映画貧乏日記

映画貧乏からの脱出は可能なのだろうか。おそらく無理であろう。ならばその日々を日記として綴るのみである。

「ルージュの手紙」

ルージュの手紙
シネスイッチ銀座にて。2017年12月12日(火)午後6時50分より鑑賞(シネスイッチ1/E-8)。

もちろん、オレは母親でも娘でもないので(当たり前や!)、あくまでも間接的に見聞した範囲での話だが、母親と娘との間には微妙な関係性があるようだ。ましてそれが血のつながらない母娘なら、なおさら複雑な心理が両者の間に存在するのではないだろうか。

ルージュの手紙」(SAGE FEMME)(2017年 フランス)は、そんな血のつながらない母娘を描いた映画である。

主人公クレール(カトリーヌ・フロ)は、パリで助産師として働いている。病院は閉鎖が決まっていて、彼女はその後の身の振り方を決めかねている。また、彼女はシングルマザーで息子は医師を目指して勉強をしている。

そんなある日、突然、30年間姿を消していた継母のベアトリス(カトリーヌ・ドヌーヴ)から「重要で急を要する知らせがあるので会いたい」という電話が入る。自分が癌になったことから、生涯で唯一愛したクレールの父親にもう一度会いたいと思ったというのだ。だが、水泳選手だったクレールの父親は、ベアトリスが去った直後に自殺していた……。

というわけで、理由も告げずに父と自分を捨てたベアトリスに対して、クレールは憎しみを抱いている。とりあえず会うには会ったものの、その憎しみが消えることはない。

おまけに2人は正反対の性格をしている。ベアトリスは酒とギャンブルが大好きで、自由奔放に生きてきた。それに対して、クレールは真面目で、地味で、酒もたばこもやらない。そんな両者がぶつからないはずがないだろう。

ベアトリスに対して苛立ちを隠せないクレール。だが、困った人を放っておけない性格ゆえか、彼女を見捨てることもできない。戸惑いと苛立ちを抱えたままで、ベアトリスとの交流を続ける。そんなぎこちない交流を通して、クレールとベアトリスは少しずつ変化していく。

全く異質な2人が、過去を乗り越え、少しずつお互いを認め合っていく描写が、この映画の醍醐味である。とはいえ、劇的な変化のきっかけがあるわけではない。日常の様々なことが積み重なって、少しずつ変化していく。

しかも、2人は単純に距離を縮めるわけではない。接近したと思ったらまた離れ、離れたかと思ったらまた接近する。そんなふうに行きつ戻りつしながらドラマが進む。決定的な破局もなければ、劇的な和解もない。

こうした微妙な関係性を描くのはなかなか至難の業だろう。だが、「セラフィーヌの庭」「ヴィオレット ある作家の肖像」のマルタン・プロヴォは、それを繊細かつ巧みに描き出す。映画の冒頭ではアップを多用した映像で2人の内面を描くのかと思ったのだが、観ているうちにそう単純ではないことがわかった。その場その場にふさわしい視点で、しかもあちこちにユーモアを込めながら、2人の心理をすくい取るのである。

たとえば、いつも髪をひっつめ、化粧っ気のなかったクレールが、髪をおろして化粧をする。その背景には、家庭菜園仲間のポール(オリヴィエ・グルメ)という男性の存在もあるのだが、明らかにベアトリスに影響されていることが感じられる。デタラメではあるものの、「人生を楽しむ」ことに長けている彼女をクレールが認め始めていることが、そこはかとなく伝わってくるシーンである。

一方のベアトリスも、病に苦しむ中で、長年どこかに置いてきた親としての感情を思い出し、自分の過去の人生を省みるようになる。そんなわずかな変化が、彼女の言動からチラチラと見えてくる。

ベアトリスを演じるのは大女優のカトリーヌ・ドヌーヴヒョウ柄をゴージャスに着こなし(クレールの地味なコートと好対照!)、自由奔放さを全身で体現する。一方、クレールを演じるカトリーヌ・フロもフランスを代表する女優の一人。こちらは地味で意固地な女性を、抑制的な演技で見せていく。対照的な資質を持った、この2人の名優を起用したことが、間違いなく本作の最大の成功要因である。

終盤、クレールとベアトリスは一緒に、亡きクレールの父親の若き日のスライドを見る。そこに、彼とうり二つのクレールの息子が登場する。何とも心にしみる名シーンだ。

そして、最後には「ルージュの手紙」というタイトルの理由が明らかになる。明確なハッピーエンドではないものの、2人の新たな旅立ちを示唆する。温かな空気が流れて、清々しい余韻を残してくれるエンディングだ。

実は、この映画にはクレールの職業柄もあって、何度も出産シーンが登場する。それが何よりも、この映画にポジティブさをもたらしている。生への肯定と、ある種の女性讃歌が通底した映画だと思う。

まあ、何にしてもドヌーヴとフロという「2人のカトリーヌ」の演技を練るだけでも、十分に価値のある作品だろう。

●今日の映画代、1300円。ずっと前にアンケートに答えたらもらって割引券をようやく使用。

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◆「ルージュの手紙」(SAGE FEMME)
(2017年 フランス)(上映時間1時間57分)
監督・脚本:マルタン・プロヴォ
出演:カトリーヌ・フロ、カトリーヌ・ドヌーヴオリヴィエ・グルメ、カンタン・ドルメールミレーヌ・ドモンジョ、ポーリーヌ・エチエンヌ、オドレイ・ダナ
シネスイッチ銀座ほかにて全国公開中
ホームページ http://rouge-letter.com

 

「オリエント急行殺人事件」

オリエント急行殺人事件
ユナイテッド・シネマとしまえんにて。2017年12月10日(日)午後1時30分より鑑賞(スクリーン5/G-14)。

アガサ・クリスティーといえば、「ミステリーの女王」と呼ばれたイギリスの推理作家だ。その作品には何人かの名探偵が登場するが、個人的に最も親しみを感じるのはエルキュール・ポアロである。といっても小説をきちんと読んだ記憶はあまりなくて、昔、NHKで放送されていた海外ドラマ「名探偵ポワロ」の印象が強いのだが。

そんなポワロが活躍する名作ミステリーを映画化したのが、「オリエント急行殺人事件」(MURDER ON THE ORIENT EXPRESS)(2017年 アメリカ)だ。監督・製作・主演を務めるのはケネス・ブラナー。もともとはシェイクスピアの舞台劇の俳優で、その後映画にも活動の幅を広げ、名優としての地位を築いている。監督としても、「から騒ぎ」などたくさんの作品を送り出し、最近でも「シンデレラ」を手がけている。

ちなみに、「オリエント急行殺人事件」は、1974年にもシドニー・ルメット監督によって映画化されている。

主人公はおなじみの名探偵エルキュール・ポワロ。映画の冒頭で、彼の生き様を象徴する印象的なエピソードが描かれる。ポワロは朝食の2つのゆで卵の大きさが違っていることが、どうしても許せない。まさに完璧主義者というわけだ。そして自らも宣言するように、「この世の中には善と悪のどちらかしかない」と固く信じているのである。

ポワロは、エルサレムで教会の遺物が盗まれ、三大宗教の指導者に嫌疑がかかった事件を鮮やかな推理で解決する。それを披露するシーンで、早くもケネス・ブラナーならではの舞台劇のような迫力の演技が見られる。

事件解決後、休暇をとろうとしたポワロだが、イギリスでの事件解決を依頼され、急遽、豪華寝台列車オリエント急行に乗車することになる。まもなく列車は出発。その直後にポワロに話しかけてきたのは、アメリカ人富豪ラチェット(ジョニー・デップ)だ。彼は「脅迫を受けているから」とポワロに身辺警護を依頼する。しかし、ポワロはそれをあっさりと断る。

そんな中、深夜に雪崩で列車が脱線し、立ち往生してしまう。そして、その車内でラチェットが何者かに刺殺されているのが発見される。鉄道会社から調査を依頼されたポアロは、列車は雪に閉ざされており、犯人は乗客の中にいると確信し、聞き込みを開始する。

というわけで、名探偵ポワロが疑惑の乗客たちに話を聞くシーンが、このドラマの中心となる。教授、執事、伯爵、伯爵夫人、秘書、家庭教師、宣教師、未亡人、セールスマン、メイド、医者、公爵夫人、そして車掌という13人の乗客たちは、くせ者揃いだ。最初は乗客たちにはアリバイがあり、調査は暗礁に乗り上げるかに見える。だが、ポワロの名推理により、彼らの裏の顔が少しずつ明らかになる。

雪の中に閉ざされた列車内でのやり取りがスリルを高める。そして、ここでもケネス・ブラナーの圧倒的な演技力が、ドラマの展開の推進力になる。

それに対峙する乗客たちも、これまた名優や実力派俳優ばかりだ。ミシェル・ファイファーペネロペ・クルスウィレム・デフォージュディ・デンチジョシュ・ギャッドデイジー・リドリーなどなど。オレが大好きな映画「シング・ストリート 未来へのうた」で主人公が憧れる少女を演じたルーシー・ボイントンも、伯爵夫人として出演している。

何せ13人もいるので、一人ひとりの登場時間は短いのだが、その中できちんと自らが背負ったものを表現するのだから、たいしたものである。ベテランから若手まで、存在感あるキャストを揃えたことが、この映画の最大の勝因だろう。ポワロと彼らとの迫力の対決は観応え十分だ。

映像的にも見応えがある。列車が大自然の中を疾走する風景や、高い鉄橋の上で立ち往生した風景などをはさみこみ、さらに列車の外や屋根の上、さらに橋架の下へとカメラが移動して、観客を飽きさせない。登場人物を頭上からとらえた映像も印象的だ。アクションシーンもところどころに用意されている。

やがてこの殺人事件には、未解決の少女誘拐殺人事件が関係しているらしいことがわかる。そして、ついに明らかになる驚愕の犯人。

それをポワロが告げる波面は、実にケレン味にあふれた見せ場タップリのシーンである。まるで「最後の審判」のように、13人を横一列にテーブルを前に並ばせて、その前でポワロが真相を告げる。これもまた、舞台役者であるケネス・ブラナーにしかできない演出と演技ではないだろうか。

やがて列車は復旧して駅に着く。そこでポワルは大きな決断をする。ここで効いてくるのが、冒頭近くで彼が宣言した「この世の中には善と悪しかない」という信念だ。それが、今回の事件を経て変化したことが如実に示されるラストは、なかなかの味わい深さである。ポワロの人間的成長を、しっかりとスクリーンに刻みつけている。

さらに、最後の最後には気の利いたオマケが用意されている。ポワロにナイルで起きた殺人事件の話が持ち込まれる。とくれば、こちらも名作ミステリーの「ナイルに死す」が思い浮かぶ。なるほど、どうやら続編「ナイルに死す」の製作が、やはりケネス・ブラナーの監督・主演で決定しているらしい。そちらも楽しみである。

●今日の映画代、1500円。ユナイテッド・シネマの会員料金にて。

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◆「オリエント急行殺人事件」(MURDER ON THE ORIENT EXPRESS)
(2017年 アメリカ)(上映時間1時間54分)
監督・製作:ケネス・ブラナー
出演:ケネス・ブラナーペネロペ・クルスウィレム・デフォージュディ・デンチジョニー・デップジョシュ・ギャッドデレク・ジャコビレスリー・オドム・Jr、マーワン・ケンザリ、オリヴィア・コールマン、ルーシー・ボイントン、マヌエル・ガルシア=ルルフォ、セルゲイ・ポルーニン、トム・ベイトマンミシェル・ファイファーデイジー・リドリー
*TOHOシネマズ日劇ほかにて全国公開中
ホームページ http://www.foxmovies-jp.com/orient-movie/

「否定と肯定」

否定と肯定
TOHOシネマズ シャンテにて。2017年12月9日(土)午後1時50分より鑑賞(スクリーン1/D-11)。

世の中には、いまだに「地球が丸いというのはウソだ!」と言い張っている人がいるらしい。となれば、歴史的事実として認められていることを否定する人間がいても、驚くには値しないだろう。そういう連中のことを歴史修正主義者と呼ぶ。正確に言えば歴史捏造主義者、ないしは歴史歪曲主義者と表現する方が正しいようにも思えるのだが。

ナチスによるユダヤ人虐殺、いわゆるホロコーストを否定する連中も根強く存在する。そんな人物とユダヤ人女性の歴史学者との裁判闘争の行方を描いた、実話をもとにした映画が「否定と肯定」(DENIAL)(2016年 イギリス・アメリカ)である。

主人公はアメリカの大学で教鞭をとるユダヤ人女性の歴史学者デボラ・E・リップシュタットレイチェル・ワイズ)。彼女は、イギリスの歴史家デイヴィッド・アービングティモシー・スポール)が主張する「ホロコースト否定論」を看過できず、自著の中で彼の説を真っ向から否定する。

1994年、リップシュタットが講演をしていると、その会場にアービングが乗り込んでくる。彼は自説を滔々と述べたて、リップシュタットを攻め立てる。アービングがいかにくせ者で、厄介な存在かが即座にわかるシーンである。

だが、それはまだ序の口だった。アービングはなんとリップシュタットを名誉棄損で訴えたのだ。しかも、訴えた先はイギリスの裁判所。実は、イギリスの司法制度では、訴えられた側に立証責任がある。したがって、リップシュタットはアービングが唱える「ホロコースト否定論」を崩す必要があった。

そんな難しい裁判ではあるが、リップシュタットは受けて立つことにする。彼女は頑固で、自信家で、猪突猛進型の性格の持ち主だったのだ。まもなく彼女のためにイギリス人たちによる弁護団が組織される。

最初にリップシュタットが会ったのは、ダイアナ妃の離婚も担当したという、若くて優秀な弁護士のアンソニー・ジュリアス(アンドリュー・スコット)。ただし、彼は事務弁護士。イギリスの法廷で実際に弁護をするのは法廷弁護士の役目だという。

その法廷弁護士に就いたのはリチャード・ランプトン(トム・ウィルキンソン)。ベテランで実績充分の弁護士だ。だが、アウシュビッツの現地調査での行動などから、リップシュタットは彼に不信感を持つ。

そして、リップシュタットをさらにイラつかせる出来事が起きる。弁護士たちは裁判でホロコースト生存者ばかりか、リップシュタット自身にも証言させないというのだ。自らホロコーストの真実を証明したいと意気込んでいたリップシュタットにとって、それは耐えがたいことだった。たとえそれが裁判に勝つための最善の策だとしても……。

要するに、この裁判はイギリスの独特な司法制度のせいで、かなり屈折したものになったのだ。よくある法廷劇のように真実を追求する醍醐味も薄ければ、二転三転するスリルもそれほどない。お互いの細かな弱点を突き合う場面が多いのである。

だが、それでも観応えのあるドラマが展開する。その一つの要因は、法廷弁護士リチャードを演じるトム・ウィルキンソンと、ホロコースト否定論者アービングを演じるティモシー・スポールにある。前者が名優なら後者は実力派俳優。2人による緊迫感に満ちた演技対決から目が離せない。「ボディガード」で知られるミック・ジャクソン監督による演出、デヴィッド・ヘアによる脚本もなかなかのものだと思う。

そんな2人の対決のヤマ場か終盤に訪れる。アービングは「収容所にガス室など存在せず、遺体置き場兼防空壕だった」と主張する。それにリチャードが理詰めで挑んでいく。そこでは、裁判前にリチャードたちが行ったアウシュビッツでの現地調査が生きてくる。そうしたことを通して、リップシュタットとリチャードとの間には、強い絆が生まれていく。

そうなのだ。この映画は法廷劇であるのと同時に、それを通してリップシュタットが成長していく姿を描いた人間ドラマでもあるのだ。

最初は直情型で、頑固で、自信家だった彼女は、裁判の途中で弁護団の意向を無視して、ホロコーストの生存者に「証言をさせる」と勝手に約束してしまう。

だが、裁判が進むにつれて、自分の感情だけをぶつけても事態は良い方向に向かわないと理解し始める。ホロコースト否定論者に対峙するために、チームの仲間とともに、最善の道を模索することの重要性を知り始めるのである。

リップシュタットを演じたレイチェル・ワイズの演技もさすがだ。法廷では証言を許されないため、その表情だけで様々な感情を表現する。オスカー女優(「ナイロビの蜂」で第78回アカデミー賞助演女優賞)だけのことはある。

裁判の結果はどうなるのか。いったんリップシュタット側に有利に傾いたように見せて、その後の裁判長の言葉でハラハラさせるなど、終盤の展開もなかなかよく考えられている。

ドラマの最後には一応のカタルシスが用意されている。だが、お気楽なハッピーエンドにはなっていない。そもそもアービングの意図は、裁判で勝つ以上に自らをアピールする目ことにあったと推察される。であるならば、彼はある意味、目的を達したともいえる。歴史修正主義者が厄介な存在であることを、強く印象付けて映画は終わりを迎える。

ホロコーストに限らず、歴史を捻じ曲げようとする人間は、古今東西、様々な場所にいる。それだけに、誰にとっても無関係とはいえない作品だと思う。

●今日の映画代、1500円。事前にムビチケ購入済。

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◆「否定と肯定」(DENIAL)
(2016年 イギリス・アメリカ)(上映時間1時間50分)
監督:ミック・ジャクソン
出演:レイチェル・ワイズトム・ウィルキンソンティモシー・スポールアンドリュー・スコット、ジャック・ロウデン、カレン・ピストリアス、アレックス・ジェニングス
*TOHO シネマズ シャンテほかにて全国公開中
ホームページ http://hitei-koutei.com/

「希望のかなた」

希望のかなた
ユーロスペースにて。2017年12月5日(火)午後1時20分より鑑賞(シアター2/D-8)。

フィンランドの名匠アキ・カウリスマキ監督の作品は個性的だ。寒色系の映像、無表情で無口な人物など他にはない特徴がある。だから、一度観れば、それがカウリスマキ作品だとすぐにわかってしまう。

そんなカウリスマキ監督の新作が「希望のかなた」(TOIVON TUOLLA PUOLEN)(2017年 フィンランド)だ。ヨーロッパにおける難民問題がテーマとなっている。

最初に登場するのは、船の積み荷の石炭の中から、いきなり男の顔が出てくるシーンだ。この男はシリア人青年のカーリド(シェルワン・ハジ)。シリア内戦でミサイルによって自宅を破壊され、家族を失い、わずかに生き残った妹と国外へ脱出。しかし、その妹とはぐれて混乱の中、フィンランドの首都ヘルシンキに流れ着いた。

彼の唯一の望みは、その妹を見つけ出すこと。カーリドは上陸後すぐに警察に行き、難民申請をする。その後、彼は収容施設に入所させられ、入国管理の係官による面接を受けることになる。

ところが、難民申請は無情にも却下されてしまう。現地は戦闘状態ではないというのが、当局の言い分だ。しかし、その直後に映るのはそれを否定する映像。まさにその現地がいまだに激しい戦闘下にあるというテレビのニュースが流れるのだ。このシーンを見ただけで、現在のヨーロッパが難民に対していかに冷淡なのかが明確に伝わってくる。

劇中ではカーリドを執拗に狙うネオナチなども登場する。ここでもまた、現在のヨーロッパの闇を見せつけられる。

そんなカーリドと並行して描かれるのが、もう一人の男ヴィクストロム(サカリ・クオスマネン)だ。彼は妻と別れて家を出る。明確な説明がないのでわかりにくいのだが(カウリスマキ監督の映画ではいつものことだが)、どうやら彼は酒浸りの妻に愛想を尽かしたようだ。

ヴィクストロムは、衣類のセールスを仕事にしているようだが、それをやめてレストランを購入し、そこのオーナーに収まる。

カーリドとヴィクストロムの接点は、意外な形で訪れる。難民申請が却下されてシリアへの強制送還が決まったカーリドだが、早朝に収容者施設を抜け出して逃走する。そして、行き場のないままレストランのゴミ捨て場にいたところ、ヴィクストロムと出会ったのである。ヴィクストロムはカーリドをレストランで雇うことにする。

今回もカウリスマキ監督独特の世界は健在だ。やけに寒色系が目立つ映像、無表情で無口で何を考えているかわからない登場人物、音楽の使い方(今回もロックから歌謡曲風の曲、アラブ音楽まで効果的に使用)など相変わらずユニークである。

飛躍した描写や都合のよすぎる展開も特徴だ。今回もそんな場面が目立つ。ヴィクストロムがポーカー賭博で大勝ちしてレストランの購入資金を稼いだり、カーリドの偽造身分証が必要になると偶然にも身近にその道のプロがいたり……。

だが、そんなことに目くじらを立ててはいけない。リアルさの欠如を凌駕する圧倒的なメッセージが、この映画には込められているのだ。それは「困っている人に手を差し伸べる」というもの。当たり前ではあるが、なかなか実行できないことだろう。

カウリスマキ監督は、難民にとって厳しいヨーロッパの現状を示すだけでなく、人々の善意も示してくれる。ヴィクストロムやレストランの従業員たちは、その無表情さゆえ、善人なのか、悪人なのかよくわからない。そうした人々が、カーリドに手を差し伸べ、自然体で彼を守ろうとするのだ。それこそがまさに人間の善意である。ネオナチからカーリドを守る障害者たちも同様だ。

どんなに絶望的な状況下でも、人々の善意を信じるカウリスマキ監督の強い信念が、そこに込められているのではないだろうか。

カウリスマキ映画といえば、そこはかとないユーモアも特徴だ。今回はテーマがシリアスなだけに、前半はそれほどでもないが、ドラマが進むにつれて次第に笑える場面が増えてくる。

特に笑えるのが、売上低下に悩むヴィクストロムのレストランが、いきなり変な寿司屋に変身するところだ。にわか仕立ての和風ユニフォームを着た従業員の微妙な言動は爆笑モノ。おまけに、そこに観光客が大挙して押し寄せるのだから。いやはや何とも人を食った場面ではないか。

ラストはヴィクストロムに明るい兆しが見える。一方、カーリドには波乱が起きる。それでも、善意の力で時代の闇を乗り越えようというカウリスマキ監督のストレートなメッセージが響いてきて、温かく優しい気持ちになれたのである。

本作は、2017年のベルリン国際映画祭銀熊賞(監督賞)を受賞した。カウリスマキ監督は前作「ル・アーヴルの靴みがき」でも難民問題をテーマに取り上げている。それだけヨーロッパにおける難民問題は深刻な状況なのだろう。

●今日の映画代、1200円。ユーロスペースは火曜日が割引(前からだっけ?)。おまけにしばらく行かないうちに、オンライン予約可能になっていてビックリ。

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◆「希望のかなた」(TOIVON TUOLLA PUOLEN)
(2017年 フィンランド)(上映時間1時間38分)
監督・脚本・製作:アキ・カウリスマキ
出演:シェルワン・ハジ、サカリ・クオスマネン、イルッカ・コイブラ、ヤンネ・フーティアイネン、ヌップ・コイヴ、カイヤ・パカリネン、ニロズ・ハジ、シーモン・フセイン・アル=バズーン、カティ・オウティネン、マリヤ・ヤンヴェンヘルミ
ユーロスペースほかにて公開中。全国順次公開予定
ホームページ http://kibou-film.com/

「パーティで女の子に話しかけるには」

パーティで女の子に話しかけるには
ヒューマントラストシネマ渋谷にて。2017年12月3日(日)午後1時55分より鑑賞(シアター1/D-12)。

オフ・ブロードウェイでロングランヒットとなったロック・ミュージカルを映画化した2001年製作のアメリカ映画「ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ」は、素晴らしい映画だった。あまりの素晴らしさに即サントラ盤を購入したほどだ。性転換手術を受けてロックシンガーとなった主人公の半生を描いたドラマで、監督・脚本・主演を務めたのは舞台版と同じジョン・キャメロン・ミッチェルである。

そのジョン・キャメロン・ミッチェルが監督・脚本を担当した新作映画「パーティで女の子に話しかけるには」が公開になった。ニール・ゲイマンの短編小説の映画化だ。地球人の男の子と異星人の女の子の淡いロマンスで、それ自体は珍しい話ではないものの、それを「パンクロック」と結びつけているのがユニークである。

舞台は1977年のロンドン郊外。パンクロックが大好きな高校生のエン(アレックス・シャープ)は、ある日、ライブの帰りに仲間とともに打ち上げパーティに参加しようと思ったものの道に迷い、不思議な音楽が聞こえる家に入っていく。そこで繰り広げられているのは、奇妙な服を着た人々による謎のパーティ。実は、それは地球にやってきた異星人たちによるパーティだったのである。

冒頭からしばらくはパンクロックが全開で流れる。それに乗ってエンや仲間たちの姿が、荒々しい映像で描かれる。続いて、異星人たちのパーティシーンでは、美しくアートな映像で彼らの不思議な言動を描く。異星人の衣装やダンス、歌なども凝っている。この落差で一気にスクリーンに引き込まれてしまった。

しかし、エンたちは彼らが異星人だなどとは夢にも思わない。彼らをアメリカ人だと思い込む。そして、エンはそこで美少女のザン(エル・ファニング)と出会う。

というわけで、エンとザンの初々しいロマンスが瑞々しく描かれていく。そこで効いてくるのが、ザンが規則だらけの生活に反抗して、街に飛び出すという設定だ。異星人の指導者たちは、「個性を尊重する」とうたいながらも、みんなの自由を束縛する。ザンはそれに反抗して、エンが語るパンクに興味を持ち、パーティを抜け出してエンと一緒に街へ繰り出すのである。

これぞまさにパンク精神に沿った行動だ。この映画は、パンクを単なるファッションとして扱うのではなく、反逆の音楽という核心をきちんと突いている。さすがにロック音楽を知り尽くしたミッチェル監督だけある。

そのハイライトは、ザンがパンクロックのゴッドマザーともいうべき女ボス(ニコール・キッドマン)によって、無理やりステージに上げられて、そこでエンとともに思いっきりシャウトするシーンだ。このシーンだけで、2人の様々な思いが伝わってくるのである。

この映画には、笑いの要素もあちこちにある。地球人と異星人との間の噛みあわない会話などが、そこはかとないおかしさを醸し出していく。異星人が地球人に行う奇妙な性的行為なども、シュールで笑える。

急速に親しくなるエンとザンだが、ザンが地球にいられる時間は残り48時間しかない。それもまた2人の恋に切なさを漂わせる、

パンク精神が炸裂する場面は後半もある。実は異星人たちには、ある習慣が存在する。指導者によれば、それは環境破壊などの現状を踏まえて企図されたもののようだ。そのあたりの異星人の事情には、地球の現状も投影されているのかもしれない。

しかし、その行為は彼らをカルト宗教と勘違いしたパンクロッカーたちに非難され、過激な攻撃を受けてしまう。これもまたパンクロッカーたちのパンク精神ゆえの行動だろう。さらに、その問題をめぐって異星人内部の対立も起きてしまうのだ。

そして、ザンの身にも大きな変化が起きて、彼女は決断を迫られる。ザンは地球に残るのか。それとも宇宙へ飛び立つのか。2人の思いが交錯するラスト近くのシーンは、切なさが最高潮に達するのである。

そして最後に登場するのは、15年後を描いた後日談。さりげないサプライズに、心がホッコリさせられる。なかなかあと味の良いエンディングだった。

さすがにパンクロックが重要なアイテムとして使われるだけに、全編に流れる音楽も素晴らしい。77年当時の楽曲に加え、この映画のために結成されたバンドによるオリジナルナンバーが耳に残る。

エンを演じたアレックス・シャープは、トニー賞主演男優賞を最年少で受賞したそうだが、その初々しい演技が際立つ。そしてザンを演じたのはご存知エル・ファニング。彼女の透明感のある演技があればこそ、この風変わりな恋愛ドラマが風変わりなだけで終わらなかったのだと思う。あんな子が異星人なら、異星人に恋するのも悪くはない。

パンクロックに彩られた、キラキラして、切ないラブストーリー。単なるSF青春ラブストーリーの枠を超えて、普遍的な恋愛ドラマとして胸に響いてきたのである。

●今日の映画代、1300円。TCGメンバーズカードの会員料金にて。

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◆「パーティで女の子に話しかけるには」(HOW TO TALK TO GIRLS AT PARTIES)
(2017年 イギリス・アメリカ)(上映時間1時間43分)
監督:ジョン・キャメロン・ミッチェル
出演:エル・ファニング、アレックス・シャープ、ルース・ウィルソン、マット・ルーカス、ニコール・キッドマンジョアンナ・スキャンラン、スティーヴン・キャンベル・ムーア、ララ・ピーク、トム・ブルック、ジョーイ・アンサー、アリス・サンダーズ、イーサン・ローレンス、A・J・ルイス、ジャメイン・ハンター
新宿ピカデリーヒューマントラストシネマ渋谷ほかにて公開中。全国順次公開予定
ホームページ http://gaga.ne.jp/girlsatparties/

「探偵はBARにいる3」

「探偵はBARにいる3」
ユナイテッド・シネマとしまえんにて。2017年12月2日(土)午後1時55分より鑑賞(スクリーン9/F-12)。

かつて日本テレビ系で放映されていた松田優作主演のテレビドラマ「探偵物語」が大好きだった。基本はハードボイルドながら、コミカルな要素もあり、遊び心満点のドラマだった。テレビドラマではあるものの、映画畑の人々が活躍していたのも印象に残っている。

東直己の小説「ススキノ探偵シリーズ」を大泉洋松田龍平(奇しくも松田優作の息子)の主演で映画化した人気シリーズ「探偵はBARにいる」に、そんな「探偵物語」と同じ香りを感じてしまうのはオレだけだろうか。こちらもハードボイルドを基本にしつつ、笑い、スリル、感動をほど良くブレンドしているのが魅力だ。

前作「探偵はBARにいる2 ススキノ大交差点」から4年ぶりのシリーズ第3弾「探偵はBARにいる3」の登場である。今回は監督が前2作の橋本一から、「疾風ロンド」の吉田照幸(かつてのNHKの人気バラエティ「サラリーマンNEO」の演出家でもある)に変わったものの、その面白さは不変だ。

今回も主人公は、北海道・札幌の繁華街ススキノのバーを根城にする探偵(大泉洋)。そして、その相棒兼運転手で北大農学部助手の高田(松田龍平)。探偵は凄腕だが、同時に間抜けなところもあり、女にめっぽう弱いのが欠点。車の運転もできない。一方、高田はいつも無表情で冷静だが、ケンカが強くていざという時に頼りになる。

そんな2人が、思わぬことから事件に巻き込まれるのが定番のパターンだ。今回は高田が、後輩の大学生の「行方不明の彼女を捜してほしい」という依頼を受けたことからすべてが始まる。軽い気持ちで、その女子大生・麗子(前田敦子)について調査を始める探偵。

映画の冒頭では、麗子の失踪に関係があるらしい殺人事件が描かれる。いかにもハードボイルドらしい、緊迫した場面である。そして、その直後に登場するのは探偵が、ある事件の真相をピタリと言い当てるシーン。いや、冒頭の殺人事件ではない。「キャバクラでお姉ちゃんのオッパイをもんだのは誰か?」という事件なのだ。思わず拍子抜けするこのユルさも本作の楽しさの源泉だ。スリルと笑いが交互に繰り出される。

まもなく探偵は、麗子がバイトしていたらしいあやしげなモデル事務所にたどり着く。そこの美人オーナー・マリ(北川景子)と出会い、妙な既視感を覚える探偵。マリの背後には、裏社会で暗躍する北城グループ社長・北城仁也(リリー・フランキー)がいた。マリに翻弄されるうちに、探偵は大きな事件に巻き込まれていく。

問題の女子大生・麗子の行方は意外に早くわかってしまう。だが、そこからが大変だ。探偵と高田、マリ、北城が入り乱れて事態は混沌としていく。冒頭とは違うもう一つの殺人事件も起きる。そしてマリは、探偵にある依頼をする。

その過程では、白熱のバトルアクションも何度か飛び出す。最初は、マリに接近した探偵がヤクザにボコボコにされる。その中には、高田すらも歯が立たない使い手もいる。しかし、高田は無傷。なぜかと問う探偵に「キャラじゃねえ?」と高田。相変わらず笑わせてくれるではないか。

笑いの要素には事欠かない。探偵がよく通うエロいウエイトレス(安藤玉恵)がいる喫茶店、なだめすかさないとエンジンがかからない愛車、怖いけれどいざという時には助けてくれるヤクザ(松重豊)、ギブ・アンド・テイクといいつつ探偵にいいように利用される新聞記者(田口トモロワ)など、過去の設定や人物は今回も健在。おかげで無条件に笑わせられるのだ。

このシリーズでは、舞台となる北海道の土地柄もクローズアップされる。今回は北海道日本ハムファイターズに関する話題が飛び出し、クライマックスには何と栗山英樹監督と本物の札幌市長まで登場する。その場所で行われる巨額の麻薬取引と、それに続く大波乱。そして高田が大活躍するバトルアクションへとなだれ込む。ここはスリリングで大いに盛り上がる。

同時に終盤は少しずつ哀調を帯び始める。北城や探偵を手玉に取るマリだが、実は彼女には大きな秘密があったのだ。彼女が金にこだわる理由が最後に明らかにされ、それがそこはかとない感動と哀切につながるのである。

探偵と高田の凸凹コンビぶりには、ますます拍車がかかっている。エンドロール後に披露される高田の留学をめぐる一件にも、それが端的に象徴されている。最後の最後まで笑わせてくれるので、ぜひ最後まで席を立たないで欲しい。

大泉洋松田龍平らおなじみの俳優はもちろんだが、今回は北川景子リリー・フランキーの功績も大きいと思う。リリーの狂気はいつも通りの凄さで、ロシアン・ルーレットがよく似合う。北川が見せる様々な表情も魅力的である。

最初にも述べたが、ハードボイルドを基本にしつつも、笑い、スリル、感動をほど良くブレンドした、安心して楽しめる大人のエンタメ映画である。今どきこういうタイプの映画は珍しい。この先のさらなる続編にもぜひ期待したいところだ。できれば、次回はもう少し驚きが欲しいところではあるが。

●今日の映画代、0円。ユナイテッド・シネマの貯まったポイントにて。

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◆「探偵はBARにいる3」
(2017年 日本)(上映時間2時間2分)
監督:吉田照幸
出演:大泉洋松田龍平北川景子前田敦子鈴木砂羽リリー・フランキー田口トモロヲ、志尊淳、マギー、安藤玉恵正名僕蔵篠井英介松重豊野間口徹天山広吉片桐竜次
*丸の内TOEIほかにて全国公開中
ホームページ http://www.tantei-bar.com/

「光」

「光」
新宿武蔵野館にて。2017年11月29日(水)午後2時25分より鑑賞(スクリーン1/B-9)。

よほどの聖人君子でもない限り、誰でも心の奥底にどす黒い闇が隠れているものだ。さすがに、それが犯罪のようなことを引き起こすケースは稀だが、何らかの形で発露することはよくある。他人に対する悪口だったり、嫌がらせだったり……。

もちろんオレも同様だ。そのせいか、心の奥の闇を描いた映画には、「観たくない」という思いを持ちつつも、つい観てしまうのである。最近では、深田晃司監督の「淵に立つ」などは、まさにそうした映画だった。

大森立嗣監督が三浦しをんの小説を映画化し「光」も、人間の心の奥にあるどす黒い闇を描いた映画である。三浦しをん原作の大森作品といえば、「まほろ駅前」シリーズが思い浮かぶが、ストーリーも演出もまったく違う。

物語は、原生林に覆われた東京の離島・美浜島から始まる。そこで暮らす中学生の信之は、同級生の美花と付き合っている。そんな信之を慕っているのは、父親から激しい虐待を受けていた小学生の輔だ。彼は、いつも信之にまとわりついている。

そんなある晩、信之は神社の境内で美花が男とセックスしているのを見てしまう。「犯されているに違いない」と思った信之に、美花は言う。「殺して」と。その言葉に促されるように、信之はその男を殺してしまう。それを目撃していた輔は、死体をカメラに収める。それからまもなく、島は地震による津波に襲われ、すべてが消え去ってしまう。

25年後、信之(井浦新)は東京で妻の南海子(橋本マナミ)と幼い娘と暮らしている。そんな彼に輔(瑛太)が接近する。南海子と親しくなり、肉体関係を持つようになった輔は、今度は25年前の事件をネタに信之を脅し始める。さらに、輔は過去を捨てて女優になっていた美花(長谷川京子)も脅すのだった。

暴力、狂気、復讐、支配、性……。まさしく人間の奥底にあるどす黒い闇に迫っていく映画である。幼い頃に、美花に促されるようにして殺人を犯した信之だが、その後はそれを封印して何事もなく暮らしている。その前に、彼の過去を知る輔が現れて、様々な人物の狂気が露わになってくる。

輔は一見、金目当てで脅しに走っているかのように見える。だが、彼は父親に虐待されたこともあり、自身の過去や現在を嫌っている。そのために狂気を持って南海子に接近し、信之を脅し始めるのだ。金目当てというよりは、むしろ倦みきった自身の過去と現状への苛立ちと否定が、彼を突き動かしているに違いないのである。

こうして一度は、幼い頃と逆転した立場に立って信之を支配しかける輔だが、思い通りにはいかない。信之もまた、それまで封印していた狂気と暴力をちらつかせながら、輔を再び支配し始める。

おりしも、輔の前には幼少時に彼を苦しめた父・洋一(平田満)が10年ぶりに現れ、彼を翻弄し始める。信之はそれも利用して、輔を狡猾に操るのである。

信之の冷たく静かな狂気が恐ろしい。彼の行動は当初は自身の今の生活を守るためのものだったが、途中から違う動機へとすり替わる。輔に脅かされていた美花と再会した信之は、彼女を守るために狂気と暴力をエスカレートさせるのだ。

その美花もまた、心の奥に闇を抱えている。自分に対する信之の思いを利用して、巧みに彼を操り、すべてを消し去ろうとする。それはかつて島で信之を促して、殺人を犯させたのと同じ構図である。

本作は、信之、輔、美花の心の闇が交錯するサスペンスドラマなのだが、いわゆる普通のサスペンスとは違う。展開や語り口はかなり粗削りだ。それは低予算ゆえのことかと思ったのだが、どうやらそうではないらしい。「まほろ駅前」シリーズ以外にも、「さよなら渓谷」など様々な映画を撮ってきた大森監督だが、今回はそうした過去の作品とは全く違う描き方を意図的に目指したようだ。

時々流れる大音量のテクノミュージック。赤い花、巨大な樹木、信之と娘が訪れる不思議な空間などの鮮烈なイメージショット。そうしたものも含めて、自由かつ大胆に人間の心の奥にあるものをえぐり出そうとする。

快感や楽しさはまったくない。むしろ不快で、常に背中がザワザワするような作風だ。しかし、それがこの映画のテーマと見事に合致している。

ドラマの背景には、中上健次の小説と共通するアニミズム的な香りも漂う。ドラマの起点となる原生林に包まれた島での出来事は、その土地独特の得体の知れないものに突き動かされた子供たちによる所業にも思える。それが、25年後の彼らもずっと支配し続けているのかもしれない。

この映画で特筆すべきなのは、俳優たちの演技である。静かで冷たい表情が秘めた狂気をにじませる井浦新。汗や体臭も伝わってくるような瑛太の演技。両者の関係性には、同性愛にも似た屈折した愛情が見え隠れする。長谷川京子の悪女ぶりもなかなかのもの。平田満、橋本マナミも存在感タップリの演技だった。

終始不快感と緊迫感に包まれながら、人間の黒い内面から目が離せなくなってしまう。そんな映画である。

●今日の映画代、1000円。新宿武蔵野館の水曜サービスデー料金。

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◆「光」
(2017年 日本)(上映時間2時間17分)
監督・脚本:大森立嗣
出演:井浦新瑛太長谷川京子、橋本マナミ、梅沢昌代、金子清文、中沢青六、足立正生原田麻由鈴木晋介高橋諒、笠久美、ペヤンヌマキ、福崎那由他、紅甘、岡田篤哉、早坂ひらら、南果歩平田満
有楽町スバル座新宿武蔵野館ほかにて公開中
ホームページ http://hi-ka-ri.com/