるヴィクター(監督を務めたジョエル・エガートンが自ら演じる)は、入所者たちを本当に病気だと思い、それを救おうと熱心に行動する。明らかに間違いだらけの行動だが、動機に不純さや悪意はあまり感じられない。

一方、ジャレッドの両親も息子を救おうと思い行動する。父のマーシャルには、牧師としての体面を重んじる背景もあるにはあるが、当然ながら息子への愛も主要な動機として存在する。息子に付き添ってホテル住まいをする母のナンシーに至っては、まさに無償の母の愛である。

そしてジャレッドはじめ入所者たちも、当初は「自分は病気だ」「絶対に治るんだ」と信じている。抑制的な描写だからこそ、そんな入所者たちや親たちの苦悩がよけいにリアルに見えてくる。劇中には、「同性愛は病気ではない」と語る女医も登場するが、彼女もそれ以上のことは何もできない。そこがどうにも切ない映画なのである。

中盤以降は、現在進行形で矯正プログラムの実態を暴露するのと並行して、ジャレッドの過去が挟まれる。高校時代に親公認の彼女がいたものの、うまくいかなかったこと。大学でゲイの男との間である出来事が起き、そこから自身の同性愛が露見したこと。それがプログラム参加のきっかけとなったこと、などなど。

当初は、矯正を信じていたジャレッドだが、やがて大きな疑問を感じ始める。プログラムの内容もどんどん過激化してくる。そして、ついに破たんを迎える。

終盤は、親の愛と家族のドラマの色合いが強くなる。ナンシーの圧倒的な愛がジャレッドに注がれる。また、4年後の後日談では、父のマーシャルとジャレッドの葛藤と、絆の再生に向けたささやかな光が見える。

このあたりは、マーシャルの変化がやや唐突にも思えるし、無理やり感動に持っていくあざとさも感じないではないが、そこはかとない感動と余韻が残るのは確かである。

ジャレッドを演じたのは、「マンチェスター・バイ・ザ・シー」でアカデミー賞助演男優賞にノミネートされたルーカス・ヘッジズ。主人公の葛藤をリアルに演じている。すっかり貫禄が出た父マーシャル役のラッセル・クロウ、相変わらず美しい母ナンシー役のニコール・キッドマンも、抑制的ながら存在感のある演技を見せている。最近はもっぱら監督として評価の高いグザヴィエ・ドラン、シンガーソングライターのトロイ・シヴァン、「レッド・ホット・チリ・ペッパーズ」のフリーら脇役の演技も光る。

そして、この映画で絶対に見逃していけないのがエンドロール前の字幕だ。途中までオレは「いったいこれはいつのドラマなのだ? 30年ぐらい前かしらん」と思っていたのだが、そんな考えをぶっ飛ばす事実が明かされる。思わずオレは叫んでしまった。「ダメだ。こりゃ」。

劇中でジャレッドは何度も車から手を出して、ナンシーに「危ない」と叱られる。それは、周囲の呪縛から自由になって、本当の自分をさらけ出したいという彼の思いを象徴した行動だったのだろう。「自分自身」であることはけっして誰にも曲げられない。そんな当たり前のことを再認識させられた映画である。

 

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◆「ある少年の告白」(BOY ERASED)
(2018年 アメリカ)(上映時間1時間55分)
監督・脚本:ジョエル・エドガートン
出演:ルーカス・ヘッジズニコール・キッドマンジョエル・エドガートン、ジョー・アルウィングザヴィエ・ドラン、トロイ・シヴァン、テオドール・ペルラン、チェリー・ジョーンズ、フリー、ラッセル・クロウ
*TOHOシネマズシャンテほかにて公開中
ホームページ http://www.boy-erased.jp/

 

「希望の灯り」

希望の灯り
Bunkamuraル・シネマにて。2019年4月18日(木)午後7時10分より鑑賞(ル・シネマ1/C-5)。

~無機質な旧東ドイツの巨大スーパーを舞台に人間の営みが立ち上る

スーパーマーケットには、ほぼ毎日のように通っている。車も自転車も持っていないから買いだめは困難。何よりも、たくさんの商品を見ているだけで楽しくなるではないか。

クレメンス・マイヤーの短編『通路にて』を長編2作目のトーマス・ステューバー監督が映画化した「希望の灯り」(IN DEN GANGEN)(2018年 ドイツ)は、ドイツのライプツィヒ近郊の巨大スーパーマーケットを舞台にしたドラマだ。描かれるほとんどの出来事は、そこで起きる。

舞台となるスーパーは、広大な室内に整然と商品が並んだ、どちらかといえば無機質な空間。かつて東ドイツ時代には、そこは長距離トラックのターミナルのような場所だったらしい。そのため当時トラックドライバーとして働いていた人たちも、そのままこのスーパーで働いている。

無口な青年クリスティアン(フランツ・ロゴフスキ)が、このスーパーの在庫管理係に雇われたところからドラマが始まる。慣れない仕事に戸惑うクリスティアン。特にフォークリフトの運転に悪戦苦闘する。そんな彼に上司のブルーノ(ペーター・クルト)が仕事を教え、温かく見守る。

終盤まで詳細は語られないのだが、主人公のクリスティアンは、いかにもワケありふうだ。上半身にはおびただしいタトゥーがある。家でくつろぐその背中からは、強い孤独が感じられる。昔の仲間らしいワルの影もちらつく。

一方、彼を取り巻くスーパーの従業員たちもユニークな面々ばかりだ。上司の中年男ブルーノをはじめ、一見とっつきにくいように見えて、実は心優しい。絶妙の距離感でクリスティアンと接してくれる。そんな状況だから、クリスティアンはそこに安らぎを見出していく。まるでスーパーが家庭で、同僚たちが家族のように思えたのだろう。

クリスティアンがスーパーに安らぎを見出したもう一つの大きな理由は、恋心にある。菓子部門で働く年上の女性マリオンと出会ったクリスティアンは、彼女に心惹かれていく。マリオンも「新人さん」と呼んでクリスティアンに親切にする。

こうしてクリスティアンと同僚たちとの触れ合いや、彼の恋模様が描かれるのだが、けっして仰々しさはない。実に静かで淡々とした映画である。後半に起きる劇的な出来事も抑制的に描く。そこはかとないユーモアも、そこには込められている。

例えば、クリスティアンたちが受けるフォークリフトの講習で流される教育用動画は、まるでスプラッターホラーのような内容だ。そんなふうにクスクス笑ってしまうところも、たくさんあるドラマなのだ。

クリスマスイブに、期限切れの商品を使ってパーティーを開くなど、同僚たちと楽しい日々を過ごすクリスティアン。だが、恋模様は荒れ模様。マリオンとの関係の前には大きな障害が立ちはだかっていた。

クリスティアンを演じるのは、「未来を乗り換えた男」のフランツ・ロゴフスキ。無口という設定で、ほとんどセリフがないだけに、ほんのわずかな表情の変化などで胸の内を表現する繊細な演技が光っている。ドイツアカデミー賞で主演男優賞を受賞したのもうなずける演技だ。

一方、マリオンを演じるのは「ありがとう、トニ・エルドマン」のザンドラ・ヒュラー。明るく奔放な態度の裏に隠された苦悩をチラリと見せる演技が見事だった。ブルーノ役のペーター・クルトはじめ同僚たちの演技も味がある。

クリスティアンにとって家族のような同僚たちだが、もちろん本物の家族ではない。お互いの心の奥底までうかがい知れるわけではない。それぞれが抱える過去や秘密については、お互いに触れないように節度を保っていた。

それが終盤にある人物の死によって一気に露見する。そこには東西ドイツの統一によってもたらされた矛盾も、背景として織り込まれている。表面的な穏やかさとは裏腹に、歴史に翻弄され、逃れられない過去を引きずり、日々苦悩する人々の姿が、何とも言えない苦さを漂わせる。

だが、結末はけっして暗いものではない。そうした苦みも含みながら、すべてを受け入れて前に進んでいくクリスティアン。まさに邦題通りに「希望の灯り」が灯る。そこではフォークリフトの「波の音」が印象的に使われる。

それ以外にも、ジグソーパズルやUFOキャッチャーなど小道具が効果的に使われている映画だ。また、冒頭で流れる「美しき青きドナウ」をはじめ様々なタイプの音楽が、これ以上ないほどのタイミングで流れるのもこの映画の魅力だろう。

風変わりで静かだが、独特の味わいを持つ作品だ。一見、無機質なスーパーの店内を舞台に、人間の様々な営みが立ち上ってくる。

 

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◆「希望の灯り」(IN DEN GANGEN)
(2018年 ドイツ)(上映時間2時間5分)
監督:トーマス・ステューバ
出演:フランツ・ロゴフスキ、ザンドラ・ヒュラー、ペーター・クルト、アンドレアス・ロイポルト、ミヒャエル・シュペヒト、ラモナ・クンツェ=リプノウ、ヘニング・ペカー、マティアス・ブレンナー、クレメンス・マイヤー
Bunkamuraル・シネマほかにて公開中。全国順次公開予定
ホームページ http://kibou-akari.ayapro.ne.jp/

「ビューティフル・ボーイ」

「ビューティフル・ボーイ」
ユナイテッド・シネマとしまえんにて。2019年4月15日(月)午前11時50分より鑑賞(スクリーン9/E-11)。

~果てしなき薬物との戦いを続ける父子の絆のドラマ

日本でも顕在化しつつある麻薬問題だが、アメリカの比ではないだろう。あちらは、まさに深刻な社会問題となっている。映画「ビューティフル・ボーイ」(BEAUTIFUL BOY)(2018年 アメリカ)は美しいタイトルの作品ではあるが、中身は麻薬映画である。もちろんピエール瀧は出ていない。

などと、つまらないジョークを言っている場合ではない。本作は、薬物依存症になった息子と父親の実体験をもとに描かれた回顧録の映画化だ。面白いのは、父親目線と息子目線、それぞれの回顧録をもとにしているところ。ドラマの中心は父親目線だが、息子目線の描写もリアルな映画に仕上がっている。

監督は「オーバー・ザ・ブルースカイ」(すいません。未見です)を手がけたベルギー出身のフェリックス・ヴァン・ヒュルーニンゲン。そして、製作は「ムーンライト」「それでも夜は明ける」を手がけたブラッド・ピット率いるプランBエンターテインメント。脚本は「LION ライオン 25年目のただいま」のルーク・デイビスが担当している。

優等生で心優しい青年が、ふとしたきっかけからドラッグに溺れ、治療と再発を繰り返した8年の日々を描く。父デヴィッド(スティーヴ・カレル)にとって自慢の息子だったニック(ティモシー・シャラメ)。だが、やがてドラッグに手を出してしまい、気づいたときには依存症で抜け出せない状態に陥っていた……。

映画の冒頭で父親が相談相手に語る。「息子が別人になったみたいだ」と。もちろんこれは麻薬に溺れた状態を指してはいるのだが、成長とともに変化する子供に対して、親が一般的に抱く戸惑いでもある。このことからもわかるように、本作は麻薬映画ではあるのだが、それを越えてより一般的な親子の関係にも広がりを見せる。それが観客の共感につながるのではないだろうか。

前半は、施設に入所したり出たり、治ったかと思ったらまた再発したりと苦難の道を歩むニックと、更正を信じて彼を懸命にサポートするデヴィッドの姿が描かれる。そこで特徴的なのが、時制を行き来して、かつてのニックの姿を効果的に挿入しているところ。

幼い頃は素直な良い子だったニック。デヴィッドはもちろん、その再婚相手のカレン、そして2人の間に生まれた幼い弟と妹とも仲良く暮らしていた。お互いに別れる時には「すべて」と言い合うなど父子は強い絆を結んでいた。その一方で、ニックは軽い気持ちで麻薬に手を染め、どんどんのめり込んでいく。

ニックが麻薬に手を出した原因が明確に示されるわけではない。「こうあって欲しい」という父親とのギャップ。両親の離婚。思春期らしい繊細な感情。様々な要素が描かれているが、けっしてどれかが決め手になるわけではない。まあ、早い話が誰でも下手をすればそうなってしまうということなのだろう。麻薬とはそれほど恐ろしいものなのだ。

それにしてもセリフ以外の部分も含めて、父子の感情の揺れ動きをリアルに見せていくところが見事である。麻薬の迷路から何とか抜け出そうとするものの、どうしても脱出できないニック。懸命に支えるが、そのたびに裏切られて疲弊していくデヴィッド。それぞれの心中が伝わってきて思わずグッとなってしまう。

父のデヴィッドを演じるのはスティーヴ・カレル。コメディー出身ということもあり、もともとは「フォックスキャッチャー」「バトル・オブ・ザ・セクシーズ」などアクの強い役が似合っていたが、最近は「30年後の同窓会」や今回の役のような抑制的な演技にも磨きがかかっている。

そしてニックを演じるのは「君の名前で僕を呼んで」のティモシー・シャラメ。まさしく美形の彼が、麻薬によってどんどん落ちて苦悩する青年をきめ細かく演じている。麻薬以前と麻薬以降の対照的なたたずまいが、何とも切なく感じられる演技である。

効果的に使われる音楽も2人の感情描写をより際立たせる。タイトルにもなっているジョン・レノンの『ビューティフル・ボーイ』、ニール・ヤングの『孤独の旅路』など、どれも場面度面に合った使われ方だ。麻薬という魔物にとりつかれるニックの背景に流れる重低音の効果音なども印象的だ。

中盤、実母などの支えによって本当に立ち直ったかに見えるニック。デヴィッドや継母、妹弟とも再びキラキラした日々を送る。だが……。

ふとしたことで再び転落してしまうニックの姿から、またしても麻薬の恐ろしさが伝わってくる。それも明確な理由によるものではない。ほんのちょっとした寂寥感などがきっかけで、彼を再び奈落の底に突き落としてしまうのである。脳の欠損などについての言及もあり、この手の薬物依存症が意志の強さなどと関係のない、明らかな病気であることが理解できる。

終盤、デヴィッドはもはやどうしようもなくなり、ついにニックに対するサポートをあきらめる。はたして、その先に待つのは何なのか。

ラストはけっして暗いばかりではない。ほんの薄明かりを灯して終わる。そしてエンドロール前に、実際のニックがどうなっているのかが語られる。恐ろしい薬物依存だが、けっして絶望してはいけないということなのだろう。

同時に、アメリカの薬物依存の過酷な現状も語られる。それに対する危機感こそが、製作者たちがこの映画を作った動機かもしれない。

過酷な薬物依存の現実をあぶりだしつつ、それにとどまらない親子の対立と絆まで描いたドラマである。子供のいないオレでもけっこうグッときたのだから、子供がいる人ならさらに心を揺さぶられそうだ。

 

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◆「ビューティフル・ボーイ」(BEAUTIFUL BOY)
(2018年 アメリカ)(上映時間2時間)
監督:フェリックス・ヴァン・ヒュルーニンゲン
出演:スティーヴ・カレルティモシー・シャラメモーラ・ティアニー、ケイトリン・デヴァー、エイミー・ライアン
*TOHOシネマズシャンテほかにて公開中
ホームページ http://beautifulboy-movie.jp/

頭脳警察ライブ&水族館劇場「揺れる大地」

少し前になるが、4月7日(日)に新宿・花園神社にて、今年で結成50周年の頭脳警察のライブが開催された。

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頭脳警察PANTAとTOSHIを中心に1969年に結成されたバンド。過激な歌詞の内容などから、ファーストアルバムは発売禁止、セカンドアルバムも発売一ヶ月後に発売中止となるなど様々なエピソードを残しつつ、日本のロック黎明期に大きな足跡を残した。1975年に一度解散したものの、その後何度かの再結成を経て、現在も現役バリバリで活動中だ。

今回のライブは、PANTAが音楽を担当した水族館劇場の芝居の公演が行われるテント小屋でのライブ。公演中の1日を借りてのライブだけに、舞台セットはそのままだ。いわゆるアングラ演劇の独特の雰囲気の中、客席も超満員。何でも定員約180人のところに、300人以上も詰め込んだらしい。客席には、俳優の高嶋政宏、虹郎、寛一郎はじめ顔の知られた方々もけっこういたようだ。

そして行われたライブ。メンバーはPANTA&TOSHIに加え、ギターの澤竜次(ex.黒猫チェルシー)、ベースの宮田岳(ex.黒猫チェルシー)、ドラムの素之助、そしてキーボードのおおくぼけい。過去にもイベントなどでチラリと演奏を披露してはいたものの、このメンバーでの本格的なライブはこれが初めてとなる。

実は、頭脳警察のメンバーとしては、ここしばらくはベテランたちが起用されることが多く、安定した演奏を見せていたのだが、50周年にあたって彼らではなく新たな若いメンバーを起用。それが結果的に大成功だった。エネルギッシュでパワーあふれる彼らの演奏が、頭脳警察本来のワイルドさを加速させるとともに、エレガンスな彩りも際立たせていた。ハードなナンバーも、スローなナンバーも、過去の名曲たちが少しも色あせることなく、むしろ新たな魅力を加えていた。

観客も大いに盛り上がって、終盤では座席が揺れる揺れる。なにせ仮設の桟敷席で、定員オーバーの状態だけに、「ヘタしたら崩れるのではないか」とマジで危惧したのだが、何とか無事に終わってホッとした。終盤では、水族館劇場の劇団員たちも舞台衣装で登場した。とにかく素晴らしい演奏だった。

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そして、昨日14日(日)は、その水族館劇場の舞台「揺れる大地」を観劇。仮設のテント小屋での芝居(いわゆるアングラ演劇)には昔から興味があったものの、一度も体験してこなかったので今回が初体験だ。

芝居の内容は、現代の日本やかつての満州を舞台にした時空を超えたドラマ。川島芳子など実在の人物と架空の人物が入り乱れる展開で、事前には難解な芝居を予想していたものの、実際にはエンターティメントとしても実に面白い芝居だった。

大量の水が降り注ぎ、役者が空に浮かび、ギャグも満載で2時間超があっという間。何せテント小屋という場所だけに、外の車の音なども聞こえてきて、聞き取れないセリフなどもあったのだが、それを上回る面白さだった。機会があればまた観たい!公演は16日まで。

構成もユニークで、冒頭約20分のプロローグは野外で演じられ、その後テント内に観客が入場しての芝居。テント内は撮影禁止だったが野外はOKだったので、その写真を載せておきます。

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「芳華-Youth-」

「芳華-Youth-」
YEBISU GARDEN CINEMAにて。2019年4月13日(土)午後1時35分より鑑賞(スクリーン1/G-7)。

~切なさとノスタルジーをかき立てる1970年代の中国の若者たちの青春群像

性格がひねくれているもので、「本国で大ヒット!」的なPRコピーの映画に対しては、「本当にそんなに面白いのかぁ~~???」と、つい斜に構えてしまうオレなのだった。

「4,000万人が涙した――。」と、チラシに大きく書かれた中国映画「芳華-Youth-」(芳華 YOUTH)(2017年 中国)も、疑い深い態度丸出しで鑑賞したのだが、いやぁ~、これは確かにヒットするわ。観客の感情を揺さぶる要素が満載だもの。

原作は「シュウシュウの季節」「妻への家路」などで知られるゲリン・ヤンの同名小説。それを「女帝 [エンペラー]」「唐山大地震」「戦場のレクイエム」などのベテラン監督フォン・シャオガンが映画化した。

1970年代の激動の中国を舞台に、軍の「文芸工作団(文工団)」に所属する若者たちを描いた青春群像劇だ。文工団とは、歌や踊りで兵士たちを慰労したり鼓舞する歌劇団のこと。団員は歌や踊り、演奏などの訓練を日々行っている。

1976年、その文工団に17歳のシャオピン(ミャオ・ミャオ)がダンスの才能を認められて入団する。だが、農村出身で家庭にも恵まれない彼女は、ある出来事がきっかけでいじめられるようになる。周囲となじめず孤独な彼女にとって唯一の支えは、模範兵のリウ・フォン(ホアン・シュエン)だった……。

とくれば、これはもうシャオピンの初恋物語に突入するわけだ。とはいえ、それが素直にかなうことはない。リウ・フォンには別に好きな団員がいて、彼女に告白をする。だが、そのことがもとでリウ・フォンは文工団を追われて、軍の前線へと送られる。さらに、シャオピンも文工団に絶望し、そこを去ることになる。

そんな2人に加え、様々な団員たちの青春模様が描かれる。それはまばゆいばかりのキラキラ輝く青春だ。もちろんそこには悩みや苦しみもある。恋愛、友情、対立、挫折、失意……。青春の光と影がビビッドにスクリーンに刻み付けられているのである。

見せる工夫もたくさんある。冒頭では、文工団の団員たちが踊る中国風でありながらバレエ的な要素も持つダンスをじっくりと描く。鮮やかな色調やケレン味たっぷりの映像も全編に散りばめられている。テレサ・テンの楽曲を効果的に使うなど音楽も巧みに配されている。それらがドラマをより魅力的に際立たせる。

実のところこの映画には、唐突な展開や省略もたくさんある。何しろドラマの起点は1976年だが、そこから何十年にも渡る出来事が描かれる。大河ドラマといってもいいほどの時間尺のドラマなのだ。それを2時間強の映画に詰め込むわけだから、仕方ないところだろう。だが、それでも巧みな演出によって、観ているうちに次第に心が動かされてくるのである。

ドラマの背景として中国の激動の時代も織り込まれている。文化大革命毛沢東の死去、毛沢東の妻・江青ら四人組の失脚、そして中越戦争。登場人物たちは、それらの荒波に翻弄されていく。そのことが切なさとノスタルジーを余計にかき立てていく。

途中からドラマの舞台は文工団から中越戦争の最中へと移る。そのパートは戦争映画そのものだ。ハリウッドの戦争映画も顔負けのリアルで恐ろしい戦場や野戦病院でのシーンが続く。

そして、そこでの出来事も若者たちを翻弄する。なかでも最も運命を狂わされたのがシャオピンとリウ・フォンだ。畳みかけるように描かれる2人の運命は、韓国ドラマも真っ青の波乱万丈さで、感情を揺さぶられる観客も多そうだ。特に文工団の終わりの日に、病身のシャオピンが踊るダンスが涙を誘う。

終盤は、若者たちのその後を描く。彼らも年をとり、もはやあの若き日の輝きは二度と戻らない。それでも、そこには変わらないものが確実にある。そして……。

この後日談の件もよく考えられている。基本的にはありがちな構図なのだが、その見せ方が巧みだ。そこにリウ・フォンは登場するものの、シャオピンはなかなか出てこない。いったい彼女はどうなったのか。悲惨な運命のまま消えてしまうのか。それではいくら何でもむごすぎるではないか。

そう思っていたところで、最後の最後についに彼女が登場する。そしてその秘めた思いがリウ・フォンの人生と交錯して、温かで穏やかな余韻を残すのだ。格別の味わいを持つ終幕である。

若者たちを演じた役者たちの演技も素晴らしい。特にシャオピンを演じたミャオ・ミャオの演技は特筆に値する。プロフィールを見ると、実年齢はけっこう上のようだが、17歳の役がまったく違和感なし。初々しさと健気さにあふれている。そんな彼女が思いを寄せるリウ・フォンを演じたホアン・シュエンの、これ以上ないほどの「良い人キャラ」も印象的な演技だった。

キラキラした青春の輝きと挫折、歳月の重さが、観客の切なさとノスタルジーをかき立ててくれる映画だ。これぞまさに青春映画! わかっていても、グッときてしまったオレなのであった。

 

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◆「芳華-Youth-」(芳華 YOUTH)
(2017年 中国)(上映時間2時間15分)
監督:フォン・シャオガン
出演:ホアン・シュエン、ミャオ・ミャオ、チョン・チューシー、ヤン・ツァイユー、リー・シャオファン、ワン・ティエンチェン、ヤン・スー、チャオ・リーシン
新宿武蔵野館、ヒューマントラストシネマ有楽町、YEBISU GARDEN CINEMAほかにて公開中。順次全国公開予定。
ホームページ http://houka-youth.com/

「ぼくの好きな先生」

「ぼくの好きな先生」
新宿K’cinemaにて。2019年4月12日(金)午後12時30分より鑑賞(自由席-整理番号8)。

~破天荒でおもろい画家・瀬島匠のドキュメンタリー

ドキュメンタリー映画を観ないと決めているわけではないのだが、見逃してしまう劇映画がたくさんある現状では、なかなかそこまで手が回らない。

というわけで、「ぼくの好きな先生」(2018年 日本)というドキュメンタリー映画も、当初は観る予定がなかった。しかし、知人から鑑賞券をもらったので急遽足を運ぶことにしたのである(その知人の知り合いがこの映画に関わっているらしい)。

1962年生まれの画家・瀬島匠を描いたドキュメンタリーだ。監督は「ブタがいた教室」「こんな夜更けにバナナかよ 愛しき実話」の前田哲。前田監督と瀬島匠は、どちらも東北芸術工科大学で教鞭を執っていたかつての同僚でもある(今は2人とも同大学を離れているが)。

前田監督がカメラを回して質問をしながら、瀬島をひたすら追いかける映画だ。あとは、彼の教え子たちが登場する程度。そこで描かれるのは画家としての顔、教師としての顔、そして家族にまつわるドラマである。

映画の冒頭で瀬島が話題にするのは、幼い頃に出会ったユニークな先生たちの話。「宿題をしなくてよいから毎日何かを作ってこい」と命じるなど、彼らの教えは確実に今の瀬島を形作っていることが明かされる。

その影響を受けているのだろうか。瀬島も学生たちに人間味あふれる接し方をする。けっして偉ぶることはなく、上から何かを指示することもない。学生たちが創作するユニークな作品を一緒に面白がり、あれこれと解釈し、学生たちの創作意欲を刺激するのだ。学生たちも瀬島を慕っているようだ。まさに、タイトルの「ぼくの好きな先生」である。

ちなみに、このタイトルは「RCサクセション」の楽曲と同タイトル。なので、最初に聞いた時は忌野清志郎と関係がある人物なのかと思ったら、そういうことではなかった。

さて、この映画のもう一つの大きな要素は、瀬島の創作風景である。特に中心的に描かれるのが、海と雲を描いた大作の創作風景。それは大きなトタン板に描かれる。前田監督の質問に答えてしゃべり続けながら、絵を描き続ける瀬島。そこから彼が考える芸術観が見えてくる。エネルギーや直感を大切にし、自由奔放かつ大胆に描いて描いて描きまくるのである。

さらに、彼の話からそのユニークな人生観も浮かび上がる。例えば、若き日の瀬島は「35歳で死ぬ」と信じ込んで、そこから逆算して様々な活動を展開してきた。今も睡眠時間や食事の時間も惜しんで創作や指導にあたっている。その一方で、ラジコンが大好きで、暇さえあればラジコンを飛ばしまくったりもしているのだ。

この映画のチラシには、「奇人か、変人か、天人か。」というコピーが載っている。まあ、確かに破天荒な人物ではあるのだが、けっして近寄りがたい人物ではない。いや、むしろお茶目で子供みたいなところも多くて、とてつもなく人間的な魅力にあふれているのだ。

いわゆる巨匠的な威厳もあまり感じられない。「自分は人間がチャチイから、チャチイ作品しか書けない。もっと立派な人間だったら……」など自虐的なことも言う。創作に関しても頑固さはあるが、同時に柔軟さも持ち合わせる。海と雲を描いた作品で、その境界線に何も塗らないことを公言していたにもかかわらず、友人の意見であっさり計画を変更したりもする。ひと言でいえば「おもろいオッサン」なのである。

そんなおもろいオッサンのエネルギーにあふれた言動と生み出す作品を見ているうちに、最後まで目が離せなくなってしまった。正直、芸術方面に疎いオレには、彼の作品の価値がよくわからないのだが、それでもそこに秘められたエネルギーだけは確実に感じ取れた。ドキュメンタリーとしては正攻法で、特に凝った仕掛けもないが、それでも最後まで飽きることはなかった。

瀬島のユニークな言動ゆえに、笑ってしまう場面も何度があった。だが、終盤は笑っていられなくなった。実は、瀬島は30年間に渡って描き続けてきた様々な作品に、「RUNNER」という文字を入れている。なぜなのか。終盤にその理由らしきものが明かされる。

それは悲しい家族のドラマである。序盤から絵描きで瀬島に大きな影響を与えた父や母の話がチラチラと出でくるのではあるが、それとはまた違う予想もしなかった出来事がそこには存在する。それもまた瀬島の現在に大きな影響を与えているのだろう。

その話を聞いて、また一つ瀬島という人物の内面の奥深さが感じられて、ますます魅力的に思えてきた。芸術に興味がない人も大丈夫。このおもろいオッサンを観るだけで楽しめる。ついでに彼からエネルギーももらえるかもしれない。そんなドキュメンタリー映画である。

<おまけ>
たまたまオレが足を運んだ日に、前田監督と瀬島氏のティーチインが行われた(下記写真)。ティーチインとはいえ、結局2人のトークだけで時間いっぱい。普通のトークショーになってしまったのだが、それがまた傑作だった。ひたすらしゃべり続ける瀬島氏。それに絶妙にツッコミを入れる前田監督。これは漫才か!? と思わずつぶやいて笑ってしまったオレなのだった。ホントに瀬島氏は魅力的な人デス。あと1週間ぐらいは東京で公開が続くし、その後各地でも公開されるようなので、興味のある方はぜひ。

 

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◆「ぼくの好きな先生」
(2018年 日本)(上映時間1時間25分)
監督・撮影:前田哲
出演:瀬島匠
*新宿K’cinemaにて公開中。全国順次公開予定
ホームページ http://www.sukinasensei.com/

「バイス」

バイス
ユナイテッド・シネマとしまえんにて。2019年4月8日(月)午後12時20分より鑑賞(スクリーン9/E-11)。

~稀代の怪物政治家を複眼で描いた社会派エンターティメント

どこの世界でもトップの人間よりも、その下のナンバー2の方が権力を握っていたりするものだ。それを地で行ったのが、ジョージ・W・ブッシュ(息子の方)政権で副大統領を務めたディック・チェイニー。彼を主人公に据えた映画が「バイス」(VICE)(2018年 アメリカ)である。タイトルの「バイス」とは、バイス・プレジデント=副大統領のことのようだ。

チェイニー副大統領が主人公の映画とくれば、普通は彼の伝記映画。だが、そうはいかない。なにせ監督は「俺たちニュースキャスター」「マネー・ショート 華麗なる大逆転」のアダム・マッケイだ。伝記映画的な要素以外にも、コメディ、政治ドラマ、ドキュメンタリーなど様々な要素を持つ異色の社会派エンターティメント映画なのである。

青年時代のチェイニー(クリスチャン・ベイル)は絵に描いたようなダメダメ男。酒とケンカで名門大学を退学になり、しがない電気工をしていたが、そこでも酒とケンカでトラブルを起こす。そんな彼に対して、婚約者のリン(エイミー・アダムス)は最後通牒を突きつける。彼女に叱咤されてチェイニーは政界を目指し、やがて下院議員ドナルド・ラムズフェルドスティーヴ・カレル)のもとで政治を学ぶ。その後、紆余曲折はあるものの、チェイニーは次第にのしあがり、大統領首席補佐官、国務長官などを歴任する……。

ラムズフェルドのもとで働いていた時の印象的なエピソードがある。チェイニーが「理念は?」と尋ねると、ラムズフェルドは高笑いするのだ。要するに政治に理念など要らない。ただの権力ゲームというわけだ。それをそのままチェイニーが受け継いだことを示唆する場面だ。

もちろん人間だから、チェイニーにも苦悩や葛藤はある。だが、それを深く描くことはしない。したがって、人間ドラマとしての深みに欠けるのは事実である。だが、それが逆にピカレスク(悪漢)小説的な面白さを生み出す。どう考えても、チェイニーは狡猾なワル。そいつがのし上がるさまが、面白おかしく描かれているのだ。

同時に、こういう人間の台頭を許した当時のアメリカ社会の実像もあぶりだす。なぜアメリカがどんどん右傾化していったのか。それを様々な形で暴いていく。マイケル・ムーア監督のドキュメンタリー映画のような雰囲気の場面もたくさんある。マイケル・ムーアに負けず劣らずシニカルでユーモラスで、痛烈な視点がアメリカに対して向けられている。

とにかく様々な仕掛けが詰め込まれた映画である。中盤のハイライトはエンドロール。娘が同性愛者であることを知ったのを機に、チェイニーは政界を離れて大手石油会社のCEOとなり、家族と田舎で暮らす。「めでたし。めでたし」というわけで、そこでエンドロールが流れる。だが、実はこれはニセのエンドロールなのだ。

この仕掛けは、観客を楽しませるのと同時に、「本当にあのまんまチェイニーが引退していたら、アメリカはこんなにならなかった」と言っているかのようにも見える。

その後、チェイニーはジョージ・W・ブッシュサム・ロックウェル)に誘われて、副大統領候補になる。そこでもすぐに要請を受けるのではなく、あれこれともったいぶって、自分の権力を絶大なものにしようとする。それまではお飾りでしかなかった副大統領を、本物の権力者にしようとする策略だ。ブッシュの無能さを見越したうえでの行動である。

そのあたりではチェイニー夫妻にシェイクスピア劇を演じさせたり、レストランで悪だくみをするチェイニーらに、ウエイターが「法改悪」のメニューをおススメするというシュールでブラックな場面なども用意されている。

そしてついに副大統領の座に就き、ブッシュを巧みに操り、権力を自らの元に集中させるチェイニー。そこで起きたのが9.11のテロだ。それを利用して、チェイニーは強引にイラクへの戦争を仕掛ける。その過程でチェイニーは、でっち上げに近いことを平気で行い、どんなに汚い手を使ってでも戦争に突き進む。イラク戦争の背景として、石油会社とチェイニーの癒着も示唆される。

もちろんマッケイ監督は、そんなチェイニーを批判的に描いているのだが、ここまでとんでもないことが続くと、もはや冗談のようにさえ思えてくる。恐ろしさを通り越して不謹慎ながら笑ってしまうのだ。

それでも、やがてチェイニーの化けの皮が剥がれる。そして、その後のチェイニーが描かれる。そこでも予想もしない仕掛けがある。実は、この映画は全編がある人物によるナレーションで進められる。時々彼の姿が映るのだがその正体は謎のまま進む。最終盤になってその正体が明かされ、チェイニーの運命と絡むのである。

エンディングでは、チェイニーが行った愚策のせいで、どれだけの犠牲があったかが告げられる。それが今のアメリカ政治に影響を与えていることも指摘する。そして、チェイニーと妻は今も健在だ。

やがてエンドクレジットが流れる。今度こそ本当の終幕だ。だが、その途中でまたまだユニークな仕掛けがある。劇中のあるシチュエーションを使ってリベラル派と保守派のケンカを見せるのだ。それは、今のアメリカの分断を象徴するような場面である。

チェイニーを演じたのは、クリスチャン・ベイル。作品ごとに肉体改造をする役者といえば、「ダラス·バイヤーズクラブ」のマシュー·マコノヒーなども有名だが、こちらも負けてはいない。今回は体重を20キロ増力するなど、完璧に本人になり切った演技だ。写真を見れば一目瞭然。クリスチャン・ベイルと言われても、にわかには信じられない姿である。

その他にも、ラムズフェルド役のスティーヴ・カレル、ブッシュ役のサム・ロックウェル、パウエル役のタイラー・ペリーなどのなり切りぶりも半端ではない。チェイニーの妻役のエイミー・アダムスも好演だ。

単なる伝記映画ではなく、複眼的に楽しむべき映画である。ブラックでシュールで笑えるが、最後には権力の恐ろしさが伝わってくる。

それにしても、日本じゃこんな映画絶対にできないだろうな…。

 

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◆「バイス」(VICE)
(2018年 アメリカ)(上映時間2時間12分)
監督・脚本:アダム・マッケイ
出演:クリスチャン・ベイルエイミー・アダムススティーヴ・カレルサム・ロックウェル、タイラー・ペリー、アリソン・ピル、ジェシー・プレモンス
*TOHOシネマズ 日比谷ほかにて全国公開中
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