「めぐりあう日」
岩波ホールにて。2016年8月24日(水)午後1時30分より鑑賞。
ウニー・ルコント監督の長編デビュー作「冬の小鳥」(2009年)は素晴らしい映画だった。韓国から養女としてフランスに渡った自身の経験をもとにした作品で、当時まだ幼かった主演のキム・セロンの圧倒的な存在感と、繊細な心理描写が印象深かった。キム・セロンをひと目見たオレは、「この子、すげぇ~!」と驚嘆し、その将来性を確信したのだった。その後、キム・セロンはペ・ドゥナと共演した「私の少女」をはじめ、テレビや映画で活躍しているようでうれしい限り。オレの目に狂いはない!(すいません。言い過ぎです)
そんなルコント監督の6年ぶりの新作『めぐりあう日』(2015年 フランス)が登場した。今回もまた養女という自身の体験が、色濃く反映された作品だ。
主人公は、パリで夫と8歳の息子と暮らす理学療法士のエリザ(セリーヌ・サレット)。養父母のもとで育った彼女は、実の母に会いたいと思い、専門機関に調査を依頼する。だが、守秘義務の壁に阻まれたことから、息子のノエを連れて自分の出生地であるダンケルクに引っ越す。そんな中、息子の学校で働くアネット(アンヌ・ブノワ)が、背中を痛めてエリザの診療所に患者としてやって来る。エリザは彼女に親近感を抱くのだが……。
出生の秘密をめぐるミステリードラマになりそうな素材だ。だが、ルコント監督はそれをあっさり拒否する。何しろ冒頭近くから、エリザとともにアネットに焦点を当てたドラマが進行する。これでは、どんなに鈍感な人でも、「彼女がエリザの実母では?」と早いうちから感じ取ってしまうはずだ。
なぜそんなことをしたのか。ルコント監督が描きたかったのは、ミステリーの謎解きではなく、エリザとアネットの心の動きだからである。エリザは自分の出生に関して思い悩み、夫や子供との関係にも苦しむ。アネットと知り合い親近感を抱きつつも、「もしかしたら」という思いで心が惑う。一方、アネットは封印したはずの過去がよみがえり、こちらも悩み苦しむようになる。
そんな2人の心理の揺れを繊細に描き出すのがルコント監督の真骨頂だ。前作「冬の小鳥」でもそうだったのだが、セリフだけに頼らずに視線や表情、しぐさなどの細かな描写を通して、30年ぶりに再会する母と娘の心理を雄弁にスクリーンに刻み込んでいく。セリーヌ・サレットとアンヌ・ブノワという2人の女優の細やかで情感あふれる演技もそれに寄与する。特にセリーヌの目の演技が素晴らしい!
ただし、けっしてウエットなお涙頂戴のメロドラマにはなっていない。例えば、お互いに母娘と知らないままに2人が交流を重ねる場面では、理学療法士のエリザがアネットの肌に触れ、胎児のように彼女を抱く印象的なシーンを用意する。そんなふうに、あくまでも抑制的に2人の関係と心理の変化を描き出すのだ。
ラストも抑制的だ。2人の正面対決のシーンを経て、公園での対話のシーンを重ね、それぞれの人生と思いを交差させる。ここも最低限のセリフながら、様々なことを雄弁に観客に語りかける。それによって単なる「母子もの」のドラマを超えて、消息不明のエリザの実父や彼の面影を引いているらしい息子のノエも含めて“命のつながり”を観客に意識させるのである。
エンディングの船上のシーンも余韻タップリだ。そこでは、誕生した娘に捧げられたアンドレ・ブルトンの詩が朗読される。「あなたの誕生に何一つ偶然はない」。そう。それこそがルコント監督が言いたかったことなのだろう。自身のような境遇の人はもちろん、世界中のすべての人々に優しくその言葉を語りかける。明日への希望に満ちたエンディングである。
さすがに「冬の小鳥」ほどの衝撃はないものの、ルコント監督らしい見事な作品だと思う。聞くところによると、本作品は「冬の小鳥」に続く三部作のうちの第二作とか。三作目にもぜひ期待したいところである。
●今日の映画代1400円(ずっと前に前売り券を購入済。)