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映画貧乏日記

映画貧乏からの脱出は可能なのだろうか。おそらく無理であろう。ならばその日々を日記として綴るのみである。

「イレブン・ミニッツ」

「イレブン・ミニッツ」
ヒューマントラストシネマ有楽町にて。2016年8月23日(火)午後12時5分より鑑賞。

ドラマにはたいてい起承転結がある。脚本家のオレが言うのだから間違いない(ただし全然売れてないけど)。それが脚本の常識というものだ。そんな常識をあっさりと無視した映画が、「イレブン・ミニッツ」(2015年 ポーランドアイルランド)である。

タイトル通りに11分間の出来事を映した映画だ。大都会の午後5時。一人の男が家を飛び出し妻のもとへと向かう。彼の妻は女優で好色な映画監督との面接のためホテルに向かっていた。一方、刑務所を出たばかりのホットドッグ屋、ドラッグをやりながら人妻とセックスするバイク便の男、質屋に強盗に入った少年、バイク便の男、救急現場に向かう救命士、犬を連れた女など様々な人々がうごめく。

ドラマらしいドラマなどない。なんといってもわずか11分間の出来事だ。それを、時間をバラバラにしてモザイク状に映していく。

詳しい人物の背景もわからない。たとえば、ホットドッグ屋は刑務所を出たばかりのようで、若い女に罵倒されるのだが、それがいったい何を意味するのか説明はない。犬を連れた女も男と別れたばかりのようだが、それに関する説明もない。そして、救命士が向かった現場には産気づいた女がいるのだが、入り口は家具でふさがれている。なんで、そうなったのか。その説明もない。細かなことは謎だらけ。よくわからないことばかりなのだ。

それでも目が離せないのは映像の見事さゆえである。携帯の動画や監視カメラなど身近な装置によって映し出された映像を使った冒頭から、斬新な映像の連続。犬の目線で飼い主を追うなど意表をついたアングルの映像も満載だ。「よ! 映像の魔術師」とでも声を掛けたくなるような妖しくて、スリリングな場面が続く。おかげで、「なんじゃこりゃ?」と思いつつ、スクリーンにずっと釘付けになってしまうのである。

そんな技巧を凝らした映像ではあるものの、リアルさも失わない。それどころか、ドキュメンタリー映画を観ているような感覚にも陥る。おそらくそれは、スクリーンに映し出されるものがすべて現代社会の欲望の縮図だからだろう。そして、それに翻弄される人々の感情の揺れ動きがヒシヒシと伝わってくる。

観ているうちに心がざわついて、ハラハラドキドキしてくる作品だ。まるで塀の上でバランスをとっているかのような不安定な感覚に襲われる。映像だけでなく、何度も繰り返される低空飛行の旅客機の轟音などの効果音や、音楽も不気味でますます心をざわつかせる。

そんなこんなで、「きっとよからぬことが起きるだろう」と想像はできるのだが、ラストの衝撃的な出来事にはただビックリ。そこに至って、それまでのエピソードが一つにつながるものの、それは起承転結や因果応報のドラマがもたらす結末ではない。必然とはほど遠い、まったくの偶然。運命のいたずらに、あっけにとられるばかり。作り手はこの結末を通して何が言いたかったのか。解釈は様々だろうが、人生の不条理さ、不確かさを確実に表現しているのは間違いない。

考えてみたら、人生なんて思わぬことばかり。映画やテレビドラマみたいな展開なんてめったにないし、ワケのわからない出来事が多いもの。とくれば、この映画の結末はまさに不可思議な人生そのものを表現しているのかもしれない。

相当に変わった映画なので観るには覚悟が要るが、個人的には難しいことを抜きにして、単純に面白かった。最初から最後までほとんど目が離せなかったのだから。

イエジー・スコリモフスキ監督は、『アンナと過ごした4日間』『エッセンシャル・キリング』などで知られ、カンヌ、ベルリン、ベネチアの世界3大映画祭で受賞歴のあるポーランドの鬼才だそうだ。申し訳ないが知りませんでした。そして年齢はなんと今年で78歳。それでこんなにぶっ飛んだ、アバンギャルドな映画を撮るなんて……。アンビリーバブルだぜっ!!

今日の教訓 ドラマなんてなくても映像と音だけでここまで面白くできるのだから、映画はホントに奥が深いなぁ。

●今日の映画代1000円(テアトル系の会員サービスデー。)