映画貧乏日記

映画貧乏からの脱出は可能なのだろうか。おそらく無理であろう。ならばその日々を日記として綴るのみである。

「アイ,トーニャ 史上最大のスキャンダル」

アイ,トーニャ 史上最大のスキャンダル
TOHOシネマズシャンテにて。2018年5月5日(土)午後12時10分より鑑賞(スクリーン1/E-11)。

フィギュアスケートというと華麗な世界を連想するが、そこはやはり厳しい競争の世界。実際にはドロドロの場面もあったりするわけだ。そんなフィギュアスケート界のドロドロ事件の代表格が、1994年に起きた「ナンシー・ケリガン襲撃事件」だ。

全米のトップ選手でオリンピックにも二度出場しながら、その襲撃事件に関与したことで話題になったのがトーニャ・ハーディング。彼女の半生を描いた伝記映画が「アイ,トーニャ 史上最大のスキャンダル」(I, TONYA)(2017年 アメリカ)である。

全体の構成は、関係者のインタビューに基づく再現ドラマになっている。ただし、最初に断りがあるように、それが事実かどうかはわからないというスタンスを取っている。

証言するのはトーニャ本人、母ラヴォナ、元夫ジェフ・ギルーリー、その仲間のショーンなど。何やら全部怪しすぎる人物だ。しかも、ドラマパートだけでなくインタビューパートも役者たちが演じているのだが、それがまた彼らの得体の知れなさを増幅させている。

前半に描かれるのは母子の葛藤だ。貧しい家庭に育った少女トーニャ(マーゴット・ロビー)。彼女のスケートの才能に気づいた母ラヴォナ(アリソン・ジャネイ)は、フィギュアスケートを習わせる。

ただし、この母親ときたら完全に常軌を逸している。彼女は暴力と罵倒で娘を鍛える。「この子はそうしないとダメ」などといかにも本人のためのように言っているが、どう見ても愛情のかけらなど感じられない接し方だ。「トイレに行きたい」という娘に、お漏らしするまで練習を続けさせるなど、モンスター級の壊れっぷりである。やがてトーニャの味方だった父親も家を出て行くが、それも当然だろう。

それでもトーニャは「自分が悪いんだ」と考えて、必死で練習を続ける。そして、全米のトップ選手にまで成長していく。ちなみに、アメリカ人選手で初めてトリプルアクセルを成功させたのが、このトーニャである。

こんな状況だから、トーニャは母親からの脱出願望を持っている。そんな中で現れるのがジェフ・ギルーリー(セバスチャン・スタン)という男だ。15歳で彼と出会ったトーニャはすぐに恋に落ちる。何しろ最初の頃のジェフはひたすら優しかったのだ。

ところが、まもなくジェフは豹変する。何かあればすぐに暴力をふるい、そのあとで「ごめん」と謝る。まさしくDV男の典型だ。その後、2人は正式に結婚するのだが、このDVがもとで何度も別れたりくっついたりを繰り返す。

DV母&DV夫のダブルパンチとくれば、どう考えてもトーニャはかわいそうなヒロインだ。だが、この映画では彼女をそんなふうには描かない。トーニャの言動はこれまた常軌を逸している。気に入らないことがあれば口汚くののしり、自己主張ばかりする。子どもの頃に「自分が悪いんだ」と言っていた反動なのか、今度は「全部他人のせいだ」と責任転嫁する。彼女自身もある種のモンスターのように描かれるのである。

要するにこの映画、モンスターが勢揃いなのだ。それゆえ、彼らの言動がいちいち笑えてしまう。彼らにとっては普通のことなのだろうが、はたから見ればあまりにもバカバカしくて笑ってしまうのだ。かつて「ラースと、その彼女」という風変わりな映画を撮ったクレイグ・ギレスピー監督のテンポの良い演出も、この映画にピッタリだ。

同時に、トーニャの心の揺れ動きもきちんと見せる。母との確執や離れたいのに離れられない夫との関係、セレブスポーツであるフィギアスケート界で異端視される自身の立場など、様々なことでもがき苦しむ彼女の姿が、リアルに伝わってくる。悲劇のヒロインでもなく、完全な悪のヒロインでもない。そんな微妙なトーニャの描き方が、実に印象的な作品である。

アルベールビル五輪に出場したもののメダルを逃し、一度はスケートを引退してウェイトレスになったトーニャ。しかし、リレハンメル五輪が通常の4年後ではなく、2年後にあると知り、コーチの勧めで復帰を決意する。

終盤は、五輪を前にした1994年に起きた「ナンシー・ケリガン襲撃事件」が描かれる。ナンシーはトーニャのライバルで、何者かに襲われて膝を強打されたのだ。ただし、大まじめに事件の真相を追及するわけではない。何しろ一見綿密に計画された犯罪のようだが、実はどうしようもない間抜けな事件なのだ。

そこで暗躍するのがジェフの友達のショーン(ポール・ウォルター・ハウザー)という男。コイツの壊れ方も半端ない。言っていることがほとんど誇大妄想で、話しているうちにどんどん変な方向に転がっていく。襲撃事件も彼のそんなキャラが起こしたともいえるのだが、それにしてもほとんどギャグマンガの世界である。

アメリカン・ドリームを体現するかのようにスターに祭り上げられたトーニャは、この事件によって徹底的にこき下ろされる。そんな世間やマスコミの動きも織り込みつつ、事件後の顛末が描かれる。

事件後、母はトーニャを訪ねる。どんな母でも母は母、やはり娘への愛情を示すのだな、と思ったのだが、おっとビックリの展開が待っている。最後の最後まで「私は悪くない」と言い続けるトーニャも含めて、コイツら本当に懲りない面々である。

それでも全体を通してみれば、ダメ人間たちの姿にそこはかとないおかしみや哀しみも感じられる。特に、トーニャについては「ああいう生き方しかできなかったんだろうな」と思えて何やら哀感が漂うのである。

製作も兼ねた主演のマーゴット・ロビーの成りきりぶりが素晴らしい。スケートシーンも本格的だ。この熱演だけでも観る価値がある。

この映画でアカデミー助演女優賞を獲得したDV母役のアリソン・ジャネイ、DV夫役のセバスチャン・スタンなどの演技も見ものだ。

オレも事件のことは覚えているが、ここまで壮絶でとんでもない背景があったとは知らなかった。いやはや、何とも恐ろしい。そして面白い。そんな作品である。

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◆「アイ,トーニャ 史上最大のスキャンダル」(I, TONYA)
(2017年 アメリカ)(上映時間2時間)
監督:クレイグ・ギレスピー
出演:マーゴット・ロビーセバスチャン・スタン、ジュリアンヌ・ニコルソン、ボビー・カナヴェイルアリソン・ジャネイ、ポール・ウォルター・ハウザー、ボヤナ・ノヴァコヴィッチ、ケイトリン・カーヴァー、マッケナ・グレイス
*TOHOシネマズシャンテほかにて全国公開中
ホームページ http://tonya-movie.jp/

 

「オー・ルーシー!」

オー・ルーシー!
テアトル新宿にて。2018年5月1日(火)午後2時30分より鑑賞(B-11)。

外国で長く暮らすと、日本の見え方も変わってくるのだろうか。自分では経験したことがないから、さっぱりわからないのだが。

オー・ルーシー!」(OH LUCY!)(2017年 日本・アメリカ)の平柳敦子監督は、17歳でアメリカに渡って、ニューヨーク大学大学院で映画を学んだらしい。そのせいか、この映画で描かれる日本には、どこか異邦人っぽい視線が感じられる。日本でずっと暮らしているとやり過ごしてしまうような風景が、独特の違和感とともに切り取られているのだ。

この映画の原点は短編映画にある。第67回カンヌ国際映画祭シネフォンダシオン部門(学生部門)で上映された桃井かおり主演の短編映画「Oh Lucy!」。それを平柳監督自らが長編化した。その脚本はサンダンス・インスティテュート/NHK賞という賞を受賞したため、日米合作によって映画化が実現したそうだ。

主人公は43歳の独身OLの節子(寺島しのぶ)。退屈で憂鬱な日々を送っていた彼女だが、ひょんなことからメイド喫茶で働く姪の美花(忽那汐里)に頼まれて、英会話教室に通うことになる。そこで風変わりな講師ジョン(ジョシュ・ハートネット)と出会った節子は、彼に恋心を抱くようになる。

この映画で最も印象的なのが、節子を演じる寺島しのぶの圧倒的な存在感だ。今さらだが、今回も素晴らしい演技を見せている。疲れた顔で駅で通勤電車を待ち、暗い顔で会社のデスクに座り、物にあふれた乱雑な自分の部屋で暮らす。これからの展望も夢もない節子の現状が、セリフ以外のところからリアルに伝わってくる演技である。

というと、何やらシリアスなドラマのように思うかもしれないが、そうではない。全編に笑いが満ちたコメディータッチのドラマである。

何しろ節子が足を運んだ英語教室が怪しすぎる。風俗店のようなインテリア。受付の女も謎だらけ。そして極めつけは、ジョンの指導法だ。節子は、金髪のかつらをかぶらされて、「ルーシー」と名付けられる。にこやかな表情をつくるために、口にピンポン玉のようなものを突っ込まれる。そうした摩訶不思議なシーンが笑いを誘っていく。

それと同時に、節子がジョンに恋心を抱くところが説得力を持って描かれる。ここでも寺島しのぶの演技が際立っている。特にハグ魔だというジョンにハグされた時の恍惚の表情ときたら、それだけで彼女の凍りついた心が急速に溶けていくのがわかる。

ただし、この映画は、節子の変化だけを描くわけではない。映画の冒頭は、マスク姿の節子が疲れた顔で駅で通勤電車を待つシーン。そこで彼女は飛び込み自殺を間近で目撃してしまう。何やら不穏なスタートだ。それに象徴されるように、いろいろと複雑な要素が盛り込まれたドラマなのである。

ジョンを好きになってウキウキになった節子。しかし、すぐに驚愕の事実が発覚する。なんとジョンは、美花と一緒にアメリカへ帰ってしまったのだ。そう。ジョンと美花はデキていたのである。

それを知った節子がヤサグレるシーンも面白い。ちょうど会社の先輩が退職することになり(体よく追い出されたようなものだ)、送別会が行われるのだが、そこで彼女は先輩を思いっきりディスる(その後謝罪はするのだが)。それはジョンがいなくなったショックと同時に、自分もまもなくこの先輩のように、ポイと会社から捨てられるという苛立ちも含んだ言動なのだろう。

それでもジョンが忘れられない節子は、唐突に彼と美花を追ってアメリカに渡ろうとする。おまけに、そこには節子の姉である美花の母・綾子(南果歩)までもが、ついてくることになる。

実は、この2人、かなり険悪な関係だ。それというのも、かつて綾子は節子の彼氏を奪って結婚し、今は離婚しているらしいのだ。となれば、当然、2人の旅はすったもんだの面倒臭い旅になる。そこに笑いが生まれるのと同時に、複雑な人間模様も見えてくる。

綾子を演じるのは南果歩。こちらも今さらだがさすがの演技である。強気で節子とやり合う反面、彼女や娘に対する複雑な思いが垣間見える。寺島しのぶ南果歩のバトルだけでも十分に観応えのある映画だ。

アメリカに着いた2人はジョンに会いに行くが、すでに彼は美花と別れていた。そこで、3人はレンタカーを借りて美花がいるらしい場所へと向かう。

そのあたりからは、ジョンと美花の恋愛模様、そして節子と綾子の屈折した姉妹関係が中心的に描かれる。もちろん笑いもタップリ詰め込まれている。

それにしても、節子の暴走ぶりがすごい、最初はジョンと距離を置いているのだが、途中からブレーキの壊れた車のように突き進む。「あれじゃあ、ジョンも引くよなぁ」と思うのだが、それもまた人間らしさを感じさせるので、けっして彼女を嫌いにはなれない。これもまた寺島しのぶの演技のなせる業だろう。

終盤、美花が現れてからの展開には驚かされた。冒頭から何度か死の匂いが漂う映画だが、それもああした展開の伏線だったのだろうか。いずれにしても節子の暴走が人を傷つけてしまうのである。

まもなく日本に帰った節子には、さらなる不幸が襲う。しかし、そこである人物が登場して……。というわけで、ラストにはそこはかとない希望が感じられる。

そのある人物を演じたのは役所広司。これまたさすがの演技で、節子を温かく受け止める。この余韻は役所広司でなければ出せなかったのではないか。つくづく名優たちの良さを余すところなく引き出した映画だと思う。

ところで、ジョン役のジョシュ・ハートネットは、「パール・ハーバー」「ブラックホーク・ダウン」などハリウッドの王道バリバリで活躍した役者。最近見ないなぁ、と思ったら、こんなところにおったんかい! ついでに美花役の忽那汐里は、相変わらずコケティッシュな魅力全開でたまりません。

正直なところ、唐突だったり、十分に描ききれていないところもあるように思える作品だが、それでも平柳監督の才能はしっかりと感じ取れた。

考えてみたらこの映画に登場するのは、節子をはじめみんな心に傷を抱えたり、疲れた人生を送っている人々。そうした人たちを包む温かな監督の視線が、何よりも印象深い作品である。今後の平柳監督の作品にも要注目だ。

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◆「オー・ルーシー!」(OH LUCY!
(2017年 日本・アメリカ)(上映時間1時間35分)
監督:平柳敦子
出演:寺島しのぶ南果歩忽那汐里役所広司ジョシュ・ハートネット
テアトル新宿ほかにて公開中
ホームページ http://oh-lucy.com/

 

「ザ・スクエア 思いやりの聖域」

ザ・スクエア 思いやりの聖域」
ヒューマントラストシネマ有楽町にて。2018年4月29日(日)午前11時25分より鑑賞(スクリーン1/D-11)

昔、有名な現代美術家にインタビューを申し込んだら、1時間で100万円のギャラを要求されて、ぶっ飛んだことがある。すっかり忘れていたその時のことを思い出したのは、「ザ・スクエア 思いやりの聖域」(THE SQUARE)(2017年 スウェーデン・ドイツ・フランス・デンマーク)という映画を観たからだ。

前作「フレンチアルプスで起きたこと」で一躍注目を集めたスウェーデンリューベン・オストルンド監督の作品だ。2017年の第70回カンヌ国際映画祭で最高賞のパルムドールを受賞した。

「フレンチアルプスで起きたこと」は、雪崩に巻き込まれそうになったことをきっかけに、家族の様々な亀裂が表面化してくるドラマ。トラブルをきっかけに人間の様々な側面が見えてくるという構図は、今回も同じである。

主人公のクリスティアン(クレス・バング)は有名美術館のキュレーター。洗練されたファッションに身を包み、バツイチだが2人の娘を持ち、そのキャリアは順風満帆のように見える。

ただし、彼の美術館が扱うのは現代アートだ。冒頭近くのインタビューで、クリスティアン現代アートの展示には多額の資金が必要で、金集めが大変であることを語る。高邁なコンセプトや社会的メッセージを持つ作品も多い現代アートが、金まみれの世俗的な環境に置かれているというのは大いなる矛盾ではないのか。

そうなのだ。この映画ではこうした現代社会や現代人が抱える様々な矛盾が、赤裸々に描かれるのである。中でも矛盾だらけなのがクリスティアンだ。

クリスティアンは、次の展覧会で「ザ・スクエア」という作品の展示を計画する。それは地面に正方形を描き、その中では「すべての人が平等の権利を持ち、公平に扱われる」という「思いやりの聖域」をテーマにした作品だ。その背景には、今の世の中の利己主義や貧富の格差への批判があるのだが、肝心のクリスティアンは、トラブルをきっかけにそうした姿勢とは矛盾する行動をとるようになる。

そのトラブルとは、街中で巧妙かつ大胆なスリに遭い、スマホと財布を盗まれてしまうというもの。クリスティアンは、GPS機能を使って犯人の住むらしいアパートを突き止める。そこで部下は脅迫状めいた手紙を全戸に配って、スマホと財布を取り戻そうと提案する。

だが、クリスティアンはそれを拒否する。さすが現代アートを扱うインテリである。と思ったら、それはほんの一瞬のこと。何のことはない、彼はすぐに翻意して自ら率先して脅迫文を考えるのだ。何という軽薄なヤツ! ここで早くも、彼の矛盾だらけの生き方がクローズアップされるのである。

その手紙をクリスティアンと部下のどっちが配るかで、すったもんだする光景が笑える。前作もそうだったが、オストルンド監督の映画にはシニカルな笑いがたくさん用意されている。

特に印象深いのが異物を投入した笑いだ。例えば、トークショーで卑猥で乱暴な言葉を発する男を客席に配する(その男が精神に病を抱えているという設定)。冒頭近くでクリスティアンにインタビューした女性記者(エリサベズ・モス)の家には、なぜか猿(チンパンジー?)がいて、人間と同じように暮らしている。

こうして、既成の秩序や常識の中に様々な異物を投入することで、何とも不思議で皮肉に満ちた笑いを振りまいていくのである。

クリスティアンは、女性記者と関係を持ってしまう。その際も「絶対に寝ないぞ」と発言した直後に寝てしまうという節操のなさ。この女性記者は後日、クリスティアンを「権力をひけらかして女を誘惑している」と非難する。彼の女たらしぶりが明確に描かれているわけではないが、どうやらその指摘は的外れではないようだ。いやはや。

さて、最初のほうで消えたクリスティアンスマホと財布は、意外なほどあっさりと戻ってくる。だが、そこからが本当のトラブルだ。例の脅迫めいた手紙のせいで、クリスティアンは面倒くさいことに巻き込まれていく。

そして、彼はもう一つのトラブルに巻き込まれる。展覧会のPRをめぐって、PR会社は炎上商法を持ちかける。別のトラブルで頭がいっぱいだったクリスティアンは、あっさりとそれを許可する。だが、彼らがつくった動画は想像を超えた過激さで、世間の批判を浴びてしまうのである。

こうしてクリスティアンはどんどん追い詰められていく。矛盾だらけの行動のツケをどう払うのか。最初は、高みの見物でそれを眺めていた観客も、次第に他人事ではいられなくなる。「あなたならどうする?」というオストルンド監督の問いかけが聞こえてきて、何やらいたたまれない気持ちにさえなってくるのだ。

そのいたたまれなさが頂点に達するのが、終盤のパーティーシーンだ。そこで登場するとんでもない異物。出席したセレブ達の恐怖が観客にも伝播する。もはや誰にも高みの見物など許さない戦慄の世界に突入するのである。

その後も、貧富の格差や差別、言論の自由など様々な社会的テーマを提示しつつ、ドラマは終焉を迎える。当然ながら安直なハッピーエンドなどは用意されていないが、悲惨なエンディングというわけでもない。

「間違ったらそれを直して前に進めばいい」。そんなある人物の言葉を受けて、クリスティアンは娘たちとともに、ある場所へと向かう。矛盾だらけの行動を繰り返し、追い詰められ、ようやく自分がすべきことに気づくクリティアン。もしかしたら、それは観客自身の姿なのかもしれない。

笑いながら矛盾だらけの人間存在を見せつけられ、やがて背筋が寒くなってくる。こういう映画をつくるのは、オストルンド監督をおいて他にはいないだろう。超個性的でインパクトの強い映画である。

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◆「ザ・スクエア 思いやりの聖域」(THE SQUARE
(2017年 スウェーデン・ドイツ・フランス・デンマーク)(上映時間2時間31分)
監督・脚本:リューベン・オストルンド
出演:クレス・バング、エリザベス・モス、ドミニク・ウェスト、テリー・ノタリー
*ヒューマントラストシネマ有楽町、Bunkamura ル・シネマほかにて公開中。全国順次公開予定
ホームページ http://www.transformer.co.jp/m/thesquare/

 

「パティ・ケイク$」

パティ・ケイク$
ヒューマントラストシネマ渋谷にて。2018年4月28日(土)午後12時10分より鑑賞(スクリーン1/D-10)

ラップにはまったく詳しくない。日本のラップ・ミュージシャンで知っているのは、ラジオで映画評をやっているライムスター・宇多丸ぐらいである。

いや、本当はもう何人か知ってますけどね。いずれにしても、ラップ方面には疎いオレなのだった。

そんなオレが、「お! ラップってなかなか面白そうじゃん」と思わせられた映画が、「パティ・ケイク$」(PATTI CAKE$)(2017年 アメリカ)である。

ダメダメな女の子が大好きなラップで成功を目指すドラマ。いわば青春スポ根ドラマのラップ版といったところだ。正直なところ全体のストーリー展開は、手垢のついたもの。なのに、それが実に魅力的な作品に仕上がっているのである。

主人公はニュージャージーに住む23歳のパティ(ダニエル・マクドナルド)。元ロック歌手の母バーブ(ブリジット・エヴァレット)は酒浸り。祖母ナナ(キャシー・モリアーティ)は車いす生活。必然的に生活は彼女の肩にかかり、掛け持ちで仕事をするが貧乏暮らしが続く。

まあ、要するにパティ一家は、ホワイト・トラッシュ、つまりまともな仕事も金もない底辺層の白人なのだ。おまけに、パティはかなり太めの体型。そのため「ダンボ」と呼ばれて周囲から嘲笑されている。

だが、それでもパティはめげない。ラップが大好きな彼女は、ラップ歌手O-Zに憧れ、自分もラップでの成功を夢見ている。同じくラッパーを目指す親友でドラッグストアで働くジェリのサポートも受けて、日々詩を書き、ラップにのめりこむ。

そんな彼女の心の内を、ぶっ飛んだ映像も交えて描くジェレミー・ジャスパー監督。O-Zが登場する夢のシーンや、道を歩くうちに空中浮遊するシーンなど、なかなか面白い仕掛けが見られる。これが長編デビューらしいが、もともとミュージックビデオなどを手がけていたようで、そのセンスの良さが伝わってくる。

ある日、パティは駐車場で行われていたフリースタイルラップバトルに参加して、対戦相手の男を圧倒する。だが、キレた相手に頭突きを食わされ鼻血を出す。相変わらず出口の見えない毎日が続くのだ。

しかし、それでもなお彼女はめげない。謎のギタリストのバスタードと知り合ったパティは、ジェリと3人でユニットを組み、デモCDを制作する。おっと、3人ではなかった。その場にたまたまいた祖母のナナも加わって、4人で演奏をするのだ。様々なアイデアで曲を仕上げていくその過程には、音楽映画としての醍醐味が詰まっている。

そうやって、つらい日々の中でも前を向くパティを、ジャスパー監督は生き生きと描いていく。それを観ているうちに彼女がどんどん魅力的に見えてきて、その一生懸命さに惹かれていく。そして自然にパティを応援したくなってくるのだ。

ちなみに、ラップの映画だけに劇中の音楽はラップが中心だが、それ以外にもブルース・スプリングスティーンの曲をはじめ、様々な曲が効果的に使われている。そのあたりも、この映画の魅力になっている。

映画の中盤で、パティは挫折を味わうことになる。なんと彼女は、ケータリングの仕事で憧れのO-Zの邸宅を訪れるのだが、そこで大きな失意を味わうのだ。

心の痛手を抱え、ジェリを裏切り、ラップを捨てるパティ。このまま落ちぶれてしまうのか。

いやいや、もちろんそんなことにはならない。終盤に待ち受けているのは大逆転劇だ。一生懸命にラップを極め、デモCDをつくり、売り込みをかけていた彼女の努力が、意外な形で実を結ぶのである。

クライマックスは新人コンテストでの迫力のステージ。そこで歌われるのは、まさに等身大の彼女の生き様だ。キラキラと輝くパティ。盛り上がりは最高潮に達する。しかも、そこでは彼女と母バーブとの音楽の絆まで見せてくれるのだ。これで感動しない人はいないだろう。

「コンテスト優勝!」などと安直な描き方をせず、それよりももっと大きな喜びをパティにもたらすラストにも感心した。周囲から嘲笑され、母親にも認められていなかったパティが最も望んでいたのは、「誰かから認められる」ということだったに違いない。それをついに実現させたのが、あのラストなのだ。だからこそ、実に心地よい余韻を残してくれるのである。

主人公のパティを演じたダニエル・マクドナルドの健気で真っすぐな演技が素晴らしい。口は悪いのだが、それもまた愛嬌になっている。特訓したというラップも本格的(ラップに詳しくないけど、たぶん)。

それとは対照的に、いかにも不幸な人生を送ってきた女性のヤサグレ感たっぷりの演技見せているのが、母のバーブを演じたブリジット・エヴァレット。けっして鬼母というわけではなく、自堕落な生活が止められないやるせなさが漂ってくる演技だった。

同じくヤサグレ感を漂わせつつ、パティを自然体で応援する祖母ナナ役のキャシー・モリアーティの演技も味わいがある(ちなみに、この人、かつて「レイジング・ブル」でデ・ニーロの相手役に抜擢された人)。

大枠は定番ストーリーなのに、それをこれだけ魅力的で楽しい青春音楽映画にするのだから大したものだ。おかげで、「一生懸命やっていればいつか夢はかなう」などという一見陳腐なメッセージが、素直に受け止められてしまうのである。

ラップに詳しくなくても問題なし。この手の青春映画が好きな方はぜひ!

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◆「パティ・ケイク$」(PATTI CAKE$)
(2017年 アメリカ)(上映時間1時間49分)
監督・脚本・音楽:ジェレミー・ジャスパー
出演:ダニエル・マクドナルド、シッダルト・ダナンジェイ、ブリジット・エヴァレット、マムドゥ・アチー、キャシー・モリアーティ、マコール・ロンバルディ、パトリック・ブラナ、ディラン・ブルー、ウォーレン・バブ、ワス・スティーヴンス、サー・ンガウジャー
ヒューマントラストシネマ渋谷ほかにて公開中
ホームページ http://www.patticakes.jp/

 

「ウィンストン・チャーチル/ヒトラーから世界を救った男」

ウィンストン・チャーチル/ヒトラーから世界を救った男
TOHOシネマズシャンテにて。2018年4月27日(金)午前11時20分より鑑賞(スクリーン2/D-11)。

東京・日比谷に「ミッドタウン日比谷」がグランドオープンしたのは3月29日。そこには13スクリーン、約2,800席の都内最大級のシネコン「TOHOシネマズ日比谷」がある。これが実に素晴らしい劇場だと評判なのだが、オープンから1か月近く経ってもなかなか足を運ぶ機会がなかった。

そんな中、ついにその時が来たのだ。「ウィンストン・チャーチル/ヒトラーから世界を救った男」を観に、TOHOシネマズ日比谷に行くぞ!! と思ったら、なんと同館での上映はすでに終了しているではないか。現在上映しているのは、近くにあるTOHOシネマズシャンテ。仕方がない。そちらに行くことにしよう。

ちなみにTOHOシネマズシャンテは、TOHOシネマズ日比谷のオープンに伴って閉館になるという噂もあったのだが、結局は存続となってメデタシメデタシ。

というわけで、「ウィンストン・チャーチル/ヒトラーから世界を救った男」(DARKEST HOUR)(2017年 イギリス)(上映時間2時間5分)である。第二次世界大戦の時にイギリスの首相に就任して、ヒトラーの脅威に立ち向かったウィンストン・チャーチルの伝記映画だ。監督は、「プライドと偏見」「つぐない」のジョー・ライト

この映画のスゴイところは、実際のチャーチルとは似ても似つかないゲイリー・オールドマンを主演に起用したところ。その無謀ともいえるチャレンジを可能にしたのが、特殊メーキャップ・アーティストの辻一弘をはじめとしたスタッフたちだ。

何しろスクリーンに登場するのはチャーチルそのもの。黙っていたら、演じているのがゲイリー・オールドマンだとは誰も思わないだろう。この映画でアカデミー賞メイクアップ&ヘアスタイリング賞を受賞したのも当然の驚異的な技術なのだ。

もちろん、ただ外見が似ているだけではない。そこはさすがに名優ゲイリー・オールドマン。政治家として、人間として、多様な表情を見せるチャーチルを見事に演じ分けている。彼が演じていなかったら、ここまで魅力的なチャーチルにはならなかっただろう。

第二次世界大戦初期の1940年5月。首相就任からダンケルクの戦いまでの27日間を描いたドラマである。

英国議会における野党・労働党党首の熱気あふれる演説からスタート。与党・保守党と挙国一致内閣を組む条件としてチェンバレン首相の退陣を求めたその演説をきっかけに、ウィンストン・チャーチルゲイリー・オールドマン)が首相候補に浮上する。

ただし、彼は保守党内の嫌われ者。その嫌われ者ぶりを秘書のエリザベス(リリー・ジェームズ)の視点からコンパクトに描いたパートが印象的だ。ベッドで朝食を食べながら、手紙の文言を考えてエリザベスにタイプさせる。しかし、途中でブチ切れて彼女を追い出す。頭は切れるが、口が悪く、短気な男なのが一目瞭然のシーンだ。おそらく観客の多くが、「こんなヤツとはつきあいたくない!」と心底思うのではないだろうか。

とはいえ、ただの嫌われ者ではドラマにはならない。それとは違った側面もきちんと見せていく。巧みな演説をはじめとした政治家としての有能さ、彼の欠点を容赦なく指摘する妻のクレメンティーン(クリスティン・スコット・トーマス)に頭のあがらない恐妻家ぶり、意外なユーモアのセンス、そして深い苦悩を抱えた姿。そうした様々な姿を見ているうちに、観客は次第に彼の魅力に引き込まれていくのだ。

首相に就任したチャーチルにとっての難題はナチス・ドイツへの対応だ。当時、ヒトラー率いるナチス・ドイツはヨーロッパを席巻し、フランスは陥落寸前で、イギリスにも侵略の脅威が迫っていた。そんな中でチャーチル首相は、就任演説で徹底抗戦を主張する。

だが、戦況は悪化する一方で、イギリス軍はフランス・ダンケルクの海岸で絶体絶命の状況を迎える。初めは確固たる信念で、徹底抗戦の道を突き進もうとするチャーチルだが、外相ハリファックスら和平推進派の攻勢もあって、次第に追い詰められていく。ヒトラーとの和平交渉か徹底抗戦か、究極の選択を迫られるのである。

ここで印象深いのは、チャーチルにも、和平推進派にも、どちらにも肩入れしない描き方だ。両者とも「このままでは祖国がなくなる。もっと多くの人が犠牲になる」という危機感に突き動かされて行動を起こしている。同じ危機感を持ちつつも、選択する手段は決定的に違う。だからこそ、チャーチルの苦悩や葛藤がより深いものになるのである。

迷いに迷った末に、一度は和平に傾きかけるチャーチル。だが、そこで意外な人物の変心が彼を翻意に導く。そして、そこで用意されたサプライズ。一国の首相が庶民の声に耳を傾けるというアイデアは、けっして悪くはないと思うが、クライマックスの演説に至る過程は少々あざとすぎるのではないか。

終盤になると、「ナチスと闘うんだ! 祖国を守るんだ!」の大合唱になり、個人的にはちょっとシラケてしまった。実際はもっと複雑な事情があっただろうし、戦争の描き方も薄っぺらに感じられた。まあ、そういうことは承知の上で、ヒトラーという人物に焦点を当てることに専念したのだろうが。

何にしても、そこからクリストファー・ノーラン監督の映画でも有名なあのダンケルクの撤退戦へと続くことになる。それをきっかけに反転攻勢に転じたイギリス軍は、他の連合国軍とともにヒトラーを倒し、チャーチルは英雄になったのである。

そういう歴史のお勉強としても、稀代のユニークな首相の伝記映画としても、見応えは充分にあると思う。何よりも、ゲイリー・オールドマンの成りきりぶりを堪能するだけでも、十分に元は取れる映画だろう。そのぐらい見事な一世一代の演技である。

それにしても、オレがTOHOシネマズ日比谷に足を運ぶのはいつになるのやら。

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◆「ウィンストン・チャーチル/ヒトラーから世界を救った男」(DARKEST HOUR)
(2017年 イギリス)(上映時間2時間5分)
監督:ジョー・ライト
出演:ゲイリー・オールドマンクリスティン・スコット・トーマスリリー・ジェームズスティーヴン・ディレイン、ロナルド・ピックアップ、ベン・メンデルソーン
*TOHOシネマズシャンテほかにて全国公開中
ホームページ http://www.churchill-movie.jp/

 

「タクシー運転手 約束は海を越えて」

「タクシー運転手 約束は海を越えて」
シネマート新宿にて。2018年4月21日(土)午前11時35分より鑑賞(シアター1/D-12)。

1980年5月、韓国・光州市を中心に学生や市民が民主化デモを繰り広げたのに対して、軍は彼らを暴徒とみなして銃弾を浴びせるという弾圧事件が発生した。これが韓国の現代史における悲劇、光州事件である。

その事件を世界に向けて発信したドイツ人記者と、彼を光州に送り届けたタクシー運転手の実話をもとに作られた映画が「タクシー運転手 約束は海を越えて」(A TAXI DRIVER)(2017年 韓国)である。監督は、「映画は映画だ」「義兄弟 SECRET REUNION」「高地戦」のチャン・フン

なにせ韓国の歴史に残る暗黒の事件だけに、重たい映画なのかと思いきや、滑り出しは拍子抜けするほどのお気楽さ。ソウルの個人タクシーの運転手キム・マンソプ(ソン・ガンホ)が、運転をしながらノリノリで歌を歌っているのだ。そうなのだ。彼は初めは英雄でもなんでもなく、ただの陽気な一市民なのだ。

おまけに彼は政治には無関心。その頃、軍事政権下の韓国では戒厳令が敷かれていて、ソウルでもそれに反対する学生デモが起きていたが、たびたび通行が妨害されることもあって、マンソプはそれを冷ややかな目で見ていた。そんな彼が光州事件に巻き込まれるのだから皮肉なものだ。

マンソプは妻に先立たれ、幼い娘と2人で暮らしていた。だが、金銭的に苦しくて家賃も滞納するほどだった(その家主から金を借りようとする笑えるエピソードもあるのだが)。そんな中で、たまたま彼は他のタクシー運転手が「通行禁止時間までに光州に行ったら大金を支払う」ことを客と約束をしていると知り、その運転手を出し抜いてちゃっかり客を奪うのだった。

そうやってマンソプが乗せることになった客が、ドイツ人記者のピーター(トーマス・クレッチマン)だ。東京にいた彼は、光州で何か大変なことが起きているという話を聞き、極秘取材を敢行すべく韓国に来たのである。

こうしてピーターを乗せて出発するマンソプのタクシー。そこからは2人の珍道中が展開する。戒厳令下で当局が厳しい言論統制をしているだけに、マンソプは光州の詳しい事情など何も知らない。「こんな仕事は朝飯前」とばかりに、相変わらず陽気に運転をする。しかも、彼の英語はほとんど片言。ピーターも韓国語がわからないから、まともなコミュニケーションが成立しない。そのすれ違いが数々の笑いを生み出す。

まもなく、タクシーは光州に入る。しかし、すぐに検問に引っかかる。それでも、何が何でも金を稼ぎたいマンソプは、機転を利かせてそこを切り抜ける。その後、彼らは地元の学生たちと遭遇し、通訳として大学生のジェシクも同乗。そこからは3人による珍道中となる。

だが、やがて事態が深刻なことがマンソプにもわかってくる。中盤になって、それまでのムードが一変する。登場するのは、市民や学生たちの抗議活動の現場だ。熱気にあふれた彼らを軍は実力で押さえつけようとする。その現場をカメラに収めるピーター。そして、マンソプやピーターたち自身もあわやの場面に遭遇する。

このあたりはサスペンスとして破格のスリルに彩られている。陽気な滑り出しとはまったく違う映画のようだ。

こうした過酷な経験を通して、最初はギクシャクしていたマンソプとピーターは次第に理解し合う。そこにジェシクや地元のタクシー運転手たちも絡んでくる。あるタクシー運転手の自宅に招かれ、彼らは絆を深める。何ともほほえましくて、心温まる友情のドラマである。その過程では、マンソプの亡き妻との思いなども語られ、思わずホロリとさせられる場面もある。

ただし、娘のことが心配で危険な光州から早く立ち去りたいマンソプは、一度ソウルへ戻る。そこで、光州のことがまったく伝わっていない現実を見て、マンソプは悩み始める。はたして、このまま我関せずでいいのか、と。

マンソプを演じるのは、ご存知、名優ソン・ガンホだ。前半の軽妙な演技とは一転して、中盤以降はその演技はシリアスな色を帯びてくる。セリフ以外の表情やしぐさで、マンソプの苦悩や決意を表現する演技が絶品だ。特に、冒頭の楽しい歌と対照的に、悲しい歌を歌いながら涙するシーンが観客の心を突きさす。

一方、ピーターを演じるのは「戦場のピアニスト」のトーマス・クレッチマン。こちらも地味ではあるが、渋い演技を見せている。

こうして再び光州に入ったマンソプを待っているのは、さらなる非道な出来事だった。軍は民衆に向かって銃を向け、無差別に殺戮を始める。その中でマンソプは、あまりの悲惨な出来事にカメラを回すことをやめたピーターを、叱咤激励してもう一度立ち上がらせる。さらに、殺戮の最前線に立ち他のタクシー運転手らとともに、命がけで傷ついた市民を救おうとする。政治に無関心で学生を非難していたあのマンソプが、である。

チャン・フン監督は、デモの主義主張などは一切描かない。そうした姿勢は、この映画にふさわしいものだと思う。なぜなら、マンソプの行動は政治的主張などによるものではなく、正義感や道義心によるものだからだ。平凡な一市民であるマンソプの魂が、光州の民衆の魂と共鳴し、それが世界を変えるきっかけになったのである。

ヒリヒリするような緊迫感に包まれ、多くの観客が息を飲むに違いない虐殺の場面。だが、ドラマの見せ場はまだ続く。光州からの脱出シーンでは、スリリングなカーアクションや銃撃戦まで飛び出す。何なのだろう。このテンコ盛り状態は。それでいてまったく窮屈さを感じさせないのだから見事なものだ。

マンソプと娘との再会、ピーターとの別れなどの感動の場面を経て、ドラマはその後の2人について語られる。そこで明かされる驚きの事実。いかにもマンソプらしいその後である。ラストの実際のピーターの映像が、深い余韻を残す。

笑い、スリル、涙、恐怖、感動などの様々な要素をバランスよく詰め込んで、見応えあるエンターティメントに仕上げた作品だ。だからこそ、光州事件という歴史的な悲劇が自然にスッと観客の中に入ってくる。韓国で1200万人を動員する大ヒットを記録したというのが納得の映画である。

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◆「タクシー運転手 約束は海を越えて」(A TAXI DRIVER)
(2017年 韓国)(上映時間2時間17分)
監督:チャン・フン
出演:ソン・ガンホトーマス・クレッチマン、ユ・ヘジン、リュ・ジュンヨル、パク・ヒョックォン、チェ・グィファ、オム・テグ、チョン・ヘジン、コ・チャンソク
*シネマート新宿ほかにて公開中。全国順次公開予定
ホームページ http://klockworx-asia.com/taxi-driver/

 

ナチュラルウーマン

ナチュラルウーマン
シネスイッチ銀座にて。2018年4月18日(水)午後7時10分より鑑賞(シネスイッチ2/E-9)。

面白そうな映画でも、たまたまタイミングが合わなかったりして見逃してしまうことがある。そうした映画を個人的に「ご縁がなかったのね映画」と呼んでいる。今年のアカデミー外国語映画賞を受賞した「ナチュラルウーマン」(UNA MUJER FANTASTICA)(2017年 チリ・ドイツ・スペイン・アメリカ)も、そのリストに入りかけたのだが、公開終了直前になってようやく鑑賞できた。

「グロリアの青春」で知られるセバスティアン・レリオ監督が、トランスジェンダーの歌手ダニエラ・ヴェガをヒロインに迎えて描いた作品。トランスジェンダーに対する様々な差別や偏見が描かれるが、そうしたものと正面から闘う映画ではない。

オープニングに映る雄大イグアスの滝の風景。そこを訪れようと計画していたのが、ウェイトレスをしながらナイトクラブで歌うマリーナ(ダニエラ・ヴェガ)と、年の離れた恋人オルランド(フランシスコ・レジェス)のカップル。

ちょうどマリーナの誕生日で、オルランドは食事とダンスでお祝いをする。まさに幸せの絶頂だ。だが、まもなくオルランドは自宅で倒れ、病院に連れて行ったものの、そこで亡くなってしまう。

オルランドはマリーナが原因で前妻と離婚していた。そうした場合、遺産相続などでもめるのはよくあるトラブル。だが、マリーナに降りかかってくるトラブルは、それとは次元の違うものだった。それというのもマリーナはトランスジェンダーだったからだ。

オルランドは死の直前に階段から転落して傷があった。そのため、警察は2人の間に何かあったのではないかと考え、マリーナにあらぬ疑いをかける。表面的には女性警察官が「私はあなたの味方」などというのだが、実際はトランスジェンダーに対する偏見が見え見えだ。

一方、家族との間でもトラブルが起きる。マリーナはオルランドと暮らしていた部屋からすぐに出て行くように告げられ、葬儀への参列も拒否されてしまう。

マリーナとオルランドの元妻との対面が印象的だ。元妻はあくまでも「夫を別の女に奪われた存在」であり、トランスジェンダーに対する偏見などないように振る舞う。だが、それでも彼女の言動の端々からマリーナをさげすみ、差別していることがうかがえる。

さらにオルランドの息子に至っては差別を隠そうともしない。マリーナを気持ち悪がり、ついには彼女を車で拉致して脅迫したりするのだ。

もちろん少数ながら理解のある人物もいる。オルランドの弟は、マリーナに優しく接し、家族との間を取り持とうとする。だが、結局はうまくいかずにマリーナに謝罪する。

過酷な仕打ちを受けたマリーナは、憤り、悲しみ、苦しみ、絶望する。そうした彼女の心理をセバスティアン・レリオ監督は繊細に表現する。セリフ以外の彼女の表情や行動で、それを描写していくところが印象深い。

南米の映画にはよく見られるが、現実と非現実が併存しているのもこの映画の特徴だ。様々なトラブルに遭い、逆境を強いられたマリーナの状況を表現するのに、現実にはあり得ないような暴風を彼女に浴びせるシーンは、その代表例だろう。クラブで演じられる幻想的なミュージカル・シーンなどもある。

何よりも面白いのは、死んだはずのオルランドが何度も彼女の前に登場するところ。まるでゴースト映画のような場面だ。終盤では、その死者に導かれてマリーナが奇跡の再会を果たす。

サスペンス的な要素もある。冒頭近くでオルランドがサウナで過ごす場面が登場する。そこのロッカーをめぐって、「何か」が存在するのではないかという謎が、ドラマが進むにつれて膨らむ。マリーナがトランスジェンダーの特徴を生かして、その謎を追求するシーンはなかなかスリリング。そして、その意外な結末もユニークである。

この映画は闘う映画ではないといったが、それでもマリーナが差別や偏見に対して敢然と立ち向かう場面は登場する。しかし、それは社会を変えようというような大げさなものではない。彼女は周囲から「お前は何者だ?」と問われ、自分自身も「私は何者なの?」と答えに困っている。マリーナが鏡を見る場面が何度か登場する。それはまさに、自分が何者かを探し求める彼女の姿勢の表れだろう。

それが、オルランドの死によって生じた様々なトラブルを通して、次第に明確な結論へと到達していく。「私は人間」であり、何よりも「私自身なのだ」と。つまり、このドラマはマリーナのアイデンティティ獲得のドラマなのである。

それを象徴するように、マリーナはラストで神々しいまでの歌声を披露する。ヘンデルのアリアだ。その歌声から、すべての迷いを吹っ切り、自分らしく生きることを選択したマリーナの強い意思が伝わってくるのである。

素晴らしい歌声をはじめ、主演のダニエラ・ヴェガがいなければ成立しなかった作品だ。その圧倒的な存在感が、トランスジェンダーという枠を越えて、自分の生き方に迷う多くの人々の背中を強く後押しすることだろう。

◆「ナチュラルウーマン」(UNA MUJER FANTASTICA)
(2017年 チリ・ドイツ・スペイン・アメリカ
監督:セバスティアン・レリオ
出演:ダニエラ・ヴェガ、フランシスコ・レジェス、ルイス・ニェッコ、アリン・クーペンヘイム、ニコラス・サベドラ
*新宿シネマカリテほかにて公開。全国順次公開(東京などはすでに終了)
ホームページ http://naturalwoman-movie.com/