映画貧乏日記

映画貧乏からの脱出は可能なのだろうか。おそらく無理であろう。ならばその日々を日記として綴るのみである。

「嘘八百」

嘘八百
TOHOシネマズ シャンテにて。2018年1月8日(月・祝)午前11時30分より鑑賞(スクリーン2/E-11)。

遅ればせながら、あけましておめでとうございます。今年も当ブログでは、観た映画のレビューをつらつらと書き連ねていきますので、よろしくお願いいたします。

というわけで、ようやく今年最初の映画鑑賞である。記念すべき一本を何にするのか。悩みに悩み抜いた末に……といいたいところだが、実は何の考えもなしにヒョイと選んだのが「嘘八百」(2017年 日本)。素人にはよくわからない骨董の世界を舞台に、冴えない2人の中年男がコンビを組み、一世一代の大勝負に挑むコメディドラマである。監督は「百円の恋」の武正晴、脚本は「百円の恋」の足立紳NHK連続テレビ小説などを手がけた今井雅子の共同脚本。

主人公の2人の中年男とは、空振り続きの古物商・小池則夫(中井貴一)と落ちぶれた陶芸家・野田佐輔(佐々木蔵之介)。則夫は、娘のいまり(森川葵)を連れて千利休を生んだ茶の湯の聖地、大阪・堺へやってくる。そこで佐輔と知り合うのだが、その出会いがユニークだ。

則夫が「西に吉あり」というラジオの占いに従って車を走らせていると、蔵のある屋敷にたどり着く。そこにいたのが家主らしき男・佐輔だ。彼に掛け合って、蔵の中を調べさせてもらったことをきっかけに、則夫は利休形見の茶器を発見し、則夫をだまして安い値段で引き取る。だが、実はそれは真っ赤な贋物。そして、佐輔は家主でもなんでもなかったのだ!!

騙したはずの則夫が佐輔の大芝居に騙される。いかにも騙し騙されの骨董の世界らしい話である。当然、則夫は激怒するが、同時に自分の目を狂わせた佐輔の腕には感服せざるを得ない。

おまけに、2人には人生の負け組という共通項があった。則夫はある古美術店主と大御所鑑定士に一杯食わされ、妻子に逃げられた過去を持つ。一方、佐輔もかつては将来有望な陶芸家だったものの、その古美術店主と大御所鑑定士にいいように利用され、転落していった。妻子とはずっと一緒に暮らしていたが、その妻もとうとう家を出て行ってしまった。

とくれば、則夫が起死回生の大勝負を挑もうとするのも、無理からぬことだろう。そのターゲットはもちろん、かつて2人が煮え湯を飲まされた古美術店店主・樋渡(芦屋小雁)と大御所鑑定士・棚橋(近藤正臣)だった。則夫は佐輔を誘って、「幻の利休の茶器」を仕立てて一攫千金を狙おうとするのである。

このドラマは、2人のダメ男によるバディムービーであり、人生のやり直しのドラマである。2人は詐欺まがいの大勝負に挑むが、敵はさらなる悪党というわかりやすい構図になっている。そして、人生負け組の2人からは、そこはかとない哀愁が漂ってくる。だから、観客は素直に感情移入しやすいのだ。

全体のタッチは軽妙で笑いに満ちている。武監督の演出はこの手のコメディのツボを突いている。中井貴一佐々木蔵之介の丁々発止のやり取りに加え、脇役たちの存在も絶妙のスパイスになっている。特に佐輔の贋作仲間である飲み屋のマスター(木下ほうか)、表具屋(坂田利夫)たちが、いかにも大阪風の笑いを振りまく。バース、掛布、岡田の三連発の話など小ネタも満載。大物鑑定士を演じる近藤正臣と、古美術店主を演じる芦屋小雁の、大阪商人らしい振る舞いもユーモラスだ。

映画の中盤では、佐輔による贋物の茶器づくりのようすがていねいに描かれる。贋物とはいえ、真剣かつ高度な作陶過程だ。その躍動感と熱気にあふれた場面は、「百円の恋」でのボクシングシーンを連想してしまうほどで、自然に引き込まれてしまったのである。

そして、いよいよ大勝負の時。クライマックスでは贋物の茶器を前に、文化庁までも巻き込む騒動になる。そこでの中井貴一の迫力ある口上が見事だ。展開自体はほぼ予想がつくものの、最後まで飽きることはなかった。

問題はその後に描かれる後日談だ。意外などんでん返しが用意され、思わぬ人物に利益がもたらされる。正直なところ荒唐無稽なドタバタ喜劇風で、個人的にはちょっと引いてしまったのだが、難しいことを抜きにして楽しめるという点では、こういう展開もありなのだろう。

取り立てて目新しさはないし、人間ドラマとしての深みがあるわけでもない。それでもツボを心得た脚本と演出によって笑いと人情をほど良くブレンドしている。そして何といっても芸達者なベテラン俳優たちの演技が観応え十分だ。おかげでウエルメイドの味のある大人のコメディドラマに仕上がっている。

そういえば、昔はこういう誰でも気楽に楽しめる大人の喜劇が、お正月にはよく上映されていたような気がする。何の考えもなしにヒョイと選んだにしては、新年第一弾のセレクトとしてピッタリだったのではないだろうか。うーむ、オレの直観もなかなかのものだぜ。

と新年から自画自賛するバカ野郎なのであった。

●今日の映画代、0円。TOHOシネマズのシネマイレージカードの貯まった6ポイントで無料鑑賞。

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◆「嘘八百
(2017年 日本)(上映時間1時間45分)
監督:武正晴
出演:中井貴一佐々木蔵之介友近森川葵前野朋哉堀内敬子坂田利夫、木下ほうか、塚地武雅桂雀々宇野祥平、ブレイク・クロフォード、寺田農芦屋小雁近藤正臣
*TOHOシネマズ 新宿ほかにて全国公開中
ホームページ http://gaga.ne.jp/uso800/

「ユダヤ人を救った動物園~アントニーナが愛した命~」

ユダヤ人を救った動物園~アントニーナが愛した命~」
TOHOシネマズ みゆき座にて2017年12月26日(火)午後12時55分より鑑賞(I-6)。

動物園にはほとんど行ったことがない。大学時代にキャンパス近くに動物園があったが、そこにもめったに足を運ばなかった。学生のデートコースだという噂もあったから、彼女のいないオレはなおさら近よらなかったのだ。しかし、まあ、動物園の魅力は何となく理解できる。なにせいろんな動物がテンコ盛りだから動物好きにはたまらんだろう。オレも行けば、その魅力にはまるのかもしれない。

ユダヤ人を救った動物園~アントニーナが愛した命~」(THE ZOOKEEPER'S WIFE)(2016年 チェコ・イギリス・アメリカ)は、そんな動物園を舞台にした映画である。といっても、楽しい動物映画ではない。ナチス占領下のポーランドで、300人ものユダヤ人の命を救った夫妻の実話をもとにしたドラマだ。監督は「クジラの島の少女」のニキ・カーロ。

1939年、ポーランドワルシャワにあるワルシャワ動物園。ヨーロッパ最大規模のこの動物園を運営するのは、ヤン(ヨハン・ヘルデンベルグ)とアントニーナ(ジェシカ・チャステイン)の夫妻である。

冒頭で描かれるのは、アントニーナがいかに動物をかわいがり、動物に尽くしているかを物語る場面だ。朝起きたアントニーナ。そのベッドの上には動物がいる。そしてベランダに出ると夫のヤンが動物を散歩させている姿が目に飛び込む。

アントニーナもすぐに動物園に行き、自転車で朝の見回りをする。その後ろを子供のラクダがついていく。たくさんの動物たちに声をかけるアントニーナ。それに応えるかのような生き生きとした動物たちの姿。何とものどかで幸福なシーンである。

続いて登場するパーティーシーン。そこにはアントニーナとヤンたちとともに、ヒトラー直属の動物学者ヘック(ダニエル・ブリュール)がいる。見るからにくせ者だ。彼がこの映画の敵役になる(「ヒトラーへの285枚の葉書」もそうだったが、ダニエル・ブリュールはなぜかナチス絡みの役がよく似合う)。

そんな中、動物園のゾウにアクシデントが起きる。アントニーナが駆けつけると、生まれたばかりの子ゾウが息をしていない。アントニーナは親ゾウに攻撃される危険も顧みずに近づいて、小ゾウを蘇生させようとする。

アントニーナの動物に対する献身的な愛と信頼が伝わるシーンだ(ちなみに、アントニーナが動物を好きになった背景には、過去の悲しい出来事があったことが後ほど明らかになる)。アントニーナと動物との幸せな日々を描いたこうしたシーンが、その後の波乱をより際立たせる。

まもなくドイツがポーランドに侵攻し、第二次世界大戦が勃発する。動物園は爆撃されて多くの動物が亡くなる。さらに、ナチスの方針によって動物園の存続は危機に瀕し、ヘックが現われて“希少動物を救いたい”と申し出る。

一方、ナチスユダヤ人をゲットー(ユダヤ人強制居住区)に連行する。それを見たヤンはアントニーナに「この動物園を隠れ家にする」という提案をする。最初は驚いたアントニーナも提案を受け入れ、協力してユダヤ人たちを動物園に匿おうとする。

当然ながらその計画は危険なものだ。ナチスに見つかれば、アントニーナたち家族も命がどうなるかわからない。そこでヤンは面白い作戦を考える。動物園を養豚場にして、その餌の残飯をゲットーから運ぶ隙にユダヤ人たちを動物園に連れてくるのだ。

そして、動物園の地下室の動物用の檻を寝床にしてもらい、温かい食事と毛布などを振る舞う。また、園内に駐在するドイツ兵の目を欺くために、アントニーナのピアノの合図で隠れたり静かにしてもらうなど、様々な工夫をする。

とはいえ、危険なことに変わりはない。夫妻は何度も危ない目に遭う。そうした展開をスリリングに描くとともに、アントニーナの行動の源泉を正攻法から描いていく。

それはズバリ、愛である。冒頭で見られたアントニーナの動物への献身的な愛は、家族へも、そしてユダヤ人にも注がれる。彼女にとって、命はどれも大切なものであり、そこに分け隔てはないのだ。そのために勇気を持って行動する。

彼女のまっすぐな愛と勇気が、周囲の人々を動かしていく。ユダヤ人たちを救うために、ヘックに接近したアントニーナはヤンから疑惑の目を向けられ、一時的に夫婦仲が険悪になる。しかし、それでも彼女の信念は揺るがない。

ゲットーでドイツ兵に暴行された少女が、アントニーナの献身によって心を開いていくエピソードも印象的だ。それもまたアントニーナの愛と勇気のなせる業だろう。

終盤は、ホロコーストの犠牲になったコルチャック先生(作家・教育者としても知られるポーランドの偉人とのこと)や、民衆による武装蜂起のエピソードなども盛り込みつつ、アントニーナにとってギリギリの場面を映し出していく。

エンディングに描かれるのは戦後の後日談だ。そこでは大きなサプライズが用意されている。そのあたりも含めて、やや都合よすぎの展開はあるものの、何しろ実話ベースのドラマなので仕方のないところだろう。いずれにしても感動的なラストで心が温かくなる。

アントニーナを演じたのはジェシカ・チャステイン。強烈な個性の女性ロビイストを演じた「女神の見えざる手」とは一転して、今回は優しく、聡明で、その中に芯の強さを秘めた女性を好演している。これだけ幅広い役柄を演じ分けられるのだから、見事なものである。

ホロコーストにまつわる意外なドラマを知るとともに、愛と勇気の大切さをあらためて伝えてくれる作品だ。移民排斥など排他的な雰囲気が漂う今だけに、なおさら心に響く作品である。

●今日の映画代、1400円。毎週火曜は、TOHOシネマズのシネマイルカードの割引料金。

◆「ユダヤ人を救った動物園~アントニーナが愛した命~」(THE ZOOKEEPER'S WIFE)
(2016年 チェコ・イギリス・アメリカ)(上映時間2時間7分)
監督:ニキ・カーロ
出演:ジェシカ・チャステイン、ヨハン・ヘルデンベルグダニエル・ブリュール、マイケル・マケルハットン、イド・ゴールドバーグ、ゴラン・コスティッチ
*TOHOシネマズ みゆき座ほかにて全国公開中
ホームページ http://zookeepers-wife.jp/

 

「勝手にふるえてろ」再鑑賞&ベスト10

勝手にふるえてろ」再鑑賞&ベスト10

今年の東京国際映画祭コンペティション部門に出品されて観客賞を受賞した「勝手にふるえてろ」をこの間の土曜日(23日)に、シネ・リーブル池袋にて再鑑賞した(午後1時10分の回。シアター2/H-4)。

東京国際映画祭では関係者向け上映で、無料で鑑賞させてもらったのだが、予想以上の面白さだったので、今回は自腹で鑑賞したのである。

2度観てもやはり面白い! 特に松岡茉優の演技は何度観ても素晴らしい。屈折したオタク女子の内面をあそこまで演じ切るのだから名演としか言いようがない。

原作にない数々の仕掛けを施した大九明子監督の脚本・演出も見事だ。ヨシカが街の人々に近況を語る設定とミュージカル風の場面は、後半の彼女の孤独をより際立たせる。

そして、ラストの玄関先でのシーンは間違いなく名シーンである。観ていて心が揺さぶられた。オレにとって今年のベスト映画の1本である。

というわけで、「今年観た映画のベスト10を選べ」というリクエストがよく来るのだが、そんなもの決められん!! 映画に順位などあるものか。ライムスター宇多丸もTBSラジオの「ウィークエンド・シャッフル」でそう言っていたぞ!

とはいえ、彼もまた番組のためにランキングを発表していたわけで、オレも無理やりベスト映画10本(洋画・邦画それぞれ+次点)を挙げてみますかね。あくまでも無理やりだけど。観てない映画もたくさんあるから。

●洋画
①「ドリーム」
②「マンチェスタ・バイ・ザ・シー」
③「わたしは、ダニエル・ブレイク」
④「エル ELLE
⑤「アトミック・ブロンド
⑥「パターソン」
⑦「沈黙 サイレンス」
⑧「ムーンライト」
⑨「ありがとう、トニ・エルドマン」
⑩「スウィート17モンスター」
次点「わたしたち」

●邦画
①「夜空はいつでも最高密度の青色だ」
②「三度目の殺人
③「勝手にふるえてろ
④「いぬむこいり」
⑤「幼な子われらに生まれ」
⑥「彼女がその名を知らない鳥たち
⑦「花筐/HANAGATAMI」
⑧「ひかりのたび」
⑨「散歩する侵略者
⑨「ひかりのたび」
⑩「おじいちゃん、死んじゃったって。
次点「美しい星」

邦画の4位に4時間超の長尺映画「いぬむこいり」を挙げたところが、オレらしいというか。でも、面白かったのだから仕方ない。おかげで3回も観てしまった。

とまあ、こんな感じである。あくまでも個人の感想なので、文句は受け付けませぬ(笑)。

「わたしは、幸福(フェリシテ)」

わたしは、幸福(フェリシテ)」
ヒューマントラストシネマ渋谷にて。2017年12月21日(木)午後1時40分より鑑賞(シアター2/H-10)。

寒い。半端なく寒い。何しろウチには電気ストーブ以外に暖房がないのだ。こう寒いとアフリカにでも行きたくなるが、そういうわけにもいかない。だいいちオレはアフリカのことをよく知らない。コンゴといわれても、どこにあるのか皆目見当がつかない。ただし、その首都のキンシャサという名前には聞き覚えがある。

1974年10月30日、ザイール共和国(現在のコンゴ民主共和国)の首都キンシャサで行われたプロボクシングWBAWBC世界統一ヘビー級タイトルマッチで、王者ジョージ・フォアマンと挑戦者モハメド・アリが対戦し、アリが劇的な逆転KO勝利をおさめた。これを「キンシャサの奇跡」と呼ぶ。

そのキンシャサを舞台にしたあるシングルマザーの物語が「わたしは、幸福(フェリシテ)」(FELICITE)(2017年 フランス・セネガル・ベルギー・ドイツ・レバノン)である。監督は、これが長編4作目のセネガル系フランス人監督アラン・ゴミス。第67回ベルリン国際映画祭銀熊賞審査員グランプリ)を受賞した。

主人公はフェリシテ(ヴェロ・ツァンダ・ベヤ)という女性。フェリシテというのは、タイトルにもあるように「幸福」という意味のようだ。生まれた時は違う名前だったが、幼い頃に一度死にかけた彼女に対して、幸せになるようにと改めてつけられた名前らしい。

だが、名前と裏腹に幸せとは縁遠い人生だった。キンシャサの酒場で歌いながら、夫と別れて一人息子を育てるシングルマザーのフェリシテ。お金に苦労しながら日々を過ごしていた。

映画の冒頭は酒場のシーンだ。賑やかな酔客たちの間で、フェリシテはほとんど表情を変えない。何やら不機嫌そうにも見える。ところが、ひとたび歌い出すとその雰囲気がまったく変わる。力強い歌声を発しながら、彼女は生き生きと輝いていくのだ。

だが、現実生活は厳しい。家では冷蔵庫が故障する。どうやらかなり古いものらしい。そこに修理にやってきたのはタブーという男。実はこの男、いつも酒場に入り浸り、酒癖&女癖が極端に悪い人物として知られていたのだ。

そんな中、病院からフェリシテに連絡が入る。息子が交通事故に遭い重傷を負ってしまったというではないか。慌てて駆けつけると血だらけの息子は大部屋に寝かされ、医師は手術が必要だと告げる。だが、そのためには手術代を前払いする必要がある。

フェリシテにそんな余裕はない。それでも愛する息子のために、彼女は必死で金策に走る。酒場の客などにカンパを募ったり、別れた夫や親戚に金を借りに行く。その中では、「葬式代なら出すが手術代なんて……」などという冷淡な言葉も浴びせられる。

こうして手術代をかき集めたフェリシテだったが、病院に行くとまたしても医師から衝撃の事実が告げられる。命の危険があったから、息子の足を切断してしまったというのである。フェリシテは絶望して歌が歌えなくなる。息子もショックで抜け殻のようになる。

ここまでのストーリーを聞くと、コンゴの医療制度などの社会問題を背景に、フェリシテの苦難を描く社会派ドラマに思えるかもしれない。たとえば、ダルデンヌ兄弟の作品のような。

確かにそうした要素も見られる。町を行くフェリシテの背景には、コンゴの街のようすや人々が頻繁に映し出される。そこには貧富の格差など、コンゴの今がクッキリと刻み込まれている。

だが、本作の核心は、やはりフェリシテの内面にある。無表情の奥にある微妙な心理の揺れ動きを、手持ちカメラやアップの多用によって繊細に描き出していく。光と闇を効果的に対比させるなど、細かな映像テクも駆使されている。

そして何よりも印象的なのが、フェリシテの夢などの鮮烈なイメージショットだ。特に夜の森の中の美しく妖しいシーンが秀逸である。そこに登場する不思議な生き物は、エンディング近くの酒場にも現れ、フェリシテの心情に寄り添う。

フェリシテの活力に満ちた歌と対になる形で奏でられる、現地のアマチュアによるオーケストラや合唱団の清らかな演奏も心にしみる。深い意味を持つらしい詩なども登場し、独特の情感を醸し出す。

同時に、それは今のコンゴのドラマという枠を越えて、本作をより根源的かつ普遍的なものへとつなげていく。悠久の歴史を持つアフリカの大地、神の存在、人間の生と死など様々なものがドラマの根底に垣間見えるのである。

運命に翻弄されて歌えなくなったフェリシテだが、最後には再生が訪れる。そこで大きな役割を果たすのが、タブーの存在だ。彼と接するうちに、フェリシテも息子も少しずつ心がほぐれていく。とはいえ、フェリシテと彼の関係はありきたりの男女関係ではない。タブーは最後まで酒癖の悪い好色男のままだ。それでも、2人の間には何やら温かな空気が流れる。

その温かな空気は、スクリーン全体を覆う。終盤でのフェリシテと息子、タブーのシーン。ほとんど笑顔を見せなかったフェリシテが、見せる笑顔が印象的だ。ラストで引用される詩も独特の味わいを生む。

主演のヴェロ・ツァンダ・ベヤは、これが初めての演技だということだが、力強い歌声はもちろん、多くのことを物語る眼の表情が素晴らしい。

ストレートな感動などは期待しないほうがいいだろう。どのようにも解釈できる抽象的な表現も多い。だが、ここにはアフリカ独特のリズムがある。音楽に身をゆだねるように観ていれば、一人の女性のリアルな生き方が自然に伝わってくるはずだ。

●今日の映画代、1300円。TCGメンバーズカードの会員料金で。

◆「わたしは、幸福(フェリシテ)」(FELICITE)
(2017年 フランス・セネガル・ベルギー・ドイツ・レバノン)(上映時間2時間9分)
監督・脚本:アラン・ゴミス
出演:ヴェロ・ツァンダ・ベヤ、ガエタン・クラウディア、パピ・ムパカ、カサイ・オールスターズ
ヒューマントラストシネマ渋谷、ヒューマントラストシネマ有楽町ほかにて公開中。全国順次公開予定
ホームページ http://www.moviola.jp/felicite/

 

「勝手にふるえてろ」

勝手にふるえてろ
2017年10月30日(月)第30回東京国際映画祭P&I上映にて鑑賞(TOHOシネマズ六本木ヒルズ スクリーン9)。

東京国際映画祭で上映される映画は、さすがに選りすぐりの映画だけにどれも見応えがある。その中でも、「これだ!」という映画に出会う喜びは無上のものである。昨年は「この世界の片隅に」が、そんな忘れられない一作となった。

そして、今年の第30回でオレが最も気に入った作品が、コンペティション部門に出品されて観客賞を受賞した「勝手にふるえてろ」(2017年 日本)である。正直ほとんど期待せずに、「コンペ作品だから一応観ておくか」的な考えで鑑賞したのだが、完全に予想を覆された。まさかこれほど面白い映画だとは思いもしなかった。

芥川賞作家・綿矢りさによる同名小説の映画化だ。主人公は24歳のOLヨシカ(松岡茉優)。恋愛に奥手で、いまだに中学時代に気になっていた男の子「イチ」(北村匠海)に10年間片思い中だ。といっても、中学ではほんの少ししか口をきいたことがないし、卒業後はまったく会ったこともない。完全な脳内だけの恋愛だ。

ところが、人生とはわからないものである。ある日、ヨシカは会社の同僚の「ニ」(渡辺大知)から突然告白される。正直なところ、「ニ」は暑苦しくて「イチ」とは正反対のタイプ。それでも、ヨシカは「人生で初めて告られた!」とテンションがあがる。

しかし、そこはさすがに屈折女子だ。「ニ」との関係にいまいち乗り切れないヨシカ。やはり「イチ」のことが忘れられないのだ。こうして脳内片思いとリアルな恋愛が同時進行する中で、ヨシカは「一目でいいから、今のイチに会って前のめりに死んでいこう」と考え、同級生の名をかたって同窓会を計画する。そして、やがてイチと再会するのだが……。

ヨシカのようなイケてない屈折した女性は、どこにでもいるだろう。脳内であれこれ考えてばかりで、実際に言葉にしたり、行動には移せない。自意識過剰でプライド過多。それゆえ周囲とはなじめずに、他人に対してどこか覚めている。

原作ではヨシカの独白でそれらを表現するのだが、それをいったい映画でどう観客に見せるのか。これは難しい問題だ。しかし、この映画は、それを見事にやり遂げている。

何よりも素晴らしいのが松岡茉優の演技だ。ヨシカの一人芝居のような場面が連続するのだが、それを圧倒的な存在感で演じ切る。その一挙手一投足、微妙な表情の変化、他人の言動に対するほんの短い反応など、完全にヨシカになりきった演技だ。本来なら、屈折したオタク女子のヨシカは目立たない存在。存在感とは無縁なはずだ。それにもかかわらず存在感がにじみ出てくる。こういう演技はそう簡単にできるものではない。名演といってもいいと思う。

大九明子監督の脚本と演出も素晴らしい。「イチ」と「ニ」の間で揺れ動くヨシカをユーモア満点に、ケレン味たっぷりに描いていく。例えば、ヨシカのキャラの組み立て方だ。彼女が愛好するのは地球から絶滅した動物たち。ネット通販でアンモナイトの化石まで購入する。こうしたディテールが抜群に面白く、しかもヨシカという人物を的確に表現している。

そして、もう一つ特筆すべき仕掛けがある。会社の同僚の来留美石橋杏奈)以外には誰にも本音を明かさないように見えるヨシカだが、なぜか街でいつも出会う人々(釣り人や駅員など)に気軽に近況を語りかける。一見、不自然にも思える光景だが、実はそこには大きなからくりがある。そのことが後になって判明するのだ。それが彼女の屈折ぶりと孤独をさらに強く印象付ける。原作にはない秀逸な仕掛けだ。

さらに、この映画にはヨシカがミュージカルのように心情をうたい上げるシーンがある。実のところオレは観賞中に、あまりにもスゴイはじけ方に爆笑して、「いっそミュージカルシーンでも出してくれないかな」と思ったのだ。そうしたら、アナタ、本当にやってくれるじゃありませんか。いやはやもう脱帽ですヨ。楽しすぎます。

まあ、とにかく、爆笑の映画である。ただし、単なるコメディーではない。恋愛や生き方の本質もちゃんと突いている。特に、同窓会をきっかけに、ヨシカの脳内における「イチ」との関係が変化するあたりからは、そうした色が濃くなってくる。

終盤でのヨシカの行動は極端だ。ある出来事からすべてが嫌になった彼女は、予想もしない行動をとる。それもまた笑いを誘うのだが、それだけでは終わらない。なぜなら、行動そのものは極端でも、その奥にある心情は誰もが持ち得るものだからだ。

様々な波乱の果てに、ラストには用意されたのはヨシカと「ニ」との名シーン。それは、風変わりなラブロマンスに落とし前をつけ、「勝手にふるえてろ」というタイトルにもつながるシーンだ。オレは無条件に感動し、心がポカポカと温まるのを感じてしまったのである。

爆笑のエンターティメントでありながら、今の時代の1人の女性の内面もきっちりと描き出した本作。個人的には、今年の邦画の上位にランクする映画である。一見、女性向けの映画のように思えるかもしれないが(ヨシカと共通する資質を持つ女性は多そうだし)、男性も十分に楽しめるはず。

東京国際映画祭では無料で鑑賞させてもらったが、自腹でもう一度観ようと思っている。それぐらい面白い映画だった。

●今日の映画代、関係者向けのP&I上映につき無料。

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◆「勝手にふるえてろ
(2017年 日本)(上映時間1時間57分)
監督・脚本:大九明子
出演:松岡茉優渡辺大知、石橋杏奈北村匠海趣里、前野朋哉、池田鉄洋古舘寛治片桐はいり
*新宿シネマカリテほかにて全国公開中
ホームページ http://furuetero-movie.com/

 

「ビジランテ」

ビジランテ
テアトル新宿にて。2017年12月17日(日)午後1時50分より鑑賞(E-11)。

どこの土地のどんな家に生まれるのかは選択のしようがない。それはあらがえない運命である。その運命に翻弄される兄弟を描いたのが、入江悠監督の「ビジランテ」(2012年 日本)だ。

政治的弾圧やテロからDVに至るまで、暴力を受けた人間は心に大きな傷を負い、それが新たな暴力を誘発する。暴力は間違いなく連鎖する。「ビジランテ」は、暴力の連鎖がテーマになった映画でもある。

とはいえ、暴力描写の激しさや凄惨さを強調しているわけではない。閉塞感漂う地方都市を舞台に、暴力の渦に巻き込まれていく三兄弟の愛憎のドラマを通して、人間の心の闇が異様な迫力で提示された映画なのだ。

映画の冒頭で描かれるのは、3人の少年が川を渡ろうとするシーンだ。それは神藤一郎、二郎、三郎の三兄弟。一郎はどうにか川を渡って、そこに何かを埋めるが(その時埋めたものがドラマの後半で印象的に使われる)、すぐに追ってきた父・武雄(菅田俊)によって3人は連れ戻される。そして始まる父による激しい暴力。直後に高校生の一郎は家を飛び出して行方不明になる。

それから30年後、地元ではアウトレットモールの誘致計画が進んでいる。有力者だった武雄が亡くなり、市議会議員の次男・二郎(鈴木浩介)は建設予定地に含まれている父の土地を巡って、先輩市議から何としてもその土地を相続するように命じられる。そこで彼は、デリヘルの雇われ店長をしている三男の三郎(桐谷健太)に連絡を取る。

そんな中、高校時代に行方をくらましていた長男・一郎(大森南朋)が30年ぶりに姿を現す。彼はなぜか武雄の署名入りの公正証書を持っていて、遺産相続を主張する。それが原因で二郎と三郎は、危険な立場に追い込まれていく……。

入江監督といえば、2008年の「SR サイタマノラッパー」が注目され、今では「22年目の告白 私が殺人犯です」などのメジャー作品も手がけるようになったわけだが、今回は久々のオリジナル作品だ。

おまけに舞台になるのは埼玉の地方都市。あくまでも架空の都市という設定だが、撮影しているのは入江監督の地元である埼玉県深谷市。その分、作家性が強く、新たな一面を見せつけられる作品になっている。

特に目を引くのが三兄弟の心理描写である。閉塞感漂う土地と、暴力的な父の呪縛から逃れられない3人それぞれの複雑な心理が、ぎくしゃくした関係の中から見えてくる。

一郎は多額の借金を背負っているのだが、遺産相続を主張するのはそのためではなく、父祖伝来の土地への執着があるようだ。そして、彼には父譲りの暴力の影が色濃くつきまとっている。

二郎はひたすら出世を目指し、都合の悪いことには目をつぶっている。その裏には、したたかにそれを後押しする妻(篠田麻里子)の存在がある。それでも、かつてはともに父の暴力の犠牲になった(そして実はともに抵抗も企てた)兄弟に対する消せない思いが、あちらこちららで見え隠れする。

三郎は基本的には優しい性格で、遺産争いなどよりも大事なことがあると信じている(そのことを口にする場面もある)。しかし、デリヘルの経営者である地元のヤクザに支配され、身動きが取れなくなっていく。

こうして、まったく違う世界で生きてきた三兄弟の欲望、プライド、兄弟の絆が絡み合い、ぶつかり合い、凄惨な事態へと突入していくのである。

このドラマをより説得力のあるものにしているのが、舞台となる都市の空気である。開発型の行政を進める市のリーダーたち、彼らとヤクザと警察との癒着体質。それらが暴力の連鎖の背景となる。二郎がリーダーを務める自警団の若者は中国人に偏見を持ち、彼らに激しい敵意を燃やす。それもまた暴力の連鎖の呼び水であると同時に、今の時代の空気が投影されている。

こうした地方都市のありようは、2011年の富田克也監督の映画「サウダーヂ」などとも共通するものを感じさせる。

三兄弟に地元ヤクザ、横浜のヤクザが入り乱れるクライマックスの展開は、やや都合よすぎの感もないではないが、暴力の連鎖というテーマをより際立たせることに成功している。ラストに待ち受ける悲劇もまた同様だ。

運命の糸に引きずられるように消えて行った者、それを断ち切って前進しようとする者、それぞれの結末は違っても、そこには何とも言えない寂寥感が漂うのである。

三兄弟を演じた大森南朋鈴木浩介桐谷健太はいずれも素晴らしい演技だ。特に大森南朋のバイオレンス男ぶりが、得体の知れなさを漂わせる。二郎の妻役の篠田麻里子市議のリーダー役の嶋田久作(殺したいぐらい憎たらしい!)などの脇役にも存在感がある。

三兄弟の物語といえば、ドストエフスキーの長編小説『カラマーゾフの兄弟』が思い浮かぶが、そうした重厚で骨太の古典小説と共通する資質が感じられる映画だ。昔の日本映画を想起させるような音楽の使い方も、いっそう重厚さを高めている。暗くて、救いのないドラマだが、最後まで目が離せなかった。

●今日の映画代、1300円。TCGメンバーズカードの会員料金で。

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◆「ビジランテ
(2017年 日本)(上映時間2時間5分)
監督・脚本:入江悠
出演:大森南朋鈴木浩介桐谷健太篠田麻里子嶋田久作間宮夕貴吉村界人、般若、坂田聡、岡村いずみ、浅田結梨、八神さおり、宇田あんり、市山京香、たかお鷹、日野陽仁菅田俊
テアトル新宿ほかにて公開中
ホームページ http://vigilante-movie.com/

「花筐/HANAGATAMI」

「花筐/HANAGATAMI」
第30回東京国際映画祭JAPAN NOW部門 P&I上映にて。2017年10月27日(金)鑑賞。

大林信彦監督といえば、「転校生」「時をかける少女」「さびしんぼう」の“尾道三部作”で知られる。郷愁たっぷりのそれらの作品だが、実はけっこうアバンギャルドな要素もあったりする。そして、そんなアバンギャルドさが、年をとるにつれてさらに顕著になっているのだ。

「花筐/HANAGATAMI」(2017年 日本)は、「この空の花 長岡花火物語」「野のなななのか」に続く“戦争三部作”の最終作に位置づけられる作品である。原作は檀一雄の同名小説。大林監督がデビュー作「HOUSE ハウス」以前に書き上げていた幻の脚本を、40余年の時を経て映画化したという。

戦争が本格化する前夜を舞台にした、瑞々しくもはかない青春ドラマである。

時代は1941年、春。主人公は、アムステルダムに住む両親のもとを離れて、唐津に暮らす叔母(常盤貴子)の家に身を寄せる17歳の青年・榊山俊彦(窪塚俊介)。新学期が始まり、彼は新たな学友たちと交流する。アポロ神のように雄々しい鵜飼(満島真之介)、虚無僧のような吉良(長塚圭史)、お調子者の阿蘇柄本時生)など。彼らに刺激を受け、彼らと“勇気を試す冒険”に興じる。

その一方で、俊彦は肺病を患う従妹の美那(矢作穂香)にほのかな思いを寄せる。また、彼女の女友達のあきね(山崎紘菜)や千歳(門脇麦)と青春を謳歌する。

本作の描写はリアルさとは縁遠い。俊彦、鵜飼、吉良、阿蘇ら登場人物のキャラは極端にデフォルメされている。演じる役者たちのセリフも大げさで、演技もオーバー気味だ。

そして何よりも映像が現実離れしている。佐賀県唐津を舞台にしながら、自然の風光美よりも、まるで舞台の書き割りのような人工的な装置を背景にした場面が多い。

そんな中で強烈な映像が次々に飛び出す。教室に舞う桜の花びら、空にかかる巨大な月、あまりにも鮮烈な血の色……。観ていてあっけにとられてしまうような、前衛的な映像世界である。

幻想世界のような街の様子なども印象深い。俊彦らが通う酒場などは、この世のものとは思えない妖しさにあふれている。

まさに大林監督ならではの唯一無二の世界だ。それによって観客はファンタジーの世界に引きずり込まれる。リアルさの欠如など気にならず、むしろ不思議な魅力にとりつかれてしまうはずである。

その中で描かれる青春群像は、至極真っ当なものだ。友情、恋愛など、思春期の若者たちが様々な葛藤を乗り越えて成長を示していく。特に、「生と死」に関する問題が彼らを大きく変えていく。結核で死期が迫る美那と俊彦との関係をはじめ、彼らの運命に波乱を生じさせる。

そんな「生と死」というテーマが戦争へとつながっていく。ドラマが進むにつれて、戦争の色はどんどん濃くなっていく。象徴的なのが、兵士の格好をした案山子がどんどん増殖していくイメージショットだ。それが実際の兵士へと変化する。

自らもまた兵士になり戦地に赴き、死んでいくという避けられない運命が、若者たちの生き様に影響を及ぼしていく。唐津くんちの場面でのけた外れの躍動感と、死の影の対比が胸に響いてくる。

「青春は戦争の消耗品ではない」という俊彦のセリフを待つまでもなく、終盤における大林監督の反戦への思いは明確だ。ファンタジーの世界を通して、あまりにもリアルな反戦メッセージを発している。その力強さにひたすら圧倒される。おそらく、大林監督は現在の日本を戦争前夜だととらえているのではないか。

ラストに描かれる後日談も心に残る。戦争の犠牲となった若者たちへの大林監督の鎮魂歌だろう。

最近の大林映画で見られたアバンギャルドさに、ますます磨きがかかっている。80歳を前にしてこの若々しさは驚嘆に値する。しかも、大林監督はガンで余命宣告を受けながら本作を完成させた。まさに渾身の一作。力強い反戦映画であると同時に、瑞々しい青春ドラマ、そして生と死をめぐる深い考察を秘めた作品でもある。必見!!

●今日の映画代、0円。関係者向けのP&I上映にて。

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◆「花筐/HANAGATAMI」
(2017年 日本)(上映時間2時間49分)
監督・脚本:大林宣彦
出演:窪塚俊介満島真之介長塚圭史柄本時生矢作穂香山崎紘菜門脇麦常盤貴子、村田雄浩、武田鉄矢入江若葉南原清隆根岸季衣池畑慎之介、原雄次郎、白石加代子片岡鶴太郎高嶋政宏品川徹、伊藤孝雄
有楽町スバル座ほかにて全国公開中
ホームページ http://hanagatami-movie.jp/