映画貧乏日記

映画貧乏からの脱出は可能なのだろうか。おそらく無理であろう。ならばその日々を日記として綴るのみである。

「ROMA/ローマ」

「ROMA/ローマ」
イオンシネマ板橋にて。2019年3月11日(月)午前9時25分より鑑賞(スクリーン1/F-8)。

~人間の強さと弱さが伝わるキュアロン監督の自伝的要素を持つ作品

ゼロ・グラビティ」でアカデミー監督賞に輝いたアルフォンソ・キュアロン監督の新作「ROMA/ローマ」(ROMA)(2018年 メキシコ)。2018年の第75回ベネチア国際映画祭コンペティション部門で、最高賞にあたる金獅子賞を受賞。今年の第91回アカデミー賞でも作品賞を含む同年度最多タイの10部門でノミネートされ、外国語映画賞、監督賞、撮影賞を受賞した。

この映画は一般的な劇場公開作品ではない。Netflixで世界配信された作品だ。そのため、アカデミー賞にはふさわしくないという声も上がった。とはいえ、アメリカでは小規模ながら劇場公開されたようで、「日本でも上映してくれないかなぁ。オレ、Netflixに入ってないから観られないんだよなぁ」と思っていたら、全国のイオンシネマで特別に上映されるというニュースが……。

幸いなことに、自宅から電車を乗り継げば2駅のところにイオンシネマがあるので、さっそく観てきたのである。

この映画には、キュアロン監督の自伝的な要素がある。時代は1970年代前半。メキシコの首都メキシコシティにあるローマ地区(タイトルはそこからきたものなのだろう)に住む中流家庭が舞台だ。家族は医者の夫アントニオと妻ソフィア、そして彼らの4人の子供たちと祖母。彼らは2人の家政婦を雇っていた。

中流家庭で2人も家政婦を雇っているのは驚きだが、それはともかく、そのうちの一人である若い家政婦クレオ(ヤリッツァ・アパリシオ)が、この物語の主人公だ。彼女は、子供たちの世話や家事に追われる日々を送っていた。それでも、子供たちは彼女によくなつき、ソフィアも比較的やさしく接してくれているから、穏やかな日々と言ってもいいだろう。

ちなみに、キュアロン監督は1961年生まれだから、子供たちのうちの1人に自身を投影させているに違いない。

映画は、そんなクレオや雇い主一家の日常を淡々と描く。特徴的なのはその映像だ。キュアロン監督自身が撮影も担当しているのだが、全編モノクロ、そして長回しの映像を多用する。それが実に美しく、ノスタルジックな雰囲気を醸し出す。同時にドキュメンタリー的でもあり、登場人物の心情がリアルに伝わってくる。

心理描写の巧みさには何度も唸らされたが、中でもアントニオが車を止める場面が秀逸だ。家の中の狭い中庭のようなところに車を入れるのだが、ギリギリの幅しかないからなかなかうまくいかない。その時のアントニオの苛立ちを、彼の表情を映すことなく、動作だけであぶり出す。そこから見て取れるのは、どうやら彼は車の駐車だけにイラついているのではないということだ。

まもなく、アントニオの苛立ちの原因が夫婦仲にもあることが見えてくる。彼はまもなく長期の海外出張へ旅立つ。それは研究を理由にしたものだったが、実際はそうではないことが明らかになる。そんなアントニオの行動を受けて、千々に心が乱れるソフィアの心理も、これまた巧みに描写されている。

一方、クレオにも大きな変化が訪れる。彼女は、同僚家政婦の恋人の従兄弟である青年フェルミンと恋に落ちる。「武道が人生を救ってくれた」と語って、クレオの前で素っ裸で棒を振り回すような変な奴だ(この時、彼の股間がバッチリ映っているのが、この映画がR-15指定である理由なのだろう)。

そしてクレオは妊娠する。すると、それを知ったフェルミンは姿を消す。コイツ、ただの変な奴ではなく、とんでもない奴だったのだ。

クレオはこのことをソフィアに相談する。怒ったソフィアは彼女をクビにし、そこからさらに悲惨な運命が……な~んて昼ドラみたいなことにはならない。詳しくは伏せるが、クレアもソフィアも男に逃げられた同士なのだ。それを踏まえて、彼女たちのたくましい生き様が描かれるのである。

さすがにキュアロン監督自身の幼少時の体験がベースにあるだけに、ディテールもよく描かれている。猥雑な街の様子、当時の映画や音楽などもドラマに独特の情趣を生み出している。新年を迎えるどんちゃん騒ぎや森で起きた火事なども、実際に体験したものなのだろう。亡くなった飼い犬の首を壁に飾る(鹿みたいに)ちょっと気色の悪い習慣なども、事実なのかもしれない。

この映画の時代には、メキシコ社会は大いに混乱していたらしい。最初のうち、それはチラリと会話などに登場するのみなのだが、後半になるとドラマの展開自体と大きくかかわってくる。学生デモと銃撃戦が登場し、その混乱の中でクレオたちにも衝撃的な出来事が起きるのだ。その出来事を赤裸々かつリアルに描いたシーンも印象深い。

さらにラスト近くの家族旅行での海辺でのある出来事にも、心を揺さぶられた。そこでのクレオのストレートな心情の吐露がググっと胸に迫ってくる。女たちは傷つきながらも、それでも前を向いていくのである。

人生のほろ苦さと温かさ、そして女性のたくましさが伝わってくる映画だった。キュアロン監督自身の極私的なところから出発した映画には違いないが、そこから普遍的な人間ドラマに昇華している。

それにしても、クレアを演じたヤリッツァ・アパリシオの演技が素晴らしい。セリフはけっして多くないのに、彼女の揺れ動く心情がリアルに伝わってきた。受賞こそ逃したものの、アカデミー主演女優賞にノミネートされたのも納得の演技だった。いったい、どんなキャリアの女優かと思ったら、もともと幼稚園の先生で演技経験ゼロだったとか。それも妊娠した姉に代わってオーディションを受けたというからビックリ。世の中、何があるかわからんものですなぁ~。

何にしても、こんなに素晴らしい作品を劇場で鑑賞できて、よかった、よかった。イオンシネマさんに感謝!!

 

*何せ急遽劇場公開になったためチラシ等はナシ。その代わり、イオンシネマに敬意を表してイオンシネマ板橋のある建物の写真など載せてみました。

f:id:cinemaking:20190314224548j:plain

 

◆「ROMA/ローマ」(ROMA)
(2018年 メキシコ)(上映時間2時間15分)
監督・脚本・撮影:アルフォンソ・キュアロン
出演:ヤリッツァ・アパリシオ、マリーナ・デ・タビラ、マルコ・グラフ、ダニエラ・デメサ、カルロス・ペラルタ、ディエゴ・コルティナ・アウトレイ
イオンシネマにて公開中。Netflixにて配信中
ホームページ(Netflixのサイト) https://www.netflix.com/jp/title/80240715

「たちあがる女」

「たちあがる女」
YEBISU GARDEN CINEMAにて。2019年3月10日(日)午後2時30分より鑑賞(スクリーン1/F-7)。

~シニカルでユーモラスなアイスランドの環境活動家の女性の闘い

数年前の東京国際映画祭で、アイスランドのベネディクト・エルリングソン監督の長編デビュー作「馬々と人間たち」を観た時には驚いた。アイスランドの田舎町を舞台に、馬と人間を巡る悲喜こもごもの物語が綴られるのだが、一筋縄ではいかない個性派の作品。のどかで美しいアイスランドの風景とぶっ飛んだ描写、そしてシニカルな笑いが入り混じって、他にはないユニークな魅力を放っていた。

そのエルリングソン監督の長編第二作「たちあがる女」(WOMAN AT WAR)(2018年 アイスランド・フランス・ウクライナ)が公開になった。今回も、一筋縄でいかない変わった映画だ。

基本はアイスランドの田舎町を舞台にした1人の女性をめぐる人間ドラマだ。冒頭に、ハットラ(ハルドラ・ゲイルハルズドッティル)というその女性が意外な形で登場する。弓を引いて送電線をめがけて矢を放つ。そして、電線をショートさせて、地元のアルミニウム工場の操業を妨害するのだ。彼女は、何度もこうした行為を繰り返していた。

ヘリコプターの追跡を逃れ、地元の中年牧場主の助けもあって無事に帰還したハットラは、またしても意外な姿で現れる。セミプロ合唱団の明るく朗らかな講師だ。彼女はこうして表の顔で活動する傍ら、人々から「山女」と呼ばれる謎の環境活動家という裏の顔を持っていたのだ。警察は山女の逮捕に躍起になっていたが、その正体を突き止められずにいた。

そんな中、ハットラのもとにある報せが届く。4年前に提出していた養子を迎える申請がついに受け入れられたのだ。養子の候補は、ウクライナ紛争で両親を亡くし、祖母も亡くした4歳のニーカという少女だという……。

さて、この映画の何が変わっているのか。最も変わっているのは、音楽の演奏者がそのままスクリーンに登場することだ。この映画の全編にはユニークな音楽が鳴り響いている。その劇伴の演奏者であるブラスバントやピアニスト、ウクライナの合唱隊をハットラと同じシーンに、そのまま登場させてしまうのである。そこから何とも言えないユーモラスな雰囲気が醸し出される。ハットラの様々な心理も浮かび上がってくる。

それ以外にも変わったシーンがいくつもある。何度も真犯人と間違われて逮捕されてしまう外国人青年の存在なども笑いを誘う。

アイスランドの自然を生かした映像は今回も健在だ。果てしなく広がる草原など美しい風景だけでなく、ゴツゴツした岩山など様々な自然の表情が見られる。それらがハットラの行動の舞台となり、ドラマを盛り上げる役割を果たす。

そして今回の大きな特徴が、自然破壊、過度なテクノロジーの発達、監視社会といった現代の社会的テーマが盛り込まれた作品であるところ。ハットラの家のテレビからは地球温暖化のニュースが流れる。ハットラは親しい公務員と会話をする時に盗聴を恐れてスマホを隔離する。警察は彼女を追うのにドローンを駆使する。

とはいえ、そうした社会的テーマに正面から言及するわけではない。もしも今の時代を痛烈に批判するなら、環境活動家のハットラを典型的なヒロインとして描くはず。だが、エルリングソン監督は、そんなふうには描かない。ハットラにさりげないシンパシーを示しつつも、それ以上は安易に近づかない。彼女の主張には、反グローバリズム環境保護などの要素がうかがえるものの、明確なものとしては提示されない。見ようによっては身勝手で無謀な女に見えないこともない。だから、その行動に素直に感情移入しにくいのである。

だが、それでも、ひたすら前に突き進むハットラを見ているうちに、何だか心が湧きたってくる。なんとまあバイタリティーあふれる女性なのだろう。相変わらずの人を食ったユーモラスなタッチも相まって、ついつい目が離せなくなってしまう。

それが加速するのが終盤だ。彼女の行動は国内はもちろん、海外でも話題を集めるようになり、当局の追求も一段と厳しくなってくる。そこでハットラは、アルミニウム工場との戦いに決着をつけるべく、最終決戦に乗り出す……。

そこでのハットラと当局の攻防はスリリングで観応え十分。ドローンを駆使して必死で追う当局を前にして、何度かあわやの場面を迎えながらも、ハットラは逃走を続ける。このあたりはアクション映画としての魅力も十分に備えている。

終盤のドラマのポイントになるのは、ハットラの双子の姉の存在だ。彼女がヨガに傾倒し、それがあまりにも極端で笑いを誘うというのも、いかにもエルリングソン監督らしいひねり方だが、いずれにしてもその姉の存在がドラマに大逆転をもたらす。

そしてラストもなかなかに手ごわい。さすがに、ここに至ってはホッコリする感動の大団円が訪れるかと思いきや、何だ? あの洪水は。今後のハットラの人生の波乱の予兆なのか? それとも過去をすべて水に流そうという意図なのか? いかようにも解釈できそうだが、それもまたエルリングソン監督らしいといえるだろう。

素直な感動物語でも、正面切った社会派映画でもない。その代わり、ありきたりの映画にはない魅力がある。シニカルでユーモラスなドラマを通して、人間のたくましさや弱さなど様々な面が伝わってきた。

 

f:id:cinemaking:20190312184335j:plain

 

◆「たちあがる女」(WOMAN AT WAR)
(2018年 アイスランド・フランス・ウクライナ)(上映時間1時間41分)
監督・脚本:ベネディクト・エルリングソン
出演:ハルドラ・ゲイルハルズドッティル、ヨハン・シグルズアルソン、ヨルンドゥル・ラグナルソン、マルガリータヒルスカ
*YEBISU GARDEN CINEMAほかにて公開中。全国順次公開予定
ホームページ http://www.transformer.co.jp/m/tachiagaru/

「運び屋」

「運び屋」
ユナイテッド・シネマとしまえんにて。2019年3月9日(土)午前11時40分より鑑賞(スクリーン9/F-11)。

イーストウッドが90歳の麻薬の運び屋を通して描く人生と家族

いわずと知れた巨匠クリント・イーストウッド監督。自身の監督作では、2008年の「グラン・トリノ」以来10年ぶりに主演を務めたのが「運び屋」(THE MULE)(2018年 アメリカ)だ(ちなみに、その間に役者としては、ロバート・ロレンツ監督の2012年の「人生の特等席」に出演している)。

87歳の老人がひとりで大量のコカインを運んでいたという実際の記事をもとにしたこのドラマ。観ればイーストウッドが監督・主演を務めたことが、きっと納得できるはずだ。

主人公の退役軍人のアール・ストーン(クリント・イーストウッド)は、デイリリーというユリの栽培に情熱を燃やしている。園芸の世界では有名人らしく、品評会などでも高く評価されていた。

イーストウッドが演じるといえば、寡黙で頑固な人物を思い浮かべるかもしれないが、この映画のアールはちょっと違う。最初から軽口を叩き陽気な振る舞いを見せる。品評会の表彰式でもしゃれたスピーチで観衆の笑いを取る。一見、順風満帆の人生の成功者のようである。

だが、実は彼には別の顔があった。品評会と同じ頃に行われようとしていた娘の結婚式。だが、そこにアールの姿はなかった。彼は仕事一筋で、家庭を顧みようとはしなかったのだ。妻のメアリー(ダイアン・ウィースト)や娘は彼を非難するが、アールは何が悪いのか理解できない。

そんな生き方がたたったのか、90歳になった今は家族との間の確執はさらに深刻なものとなり、孤独な日々を送っていた。しかも、仕事にも行き詰まり、自宅を差し押さえられてしまったのだ。

仕方なく、車に荷物を積み込んだアールは他に行く当てもないため孫娘のところへ行く。孫娘は間もなく結婚予定。その花婿の付添人だという男が、アールが長年無事故で車の運転をしていることを知り、「運転をするだけで大金がもらえる」と仕事を紹介する。

さて、こうしてアールが運んだのがなんと麻薬。最初は荷物の中身を知らずにいるが、まもなく真実を知ることになる。アールは麻薬の運び屋になったのだ。だが、それでも彼は運び屋を続ける。その原動力になったのは金だ。

運び屋の仕事で大金をつかんだアールは、孫娘の結婚パーティーの資金を出し感謝される。続いて、差し押さえにあった自宅も取り戻す。そのほかにも、火事にあって閉鎖の危機にあった退役軍人の施設を再開させるなど、大金を使っていろいろなことを実現する。

要するに、やっていることは犯罪ではあるのだが、それによって人生で失ったものを取り戻しているわけだ。その中でも、家族との絆の結び直しは、彼にとって何物にも代えがたかったに違いない。彼にとって運び屋は、ある種の人生の生き直しといえるかもしれない。

おかげでアールは、楽しそうに運び屋稼業に精を出す。車の中で昔の曲を鼻歌で口ずさみ、沿道の店に立ち寄るなどして、自由気ままに目的地を目指す。パンクして困っている人がいれば、迷うことなく車を止めて手助けをする。

はては、麻薬組織のボス(アンディ・ガルシア)に気に入られて、メキシコの彼の豪邸でどんちゃん騒ぎまでする。まさに人生を謳歌しまくるのだ。劇中ではアールが麻薬組織の下っ端に、「人生を楽しめ」と諭す場面があるのだが、彼自身がそれを地で行っているわけだ。

だが、悪事はそういつまでも続かない。この映画では、アールの運び屋稼業の様子と並行して、ベイツ捜査官(ブラッドリー・クーパー)をはじめとした麻薬取締局の動向が描かれる。彼らはじわじわと麻薬組織に迫っていく。やがて、「謎の運び屋」の存在も察知する。はたしてアールはどうなるのか。

というわけで、終盤に進むにつれて、麻薬組織VS捜査当局をめぐるサスペンス的な構図が強まる。特に、ボスが仲間に殺害された後には、アールはそれまでは違う行動を要求され、さらにそこに予想外の出来事が起きて、彼は究極の選択を迫られる。

このあたり、なかなかスリリングな展開ではあるのだが、主眼はそこではないだろう。やはり、アールの人間としての生き様こそが、ドラマの最大の肝に違いない。

後半には、アールとベイツが対面する場面が2度ある。そこでのアールの言葉には含蓄がある。いやいや、そこだけではない。この映画のアールの全ての言葉が、過去の人生からにじみ出たもので重みがある。それらは様々な世代に向けた人生の先達からのメッセージでもある。

それにしてもイーストウッドのカッコよさよ。顔はしわだらけで、背中も曲がりつつあるが、それでもカッコいい。こんな88歳めったにいるものではない。この映画のアールの人生が、イーストウッド自身の人生ともリンクして余計に味わい深く感じられる。彼の実の娘のアリソン・イーストウッドが出演していることもあって、ますますそうした感じがするのである。

この作品の素晴らしさは、他にもまだある。例えば、アールという人物のパーソナルな物語の背景には、彼が生きてきた時代背景も盛り込まれている。モーレツな仕事人間が全盛だった時代、人種差別が当然だった時代、インターネットの隆盛で旧来のビジネスが通用しなくなった時代などなど、アメリカを中心にした世の中の動向がさりげなく盛り込まれているのだ。

音楽の素晴らしさも特筆ものだ。終盤、アールが妻と対面した時に、バックに流れる哀愁を帯びたトランペットの音色は、長年にわたる夫婦の愛憎を見事に象徴している。

そしてエンディングに流れる歌がこれまた味わいがある。「年を忘れろ」という内容は、この映画の最大のメッセージかもしれない。アールのようにいくつになっても人生を輝かせたり、生き直すことは可能なのだろう。麻薬の運び屋はともかくとして、だが。

イーストウッドが監督して、演じたからこそ成立した映画だと思う。彼の作品にしては珍しく全体のタッチは軽いが、その中から人生の喜び、悲しみ、苦しみがじわじわと染みだしてくる。まさに極上の一作である。

 

f:id:cinemaking:20190310211742j:plain

 

◆「運び屋」(THE MULE
(2018年 アメリカ)(上映時間1時間56分)
監督・製作:クリント・イーストウッド
出演:クリント・イーストウッドブラッドリー・クーパーローレンス・フィッシュバーンマイケル・ペーニャダイアン・ウィースト、タイッサ・ファーミガ、アリソン・イーストウッドアンディ・ガルシア
*TOHOシネマズ日比谷ほかにて全国公開中
ホームページ http://wwws.warnerbros.co.jp/hakobiya

「女王陛下のお気に入り」

女王陛下のお気に入り
渋谷シネクイントにて。2019年3月5日(火)午後12時45分より鑑賞(スクリーン1/G-6)。

~ぶっ飛んだ監督が描く3人の宮廷の女たちによるドロドロ愛憎劇

前回の「グリーンブック」のレビューで触れたアルフォンソ・キュアロン監督のネットフリックス作品「ROMA/ローマ」は、急遽、全国のイオンシネマで劇場公開されることが決定したそうだ。はたしてオレは観られるのか???

それはともかく、監督賞や外国語映画賞などを受賞した「ROMA/ローマ」と同じく、今年の第91回アカデミー賞で作品賞など9部門10ノミネートされ、オリヴィア・コールマンが主演女優賞を受賞したのが「女王陛下のお気に入り」(THE FAVOURITE)(2018年 アイルランドアメリカ・イギリス)だ。18世紀初頭のイングランドの宮廷を舞台にした時代劇である。

というと、正統派の格調高い宮廷劇を思い浮かべるかもしれないが、そんな期待は抱かないほうがいい。何しろ監督はギリシャの鬼才ヨルゴス・ランティモスだ。この人の過去作がすごい。独身者が動物に姿を変えられるという破天荒なSFラブ・ストーリーの「ロブスター」。医療ミスにまつわる不可解な出来事を描いた不条理スリラーの「聖なる鹿殺し キリング・オブ・ア・セイクリッド・ディア」。いずれも奇想天外で皮肉たっぷりのクセモノ映画だ。それだけに、この映画もぶっ飛びまくっているのだ。

滑り出しは、いかにも正統派の宮廷劇風だ。18世紀初頭のイングランド。フランスとの戦争が長引く中で、アン女王(オリヴィア・コールマン)と幼なじみで側近であるサラ(レイチェル・ワイズ)との関係が描かれる。

ここで注目すべきは、アンのキャラクターだ。お世辞にも美人とはいえない彼女は、足が悪く、肥満体で痛風に悩まされている。心の中は孤独に満ち(17匹のウサギをかわいがっているが、その数は流産や死産で亡くした自分の子どもの数だという)、情緒不安定気味だった。

そんなアンを操るサラは、イングランド軍を率いるモールバラ公爵の妻で、フランスとの戦争に積極的な態度で臨んでいた。そこでアンを背後から操って、宮廷の実権を握り戦費の調達に奔走していた。見るからに有能で、人心掌握に長けた人物だ。

だが、そこに波乱の芽が生じる。サラの前に従妹のアビゲイルエマ・ストーン)が現われる。彼女は元は上流階級の娘だったが、父親の博打のかたに売り飛ばされた経験があるという。アビゲイルの懇願により、サラは彼女を召使として雇う。

このあたりから、早くも映画は不穏な空気が漂い始める。アビゲイルの登場シーンからして強烈だ。馬車から落ちたという彼女は泥だらけでサラの前に現れる。その馬車の中では男が自慰行為をしていたというワケのわからない話まで飛び出す。気づけば、バックに流れる音楽まで何やら不穏なものへと変化している。

アビゲイルは、表面的には忠実な召使を演じるものの、その瞳の奥の野心を隠そうともしない。それによって、アン女王とサラとの間にドロドロの愛憎劇が生まれていく。それをシニカルかつゴージャスかつ容赦なく描いていく。

とにかくぶっ飛んだ映画だ。どうやら美術や衣装なども時代考証を無視しているようだ。宮廷生活のあれこれも、現実のものかどうかはわからない。裸の男にトマトらしきものをぶつけるお遊びや、ユーモラスなダンスなどは、ランティモス監督の想像の産物ではなかろうか。

いずれにしても、それらの破天荒さがケレンを生み出す。3人のドロドロのバトルに陰惨さはない。あまりにも容赦なく描くものだから、それがかえって独特の笑いにつながっていく。「おいおい、そこまでやるか?」と思いつつ、つい笑ってしまうのだ。

映像もぶっ飛んでいるではないか。この手の映画では珍しく広角レンズを使った映像が多用され、スーパースロー映像なども飛び出す。それがさらに不穏さや不可思議さを高め、大いにドラマを盛り上げる。

当初は従順にサラに従う素振りを見せていたアビゲイルだが、やがてその野心を全開にする。巧みに女王の歓心を買い、信頼を得るようになったアビゲイルは、再び上流階級の身分を手にするべく攻勢を強める。サラは、そんなアビゲイルの野心に警戒心を抱くのだが……。

アビゲイルがアン女王に接近する過程では、性的な関係までもが赤裸々に描かれる。いや、もともとアンとサラとの関係にも、そうした要素があったのだ。下世話といえば下世話ではあるのだが、それでも彼女たちの心理がキッチリと描かれているから、ただの下世話では終わらない。それぞれの心の中に渦巻く孤独、野心、嫉妬心などがリアルに浮かび上がってくるのである。

終盤になると愛憎劇はさらに過激化し、とんでもない出来事が起きる。それを受けて、3人の心は千々に乱れていく。そのあたりの心理描写も怠りがない。

ラストのアンとアビゲイルのシーンが印象深い。それぞれの表情をじっくりと映し出す。その心の内にあるものは何なのか。観客に多くのことを想像させる含蓄に富んだラストである。

アカデミー主演女優賞をはじめ数々の賞に輝いたアン女王役のオリヴィア・コールマンの怪演ぶりが見事だ。気分次第でころころと変わるいくつもの表情を巧みに演じ分けている。同時に、アビゲイル役の「ラ・ラ・ランド」のエマ・ストーン、サラ役の「ナイロビの蜂」のレイチェル・ワイズの演技も素晴らしい。この3人の演技だけでも必見だ。

そしてエンドロール(ロールじゃなくて、クレジットだが)が、これまたぶっ飛んでいる。美しくユニークなデザインだが、文字が読みにくくて仕方ないのだ。このあたりも、いかにもランティモス監督らしいところ。過去のランティモス作品に比べれば控えめだが、それでも超個性派の時代劇なので、そのつもりでご鑑賞くださいませ。

 

f:id:cinemaking:20190308203450j:plain

 

◆「女王陛下のお気に入り」(THE FAVOURITE)
(2018年 アイルランドアメリカ・イギリス)(上映時間2時間)
監督:ヨルゴス・ランティモス
出演:オリヴィア・コールマンエマ・ストーンレイチェル・ワイズニコラス・ホルト、ジョー・アルウィン、マーク・ゲイティス、ジェームズ・スミス
*TOHOシネマズシャンテほかにて公開中
ホームページ http://www.foxmovies-jp.com/Joouheika/

「グリーンブック」

「グリーンブック」
ユナイテッド・シネマとしまえんにて。2019年3月3日(日)午後1時45分より鑑賞(スクリーン5/D-12)。

~洗練された黒人ピアニストと粗野な白人運転手の交流の旅

今年の第91回アカデミー賞の作品賞は、アルフォンソ・キュアロン監督の「ROMA/ローマ」が獲得するのではないかという声も多かったようだが、結果はこの「グリーンブック」(GREEN BOOK)(2018年 アメリカ)が獲得した。「ROMA/ローマ」はネットフリックス配信の作品だけに、未加入のオレには鑑賞できないわけで、やっぱり映画は映画館で上映して欲しいよなぁ~。

さて、その「グリーンブック」だが、実によくできた映画である。主要なテーマは人種差別。とはいえ声高なメッセージはなく、コミカルで心温まる友情物語として描いている。

ドラマのスタートは、1962年のアメリカ・ニューヨーク。高級ナイトクラブで用心棒を務めるイタリア系の白人トニー・リップ(ヴィゴ・モーテンセン)は、改修のために店が閉鎖になり、職を失ってしまう。

そんなトニーのキャラを的確に表現した描写が印象深い。粗野で無教養で喧嘩っ早い男。同時に家族思いでもある。そして周囲の人々と同様に彼は黒人を嫌っている。あからさまな差別ではないが、差別意識は明確だ。家に作業に来た黒人が使ったコップを捨てるシーンが、それを端的に表している。

そのトニーのもとに仕事の話が舞い込む。それは運転手の仕事だった。カーネギーホールに住む黒人ピアニスト、ドクター・シャーリー(マハーシャラ・アリ)が、黒人差別が残る南部での演奏ツアーを計画しており、その運転手を探していたのだ。

当初は雇い主が黒人ということもあり、あまり気乗りしないトニー。一方、シャーリーもトニーを嫌っているかに見えたのだが……。

結局、シャーリーはトニーを雇い、2人は南部への演奏旅行に出る(シャーリーはトリオで演奏するので、残り2人のミュージシャンももう1台の車で移動する)。

ちなみにタイトルの「グリーンブック」とは、差別の激しい南部で黒人が泊まれる宿などを記したガイドブックのことである。トニーは、これを手にハンドルを握る。

というわけで、ここからはトニーとシャーリーによるロード・ムービーとなる。それはバディ(相棒)ムービー的でもある。そこで生きてくるのが、2人のキャラの好対照だ。トニーはすでに述べたように粗野で無教養で喧嘩っ早い男。それに対して、シャーリーは学も教養もあり、洗練された人物。要するに、これまでの映画などでよく描かれてきた黒人と白人のキャラが、逆転しているのである。

この逆転の設定をフルに生かして、たくさんの笑いが飛び出す。フライドチキンを食べたことがないというシャーリーに、その美味さを説き無理に食べさせようとするトニー。さらに、クラシック畑出身でR&Bやロックンロールなどの黒人が好む音楽をまったく知らないシャーリーに、リトル・リチャードやアレサ・フランクリンなどの黒人の音楽を教えてあげる。

一方、シャーリーはトニーの乱暴な言葉遣いを正そうとしたり、トニーが妻に出す手紙の内容をアドバイスする。こうした交流が様々な笑いを生み出し、2人の友情の醸成を自然に見せていく。おかげで、この手のドラマにありがちな嘘くささがほとんど感じられないのだ。

この映画の監督は「メリーに首ったけ」「愛しのローズマリー」などのコメディ映画で、弟のボビー・ファレリーとともに共同監督を務めてきたピーター・ファレリー。単独監督は今回が初めてのようだが、さすがにこうしたコメディはお手のものである。

アカデミー脚本賞を受賞した脚本もよくできている。例えば、先ほどのフライドチキンの話やトニーが所持しているように見せかける銃の話などが、その後のドラマの展開の伏線になっていたりする。何とも心憎い仕掛けである。

時には衝突しながらも、凸凹コンビのようなやり取りを繰り返すうちに距離を縮めていくトニーとシャーリー。だが、そこにはシビアな側面もある。南部の深刻な人種差別が彼らの前に立ちはだかるのだ。

なかでも畑で働く南部の黒人たちが、ハイソな格好に身を固めているシャーリーを、異邦人でも見るように眺め、それをシャーリーが気まずい表情で受け止めるシーンが印象深い。

トニーはシャーリーに対する様々な差別に異議を唱えていく。当初はあくまでも演奏旅行を円滑に進めるべく仕事として対応しているのだが、それがやがて心からの行動となる。ただし、黒人差別に反対するといった大上段の主張ではなく、一人の信頼できる友人に対する差別に怒りを示すのだ。シャーリーも、トニーのその思いを受け止める。

それが象徴されたシーンが終盤に用意されている。楽しそうにピアノを演奏するシャーリー。それを頼もしそうに見ているトニー。2人が交わす笑顔がじんわりと心にしみてきた。

ラストに用意されたクリスマス映画的なエンディングも、これまた心をポカポカさせてくれるはずだ。

正直、甘い話なのは間違いない。人種差別の深刻さを十分に伝えきれていないという批判もあるかもしれない。しかし、これは実話ベースの話なのだ。この映画のプロデュースと共同脚本は、トニー・リップの息子、ニック・バレロンガが務めている。根強い人種差別の残る時代に、こんなに素敵な友情が紡がれていたことは、特筆に値するだろう。誰でも楽しめて、心が温まる良質な映画である。

ドクター・シャーリー役は「ムーンライト」のマハーシャラ・アリ。深みのある演技が光るが、何といってもこの映画で目立つのは、トニー役のヴィゴ・モーテンセンだろう。これまではトンガッた役柄や思索的な役柄が多かった彼だが、そんなイメージを覆す名演だった。この演技だけでも観る価値あり。

*またまたチラシが見つからなかったのだ。おかしいなぁ~。画像&映像は下記公式ホームページでご覧ください。

◆「グリーンブック」(GREEN BOOK)
(2018年 アメリカ)(上映時間2時間10分)
監督:ピーター・ファレリー
出演:ヴィゴ・モーテンセンマハーシャラ・アリ、リンダ・カーデリーニ、ディミテル・D・マリノフ、マイク・ハットン、イクバル・テバ、セバスティアン・マニスカルコ、P・J・バーン、トム・ヴァーチュー、ドン・スターク、ランダル・ゴンザレス
*TOHOシネマズ日比谷ほかにて全国公開中
ホームページ https://gaga.ne.jp/greenbook/

「THE GUILTY/ギルティ」

「THE GUILTY/ギルティ」
ユナイテッド・シネマとしまえんにて。2019年2月22日(金)午後1時10分より鑑賞(スクリーン9/D-12)。

~音だけを頼りに事件を追う異色のサスペンス

数年前にAKBのラジオドラマを書いていた時にあらためて思ったのだが、音の世界はなかなかに奥深い。映像がなくても、いろいろなことを想起させるのだ。

そんな音の持つ特徴を十二分に生かしたのが、デンマーク映画「THE GUILTY/ギルティ」(DEN SKYLDIGE)(2018年 デンマーク)である。舞台となるのは緊急通報指令室のみ。いわゆるワンシチュエーションのドラマだ。

主人公はアスガー(ヤコブ・セーダーグレン)という男。緊急通報指令室(日本の110番や119番のようなものらしい)のオペレーターとして働き、電話を使って救急車やパトカーの手配などを行っていた。だが、彼はただのオペレーターではないことが冒頭からチラチラと示唆される。

どうやら彼は元は警察官として現捜査にあたっていたものの、何らかのトラブルによって現場を外され、オペレーターとして働いているようだ。ただし、そのトラブルに関する裁判が明日行われ、それを乗り切れば現場に復帰できるらしい。

そんな中、1本の電話がかかる。今まさに誘拐されているという女性が、車の中からかけてきた電話だ。女性はイーベンと名乗った。彼女のそばには誘拐犯がいて、子供に電話をするふりをして携帯で電話をしてきたのだ。

この電話をきっかけに、アスガーは誘拐事件の解決にあたることになる。とはいえ、頼りになるのは電話だけだ。電話の相手はイーベンに加え、犯人と思しき男、イーベンの留守宅にいる幼い娘、警察の指令センターなど様々に変化する。そこから聞こえる声、周囲の音などをもとに、犯人の特定とイーベンの救出を成し遂げなければならない。

そして、観客もまた映画の中でアスガーと同じ体験をする。観客も電話から聞こえる声や音をもとに、あれこれと想像力をめぐらしていくのだ。

スクリーンに映されるのは緊急指令室のアスガーの姿のみ。にもかかわらず、観客は犯行現場の車の中、被害者や加害者の留守宅など様々な場面を頭の中で思い描く。こうして、想像の力によってスリリングで予想のつかないサスペンスが、構築される仕掛けなのである。これが、本作の最大の魅力である。

中盤、被害者の留守宅に警官が急行し、そこでとんでもない事実が発覚する。事件の様相は、当初描いていたものよりも残忍なものだったのだ。

それを知ったアスガーは、さらに事件にのめり込む。元相棒の警察官に依頼して、加害者宅を家探しさせるなど、オペレーターという職務を越えた行動を取るようになる。さらに、電話越しに秘策を授けてイーベンを車から脱出させようと試みる。

いったいなぜ、彼はそこまで事件にのめり込むのか。その背景には冒頭から示唆されてきた彼にまつわるトラブルがある。詳細は伏せるが、ここでタイトルの「ギルティ=罪」という言葉が大きく意味を持ってくる。それゆえ、暴走に近いアスガーの行動や苛立ちが納得できるものに感じられるのである。

そして、後半にはさらなる驚愕の事実が発覚する。映画の中盤でクッキリと見えたかに思えた事件の全貌。だが、それがガラリとひっくり返されてしまう。観客が抱いていた先入観や固定観念が音をたてて崩れてしまうのだ。え? まさか・・・。これまた実に心憎い仕掛けである。

逆転はラストにも待っている。ある人物の飛び降りを止めるべく、電話越しに説得するアスガー。だが・・・。そこで用意された再度の逆転現象に、思わずうなってしまった。まあ、本当によく考えられた脚本である。

アスガーの最後の行動も味がある。はたして彼は誰に電話をしたのか。これまた観客の想像力を刺激する余韻の残るエンディングである。

監督は本作が長編デビューとなるグスタフ・モーラー。実は、この手の携帯電話を使った映画は「[リミット]」「セルラー」「ザ・コール 緊急通報指令室」など、他にも数々ある。その中で、これだけ斬新に感じられる映画を撮ったのだから、その才気が光る。

なにせワンシチュエーションゆえに、映されるのはほぼアスガーのみ。しかもアップが多い。つまり、彼の一人芝居のようなものなのだ。それだけに、主演のヤコブ・セーダーグレンの演技が光る。同時に、電話の声だけで迫真の場面を示して見せた役者たちの功績も、忘れてはならないだろう。

音を頼りに想像力を刺激される魅力的な作品だ。ぜひスクリーンに集中してご覧あれ。

*チラシが見つからなかったので、映像などはホームページでチェックしてください。ていうか、ポイントは「音」の映画だし・・・。

◆「THE GUILTY/ギルティ」(DEN SKYLDIGE)
(2018年 デンマーク)(上映時間1時間28分)
監督:グスタフ・モーラー
出演:ヤコブ・セーダーグレン、イェシカ・ディナウエ、ヨハン・オルセン、オマール・シャガウィー、カティンカ・エヴァース=ヤーンセン
新宿武蔵野館ヒューマントラストシネマ渋谷ほかにて公開中
ホームページ https://guilty-movie.jp/

「家へ帰ろう」

「家へ帰ろう」
シネスイッチ銀座にて。2019年2月20日(水)午後7時より鑑賞(シネスイッチ2/E-7)。

ホロコースト映画だが、温かくユーモラスで味わい深い

以前から観たかったものの、なかなか鑑賞できなかった「家へ帰ろう」(EL ULTIMO TRAJE)(2017年 スペイン・アルゼンチン)。公開スタートから2か月近くが経ち、ようやく観ることができた。

この映画は、ナチスホロコーストを取り上げた作品だ。ただし、悲惨さは極力抑えて、涙と感動、さらには笑いまでたっぷり散りばめている。元々は脚本家で、長編2作目の監督作となるパブロ・ソラルス監督が、かなりの難度の仕事をこなしている。

アルゼンチンのブエノスアイレス。子供たちや孫に囲まれ、家族全員の集合写真に収まる88歳のユダヤ人の仕立屋アブラハム(ミゲル・アンヘル・ソラ)。いかにも幸せそう・・・かと思いきや、実はそうではない。彼は長く暮らした家を出て、明日、老人ホームに入ることになっていた。本人の意思というより、娘たちの意向が強く働いているらしい。しかも、彼は足が悪く切断の可能性もあるという。

おお! 何とかわいそうな老人。と思うかもしれないが、とんでもない。アブラハムは、頑固で強気で皮肉ばかり言う。小さな孫娘と小遣いの値段交渉をするしたたかさも持つ。とはいえ、「面倒臭い老人だなぁ~」と嫌悪感を持つには至らない。なぜなら、彼はどこか愛嬌があって憎めない存在でもあるからだ。

そんな不思議な魅力を持つアブラハムは、娘たちに黙って家を出る。向かった先は母国のポーランド。だが、直行することはできずに、とりあえずスペインのマドリッドに降り立つ。そこからポーランドへの旅を描いたロード・ムービーが始まる。

彼は旅先で様々な人物と出会う。特に、女性が彼のピンチを手助けする。マドリッドでは、ホテルオーナーの老婦人が親しくアブラハムと語り合う。こちらもなかなか個性的な人物だ。アブラハムが持ち金を盗まれた際には、彼とケンカ別れした娘が当地に住んでいると知り、嫌がる彼を説き伏せて会いに行かせる(ただし、それでありがちな和解に至らないホロ苦さもこの映画の魅力だろう)。

マドリッドを列車で出発したアブラハムは、パリに着く。そこで難題が持ち上がる。列車でパリからポーランドに行くためには、ドイツを通らなければならない。だが、彼は絶対にドイツを通りたくないとわがままなことを言う。いったいなぜなのか。

アブラハムの夢や幻覚などを通して、彼の過去が綴られる。詳しいことは伏せるが、彼はあのホロコーストを生き延びたのだ。幼い日の思い出も織り込みつつ、想像を絶するその体験を描いたシーンでは、さすがに言葉を失ってしまう。彼がポーランドに旅する目的は、その時の命の恩人に、最後に仕立てたスーツを届けることだった。

ホロコーストを生き延びた身として、ドイツを通りたくないというアブラハム。その無理な願いを珍アイデアによってかなえる人物が現れる。ドイツ人文化人類学者の女性だ。アブラハムは、ドイツ人というだけで彼女を毛嫌いする。だが、過去の歴史を受け入れつつ親身になって接する彼女の態度に、アブラハムの頑なな心が少しだけ変化する。そのさりげない描写が心に染みる。

やがて、ついにポーランドに足を踏み入れるアブラハム。だが、そこでも波乱が起きる。それを救ったのは若い看護師の女性。彼女の助けを借りて、目的を達しようとするアブラハム。はたして、恩人にスーツを届けることはできたのか。それは観てのお楽しみ。

観終わって、温かな余韻が残った。ホロコースト映画という枠を超えて、普遍的な人生のドラマとして見応えがある。地味ながら、ていねいにつくられた良作である。

何よりも、この映画をこれほど魅力的にしたのは、やはりアブラハムのキャラによるところが大きい。演じたミゲル・アンヘル・ソラは、「タンゴ」などで知られるベテラン俳優。実年齢より20歳近く上のアブラハムを演じるため老けメイクを施しているため、最初はやや違和感もあったのだが、観ているうちにそれがまったく気にならなくなった。まさにアブラハム本人になり切った演技だった。

ホロコースト映画という固定観念を捨てて、自然体で観てもらいたい作品だ。そうすれば、この映画の味わい深さがきっと感じられるはず。

 

f:id:cinemaking:20190223215017j:plain


◆「家へ帰ろう」(EL ULTIMO TRAJE)
(2017年 スペイン・アルゼンチン)(上映時間1時間33分)
監督・脚本:パブロ・ソラルス
出演:ミゲル・アンヘル・ソラ、アンヘラ・モリーナ、オルガ・ボラズ、ナタリア・ベルベケ、マルティン・ピロヤンスキー、ユリア・ベーアホルト
シネスイッチ銀座ほかにて公開中
ホームページ http://uchi-kaero.ayapro.ne.jp/