映画貧乏日記

映画貧乏からの脱出は可能なのだろうか。おそらく無理であろう。ならばその日々を日記として綴るのみである。

痩せゆく男

少し前に、ロバート・デ・ニーロマシュー・マコノヒーのように、体型まで変えて役になりきる役者のことをチラリと書いて、それに引っ掛けて自分自身もダイエットに挑んでいることを報告したが、その後の経過はどうなったのか……。

今のところ約6キロの減量に成功している。それはそうだ。なんせ週に4~5日は一万歩以上のウォーキングをしているし、カロリー摂取量は以前の3分の2から半分程度だ。これで痩せないはずがない。

よく「食べなくても太るんですぅ~」などと訴える女子がいるが、ありゃあ絶対ウソですね。きっと知らず知らずのうちに、どこかで余分なカロリーを摂取しているのだろう。オレのようにガチにカロリーを減らして運動すれば、間違いなく痩せるはずである!!

などと偉そうに言っているが、いわゆる「勝てば官軍」的な図に乗った発言なので、どうぞお許しくださいませ。

振り返ってみると、減量成功のポイントは最初の数日にあったと思う。そこで一度極端に食事量を減らして胃を小さくしてしまったのだ。だから、今ではすぐに満腹になる。今日の昼なんて、マクドナルドのフィレオフィッシュ1個とアイスコーヒーでお腹いっぱいですから。これで合計357キロカロリー也。

だが、困ったことにダイエットというやつは引き際が難しい。始める前は「ベスト体重から6キロ多いから6キロ減らそう」などと気軽に言っていたが、そもそもそのベスト体重というのはどこから算出したのか。単に太る前の体重がそうだったというだけで、本当のベスト体重はもっと少ないのかもしれない。

などと考えると、「もう少し痩せたほうがよくねぇ?」という気がしてきて、この減量作戦を終了する踏ん切りがつかないのだ。だいぶお腹まわりがすっきりして、ズボンもユルユルになったものの、まだ少し贅肉が付着しているのも事実なわけで。さて、どうする?

というわけで、現在思案中ではあるのだが、とりあえずあと1か月ぐらい作戦を続行させてみようかとも思っているところである。さすがに「ダラス・バイヤーズクラブ」のマシュー・マコノヒーみたいに21キロも痩せませんけどね。

ちなみに今回のタイトルの「痩せゆく男」は、1996年のアメリカ映画「スティーヴン・キング/痩せゆく男」(Thinner)。スティーヴン・キングの同名小説を原作にしたホラー映画で、ジプシーの老女を轢き殺してしまった肥満体の弁護士が、事件を揉み消してもらったものの、あるジプシーの老人から「痩せてゆく」と言われて、その通りにどんどん痩せていくというお話。その後は、おぞましい展開が待っております。DVDが出ているので興味のある方はぜひ。

 

「武曲 MUKOKU」

「武曲 MUKOKU」
ユナイテッド・シネマとしまえんにて。2017年6月3日(土)午後1時40分より鑑賞(スクリーン2/E-06)。

剣道とは無縁である。高校の時に体育の授業で、柔道か剣道を選択しなければならないというワケのわからんシステムが存在し、何だか面倒くさそうなので剣道を避けて柔道を選んだのだが、結局、当時は持病があったため授業には参加しなかった。柔道着を着て同級生の柔道の授業をずーっと見学してするハメになり、悔し涙を流したオレなのだった。

というのは真っ赤なウソで、本当は柔道なんて全く興味がないし、投げられて痛い思いをするのは嫌なので、「超ラッキー!」と思っていたのだ。どうもスイマセン。

まあ、そんなわけで柔道のことさえよく知らいなオレが、剣道のことなんか知るはずもない。それでも、剣道や剣術を扱った映画の面白さなら理解できる。

「武曲 MUKOKU」(2017年 日本)は、芥川賞作家・藤沢周の小説「武曲」を「海炭市叙景」「私の男」の熊切和嘉監督が映画化した作品だ。

主人公は矢田部研吾(綾野剛)という青年。彼は子供の頃から、剣道の達人の父(小林薫)によるスパルタ教育を受けてきた。時には真剣まで持ち出す恐ろしい指導だ。一歩間違えば児童虐待である。そのぐらい厳しい指導だった。

そんな子供時代の厳しい稽古シーンから映画はスタートする。続いて成長した研吾と父との対決シーンへと転換するのだが、その転換の仕方が実にユニークだ。いかにも映像にこだわる熊切監督らしいシーンで、一見の価値がある。

その後は現在の研吾が描かれる。彼は、父をめぐるある事件がきっかけで剣を捨て、酒に溺れ、自堕落な生活を送っているのだった。いったい何が起きたのか?

て、最初のシーンでミエミエじゃないかぁ~。というわけで、ほとんどのメディアではそこを伏せているようだが、あえて言ってしまおう。だって、そうじゃないとこの映画の芯の部分が語れないのだから。

簡単にいえば、研吾は木刀で父と渡り合い、父を傷つけてしまったのである。そこにはお互いにいろいろな背景があるようなのだが、とにかくそれがトラウマとなって、研吾は生きる目的を失っているわけだ。

そんな研吾を心配しているのが師匠で禅僧の光邑(柄本明)。指導する高校の剣道部でたまたま見かけた羽田融(村上虹郎)に、天性の剣の才能があると見抜いた光邑は、研吾を立ち直らせるきっかけになるかもしれないと思い、彼のもとに融を送り込むのだった。

つまり、現代の鎌倉を舞台に、生きる気力を失った凄腕剣士と、天性の剣の才能を持つ少年との対決がメインとなる映画なのである。

とはいえ、オレは対決のはるか手前で引いてしまった。それというのも、研吾の自堕落ぶりがいかにもステレオタイプでつまらないのだ。髪ボサボサ、ひげ面というスタイルはともかく、酒浸りで暴れるシーンなど乱行ぶりがあまりにも陳腐すぎる。

もちろん、父に対する複雑な思いを抱え、様々な感情が行きつ戻りつしながら、ダメな生活から抜け出せないというのはよくわかるのだが、ならばこそ、もう少し工夫があっても良かったのではないか。「よし、元気になったぞ!」と思った後で、すぐにまた逆戻りするような、そんな厚みのある描き方をしてほしかった。

それでも熊切監督らしさはそれなりに発揮されている。過去の作品でも見られたように、現実ではない出来事を描いたり(主人公の幻想など)、ファンタジックなシーンやイメージショットを繰り出すなどして、映像の力で研吾の心の内を描き出していく。

同時に、彼と対決する融の屈折した心理も描かれる。彼はラップ好きの現代風の高校生でありながら、かつて台風の洪水で死にかけたことがあり、その時に味わった感覚が忘れられずにいる。ある意味、死の影に取りつかれたような少年なのだ。

やがて、そんな2人による対決が訪れる。それは嵐の中で行われる壮絶な果し合いだ。ここがこの映画の最大の見どころである。何しろ映像の迫力がハンパでない(ここでも鮮烈なイメージショットが登場する)。独特の音の使い方も緊張感を高めている。

そして、相当に訓練したであろう綾野剛村上虹郎の殺陣が見事である。彼らが全身から醸し出す不気味な殺気が、この映画を一気に盛り上げる。まさに魂と魂のぶつかり合いなのだ。このシーンだけでも観る価値はあるだろう。

その嵐の中の対決と対照的なのが、ラストの対決だ。それはあくまでも剣道の枠の中での静かな対決。2人がそれぞれトラウマを克服したことを体現した、印象的なシーンである。

ただし、小説の映画化ということもあってか、十分に描けていないところも目につく。研吾の終盤の変身はやや唐突。融の母親の立ち位置も曖昧でよくわからない。あちこちに出てくる禅の話も中途半端だ。

そんな中でも最大の謎は、前田敦子演じる研吾の恋人だろう。いったい彼女は何のために登場させたのか。このドラマに本当に必要だったのか。うーむ、とてもそうは思えないのだが。個人的に前田敦子は好きな部類の女優なので、なおさらもったいない気がする。

なんだかんだで、けっこうケチをつけてしまったわけだが、決闘シーンなど観応え十分のところもたくさんある映画だ。リアルな人間ドラマというよりは、マンガ的な要素も含んだ現代版剣術ドラマとして観るべき映画だろう。

●今日の映画代、1500円。ユナイテッド・シネマの会員料金。

「ゴールド 金塊の行方」

「ゴールド 金塊の行方」
TOHOシネマズ シャンテにて。2017年6月1日(木)午前11時より鑑賞(スクリーン2/E-12)。

「山師」という言葉がある。もともとは山を渡り歩いて地下資源を探す人たちのことだが、目論見通りに発見できるとは限らない。一発当てれば大金持ちだが、空振りに終わる可能性もある。そんな一発屋的なイメージが原因だろうか。いつの頃からか「山師」は、投機的な事業で金儲けを企てる者や詐欺師のことを指す言葉になってしまった。

「ゴールド 金塊の行方」(GOLD)(2016年 アメリカ)は、まさに山師の映画といえるかもしれない。アメリカで実際に起きた鉱山ビジネスを巡る一大スキャンダルを、マシュー・マコノヒーが製作、主演で映画化した作品だ。

1981年。ネバダ州のリノ。ケニー・ウェルス(マシュー・マコノヒー)は、祖父が起こし父が発展させた採掘会社「ワショー社」の経営を任される。その時の彼は若さにあふれ、採掘ビジネスに誇りを持ち、希望に満ちた姿をしている。

ところが、その7年後、ワショー社の事業は振るわず、業績も株価も低迷し、銀行や投資家にも相手にされず倒産寸前に追い込まれている。ケニーは家もなくして、昼は家具店、夜はバーで働く恋人の家に転がり込んでいる。そして、この時の彼の外見は7年前とは一変している。前頭部がハゲあがり、体はデブデブなのだ。おそらくストレスから酒を飲みまくり、その挙句にこんなふうになってしまったのだろう。

そんなにっちもさっちもいかない、ダメ中年のケニーは、ある日夢を見る。それは金を採掘するインドネシアの光景だ。そこでケニーは恋人の時計を勝手に売り払い、旅費を作ってインドネシアに向かう。

そして現地でパートナーに迎えたのが、地質学者のマイケル・アコスタ(エドガー・ラミレス)だ。以前は採掘関係者に注目されていた彼だが、そのもとになった学説が否定され、今はまったく相手にされていない。つまり、ケニーもダメなら、マイケルもダメ。ダメダメ2人組だ。彼らはどうにかかき集めた資金を元手に、インドネシアの山奥で起死回生をかけて金脈探しを始める。

その金脈探しの過程が実に面白い。最初は試掘を繰り返しても、大したものは出てこない。その作業に従事した労働者たちも逃げ出してしまう。おまけにケニーはマラリアにかかって死にかけてしまう。それでもどうにか労働者を呼び戻して、試掘を再開した2人に、やがて朗報がもたらされる。試掘した金は想像を絶するもの。彼らはついに巨大な金脈を掘り当てたのだ!!

こうして一夜にして成功者となったケニー。そのニュースはウォール街を駆け巡り、大量のマネーが群がってくる。ここからはウォール街を舞台にした経済映画と似た面白さが味わえる。生き馬の目を抜くマネーゲーム。虚々実々の駆け引きがスリリングに繰り広げられる。

ケニーは投資銀行の面々を無理やりインドネシアの現場に呼んで、いかにスゴイ金脈なのかをアピールする。ワショー社の株は急上昇し、ニューヨーク株式市場に上場を果たす。投資銀行もワショー社にすり寄ってくる。

こうしてケニーはセレブ生活を送るようになる。まさに一発逆転だ。いかにも成金らしい大盤振る舞い。ただし、勢い余って、苦境を支えてくれた恋人とも別れてしまうのだが。

そんな中、ある投資家がケニーたちの事業に関心を持つ。投資銀行は彼らに事業を売り渡して、一線から退くことをケニーに提案する。ケニーはその代わりに大金を手にして、悠々自適の生活が送れるわけだ。ベンチャー企業が大手企業に買収されるケースと同じようなパターンだろう。

ところがケニーはこれを断る。なぜなら、彼はお金よりも採掘ビジネス自体に興味があるのだ。どんなに事前に調査をしてみても、実際に鉱脈を掘り当てられるかどうかは運次第。そんなギャンブル的なスリルが忘れられないのかもしれない。彼の採掘ビジネスへの熱い思いは、終盤近くの表彰式でのスピーチにも表れている。

こうして投資会社の提案を断った彼は痛い目に遭う。あっという間に投資家に事業を乗っ取られてしまったのだ。そこにはインドネシアスハルト大統領や元アメリカ大統領まで絡んでくる。これまたスリリングで意外な展開である。

しかし、ケニーも黙っていない。今度はマイケルとともに、スハルトが溺愛するバカ息子を抱き込んで、事業を奪い返す。こうして最終勝利者になったかと思いきや、後半約30分には予想もつかない出来事が待っている。

実は、映画の中盤から、ケニーが事情聴取を受けているらしいシーンが、あちこちに挿入される。いったいどうしたのかと思ったら、170億ドルの金塊が一夜にして消える大事件が勃発。はたしてその真相は?

結局のところ、本当のワルは誰だったのか? ケニーなのか、マイケルなのか、それとも……。真相は明確ではないのだが、何にしてもスゴイ世界である。アクの強い人物たちが総登場。二転三転する先の読めない展開。こんなに波乱万丈で面白すぎる話は、マシュー・マコノヒーでなくとも映画化したくなるはずだ。

しかし、まあ、マシュー・マコノヒーの成りきりぶりときたら、相変わらず度を越している。アカデミー主演男優賞を獲得した「ダラス・バイヤーズクラブ」では、エイズ患者になりきるために21キロの大減量をしたが、今回はダメ中年を演じるために大増量&ハゲに変身。ロバート・デ・ニーロはじめ役に応じて変身する役者は、映画史上に何人も登場しているが、その中でも出色の存在といえるだろう。

はたして、次はどんな姿で登場するのやら。

●今日の映画代、1100円。毎月1日は映画サービスデー。

 

「光」

「光」
新宿バルト9にて。2017年5月28日(日)午後3時5分より鑑賞(シアター2/F-7)。

もともと視力が悪かったのに加え、ここ数年いろいろと目の病気をしたせいで、ますます見えにくくなってしまった。今のところ日常生活にはそれほど支障がないが、もっとひどくなったらどうしよう、という心配も多少はある。映画だって今はメガネをかければ問題なく観られるが、もっと悪化すればそうもいかなくなるだろう。

とはいえ、視覚に障がいを持つ人でも映画を楽しむことはできる。そのために、視覚障がい者向けの音声ガイド付き作品というものがある。ただし、これがなかなか普及しない。NPO法人メディア・アクセス・サポートセンターの調べでは、日本で2014年に公開された映画は615本あるが、そのうち視覚障がい者に配慮した音声ガイド付き作品はわずか6本(1%)だけだったという。

カンヌ国際映画祭の常連で、「萌の朱雀」「殯の森」などで知られる河瀨直美監督の最新作「光」(2017年 日本)は、そんな視覚障がい者向けの音声ガイドが素材になっている。ちなみに、本作もカンヌのコンペ部門に選出されたが、残念ながら映画祭自体の賞の受賞はならなかった(キリスト教関連の団体や批評家によって選ばれるエキュメニカル賞を受賞)。

河瀨監督といえば、以前は自分の世界だけで映画を撮っている感じで、正直なところ、ついていけない部分も多かったのだが、ハンセン病をテーマにした前作「あん」は、地に足が着いた感じで、ずいぶんわかりやすい映画になっていた。本作もその延長線上にあるといっていいだろう。

主人公は美佐子(水崎綾女)という女性。彼女は視覚障がい者のための映画の音声ガイド制作の仕事を始めたところだ。そんな美佐子が、練習のために、街のあらゆる情景を音声で表現するところから映画はスタートする。

それに続いて彼女が担当した音声ガイドについて、視覚障がい者たちが集まって、それぞれに意見を言う場面が登場する。慣れない仕事の美佐子だけに、みんな気を使って慎重に感想を言うのだが、そんな中、中森雅哉(永瀬正敏)という男だけは不愛想に、遠慮なしにケチをつける。あまりのもの言いに、美佐子は反発する。実は中森は、もとは有名なカメラマンだったのだが、病気で徐々に視力を失いつつあるのだった。

先ほど、地に足が着いたと言った河瀨監督だが、それは物語の運び方やテーマの伝え方などに関して。映像そのものは昔とあまり変わっていない。極端なアップ(目だけを映すシーンも多い)や手持ちカメラの多用で、ドキュメンタリーのようなリアルな映像を生み出していく。アドリブのようなごく自然なセリフも、リアル感を倍加する。そうした手法を通じて、人物の心理を繊細に描写していくのだ。

今回は特に、徐々に視力が弱くなっていく中森の焦り、悲しみ、持って行き場のない怒りなどが実に巧みに表現されている。また、過去の出来事によって心に傷を負う美佐子の微妙な心の揺れ動きも、きっちりととらえている。

ぼやけた風景や、一部が欠けた映像など、中森が見た世界を映した映像も効果的に使われる。

また、河瀨監督の映像は自然を生き生きととらえているのも魅力だ。今回も美佐子の故郷の森や山の風景などが鮮やかに映しだされる。おそらく、今回も河瀨監督の故郷・奈良を中心に撮影されたのだろう。

そして、忘れてはならないのが夕日の美しさだ。中森に反発していた美佐子だが、彼が撮影した夕日の写真に感動し、いつかその場所に連れて行って欲しいと思うようになる。また、後半で彼女の母が行方不明になる場面でも、美しい夕日が登場する。それらの映像も言葉にできないほどの美しさである。

というわけで、美佐子と中森の交流がこの映画の中心であり、そこにはラブストーリー的要素もある。この映画の公式ホームページにも「珠玉のラブストーリー」という宣伝文句がある。だが、個人的にはラブストーリーとしての魅力は、それほど感じなかった。河瀨監督の気持ちは、本当にラプストーリーに向いていたのだろうか。

オレが感じたのは、それよりも「大切なものを失うこと」の意味である。中森は視力が弱くなって、もはやまともに写真を撮れないのに、なかなかカメラを手放すことができない。「カメラは心臓だ」とまで言い切る。しかし、終盤に彼は大きな決断をする。その決断が美佐子の心を揺さぶる。

一方、美佐子は父が蒸発し、それをきっかけに母は認知症になってしまったらしい。そのことが彼女の心に大きな影を落としている。美佐子も母も「父=夫」という大事な存在を失ってしまったわけだ。

そして、この映画には美佐子が音声ガイドを担当した劇中映画が登場する(監督&主演役は藤竜也)。それは妻が認知症になった男の惑いを描いたものだ。妻は記憶をなくし、夫はそれを黙って見ているしかない。彼らもまた大きな喪失感と向き合っている。

そんな大切なものを失った人々の姿を通して、人生の困難さを描くとともに、それでもきっと「光」が訪れることを、河瀨監督は伝えたかったのではないだろうか。観終わって、人間に対する優しさ、愛おしさが感じられる映画だった。

ラストも印象深い。いよいよ美佐子が制作した音声ガイドが流れる試写会だ(音声ガイドを読むのは樹木希林)。かねてから懸案だったラストを美佐子はどんなふうにしたのか。余韻の残るエンディングだ。

文句なしに深みのある人間ドラマである。この映画がきっかけになって、音声ガイド付き作品がもっと増えてくれればいいのだけれど・・・。

●今日の映画代、1500円。事前にムビチケ購入済み。

 

「家族はつらいよ2」

「家族はつらいよ2」
ユナイテッド・シネマとしまえんにて。2017年5月27日(土)午後1時30分より鑑賞(スクリーン5/G-13)。

山田洋次監督といえば、「わたくし、生まれも育ちも葛飾柴又です。帝釈天で産湯を使い、姓は車、名は寅次郎、人呼んで "フーテンの寅" と発します・・・」でおなじみの「男はつらいよ」シリーズの監督なわけだが、実はけっこう社会的テーマが明確な作品も撮っていたりする。夜間学校を舞台にした1993年の「学校」、戦争の怖さを訴えた2007年の「母べえ」などは、その代表例だろう。

ただし、それらの作品もあくまでも娯楽作品としての枠の中で描いている。それこそが山田監督の真骨頂だと思う。そんな社会派の要素と娯楽の要素を見事にミックスしたのが、「家族はつらいよ2」(2017年 日本)である。2016年の喜劇映画「家族はつらいよ」の続編で、前作同様に、東京郊外に暮らす三世代同居の平田家を舞台に、家族が起こす大騒動を描いている。

前作は熟年離婚をネタに大騒動が勃発したが、今回は高齢者の運転をめぐる問題が浮上して、大変な騒ぎになる。

最近、周造(橋爪功)の車に傷が目立ち始めたのを気にした平田家の家族。「人身事故でも起こしたら大変だ」ということで、運転免許を返上させようとする。しかし、頑固な周造に誰が話をするのか、同居する長男夫妻をはじめ、長女夫妻、次男夫妻がお互いに役目をなすりつけ合う。それを察知した周造は激怒してしまう。

さすがに、長年喜劇を作り続けてきた山田監督だけに、全編笑いが途切れない映画だ。個性的な家族によるテンポの良い会話で、爆笑からクスクス笑いまで、様々な笑いを散りばめている。まるでコントのようなベタな笑いもある。絶妙の間も印象的で、これぞ喜劇という感じである。

とはいえ、ただ笑えるだけではない。社会問題をきっちり織り込む。それは高齢化社会をめぐる様々な問題だ。

妻の富子がカルチャースクールの仲間とともに、海外にオーロラを見に出かけたのをいいことに、周造はお気に入りの居酒屋の女将を乗せて車を走らせる。その途中で、工事現場の交通整理をしている人物に出会う。彼は広島の高校時代の同級生の丸田(小林稔侍)だった。丸田は高校時代はモテモテで実家も裕福だったのに、その後事業に失敗して、今は家族とも別れて一人で粗末なアパートに暮らしている。彼を通して、「下流老人」「無縁社会」という深刻なテーマが見えてくる。

周造は丸田のために即席の同窓会を開き、その帰りに彼を自宅に泊める。しかし、翌朝、丸田は冷たくなっている。そこからの描き方が秀逸だ。救急車の到着、死亡確認、そして警察に移管されて刑事の到着というように、こうした場合の対応がリアルに描かれる。

ただし、それでもそこには笑いが満ちている。たまたま集合していた家族に加え、小心な新米警察官、調子のいい鰻屋なども配置して、次々に笑いを生み出す。人の死を扱いながら、これだけ笑わせる映画はそうはないだろう。家族が刑事の事情聴取を受ける場面は、まるで舞台劇のような面白さだ。

そして、その後には強烈なメッセージが用意されている。周造の口を借りて、今の日本社会の理不尽さをストレートに、怒りを込めて告発する。政治家や官僚たち、いや日本人全員がこのメッセージに耳を傾けるべきだろう。

終幕近くもなかなか味わい深い展開だ。丸田の葬儀をめぐる一件で、平田家の家族の人情の機微をすくいとり、観客をホロリとさせる。しかも、次なる瞬間に、またまた笑える仕掛けを用意する。銀杏をああいうふうに使うとは恐れ入った。そして、すかさず葬儀所の職員として「あの人」が登場。そりゃあ、絶対に笑うでしょう。

平田家の家族を演じたのは、前作に引き続き橋爪功吉行和子、西村雅彦、夏川結衣中嶋朋子林家正蔵妻夫木聡蒼井優。彼らの息の合った演技が、この映画をさらに楽しいものにする。実は彼らは、前作の前に山田監督が撮った「東京家族」でも共演している。それだけに、絶妙なアンサンブルが楽しめる。

丸田役の小林稔侍、小料理屋の女将役の風吹ジュン、刑事役の劇団ひとりなどの脇役も、味のある演技を披露している。

前作もなかなか面白かったのだが、個人的には今作のほうがさらに良かったと思う。社会問題を取り上げて、これだけ明確なメッセージを発しながら、無条件に楽しく笑わせてくれて、ちょっぴりホロッとさせる。これはもはや熟練の職人技としか言いようがない。

山田監督の映画の観客の年齢層は、どうしても高めになりがちなのだが、この職人技は若い人にもぜひ目撃してもらいたいものである。

●今日の映画代、1500円。ユナイテッド・シネマの会員料金。

 

「美しい星」

「美しい星」
シネ・リーブル池袋にて。2017年5月26日(金)午後2時20分より鑑賞(スクリーン2/G-4)。

三島由紀夫は好きじゃない。思想信条以前に、割腹自殺したという事実がどうにも受け入れられない。だって、痛いじゃないですかぁ~。オレ、痛いのダメなんですよ。想像しただけで気持ち悪くなっちゃいますよ。弱虫でごめんネ。

とはいえ、作品は別だ。そんなに多くの三島作品を読んだわけではないが、なるほど名作だと思える作品に出会ったことはある。さすがにノーベル文学賞候補になった人物だ。そこは素直に評価している。

そんな三島由紀夫がSF小説を書いていたというのを初めて知った。その小説を映画化した映画が「美しい星」(2016年 日本)(上映時間2時間7分)である。監督は、「クヒオ大佐」「桐島、部活やめるってよ」「紙の月」などでおなじみの吉田大八。地球温暖化などの話を前面に出して原作を現代風にアレンジしているようだ。

主人公はお天気キャスターの大杉重一郎(リリー・フランキー)。しかし、彼の予報は当たらないことで有名だ。冒頭は、そんな彼がレストランで家族と食事するシーン。妻の伊余子(中嶋朋子)と、女子大生の娘・暁子(橋本愛)。ただし、フリーターの息子・一雄(亀梨和也)がなかなか現れず、重一郎はイラついている。しかも、彼は家族に隠れて愛人に電話しているのだ。

とくれば、これはどう考えても崩壊しかけた家族だ。彼らが再び絆を結ぶまでのドラマが、この映画の大きな要素だとわかる。

しかし、それを奇想天外な過程で実現するのが、この映画の面白いところだ。重一郎は車を運転中に不思議な光に包まれて、それをきっかけに自分が火星人だと自覚するようになる。また、娘の暁子は、謎のストリートミュージシャンと出会ったことから、自分は金星人だと自覚する。さらに、息子の一雄も謎の代議士秘書と知り合ったのをきっかけに、自分は水星人だと自覚する。こうして家族は次々に覚醒するのである。

これで妻の伊余子が木星人にでも覚醒すれば、家族揃って宇宙人ということになるわけだが、残念ながら(?)彼女は地球人のままだ。ただし、彼女は怪しい水ビジネスにはまっていく。

一方、宇宙人として覚醒した重一郎、一雄、暁子は、それぞれ地球を救うべく行動を開始する。重一郎はテレビ番組で「地球温暖化阻止」を強烈にアピール。美しすぎて周囲から浮いてしまう暁子は、地球人に真の美を知らしめるためミスコンに出ようとする。また、一雄はこちらも地球を救うと信じて、代議士秘書(水星人)の指示に従って行動する。

こうして地球を救うために動き出した家族の姿を、あの手この手で盛り上げて楽しく見せるのが吉田監督の真骨頂だ。それを通して、家族の再生に加え、地球温暖化、美に対する考え方、水ビジネスの怪しさなど様々なテーマを描き出していく。

感心するのは、シリアスと笑い、リアルと荒唐無稽のバランスの良さである。マジなテーマについて正攻法から描くかと思えば、人を食ったような笑いで観客を煙に巻く。いかにもありそうなエピソードを展開した後で、宇宙人ネタを中心に「アホかいな」と思わせるような話を紡ぎ出す。UFOとの交信、異星人の子を妊娠など、この手のSFらしいネタも満載だ。おかげで、予想もしない展開が次々に続いて、最後まで飽きることがなかった。

それにしても、こんなにとっ散らかった展開で、どうやって話を収束させるのかと思ったら、そこはさすがに吉田監督。後半には重一郎と一雄の論争を配置する。それは地球をどう認識するかという異星人同士の意見の食い違いであると同時に、親子=世代間の論争でもある。このあたりから、人間ドラマが色濃く出る。

そのはてに用意されているのが、家族の再生だ。ありがちではあるものの、素直に感動してしまう。特に、重一郎と暁子とのウソと真実に関する告白が胸にジワーっとしみてくる。伊余子の水ビジネスも、実は家族の絆を取り戻そうとしての行動だったことがわかり、家族の再生につながっていく。

ラストもユニークだ。人間ドラマと、SFと、人を食った笑いがごちゃ混ぜになった展開。死に瀕した重一郎と家族による逃走劇、そこで映る夜景の美しさ、なぜか出現する牛。そして、いよいよUFOの登場だっ!!

というわけで、いろんなものが詰め込まれ、怒涛の2時間7分が終了。それだけに人によって好き嫌いは分かれそうだが(SFとはいえ、かなり変わっているし)、地球や人間に対する愛情が感じられる映画なのは間違いないだろう。

俳優陣は、この一風変わった物語にふさわしくハジケた演技を見せている。亀梨和也橋本愛中嶋朋子佐々木蔵之介羽場裕一など、いずれも見応えある演技だ。しかし、一番すごいのはリリー・フランキーだろう。地球温暖化を訴えるときの決めポーズで笑わせ、終盤の娘とのシリアスなシーンで泣かせる。彼なしではこの映画の魅力は半減したと思う。彼が出る映画はやっぱり見逃せない。

●今日の映画代、1000円。テアトルシネマ系のTCGメンバーズカードの有効期限が切れたので、再度入会。入会金1000円支払い。映画を1000円で観られる割引券を1枚ゲット。そして、この日は毎週火・金曜のサービスデーで1000円で鑑賞。

 

「皆はこう呼んだ、鋼鉄ジーグ」

「皆はこう呼んだ、鋼鉄ジーグ
ヒューマントラストシネマ有楽町にて。2017年5月24日(水)午後2時15分より鑑賞(スクリーン1/D-12)。

ユニークな邦題の映画はいろいろある。最近では、ジェイク・ギレンホール主演の「雨の日は会えない、晴れた日は君を想う」、グザヴィエ・ドラン監督の「たかが世界の終わり」あたりは、けっこう変わっているかもしれない。

だが、そんなものと比較できないほど変わっているのが、「皆はこう呼んだ、鋼鉄ジーグ」(LO CHIAMAVANO JEEG ROBOT)(2015年 イタリア)である。なんだ? 鋼鉄ジーグって?

なんでも「鋼鉄ジーグ」とは、1975年に日本で放送され、79年にはイタリアでも放送された永井豪原作のアニメらしい。本作が長編デビューとなったブリエーレ・マイネッティ監督は、どうやら日本のアニメの大ファンのようだ。ちなみに、この映画が始まると「皆はこう呼んだ、鋼鉄ジーグ」という日本語のタイトルが大々的に登場する。どう考えても、この監督、オタクである。

そんなわけで、この映画もマニアックなオタク映画なのだと思い込んでいた。ところが、実際に観たら全然違っていた。見せ場タップリのエンターティメント映画だったのだ。

舞台はテロの脅威にさらされるローマ郊外。裏街道を歩く孤独なチンピラのエンツォ(クラウディオ・サンタマリア)が、警察に追われている。どうやら彼はドロボーで、腕時計を盗んで追われているようだ。しかし、逃げ場をなくして仕方なく、川に飛び込んで隠れる。するとそこには不法投棄したらしい放射性物質があって、彼は放射能を浴びてしまう。それによって、エンツォは超人的パワー(不死身&スーパーパワー)を獲得してしまうのだ。

それにしてもエンツォときたら、ワルとはいえただのチンピラだ。しかも、恋人も友達もなく、趣味はエロビデオ鑑賞。格好もヒゲ面のダサダサ。まさにダメ男を絵にかいたような人物なのだ。そんな人物が超人的パワーを獲得してしまうのが、何とも皮肉ではないか。

その後エンツォは、世話になっていたオヤジ的存在のセルジョに従って、麻薬絡みの現場に向かう。しかし、そこでトラブルが起きて、セルジョは殺されてしまう。エンツォも肩を撃たれ、高所から転落してしまうのだが、そこはさすがに超人的パワーの持ち主。すぐに回復して元通りになる。

ただし、死んだセルジョには娘のアレッシア(イレニア・パストレッリ)がいる。突然行方不明になったセルジョを探すギャングたちは、彼女を問い詰め、痛めつけようとする。エンツォは彼女のピンチを救い、それをきっかけに彼女の面倒を見る羽目になる。

実はアレッシアはもう立派な大人の女性なのだが、母の死などのせいで、現実と空想の区別がつかないなど精神的な問題を抱えている。そしてアニメ「鋼鉄ジーグ」のDVDを片時も離さない熱狂的なファンで、エンツォを「鋼鉄ジーグ」の主人公の司馬宙と同一視してしまうのである。

アレッシアにとって鋼鉄ジーグは正義のヒーローだから、エンツォにもそれを期待するわけだ。しかし、エンツォはそんな立派な人物ではない。超人的パワーを使ってATMを強奪したり、現金輸送車を襲ったりとロクなことをしないのだ。やれやれ。

それでも少しずつエンツォとアリッシアは距離を縮め、やがて2人の間には愛情らしきものが芽生える。このあたりは武骨なラブストーリーの雰囲気も漂う。ピンクのドレスを着たアリッシアの姿が印象的だ。

ガブリエーレ・マイネッティ監督の演出は、全編を通してケレン味にあふれている。アクションシーンだけでなく、普通のシーンでも大胆なカメラワークを繰り出すなど、様々な工夫で観客を飽きさせない。「鋼鉄ジーグ」のアニメ映像なども使いつつ、ユーモアも交えながらドラマを盛り上げる。

やがてドラマは大きな転機を迎える。エンツォとアリッシアの周囲では、ギャングが抗争を展開し、そこに爆弾事件なども絡んでくる。その中で、2人はギャングのリーダーのジンガロ(ルカ・マリネッリ)に目をつけられ、抗争の渦中に巻き込まれてしまう。そして、悲劇が……。

傷心のエンツォだがドラマは続く。一度は殺されたと思ったある人物が、エンツォと同じように超人的パワーを獲得し、悪のヒーローとして生まれ変わる。そして、エンツォはその人物と対決する。そうである。彼はついに、アリッシアが期待していた正義のヒーローとなって、悪のヒーローと闘うのだ。

そこからは圧巻のアクションの連続。サッカー・スタジアムを舞台に、ハラハラドキドキのバトルが展開し、そして余韻の残るエンディングへとなだれこむ。そこでも「鋼鉄ジーグ」が重要な役割を果たす。

そういえば、最初はダサいダメ男だったエンツォが、最後にはかっこよく見えてくるから不思議なものだ。孤独なダメ男が、初めて愛を知り、そしてヒーローになるドラマが胸に響く。同時に、激しいアクションやラブロマンスなどの見せ場もタップリだ。

エンターティメントとしてなかなか充実した昨品である。鋼鉄ジーグのことなど知らなくても(オレもそうだが)、十分に楽しめるはずだ。

●今日の映画代、1100円。テアトルシネマ系の毎週水曜のサービス料金。