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映画貧乏日記

映画貧乏からの脱出は可能なのだろうか。おそらく無理であろう。ならばその日々を日記として綴るのみである。

「クリーピー 偽りの隣人」

「クリーピー 偽りの隣人」
シネ・リーブル池袋にて。6月18日(土)午後1時より鑑賞。

たとえば引っ越しの挨拶とかは、どの範囲までやればいいのだろうか。マンションやアパートの場合には、隣の部屋はマストかしら。しかし、上や下の部屋も騒音的なことなどで、もしかしたらご迷惑を掛けたりするかもしれぬゆえ、一応は挨拶しとくべきではないのか。だとしたら、その隣やその隣はどうなのだろう。うーむ……。

などと悩むオレは、結局面倒なので誰にも挨拶しない。なので、隣人が誰なのかもよくわからない。これはとてもコワいことなのかもしれない。だって、サイコパスが隣に住んでたりするかもしれないじゃないですか。ほら、この映画みたいに。

というわけで、今回取り上げるのは『クリーピー 偽りの隣人』だ。ご存知、世界的に知られる黒沢清監督の新作である。この映画にも隣人に引っ越しの挨拶をするシーンがある。主人公の高倉夫妻が最初に向かった先は、近所づきあいを拒否する家。これもけっこう怪しいのだが、次に向かった西野の家はそれどころではなかったのだ。

大学で犯罪心理学を教える元刑事の高倉(西島秀俊)は、妻・康子(竹内結子)と郊外の一軒家に引っ越す。ある日彼は、刑事時代の同僚の野上(東出昌大)から6年前に起きた未解決の一家失踪事件の分析を依頼される。事件の唯一の生き残りの長女・早紀(川口春奈)に話を聞くが、彼女の記憶は曖昧でなかなか真相にたどり着けない。そんな中、高倉と康子は、謎めいた隣人・西野(香川照之)の不可解な言動に振り回され始める。まもなく、西野の娘・澪(藤野涼子)は高倉に「あの人は、お父さんではない」と打ち明ける……。

最初は曖昧模糊としていた一家失踪事件の真相が少しずつ見え始め、西野との間の奇妙な接点も浮かび上がってくる。ただし、ミステリー的な魅力はそんなにない。話の展開は原作を読んでいなくても察しがついてしまう。

だが、それでも最後まで目が離せない。観ているうちにコワさがどんどん募ってくる。黒沢清監督の映画は、どんな作品にもホラー的な要素がある。前作『岸辺の旅』でも死者と生者がごく普通に触れ合うというストーリーもあってそういう感じが強かったが、この作品も黒沢監督らしさが十分に発揮されている。

そこでのキーワードは「支配」。現実にも似たような事件があったが、この映画でもサイコパスが家族を支配していく様子が描かれる。約2時間の映画で、それを理詰めで描くのは無理なので、断片的な要素をばらまいていくのだが、それが絶品だ。普通の会話や行動と同居する奇妙な言動、わずかな表情の変化、不可思議で唐突な動きなどで、サイコパスの異常性をジリジリとあぶりだす。

まあ、とにかく西野を演じる香川照之の怪演ぶりがハンパない。夢に出てきそうな強烈な演技だ。この人、歌舞伎界に入ってから、普通の演技にもますます凄味が出て来たのではないだろうか。黒沢監督の映画らしいザワつき感もそれを後押しする。特に映像の不気味さは出色。一見ごく普通の隣人の家の玄関も、なんだか怪しく感じてしまう。

後半は、おぞましい世界へと突入。ただし、「これでもか!」とおぞましさを強調するのではなく、西野の抱える底知れぬ闇で観客を震え上がらせる。

闇といえば、西野だけでなく周囲の人々も闇を抱えている。冒頭で描かれる刑事時代の失態により転進を余儀なくされた高倉は、刑事的な行動に迫られるうちに、ときどき暴走し始める。妻の康子はどんどん西野の罠にはまっていく。西野の娘の澪も完全に彼に支配されている。とにかくみんな闇だらけ。心の闇の大合唱である。そのあたりが、単なる即物的なホラーとは違うコワさを醸し出しているのである。

ラストも予想通りの展開ながら、完全にスッキリするわけではない。そこに残るモヤモヤ感は、まさしく人間の心の闇がもたらすものだろう。

いやぁ~、久しぶりに、こんなにコワイ映画を観たぜ。コワすぎて疲労感さえ感じました。それだけ見応えがあった映画なのだ。

今日の教訓 隣人には気をつけましょう。

●今日の映画代1300円(テアトル系の会員料金。火・金なら1000円なのだが、スケジュールが合いそうもなかったので、まあいいや・・・。)