映画貧乏日記

映画貧乏からの脱出は可能なのだろうか。おそらく無理であろう。ならばその日々を日記として綴るのみである。

「悪女 AKUJO」

「悪女 AKUJO」
角川シネマ新宿にて。2018年2月10日(土)午後12時50分より鑑賞(シネマ1/G-13)。

基本的には深みのある人間ドラマが好きなのだが、たまにハジケた映画が観たくなる。アクション映画もまた然り。ただし、ただの肉体バカが演じるバカアクション映画は御免被りたい。

今回観たのは、チョン・ビョンギル監督によるバイオレンス・アクション映画「悪女 AKUJO」(THE VILLAINESS)(2017年 韓国)である。

藤原竜也伊藤英明共演で昨年公開された入江悠監督の「22年目の告白 私が殺人犯です」。もともとは韓国映画で、そのオリジナル版である「殺人の告白」の監督・脚本を担当したのがチョン・ビョンギル監督だ。

アクション映画の肝は、言うまでもなくアクションシーンにある。その点、この映画はすごい。まず冒頭7分間のノンストップ・アクション。主人公のスクヒ(キム・オクビン)という女性が、暴力団のアジトに単身で乗り込み、50人以上もの敵をバッタバッタと倒していくのだが、それをスクヒ目線で見せるのだ。

カメラがスクヒの目となって、とらえたものを映し出す。スクヒ自身は手ぐらいしか映らない。おまけに、それをワンカットの長回しのように映す。まるでVR映像だ。この斬新なカメラワークが、破格の緊張感と迫力を生み出している。ここからオレは一気にスクリーンに引き込まれてしまった。

その後、スクヒは当局によって拘束され、国家が運営する暗殺者養成施設に送られる。そこで学んだ後、暗殺者として10年間仕事をすれば、あとは自由になれるというのだ。スクヒは脱出を図るもののすぐに連れ戻される。

というわけで、そこからはスクヒの暗殺者としての訓練の日々が描かれる。冷酷な女指導官、ライバルの意地悪な女、スクヒに好意を持つ国家情報院の男など脇役も魅力的なキャラでドラマを盛り上げている。

それと並行して登場するのが、彼女の過去だ。どうして、スクヒは一人で暴力団を壊滅させるような行動に出たのか。彼女の父親が殺されたことに端を発し、育ての親で自分を殺し屋に仕立てた男ジュンサン(シン・ハギュン)との出会い、彼に対する恋心と結婚など、過去の様々な出来事がところどころに挿入される。そして、そのジュンサンが敵対組織に殺害されたことが、冒頭の殺戮劇につながったことが明らかになる。

つまり、スクヒはもともジュンサンに仕立て上げられた殺し屋だったのだ。だから、冒頭のような活躍ができるわけ。それに加えて暗殺者養成施設で鍛えられたのだから、まさに最強の殺人マシーンなのである。

そんな過去と現在進行形のドラマを交互に描きつつ、その間もアクションシーンが冴えわたる。彼女が養成施設を出る直前に命じられた暗殺では、スクヒと追っ手がバイクに乗って日本刀で斬り合うのだ。そのユニークすぎるバトルを、これまた斬新なカメラワークで見せる。いったいどうしたら、こんな映像が撮れるのだろうか。チョン監督は、スタントマン出身だというが、それにしても驚異的なアクションシーンである。

養成施設を出たスクヒは別人の舞台女優となって、殺し屋家業を始める。彼女は施設に入る時点で妊娠しており、その後出産。ウネというその幼い娘と一緒に暮らす。そんな彼女にある男が接近する。隣に越してきた謎の男だ。

ここからは恋愛ドラマが展開される。その見せ方もなかなかうまい。実は、スクヒに接近する男は、映画の初めの方から何度も顔を出す国家情報院の男ヒョンス(ソンジュン)。彼がスクヒに接近するのは職務上のことだが、それでも彼女に気があることはすでに示唆されている。

そのことから、2人のロマンスに厚みが出てくる。切なさや微笑ましさ、繊細な恋愛の機微、さらにスパイ物語のような騙し騙されの駆け引きなども見えてくるのである。

チョン監督自身は、本作の物語にリュック・ベッソン監督作の「ニキータ」の影響があると語っているようだが、それ以外にも、様々な殺し屋映画、犯罪映画、スパイ映画、恋愛映画などの要素が、本作にはブレンドされているように思える。

ということは、ある意味、本作の設定やストーリー展開自体には、それほど新味はないともいえるわけだが、観ている間はまったくそうしたことを感じさせず、観客の目をスクリーンに釘付けにするのだから大したものだ。

後半、スクヒはある暗殺を命じられる。そこでは花嫁姿で銃をかまえる。何というケレンにあふれたシーンだろう。そして、彼女のターゲットになった人物をめぐって、混乱の終幕へと突入していく。

いったい何が真実で何が嘘なのか、曖昧模糊とした雰囲気の中で迎えるクライマックス。これもまた破格のアクションシーンだ。ボンネットにスクヒを乗せたまま疾走する車。そこからバスの中へと戦いの場を移し、壮絶すぎるバトルが繰り広げられる。

ここでも相変わらず見事なカメラワークが見られるわけだが、それを可能にしているのが、スクヒ役キム・オクビンのキレまくったアクションだ。2009年のパク・チャヌク監督の「渇き」に出演していたが、何でもテコンドーとハプキドー(韓国の武道)の黒帯とのことで、その身体能力をいかんなく発揮。ほとんどノースタントでこなしたというから見事なものだ。

というわけで、斬新なカメラワークによるアクションシーンに加え、様々な要素を織り込んだドラマが展開。ただの肉体バカが演じるバカアクション映画とは、大違いなのだ。

過去を捨て、幸せをつかみかけた女暗殺者の運命はどうなるのか。タイトルにあるように本作は悪女に関するドラマだが、そこには哀切が漂っている。ラストシーンのスクヒの姿は、美しく、怖ろしく、そして切ない。オレは今もあの表情が忘れられないのである。

●今日の映画代、1300円。TCGメンバーズカードの会員料金。

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◆「悪女 AKUJO」(THE VILLAINESS)
(2017年 韓国)(上映時間2時間4分)
監督・脚本・製作・アクション監修:チョン・ビョンギル
出演:キム・オクビン、シン・ハギュン、ソンジュン、キム・ソヒョン、キム・ヨヌ、チョ・ウンジ、イ・スンジュ、チョン・ヘギュン、ミン・イェジ、パク・チョルミン、キム・ヘナ
角川シネマ新宿ほかにて公開中
ホームページ http://akujo-movie.jp/

「羊の木」

「羊の木」
池袋HUMAXシネマズにて。2018年2月4日(日)午前10時20分より鑑賞(シネマ1/J-20)。

山上たつひこといえば、何といってもギャグ漫画『がきデカ』である。少年警察官のこまわり君が、大活躍する破天荒な漫画で、「死刑!」「八丈島のきょん!」「あふりか象が好き!」などの流行語とともに今も強烈に印象に残っている(て、年がバレるね)。

それ以外にも、『喜劇新思想大系』、『光る風』などの作品があり、のちに小説家としても活動するようになった山上たつひこだが、『羊の木』という山上たつひこ原作、いがらしみきお作画の漫画があることはまったく知らなかった。通の間ではけっこう知名度が高い漫画らしい。

その漫画を「桐島、部活やめるってよ」「美しい星」の吉田大八監督が映画化した。原作は読んでいないが、設定が実に秀逸なドラマである。

舞台となるのは、寂れた港町・富山県魚深市(架空の町)。主人公は市役所職員の月末(錦戸亮)。彼は、上司から新たな移住者6人の受け入れ役を任され、彼らを駅や空港に迎えに行く。すると、彼らはどう見ても訳アリ風。それもそのはず、上司は隠していたのだが、性別も年齢もバラバラな6人は全員元受刑者だったことがわかる。

なぜ彼らは移住してきたのか。それは政府の極秘プロジェクトによるものだった。犯罪者の更生と過疎化対策の一環として、この町に10年間住み続けることを条件に刑期を大幅に短縮するという試みだ。自治体が身元引受人となり、彼らにはそれぞれ住居と仕事が与えられた。ところが、彼らはただの元受刑者ではなく、すべて元殺人犯だったのである。

この極秘プロジェクト。背景となるのは刑務所の予算削減や過疎化対策。けっして荒唐無稽ではない話だけに、ドラマに現実味を与えている。

そして何よりも、6人の元殺人犯人の描き分け方が巧みだ。見るからに狂暴そうな杉山勝志(北村一輝)、妙にセクシーな太田理江子(優香)、暗い性格のようで感情を表に出さない栗本清美(市川実日子)、まじめでおとなしそうな福元宏喜(水澤紳吾)、元ヤクザの大野克美(田中泯)、そして一見好青年の宮腰一郎(松田龍平)。

何も言わずに立っているだけで怖い田中泯や、地味な外見ながら妙にエロい優香ら、演じる役者が完璧なハマリ役だ。彼らのほんのちょっとした言葉やしぐさから、妖しさや危険な香りが漂ってくる。「コイツら、きっと何か起こす!?」と思わせられるのだ。

実のところ、彼らが元殺人犯だというのは比較的早くわかってしまう。そのせいで、こちらもどうしてもそういう目で彼らを見てしまう。だから、なおさら不穏さや緊張感が強まるのである。その不穏さや緊張感は最後まで途切れることがない。これが本作の最大の見どころだろう。

映画の中盤で登場する「のろろ祭り」なる奇祭も、この映画の不穏さや緊張感を増幅させる。魚深市では、のろろ様という守り神が信仰されていて、その巨大な石像もある。のろろ様は元は悪い神様だったが、成敗されて改心したらしい。それにちなんで行われる祭りで、白装束の男たちが魚深の町を練り歩くシーンは、怪しさを越えておぞましさまで醸し出す。

そう。オレはこの映画の持つスリラー的な側面に、強く惹きつけられたのである。

その一方で、ドラマ全体に深みは感じられなかった。序盤で起きる事件が波乱を引き起こし、住民を巻き込む大騒動になり、そこから深い人間ドラマ、あるいは社会派ドラマに進展していくのかと思いきや、そうした展開には至らないのである。

確かに人間ドラマは展開されている。それも一面的ではなく、元殺人犯の陰と陽の両面をとらえたドラマだ。例えば、理髪店に勤めるようになった福元と店主との心の交流を描くのと同時に、彼の手の付けられない酒乱ぶりを見せる。あるいは、まじめに生き直そうとする大野の努力と同時に、それでも人から怖がられる悲しさを示す。

そうした中から、人を信じることと、疑うことについて、観客にいろいろと考えさせるのである。

とはいえ、さすがに6人分のドラマではギュウギュウ詰めだ。おまけに月末の恋愛や彼の父親の恋までドラマに絡ませてくるものだから、詰め込み過ぎの感が否めない。そのため、今一つ深みに欠けるのが本作の最大の欠点だろう。

中盤以降は、6人の中で宮腰がドラマの大きなウエイトを占めるようになる。彼は月末たちのバンド練習に興味を示し、月末と友情らしきものを結ぶようになる。同時に彼は大きな秘密を抱え、それにまつわる出来事からどんどん暴走していく。そこには月末の同級生の文(木村文乃)も巻き込まれていく。

その果てに待つのは、のろろ様を効果的に使った激しいクライマックス。そして、明確な答えこそ提示しないものの、微かな希望を感じさせるラストだ。

途切れない不穏さや緊張感は見どころ充分。ただし、もう少し全体を整理して、人間の内面をキッチリ描いてくれたら、スリラーとしても、人間ドラマとしても傑作の部類に入る映画になったかもしれないと思うと、少し残念な気もするのである。

ちなみに、宮腰に関係した重要な役どころで後半に深水三章が登場する。深水さんは昨年末に急死された。その直前に深水さんが出席されていた忘年会にはオレも出席していたし、その何日か前には取材でインタビューもしていただけに、彼の出演シーンを観ていて、いろいろと胸に去来するものがあった。本作の演技でもわかるように存在感あふれる役者だった。改めてご冥福をお祈りいたします。

●今日の映画代、1400円。事前にムビチケ購入済み。

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◆「羊の木」
(2017年 日本)(上映時間2時間6分)
監督:吉田大八
出演:錦戸亮木村文乃北村一輝、優香、市川実日子、水澤紳吾、田中泯松田龍平中村有志安藤玉恵細田善彦北見敏之松尾諭山口美也子鈴木晋介深水三章
*TOHOシネマズ六本木ヒルズほかにて全国公開中
ホームページ http://hitsujinoki-movie.com/

スリー・ビルボード
ユナイテッド・シネマとしまえんにて。2018年2月3日(土)午前11時40分より鑑賞(スクリーン2/E-9)。

映画の見方は人それぞれだが、オレの場合には、どれだけ人間がきちんと描けているかどうかが、大きなポイントを占める。「人間ドラマ」を標榜しながら、薄っぺらだったり、単純な人間の描き方しかできていない作品は、それだけで観る意欲が失われてしまう。

その点、2017年の第74回ベネチア国際映画祭脚本賞を獲得し、アカデミー賞でも有力候補作の一つになっている「スリー・ビルボード」(THREE BILLBOARDS OUTSIDE EBBING, MISSOURI)(2017年 イギリス・アメリカ)は、実によく人間が描けている作品だと思う。

娘をむごたらしく殺された母親のミルドレッド・ヘイズ(フランシス・マクドーマンド)が本作の主人公。アメリカ、ミズーリ州の田舎町エビング(架空の田舎町だが実際にありそうな設定なのが効いている)に住む彼女が、町はずれの巨大な広告看板を目にするところからドラマが始まる。もう何年も使われていない古びた看板だ。それを見つめるミルドレッドの表情が印象深い。

まもなく彼女は、あるメッセージ広告をそこに出す。「なぜ? ウィロビー署長」「犯人逮捕はまだ?」「レイプされて死亡」。事件から7か月経っても、いまだに犯人を捕まえられない警察に対する抗議のメッセージだ。その行動が巻き起こす騒動を描いたのが本作である。

というと、亡き娘のために立ち上がる健気な母親VS悪徳警察、てな図式を思い浮かべるかもしれないが、そうではない。そんな単純な構図は、あっさりと排除している。登場する人物は、いずれも多様な表情を見せる。

ミルドレッドは、青いジャンプスーツとバンダナを身に着け、警察の人間や住民たちに向かっていく。時には、まるで狂犬のような振る舞いで、どんどん暴走していく。悲劇のヒロインとはほど遠い言動だ。

しかも、ミルドレッドが娘の死に執着するのは、娘への愛情からだけでなく、事件直前の自分の言葉に対する悔恨の情がある。自分があんなことを言わなければ……という痛切な思いだ。

それ以外にも、若い女に走って自分のもとを去った元夫に対する屈折した思いなど、様々な感情がミルドレッドの内面には渦巻いている。

彼女の表情は大きくは変化しない。どちらかというと硬い表情が多い。それにもかかわらず、怒り、悲しみ、悔恨、抑えきれない衝動などの様々な感情がリアルに伝わってくる。何といっても演じるフランシス・マクドーマンドの演技がスゴイ。とにかくスゴイとしか言いようがない。1996年の「ファーゴ」でアカデミー主演女優賞を受賞するなど、その高い演技力には定評があるが、本作でその実力をあらためて思い知らされた。

警察署長ウィロビー(ウディ・ハレルソン)の人物造型も見事だ。彼はけっしてミルドレッドから非難されるような男ではない。住民から尊敬を集める存在で、殺人事件の捜査もきちんと行ってきたのだ。ミルドレッドの一方的な行動に困惑しながらも、彼は冷静に対応する。だが、そんな彼にも大きな葛藤がある。末期のがんで余命わずかと言われているのである。

ウィロビーを演じるウディ・ハレルソンの演技も素晴らしい。抑制された演技だが、その表情やセリフ、行動の端々から様々な思いが伝わってくる。

そして、この映画のもう一人の中心人物がウィロビーの部下のディクソン巡査(サム・ロックウェル)だ。彼はウィロビーと違い人種差別的で、暴力的で、すぐにキレる。そのせいで警察に抗議するミルドレッドへの怒りを隠そうとしない。だが、やがて彼のそうした性質は、生い立ちから来るものであり、本質的なところではまったく違う顔があることが、次第に明らかになってくる。こちらも典型的な悪役ではないのである。

中盤になると、衝撃的な事件が起きる。それによって、当初はわずかながら感じ取れたミルドレッドに対する住民の同情の思いは消え去り、彼女は完全な憎まれ役になってしまう。彼女と住民たちの間には、いさかいが絶えなくなる。それでも彼女は黙っていない。そして、それがまた大事件を巻き起こす。

このドラマは、観客の予想をことごとく裏切っていく。「次はこう来るだろう」と思った展開を、次々にひっくり返されてしまう。だが、それはけっして奇をてらったものではない。むしろ「なるほど」と納得させられてしまうのである。

それにしても、この映画に詰め込まれた要素は多い。憎悪や暴力があれば、それと裏腹の愛や良心、心の触れ合いなども詰め込まれている。アメリカの現状もチラリチラリと示し、はてはシニカルな笑いまで用意されている。だが、これだけのものを詰め込んで窮屈さを感じさせない。よくできた脚本だと思う。

本作の監督・脚本のマーティン・マクドナーは、もともと戯曲で名を上げた人物らしい。想像を超えた展開や含蓄あるセリフに、その片鱗が十分にうかがえる。それに加えて、セリフ以外の余白の部分で人物の感情を繊細にすくい取る演出にも感心させられた。

後半になって大きく変わるのがディクソンだ。あることから、彼は今までとは違う自分になる。そして、そこに殺人事件の犯人追及という要素が絡んでくる。

ディクソンを演じるサム・ロックウェルの演技も出色である。ヘタな役者が演じたら不自然に見えるディクソンの変化を、ごく自然に、そして重たいものとして見せてくれる。

印象的な場面の多い本作だが、ラストもまた印象深い。車の中のミルドレッドとディクソン。彼らの明確なその後は示さない。それは観客ひとりひとりに判断が委ねられている。だが、オレ的にはそこに微かな希望を感じた。彼らの胸で大きくなりつつあるものは、憎悪ではなく愛なのではないか。そう思えたのである。

脚本、演出、演技ともに一級品! 人間が実によく描けている。本作を観終わって、すぐにまたもう一度観たくなってしまった。それほど深くて、味のある作品だ。

●今日の映画代、1400円。事前にムビチケ購入済み。

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◆「スリー・ビルボード」(THREE BILLBOARDS OUTSIDE EBBING, MISSOURI)
(2017年 イギリス・アメリカ)(上映時間1時間56分)
監督・脚本:マーティン・マクドナー
出演:フランシス・マクドーマンドウディ・ハレルソンサム・ロックウェルアビー・コーニッシュジョン・ホークスピーター・ディンクレイジケイレブ・ランドリー・ジョーンズ、ルーカス・ヘッジズ、ケリー・コンドン、ダレル・ブリット=ギブソンジェリコ・イヴァネク、キャスリン・ニュートン、サマラ・ウィーヴィング、クラーク・ピータース、サンディ・マーティン、アマンダ・ウォーレン
*TOHOシネマズシャンテほかにて全国公開中
ホームページ http://www.foxmovies-jp.com/threebillboards

 

「ジュピターズ・ムーン」

ジュピターズ・ムーン
新宿バルト9にて。2018年2月1日(木)午前11時10分より鑑賞(シアター5/D-14)。

2014年製作のハンガリー映画で第67回カンヌ国際映画祭「ある視点」部門グランプリを獲得したコルネル・ムンドルッツォ監督の「ホワイト・ゴッド 少女と犬の狂詩曲(ラプソディ)」を観た時には、ぶっ飛んでしまった。孤独な少女の愛犬の受難と反乱を描いたドラマなのだが、冒頭でブダペストの街の中を大量の犬たちが疾走するのだ、その数なんと250匹!

そのムンドルッツォ監督の最新作が「ジュピターズ・ムーン」(JUPITER HOLDJA)(2017年 ハンガリー・ドイツ)である。前作で250匹の犬を解き放ったムンドルッツォ監督、今回もユニークな仕掛けをしている。ある難民青年に空中浮遊をさせているのだ。

大量のシリアからの難民がハンガリー入国を試みるところから、ドラマが始まる。その中には父とともにやってきた青年アリアン(ジョンボル・イェゲル)がいる。だが、混乱の中で父とはぐれ、国境を越えようとしたところで国境警備隊の男ラズロ(ギェルギ・ツセルハルミ)に銃撃されてしまう。

まもなく瀕死の重傷を負ったアリアンは、難民キャンプで働く医師シュテルン(メラーブ・ニニッゼ)のもとへ運び込まれる。シュテルンの診察を受けたアリアンは、彼の目の前で重力を操って空中浮遊してみせる。そう。銃撃のショックで、彼は不思議な能力を身に着けてしまったのである。

どうしてアリアンは不思議な能力を身に着けたのか。その理由が明かされることはない。映画の冒頭で木星とその月のことが語られるので(タイトルもそこから来ている模様)、それに関係しているのかもしれないが、きちんとした説明が行われることはない。

だが、この空中浮遊が何とも味があるのだ。ハリウッド映画のように、CG全開でグワングワン空を縦横無尽に飛び回ったりはしない。まさにゆらゆらと浮遊している感じ。手足を奇妙に揺らしながら空に舞い上がっていく。何でも役者をクレーンやワイヤーで吊って撮影した映像がほとんどだという。それがこのドラマに絶妙にマッチしているのである。

空中浮遊するアリアンを見たシュテルンの頭に、ある考えが浮かぶ。彼は医療ミスで患者を死亡させ、遺族から訴訟を起こされたため、病院をクビになり、難民キャンプで働いていたのだ。もう一度病院に戻るには、訴訟を取り下げてもらう必要がある。そのためには大金がいる。そこで、シュテルンは恋人のヴェラ(モーニカ・バルシャイ)にも協力してもらい、違法に難民を逃して金を稼いでいた。そこで彼は、アリアンの能力を金儲けに利用しようと思いつくのである。

とはいえ、サーカスに売ろうとか、見世物にしようとか、そういうことではない。お金持ちの患者のところに往診して、空中浮遊を見せるのだ。それを見た患者は、神がかった奇跡を目にして、信仰心を刺激されてお金を払うのである。

ここで効いてくるのが、アリアンの独特の飛び方だ。それはあたかも天使を連想させる。だから、なおさらそれを見た相手は、宗教心や信仰心を刺激されてしまうわけだ。

その一方で、アリアンは人種差別的な言辞を弄する患者に対して、ワイルドな空中浮遊を披露して、相手を混乱させ、自殺にまで追い込んでしまう。あるいは、安楽死を願う患者に対して、それをかなえてしまったりもする。

そうした展開を通して、この映画から様々なテーマや背景が浮上してくる。難民問題はもちろん、人種差別や貧富の格差、拝金主義、宗教の問題など、現代社会が抱える様々な問題が見えてくるのである。

本作をジャンル分けすればSFサスペンスということになるだろう。違法な銃撃を揉み消したいラズロは、口封じのためにアリアンの行方を追う。当然ながら、彼と行動を共にするシュテルンも狙われる。その追及から逃れる2人の逃避行が描かれる。ハラハラドキドキのスリリングな場面もあちこちにある。

特に途中で自爆テロが起きるあたりからは、活劇的な要素が増えてくる。ド派手なカーチェイスや銃撃戦まで飛び出して、スリリングさが高まっていく。

だが、ただのSFサスペンスではない。そうした逃避行を通して、最初はアリアンを金儲けの道具としか見なかったシュテルンが変化していく。彼は孤独な男であり、後半に進むにつれて、ますますその孤独を際立たせる出来事が起きていく。そうした中で、彼はアリアンの存在を、「自分にとってのメッセージに違いない」と思うようになるのだ。

それが象徴されたラストの出来事には、思わず息を飲んでしまう。そこでのアリアンの空中浮遊は、まさに天使の羽ばたきのように感じられたのである。

前作で素晴らしい映像を紡いだムンドルッツォ監督だが、今回も魅力的な映像で観る者を惹きつける。アリアンの空中浮遊をとらえた美しく謎めいた映像、カーチェイスをはじめとした緊迫感漂う映像など、時にはアップを多用したり、時には長回しを使うなど、変幻自在のカメラワークが印象的だ。

この監督、ハリウッドで普通のアクションやサスペンスを撮っても、それなりの映画に仕上げてしまうのではないだろうか。そんな力量の高さを感じさせる。

と思っていたら、次作はブラッドリー・クーパーガル・ガドット出演の映画「Deeper」(原題)らしい。どんな映画なのか詳しくは知らないが、そちらも大いに楽しみである。

●今日の映画代、1100円。毎月1日はほぼすべての映画館がこの料金。

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◆「ジュピターズ・ムーン」(JUPITER HOLDJA)
(2017年 ハンガリー・ドイツ)(上映時間2時間8分)
監督:コルネル・ムンドルッツォ
出演:メラーブ・ニニッゼ、ギェルギ・ツセルハルミ、ジョンボル・イェゲル、モーニカ・バルシャイ
新宿バルト9ほかにて全国公開中
ホームページ http://jupitersmoon-movie.com/

 

「デトロイト」

デトロイト
ユナイテッド・シネマとしまえんにて。2018年1月27日(土)午後12時25分より鑑賞(スクリーン9/E-11)。

キャスリン・ビグロー監督は、「タイタニック」や「アバター」のジェームズ・キャメロン監督の元妻である。しかし、もはやそんな紹介は不要だろう。2008年に手掛けた「ハート・ロッカー」で、アカデミー賞作品賞や監督賞など6冠を獲得しているのだから。

そのビグロー監督の得意技はハンパでないリアルさだ。イラク戦争における爆弾処理班を描いた「ハート・ロッカー」、そしてオサマ・ビンラディンを狙うCIAの女性分析官を描いた「ゼロ・ダーク・サーティ」、ともに自分が映画の中の世界に叩き込まれたようなリアルさと緊張感に包まれていた。

そして今回登場した「デトロイト」(DETROIT)(2017年 アメリカ)では、それがさらに加速している。

1967年7月に起きたデトロイト暴動を描いた実話をもとにしたドラマである。なぜその暴動が起きたのか、冒頭でマンガを使いながら、コンパクトにわかりやすく説明してくれる。要するに、あまりにもひどい黒人差別に対して黒人たちが不満を抱き、それが一気に爆発したのがデトロイト暴動なのだ。

暴動の引き金になったのは、無許可バーに対する当局の手入れだ。押し掛ける大勢の警察官たちは、黒人たちを高圧的に支配し、乱暴なふるまいをする。「そりゃあ、暴動も起きるよな」と思わせるような場面である。取り締まる当局者の中に、黒人がいるのも印象的だった。

そして暴動が起きる。焼き討ち、略奪などで街は混乱する。軍や地元警察が鎮圧に乗り出すが、黒人たちと激しく衝突し、街は戦場のようになる。このあたりから、ビグロー監督らしい世界が全開になる。今回もまた、まるでデトロイト暴動の渦中に叩き込まれたような破格の緊張感が伝わってくるのである。そのあまりのリアルに胸がドキドキしてきた。

いったいどうすればこんな映像が撮れるのか。基本は固定カメラと手持ちカメラを使い分けているのだが、そのテクニックを超えた何かが、ビグロー監督の演出には感じられる。「ハート・ロッカー」「ゼロ・ダーク・サーティ」に続きビグロー監督と三度のタッグとなるマーク・ボールの脚本も相乗効果を発揮する。

だが、それはまだ序の口だった。まもなく3人の人間がクローズアップされる。暴動の中で、丸腰の黒人青年の背中を撃ち殺した若い白人警官クラウス(ウィル・ポールター)。ある店で警備員を務める黒人青年ディスミュークス(ジョン・ボヤーガ)。そしてモータウンとの契約を狙うボーカルグループ「ザ・ドラマティックス」のリードシンガーだったラリー(アルジー・スミス)。この3人がまもなく同じ現場で遭遇する。

暴動発生から3日目の夜、激しい暴動シーンの後に劇場での華やかなコンサートシーンが登場する。「ザ・ドラマティックス」のメンバーが楽屋袖にいる。いよいよ彼らの出番だ。ところが、暴動の報せが入り、そこで公演は中止となる。

彼らは仕方なく家に戻ろうとするが、暴動の混乱に巻き込まれたラリーと友人は、若い黒人客たちでにぎわうアルジェ・モーテルに泊まることにする。そんな中、黒人宿泊客の一人が競技用ピストルをふざけて鳴らす。もちろん空砲だ。だが、それを狙撃手による本物の銃声だと思った大勢の警察官がモーテルになだれ込んでくる。

ここからの緊張感と恐怖は、本当にヤバいものだった。ヒリヒリするようなギリギリの場面の連続で、嘘偽りなく心臓のあたりに違和感さえ感じてしまった。

なだれこんできた警官は建物に突入し、逃げようとした青年を射殺する。そして、居合わせた若者たち(黒人男性6人と白人女性2人)を壁に後ろ向きに並べて、尋問を行うのだ。それはただの尋問ではない。激しい暴力と脅迫をともなうおぞましいものだった。

警官の先頭に立つのはクラウス。人種差別主義者の彼の尋問はどんどんエスカレートしていく。そして、その対象となった宿泊客の中にはラリーがいる。さらに、近くの店にいた警備員のディスミュークスも駆けつけてくる。

ありとあらゆる手口で銃のありかを吐かせようとするクラウス。それはもはや人種差別主義者を越えて、サイコパスの領域に足を踏み入れているように思える。演じるウィル・ポールターの演技がすごい。鬼気迫るという表現さえ陳腐に聞こえる恐ろしさだ。

尋問を受ける宿泊客は、痛めつけられ、恐怖に震え、絶望的な気分になる。それを見ているオレも、彼らと同じような気持ちになって、息苦しくさえなってきたのである。

クラウスが用いる手法の中でも特徴的なのが、1人ずつ別室に連れて行く尋問だ。そこで何が行われるのか。詳しいことは伏せるが、狡猾で、悪魔のような手口である。だが、あることからその策略が思わぬ結果を招く。

終盤、ようやく緊張感が途切れたと思ったら、代わりに虚しさと怒りが沸き上がってきた。無残に殺された黒人青年の家族、犯人にされそうになった黒人警備員、彼らの姿が胸を絞めつける。

それでもようやく最後にカタルシスが味わえるのか。いやいや、そんなに甘くはない。事件の顛末を見て、ますますオレは絶望的な気分になったのだ。

同時にもう一つ重い余韻を残す出来事がある。「ザ・ドラマティックス」のリードシンガーだったラリーのその後である。モータウンとの契約を目指していた彼の選択を通して、本作で描かれた事件がどれほど大きなものだったのかを再確認させられた。

今もアメリカでは人種差別が根強く、本作の事件と同じような構図の事件も起きている。アメリカ以外の国でも、人種をめぐる悲劇が後を絶たない。それだけになおさら観る価値のある作品だと思う。

はっきり言おう。キャスリン・ビグローの映画は心臓に悪い。だが、それでも観なければならない。そう思わせられる魔力がある。

●今日の映画代、1400円。事前に購入しておいたムビチケで。

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 ◆「デトロイト」(DETROIT)
(2017年 アメリカ)(上映時間2時間22分)
監督:キャスリン・ビグロー
出演:ジョン・ボイエガ、ウィル・ポールター、アルジー・スミス、ジェイソン・ミッチェル、ジャック・レイナー、ベン・オトゥール、オースティン・エベール、ジェイコブ・ラティモア、ハンナ・マリー、ケイトリン・デヴァー、ネイサン・デイヴィス・Jr、ペイトン・アレックス・スミス、マルコム・デヴィッド・ケリー、ジョン・クラシンスキー、アンソニー・マッキー
*TOHOシネマズ新宿ほかにて全国公開中
ホームページ http://www.longride.jp/detroit/

「ルイの9番目の人生」

ルイの9番目の人生
ヒューマントラストシネマ渋谷にて。2018年1月26日(金)午後2時30分より鑑賞(シアター2/F-8)。

1996年の「イングリッシュ・ペイシェント」でアカデミー監督賞を獲得したアンソニー・ミンゲラ監督。受賞も納得の素晴らしい映画だったが、残念ながら2008年に54歳の若さで病死してしまった。

そのミンゲラ監督が映画化を望んでいたのが、リズ・ジェンセンによるベストセラー小説『ルイの九番目の命』だという。その思いを引き継いだ息子で俳優のマックス・ミンゲラがプロデューサーと脚本を担当して、アレクサンドル・アジャ監督が映画化したのが本作「ルイの9番目の人生」(THE 9TH LIFE OF LOUIS DRAX)(2015年 カナダ・イギリス)である。

難産の末に生まれ、毎年のように事故や病気で生死をさまよってきた少年ルイ(エイデン・ロングワース)。9歳の誕生日に両親とピクニックに出かけた彼は、崖から落ちて昏睡状態に陥る。ルイの父ピーターは現場から行方不明となってしまい、美しき母ナタリー(サラ・ガドン)のもとにも謎の警告文が届くようになる。そんな中、ルイの主治医となった小児神経科医アラン・パスカルジェイミー・ドーナン)は、事件の真相を探るため、自ら調査に乗り出すのだが……。

本作の骨格は、ルイが昏睡状態になった事件の真相をめぐるサスペンス・ミステリーだ。とはいえ、それをダーク・ファンタジーの切り口で描き、サイコ・スリラー的な要素まで盛り込んでいるところがユニークである。ギレルモ・デル・トロ監督の映画や、昨年日本公開されたJ・A・バヨナ監督の「怪物はささやく」あたりを思い起こさせる。

主人公の少年ルイの設定が面白い。生まれた時から何度も事故や病気になり、そのたびに死にかけて生還し続けている。なんと9年で9度死にかけたという。まさに奇跡のような存在だ。この怪しく不可思議な設定が効いている。

ルイがペットのハムスターを殺害するなど、恐ろしい一面があることを示すあたりも、ドラマ全体の不気味さを高めている。昏睡状態の彼がドラマの途中で一瞬だけ目覚める展開も、不可思議に満ちていてゾクゾクさせられる。

そんな彼が崖から転落した事件の真相が、このドラマの肝である。それを探るのは女性刑事。当初は父親に突き落とされたとみられていたルイだが、どうやら彼女はそれに疑問を感じているらしい。そしてルイの主治医のアランもまた事件の謎を追う。

そんな事件前後の経緯を、昏睡状態のルイの独白で綴る手法が面白い。しかも、そこには謎の怪物なども登場する。まさにターク・ファンタジー的な世界が現出する。ちなみに、この怪物の正体が後半で明らかになり、ドラマに情感を漂わせる。

いかにもダーク・ファンタジーらしい暗く、美しく、鮮烈な映像も特徴的だ。水中でのシーンをはじめとしてどれも印象的で、それもまたこの映画の魅力になっている。

また、映画の中盤では、事件の謎を追う主治医アランがおぞましい悪夢を見るのだが、そのあたりもダーク・ファンタジーやホラー的な世界である。同時に、彼はリアルな世界の中では、ルイの母親と親密な関係になり、それが事件の真相をさらに霧の中に包み込んでしまう。途中で謎の手紙の存在が明らかになるなど、ミステリーとしての仕掛けも色々と工夫されている。

はたしてルイは本当に父親によって突き落とされたのか。その父親はどこに消えたのか。過去の回想も挟みつつ真相追求が続くのだが、謎は深まっていくばかりだ。様々な可能性が示唆されては消え、先が見えない展開が続く。

そんな中、前半からたびたび登場するのが、事件前にルイにセラピーを施していた精神科医。彼とルイとのセラピーのようすが、回想として何度も登場するのだが、その精神科医が終盤で大きな役割を果たす。

ラスト9分で明らかにされる真相。それはけっして驚くべきものではなかった。それまでのドラマの過程を冷静に見れば、何となく想像がつくと思う。しかし、問題はそれを解き明かす仕掛けだ。ルイの主治医に対して精神科医が行うある行為。その内容と映像に驚かされる。途中で、主治医がルイと入れ替わる展開にも、思わず息を飲んでしまった。ここでは、サイコ・スリラー的な世界も垣間見える。

結局のところ、ルイは悲惨な環境に置かれた少年である。事件の構図そのものや、そこに登場する病そのものは、けっして珍しい話ではないだろう。だが、それを独特の世界観で描き、心をざわつかせる。その監督の手口に感心させられた。

ラストは少年とある人物との絆が明らかになり、さりげなく希望を灯す。けっして後味は悪くなかった。

●今日の映画代、1000円。TCGメンバーズカードの火・金曜の特別料金で。

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◆「ルイの9番目の人生」(THE 9TH LIFE OF LOUIS DRAX)
(2015年 カナダ・イギリス)(上映時間1時間48分)
監督:アレクサンドル・アジャ
出演:ジェイミー・ドーナンサラ・ガドン、エイデン・ロングワース、オリヴァー・プラットモリー・パーカー、ジュリアン・ワダム、ジェーン・マグレガー、バーバラ・ハーシー、アーロン・ポール
*ヒューマントラストシネマ有楽町ほかにて公開中。全国順次公開予定
ホームページ http://louis9.jp/

「はじめてのおもてなし」

はじめてのおもてなし
シネスイッチ銀座にて。2018年1月24日(水)午後6時50分より鑑賞(シネスイッチ2/D-8)。

銀座の老舗映画館・シネスイッチ銀座。昔は日本映画と外国映画を交互に上映していたから、この名がついたという話をどこかで聞いたことがあるが、今は特にそうしたシステムはない。それでも2つのスクリーンで上映される映画は、どれも「うーむ、なるほど」と納得させられるセレクションで、ハズレがない。

今回鑑賞したのは「はじめてのおもてなし」(WILLKOMMEN BEI DEN HARTMANNS)(2016年 ドイツ)。

ミュンヘンの閑静な住宅地に暮らすハートマン家。ある日、元教師の母アンゲリカ(センタ・バーガー)がいきなり難民を一人受け入れると宣言する。大病院の医長を務める夫のリヒャルト(ハイナー・ラウターバッハ)をはじめ家族の反対を押し切って、ナイジェリアから来た難民の青年ディアロ(エリック・カボンゴ)を自宅に住まわせるアンゲリカ。それがきっかけで、ハートマン家の周辺では大騒動が巻き起こる……。

ヨーロッパで、いや世界中で問題になっている難民を扱ったドラマだ。難民問題を扱った映画は多いが、ここまで徹底して笑いの要素を盛り込んだ作品は珍しい。リアルな素材をユーモアとうまく融合させている。

その源泉は、登場人物のユニークなキャラにある。元教師の妻アンゲリカは、ヒューマニストでいい人なのだが、暇を持て余していることもあって、時々とんでもない行動に出る。大病院の医長を務める夫のリヒャルトは、老いに恐怖を感じてプチ整形に励み、フェイスブックを始めたりする。長男のフィリップはやり手弁護士で仕事漬けの日々。妻と離婚したシングルファーザーだ。そして長女のゾフィは30過ぎても自分探しを続け、いまだに学生をやっている。

それ以外にも本作には、ヒップホップ好きのフィリップの息子、どこまでもゾフィを追いかけるストーカー男など、強烈な個性の面々が登場する。こうした人たちのエキセントリックな行動が、自然に笑いを生み出すのである。

その笑いは、時としておバカ映画の世界にまで突入する。ナイジェリア青年ディアロを引き取った直後に、アンゲリカの友達が主催して開いたパーティはまるで「ハング・オーバー」の世界だ。大量の人々が押しかけて、大どんちゃん騒ぎを繰り広げる。なんと本物のシマウマまで登場。ついに警察沙汰にまでなってしまうのだ。

それでも、ただ笑える映画で終わらないのが本作の魅力である。アンゲリカをはじめデフォルメされたキャラではあるものの、どれも本質的には身の回りにいそうな問題を抱えた人々。だから、どんなにおバカをやっても、ドラマからリアルさが消えることはないのである。

異質なものが家に入り込んできたことで、ハートマン家の家族は少しずつ変わっていく。アンゲリカは、ディアロにドイツ語を教え、庭仕事を指導するなどするうちに、次第に輝いてくる。一方、リヒャルトはストレスがたまり、部下にあたりちらし、職場で孤立。さらに夫婦仲もますます険悪になる。

そんな家族に転機をもたらすのが、ディアロだ。彼はドイツ人とは違う価値観を持ち出して家族に影響を与える。夫婦仲が悪くなって、ついに別居したハートマン夫妻に、「夫は妻を守り、妻は夫を支えるべきだ」と主張したり、独身のゾフィに男性を紹介しようとしたりもする。

その異質さに反発しつつも、同時に大切なものを再確認していくことによって、やがて家族は良い方に向かっていく。そこにディアロの亡命申請をめぐる一件を絡ませたところが、なかなか見事な構成である。

ヒップホップのビデオ制作のため学校にストリッパーを呼んだフィリップの息子は、退学の瀬戸際に追い込まれ。授業でイスラム過激派に関する発表を行う。そこでディアロが、ナイジェリアで自分の家族に何が起きたかを語るシーンが心を揺さぶる。それまで、ほとんど語ろうとしなかった事実だけに、なおさらである。

そして、その後に最大のクライマックスがやってくる。一度亡命申請を却下されたディアロの裁判が行われるのだが、そこにハートマン夫妻とフィリップ父子の絆の再構築劇と、ゾフィのロマンスを絡ませていく。このあたりも、素直に胸に響く展開だ。

本作のドラマの背景には、当然ながらドイツの難民問題がある。難民を積極的に受け入れてきたドイツだが、そこには依然として差別や偏見がある。この映画にも、それがあちこちに出てくるのだが、けっしてシリアスに流れ過ぎず、あくまでもコメディー映画の枠内で、それを描こうとしている。それこそが作り手の狙いだろう。

よく考えれば都合よすぎの展開も多い。ディアロが良い人過ぎるのも、不自然といえば不自然。ラストのほうで、イスラム教徒のディアロにビールを飲ませるのも、やりすぎだろう。

とはいえ、難民や家族の問題を笑いに包んで、しっかり届けてくれる作品なのは間違いない。観終わって心が温まってくる。エンドロールのあとに極めつけのジョークが用意されているのも、楽しいところだ。

●今日の映画代、1500円。前日に渋谷チケットポートで鑑賞券を購入。

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◆「はじめてのおもてなし」(WILLKOMMEN BEI DEN HARTMANNS)
(2016年 ドイツ)(上映時間1時間56分)
監督・脚本:ジーモン・ファーフーフェン
出演:センタ・バーガー、ハイナー・ラウターバッハ、フロリアン・ダーヴィト・フィッツ、パリーナロジンスキー、エリアス・ムバレク、エリック・カボンゴ
シネスイッチ銀座ほかにて公開中。全国順次公開予定
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