映画貧乏日記

映画貧乏からの脱出は可能なのだろうか。おそらく無理であろう。ならばその日々を日記として綴るのみである。

「岬の兄弟」

「岬の兄弟」
ヒューマントラストシネマ有楽町にて。2019年3月31日(日)午後2時50分より鑑賞(スクリーン1/D-12)。

~足の悪い兄と自閉症の妹。その生き様にただ圧倒される

去年の「カメラを止めるな!」は極端な例だとしても、最初は細々と上映していたインディーズ映画が評判を呼び、拡大公開されるケースがたまにある。「岬の兄妹」(2018年 日本)もそんな映画だ。

SKIPシティ国際Dシネマ映画祭の国内コンペティション長編部門で優秀作品賞と観客賞を受賞したとはいうものの、3月1日の公開時は全国7スクリーンのみの上映。だが、次第に上映館数を拡大させている。いったい何がそんなに評判なのか。遅ればせながら足を運んでみた。

ある地方の港町。足が不自由な良夫(松浦祐也)は自閉症の妹・真理子(和田光沙)と暮らしている。だが、良夫は勤め先の造船所をリストラされてしまう。生活に困窮した良夫は真理子に売春させて、生計を立てようとする。

何とまあヒデエ兄貴なんだ、と思うかもしれない。だが、実際に観ているとそう単純な話ではない。映画の冒頭は、良夫が必死で真理子を探すシーン。彼は妹の失踪癖に手を焼いていたのだ。夜になって、ようやく真理子の消息がわかる。妹は男に体を売って1万円をもらっていたことがわかる。

それを知った良夫は激怒し、真理子を殴りつける。必死に真理子を探す姿と合わせて、いかに彼が妹のことを思っているかがわかる。そんな彼が真理子に売春させる苦境に追い込まれるとは、何という悲劇だろうか。

だが、そう簡単に良夫に感情移入はできない。そもそも、彼は失業後に1個1円のポケットティシュに広告紙を詰めるバイトをする程度で、それ以上の行動を起こそうとはしていない。もっと他に金を稼ぐ手段はなかったのか?

知り合いの警官の肇に金を借りようとするシーンでも、良夫は情けないというよりはいい加減でチャランポランな人間にしか見えないのだ。これでは感情移入できないのも当然ではないか。

そうかといって、真理子に感情移入するのも難しい。彼女は自閉症で、まるで子供のようにふるまう。何を考えているのかさっぱりわからない。つまり、本作は安直な感情移入など許さない映画なのだ。

だが、それでも、ついスクリーンに引き込まれてしまった。兄の良夫、妹の真理子。底辺にいるどん底の2人に共通するのは、必死で生き延びようとしていることだ。それはもはや善悪や道徳を超越し、多くの矛盾を内包しつつも、ただひたすら前へと突き進んでいく。その姿がこちらの胸をグイグイと押してくるのである。

売春を始めて金を稼いだ良夫と真理子が、それまで窓を覆っていた覆いを取り外し、光に満ちた部屋でハンバーガーを食べるシーンが印象的だ。ひっそりと息を殺して生きてきた2人が、ゆがんた形ではあるものの、新たな人生を切り開いたことを示している。

本作が長編デビューとなる片山慎三監督の筆致も独特だ。兄妹に対して情け容赦ない描き方をしている。そうかといって、この手の悲惨な話にありがちなジメッとした感じもない。それどころか、あちらこちらにユーモアまで込められているのだ。底辺の人間を描いた作品といえば、呉美保監督の「そこのみにて光輝く」あたりを連想させるが、それともまた違ったユニークなタッチの映画である。

映画の中盤から終盤にかけて、良夫は自分が行っていることに罪悪感を感じつつ、それをやめられない。そこには真理子の変化も影響している。失踪癖を警戒して彼女を閉じ込めていた良夫だが、真理子は売春という仕事を得て外に出て、人と触れ合うようになる。そこには性的なことも含めて、人間としての喜びのようなものもチラリと見えてきたりもする。

真理子の売春相手として、孤独な老人や障がい者などを配しているのも特徴的だ。考えようによっては、そこから様々なテーマに考えを及ぼすこともできるだろう。

やがてある出来事から、兄妹は大きな転機を迎える。その過程で、兄はある障がい者を頼ろうとする。そのエピソードからは、妹を思う気持ちとともに、障がい者に対する偏見に近い感情を読み取ることもできる。このあたりも単純な展開ではない。本作の根底には間違いなく貧困、差別など様々な社会的問題がある。それを徹底的に追及するのではなく、一つの思考材料を観客に提供しているのである。

ラストの海の岩場での兄妹のシーンも意味深だ。妹のいわくありげな視線。兄にかかってきた電話。はたして、2人の先には何が待っているのだろうか。その後の物語の行く末を観客に委ねた余韻の残るラストである。

この映画の見どころは兄妹を演じた松浦祐也、和田光沙の演技にもある。武骨で屈折しまくった兄を演じた松浦、言葉が足りない分身体で多くを表現した和田、どちらも素晴らしい演技である。無名ながら(和田は「菊とギロチン」でも女相撲の力士の1人を演じていたが)これだけの役者が日本にもいるのだと、改めて感心した次第。

そんな兄妹のドラマではあるものの、もう1人の気になる人物がいる。警察官で良夫の知り合いの肇だ。彼は、良夫に頼まれて金を貸す。兄妹が売春していると知って真剣に怒る。だが、それ以上のことは何もしない。自ら良夫を逮捕して行いを正したり、福祉につなぐといったことはしないのだ。彼こそがまさに小市民であり、我々の多くも彼と同じような立場なのではないか。そんな世間をも活写しているとしたら、片山慎三監督、なかなかのものである(ちなみに、彼はポン・ジュノ監督作品や山下敦弘監督作品などで助監督を務めた経験を持つらしい)。

いずれにしても、人間の「生」に圧倒される作品だった。時間が経てば経つほどその重みが効いてきた。

 *チラシがなくて画像がアップできなかったのですが、ぜひ下記公式ホームページをご覧ください。ビジュアルからして強烈かつ美しいです。

 ◆「岬の兄妹」
(2018年 日本)(上映時間1時間29分)
監督・脚本:片山慎三
出演:松浦祐也、和田光沙、北山雅康、中村祐太郎、岩谷健司、時任亜弓、ナガセケイ、松澤匠、芹澤興人、荒木次元、杉本安生、風祭ゆき
*ヒューマントラストシネマ有楽町ほかにて公開中
ホームページ https://misaki-kyoudai.jp/

「美人が婚活してみたら」

「美人が婚活してみたら」
シネマカリテにて。2019年3月30日(土)午後12時35分より鑑賞(シアター1/A-8)。

~波乱の婚活劇を通して自分を見つけるヒロイン

松岡茉優主演、大九明子監督による「勝手にふるえてろ」は、オレにとって2017年の日本映画の上位にランクされる快作だった。ハジケたつくりながら、主人公の女の子の心理がリアルに伝わってきて、とても後味の良い作品だった。

その大九監督が、同名コミックスを映画化したのが「美人が婚活してみたら」(2018年 日本)。吉本興業と各テレビ局のコラボで映画を製作する沖縄国際映画祭の企画「TV DIRECTOR'S MOVIE」の1本としてテレビ朝日との共同で製作された作品とのこと。

勝手にふるえてろ」は大九監督自身による脚本だったが、今回はお笑いコンビ「シソンヌ」のじろうが脚本を手がけている。タイトル通り美人の婚活を描いたドラマだが、そこは大九監督。ただの婚活ドラマでは終わらない。

主人公は32歳のWEBデザイナーのタカコ(黒川芽以)。彼女が婚活を始めるきっかけが面白い。冒頭に登場するのは、公園ののどかな光景。そこにタカコが現れる。ベンチに座ると隣には犬を連れた男。タカコはその犬にポップコーンを与えてみる。だが、犬は見向きもしない。

そこで今度は鳩にポップコーンを与えてみる。すると、鳩は次々にそれを口にする。だが、次の瞬間、子供がやってきて鳩を蹴散らす。そこで、タカコはつぶやく。「死にたい……」。

いや、別にタカコは公園での出来事のみで、死にたくなったわけではない。その背景には過去の恋愛経験がある。親友のケイコ(臼田あさ美)との会話を通して、タカコは3回も不倫を続けていたことが明らかになる。望んで不倫をしていたのではない。独身だと思ってつきあった相手が、いずれも既婚者だったのだ。ケイコはタカコに言う。「アンタは美人過ぎて独身男にとって高嶺の花。その代わり、既婚者が火遊びしたくなるタイプ」だと。

ケイコはタカコに「何かやりたいことはないのか」と聞く。すると、彼女は思わず言うのだ。「結婚したい」。こうして婚活サイトに登録したタカコの恋愛模様が描かれる。

勝手にふるえてろ」と同様に、笑いがたくさんある映画だ。最初はタカコの婚活相手のユニークな言動で笑わせる。変なブレスレット芸を披露するレイザーラモンRG扮する久保田をはじめ、どれも強烈な個性の持ち主ばかり。それ以外にも、様々なネタを繰り出して観客を笑いの渦に巻き込んでいく。

それでもようやくタカコは1人の男と出会う。超マジメでお人好しの園木(中村倫也)だ。このキャラの見せ方も面白い。園木はいつもシャツをズボンからはみ出させている。タカコの美しさに気後れして、わざと歩幅を合わせないようにする。見るからにいい人なのだ。ただし、どう見ても女性にモテるタイプではない。

そんな中、タカコはシングルズバーでイケメンの歯科医・矢田部(田中圭)と知り合う。彼は典型的なプレイボーイ。バツイチであることも、後で明らかになる。

タカコはこの2人の間で揺れる。結婚を視野に入れるなら、誰が見ても選ぶのは園木だろう。矢田部は結婚など考えていないのが見え見えだ。だが、それにもかかわらずタカコは矢田部と関係を持ってしまう。そして、激しい自己嫌悪に陥る。

勝手にふるえてろ」でもそうだったが、大九監督はこのあたりの女性の心理描写が抜群にうまい。おっさんのオレにも、タカコの心理がリアルに伝わってくる。タカコの行動を「バカだなぁ~」と思いつつ、「そういうこともあるんだろうなぁ~」と一方で納得もしてしまうのだ。それが単なるラブ・コメを超えた深みをドラマに生み出している。

終盤ではタカコとケイコとのバトルも用意されている。ケイコは既婚者で自身の結婚生活に悩んでいた。そのこともあって、タカコが結婚というものについてきちんと考えていないように思えて苛立ち、説教をしてしまう。そして2人は大げんかをする。

はたしてタカコは、ドツボにはまった末にどんな選択をするのだろうか。詳細は伏せるが、最後に用意されたのは、ありのままに自分らしく生きて行こうとするタカコの決意だ。周囲の人々や男どもに何かを決められるのではなく、自分というものを貫こうとするのだ。

それを象徴するのが、寿司屋での彼女の行動だ。自分が食べたいスタイルで寿司を食べる彼女の幸福そうな表情が素晴らしい。もちろん、その隣に男はいない。

そして、ケイコとの友情にも落とし前がつけられる。そのケイコ自身の生き方にも変化が訪れる。

ラストで、タカコが楽しげに歩きながら口ずさむ歌が味わい深い。ミュージカル的な雰囲気も感じさせる。心地よい余韻が残るエンディングだった。

前作で松岡茉優をキラキラと輝かせた大九監督。今回は黒川芽以を輝かせている。もともと年齢の割にキャリアが豊富で、最近とみに演技力に磨きがかかっている彼女だが、今回はそれをいかんなく発揮している。ケイコ役の臼田あさ美ともども、見事な演技だった。

婚活ドラマとしてスタートしながら、着地点ではタカコという女性の成長と友情物語をクッキリと刻む。ハジケた作風ながら、リアルに地に足の着いたドラマになっているところが、「勝手にふるえてろ」と同様に見事な手腕の大九監督である。同世代の女性はもちろん、それ以外の人も楽しめて、共感できる映画だと思う。

 

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◆「美人が婚活してみたら」
(2018年 日本)(上映時間1時間30分)
監督:大九明子
出演:黒川芽以臼田あさ美中村倫也田中圭村杉蝉之介レイザーラモンRG市川しんぺー萩原利久矢部太郎平田敦子、成河
*シネマカリテほかにて全国公開中
ホームページ http://bijikon.official-movie.com/

「ブラック・クランズマン」

「ブラック・クランズマン」
TOHOシネマズシャンテにて。2019年3月28日(木)午後7時より鑑賞(スクリーン1/F-9)。

~黒人がKKKに潜入捜査!?スパイク・リーの社会派極上エンタメ映画

ドゥ・ザ・ライト・シング」「マルコムX」など、アメリカの黒人差別を様々な視点から告発してきたスパイク・リー監督。第71回カンヌ国際映画祭でグランプリを受賞した「ブラック・クランズマン」(BLACKKKLANSMAN)(2018年 アメリカ)も、根底にはそうした姿勢が明確にある。だが、同時に極上のエンターティメント映画にもなっている。

黒人刑事が白人至上主義団体「KKK(クー・クラックス・クラン)」に潜入捜査した実話を描いた元刑事によるノンフィクションが原作だ。それをスパイク・リーも加えた脚本家たちが大胆にアレンジして脚色している。第91回アカデミー賞でも作品、監督など6部門にノミネートされ、脚色賞を受賞した。

ちなみに、このノンフィクションの映画化権を獲得したのは「ゲット・アウト」の監督ジョーダン・ピールだったが、「監督は自分よりもスパイク・リーの方がふさわしい」と考えて、製作に回ったという。

意表をついた形で映画が始まる。冒頭に登場するのは、映画「風と共に去りぬ」の一シーン。続いて、ある学者の差別的な言辞が描かれる。いったい、これは何を表しているのか。実は、これこそがKKKの思想的な源流なのだ。そして、ここでは黒人たちの背後にはユダヤ人がいると指摘する差別主義者の主張も披露される。これがドラマの伏線になっている。

続いてドラマが始まる。1970年代前半のアメリカ。1人の黒人青年ロン・ストールワース(ジョン・デヴィッド・ワシントン)が、コロラド州コロラドスプリングス警察署初の黒人刑事になる。だが、彼に与えられたのは資料室の仕事。しかも、そこで黒人に対する差別的な言動に直面する。

それに不満を持ったロンは配転を直訴。すると、与えられたのは黒人たちの集会への潜入捜査だった。仕事で参加したものの、カリスマ指導者クワメ・トゥーレの演説を目の当たりにしたロンは、思わず共感してこぶしを掲げる。そして、そこで集会を組織した学生たちのリーダーの女子学生パトリスと出会う。

まもなく、ロンはたまたま見かけたKKKのメンバー募集の新聞広告を見つけ、自ら電話を掛ける。いかにも自分が黒人差別主義者の白人であることを装って話すのだ。すると電話の相手の支部代表は、すっかりそれを信じ込んでしまう。とはいえ、黒人のロンが彼らに会いに行くわけにはいかない。そこで、ロンは同僚の白人刑事フリップ・ジマーマン(アダム・ドライヴァー)に協力を依頼する。こうして黒人のロンと白人のフリップがコンビを組み、潜入捜査が開始される……。

スパイク・リーの映画だけにメッセージ性は明確だ。同時に、様々なお楽しみの要素が詰まっている。まずは歌と踊り。これまでのリー作品と同様にご機嫌の音楽が奏でられ、ロンやパトリスたちのダンスが披露される。

そして笑い。KKKのメンバーたちとロンとの電話のやりとりが最高に面白い。彼らは黒人のロンを黒人差別主義者の白人であると信じて疑わない。「黒人は話し方でわかるんだ。あんたは絶対に白人だ」とまで言い切るのだ。何という皮肉! ロンがフリップたちに黒人独特の話し方をレクチャーするシーンなども笑える。

何せ潜入捜査もののドラマだけに、ハラハラドキドキのスリルもある。ロンとフリップのコンビによる潜入はかなり危険なもの。何度も身分がバレそうになる。しかもKKKのメンバーたちは黒人だけでなく、ユダヤ人も嫌っている。替え玉の警察官というだけでなくユダヤ人でもあるフリップだけに、ますます危険を背負っているわけだ。

ラブロマンスもある。ロンとパトリスの恋愛模様だ。ただし、ロンはパトリスに警官の身分を隠している。黒人たちにとって、警官とは差別丸出しの敵ともいえる存在だ。それだけに、簡単に身分を明かせなかったのだ。それが2人のロマンスを一筋縄ではいかないものにする。同時に、自分が黒人でありながら、警察の一員であることに対するロンの葛藤も見えてくる。

というわけで、エンタメとしての面白さが詰まった映画なのだが、当然ながら差別の実態も突きつけられる。例えば、KKKのメンバーたちが射撃訓練をする場面。そこで標的にされるのは黒人たちの姿をした的だ。それを目撃したロンの心中が察せられる。

KKKの本部のリーダーが地元を訪れるところで、ドラマは大きな転機を迎える。そこに地元のKKKのメンバーによる恐ろしい策略が絡んでくる。彼らは表向き非暴力をうたっていたが、一部のメンバーはそれを無視して、過激な行動を起こそうとしていたのだ。

そこを起点に転がるクライマックスは、実にスリリングなものである。KKKたちによる集会と、黒人たちによる集会を交互に映し出す。KKKの集会では、彼らが愛する「国民の復活」という映画が上映される。冒頭の「風と共に去りぬ」以外にも、当時の黒人映画などの話が飛び出す点で、本作には映画史を振り返る要素もある。

一方、黒人たちの集会では、長老がかつて目撃したおぞましい虐殺事件を語る。演じるのはベテラン有名歌手のハリー・ベラフォンテ。この起用も心憎い。2つの集会が交錯して緊迫感がどんどん高まっていく。おまけに、そこでロンはなぜかKKKの幹部の警備を担当し、フリップは自分の身分が露見する最大の危機を迎える。

ここまででも十分に面白いのだが、ラストもこれまた破格の面白さだ。詳しくはネタバレになるので避けるが、ある大きな出来事が起こった後に、観客がやきもきしていたある人物の安否を明らかにし、さらに潜入捜査の行く末を示す。そればかりか、その後にはまたまた大笑いの場面も用意される。ホッコリさせたり、シビアさを見せつけたり、笑わせたり。何だ? この凄まじいサービス精神は。

とはいえ、そこはスパイク・リー。最後にきっちり社会的メッセージを伝える。2017年に起きた白人至上主義団体と差別反対派の衝突。それをについて「双方に非がある」と発言したトランプ大統領の映像などだ。そこでは、トランプの「アメリカ・ファースト」がKKKの主張と同じであることも暴露される。

このラストについて、映画としてバランスが悪く不要だという意見もあるらしい。だが、これなくして、何のスパイク・リー映画か。お楽しみテンコ盛りのエンタメ性とメッセージ性が見事に融合した極上の映画だと思う。

主演のロン役のジョン・デヴィッド・ワシントンは、あのデンゼル・ワシントンの息子。父ちゃんとはタイプが違うが、実に良い味を出していた。そして相棒役のアダム・ドライヴァー(「スター・ウォーズ/フォースの覚醒」「パターソン」「沈黙」など)が相変わらず存在感たっぷり。「アイ,トーニャ 史上最大のスキャンダル」でダメっぷりを見せつけたポール・ウォルター・ハウザーなど、KKKのメンバーたちも個性的で面白かった。

本作は、アカデミー賞作品賞を受賞した「グリーンブック」と何かと比較されるが、両者は全くタイプが違う。比べることはできないのだ。どちらも黒人差別を描いた素晴らしい映画である。

 

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◆「ブラック・クランズマン」(BLACKKKLANSMAN)
(2018年 アメリカ)(上映時間2時間8分)
監督:スパイク・リー
出演:ジョン・デヴィッド・ワシントン、アダム・ドライヴァー、ローラ・ハリアートファー・グレイス、コーリー・ホーキンズ、ライアン・エッゴールド、ヤスペル・ペーコネン、アシュリー・アトキンソン、ポール・ウォルター・ハウザー
*TOHOシネマズシャンテほかにて公開中
ホームページ http://bkm-movie.jp/

「ウトヤ島、7月22日」

ウトヤ島、7月22日」
ヒューマントラストシネマ有楽町にて。2019年3月26日(火)午後2時50分より鑑賞(スクリーン1/D-12)。

~ワンカットの映像で追体験する恐怖の銃撃現場

大事件が起きても、現場に身を置いた者に比べれば、リアルさに欠けるのは仕方のないところ。ならば、まるで現場に身を置いたような体験をしてもらい、そこから様々なことを考えてもらおう。おそらく、そうした意図でつくられた映画が「ウトヤ島、7月22日」(UTOYA 22. JULI)(2018年 ノルウェー)だろう。

描かれているのは2011年7月22日に起きたテロ事件だ。ノルウェーの首都オスロの政府庁舎前で車に仕掛けられていた爆弾が爆発する。世間が混乱する中、今度はオスロから40キロ離れたウトヤ島で銃乱射事件が起こり、ノルウェー労働党青年部のサマーキャンプに参加していた10~20代の若者たちが犠牲になった。犯人は32歳のノルウェー人のアンネシュ・ベーリング・ブレイビクという男。極右思想の持ち主で、政府の移民政策に不満を抱いてテロを計画したのだ。

結局、政府庁舎前の爆弾で8人、ウトヤ島の銃乱射で69人、合計77人もの人々が命を奪われた。そのうちウトヤ島の銃乱射事件を描いたのが本作だ。

冒頭は、若者たちの楽しいキャンプ風景が描かれる。労働党青年部といっても、ごく普通の若者たちだ。政治の話などもするが、たわいもない話で笑い合う。そんな中でオスロの爆破テロ事件のニュースが届き、不安を感じる参加者もいる。

ドラマの主人公に据えられたのは、妹と一緒に参加していた少女カヤ(アンドレア・ベルンツェン)。妹とは軽い姉妹ゲンカで仲違いしてしまう。このことが、その後の彼女の行動に色濃く反映する。

そして突然鳴り響く銃声。何が起こったのかわからないまま(最初はそれが銃声なのか何なのかもわからない)、若者たちはパニックに陥り、キャンプ地の建物の中に逃げ込む。

この映画の何がすごいかといえば、全編が手持ちカメラによる撮影、しかも72分間に及ぶ銃撃はワンカットで撮影しているのだ。カヤたち参加者を追うカメラは、時にあらぬ方向に向き、映像が乱れる。だが、これが、とんでもない緊迫感を生み出している。まるで、自分も現地でキャンプに参加しているような気持になってしまう。参加者たちの混乱、恐怖をそのまま体験してしまうのである。

そして、もう一つの恐ろしい仕掛けがある。この映画では犯人の姿が一切映らない。ただ銃声が聞こえるだけなのだ。それが近くなったり遠くなったりする。しばらく銃声が消えて、事態が収束したのかと思うと、至近距離で激しい銃撃が起きたりする。この仕掛けもまた、あまりにもリアルで、なまじのホラー映画も顔負けの恐さを煽っている。

建物に逃げ込んだ参加者たちだが、そこもすぐに危険にさらされる。カヤたちは森の中に逃げ込む。木の根元の窪地のようなところに身をひそめるが、その時点でも事態をよく把握していない。仲間たちは警察に通報するものの、何とも要領を得ない対応をされてしまう。

そんな中でも、カヤの頭の中には妹の存在がある。はたして、妹は無事なのか、どこにいるのか。電話をしてみるが反応はない。カヤは仲間たちの反対を押し切り、テントがたくさん張られた場所に向かう。そこが、彼女が最後に妹と会った場所だった。だが、妹はそこにはいなかった。

この映画は当然ながら事実をもとにしている。相当に念入りな取材をしたのだろう。それがまた異様な臨場感を生み出しているわけだが、それでもドキュメンタリーというわけではない。あくまでもフィクションとして描く。カヤも実際にいた人物かどうかはわからない。

それを前提に言えば、見せる工夫もきちんとされている。カヤが様々な場所を移動するのもそうだが、途中で出会う少年や瀕死の女の子の運命を通して、ドラマチックな悲劇を生み出す。不謹慎なのを承知で言えば、単なるサスペンス・ドラマとしてもよくできているのだ。とはいえ、やはり事実に基づいているというのが、何ともやりきれないのだが。

最終的にカヤは崖下へと移動する。そこである青年と出会う。そのやり取りも味わいがある。銃声に包まれ、恐怖にさいなまれながらも、ほんのわずかな穏やかさが戻る。そこでカヤが歌うシンディ・ローパーの「トゥルー・カラーズ」が、観ている者の胸をかきむしる。

はたして、カヤたちは生還できるのか。妹は無事なのか。それはここでは伏せるが、最後にも衝撃的な場面が待っている。ただし、ほんの微かな希望も感じさせる。それが何とも言えない余韻を残す。

カヤを演じたアンドレア・ベルンツェンをはじめ、若者たちの素性はよくわからない。本当の役者なのか、それとも素人の若者なのか。また、あの演技は台本通りなのか、それともアドリブを取り入れたのか。それにしても、彼らもまたあの現場にいたかのような迫真の演技だった。

ヒトラーに屈しなかった国王」などで知られるエリック・ポッペ監督の意図は明確だ。エンドロール前のテロップにそれが現れている。世界的に極右思想が蔓延する中で、どうしてもこの事件についてもう一度考えてもらいたかったのだろう。警察の初動の遅れや政府庁舎の爆破が未然に防げたことなども告げている。そうした監督の意図を受けて、思いを巡らすのはもちろん観客のオレたちである。

正直、疲れる映画だ。楽しい映画を求める人には絶対におススメできない。だが、それでも、今の時代だからこそ、観ておく価値はあるのではないか。

ちなみに、同じくこの事件をもとにポールグリーングラス監督は、Netflixオリジナルの配信映画「7月22日」を製作している。そちらはテロによって傷ついた少年を中心に、事件後の出来事を描いているらしい。機会があればそちらも観てみたいところだ。

 

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◆「ウトヤ島、7月22日」(UTOYA 22. JULI)
(2018年 ノルウェー)(上映時間1時間37分)
監督:エリック・ポッペ
出演:アンドレア・ベルンツェン、アレクサンデル・ホルメン、ブレーデ・フリスタット、エリー・リアンノン・ミューラー・オズボーン、ソルヴァイク・コルーエン・ビルケランド
*ヒューマントラストシネマ有楽町ほかにて公開中
ホームページ http://utoya-0722.com/

「ふたりの女王 メアリーとエリザベス」

ふたりの女王 メアリーとエリザベス」
Bunkamuraル・シネマにて。2019年3月25日(月)午後1時25分より鑑賞(ル・シネマ1/C-5)。

~対照的な2人の女王、シアーシャ・ローナンマーゴット・ロビーの必見の演技

ただ昔のことを描いただけの時代劇には、あまり興味が持てない。それがどこかで現代に通じていないと、面白くない。16世紀の英国を舞台に、従姉妹でありながらそれぞれスコットランドイングランドの女王として対峙していくメアリー・スチュアートとエリザベスI世の数奇な運命を描いた歴史ドラマ「ふたりの女王 メアリーとエリザベス」(MARY QUEEN OF SCOTS)(2018年 イギリス)は、500年も前のドラマながら、確実に現代ともつながっている。

中心的に描かれるのはメアリーのドラマだ。スコットランドに生まれたメアリー・スチュアートシアーシャ・ローナン)は、0歳でスコットランド女王になるものの、幼少時にフランスへ渡り、16歳でフランス王妃となる。だが、18歳で未亡人となり、スコットランドへ帰国する。その帰国シーンからドラマが始まる。

メアリーはイングランド女王になる野望を持っている。そのため、エリザベスに対して自分を後継者として認めるように要求する。だが、自分の地位が脅かされる危険性があるだけに、エリザベスはそれに応じようとしない。

つまり、2人はライバル関係にあるのだ。それぞれの波乱の日々を描くとともに、2人の屈折した関係を描くのがこのドラマの柱だ。ただし、2人が直接対峙するのはラストのみ。それ以前にも一度その機会が訪れそうになるが、エリザベスが天然痘にかかったために実現しなかった。それでも2人の思いは様々に交錯する。

メアリーは周囲に翻弄される。再婚をめぐるあれこれに巻き込まれる。それは当然単なる恋愛感情による結婚ではない。権力をめぐるドロドロした争いだ。イングランド側は、エリザベスの側近を再婚相手に差し向けるが、メアリーはそれを断固として拒否する。

宗教をめぐる争いもある。メアリーはカトリックだったが、スコットランドではプロテスタント勢力が勢いを増していた。彼らは女性君主は神の意に反すると、女王の存在を快く思っていなかった。そうしたこともあって内乱が起きる。イングランドはそれに加担する。そこには、メアリーと異母兄との確執も関係してくる。

やがてメアリーは自分で選んだ相手と再婚する。だが、幸せな結婚生活など望むべくもない。その後も数々の波乱が起きる。周囲では次々に陰謀が巻き起こり、彼女を翻弄する。だが、それでもメアリーは毅然として自分の意思を貫こうとする。

一方、エリザベスは跡継ぎを望む周囲の声を無視して、独身を貫く。恋人らしき側近もいるのだが、結婚はしない。生き方もメアリーと対照的で、立場的にも2人は対立関係にある。とはいえ、メアリーを常に敵視するわけではない。時には部下の強硬方針に反対することもある。そこには、メアリーに対する彼女の微妙な感情が見て取れる。そして彼女もまた周囲の人物たちの権謀術数に巻き込まれる。

同じように周囲に翻弄される2人の女王。ここから見て取れるのは、周囲で策謀を巡らせるのが男たちだということだ。これが長編デビュー作となるジョージー・ルーク監督は、男たちの策謀に巻き込まれながらも、毅然として生きようとする2人の女王に対して、明らかに共感の目を向けている。それは、今の社会にも通じるテーマと言えるだろう。女性の権利を主張する最近の世界的な潮流とも、決して無関係なドラマではないのだ。

やがてメアリーは出産する。だが、その後も様々な波乱が続き、夫は亡くなってしまう。まもなく再再婚するはめになる彼女だが……。

追い詰められたメアリーとエリザベスが対峙するクライマックスが素晴らしい。郊外の小屋のようなところで、幾重にもかけられたカーテンをくぐりながら、まるでかくれんぼうをするように会話を交わす2人。

そこから見えるのは、両者の屈折した感情だ。エリザベスにとってメアリーは、美しく、結婚して子供を産んだ全く自分とは違う人物。それに対して、複雑な思いを抱きつつ、その一方で魅了されていく。それはメアリーにとっても同様だった。2人の思いは、まさに幾重にもかけられたカーテンのよう複雑なものであり、それがこのクライマックスでぶつかり合う。

このクライマックスはもちろんだが、そこに至る過程でも、それぞれの言動や手紙のやりとりなどを通して、2人の女王の揺れ動く心理がリアルに伝わってきた。その功績は、何といってもシアーシャ・ローナンマーゴット・ロビーの演技にある。

持ち前の演技力を全開にして、波乱万丈の人生を生きたメアリーの様々な表情を演じるシアーシャ。彼女に比べて出番こそ少ないものの、要所要所でツボを押さえた演技を見せるマーゴット。どちらも譲らない熱演だ。

まあ、どちらかというとマーゴットの方が役得と言うか、クライマックスの白塗りの顔のインパクトはもちろん、おなかに布を当てて自分の妊娠姿を想像してみるあたりの巧みな心理描写なども見事な演技だった。

基本は正統派の時代劇だが、ハッとさせられる場面がいくつもあった。終盤に登場するエリザベスの刺繍画(?)や、ラストのメアリーの真紅のドレスなど、鮮やかなヴィジュアルにも魅せられる。

2人の女の屈折した関係を描き、そこに控えめながら現代も投影させた映画である。西洋の歴史に疎いオレでも楽しめた。見どころ十分だ。

 

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◆「ふたりの女王 メアリーとエリザベス」(MARY QUEEN OF SCOTS)
(2018年 イギリス)(上映時間2時間4分)
監督:ジョーシー・ルーク
出演:シアーシャ・ローナンマーゴット・ロビー、ジャック・ロウデン、ジョー・アルウィンジェンマ・チャン、マーティン・コムストン、イスマエル・クルス・コルドバ、ブレンダン・コイル、イアン・ハート、エイドリアン・レスター、ジェームズ・マッカードル、デヴィッド・テナントガイ・ピアース
*TOHOシネマズシャンテ、Bunkamuraル・シネマほかにて公開中
ホームページ http://www.2queens.jp/

 

「まく子」

「まく子」
テアトル新宿にて。2019年3月18日(月)午後12時5分より鑑賞(B-11)。

~大人になることを嫌う少年と不思議な少女の交流

大量に貯まっている映画のチラシをどうすべきかは、永遠の命題だ。場所を取るのは確かだが、捨てるには忍びない。だったら持って帰らなければいいではないかというかもしれないが、劇場で目にしたら、魅入られたように手に取ってしまうのだから仕方がない。

そんな中でも、最近、妙に心に引っかかったのが「まく子」(2018年 日本)という映画のチラシだ。でかでかと描かれているのはサルの顔か? だいたい「まく子」って何なんだ? 疑問が膨らむばかりで、ついつい映画館に足を運んだのである。

「まく子」は、直木賞作家・西加奈子の同名小説を、新鋭の鶴岡慧子監督が映画化した作品。鶴岡監督は、長編第1作「くじらのまち」が国内外で高く評価されたとのこと。

ドラマの舞台となるのは温泉街(ロケは群馬県四万温泉で行われた模様)。そこで旅館“あかつき館”を営む両親(草なぎ剛須藤理彩)と暮らす小学5年生のサトシ(山崎光)が主人公だ。サトシはちょうど思春期。自分の心と体の変化に戸惑い、大人になることに嫌悪感を持っている。

そんなある日、サトシの前に転入生コズエ(新音)が現われる。コズエは仲居として働き始めた母親(つみきみほ)と一緒にあかつき館に住み込む。美少女だがおかしな言動をするコズエに戸惑うサトシ。すると突然コズエは、「自分はある星から来た」と思いも寄らぬ秘密を打ち明ける……。

というわけで、いわゆるファンタジータッチで小学生の男の子の成長を描くドラマだ。成長に戸惑い、大人を嫌悪する彼が、いかにして変化や成長を受け入れるのか。それがドラマの肝だろう。

そこでカギになるのが異星人を自称する転校生の存在である。彼女の星では「死」というものがなく、成長も変化もないという。そんな彼女との交流を通して、主人公のサトシが変わっていく。

とはいえ、この転校生。仲居の母親ともども最初から宇宙人モード全開である。個人的な好みでいえば、はたして、あそこまで宇宙人モードを全開にする必要があるのか疑問。初めは、「奇妙なことを言う女の子」程度にしておいた方が、クライマックスの光のシーンのインパクトが高まって、もっと余韻が残った気がするのだが。

コズエが楽しそうに行う「まく」行為も、テーマとの結びつきがイマイチしっくりこないように感じた。再生のようなものを表現しているのかもしれないが、そこがスッと胸に落ちてこなかった。

この映画には、サトシとコズエの交流以外にも様々な要素がある。サトシの父の不倫、学校に来ない同級生、子供たちに漫画を読んでくれる風変わりな大人、再生を象徴するらしい奇妙な祭り、はては放火事件まで起きる。それらの様々なものが混沌としたまま入り混じって、整理しきれていない感じがする。原作は未読なので断定的なことは言えないが、原作にあるものをそのまま詰め込んだのだろうか。

ドラマの展開として、サトシとコズエとの交流は比較的じっくり描かれているし、父親との関係もそれなりによく見えてくる。その反面、母親や中居たちについては十分に描き切れていないと思う。サトシとの関係性もやや曖昧だ。そのあたりをもう少し描いてくれたなら、サトシの成長がよりクッキリと見えてきたのではないか。

とまあ、ネガティブなことを言ってきたが、もちろん良いところもたくさんある映画だ。いや、むしろ全体としては思春期映画としての魅力を十分に備えていると思う。特に山崎光、新音をはじめ子役たちの好演もあって、少年少女たちの瑞々しい描写は出色だ。恋心も含みつつ、コズエに対して微妙に揺らぐサトシの心理が、手に取るように伝わってきた。

誰しも、ああいう年頃には、サトシと似たような思いを持った経験があるのではないだろうか。そんなかつての自分を思い起こして、グッとくる人も多いことだろう。

サトシの成長がメインとなるテーマだが、それ以外にも多様なテーマが見えてくるのも面白いところ。人間の死、人を信じること、人を愛することなどなど……。全てのテーマがきちんと追求されているわけではないが、それでも確実に作品に奥行きを生み出している。

映像も魅力的だ。温泉街の風景を活かしつつ、アニメなども使い、鮮度の高い映像を繰り出す。温かで幸福感が漂うラストにも好感が持てた。鶴岡監督が、なかなかの才能の持ち主なのは間違いない。今後の活躍に期待したい。

ところで、サトシの父親を草なぎ剛が演じているのだが、その半端でないテキトー男っぷりが素晴らしい。少し前に公開になった「半世紀」での稲垣吾郎のただのオッサンっぷりともども、実に良い味を出している。これも「新しい地図」効果なのだろうか?

 

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◆「まく子」
(2018年 日本)(上映時間1時間49分)
監督・脚本:鶴岡慧子
出演:山崎光、新音、須藤理彩つみきみほ村上純、橋本淳、内川蓮生、根岸季衣小倉久寛草なぎ剛
テアトル新宿ほかにて公開中
ホームページ http://makuko-movie.jp/

「マイ・ブックショップ」

「マイ・ブックショップ」
シネスイッチ銀座にて。2019年3月16日(土)午後12時25分より鑑賞(シネスイッチ1/D-7)。

~書店を開く女性の闘いを温かく、しなやかに描く

読書は嫌いではない。いや、むしろ好きである。だが、残念ながら本を読むスピードが遅い。7~8年前に目の病気をしてからは、ますます遅くなった気がする。いわゆる速読術のようなもので次々に読破していく人を見ると、うらやましくて仕方がない。

ブッカー賞受賞作家ペネロピ・フィッツジェラルドの小説を「死ぬまでにしたい10のこと」「しあわせへのまわり道」のイザベル・コイシェ監督が映画化した「マイ・ブックショップ」(THE BOOKSHOP)(2017年 スペイン・イギリス・ドイツ)は、本や書店とかかわりが深い映画だ。誰でも楽しめる作品になっているが、本や読書が好きな人ならなおさら楽しめることだろう。

1959年、イギリスの海辺の小さな町。そこに住むフローレンス(エミリー・モーティマー)は、16年前に夫を戦争で亡くしていた。亡き夫とは書店員同士として知り合い、いつも身近に本がある生活を送っていた。

そんな夫との思い出を抱いて、フローレンスは本屋が1軒もないこの町で書店を開こうとする。5年間空き家のままだった古い建物を購入し、そこを書店兼自宅にするつもりだった。だが、最初から雲行きが怪しい。

まず銀行が彼女に資金を貸すことを拒む。町の人々も「この街に本を読む人などいない」と言って、どこか冷たい態度をとる。その背景には、女性のビジネスがまだ一般的ではなかった当時の時代性と、保守的な土地柄があるのだろう。

なかでも彼女の前に立ちはだかるのが、町の有力者ガマート夫人(パトリシア・クラークソン)だ。フローレンスが買った建物を「私も買おうと思っていた」「そこに芸術センターを開くのだ」と主張する彼女は、フローレンスの計画を潰そうとする。それでもフローレンスは何とか開店にこぎつける。

こうしてフローレンスとガマート夫人の対立を軸に、数々の困難にも負けずに書店経営に挑むフローレンスの姿が描かれる。いわば彼女の闘いのドラマである。

ただし、とげとげしい雰囲気はない。ガマート夫人をはじめ町の人々は、表面的にはフローレンスに理解のあるような態度を示す(だからこそ、逆に怖いともいえるわけだが)。ノスタルジックで温かさを感じる音楽、そして海辺の町の美しい風景の数々もあって、穏やかで優しい空気が流れる。このあたり、いかにも「死ぬまでにしたい10のこと」のコイシェ監督らしいタッチだと思う。

フローレンスを演じるエミリー・モーティマーの自然体の演技も印象深い。穏やかで、しなやかで、はにかんだような笑顔が印象的。それでいて、不当な圧力には絶対に屈しない強さも持ち合わせている。実に魅力的な女性だ。

そこはかとないユーモアもある。何といっても効果的なのが、学校の放課後や土曜日にバイトに来るクリスティーン(オナー・ニーフシー)という少女の存在だ。妙に大人びた口が達者な女の子で「読書は嫌い」と公言する。彼女とクリスティーンのやりとりは、まるで漫才のようで自然に笑ってしまうのである。

そして忘れてはいけないもう1人の人物がいる。40年に渡って邸宅に引きこもっているという老紳士ブランディッシュ氏(ビル・ナイ)だ。町で数少ない読書家の彼は、フローレンスに本を送らせる。彼女が選んだのはレイ・ブラッドベリの「華氏451度」。ブランディッシュ氏は、その本をすっかり気に入る。やがてフローレンスはナボコフの「ロリータ」を手に入れる。問題作として知られるこの本を、自分の書店に置くべきかどうか。彼女はブランディッシュ氏に問う。

フローレンスがブランディッシュ氏に招かれて、彼の邸宅を訪れるシーンが素晴らしい。読書愛が2人の絆を強める様子を微笑ましく見せていく。長い間、凍りついていたブランディッシュ氏の心が少しずつ溶け出し、ぎこちないながらもフローレンスと会話を続け、彼女に恋心にも似た親愛の情を感じ始める。何しろ演じているのが名優のビル・ナイだ。その表情やしぐさがブランディッシュ氏の心の内をリアルに表現する。

ブランディッシュ氏のサポートもあって、フローレンスの店はそれなりに繁盛する。だが、それとともにガマート夫人の嫌がらせもエスカレートする。あの手この手で書店経営の妨害工作を行う。

それでもフローレンスは必死で店を続けようとする。ブランディッシュ氏も、邸宅を飛び出して店の存続のために動こうとする。だが、ついにフローレンスは大変な状況に追い込まれる。

終盤は、かわいそうなフローレンスVS悪辣なガマート夫人というわかりやすい構図になる。そのため観客は、やきもきしながらスクリーンを見つめることになる。はたして、このままフローレンスは悲劇のヒロインになってしまうのか。何とか彼女を救う方法はないものか。

そこで用意されるのが意表を突いたラストである。実は、この映画には第三者目線のナレーションが随時挟まれる。このナレーションを担当するのは、ジュリー・クリスティフランソワ・トリュフォーが映画化した「華氏451度」の主演女優だ。コイシェ監督は、トリュフォー作品へのオマージュとして彼女を起用したという。

それはともかく、いったいこのナレーションは誰のものなのか。それがラストに明らかになる。そして、その人物が取ったささやかな抵抗が、観客をちょっぴりホッとさせる。同時に、このドラマが単なる過去のドラマではなく、今の時代とつながっていることも示す。何とも心憎い仕掛けである。おかげで深い余韻を残してくれた。

小品ではあるものの、心にじんわりと染みる作品である。主人公の生き様からきっと勇気をもらえるはずだ。

 

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◆「マイ・ブックショップ」(THE BOOKSHOP)
(2017年 スペイン・イギリス・ドイツ)(上映時間1時間52分)
監督・脚本:イザベル・コイシェ
出演:エミリー・モーティマービル・ナイパトリシア・クラークソン
シネスイッチ銀座ほかにて公開中
ホームページ http://mybookshop.jp/