映画貧乏日記

映画貧乏からの脱出は可能なのだろうか。おそらく無理であろう。ならばその日々を日記として綴るのみである。

東京国際映画祭に出撃!

第31回東京国際映画祭が一昨日より六本木を中心に開催中。ここ数年、皆様方のご厚意によって、関係者向けの上映に足しげく通わせていただいている。昨年は、なんとコンペティション部門作品完全制覇(たしか16作品)を含めて、30本近い映画を鑑賞するという快挙(暴挙?)を達成してしまったのである。

その間、1日3~4本のペースで映画を鑑賞したというと、驚く人もいるのだが、世界の選りすぐりの映画ばかりなのでちっとも苦ではない。むしろ楽しくて仕方がないのだ。まあ、さすがに4本目あたりはお尻が痛くなってくることもあるのだが。

今年も、関係者向けのパスをもらうことができた。感謝、感謝である。だが、残念ながら今年は仕事やその他もろもろあって、2~3日しか顔を出せそうにない。それでも何とか10本は鑑賞したいと思っているところである。

昨日はさっそく3本を鑑賞。簡単な感想は以下の通り。

コンペティション部門「詩人」
~計画経済から市場経済に移行する時期の中国を背景に、炭鉱で暮らす夫婦の愛とすれ違いを描く。主人公夫婦をはじめ時代に翻弄される庶民の姿が印象的。夫婦の愛の強さを巧みに描いた前半があるからこそ、ラストの切なさがより際立つ。

コンペティション部門「堕ちた希望」
~人身売買組織の手先であるヒロインが、自身の妊娠を機に大きな賭けに出る。イタリア・ナポリ郊外の海辺の無法地帯の荒廃した土地の描写が独特。謎めいた人々が登場して混沌とした状況を生み出すが、ラストは温かな希望に満ちている。

コンペティション部門「テルアビブ・オン・ファイア」
パレスチナの女スパイをめぐる昼メロドラマの製作現場を舞台に爆笑のコメディーが展開。それを通して、イスラエルパレスチナの複雑な現状がリアルに伝わってくる。エンタメ性とメッセージ性を見事に両立させた快作!

 さてさて、あと何本観賞できるやら。観たらまた報告いたします。

 ちなみに、私が支援した瀬々敬久監督の「菊とギロチン」も11月1日の夜に一般上映されますので、まだの方はぜひ!

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「止められるか、俺たちを」

止められるか、俺たちを
テアトル新宿にて。2018年10月23日(火)午後7時半より鑑賞(H-6)。

~騒乱の時代のエネルギッシュな映画人たちの青春物語

6年前に交通事故で急逝した若松孝二は、伝説的な映画監督だ。学歴もなくヤクザの一員となり刑務所に入ったものの、たまたま知った映画界に魅力を感じてピンク映画の監督に。刑務所での経験から徹底した反権力の立場に立ち、世間を騒がせるユニークな作品を次々に送り出した。後年は、ベルリンをはじめ数々の国際映画祭で受賞するなど世界的な評価も高まった。まさに波乱万丈の映画人生を生きた人物だ。

そんな若松孝二を中心に、彼が率いる“若松プロダクション”に集った実在の映画人たちを描いたのが「止められるか、俺たちを」(2018年 日本)である。監督は「凶悪」「孤狼の血」などで知られる白石和彌。白石監督自身も若松プロ出身で、先輩たちへの取材も綿密に行ったようで、「実録若松プロ物語」といった趣の映画になっている。

ただし、単なる実録物のドラマではない。全体の構成は青春物語だ。主人公に据えたのは、21歳の吉積めぐみ(門脇麦)という女性。1969年の春。新宿でフーテンをしていた彼女は、フーテン仲間の「オバケ」こと秋山道男タモト清嵐)の伝手で、ピンク映画の旗手・若松孝二監督(井浦新)率いる“若松プロダクション”の助監督となる。しかし、そこは過酷な現場。若松監督に怒鳴られ、失敗を重ねるが、それでも映画作りの魅力に魅了されていく。

そんなめぐみの目を通して、若松監督と若松プロに集う様々な人々の姿が描かれる。当時は騒乱の時代。ドラマの背景として、東大安田講堂での学生と機動隊の攻防戦や、三島由紀夫の割腹事件などの出来事も描かれる。そうした時代性もあるのだろうが、この連中、とにかくエネルギッシュで型破りだ。

特にボスの若松監督は、その経歴も含めて破天荒すぎる。やることなすことメチャクチャで、それに周囲は振り回される。みんなが酒を飲み尽くすからと、事務所の冷蔵庫に鍵をかけるなど、ユニークなエピソードもたくさん飛び出す。

それでも一貫しているのは熱い映画への思いだ。若松プロの経営は厳しいが、「自分たちの作りたい映画を作る!」「今の映画界をぶち壊す!」という気持ちは揺るがない。反権力の姿勢も徹底している。同時に、現場での厳しさとは裏腹に、優しさやひょうきんさも持ち合わせている。だから、面倒臭い人だと思っても、嫌いになれないのだ。

それ以外の人々もユニークだ。映画監督で脚本家の足立正生山本浩司)、助監督の小水一男(毎熊克哉)、助監督で脚本家の沖島勲岡部尚)、脚本家の大和屋竺大西信満)、カメラマン志望の高間賢治(伊島空)、助監督の荒井晴彦(藤原季節)。さらには、あの大島渚監督(高岡蒼佑)や当時のインディーズ映画の雄ATGの葛井欣士郎奥田瑛二)なども登場する。マンガ家の赤塚不二夫までチラリと顔を出すのだ。

個人的に多少は日本映画の歴史を知るものとして、それらの人々の言動は実に興味深かった。例えば荒井晴彦は、インテリ評論家気取りの人物として描かれている。のちに脚本家、映画監督として数々の名作を生み出した荒井だが、今でも映画雑誌で他人の作品をこき下ろしたりしている。それを知っているだけに、思わずクスクス笑ってしまった。

足立正生も興味深い人物だ。難しい理論を並べる人物として描かれている彼は、この映画の後半で重信房子率いる日本赤軍に関心を持ち、若松監督とともにレバノンへ渡って「PFLP世界戦争宣言」という映画を撮影している。さらに、なんとその後、自ら日本赤軍に合流してそのまま20年近く日本に帰ってこなかったのだ。そういう経歴を知って見ると、なおさら彼の言動が興味深く感じられるのである。

というわけで、日本の映画界、特にインディーズ映画界に興味があるオレのような者には、なおさら面白いドラマである。当時の映画界の様子がリアルに伝わってきて、それを見ているだけでも飽きなかった。まあ、あまりにもたくさんの人物が出入りするので、詰め込み過ぎの感は否めないのだが。

とはいえ、ドラマの肝は、あくまでも吉積めぐみを中心とした青春ドラマだ。若松孝二はじめ個性的な人物に囲まれて、めぐみはどんどん映画の世界にのめり込んでいく。紛れもないキラキラの青春だ。だが、同時にそこには悩みや葛藤もある。「自分でも映画を撮りたい!」という強い思いを抱えるめぐみだが、何を表現したいのかがわからずに焦りと不安が募っていく。

そんな中、若松監督と足立は、「PFLP世界戦争宣言」の上映運動を始め、若松プロには政治活動に熱心な若者たちが出入りするようになる。そうした周囲の変化もあって、めぐみの葛藤は深まっていく。個人的なある出来事も彼女を疲弊させていく。

実のところ、この吉積めぐみという人物は、架空ではなく実在の人物だ。そして、その最後は哀しいものだった。それゆえ、本作のラストも哀切が漂う。本作は彼女に対するレクイエムといってもいいのではないだろうか。あの時代に光り輝き、もがき苦しみ、旅立っていった一人の女性の青春ドラマとして、十分に観応えがある。それは彼女だけでなく、いつの時代のどんな若者にも通じる普遍的な青春ドラマでもある。

不思議な魅力を持つヒロインを演じた門脇麦、若松作品への出演も多い井浦新をはじめ、出演者の気持ちも伝わってくる。若松監督にゆかりの深い人物が多いスタッフともども、若松監督への愛を感じさせる映画である。

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◆「止められるか、俺たちを
(2018年 日本)(上映時間1時間59分)
監督:白石和彌
出演:門脇麦井浦新山本浩司岡部尚大西信満タモト清嵐、毎熊克哉、伊島空、外山将平、藤原季節、上川周作、中澤梓佐、満島真之介、渋川清彦、音尾琢真、吉澤健、高岡蒼佑高良健吾寺島しのぶ奥田瑛二
テアトル新宿ほかにて公開中
ホームページ http://www.tomeore.com/

「マイ・プレシャス・リスト」

マイ・プレシャス・リスト

ヒューマントラストシネマ有楽町にて。2018年10月21日(日)午後2時10分より鑑賞(スクリーン1/D-12)。

~主演のベル・パウリーが魅力的な引きこもりの天才少女の成長物語

空回りするイタい女性を描いた映画には、なかなか面白い作品が揃っている。「フランシス・ハ」「スウィート17モンスター」「若い女」、そして日本の「勝手にふるえてろ」……。

そして、そこにまた新たな作品が加わった。「マイ・プレシャス・リスト」(CARRIE PILBY)(2016年 アメリカ)である。カレン・リスナーの原作小説を、プロデューサーとして「さよなら、僕らの夏」などを手がけ、本作が長編初監督作品となる女性監督のスーザン・ジョンソンが映画化した。

主人公のキャラ設定が秀逸だ。ニューヨークのマンハッタンで暮らすキャリー・ピルビー(ベル・パウリー)は、IQ185の超天才少女。ハーバード大飛び級で卒業している。それで何がイタいのか?

実は彼女はコミュニケーション能力ゼロ。自分が天才ゆえか人を見下して、減らず口ばかり叩いている。そのため仕事もせずに引きこもり気味で、孤独な毎日。自宅でひたすら読書ばかりしているのだ。

そんなキャリーの唯一の話し相手は、父の友人でセラピストのペトロフネイサン・レイン)。映画の冒頭はキャリーがそのペトロフを訪ねて、「ロンドンに住む父が感謝祭に来られないと言ってきた!」と不満を吐き出すシーンだ。ほとんど一人芝居のように、自分のことを速射砲のようにまくしたてる。そのシーンを観ただけで、彼女がどんな女の子かがすぐにわかってしまう。やっぱり孤独でイタい女の子なのだ。

とはいえ、完全に孤独な現状に甘んじているわけではない。どこかで絆を求め、「このままでいいのか?」と疑問を抱いていることも、チラリチラリと顔を覗かせる。

まあ考えてみれば、普通ならまだ大学生。天才だからこそ、飛び級などというものでいち早く卒業してしまったわけだ。しかも、あとあとになってわかるのだが、それはけっして彼女自身が望んだものではなかったのだ。そうしたことも、彼女の現状に影響を与えている。そのあたりのキャリーの描き方のバランスがとても良い。

セリフにも感心させられる。何せ天才のキャリーだけに、文学から哲学、音楽など様々な学問ネタを散りばめながら、ウィットに富んだセリフが次々に飛び出す。そこから彼女の微妙に変化する心理が見て取れる。

主人公を演じるベル・パウリーがとびっきり魅力的だ。「ロイヤル・ナイト 英国王女の秘密の外出」「ミニー・ゲッツの秘密」などに出演しているらしいが、個人的には今回初めて見る女優。大人なんだか子供なんだかわからない微妙な表情や言動の変化が、この役にピッタリと合っている。実際に目の前に彼女がいたら、「ウザイなぁ」と思いつつも、何となく放っておけなくなりそうだ。

キャリーに変化をもたらす大きな要素は、セラピストのペトロフが彼女に渡すリストにある。そこには、6つの課題が書かれている。それをクリアすれば、彼女の現状は変わるというのだ。そこで、キャリーは半信半疑ながらも、実行しようとする。

「ペットを飼う」という課題には金魚を買ってきたり、「子どものころ好きだったことをする」という課題には、昔好きだったチェリーソーダを飲み始めたりする。極めつけは「デートに出かける」という課題だ。何とキャリーは新聞広告で相手を探す。それも底意地の悪いある策略をめぐらせるのだ。

そんなことをしつつ、キャリーは様々な人と出会う。彼女が嫌々始めたバイト先の社員たち、婚約者がいるのに迷っているエリート男、隣の家の風変わりな音楽家などなど。そして、想定外のことも含めて様々なことを経験していく。

それによって少しずつ彼女は変化していく。ただし、直線的にポジティブな方向に向くわけではない。行きつ戻りつしながら、あれこれ迷いながら少しずつ前へ進む。おかげで、彼女の変化がリアルに受け止められる。

同時に、彼女の過去のトラウマも見えてくる。現在進行形のドラマの合間に、ところどころ挟まれる大学教授との恋愛。キャリーの妄想なのかと思ったら、実はそうではなかった。また、父親との大きな確執も見えてくる。そうしたものを通して、天才という側面とは違う普通の女の子としてのキャリーの姿が見えてくるのだ。

個人的に最も好きなシーンは、キャリーが音楽家の青年と夜のマンハッタンを歩くシーン。そこでも等身大の素のキャリーが見られる。実に微笑ましくて、心温まるシーンだ。最初は天才という観客には縁遠い存在だったキャリーだが、ドラマが進むにつれて身近な存在になっていくのである。

終盤、キャリーにとって懸案だった父との関係が、もつれながらもある方向を向く。それはまさに彼女の成長を物語っている。世の中は複雑で割り切れないけれど、だからこそ捨てたものではない。キャリーはそう理解したのではないだろうか。

ほのぼのとしたラストシーンも心を温めてくれる。キャリーが間違いなく変化したこと、これからは前を向いて歩いていくことを印象付ける。そんな彼女を見て勇気づけられる女性も多いことだろう。

というわけで、キャリーに共感しやすいのはやはり女性だと思うが、男性のオレにとってもなかなか面白い映画だった。キャリーの成長物語であるのと同時に、ラブコメ的な魅力も備えているので、気軽に観ても楽しめると思う。

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◆「マイ・プレシャス・リスト」(CARRIE PILBY)
(2016年 アメリカ)(上映時間1時間38分)
監督:スーザン・ジョンソン
出演:ベル・パウリー、ヴァネッサ・ベイアー、コリン・オドナヒュー、ウィリアム・モーズリー、ジェイソン・リッター、ガブリエル・バーンネイサン・レイン
新宿ピカデリーほかにて公開中
ホームページ http://my-precious-list.jp/

 

「日日是好日」

日日是好日
シネ・リーブル池袋にて。2018年10月20日(土)午前11時40分より鑑賞(スクリーン1/G-7)。

~茶道を通して一人の女性の人生を描く。樹木希林の圧巻の演技は必見!

大森立嗣監督は、役者としても数々の作品に出演していて、現在全国各地で公開中の「菊とギロチン」では正力松太郎を演じている。

一方、映画監督としては、「まほろ駅前狂騒曲」や「セトウツミ」のような作品もあるものの、どちらかというと「さよなら渓谷」「光」など、人間の暗部をグリグリとえぐり出すような作品のイメージが強い。

その大森監督が、今までとは全く違うタイプの作品を監督した。森下典子のエッセー『日日是好日 「お茶」が教えてくれた15のしあわせ』を映画化した「日日是好日」(2018年 日本)である。

一人の女性の人生を茶道を通して描いたドラマだ。主人公は、真面目で、理屈っぽくて、おっちょこちょいの二十歳の大学生・典子(黒木華)。母から勧められて気乗りしないまま、同い年の従姉妹・美智子(多部未華子)と一緒に茶道教室に通うことになる。“タダモノじゃない”と噂の武田先生(樹木希林)の指導で稽古を始めるのだが……。

映画の冒頭では、10歳の頃の典子が、両親とともに映画館でフェリーニの「道」を鑑賞するものの、まったくつまらなかったと感じたエピソードが語られる。だが、やがて彼女は成長して、「道」が好きでたまらなくなる。それは茶道にも通じる話として描かれている。

武田先生の指導のもと、茶道の稽古をする典子と美智子だが、そこには袱紗のたたみ方など難しい所作がたくさんある。武田先生が言うには「お茶は形から入って、後から心がついてくる」もの。しかも、それぞれの所作の意味や理由は、武田先生にもわからないのだ。これでは2人が戸惑うのは当たり前だろう。

この映画のほとんどは、茶室で典子たちが茶道を学ぶシーンだ。茶道に興味も関心もないオレだが、そこでの様々な所作を見ているだけで単純に面白いと感じた。所作には季節ごとの違いもあり、四季折々様々な行事なども行われる。

そこに登場するお茶やお菓子も、実に美味しそうに映し出される。典子たちのダメっぷりなどで、笑いの種も散りばめられる。だから、けっして飽きることはなかった。

意味や理由がわからなくても、何度も繰り返すうちに自然に茶道が身についていくという。確かに典子もそうした経験をして、茶道の良さを少しずつ理解していく。それどころか、水の音とお湯の音の違いがわかるようになるなど、五感が研ぎ澄まされ、心のありようも少しずつ変化していくのだ。それはあたかも、最初は嫌いだった「道」を好きになったのと同じことなのである。

そんな典子と茶道との関係と並行して、彼女の人生も描かれる。典子は20数年にわたって武田先生の下に通う。その間には様々な出来事が起きる。最初は、就職をめぐる一件。美智子がさっさと就職を決めたのに対して、典子は就職につまずいて出版社でアルバイトをする。

その後、美智子は会社を辞めて故郷に帰り、あっさり結婚してしまう。人生において、常に自分の先を行く美智子に対して、典子は複雑な感情を持つ。そして、典子は婚約者に裏切られる。

そうした出来事を大森監督は劇的に描いたりはしない。あくまでもお茶の稽古シーンの合間にさりげなく挟み込むだけだ。だが、それが実に勘所を押さえた描き方なのだ。例えば、典子が失恋したシーンでは、駅のホームでぼんやり佇む彼女が次の瞬間号泣するシーンを映す。あとは彼女が傷心でしばらくお茶を休んだことを告げるのみ。それ以上余計な描写がない分、典子の心情がより深く心に突き刺さってくる。

そして、そんな人生の節目には、いつも武田先生がそばにいた。といっても、特別なことをするわけではない。直接慰めたり、叱咤激励することもない。ほんのさりげない言葉をかける程度だ。だが、それが実に温かで、ごく自然に典子に寄り添うのである。

何しろ武田先生を演じるのは、本作の公開直前に亡くなった樹木希林である。これまでに様々な役を演じてきた彼女だが、この役はまさに重ねてきた年輪のなせる業といっていい。すべてを包み込み、細かなことに一喜一憂せず、穏やかに相手に対する。わずかなセリフと佇まいだけで、典子に心を寄せる。その絶妙の距離感は、なまじの役者では表現できないだろう。

特に素晴らしいのが、典子が大切な人の死に直面した時だ。自責の念と後悔を抱えた彼女に対して、自らの過去の経験もふまえて、優しく寄り添うその姿にはただ感動するばかりだった。最後の演技にふさわしい、まさに圧巻の演技である。

主役の黒木華の演技も見ものだ。こういう内省的な人物を演じさせたら一級品の彼女。静かな演技の中から、典子の喜怒哀楽が静かに立ち上がってくる。終盤に登場する、空想の中で海辺で雨に打たれて叫ぶ壮絶なシーンなども胸にグッとくる。

大森監督は、茶室を中心に四季の移ろいを丹念に捉え、典子たちの平凡な日常を魅力的に映し出す。だが、その平凡さの中にもささやかな変化がある。人生、すべてが良いことばかりではない。だからこそ、武田先生の茶室に掲げられた「日日是好日」の言葉が重要な意味を持つ。

多くの年月を重ねて、典子がそのことを理解してドラマは終焉を迎える。穏やかで静かで心が洗われるような映画だった。刺激に満ちた作品が多い昨今だけに、なおさらそれを実感した。樹木希林黒木華たちの演技をバックに、大森監督が新境地を開いた作品といえるだろう。

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●「日日是好日
(2018年 日本)(上映時間1時間40分)
監督・脚本:大森立嗣
出演:黒木華樹木希林多部未華子原田麻由、川村紗也、滝沢恵、山下美月、郡山冬果、岡本智礼、荒巻全紀、南一恵、鶴田真由鶴見辰吾
新宿ピカデリーほかにて全国公開中
ホームページ http://www.nichinichimovie.jp/

「ファイティン!」

「ファイティン!」
マスコミ試写(映画美学校試写室)にて。2018年9月20日(木)午後3時30分より鑑賞。

~マ・ドンソクの魅力が炸裂! 腕相撲選手の再起と家族の絆

基本的に自腹で映画を観ているオレだが、試写のお誘いを拒否しているわけではない。世間的に影響力のないオレに対して、誰も試写状を送ってこないだけである。そんな中、珍しくも某映画宣伝会社が試写状を送ってくれた。これは行かない手はない。というので、先日、マスコミ試写に足を運んでみたのだ。

鑑賞したのは今月20日から公開になる韓国映画「ファイティン!」(Champion)(2018年 韓国)。韓国では「アベンジャーズ/インフィニティ・ウォー」に次いで初登場2位となり、動員100万人を記録したという。

主演を務めるマ・ドンソクは、日本でも話題になったゾンビ映画「新感染ファイナル・エクスプレス」などで脇役として良い味を発揮していた役者。マッチョな体型ではあるものの、いわゆる韓流イケメン風のルックスではないし、どちらかという武骨なイメージがある。それがこうして堂々と主役を張るところに、韓国映画の幅広さを感じてしまう。何よりも彼ありきの映画なので、彼が好きか嫌いかで、この映画の評価も分かれそうだ。

アームレスリング(腕相撲)の選手のドラマである。アームレスリングといえば、かつてシルベスター・スタローン主演の「オーバー・ザ・トップ」という映画があったが、比較的珍しい素材といえるだろう。

ドラマのスタートはアメリカ・ロサンゼルス。マーク(マ・ドンソク)という男がクラブの用心棒をしている。彼は、もともとアームレスリングの頂点を目指す強豪選手だったのだが、八百長疑惑をかけられて除名されてしまったのだ。

そんな彼に対して、自称スポーツエージェントのジンギ(クォン・ユル)という青年が、韓国で行われる大会に誘う。こうして海を渡って祖国で、再びアームレスリングの頂点を目指すマーク。だが、そこには紆余曲折がある。何しろ彼のマネージャー役を務めるジンギは、大金を稼ぐことに固執していた。そのため彼はサラ金とスポーツ賭博を営むチャンス社長(ヤン・ヒョンミン)に近づき、スポンサーになってもらおうとする。ところが、彼から八百長話を持ちかけられてしまう。

というわけで、本作では、マークが様々な困難を乗り越えてアームレスリングのトップを目指す姿が描かれる。ただし、単純にスポ根ものの映画として観ると物足りなさを感じるかもしれない。この手のスポーツ選手の再起物語では、最初に主人公をボロボロの状態に追い込んでおいた方が、あとあとの輝きが一段と増すことになるのだが、この映画のマークはそこまでボロボロには見えない。

だが、本作にはもう一つの柱がある。“家族”の絆のドラマだ。実はマークは孤独な男だった。幼い頃に韓国からアメリカに養子に出されたものの、養父母は早死にしてしまった。だから、なおさら実母に対して複雑な思いがある。「どうして自分を捨てたのか?」という拭い難い疑問だ。

そこで韓国に来たマークは、恐る恐る実母の家を訪ねる。するとそこには、ジュニョン(チェ・スンフン)とジェニ(オク・イェリン)という幼い2人の子供が住んでいた。そして子どもたちの母親のシングルマザーのスジン(ハン・イェリ)は、マークの妹だというのだ。

こうしてマークが、初めて見る妹とその子どもたちと交流する姿が、じっくりと描かれる。最初はギクシャクした関係で、なかなかコミュニケーションが取れない。それでも子どもたちとは意外に早く打ち解けていく。武骨なマーク、かわいらしい子どもたち。その微笑ましい交流が、実に良い味わいになっている。それにしても韓国の子役はうまい!

一方、しばらくはギクシャクした関係のままだった妹のスジンだが、彼女があるトラブルで警察に捕まったマークの身元保証人になったことをきっかけに、2人の距離も縮まっていく。ずっと孤独だったマークが、初めて家族を持つことになったのだ。

家族のドラマという点では、マークと亡き母との絆も描かれる。亡き母の本当の心根が明らかになり、それがマークの胸を直撃する。実に愛にあふれたシーンだ。また、ジンギと父親との絆も描かれる。なぜジンギが大金を稼ごうとするのか、その理由が明らかになり、父子の絆の深さがさりげなく綴られる。

もちろん、そうした家族のドラマと並行して描かれるのが、アームレスリングの世界でのマークの挑戦だ。何とかマークを売り出して、金を稼ごうとするジンギ。遮二無二トップを目指すマーク。そこにチャンス社長や2人のライバル選手が絡んで、次第にドラマは盛り上がりを見せる。

ちなみに、ライバル選手の1人は刑務所帰りのいかにも悪そうなやつ、もう1人は典型的な好青年という漫画みたいな設定が面白いところ。マークや彼らが戦うアームレスリングの試合シーンは、迫力満点でケレンたっぷりだ。

さて、終盤になってある事実が発覚する。先ほどからマークと妹とその子どもたちとの関係を家族と表現してきたが、実は、そこにはウラがあったのだ。そのことが原因で、彼らは困難な局面に直面する。しかし、それがあるからこそ、クライマックスが一段と盛り上がる。

クライマックスは、マークがかねてから目指していた大会だ。強力なライバルの存在に加え、様々な横やりが入るなどして事態は混沌とするが、それでもマークは頂点を目指す。ただひたすら、子どもたちとの約束を果たすために。

決勝のシーンはこの映画最大の見せ場だ。試合の合間に、過去の出来事なども挿入され、ズンズンと感情が高まっていく。そしてついに……。ラストは素直に感動して、思わずウルウルきてしまった。

スポーツ選手の再起物語に家族の絆ドラマを絡め、迫力、笑い、感動を詰め込んでテンポよく描いた作品だ。エンタメ映画として、なかなか充実した作品だと思う。それにしてもマ・ドンソク。相変わらずいい味出してるなぁ~。

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◆「ファイティン!」(Champion)
(2018年 韓国)(上映時間1時間48分)
監督・脚本:キム・ヨンワン
出演:マ・ドンソク、クォン・ユル、ハン・イェリ、チェ・スンフン、オク・イェリン、カン・シニョ、ヤン・ヒョンミン、イ・ギュホ
*シネマート新宿ほかにて10月20日(土)より公開。
ホームページ http://fightin.ayapro.ne.jp/

「あの頃、君を追いかけた」

「あの頃、君を追いかけた」
池袋シネマ・ロサにて。2018年10月16日(火)午前10時50分より鑑賞(シネマ・ロサ2/自由席)

~甘酸っぱくて、切なくて、ノスタルジックな台湾の青春映画を忠実にリメイク

リメイク映画は数々あるが、どの程度オリジナルに忠実かは千差万別だ。オリジナルを大幅にアレンジして、まったく雰囲気の違う作品にしたケースもあれば、オリジナルを忠実になぞった作品もある。

先ごろ公開になった大根仁監督の「SUNNY 強い気持ち・強い愛」は、主人公たちをコギャル世代に設定し、ラストでキャスト総出演のダンスを披露するなど、けっこう大胆なアレンジも加えていたが、基本となる部分はオリジナルの韓国版の要点をほぼ踏襲していた。

だが、それ以上にオリジナルに忠実なリメイク映画がある。「あの頃、君を追いかけた」(2018年 日本)だ。オリジナルは同名の台湾映画。台湾の作家、ギデンズ・コーが自作の自伝的小説を2011年に映画化し、台湾はもちろん日本でもヒットした。甘酸っぱくて、切なくて、ノスタルジックな青春映画だ。

今回のリメイク版がどの程度オリジナルに忠実かといえば、人物のキャラ設定やストーリー展開、エピソードの数々がそっくりなのだ。それだけではない。舞台となる高校の制服をはじめ、細かなディテールもかなり似通っている。ドラマを映すカメラワークまでそっくりだ。

劇中では、どう考えても台湾としか思えない異国情緒あふれる風景も登場する。主人公たちの受験風景では、みんなが半袖の夏服を着ているのだが、それもオリジナルに合わせたものらしい。これは完全コピー。いわゆる完コピではないかっ!!

ここまで完コピしたリメイク版は見たことがない。うーむ、いったいなぜ? 裏に何か事情があったのか。それとも単純にオリジナルをリスペクトしたからなのか。疑問は膨らむばかりだが、それはとりあえず置いておこう。

大人になった主人公が、高校生時代を振り返る形でドラマが始まる。クラスの悪友たちとバカなことばかりして、お気楽な高校生活を送る水島浩介(山田裕貴)。ある日、そんな浩介の態度に激怒した教師は、彼をクラス一の優等生・早瀬真愛(齋藤飛鳥)の前の席に座らせて、真愛にお目付け役を命じる。

真愛は中学時代から仲間たちのマドンナ的存在。その真面目さに反発しつつ、少し心がときめく浩介だった。やがて教科書を忘れた真愛のピンチを浩介救ったことをきっかけに、真愛は浩介に真剣に勉強を教える。最初は嫌がっていた浩介も、巧みな真愛の教え方に乗せられて、次第に成績がアップしていく。こうして2人は距離を縮めていく。

オリジナル同様に、前半は浩介と真愛を中心に、高校生たちのキラキラした青春の日々を生き生きと綴っている。マンガチックで笑える場面もあったりする。たとえば、浩介は自宅で全裸で過ごす。「何だコイツは?」と思ったら、父ちゃんも全裸だった……などというオチ(これもオリジナルと同じ)に思わず笑わせられる。ちなみに生田智子演じる母ちゃんは、ちゃんと服を着ている。

さて、距離を縮めた浩介と真愛だが、そのままお気楽に恋人関係に突入したりはしない。お互いに「自分に自信が持てない」「本当の私を知ったら嫌われるかも」などと微妙な心理を抱えて、その関係は遅々として進展しないのだ。

そんな2人に対して、もどかしさを感じると同時に、「そうだよなぁ。初恋ってあんなものだよなぁ」と共感し、自分の過去ともリンクして甘酸っぱさがこみあげてくるのだった。

そして高校卒業。浩介や真愛が仲間とともに海に遊びに行くシーンが、とびっきり輝いていて印象深い。それ以外にも印象深いシーンがたくさんある映画だ。もちろん、その多くはオリジナルを踏襲したものではあるのだが。

卒業後、彼らはそれぞれの道を歩み出す。そんな中、離れて暮らすことになった浩介と真愛だが、それでも微妙な関係は続く。久しぶりに再会した2人が、お互いの気持ちを書いた気球を飛ばすシーンが心に染みる。まさに胸キュンのシーンである。

だが、それでも2人が恋人になることはない。小さなすれ違いが決定的な亀裂に発展してしまうのだ。それはどう考えてもバカバカしいこと。大人になって振り返れば笑い話で終わりそうだが、若さゆえシリアスな事態に至ってしまう。それがとても切ない。

その後、疎遠になった2人が地震をきっかけに、連絡を取り合うエピソードもオリジナル通り。そして、ラストの結婚式でのユーモラスで微笑ましいエピソードもまた然り。

というわけで本当に何から何まで完コピなだけに、さすがに驚きはないものの、「甘酸っぱくて、切なくて、ノスタルジックな青春映画」というオリジナルの魅力は、そのまま受け継がれているのは間違いない。

時間が経って青春時代を振り返った時に、「あの時ああだったら……」という思いは誰もが持つのではなかろうか。そんなちょっぴり苦い思いと共鳴して、心を揺さぶられてしまう映画なのである。

そういう点で、リアルタイムに青春を過ごしている若者よりも、大人の観客の方がよりグッとくるのかもしれない。

主演の山田裕貴はいかにもあの年代の男の子らしさを熱演。同じく主演の「乃木坂46」の齋藤飛鳥は、何だか人形みたいで可愛いですなぁ。彼女の無二の親友を演じた松本穂香ともども、なかなかの演技で今後が楽しみである。

リメイク映画を紹介する時には、「オリジナル版もぜひ」とお勧めするのだが、これだけ完コピだと、ちょっと戸惑ってしまう。けれど、やはりオリジナルはオリジナル。やっぱり、そちらも観てもらいたい。ホントに素晴らしい青春映画なので。

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◆「あの頃、君を追いかけた」
(2018年 日本)(上映時間1時間54分)
監督:長谷川康夫
出演:山田裕貴齋藤飛鳥松本穂香、佐久本宝、國島直希、中田圭祐、遊佐亮介
*TOHOシネマズ日比谷ほかにて全国公開中
ホームページ http://anokoro-kimio.jp/

 

「運命は踊る」

運命は踊る
ヒューマントラストシネマ有楽町にて。2018年10月7日(日)午後2時5分より鑑賞(スクリーン1/D-13)。

~運命の不条理さを社会への疑問とともに描く

運命があらかじめ決められた避けようのないものなら、それは不条理極まりないものといえるだろう。人は運命に翻弄され、大きく人生を狂わせられる。

運命は踊る」(FOXTROT)(2017年 イスラエル・ドイツ・フランス・スイス)は、そんな運命の不条理さを描いた映画だ。「レバノン」で第66回ヴェネチア国際映画祭金獅子賞を受賞したイスラエルサミュエル・マオズ監督の8年ぶりの長編。本作も、ヴェネチア国際映画祭審査員グランプリを獲得した。

映画の冒頭、一台の車が荒れ地の中の道を走っている。実は、これがラストの種明かしにつながってくる。

続いて一軒の家を軍人たちが訪ねるシーン。そこに住むのは、ミハエル(リオル・アシュケナージ)とダフナ(サラ・アドラー)夫妻。軍人たちは、彼らの息子ヨナタンが戦死したことを知らせにきたのだ。

ダフナは兵士たちを見た瞬間に、ショックのあまり気を失う。それに対してミハエルは平静を装うが、次第に苛立ちを募らせていく。軍人たちは、表面的には彼らに同情する態度を見せるが、まるでルーチンワークのように次々と指示を出す。気を落ち着かせるために、決まった時間に水を飲めなどと言って、タイマーまで設定するのだ。それによって混乱していくミハエル。

ミハエルを混乱させるのは軍人たちだけではない。夫妻の親戚たちの行動も彼を刺激する。ひたすら泣きわめく者、あちこちの親戚縁者に連絡をする者など。ミハエルは認知症気味の母に知らせるために施設を訪問するが、母はミハエルの話を理解しているのかいないのか要領を得ない。

そして、ついにミハエルはブチ切れる。自ら蛇口の熱湯に手を差し伸べて、その熱さに耐えるまでに精神的に追い詰められた彼は、葬儀の詳細について話しにきた軍の聖職者を怒鳴りつける。息子の遺体の存在に関して、相手が曖昧な答えを繰り返したことが原因だった。

こうして混乱と怒りの渦中に叩き落された、ミハエルの心情を示す映像がユニークだ。ゆっくりと左右に振られるカメラ。アップの多用。それも顔だけでなく、足など様々なアップが登場する。そして、何よりも印象深いのが、ミハエルを頭の上から映した映像だ。この頭上からの映像は、他の人物についても使われる。

そして、こうした映像が、サスペンスフルで不穏な空気を生み出す効果も発揮する。何やらこの先に、とてつもなく良からぬことが起こりそうな、そんな雰囲気が漂うのだ。

まもなく衝撃的な出来事が起きる。なんと息子ヨナタンの戦死は誤報だったというのだ。戦死したのは同姓同名の別人だったというのである。

それを聞いて母のダフネは心から安堵する。だが、ミハエルは怒りをぶちまける。あとでわかるのだが、彼は過去の出来事によって心に傷を負い、それが感情のコントロールを難しくしていたのだ。ミハエルはヨナタンをすぐに呼び戻すよう要求する。さらに、コネを使って自ら軍に働きかける。

さて、では当のヨナタンは何をしているのか。ここからはヨナタンの日常が描かれる。彼は国境の検問所で、仲間の兵士とともに任務に就いていた。そんな彼らの前を歩いて検問を通るのは、なんと一頭のラクダではないか。何が起こるかと緊張していた観客は思わず脱力するはず。つい笑ってしまうシーンだ。

その後、ある兵士はトロットダンスという踊りを踊る。この踊りは、1910年代はじめにアメリカで流行した社交ダンスらしい。そのステップは「前へ、前へ、右へ、ストップ。後ろ、後ろ、左へ、ストップ」。つまり、どうしても元の場所に戻る。この映画の大きなテーマである運命が、どうあがいても逃れられないことを示唆しているようなステップである。

というわけで、ヨナタンは、戦場の緊迫感からは程遠い閑散とした検問所で、間延びした時間を過ごしていたのだ。そんな中で、自分たちが何のために何と戦っているのかわからなくなってくる。前線で必死で戦うわけではなく、こういう場所にいるからこそ持つ疑問だろう。

そんなヨナタンたち兵士を描く映像も、相変わらずユニークだ。彼らの様々な思いを一風変わったショットで映し出す。同時に、不穏さも失わない。徐々に傾く彼らの住居のトレーラー、調子の悪いラジオなどのアイテムも、効果的に使われる。

そうした不穏さは、やがて現実のものとなる。ある夜、彼らは国境を越えようとする一台の車をチェックする。兵士たちの任務の中で、唯一といってもいい緊張する場面だ。だが、今まではすべて問題がなかった。今回も簡単な取り調べのはずだったのだが……。

その後、ヨナタンは帰宅の途に就く。その車中で、彼は自らが描いた漫画を取り出す。その漫画がひとしきり物語を紡ぎ出す。だが、そこから一気に場面は飛ぶ。またしても何かが起きたのだ。それを受けて、ミハエルとダフネの関係も変化している。

この終盤の夫妻の演技が圧巻だ。まるで濃密な舞台劇を見ているかのように、重厚で、スリリングで、緊迫したシーンである。ミハエルとダフネ、それぞれの思いがぶつかり合う。そこでは、これまでずっとミハエルの心の傷となっていた過去の出来事も暴露される。

この一件に加えて、息子ヨナタンの戦死をめぐるあれこれ、そしてヨナタンに起きたもう一つの異変は、すべて運命の不条理さを示す出来事だ。父、母、息子。遠く離れた場所で、3人の運命は交錯し、すれ違い、元に戻ってしまう。やはり運命は避けられないものなのか。

ドラマの最後には、ヨナタンに起きたもう一つの異変が描かれ、運命の不条理さをいっそう強く印象付ける。

「運命」というテーマを追求した作品ではあるが、同時にこの映画には、イスラエルの現状に対する疑問と批判、ひいては世界の現状に対する疑問と批判がクッキリと刻まれている。そのせいか、イスラエルの右寄りの政治家たちは、この映画を非難したらしい。やれやれ。

誰もが満足するような、わかりやすい映画ではない。観る人によって評価も大きく分かれそうだ。だが、それでも、ありきたりの映画にはない不思議な魅力を持つ作品なのは確かである。

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◆「運命は踊る」(FOXTROT)
(2017年 イスラエル・ドイツ・フランス・スイス)(上映時間1時間53分)
監督・脚本:サミュエル・マオズ
出演:リオル・アシュケナージ、サラ・アドラーヨナタン・シレイ
*ヒューマントラストシネマ有楽町ほかにて公開中。全国順次公開予定
ホームページ http://www.bitters.co.jp/foxtrot/