「運び屋」
ユナイテッド・シネマとしまえんにて。2019年3月9日(土)午前11時40分より鑑賞(スクリーン9/F-11)。
~イーストウッドが90歳の麻薬の運び屋を通して描く人生と家族
いわずと知れた巨匠クリント・イーストウッド監督。自身の監督作では、2008年の「グラン・トリノ」以来10年ぶりに主演を務めたのが「運び屋」(THE MULE)(2018年 アメリカ)だ(ちなみに、その間に役者としては、ロバート・ロレンツ監督の2012年の「人生の特等席」に出演している)。
87歳の老人がひとりで大量のコカインを運んでいたという実際の記事をもとにしたこのドラマ。観ればイーストウッドが監督・主演を務めたことが、きっと納得できるはずだ。
主人公の退役軍人のアール・ストーン(クリント・イーストウッド)は、デイリリーというユリの栽培に情熱を燃やしている。園芸の世界では有名人らしく、品評会などでも高く評価されていた。
イーストウッドが演じるといえば、寡黙で頑固な人物を思い浮かべるかもしれないが、この映画のアールはちょっと違う。最初から軽口を叩き陽気な振る舞いを見せる。品評会の表彰式でもしゃれたスピーチで観衆の笑いを取る。一見、順風満帆の人生の成功者のようである。
だが、実は彼には別の顔があった。品評会と同じ頃に行われようとしていた娘の結婚式。だが、そこにアールの姿はなかった。彼は仕事一筋で、家庭を顧みようとはしなかったのだ。妻のメアリー(ダイアン・ウィースト)や娘は彼を非難するが、アールは何が悪いのか理解できない。
そんな生き方がたたったのか、90歳になった今は家族との間の確執はさらに深刻なものとなり、孤独な日々を送っていた。しかも、仕事にも行き詰まり、自宅を差し押さえられてしまったのだ。
仕方なく、車に荷物を積み込んだアールは他に行く当てもないため孫娘のところへ行く。孫娘は間もなく結婚予定。その花婿の付添人だという男が、アールが長年無事故で車の運転をしていることを知り、「運転をするだけで大金がもらえる」と仕事を紹介する。
さて、こうしてアールが運んだのがなんと麻薬。最初は荷物の中身を知らずにいるが、まもなく真実を知ることになる。アールは麻薬の運び屋になったのだ。だが、それでも彼は運び屋を続ける。その原動力になったのは金だ。
運び屋の仕事で大金をつかんだアールは、孫娘の結婚パーティーの資金を出し感謝される。続いて、差し押さえにあった自宅も取り戻す。そのほかにも、火事にあって閉鎖の危機にあった退役軍人の施設を再開させるなど、大金を使っていろいろなことを実現する。
要するに、やっていることは犯罪ではあるのだが、それによって人生で失ったものを取り戻しているわけだ。その中でも、家族との絆の結び直しは、彼にとって何物にも代えがたかったに違いない。彼にとって運び屋は、ある種の人生の生き直しといえるかもしれない。
おかげでアールは、楽しそうに運び屋稼業に精を出す。車の中で昔の曲を鼻歌で口ずさみ、沿道の店に立ち寄るなどして、自由気ままに目的地を目指す。パンクして困っている人がいれば、迷うことなく車を止めて手助けをする。
はては、麻薬組織のボス(アンディ・ガルシア)に気に入られて、メキシコの彼の豪邸でどんちゃん騒ぎまでする。まさに人生を謳歌しまくるのだ。劇中ではアールが麻薬組織の下っ端に、「人生を楽しめ」と諭す場面があるのだが、彼自身がそれを地で行っているわけだ。
だが、悪事はそういつまでも続かない。この映画では、アールの運び屋稼業の様子と並行して、ベイツ捜査官(ブラッドリー・クーパー)をはじめとした麻薬取締局の動向が描かれる。彼らはじわじわと麻薬組織に迫っていく。やがて、「謎の運び屋」の存在も察知する。はたしてアールはどうなるのか。
というわけで、終盤に進むにつれて、麻薬組織VS捜査当局をめぐるサスペンス的な構図が強まる。特に、ボスが仲間に殺害された後には、アールはそれまでは違う行動を要求され、さらにそこに予想外の出来事が起きて、彼は究極の選択を迫られる。
このあたり、なかなかスリリングな展開ではあるのだが、主眼はそこではないだろう。やはり、アールの人間としての生き様こそが、ドラマの最大の肝に違いない。
後半には、アールとベイツが対面する場面が2度ある。そこでのアールの言葉には含蓄がある。いやいや、そこだけではない。この映画のアールの全ての言葉が、過去の人生からにじみ出たもので重みがある。それらは様々な世代に向けた人生の先達からのメッセージでもある。
それにしてもイーストウッドのカッコよさよ。顔はしわだらけで、背中も曲がりつつあるが、それでもカッコいい。こんな88歳めったにいるものではない。この映画のアールの人生が、イーストウッド自身の人生ともリンクして余計に味わい深く感じられる。彼の実の娘のアリソン・イーストウッドが出演していることもあって、ますますそうした感じがするのである。
この作品の素晴らしさは、他にもまだある。例えば、アールという人物のパーソナルな物語の背景には、彼が生きてきた時代背景も盛り込まれている。モーレツな仕事人間が全盛だった時代、人種差別が当然だった時代、インターネットの隆盛で旧来のビジネスが通用しなくなった時代などなど、アメリカを中心にした世の中の動向がさりげなく盛り込まれているのだ。
音楽の素晴らしさも特筆ものだ。終盤、アールが妻と対面した時に、バックに流れる哀愁を帯びたトランペットの音色は、長年にわたる夫婦の愛憎を見事に象徴している。
そしてエンディングに流れる歌がこれまた味わいがある。「年を忘れろ」という内容は、この映画の最大のメッセージかもしれない。アールのようにいくつになっても人生を輝かせたり、生き直すことは可能なのだろう。麻薬の運び屋はともかくとして、だが。
イーストウッドが監督して、演じたからこそ成立した映画だと思う。彼の作品にしては珍しく全体のタッチは軽いが、その中から人生の喜び、悲しみ、苦しみがじわじわと染みだしてくる。まさに極上の一作である。
◆「運び屋」(THE MULE)
(2018年 アメリカ)(上映時間1時間56分)
監督・製作:クリント・イーストウッド
出演:クリント・イーストウッド、ブラッドリー・クーパー、ローレンス・フィッシュバーン、マイケル・ペーニャ、ダイアン・ウィースト、タイッサ・ファーミガ、アリソン・イーストウッド、アンディ・ガルシア
*TOHOシネマズ日比谷ほかにて全国公開中
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